無主⑤“連京圖ライン”のオトギバナシ と 非コクミン

    結局のところ

    収奪した果實をまもるために。自衞するために
    それが自衞戰爭の本質だった,日本の

    死守。
    させられたのは。
    結局誰だ?誰のために?
    いや誰が,ナニのために?

    外地で,内地で
    最後の最後で酷い目にあったのは,
    “ニホンジン” だった
    ソ連が侵攻すると「滿洲國」から真っ先に内地に逃げ歸ったのは

    關東軍と「滿洲國」官僚,實業家。

    普通のニホンジンふくむ,邊境に 押しやられた,ひとびとは
    あらかじめソ滿國境の防人として想定されて屡屡頻頻おくりこまれたつづけた開拓團

    とりわけ。
    1945年春以降におくりこまれた, “滿蒙開拓青少年義勇軍”
    文字通り徒手空拳,いたいけな少年たち。
    かれらは,
    潰滅。
    特攻隊と違って。
    決して讃えられることのない,わすれさられた
    同じことなのに,
    “國” のために命をすてさせられたのは


    最後の最後で酷い目にあったのは,
    優秀なる大和民族 “ニホンジン” だった
    いったい,

      なぜ日本人が?
      ひどいめにあった?

    ネトウヨの被害妄想史觀は, “われわれが優れていたから” だが

    そうではない。
    それまで “盾” としてつかい捨ててきた
    『外國人勞働者』の供給ではおいつかなかった,もしくはストップしていたから,
    というだけのこと

    ニホンジンはさいごのさいご。に。

    しかし。
    しかし最初から最後までひどい目に合っていたヒトビト,それはだれだったのか?
    まず,朝鮮人。そして。

    もちろん最底邊に,外に “押しやられた”, “日本人” もいた
    しょせん蒼氓,國籍もさだかでない,日本人ディアスポラ,赤。
    そういう “流浪” ,の “無法” の

    しかしおおくは
    “名譽ニホンジン” たる朝鮮人,滿人,つかわれた「支那」人・・・

      曾てニホンジンは『名譽白人』として
      “狗” や “豬” の仲間入りしなくてすんだ黄色人種だったが
      それはニホンジンが優秀だったからなのだろうか?
      日本がカミの “國” だったからだろうか?

      ちがうだろう。わたしは違うとおもっている

      極端を言えばたまたま帝國列強の果實となるほどの資源がなく
      魅力ない山だらけの狭い大地にたてられた “國” であった,から。
      そしてすぐに,歐米の真似をしたからだ,と。

      このように考えてもいる

      早急に真似をする為には,學ぶ時間が必要だったが,
      その時間を
      日本はたまたま稼ぐことができた,というだけだ。
      そしてその猶予の時間とは
      中國大陸と東南アジアが先より列強に収奪されていた,そういう時間でもある

      日本にとっては,事實上
      緩衝地帶となって犠牲になっていた大地,と,民があった,ということである。

      これは, “盾” ,そのもうひとつの意味でもある


    そもそも
    最初から最後までひどい目に合っていたヒトビト,それは

    大日本帝國,大和民族ではなく
    皇國のほんとうの臣民ではなかった朝鮮人,滿人
    中國人,琉球の民。

    それはいつでも “同じ側の同じ立場“ であって。
    入れ替わることがなかった
    そして
    しかし。
    さいごには。
    最後の關頭にいたっては
    ふつーの “ニホンジン” が。
    ほんとうの “臣民”
    それまで  “押しやっていた” 側にいた日本人が。


    ふと
    ベトナム人のいまだうけつづけている枯葉劑の被害をおもう
    ベトナムの大地に,人びとの肢體の中に殘る。殘りつづけているのである
    橙劑


    核汚染
    また,ふたたび。こんどは福島で除染のしごとを
    何も知らされずに。

        “何も知らされずに”

    これがのちのち
       “かれらは求めて日本にやってきた ”

    にすりかわる構圖はいったいどこにある?

    從軍慰安婦だってそうだ。
    強制連行された事實もあるが
    彼女たちは,多く,求められて
    そうして,結果
    “求めて” いったのだが

    求める,というの一語のなかにある,

      うそ,エサ,甘言と罠
      意圖された,帝國の,日本の,
      歪んだ “意志” がある。
      先にある。
      
    そのうえにゆがめられてしまった民の “望み” があったということだ


      そうではなく
      そういう“國家” の意志ではなく,民の意志によって。

      これからは“” の意志が “くに” をつくる,

      それが,
      それこそ,わが日本國憲法の意志である,
      當時のわれわれの,總意であった,民の意が先んじてあり,憲法は,
      『民主』というとほうもなくジッタイもない “想思” にむけて
      供託せられた “證文” だったのだが

      希望も,想意も,未來,である
      未來への囑託だったはずである


    「滿洲國」地圖と “連京圖ライン”


    滿蒙開拓團もそうだった。

    かれら帝國日本の農民は日本政府の求め,に應じて, 
    帝國日本が“買い取った” 土地を開拓しただけだ。

    じっさいには
    そのうらには,幾万の,凍土に叩き出された中國東北の民がいた
    中國人,その土地を開墾し生活を營んでいた,滿蒙の民は,帝國の武力に土地と生活の一切を略奪されて,のち,生きるためには。

    食いつなぐために日本人の小作人,奴婢としてやとわれるしかなかったのだ,
    それさえも, “求めて” ,だ。

    ――血氣さかんの中國の若者は,抗日ゲリラに求めて參加
       あるいは南に逃亡して,自らの,意,志もて抗日戰線に身を投じた――

    そのジツ
    滿蒙開拓團の民も,鋭敏なもの,慧いものは

    “國家” が “滿蒙” に侵寇,しこうして大地の “富” を収奪した結果

    しこうしてかかるがゆえ,
    われわれは ここにいる,

    氣づいていたのだ,心の奥底に包み隠していても解っていたはずだ

    しかし,かれら開拓民ははもともとが極貧の農村部の二男坊,三男坊。
    タコ人夫,蟹工船。
    女の子がうまれたなら,からゆきさん,縫製工場の哀女工。
    身賣り,出稼ぎ,そんな日本内地の農村の現實

    そんなかれらに。
    新たにあたえられて得た滿蒙の農地を捨てて
    帝國日本の “内地” に引き返す,と言う選擇,は
    なかった
    ひきかえすすべなどなくなっている
    それ以外の未來はありえなかった
    そこで,中國の農民によってすでによく開墾された大地で,
    収穫の實りを得,
    默默と關東軍と北支派遣軍に、帝國に食料を供出していた

    そんなかれらに。


    開墾の土地,大陸雄飛の夢をあたえた大日本帝國。
    “國” が募集をし,斡旋する村役場
    自ら求め應募をし,訓練所をへて・・・・

    (除染をさせられたベトナム人となんらかわるところもない)

    その,「滿洲國」の大地で。
    1945年夏,

    ついに。
    すべてを奪われ,“押しやられつづけてきた” 東北三省の中國人が
    帝國の武力の庇護を失って茫然と,右往左往するしかない帝國日本の開拓農民に “殺到” する。

    蓋しそれはあたりまえのことではないか

    當然の結果,有因有果である
    そこからはじまった開拓團の逃避行。とてつもなく廣大な滿蒙の大地の地獄

    ひろいひろい「滿洲國」にはりめぐらされた,夢の滿洲鐡道は,
    ソ連侵寇の翌日には,全く動かない

    “國” も,満鉄職員の幹部も。關東軍の將校と一緒に逃亡,さっさと内地にもどってしまっているのだから
    「滿洲國」の機能はいっさい不全,
    ソ滿國境の開拓民になにごとかをつたえる手はずさえしなかった

    結局,開拓團の多くは,犠牲になり
    また,惨澹たる目に遭いながら長い長い道のりを,
    自らの “足” のみで踏破できたものだけが生き殘る

    ようようたどりついた,略奪され盡した空っぽ同然の「滿洲國」の首都新京
    庇護を失った日本人
    また,引き揚げの船に乘るまでまでの,長い長い時間
    飢餓と疫病,現地住民の敵意にさらされつづけた

    彼らを庇護しなかった “國家” 皇國
    “國” とはなんだろうか?

    國ごと出稼にでばっていったならそれはもはや “國” ではないのではないだろうか

    夢の, “あじあ號”

    すべてはオトギバナシ。
    一場の夢,
    終わってみれば

      カレラハ捨石トシテ配置サレタニスギナカッタ

    關東軍と「滿洲國」は彼ら,天皇の赤子たる開拓農民たちを置き去りにしたが,
    結果ばかりでなく
    作為があった
    もともと遠大な計畫,満蒙領有の深謀深慮のもとで,あらかじめ配されていた

    作為,意志によるものであったのだ

    おそらく。
    こうした有因有果のハナシは

    わたしがアカの立場から,オオゲサに物語を紡いでいるだけだ,と
    そう考えるひとはきっとおおいだろう,

    しかし。
    ひとつだけ。

    ここにこの事實を提示しておく
    このことだけで十分だろうと,わたしは思う
    これだけは
    歴史の客觀的ジジツであり,ゆるぎない “實”のこと 。

    日本帝國は,戰況著しく惡化していた1945年春まで,滿蒙開拓團の募集をつづけ,
    「滿洲國」農村地帶,それも邊境に,ニホンジンを送り込みつづけていた。

    そのころすでにソヴエト連邦は,『日ソ中立条約』の破棄を日本政府に通告していた

    Wikiでも調べりゃカンタンにわかることであるが


    戰後,かれら,からくも生き殘り
    “外” なる大陸から “内” なる祖國に生還した開拓民のおおくは,
    口を噤んできた

    なぜか?
    なぜ彼らは口を噤んできたか?

    それが,それこそが,
       何も知らされずに。
    という,作為,とそして
       “かれらは求めていったのだから
    というあとづけがなされてしまうおそろしさだ

    有因有果だが,求めたものだけが自縄自縛に陥る

    かれらは
    かつて自らが中國人に与えた加害,しかし最後に受けた報復の被害
    帝國日本の政府によって与えられた夢と,のち,國家から受けた被害
    その各各の,それぞれのはざまで二重に苦しみ

       “みずから求めてでていったのだ”

    という理不盡だが,一片の曇りもない事實と

       “あの時代はいたしかたない,戰爭だったのだから”

    その一言でかたづけられてしまう言説

    そのはざまにおいても苦しめられた。
    國家とニホンジンの世間が結託して間あい,隙間をつくる
    その罅隙のなかで深淵に陥ってしまったら
    口を噤むしかない
    しかし。

    ほんとうに求めたのは
    “國” ,である
    國家の意志であった,という
    あまりあからさまには見えない實相がある


    そして。

    さらにはこういうことだ。

    死守すべきは連京圖ラインの内。
    外から命からがらもどってきたひとびとがいて,
    ソ滿國境にま近い邊境に捨石として捨て置かれてゐたひとびとだ
    黑龍江,アムール川,シベリアから松花江沿い
    當然ながら壯夫はシベリアに送られた者も多かった
    食うために,東北民主聯軍に雇われ,朝鮮戦争を戰った少年たちさえもいる
    そうした惨澹の苦難の道のりを經て
    “かれら” がしかし,内地に戻れば。

    下北半島のヤマセ吹く地に
    福島の浜通りに。
    なぜ住まうこととなり,そこにはなぜ決まってゲンパツがあるのか

    百五十年前に決定づけられたことだ
    琉球處分から
    日韓併合から
    いま,福島に除染作業をさせられるベトナム人がいるのはなぜか

    それさえも

    みな地續きでつながっている
    地續き,というが,もちろん時續きにほかならないし

    けれども
    ベトナム人は, “來なくなる” こともできる

    しかし
    ニホン人は, “ゐなくなること” ができない

    ならば
    ニホン人を,使えばいい。使うしかない。

    となるだろう,
    そのまえに
    彼らが “來なくなること“ をよろこばない心理が醸成される
    それが
    何を意味し,なにを志向することになるかといえば。

    集めてこい,だ

      かれらは有益な人材だ。

    かれらは有用の命,無益であってはいけないが受益者ではない
    用を為さねば無用となる。

    徴用人材

    いったい,誰かのために,供せられていい命が,あっていいのか

    それは

    いつでも同じ側の同じ立場
    そうであるかぎり
    その事は許容され認可される
    そういうことを

    ・・・。
    彼らにいてほしい,と思うのもニホンジンのいたしかたない本音なのかもしれない。

    差別の對象としてゐる,存在,はありつづける
    なぜなら
    身代わりとして必要であるのだから

    だれしも,
    他人の果實のためだけに自らの生活を提供させられるのはゴメンだ
    ましてや
    他人の “生” に,いや, “國家” に自分の “生” を,供せられたくない



    沖繩の民のことをおもう

    わたしたちの大地から飛び立った,アメリカ軍兵士が,
    空から,
    ベトナムの大地に
    撒布したそれは,わたしたちの大地に運び込まれ貯蔵されたAgent Orange
    そのことを痛いほど自覺し,心に負うてさえもいる沖繩の民

    いましも沖縄で邊野の古き大地に座り込むひとびとだ。

    かつて,かれらはガマで,
    生命を,
    一つずつ,
    ひとりずつ,
    彼らを同胞とはけっして思わない帝國軍人のために捨てさせられた

    死守すべきは本土。
    である

    今しも可決される
    今しも投入される土砂

    大日本帝國は
    「滿洲國」の開拓民を,連京圖ラインの外側や,朝鮮半島や,沖繩を
    “祖國防衛”の 犠牲にして
    からくも生きながらえ存續することができたのに

    だれしも,
    他人の果實のためだけに自らの生活を提供させられるのはゴメンだ
    ましてや
    “國家” に自分の “生” を,供せられたくない

    なぜか,日本には

    他生の命を守るために命を捨てる美學というのもある
    しかし,それも
    結局は未來のために,ではなく
    “主人” のため

    主人を選ぶ權利は,われわれにはないのだろうか?

    もともと日本人が有主人種なら
    主人のための奴隷が増えることは。

    不是不好。
    主,とは何かといえば,

    なさけないことに國家
    國家がナサケナイ,のではく, “ナサケ”が ナイ 國家

    無情

    海と大地のためなら死をもいとわぬだろう沖繩の民がいる
    未だ來ざる時のために, いまだ來ざるが,ゆえに,こそ
    だからこそ,信ずる

    彼らには信じるものがある
    信じていないものもある,と言う
    過ぎ去った時間の記憶ゆえに,
    ぬぐいさることのできない記憶,記憶されつづける記憶,ゆえ
    取り戻すことができぬはもちろん,
    決して修正することも出來ぬ

    そういう過去,がゆえに,こそ

    だからこそ,信ずる,もしくは,信じない,“訫”

    今しも投入される土砂
    とりかえしがつかない
    ひきかえせない道を,つくりつづけ
    つづけていくのか,つづいていくのか


    そして流浪人はそこで死んだ,冬の間この死體の上には雪がつもることをしたが,強い風はすぐ積つた雪をふりはらつて,カチカチとした裸體をむき出しにしてゐた,通行人は稀にそこを通つた,然しその死體をチラと見たきり少しも心に動搖を起さなかつた,野犬がその死體に近よつた,しかし鐡よりも硬ばつた死體を鼻でさはつたきり,絶望的に去つた, そして春がまた死體の硬ばつた凍へがしだいにとけてきた,死からほぐれてゆく生命といふものがあるとすれば,冬の間凍つた肉體が春になつて漸次溶けて行き,彼の靈のない肉體が新しいフショク物として地面の中にしだいに溶け沁み行つてゆくその過程のやうでもあつた。
                  ――押しやられる流浪人の話 小熊秀雄


    落花不是無情物, 化作春泥更護花


    生のコトワリではあるが
    花は “國” のために開くのではないし

    果實の恵みは, 
    “自ら” を活かす生のため
    次の春の土のため,また腐り朽ちる

    花が,みずからそれを信じているかどうかはべつとして
    人は
    信是春再來
    だから

    「訫」は信でもある。

    有情 Yǒuqíng

          つづく

    無主④名有實無,無名有實,無名民沒有主是ヒコクミン

    國民民主黨というワケのわからない黨派がいつの間にかあることに,
    わたしはいまごろになってようやくキづいたんだが。

    キボウファーストとかいう トっぽいヒトビトもいたっけが

    正統派トロツキストの前原氏がつくった黨かとおもいきや
    どうも,ちがうらしい。
    タマキと言うのは先の參議院選擧で野黨共闘をぶち壊した第一人者だったが

    イライ ワタシハ カレノコトヲ トロ玉 ト ヨンデイル

    郭沫若曰「トロツキストは疑いもなく最も惡質な病原菌ウイルスである」

    つまりはデンセンするということがいいたいだけなんだが。

    「名を捨ててジツを取る」
    という
    いかにもトロっぽいことを,正統派の真似をしていうところも
    いかにも追從派トロツキストらしいな,とおもうんだが

    いったい,

      正統派トロツキストと追隨派トロツキストは,どっちが先に力をもつものか,
    はたまた,
      どっちが,アカに,よりハナハダしく迷惑をかけるだろうか,
    という。

    しょーもないことにキョーミを抱き,
    歴史的にコタエの出せてない命題なんだが,
    そもそもがどーでもいいモンダイ,をいつもわたしは考えつづけてきている

    もともと,トロツキストと言うのは

      ナニかを,とろう

    と言う魂膽が根底に渦巻いてあるが,(だから,とろっキストだ,という説もある,)

    しまいにはアカにメイワクかけると言う一事ダケが目的化している思念するヒトビト
    (思想,でわナイ,思念ダ。)
    いつも膽に念じているのだが,念じているだけ,と言う

    とろうかな,というより

      とられたくない,だからとりたい。とる,
      結果とれないという,(とろ五段活用路線)

    ふだんからあまりイミをなさずw,影響もほとんどあたえないんだが
    かれらが,とろう,とするものは普通にかんがえれば,ま。權力。
    よりゲンジツ的にいえば とりたい,ものは
    政權の一翼
    もしくは
    名だったり,ミだったりするし

    ・・・・・

    「逢いに行けるコクナン」選擧のまえだったかねw

    想えば毎年センキョヤッテル我がニッポン國じゃあったが
    そのまえは,ソーリが毎年變わるという
    ヘン易の國家だったし。
    ヘン化は求めているんだがなにもかわらない,という・・・

    新宿駅前廣場で,

      彼が捨てたのはボクたちだっ 
      ボクたちは捨てられたんだっ

    小氣味よくうったえていたカクメイ軍馬の前卒がいた

      あいつは、名を捨ててジツをと,るとほざきやがった。
      名を捨てる?だと? 
      上等じゃねえか,
      オマエが捨てるというオレたちこそが,ほんとのジツじゃねえか 

    (もう少しまともないいかただったキもしないでもないが)

    マエハラきゅんにいわせれば

      政治家とはある意味,名を捨てて實をとる,イキモノなんです

    なんだろーが
    わたしは次の選挙では エダノさんには,
    名を捨ててもいい,實をとりに行ってもいいけどさ

    ナニ,が名で,ナニ,が,實,なのか
    がナニの名で,の,ジツをとりにいかなければいけないものなのか
    間違ってほしくないと,
    ほんとうに,切に願ってる

    たしかに政治とは
    實を取るためにガンバル人たちの職業活動
    でもある

    われわれはかれらに,

       おまえの名まえなんかどーでもいい
       われわれの果實を取る算段をしてこい

    と言ってコッカイに送りだし。

    わざわざわれわれのなけなしのケツ税使って,

       立法しろ,
       いやその前に審議しろ,
       いやその前に立法ジジツをわれわれに示せして見せろ,

    と言っているんだが。

    とゆうようなことをわれわれはかれらに言っていたはずなんだが

    あのヒトたちに審議の技能の實習をさせる斡旋ダンタイをぜひとも作ってほしい
    と憤として,おもう今日この頃

    っついでに奴隷教育も受けさせて

      お前たちは公僕だ
      いわば公のためのドレイだっ
      お前の名なんてどうでもいい。ジツを取ってこいっ
      甘い汁が吸えるとおもうなっ

    ・・・・・・

    ジツには虚實のジツと言うイミもあるが
    甘い果ジツをばかりをみて「ゲンジツ」をみない

    果實ばかり見て大樹を見ない

    大地のゲンジツを見ない

    だから現實が見えない。

    空虚ばかりを審らかにして議してもって何を決するというか


    可決寸前だが

    未來の日本人の勞働,實體を審議している自覺はあるか?


    あるんだろうなw

     沒有主是無不明   méiyǒu zhǔ shì wú bù míng
     布衣無主民扶名   bù yī wú zhǔ mín fú míng
     堯天受益誰何知   yáo tiān shòu yì shuí hé zhī, 
     今地多生共地生   jīn dì duō shēng yě dì shēng

           20181206  19:02


     生産性高収奪夥   Shēng sān xìng gāo shōu duó huǒ.
     大聲小勢好煽火   Dà shēng xiǎo shì hǎo shān huǒ
     每聽心戰他雷鳴   Měi tīng xīn zhàn tā léimíng.
     大樹不知無有果   Dà shù bù zhī wú yǒu guǒ.

            20181025  02:20



    先の戰爭。
    結局,
    収奪した果實をまもるために。自衞するために
    それが自衞戦争の本質だ

    死守。
    させられたのは。
    結局誰だ?誰が誰のために?
    いや誰が,ナニのために?

    大地で,外地で,内地で

    最後の最後で酷い目にあったのは,
    “ニホンジン” だった

    つづく

    無主③徴用人材

    だいぶ時間が經ってしまったのでもはや忘れられているだろう
    ガフ雷鳴の所信表明(信ズル所ヲ明ラカ二表ス)。
    ケンポーとは國家の理想云云

    というくだり。その後起こったことを考えるに,
    彼の心象風景はやはりコレだろう,というキメツケが
    わたしの中ではケツロンづけられた
    ベツにあの一言をこの間シツコクかんがえつづけてたワケぢゃないがw

    あまり問題視もされてない隙間のことに,
    問題視されてないがゆえそれにもイチャモンつけたいという
    根性の曲がった志のもと書くわけだけどサ

    ケンポーには國家の理想がかかれているべきだ,というような
    彼,(もしくはスピーチライター)の思想と,彼によるその吐露表出


    そもそも彼の發言(これははっきり失言とおもうのだが,)の真意は,
    いっぱいいろんなこと考えられたがワリとあっさり以下の3つに絞られた

    ①間違いもエラソーに言いつづけてればいつかファクトになる
     →そもそも,コクミンをなめているというだけのハナシ

    ②彼,はホントにそう思っている
     →單に日本國憲法を讀んだことがナイ
     →讀んではいるが日本語の讀解力がナイ
     →理想という語の語意もしくは國家という言葉のイミを知る理解力がない
     →國家という言葉の語義はわかる,理想を持つという主體はいったい誰だ,
      ら,の,理想が書かれるべきものなのかという,
      日本國憲法そもそもが本來もっている意志(彼にとっては寓意,)
      そこがわかってナイ,もしくは意圖的にわかろうとしナイ

    ③彼,が,理想とする憲法のことを言ったまでで,
      必ずしも現行の日本國憲法のことをさしてるわけぢゃないし
      
    どれも完全に否定し得る物でないしあてはまってるんだ
    さはさりながらその後に起こったことをあれこれ考えると。やっぱり。

    聲なき聲が聴こえてしまうデンパケイ一族
    政治家とは政商,政治とはフィクサーー行為,でしょ,
    そんな人生訓を前面に押し出し,取引によって,辛くも絞首刑を免れた
    そんな元商工省官僚で,また「滿洲國」國務廰長官
    「貮キ參スケ」の異名とともにガフでなくとも雷鳴轟かせたひとがいて,
    そのひとが
    やってきたこと,そのうらがえしの有因インガの結果の未決の決着をもとめて
    おこった,半島からの訴え,(わたしにとってはハナハダアレゴリックな危警)


    あらたに人材を求め,わが大ニッポンの,國策遂行のために,よそから人材を集めてナニが惡い?とばかり
    に。
    結果,まんいち,人手がいらなくなったら追い返すことができる。
    そんなガイコク人をかき集めようじゃないか,と。


    かつて,戰爭に負けたら,戰爭に協力させられた(多くは犠牲になったが,生きて殘っていたらば)お前らはニホンジンじゃないとばかりにつきはなされた,突き飛ばされて。


    朝鮮半島の民,その家族はたいへんにおおかった。
    當然日本の軍人軍屬のうけることができた補償の埒外にあり。

    徴用された民。
    死のうが生きようがしったことではない,榮えある皇國の臣民として死ねるならありがたいと思えとばかり酷使された
    補償も賃金すら支払われない。


     それは,昔のこと
     過去に拘らないで,
     未来志向で生きようじゃありませんか

    大音量のヘイトスピーチ,脅迫,侮蔑,
    鶴橋で大虐殺おこるぜぃとか平然と語るおんなのこが,そんな発言故にたのもしい,と政權中樞にスカウトされる

    嫌韓本はなぜたくさん出版されるかって?
    買う奴(ホントに讀む奴が買っているかは甚だ疑問ぢゃあるが)がいっぱいいる,つまりは賣れるからでしょ,
    という,
    これが,日本,のジッタイ,正體,であるが。


    徴用工判決のモンダイは

    ほんとうに,いろいろな我が國の黑歴史w日本帝國の罪,過去のしざま,
    そして,これから行おうとする、
    「國策によるガイコク人材の勞働力搾取の推進」という日本の現在

    ふたつをよくオーバーラップさせてくれるのである


    わたしとしては偶然,こんな機會に,我が國の危ケンな兆候に警コクを發してくれる,奇貨ともいうべき判決を出してくれた韓國の法廷に感謝したいキブンだが
    喜ぶニホンジンはあたりまえだがどうも少ない。
    ハナハダ少ないがゼロっではない,し,それほどみじめな少人數というわけでもないことは主張したい

    派手で大音量のコクナンフェチの聲にかき消されてしまっているだけだが

    ・・・・・・・・・。

    かつて
    滿蒙を領有化し,他國の,東北三省の,地域,土或の富を収奪し,
    それによって “富める” が故に,しかしそもそもゼッタイ的に人數が足りず

    朝鮮半島から執拗に,募集をかけ,
    あるいは「應じるもんか」 と拒絶する半島の民を,あろうはずもない給与待遇の甘言もて,誘いだし,
    それでも心動かさない民に限ってはどうも強制連行らしき,を,した
    連行された大勢の植民地の,日帝統治下の

    大日本帝國の國益のために,大陸(中國)進出(侵略)のために,
    日中戰爭のために。大東亞戰爭遂行のために

    常に足りない人手を必要とした大日本帝國によて,様々な理由で
    おのれの勞働力を,場合によっては生命までも,意に沿わぬ雇い主のために
    日帝という “國” の “國” 策のために提供させられたひとびと,

    その結果は?
    究竟焦土となった國土,皇國臣民の心の荒廃と
    民主主義などと言うものに憑りつかれてニホンジンの堕落をまねいた?w

    それがはたして “國” の益になったかどうかと言うモンダイはよく考えられけっこう整理はされようとはしているとおもうがw。

    そっちの結果ではなくw
    かれらは,

    自ら職を求めてやってきたひとびと。

    だ,
    と。

    その “實態” を知らぬものは,韓國社會,韓國政治,韓國國民の非常識に怒り哂い,
    國家間の合意を翻して平然としている國,近代の国際社會の落チコボレだ
    といわんばかりに。

    たしかに國家間のお約束事の一方的踏み躙り,それはあるまじきことだ。



    その一點に絞られて聲高に發せられる日本の言説に,たいし

    不思議に思うヒトの割合は
    どんどん少なくなっているのだろうか

    逆に言えばその一點以外に日本側の,正當性を,正義を,國際的に通用する正しさを
    主張できるものはない,ということでもあるが
    (恰もその一點以外の様様な有因に皆の頭が回らぬよう)
    ゆえに。それがゆえ敢て絞られている,か,のようだ,

    確信犯にて,口を拭う,
    いともカンタンに,あっさりと短絡された言説,
    それをナイーブにも真に受けて,コクナンフェチの我執に加擔するネトウヨ
    ネトウヨがあべせいけんをささえていいるワケではなく,
    コクナンフェチによって,ネット空間で使い走りさせられてるネトウヨ


    そして徴用工とは,1944年に云云という
    事情に疎いりべらるホ種を翻弄するような,その他大勢を愚弄するかのような

    間違ってないが。

    全く言い足りてない,いや意圖して言わない文脈の欺瞞が蔓延している

    こういう紛爭事は國際裁判所に提訴すればいい,
    しかし,

    兩國二の足を踏む。

      いや相手國があることだし,こっちは提訴しても構わんのだがね,

    両國ともそういって提訴しない。


    世界の,ジンケンというもののあつかい樣,その拠ってたつ根源的リクツとを,
    兩國ともに理解しかねるところがあり半信半疑であるうえ,
    その時々の世界の,潮流,ようするに流行というものがあり,
    それで結果を讀めずに踏み切れないんだろうが

    (慰安婦はセックススレイブだ,と言い切る國際社會にビビッてしまう
    提訴できないのはやはり,日本のほうだろうな,とおもう,わ)



    そしてまた。
    威丈高の河野太郎はオヤジの談話,レガシーを(死んでないが)ホントにマッタクどうだ,と考えているのか?
    審らかに聞いてみたいと言うは,アカノミナラズりべらるホ種にも多くいると思うんだが

    たしかに,河野洋平の談話には “言質” を取られるようなこと,はいっさいナイ,
    賠償するなどととは,補償するなどとは,一字たりとも言明されてないがw,
    あのことばが,あのお詫びが,「詫び證文」としてひろく國際的に讃揚されたのはなぜか?
    という
    根っこのところ,を。

    かつて,(たかだか20年前だ)
    多くの日本人が共有していた反省と謝罪のココロと信義,もやっとただようそれを形にして,,
    かれの親父がようやくにして國外に示し得た,益はあっても害にはならない,すこぶるふぁじーなわびしょうもん
    あまさずブチ壊していく河野太郎ぢゃある。

    今,外相が河野太郎,ということで,
    90年代に日本が國際社會にしめした信義と,受け入れられた,日本の「訫」
    辛くも,日本の立場を正しく説明しえたあの聲明をも,
    (息子以外のだれがやっても,これほどまでの背 “信” とはならんだろう)
    踏み躙り,毀損しつづけているという
    先進國とは思えない我がクニ世襲政治制タイの負う業罪の深さもあらためて思い知らされているワケだが

    日本政府はカイケツズミ,という,その一點を死守すれば,
    いちいちこまかいことを國民に考えさせたり,近代史を振り返ることなく,このっ問題はやり過ごせると思っているのだろうか

    解決濟みというところも,また。

    何,と,何,にとっては解決濟み,で,別の,何(たとえば北),にとっては解決濟みではないのか,
    何と何にとって解決はしたものの,誰か,にとって,は,解決に納得した覺えはない,
    なのか

    何を “國” と,誰を “民” といいかえてもいいが



    日本はミンシュシュギでありw
    コクミンが “聲高に” ,韓國ケシカランといってるなら
    つまり國家の主の多くがそうおもっているのなら,
    シュタイとシュタイの衝突ではあるが。

    原告は主體である

    その主體,
    徴用工 
    という言葉のトリックもまた。考えることはやまほどある
    彼らはどんな言葉で,行為で徴用せしめられたか?
    日帝はかつて,どんな言葉で,彼らを徴集し,
    日本政府はいま,どんな理屈で,日帝の立場の正當性をわれわれに説明してみせるか,

    どんな物語をもっていて
    これからそれを蔓延させるのか,とてもわたしは興味深い,しかし,
    我が日本の,われわれ “主” たる 民 は,
    そのモノカタリを政府がネツゾウして説明せざるを得ないほど,
    日本政府に疑問をつきつけることができるだろうか?
    ようは, “民”が主體となって そのコトに興味を持つか?
    ということだが
    持つ,という希望もある

    いま,まさにあからさまに露呈されている,ガイコク人材のモンダイ,
    最低賃金以下で酷使され,劣惡と不自由の環境に圍い込まれる勞働者。

    ブローカーといういわれかたする事業團體がいくつかあり,
    そのダンタイが,技能實習生にたいしおこなう事前教育,
    軍隊式の(彼らは自ら軍隊方式を賛美し,敢てそのように行っていると,公言する)
    徹底した奴隷性増幅教育のもとであらかじめジンケン意識を沮喪させる,
    そうして完全な “勞働力” のみを抽出して “搾” り,
    その他は “取” るに値いしない自由,人格,ジンケン?,として。

    その生活の自由をはぎとっていくことを可能にする,システム。
    我が “國” にとって “人” はいらない,「有益」な “材” はほしいという,

    そしてその,「有益」の,益の中身とは單に酷使できる, “勞働力” とその果實のみ,
    という。
    この,
    人材ということばにたいする,w
    人,にたいしても,材,にたいしても,あまりにもテキトー,深みない考えと幼稚さのもと
    描かれている,そして成就されるべき コク益,(つまりは・・・・我々人民にとっての,意圖せざる者にとっても,日本コクミンである限り,これは,受益だ,ということになってしまうのだ,)
    とは
    いったいなになのか?

    ましてや彼ら外國人勞働者を
    コクミン, “國” の民として受け入れるつもりは毛頭ないのは
    大,大前提という。
    それこそ總理の支持層は「まっぴらごめん」,だとw
    彼らは,治安を亂す,犯罪者予備軍だと
    しかし。

    安倍政權は,

    人口減少お先が暗い,多くのガイコクジン勞働者の居住と生活圏がある日本,という
    まさに日本のゲンジツを
    否定してみせてなお明るい,いったいどんな解 を求めようとしているのか。

    ところで

    自らの生業に資する技能を自國で得ることはできないから,だから日本で實習するんだ。
    という
    そんな名目の技能實習
    ・・・・
    ・・・・
    水産加工の技能を習得できるといって
    はたして山にかこまれたネパールの民に必要な技能なのか?
    というはもとより
    ホタテの殻むきというようなことに象徴される,技能?特に必要ないんじゃんと,だれでもくびをひねりたくなるような「單純勞働」を「習得」する實習生たちというおとぎ話はずいぶん以前からモンダイにはなっていた 
    とっくにあきらかになっていたのだ
    いや,だからこそ,
    もうこのタテマエではやっていけないでしょ,ムリがありすぎます,と
    少しシステムを變えた
    入國者管理局も,こまっていたのである
    そこをいじってそこから變化が生じて,ゆえに喫緊の課題となった
    その結果起きている今の法案審議の暴擧。
    來年四月にあわせた
    やっつけ仕事であるが

    いじって手を加えたシステムもやっつけなら,
    そこいじったせいで早急にやらざるをえない,拙速に拙速を重ねているわけだが
    そもそもがあまり出来の良い手法でなかった,制度に無理があった,無理があれば
    歪む
    そこに理を加えて正そうとするのでなくもう一度輪をかけて無理をする
    無理の二乘で有理が生まれるわけでもないが



    これまで
    ソリャ本音と建て前,どこの世界にもあるでしょ,
    モンダイ視されずにきていたような

    いや,そもそもw
    なぜかれらが福島で除染作業をやらされてるのかサッパリワケがわからんのだが

    除染勞働とは知らされていなかったズイさん


    しかしながら國際社會の「人權にうるさい人々」にモンダイを指摘されつづけてきた
    入國管理のモンダイとともに,。

    入國管理局と不法滯在の問題は日本の多くの生活者とはかなり距離感があったわけだが
    ここにきてしかし。

    すでにニホンジン以外の多くが住み暮らす,現状に,いろいろと日々惱み考えさせられている民が多くいる。
    (わたしの住む池袋も半分はチャイナタウン,道を歩けば半分がさまざまな外國からきた人たちだ)
    やはり民は當事者で,生活圏内のハナシでもある,というくらい
    この問題は裾野ひろく,自然と影響及ぼすハナシで
    政治は,

    おそい,

    のである,と言うのが生活者たる “民” の實感ではある

    ガイコクジンはそれほどに
    多い。
    一般市民といわれるようなコクミン, “民” の居住空間において
    ガイコクジンとのトラブルもまた,
    多い。
    そう,
    意外と注視されている今回の法案w

    日本の覆い隠されていた暗部がよく明らかになって見える。

    送り出し國と迎え入れる國,その國の眼がとどかない民間業者の惡質。
    それは,よくあることで,國が責任を負いきれないこともあるだろう,
    しかし
    日本の場合,であるが
    日本の主たる政治家がこの斡旋業に加擔しているとしたら?
    總理の「所信表明」に引用されたおかげで,「ベトナムもそうなのか」下種の勘繰りもできるというものだが。


    その斡旋業のダンタイに片足ツッコんで何食わぬ顔であれこれ審議と稱する審議になってない時間をとりつくろう政治家たちがいかにたくさんいるか


    經濟界からの要望,逼迫している期限,というが。
    ソノジツこれは

    日本人勞働者を高度に働かせるための法案のときとちがって。
    過去と “歴史” が絡んでくる

    もちろん
    “内” 地,側,の勞働者のモンダイも,過去からつづく,「勞」「使」の關係があるかぎり,永遠にまといつくもんだいなのだろう,
    しかし
    アジアで突出した “力” をもってしまった近代國家・・・・,
    ・・・・・なぜか帝國日本だけが近代化を先んじて “行い得た”,
    その結果
    “外” 域に,累を及ぼしてきた
    そういう過去
    その,國家の思想,ニホンコクミン(当時は臣民)の情動
    ほんとうに背筋が凍りつく未來を予感させる。

    執拗に過去の絡みついてくる,有因有果の結實をみつめることになるか


    單に經濟界からの要望に屈していいのか,という政治政局のモンダイ以上の
    日本に移民は来ないでほしいというよーな情緒的でゲンジツを見てない議論以上の
    根深い,――ジツに根の深い,――宿痾ともいうべき――問題,が黯底に横たわってある

    日本 “國” が持つ,歴史的に持っていた途上國への蔑視,
    そして
    今なお持ちつづけている偏見

    彼らは確かに日本帝國に統治されるというシッタイの, “國家” の歴史をもつものの
    その彼らに跳ね返され,敗戰した日本,
    國家滅亡の寸前でからくも保ちえた皇統,

    彼らは光復した。
    日本は降伏した。
    今の政權を握る政治家たちの祖父たちは,皇國の為にはアジアを犠牲にしていいんだ,
    と考えていたヒトビトの代表であったが

    そういうヒトビトの唱える
    その國策,に,そもそも異を唱えることを敢てしない民,でき得てゐない民,
    という構造,くにのかたち,戰前と同じく,ある,

    なんらかわらぬ,日本の,かたち,がある,

    その事を受忍するしかない有主の民の群れ
    ・・・・・・。
    だ。


    と。

    為政者はカッテに思い込んでいるがね


    その事に疑義を呈しているヒトビトがたくさんいる,という今

    ことの展開,彼らのやり口がすべて成就してしまう結果は予測できるものの
    その周邊,民の意識の變化に,これまでと違った空気を感じている。



    それにしても
    韓國政府はほんとうに,外交問題に發展しないようなかたちで自國の民の人權や自由尊嚴を保證できる施索ができなかったのだろうか?
    いま,そしてこれまで・・・・。

    日本のカゲキな反應がかれらにとって想定外のものだったとは思えないのだが
    我が国のソーリ,外相はじめメンツを考えれば
    言わなくてもいいようなことまでいっちゃう過剰反應は予測できたはず
    文大統領は,やはり,韓國のジンミン側に立ちすぎているがため

    そこを基盤にしてやれること,それはたくさんある,
    そこが基盤ゆえ,起きてしまう問題に足元をすくわれることもある,
    そして,金大中,盧武鉉の時代にはなかった,ポピュリスト的政治手法の功罪表裏の際立ち
    「民主主義」ゆえその民を「主」とすること,そこに忠實であればあるほど,そのラディカルな(單純な)本質,構造が,彼を懸崖に立たせてしまう

    そんなことを考える。
    いま,韓國の司法は人民により寄り添っている,のも,民意によるものなら
    また文政權を成立させえたのも民意である。


    「民主」という概念は近代の大前提ではある,
    大前提となる前には「民主主義」は,主義主張の理想,理念の具現を追い求めることはできたが

    大前提となってしまえば,あえてナニナニ主義として主張されるべくもない,
    その必要ももはやないはずなのだが,
    「主義」として體制や國家の都合に利用される『民主主義』は,
    そのうまくいかないところばかり浮き彫りにさせられて,先進國じゃ恰も糾彈されるために存るような状態だw


    さはさりながら民主は大前提である,
    そのうえに,われわれはどうすべきかということを考える,
    という前に

    わがくにでは
    そもそも

    民は主ではない


    憲法は「國家の理想」,

    とほざく
    國家主義を正義とする行政府の長にすぎないソーリダイジン以下有象無象が立法府をめちゃくちゃにかき回している


    つづく

    毎日新聞20180418記事より無断借用

    無主②有用惟爲國家主義。無用之民是什麼?可知無用之大用。

    人皆知有用之用,而莫知無用之用也。『莊子』《人間世》

    あっかるいなー
    さすがあとは野となれヤマト國宰相だけあるという

    てかこのヒトのゲンジツをみていないなさ,

    というはあきれるしかないな。という,その時點であればまだしもマシなほう,
    ジツは
    ミスター瓦釜雷鳴は,確信犯という。

    ゲンジツはわかっちゃいるけどなおワタシにはヤリたいことがある。
    と。
    確信犯なんだが。

    いやそこは,安なべの實力,ろくなことはできまい,

    国民投票?やりゃあいい。否決されて終わりでしょ,と

    いえないところも,かがやけるこのわが國 の,めざましさ。

    あまりに,ノーテンキ,かれの “所信”(信ズル所) をきいておもったこと。

    この,「下手すりゃ憲政史上最長かも」 とおそれられるアベ政權に
    レームダックというコトバはないっ
    というかがやかしいニッポンコクの現在未來,將に來るべし。

    ニッポンには,れーむだっく,という,じり貧,をいうコトバはないっ
    だからニッポンはこんなにスバラシイのだ,つよいんだ,あかるいんだ

    レームダックと化した自らを認めない,感じない,
    しまいにや
    自分にレームダック(=役立たず)の自覺を促さなかった國民が惡いとばかり,
    いいだしかねない自己肯定且つセキニンテンカして完結しそうな
    そんな腦内回路もダダ漏れの
    自己陶酔モードな所信表明
    (スピーチライターいるのかな。ちゃんと。あまりにひどいぞw)
    さはさりながら
    破局に進めばすべての責任はコクミンがせおってくれるんだし
    そもそも,が,い わず も が な
    日本國ジタイがすでにレームダック(=死にタイ)

    正是政權,まるごと,がふらいめい。

    たみはみなそのカワレケ安ナベのけたたましい
    「うつくしいんだ,つよいんだ,あかるいんだ」
    をきかされて。
    それでもこんな鍋でもなんとか煮炊きができれば

    ま,いい,か

    と。

    なんといっても原爆二發落とされるまで戰爭やめ (られ) なかったくに (のたみ),
    という。
    ソリャ戰中はしかたない,
    われわれは勝利を確信してたんだし。
    ヤメロという權利もなかったし。

    なんといっても原發4基つぶれても再稼働するくに,
    それを止められないたみ,・・・・
    という。

    世間人間(ジンカン)の

    大勢はゲンパツハンタイ。
    アブナイことはやめようよ,

    といってるのに

    小勢なコクナンフェチのおもうがまま


    而して
    鞠躬盡力,死而後已
    死ねなかったらば
    一億總ザンゲさせられる。それで忘れてしまえるいっさい

    こんふゆーじょん,いっず,まいえぴたふ總理

    ナニ?
    なんだって?

    憲法とは國家の理想がかいてあるもの,だと?

    ジョウダンはやすみやすみ,とおもうひまさえもなく。
    やすむマもなくまくしたててた本日のガフライメイ
    ぢゃああった。

    意キ,揚揚と高揚しては
    あらたなコウトウムケイ
    生産性高い有用人材も我が “國” めざしてこぞって來てくれると

    しかし。(ベトナム人の過勞死自殺者の法要營む ☞ 日新窟の記事
    他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブンで讀んだばかりだが)

    っはたして日本はそんなにも,めざしてこぞってやってきてはたらきたい,
    くになのか
    どちらかと言えば,ブラックなんとかにかぎりなくちかいガイコクジン勞働實體
    入國者管理。

    入国管理局が管轄する施設における死者數は國際的にも周知せられているはず
    なのに
    知らぬ存ぜぬほっときます,とは。
    これはあニッポンの恥、と思うワケだが
    不法なんだから死んでもかまわん,と嘯くヤカラも多いだろう

    中國地方比例代表名簿第一位の,
    民意ではゼッタイ落選させることができない高みにあらせられた,
    かの

    (彼女にプロポーズもとい絶賛スカウトしたのもこれまた,がふらいめい・・とゆう),
    ジミントウに御嫁入せられし若いからイマイチ變なこと言っちゃうケド
    あたたかくうけいれられておはしまします女子にいわせりゃ

    LGBTこそレームダックなんだろーが
    かの,サベツ女子にとって,はたしてガイコクジン勞働者は
    安ナベ内閣がいうように,うけいれるべき即戰力,生産性高い有用人材なんだろうか?

    例によって,アべホ種がワケわからんスジのひとつもとおらないこと
    いきおいあまっていいだしてる,だけ,
    なだけかもしらんが
    ・・・

    古來からヒトをなやませてきた
    有用とはなにか,無用とはなにか
    その命題の
    めくるめく ぱらどっくしー,ここにあり。だ

    用無用
    をどこで測るか
    その規矩は,國家にこそあり!

    有色人種の有主人種はそんなことをオクターブ高くいってのけるんだが。

    わたしの見たところタダのアナキスチックなトロツキストが自分に酔ってるだけ,な,
    宰相の。
    いったいかれがかんがえるニホン國は

    ほんとうは。
    有用者のみを地上にひしめきあわせて充満させるという
    生物多様性のコトワリを真っ向否定する

    そんな大地なのだろうか。
    ほんとうに。

    そう,
    そんなキもするし。
    それがこわいんだな,ともいえるし


    蟻が絶滅しないのは
    つねに1割未満の,働かない蟻がスキカッテやってるために,
    いざっ
    というとき存續の危機を乘り越える “方途” を示すからだ

    そんなハナシを聞いたことがある,ずいぶんむかしに・・・
    「ダイバーシティ」という語,語義、用語の説明,とその背景について・・・

    遠い昔だ。



    こんなハナシもあるが

    惠子謂莊子曰
    吾有大樹,人謂之樗。其大本擁腫而不中繩墨,其小枝卷曲而不中規矩。
    立之塗,匠者不顧。
    今子之言,大而無用,眾所同去也

    莊子曰
    今子有大樹,患其無用,何不樹之於無何有之郷,廣莫之野,
    彷彿乎無為其側,逍遙乎寢臥其下。
    不夭斤斧,物無害者,無所可用,安所困苦哉!



    不,夭,斤斧、 物,無,害,者。

    じつに。

    “國” の亡びを予感させることばぢゃあないか


      ロンリノフザイ “無” 法の長が,論理性ない,だらしない,
      かんがえることをあきらめさせる,饒舌のなかで
      なにも,とりしまらない “有” 法をつくる

      いったい法の “無” 法さが窮まるとなにがおこるのかとかんがえてしまう

      多くの人にとって最大公約數的に有用なもの,
      が,社會の基盤から失われていくという氣がするとき・・・・。

      ――社會には有用無用が混在するが,そういう社會の基底にはあんがい,
      人の意識しない中で
      有用がより有用に有効し,そして,ごく自然に無用を助けていく,

      という,緩やかな、規矩があるとおもう,

    自然發生的に,そしてなお自律的に
     
      そのための基盤がととのえられてあり,それが法治國家,だ
      とわたしはおもうんだが
      (いや信じているといったほうがいいのかもしれないが)――


    つまりわたしは,杉田某のような
    ナベカマ「生産性,低っ」發言の
    背景にある “民意” ,とは,
    けっして自然發生的ではない,と今なお信じてはいるのだが

    誰かが標的をあえて作りあげ誰かが蠢動し煽りつづけ燃えさかる 
    その燃えさかる “火” を消すはおろか
    火の勢いを弱めさせることもできない煽動をやめさせることができない
    カワラケの鍋がその火のうえで盛んにしゅーしゅー大音響をたてて

    「新潮45」の休刊さえ,言論彈壓となる彼らの論法。
    彈壓とはw
    民にできることではない,
    それを權力がやることを「彈壓」と。

    たしか彈壓とはそういう語義だったとわたしは記憶するし
    「新潮45」や,彼,彼女の言論を peopleがSuppressionした,
    とは
    どこの世界でも報道されないことは言うまでもない
    ましてや彼,彼女らのソウルメイト・,それこそが,
    わがガフライメイという
    わがニッポンのイミフメイ
    精神的支柱?
    焚刑?火柱?

    ひどいなw



      わたしはほんとうにゾッとする。

      “有用” が有るべき,(民の多くが,それで納得できうる)すがたで,
      要され, “用” たらしめられるから
      社會の基盤がととのっていくのだろう
      みなが最低限 “許容”できるていどの ,その基盤,それがどんどんと
      めちゃくちゃになっていく,

    そうしているまに

      有用は無用を助けない,
      法は弱者を守らない,
      と,いうとき
      無用と無法がやたらとめだってくる
      無用が窮まるとなにがはじまるかといえば價値の選別が始まるだろう,
      無用なものはなくせばいい,有用なものだけ殘せばいい
      役に立たないものは排除していけばいいじゃないか,とならないか。

      真っ先に排除されそうなのはわたしだ,と
      ただその性からくる,特異な恐怖にすぎず,
      おおくの人はへーきなのかもしれないが

    わたしにはよくわからない認知できない,なぜならとっくに認知機能がこわれているからだが
    自分の論理性が信じられなくなるなら認知を殺す,というキチガイの論法ににげこむだけだ


    論理性は,立法の権限者にないがしろにされ,敵意さえ持たれる。

    敵意と煽動,そこに身をまかせていたくないとき,それを厭い嫌惡する時

      ひとは, “社會” に對して後ろ向きになればいい。

      それだけのハナシなんだが。

      個(孤),が “意” ,に歸一していく,在野の,草莽の知恵だった,
      ともおもうし
      そうする以外にどうしようもない,ならば,そうなっていく,

      はずである。

      “國” は “國” のテイを為さずとも,ただの地域として變易していくことが
      できる
      ならば
      
    孤に,國など必要ないのである

      法我首先法在何,
      だ



     疊前韻

     生産性高収奪夥   Shēng sān xìng gāo shōu duó huǒ.
     大聲小勢好煽火   Dà shēng xiǎo shì hǎo shān huǒ
     每聽心戰他雷鳴   Měi tīng xīn zhàn tā léimíng.
     大樹不知無有果   Dà shù bù zhī wú yǒu guǒ.. 


             20181025  02:20

      

     無可無不無有可   Wú kě wú bù, wú yǒu ké.
     陳言子曰無偏頗   Chén yán `zǐ yuē', wú piānpō.
     人知無用不僅用   Rénzhī wúyòng, bùjǐn yòng,
     法我首先法在何   fǎ wǒ, shǒuxiān fǎ zài hé


                 上聲十四哿

             20180622  14:20




    子のいないわたし,
    しかも
    認知の錯覺者は,
    しかし
    どこかにでもある,さえない樹のもとに,
    自ら行こう,自ら息すがために
    憩うことができるならそれでいいとおもう

    とはいえ
    この樹,あんがいに大きな, 
    “途方” もないおおきさを持つ樹,
    であることも
    四方から,三三五五あつまればいい

    未だ,信じているのだけれども



     高低無關,大樹不伴   Gāodī wúguān, dàshù bù bàn,
     也無有用,雖誰不管   Yě wú yǒuyòng, suī shuí bùguǎn,
     天地原來,萬物無主   Tiāndì, yuánlái wànwù wúzhǔ!


          20181025  0431

    無主①

    “國殤” 謂死於國事者 『小爾雅』曰:「無主之鬼謂之殤」

    この場合 “無主” とは,なんなのか

    儒敎的解釋になるが,
    弔うものなき無人の原野,そこにうちすてられてある
    屍骸
    ということになるか
    つまりは國家がなくなってしまった域に在る鬼(死者霊魂)。

    “國” が亡び,そのほろんだ “國” のために,國事によって死に至らしめられた
    無主
    の鬼がゐる,というとき
    それが “殤” だという。

    “殤” は,普通は成人に至らずに死ぬ,夭,夭逝,夭歿とおなじいみがあるけれども。

    國殤とはなにか,ということを長く考えてきた

    國殤と無主の鬼はもちろんイコールでないのだろうが,
    無主の鬼イコール國殤というとき
    無主という言葉は,否定的な意味として使われる

    「主(あるじ),無き,」が,無主の意味となるから

    國家の庇護をうしなった,
    君主なき,
    というよるべなきひとびと

    あまり好ましくない状況を言う言葉になる
    あくまで儒教。そのカンカツ内のハナシであるが

    あるいは,たとえば
    儒教の倫理観色濃い『三國志演義』などで「無主の亂」などと言う言葉が出てくれば,
    それは
    ただ亂暴者,荒くれが集まっただけの統制のない雜軍,
    首領がたとえあったとしてもそやつは君子ではないし,賊軍だ,という
    否定的イメージだ。
    「無主」の主,には君子の意味あり。

    「主無き」,は,「庇護無き」という意味で
    又,同時に庇護する主體は,國家であり,君王である,という論理を内包する。



    無主という言葉は別のイメージをまとうようにもなってくる

    無主=自由自在,もしくは自我自存

    これは言うまでもなく,
    孔孟が確して見せた國家觀,倫理體系の埒外にあり,
    かつ,その體系が成立しリネンがととのえられていく時代と同時並行的に
    路傍にて。
    國家存續のためのコトワリとは無關に
    野,において
    孤,立,して深化されていった思想體系

    中國古來の自由思想・・・・。
    というものがあった

    『莊子』その,無爲無邊
    もちろんそこから端を発しているとおもうが

    これもまた
    “よるべなき” の象徴といっていいのかもしれないが
    よるべなき,と,自由自在,その表裏の一對,をあらわにしているといえるのかもしれない。

    もちろん 『莊子』の

    “吾以天地爲棺槨,以日月爲連璧,星辰爲珠璣,萬物爲斉送。”

    をおもいうかべてもいいだろう。

    わたしは,無主,である,
    であるが故,

    屍骸を原野にうち棄てろ,

    という莊周である,これもまた

    無主之鬼,死而後,棄原野
    だw

     
     柩などいらぬ,天地が棺槨である,それでいい,
     葬式もいらぬ,日月星辰こそ寶玉の連ね,
     墓などいらぬ,屍骸は蟻に毀壊され烏の啄ばむところとなる,
     それでいい,
     我は誰のものでもなく,
     萬物は齊しく,そのようにあり,そのように葬送される・・・・。


    “無主之鬼” を肯定する世界觀, しかしながら 
    “無為,にして自由あり”
    もしくは
    “無為自由を肯定する,意”, しかしながら
    それ故に
     “無主之鬼”
    だ。


    唐,宋以降
    くりかえし,樂府や詞牌に現れる “無主” の語というものがある。
     (いや,先唐詩,古詩にもあったろうけれども
     そのあたりマッタク学問的裏付けのないことを書いてしまっているが
     わたしが讀んだり調べてきた限り,「沒有君主」以外の意味では古詩では
     無主はつかわれてないようにおもわれる
     間違いであればご指摘ください)

    とりわけ樂府,詞牌

    《卜算子・詠梅》 陸游

    陸遊《卜算子 詠梅》 は日本でもかなり有名で,中國詩に興味があればだれもが知ってるといえるとおもうが
    そのなかの

    “寂寞開無主 ”

     寂寞の中に誰,賞味するものなく,花開く。
     梅花,放縦に,だれのためにでもなしに。

    陸遊の詠んだ梅花は梅花こそ,自由,無主である,という
    梅花を
    束縛なき自由なるもの,それを象徴とする表現の意圖のもと,使われた
    “無主” の意だが。
    孤立し落魄する己れ,摧捽の自らを投影して,

     なお, “春”を人と爭うことなどすまじ,

    と,意をうたう

     梅花は春の謳歌を知らず雪中に散る
     それでも,いやそれであるがゆえ,梅花,ただ,香氣,あり

    だ,
    この詩の精神性の深さ,梅花傲雪俠骨香を詠って傑作とされる

    その,陸游の “開無主” よりもっと如實に
    あからさまに “自由” の意がこめられている
    瞿秋白の獄中詩《卜算子・詠梅》。

    當然,この陸遊詞牌に賡響する

    《卜算子・詠梅》 瞿秋白


      寂寞此人間, 且喜身無主。
      眼底雲煙過盡時, 正我逍遙處。


         此の人間(ジンカン)に,われありて寂寞,
         喜ばしきことには,身に主,無き。
         眼底に,雲煙 の如く 過ぎ盡きてゆく時
         まさに我が 逍遙 の處。

      花落知春殘, 一任風和雨。
      信是明年春再來, 應有香如故。


         花は,春の殘るを知りつつ, 落つる
         すべてを風雨に一任して。
         明くる年,春再び來たること信ずるがゆえ,
         ゆえこそ,もてるその香とともに散るべし
         つねあるごとく,あらんがままに


                ※意譯です



    獄中の,處刑を目前にした瞿秋白の讀んだ “無主”
    西歐近代,自由思想の洗禮を受けた瞿秋白が詠んだのは。
    すこしちがう

    陸遊《卜算子》 の精神性をより,近代化させられてある “無主” の  “意” ,である


    “無主” に,

    自存と自由,を,前提とした,

    ひととは
      “本無主”
     本來もとより,無主である


    という意をこめた
    上片,である,とおもう

      人はだれの囚徒でもない

      
    ここに,陸遊の,歌う梅花の自由と
    近代的理性,西歐思想の涵養受けた瞿秋白の歌う自由の違いを見ることはできる
    (自由にはFreedom,と  liberté のちがい,があるというしごくカンタンないいかたもできるけれども
     究竟この二者はおなじ,である。)

    形死 (といっても蔣介石側から言えば處刑だが,瞿秋白同志側からいえば,これは「就義」)
    處刑を目前にして, 獄中

    喜(それでもいっそうそれが喜ばしきことには),”
      自分は自由である,

    とうたっている瞿秋白

    なおかつ

    死生觀は,『莊子』的自由自在,を象徴するように

     “正我逍遥處”

    佛敎思想の禪定の如き諦観,無常と随變の理をうたう

     “一任風和雨”

    なお,
    信是(信ず,是を)

     “明年春再來”

      來春もあり,來來春もあり,だから
      中國の夜明け,ついには革命かならずや成就する,だから
      その “理” に身を任せることができる,


    なぜなら
    落花不是無情物,化作春泥更護花

    である,
    と,
    この名句は胸にしみこんでいるだろう龔自珍迷の瞿秋白である,その
    自ら,死に就く,その義,を,梅花にたとえてうたつた獄中言志だが。

    ソコにミタマはナイ, だと。 説的對。

    “國殤” 謂死於國事者 『小爾雅』曰:「無主之鬼謂之殤」


    ナイ。

    幾重にも錯綜してムチャクチャに自家撞着な發言だとふつーには思えるが。
    ヤスクニん結界の中では矛盾は
    ナイ。

    ソコ二ミタマハ,ナイ。

    わたし的には本年の最優秀賞ダ流行語大賞の

    マッタクだ。
    遊就館館長だか,宮司さんだかのおおせられたまふとおりとおり

    そこに御靈はない。
    ミタマなどない。
    もとより
    ヤスクニにあるからこそ「ミタマ」であり,ゴコクの「オニ」である
    そんなミタマがあちこちにあってたまるか。と


    だいたい何が慰霊の旅だと。
    天皇と帝國の戰爭によって命を落とした人の,靈魂に
    謝罪の旅。ザンゲの行とゆうならわかるが
    今上が自身
    おん自ら,
    頻りにぞ行いまゐらせたまふ做作を「慰霊」といい,その行を「慰靈の旅」などとぞのたまいたまはれてゐらせられるのかどーか
    など,は。
    おもへばわたしは知つたこつちゃなかったが。

    天皇が頻繁におこないまいらせたまふるところの慰霊,

    むずむずムズムズむずむずムズムズしてくるのである

    平成だろうが昭和だろうが,天皇が「慰靈」すべきは
    第一義的にニホンジン侵略戰爭加害加擔者のミタマである

    とゆって
    そうにきまってる
    とばかりに,なりたつてゐるらしこのリクツがハラだたし

    このリクツからハミダすことなく,わがニッポンの,
    あらゆる斷層のそれぞれかしこで
    一点の曇りも疑いもなく,展開されてしまう,モノガタリ
    そのことをこそが,いとをかし,ぢやなくて いとわろし


    天皇が帝國日本の戰爭の “外”地の戰争被害者よりも
    内なる日本の,軍國主義の犠牲者である日本人戰爭被害者のミタマの慰靈を優先しているのではないか?
    という,わたしからすれば合理的に疑いうるそれは,
    世間では,いまや,マッタク疑われることなく。

    かろうじてヤスクニの偉い人だけがいう「ケシカラン」
    という

    それだけが。
    どこがどうケシカランかは全く真逆なのにわたしのおもうところと合致してしまうというのも
    いといとわしき乎むっちゃムカツキし哉,
    とわゆへ。

    戰爭のヒガイシャというからには カガイシャがゐるのであって,それは
    外地においても内地におってもかわらない,
    第一義的には皇國と天皇である,というとき。

    加害者に被害者が慰められる?
    ということの根本からしてラディカルにワケわからんとゆう

    幾重にも錯綜したフクザツ奇怪でメンドクサい怒りでもって
    こみあげてくるもんがある,というのもそれジタイハラダタシきことなんだが


    舊時代の前時代的な發言で,舊時代的な組織の中で前時代的にっゆゆしきこと
    とて前時代的なっ人物が前時代的にクビをきられました
    とゆう
    どーでもいいことを。
    なぜに
    舊時代的な週刊誌が前時代的にすっぱ抜くという
    (ソコにもイラッとくる)

    ヤスクニ宮司けしからん,とゆうような,
    ウヨクVSりべらるの難兄難弟なケンケンガクガクおこりようにも
    いや今更もう起らんのかもしれないが

    どっちがわが,どっちにむけてどうどういうひはんをすればいいのか
    いとムツカシキ  いとワケわからんことぞかし

    あっそうフクそーりの失言はわかりやすいが。
    あれほど日本中
    皆一斉に同じ方向向いて心ひとつにおなじい批判もしくは絶賛が集中するシツゲン
    を吐く才能
    というのも。(おもへばいとスゴし)

    ヤスクニ宮司の濕原

    有史以前。の
    靖き“國” クニノミヤツコの,、そもそも始源前。之。
    原始之闇之森杜にミタマはゐたのだろーか
    なに?
    あたりまえ。だってヤスクニはジンム天皇がつくったわけでわないと?
    そうか。そうなのか
    ワリとさいきんなのね,皇國史觀てば

    日本の神話上の天皇なんだから日本人の慰霊しかできないんだろう,という
    すぐれてテクニカルな問題,
    それは物理的以前にメタフィジカルに致し方ないことであってもだ
    もう少しその事,天皇の慰霊という造作そのものスタイルそのものをも
    ギロンなりヒハンなり否定なり,
    吟味されるべきであるというハナシ。

    起こらんし

    かつて上田秋成がモノノアハレに嚙みついたがごとき

    ではアマテラスオオミカミのてらすあまがしたとはどっからどこまでなん,
    ハッキリせい

    みたいな
    スグレて不毛な話柄なんだろうが

    あってもよいのでわないか?

    ない。

    せいぜい,ころむびあ大學とか,はあばあど大學あたりで
    天皇の慰霊の對象はいったい誰なのか,そこにあると思って天皇がしているのか
    慰霊の對象
    つまりー―ミタマ―-だが
    その界隈のそのミタマのジツゾンについて屬性について組成についてあれこれと。
    そも慰靈とは。
    ハンセイやおわびのことではないんだろうな,慰靈というからには。などと
    それは研究者のしごとだから職業柄談論風發,タブーっ恐れずかならずやなされるんだろうし,
    ニホンではおこらない
    ニホンジンはしない
    中韓はハナにもかけん
    とはおもうが

    靈を慰むるアラヒトガミの存在

    まずは。
    ナイ。

    そして
    そこにゐない

    いいことゆうじぢゃんかヤスクニ。


    そーいえば元號存續のハナシにカンレンして
    元號のオリジンは中國 なのがくやしい,みたいな
    一代一元號は日本だけっ♫とゆうハナシもなぜかあったが。


    Qing Dynasty では途中からはじまった
    一皇帝一元號
    チャイナにならって明治からそうしたんじゃなかったっけ

    ~ヒトサマ ノ クニ ノ レキシノ 制度 マデ
    ネツゾウダイスキ クニノミヤツコ






    追記
    ネトウヨにバカにされる前に知人におこられてしまったがw

    いつだったか。

    バラクオバマ大統領がヒロシマを訪問した。
    そのとき,オバマ氏は日本人その他原爆被害者のミタマを慰霊した


    彼がアーリントン國立墓地を訪れ
    「兵士たちの犠牲を決して忘れない」
    と語りかけたとて
    慰霊したとは言われないかも知らん,が。
    日本では「靈を慰むる」という行為を言う言葉が一般的であるから。


    詩的な表現として,彼のヒロシマ訪問に際し
    かれの發言は

     死者の霊を慰む,われわれの魂をも強く搖さぶる,感動的なことばだった
    とか,
     無念の死を遂げた「みたま」も安らかなねむりの途に就くだろう,

    とか,たとえばだが
    そんなことが書かれたとして,
    べつにわたしは
    非科學的だっとかいいたてるつもりもないし。

    かれは,かれの職務,職責上,原爆投下の責任を痛感し,そのことをもってそれを代表しておわびもしないし,慰霊もしない,

    ただ,人間として
    自由民主社會の, 「社會契約」下にある市民,一市民として
    ヒロシマを追悼したのである。

    彼の発言,「空からおっこちてきた」
    はそのことを明確に規定していたし,
    反感を感じる人あるだろうことを覚悟のうえで
    敢て明言された言葉だったはずだ。

    それは彼の立場と,ココロの中の氣持ちの間に在るいかんともしがたい,軋轢・・・をすりあわせ,
    罅のようなものをうめる,という
    作用持つ,政治的作為をもつ言葉であり,それをしなくてはいけない,という

    しばり,

    それがある,ということを
    陰に陽に明示している
    “ことば” は,それを規定明示した。

    規定するのが “言葉” であり,
    政治の言葉,とはそのために在るといっても,過言ではない


    それが,歐米民主主義,もしくはリベラリズムのねっこにある,底流として在り,
    ときに顕現される『自由』,「民主」という前提だ,
    そしてわたしはこのことを

     論理性=ロゴス

    と考えている。

    オバマ氏が,ヒロシマの,(死者を含む)ヒバクシャを「慰靈」した,といわれて
    おいおい。ちょっと待ってくれ,と言いたくなる日本人があまりいなかったのは。

    それはなぜなのか。

    わたしはこういうことを,かんがえる,そういうことをいつも考えていて。
    でもそんなことは書いてもしょうがないし,書かないし。

    だれも書かない,だれにも書かれず,
    それを讀んでみれば,だれもが,同意できないようなこと,
    もしくはとうてい同意できないような表現で
    わたしはこれを書くべきだ,と心底から,想い,信念もて書く


    そんなこと書きつづけるのって

    けっこうタイヘン。
    なんだが。

    わたしは誰にも同意されたくないし



    そもそも
    慰靈とはなにか。


    わたしが考える慰霊とは
    1945年以降にかぎって,この國では,それは

    “民” がおこなうこと,だ

    行う主體は,民である。

    これまで,民は,
    無數の慰霊の碑を建立してきた

    遺骨収集の旅ができる地域にも,できない地域にも,
    同胞が同胞を殺戮するという修羅の時を現出させた,滿蒙の開拓團自決の地にさえ,

    だ。


    民が,民の,
    みずからの手で,無念無惨の死をとげた民の靈魂を,
    そうした無主,無情を吞む大地を

    “慰” めてきたのである。殤み,悼んできたのである

    身死爲國讎,護國の鬼とされた戰没者,

    意圖せずして “護國の鬼” となった兵隊たち・・・・
    戰爭加害の責負う,戰爭加擔而して戰死の死者
    帝國の戰爭によって死に至らしめられた
    戰闘員,
    無數の非戰闘員,
    つみなきおんなこども,おとしより,

    死者はさまざま,生民は國籍含め生業さまざまだ。
    しかるゆえに様様な戰死戰歿があった



    いっぽうで,

    天皇は “民”
    なのか?
    天皇自身は,民として慰靈を行っているか?

    “今上が自身
     おん自ら,
     頻りにぞ行いまゐらせたまふ做作を「慰霊」といい,その行を「慰靈の旅」などとぞ
     のたまいたまはれてゐらせられるのかどーか
     など,は。
     おもへばわたしは知つたこつちゃなかったが。”

    モンダイはその一点に盡きる,

    ということ.


    宮司の發言のキモ,もしくは錯綜とムジュンはそこにある
    もとよりその價値も。

    めったに得がたい貴重な發言だw奇禍,

    もとい奇貨とすべし


    モンダイの整理をせずにきた日本。
    天皇よりにたってみれば,
    天皇自身,御身のうえ,あってしかるべき,論理の整合, その機會を
    奪いつづけてきた,ニッポン,であり
    いわば,天皇の “コトバ” を,ロゴスをうばってきた。

    ヤスクニという,護國の鬼の巣窟を維持してき,時に利用し
    整理と整合から,めをそむけつづけてきた

    ニホンジンに向けて發せられた言。
    そしてクビ切られちゃったった宮司の存在。

    いっちゃいけないホントのことを=タブー
    を口にしただけじゃないか。
    その價値觀は尊重にアタイする

    天皇は國主ではない,
    クニノミヤツコでさえない,ましてや神ではないし。




    こんなことをワザワザ,イイワケがましく書きたくなるのはみっともない。
    んだが
    すべてはわたしの心弱からおこっている

    モノノアハレとは論理性の敵
    ココロヨワキコトいとわろし。

    最近日常でもイイワケばかりしている。

    抗戰詩ⅹ 田翠竹⑧  《其六・序》

    日寇犯洞庭藍天碧血 一九四三年秋

    湖南省湘潭人,一九一三年生,田翠竹

    青春時代,壯年期にかかるまで,常に日中戰爭と國共内戰のなかにあった。
    故郷,靑少年時代を過ごした長沙,耒陽,といった湖南の沙場,激戰場を,
    またその後の淪陥區の悲惨を知り盡くし,辛酸をなめ盡しているだろう。
    詩の多くに詩人の手による,題辭,自注や,序が付記される,

    日本にも,日本人兵士の飢餓や行軍の艱難,苦惱,悔恨,・・・・・
    また遺族の,銃後の,悲しみ苦しみ。戰爭の實相をよくつたえうるものがある。

    しかし,そうした詩のいずれにもにも似ない,沙場の現情。
    同じく田翠竹の,同じ頃に詠まれた,《血觀音歌》も,ためらいを感じつつ
    載せたが。
    戰爭の“實相” をよくつたえうる,つまり,殺戮の表現ではなく。

    日本軍の ”無殘”, 又中國の抵抗と慘死,その”心象”のうちに
    日本軍への,まなざし が “徴し” あらわされ
    とりもなおさずそれは “日本軍” そのものを暴きだしているのだが。

    そうした淒まじい内容はこれが,詩歌なのか,と。 

    ”息を呑み”,黯澹となる詩歌群。

    しかしこの碧血をうたう長詩の連作を結び終える,
    洞庭碧血 其六

    これは,
    詩歌なのか?

     ”畏れ” を感じて今回,やめた。

    「日本」人であるわたしに,「日本語」風「漢詩」譯をくっつけて
    詩歌として紹介するコト
    そんなことは,できるか?と
    してはいけないのではないか,

    こういうことをこんなふうに詩歌にするか,と。
    本質的な疑問,

    ぽっかり口をあけた深淵をみるおもいであった

    この詩を最初に讀み始め一日かけて六首を讀み終え,按じ吟味し十分に
    解した後明け方,暗闇の中なかなか眠られず,ついに恐ろしくて眠ることを
    あきらめたこと,また懼れとともに思い出す。
    ときおり抱く・・・・,わたしが,日本人として生きてきて感じる日本への
    恐怖。日本人。

    このごろ,わたしは,
    日本人の書いたものから,まったく遠ざかっているが。

    いぜん端から讀み漁っていた日本人の,「昭和の戰爭」を斷罪する書物には

    「書かれていないこと」

    というものがそもそもあり,それは事物,事象のことももちろんあるのだが,
    まったく書かれないこと,
    それは。

    「日本人の戰爭」を,中國の民がどのようにみていたか

    ということである。
    そしてそれは,ジツは中國の詩歌には,よく表されているのである・・・・。

    最後の最後に其六序文だけを寫し譯して終える
    あまりにも恐ろしい「日本人の戰爭」そのもの ―― 世界の戰爭のなににも
    似ない,日本軍に固有の ―― それを如實にあらわしていて。

    日本語にすることを懼れさせるのである。
    そして。


    愕然として覺す。
    中國の文明とは,とてつもなく永い。
    大きく,深い。


      序:戰地一老翁被虜,日夕飼馬,不敢稍違。
     一日黄昏時,老翁見瘦馬數十,負布囊如山積,
     翁啓囊暗窺,赫然斷手也。
     蓋日寇戰敗時,死傷過多,一時撿遺骸不及,
     乃割手運歸海島,作“沉默之凱旋”。

     (此語為當時日寇所常用)

    序:戰地に一老翁が(日本軍)に虜とされた,日に夕に馬を飼い,
    本意ではないが稍(すこし)の反抗も見せずに從った。
    ある一日,黄昏の時,老翁は瘦馬の數十を見,(その馬が)山の如く
    積み負わされている布囊,(それを)翁は,啓(ひら)いて囊のうちの
    暗がりを窺がった,赫然(それはなんと),斷たれた手,であった。
    蓋し,日寇(日本軍)は戰敗時, (☞ 注記)
    死傷多過ぎて,一時に遺骸を撿べること及びえず
    乃ち,割手して(手を切斷して)海島(日本のこと)に運び歸り,
    “沈默之凱旋”
    をなさしめた。
    (此れは當時日本軍常用するところの語なり)




     注:
     これは帝國日本軍が「撤退」「轉進」したということ,
     帝國日本軍は長い日中戰爭途中から,攻略した城市を,
     占領することなく(そもそもその、地力,余力もなく,)
     殲滅攻略しては放棄,轉戰を繰り返すことをつづけた
     同じ城市が幾度となく潰滅せられ無人となり,また民,復し興し,
     再び侵攻寇略されることも,そう稀れなことではなかった。
     幾度となく,広大な地域にて,長きにわたって
     まさに“嚴殺盡兮棄原野”の地獄を現出せしめた帝國日本軍
     それが東亞解放戰爭の實相だ―玄)


    一九四三年「常徳之戰」を題材に,抗日戰のすさまじさを描く,
    抗日戰詩歌群のなかでも傑作ともされているであろう,この,
    田翠竹《洞庭碧血》 連作

    桃源郷ともうたわれた洞庭湖半 常德でなにがおこっていたか,
    日本人で今知る人は少ないだろう。
    帝國日本はこの會戰で―― 当時の日本軍に目的あり戦略あり,結果どうする
    という見通しがあったか,どうかは別として ――その目的を達し,常徳城を制壓し
    中國軍を “殲滅” した。

    日本軍のいう秘匿名は「よ號作戦」
    11月2日から12月8日までの損害は,日本側ウィキペデイアによると
    中國側遺棄死体29,503体捕虜14,025人にのぼった。
    という。
    さらにウィキペデイアがいうには

     「遺棄死体数記録は過大であると見られ戦死者の実数は1万人程度とも
     推定されるものの、師団長6人が戦死し、山砲・対戦車砲・迫撃砲計150
     門余が鹵獲されるなど中国側の損害が大きかったことは確かである」
     日本軍の損害は、日本側記録によれば戦死1,274人と戦傷2,977人だった」

    また中國が,この常德では帝國日本軍による化學兵器使用があった
    と主張するところを檢證もせず,ほおりだしているなど
    いかにも日本版WIKIらしい書き方だ

    しかし「中國側の戰死者」を中國側がほんとうはどういっているか。
    また,日本の心ある歴史家が,日本軍,ハルビン七三一部隊由來
    の細菌兵器の撒布されたかつての常德の状況をどのように檢證してきたか。

    わたしが,それをいいつのったところで,今,おおよその日本人には
    顔背けられ
    近代史を知ると自稱する日本人にさえ笑われるだけだろう

    前世紀一九九〇年代に,ようやく,ようよう,明らかにされたこと,は,
    二十一世紀の日本人の歴史認識には,
    真逆の作用しか及ぼさない――つまり,反知性的な傲慢の嘲笑
    ―― 自虐,もしくは反日――
    そのひと言ですべてかたづけられる。

    もしくは,

    せんそうとはそういうもの,だから戰爭ハンタイなんです,と。
    しかし。

                 20160130


    殘無


     嘗遍辛苦味,日夕思遁走

     ありとあらゆる辛酸を嘗め,日に夕にどうにか遁れたい,逃げ出したい
     そう思いながらも不敢為(あえてせず),
     捕虜となり
     日本軍に從っていた老翁 (なぜ從っていたのかは最後にわかる)。

     馬の世話をさせられていた

     瘦馬四十匹,力疲聳硬骨・・・・背同布囊比石重

     自ら世話する瘦馬の荷が,まるで石のような重さである・・・・
     痩せ衰えていて疲弊の馬。 古道は曲折し平坦ではない
     一歩一歩がひどく苦しげである
     或日,行軍中,休息のときに,
     皇軍兵士の監視のない隙に
     おそるおそる布嚢の口からのぞいてみた
     馬負う荷の中身を知る。
     
     未だ生存する “戰勝”日本軍,は置き去りにしていく,
     遺棄される
     皇軍の犠牲者の骸。
     その,日本人兵士の屍肢から,切斷された夥しい數の 手 が,
     馬の背嚢にぎっしりと詰まっている,というワケのわからない
     ・・・・野蠻。

     「皇軍兵士は死ぬ,轉戰する同胞に遺骸も埋めてもらえぬ。
      そのうえ “手”だけは 戰勝し”凱旋”しなければならない」

      そうして,老翁は赫然として 
      怦怦と,ひどくふるえ,
      魂消て,凍りつく。

      しかし。
      老人は木偶ではない。

      そして。
      この切斷された夥しい數の手,手,手どもが,
      海浮かび,波頭を越えて無事歸りつくだろう果てに,

      間關浮海歸故郷, 千家萬家啼斷腸

      
      その, “手” 歸りつくはるか故郷の悲嘆,をも,おもう・・・・
      死して  “心” に・・・・・なお
      故郷あり。
      故郷に歸りたいと想う 思いあり・・・・

      歸郷!???
     
      これが,日本人のわけのわからなさだ!
      胡兒どもは狂氣だ!
      ほんとうの野蠻,胡(えびす)の鬼だ

      意,が,ヨビモドサレル, 喚起させられる
     
      卒然として,そこを立ち去ろう,
      いかなければいけない

       “去”
      と。

      決 意 する
      そうだ!
      今こそ逃げよう,自分も故郷に歸らなくては・・・・と,
      意,を決し,
      しかし,
      と。 

      老翁は,またも考える。 
      いや,
      考えるまでもない。

        果たして,
        そもそも
        殘っているか!?
        おのれの,“歸りつかんとする郷”
        などというものはw
      
      このくたびれた 

      ぼろ草鞋のようなおのれ,
      宿る場所は? 

      何處かにか,
      あるか?

      否
      
     頽れた垣,破れおちた瓦がいたるところ遍く荒れた村
     死の殘骸と血が亂れ迷うばかりの 遙かな路
     黄昏時に鴉啼き,野犬が往來するばかり
     冷たく,墮ちてゆくだけの夕陽。江邊の,樹

     
    この大地のどこに? 

      芒鞋宿何處?

      ボロわらじはどこに “宿” すというのだ?


    否。
    村邑はオロカ,
    “宿” す, 處,さえ,なし

    そして。

    江南 潰滅 燼す。
    1944年

    田翠竹は,
    うた,うたい殘す

    “皇軍”笑落秋風裡  亂血凝紅濺馬蹄
    ―― 《甲辰雜詩》 其六
    (序:一九四四年夏,日寇陷湘潭,兵馬倉皇,生靈涂炭,
     余避難于古塘橋畔,日夕數驚,以詩記之。)


    いったい,
    かれら,は,何度これを やられた か?


    “嚴殺盡兮棄原野”

    とは,古來,日本に傳えられ,我が國人も愛誦してきたが。
    にほんじんにとってその, “文化”  は

    夏草の,ゆめのあと,夢ならず



    前世紀。
    かの地に,うたうたい,うたうたわれ無數に,殘されて,ある,抗日戰詩
    いったい,

    かれら,は,何度これを 
    くりかえさせられたか?
    くりかえしうけてきた,日本人の戰爭。その暴力
    1937年夏,盧溝橋事變勃發,以来

    縁もゆかりもない
    ニホンジン
    のために。

    近代國家?帝國?てんのう?

      すべて,文明もたぬ,遠東の,野蛮の民の,しざま,ではないか?

    それが,中國大陸の三千年の詩歌の傳統が
    だした

    ひじょうに,
    アッサリと
    だしてみせた,こたえ,でもあった

    《洞庭碧血 其六》1 田翠竹《洞庭碧血 其六》2 田翠竹《洞庭碧血 其六》2 田翠竹《洞庭碧血 其六》4 田翠竹

      洞庭碧血 其六       Dòngtíng bìxuè qí liù

     秋盡原野空無人    qiū jǐn yuányě kōng wúrén
     林木脫葉山嶙峋    línmù tuō yèshān línxún
     巖花損色見寒淚    yán huā sǔn sè jiàn hán lèi
     衰草沒徑生煙塵    shuāi cǎo méi jìng shēng yānchén
     瘦馬四十匹       shòu mǎ sìshí pǐ
     力疲聳硬骨       lì pí sǒng yìnggǔ
     一步一點頭       yībù yī diǎntóu
     搖搖勢欲蹶       yáo yáo shì yù jué
     鞭之不疾行       biān zhī bù jí xíng
     怒目徒吞聲       nùmù tú tūnshēng
     背同布囊比石重    bèi tóng bù náng bǐ shí zhòng
     古道曲折且不平    gǔdào qūzhé qiě bùpíng
     牧馬老蒼頭       mù mǎ lǎocāng tóu
     齒落作俘虜       chǐ luò zuò fúlǔ
     嘗遍辛苦味       cháng biàn xīnkǔ wèi
     日夕思遁走       rìxī sī dùnzǒu
     偶憩茅亭畔       ǒu qì máo tíng pàn
     人首傍馬首       rén shǒu bàng mǎ shǒu
     窺敵左右散       kuī dí zuǒyòu sàn
     以目探囊口       yǐ mù tàn náng kǒu
     赫然心怦怦       hèrán xīn pēng pēng
     塞囊僉斷手       sāi náng qiān duàn shǒu
     想是胡兒死戰場    xiǎng shì hú ér sǐ zhànchǎng
     埋骨未得留斯囊    mái gǔ wèi dé liú sī náng
     間關浮海歸故郷    jiān guān fú hǎiguī gùxiāng
     千家萬家啼斷腸    qiānjiā wàn jiā tí duàncháng
     憩久忽前去       qì jiǔ hū qián qù
     芒鞋宿何處?      máng xié sù hé chù?
     頹垣破瓦遍荒村    Tuí yuán pò wǎ biàn huāngcūn
     殘骸亂血迷遙路    cánhái luàn xuè mí yáo lù
     昏鴉野犬自去來    hūn yā yěquǎn zì qù lái
     夕陽冷墮江邊樹    xīyáng lěng duò jiāng biān shù



    夕陽冷墮江邊樹  


    古來桃源郷と歌いつがれた洞庭湖畔
    その酸鼻をうたう
    《洞庭碧血》,最終章,結句。


    これっきゃないという 

    ただ,ある,というだけの,ただ そこに,あるばかり,という,
    江べりの,うつくしい邊樹

    江南の。
    破壊され盡した,風光
    根こそぎ略,奪され,盡した,人文

    光,をうばわれた,長江文明を象徴する

    “しーやん りんどぅお  じゃんびゃんしゅー”

    神韵だ,
    この結句,に,
    無念,
    無慚

    「日本人の戰爭」 の 本質的「無殘」

    万感こめられて,よくあらわされ,うた,うたわれて
    ある

    “嚴殺盡兮棄原壄”
    とは,古來,日本人も愛誦してきたが。

    戰爭は “意” より生じ, “意” を嚴殺す

    “宿” ,
    なし
    とするが

    宿“意” も
    なし
    だw    

    それが真の意味,で,の, “侵略” の全き遂行、完成である

      歌,不行   Gē, bùxíng

     侵略戰爭不自生    qīnlüè zhànzhēng  bù zì shēng
     万端偕備聚纏成    wànduān jiē bèi jù chán chéng
     千人針是千人意    Qiānrénzhēn shì  qiān rén yì
     戈護衛何何不明    Gē, hùwèi hé  hé bù míng

                         20180815

    航空自衛隊築城基地 F1任務完了紀念の碑
    築上町航空自衛隊築城基地 F1任務完了紀念の碑




    いったい,いつ,だれが,そんな ニンム あたえたんだよ


    8月15日。
    戰没者追悼式

     今日の平和と繁榮が
     戰没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを,云云かんぬん



    尊い,いのち,の,犠牲,のうえに,
    だろーが

    犠牲が尊いのでわない
    いのちがたっといハズなのであるが。

    これが、遂行もとい推敲されたであろうはずの追悼式の式辭のことばか?

    こんな文,意はありえないと考える論理性はもとより
    こんなニホンゴ聞き捨てならないと思う感性さえも徐徐になくしてしまって,いる
    ゐる,ニホンジン
    或る,わがニッポン

    いったいその犠牲の上に
    何を築き上げたんだか

    こういう一致,神經症的に象徴ともいえるがね,
    いずれにせよ人格破壊して精神に異常をきたしているるわたしのココロを
    さらにいっそうムシバみ小兒病的に怯えさすのだがw

    任務遂行往不反

    いずも,の威容に 長江を遡上する帝國の中支那派遣軍旗艦「出雲」を幻視し
    デルポイの神託と怯えた5年前より,よりいっそう。

    任務完了リア充のニッポンがコワいのである

    “嚴殺盡兮棄原壄”

    とは
    古來,日本人もよく愛誦する,楚辭の名句,
    だが

    詩歌はいいかえれば,

    そのもの,

    いいかえれば,いや,書きかえれば
    “音” と “心” ,
    でしかないのだが

    聲,生,成,shēng, shēng, chéng,
    そこに無窮の力を填める, 力が籠るそれが,

    “文”化
    “明”  ,日月, とヒトの運行。遂成,

    “出不入兮往不反  平原忽兮路超遠”
               ――楚辭九歌《國殤》
      

    『楚辭』で〆た


             20180920 



    DSCF2368.jpg

    テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

    夏のブツクサ.艸

    今朝の他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン
    今週の讀書欄で保坂正康が紹介した本が思いっきり目を引いた

    『兵士というもの――ドイツ兵捕虜盗聽記録に見る戰爭の心理
      ゼンケ・ナイツェル,ハラルト・ヴェルツアー
      小野寺拓也譯 みすず書房


    6264円
    だそーで。中々よみづらい,ほぼヨマナイ本,っ,
    すくなくとも定価で買っては讀めない本の一であることはまちがいないがw

    保坂氏が紹介した内容の一部だがそのなかに

    ロシアのパルチザンの村のハナシ,があった
    一人を殘して,村の男性すべてを處刑したドイツ軍。
    殘ったオンナタチがどうなったか,ということ想像に於いてムゴサあまりある,
    だが,ここでとりあげられたのは
    そこ,ではなく,殘された男性一人,というところ。

    田翠竹の連作詩 《洞庭碧血》を則思い出させるが

    この殺さずに生かし遺した男性一人を,ドイツ軍は,どこへでもいけ,と,解放する

     俺たちの恐ろしさ,俺たちの殘虐さを大いにつたえひろめろ
     
    プロパガンダさせた,活かした
    ということだった。
    又,捕虜収容所での兵士たちの會話にでてくる
    慘たらしい戰爭の實體。
    そこからとりとめなく,
    この,歴史的文書として殘された資料
    “捕虜兵士の盗聴記録”とあの,日獨伊三國同盟,とその戰爭に
    おもいをめぐらした


    もちろんガデンインスイ,ケンキョウフカイのわたしであるから
    日中戰爭の似た事例を考える,
    あるある,いくらでも出てくるのだが

    これは。この作法は。
    日中戰爭においても,貫かれていたメソッド,

    いや,戰爭(とりわけ侵略戰爭)において必ずみられる 『戰術』,のようなもの
    よくいわれる
    見せしめ戰術だ。

    しかし,

    それが成功しない中途半端な軍事的?メソッドであったことは
    それも
    おおくの歴史が證明している。

    その “生き殘り” が,放されたことによって,その口が宣傳する,
    場合によって喧傳される
    「話すこと」,の中身
    を,
    うけとるがわは必ずしもドイツ軍の想定通りにはうけとらない
    受け取る側が,恐怖という感情を喚起されるだけでなく,
    なお
    “意” を呼び醒まされることがある,そういうことがありうる シュタイである
    ということ,
    それを侵略側は想定しない。
    なぜなのか

    歴史を學んでいく過程でよくそういう問題意識を持った 

    侵略者のかんがえかた。
    いってみれば,シュタイを主體として注,意,をはらわず,あくまで客體としてみている,
    どうにでもなる “意” もたなきオブジェ,とみる,
    ということから由來するのではないか,
    かもしれない
    もしくは
    恐怖で “動けなくなる” その姿態や 時間,
    それを “意” と,カンチガイしてしまうからだろうか

    意,もて,動けなくなっているヒトなどいない,
    ということだ
    言葉によって想起された,ものがたり,から,身體(精神),が,恐怖で硬直した後,
    意,が,澎湃としてわきあがる,というメカニズム持つ “人間 ” であるということ
    を想定できなければ。

    一人を生かし殘して,方々で恐怖を語らせることは,戰術として
    (あるいは占領をひろげていくのに)
    間違いである。

    リクツを考えればどうだろうか?
    論理の歸趨は正しいのかもしれない,

    しかし前提が間違っている,そうおもう


    わたしにはわからないのだが。


    あいてがどういう場合,どういう民族であるなら,こうしたみせしめ,おどしの戰術が効果を發揮するか?
    当面のあいてが,いったいどういう人たちか?ということの觀察はほんとうになされていたか
    それを見違えれば一切は裏目に出てくるだろう,

    七七事變いわゆる盧溝橋事件後の中國側のスローガンは

      「同歸於盡」
      抵抗してもしなくてもどっちみち殺される,なら,抵抗する。
      そもそも失うものなどなにもないじゃないか


    中國人民は
    自分は殘され解放される側か?(殘されて淪陥區に生きる服從の民か?)
    いや,
    そうではなく殺される側に自分はあるか,
    と。

    殺される,と考えたものは
    志願し,抗日戰線に身を投じ,というか,抗日戰線を興してゆき,義勇兵となった。
    (だから淞滬會戰は熾烈で,中國兵士は捨て身の抵抗をした)
    それはおそらく

    自分が死ねば,家族が殺されるという思い,
    自分が死ねば,自分の戀人が凌辱されるという思い,
    自分が死ねば,國が消えうせるという思い,

    自分は死ぬ,
    という假定でなされる考え方ばかりだった

    生き殘り,ここは服從した方が得策だと思った若者は,まったくおおくなかったのである

    それはなぜか
    それは大日本帝國に善政を期待するものがいないというほどに,それまでの帝國の占領政策,「滿洲國」内實,華北の状況,朝鮮半島のゲンジツはよくしられていたからだ

    よくしっていたからだ
    帝國日本の大東亞新秩序なるもの,五族共和のプロパガンダなど初めからおわいまでまで信じたものはそもそもいなかったし

    精神論やカミカゼのようなもので帝國日本に勝てるとおもった中國人はなく
    壓倒的帝國の武力を前にして勝敗を考えれば,どうやら勝てそうもない

    また負ければまけたで殺される,だろう,生き残るには精神を殺さなければ生きられないというゲンジツ,

    予測をよく吟味した結果,
    抵抗するしかない,と。
    彼らには死ぬか,漢奸になるかしか道がないのだ,というときに。

    これが,みせしめ,というものの効果,もしくは逆効果だった。

    かくして熾烈な抵抗を始めた中國軍,さらなる犠牲,が中國側に積み重なり,帝國日本側にもそれまでにないほどの犠牲者を出した(つまり中國人はそれほど怯惰弱夫ではなかった,ということである),そして報復戰、復讎戰になり,
    而して首都南京攻略戰,陥落,城内の屠殺がおこる


    此れが實相だった,日本側では
    あたかも南京攻略が對「支那」一撃論によってうまれた,
    的な説が多く,
    日中戰爭を途中から,つまり盧溝橋から始まった戰鬪を,戰爭としてかんがえるけれども。

    もしくは,南京を以て見せしめ,とかんがえるというのも
    時系列を無視した考え方である
    日本の研究者の文獻でも,仔細に中國側の考え方を追っていくと,
    また當時中國人が書いたもの讀むと
    そうではないことがほんとうによくわかるのである


    中國人は面從腹背,おカミに服從し腹の中で舌を出す,
    そういういわば表裏をつかいわける技術は多分に持っている,
    華北や滿蒙ではおカミが,日本にずいぶん譲歩した。
    人民は齒噛みしつつも,おカミが日本人にへりくだるから,
    おかみのへりくだる日本人にへりくだり,民は裏では抗日を畫策し,物心兩面で支援していた。

    彼らの氣質というより,生きるための方便だったということでもある。


    中國國内は二十世紀前半,いつでも,いかなる政權のもとでも亂れに亂れていた,
    前世紀に西洋列強に痛めつけられたあげく國内の思想的政治的對立が内戰を誘發する,マッタク中央政府は統治能力がない
    そうしたなかで分斷された “國” のなかのそこここで,帝國日本に譲歩せざるを得ないゲンジツ,があった
    リアル弱體でもあったし

    “國” 策として,かれらの方針は弱腰,惰弱,そうならざるを得なかった
    國體という意味では・・・・(彼らの “國體” はもちろん萬世一系でなく易姓するたびに變易してきたのだが)
    國の概念すらおぼつかない,地方,地方の行政府,に過ぎず,それが安泰であるとはなんら保證もなかったし,民は生活の安寧を何ら保證されない

    かれらが永い年月,この二千年,異民族の征服王朝の支配を繰り返し受けていた民族であると考えるなら,これは彼らの歴史的 “國民性” であろうかとおもうし,
    國家存亡の繰り返しで形成されつたえられてきたタミクサの國の “民” 性だった――つまり生きる知恵,と言ってもいい――が。

    かれらの國が亡ぼうというとき
    生きることができうるか,できない,死ぬという局面で,生きるため方便はw
    必要ないのである
    面從をつづけるだろうとおもい
    「見せしめ」,をした帝國側には,これらの事情を,どこまで,論理的に突き詰めたか,
    考えがあったか,
    このかれらの歴史的事情を考慮すべきこととして,
    前提としておおいに考えたフシはあったのかといえば

    やはりなかった。だから
    帝國は,かれらの國民性,というより民性,民の質をみあやまった
    ということなんだろう

    おそらくナチスもそうだったろう。
    ナチスも自らの優越性を信じ,そこに依據して組み立てられた戰爭觀にしはいされて
    戰術,の論理的思考が阻害されたことは多かったろうと思うし

    そうして。

    イギリス軍はドイツ兵士,俘虜たちの話聲を盗聽していた。


    國共合作後の中國軍も,ジツによく,こまかく日本軍兵士を研究した。
    (日本軍兵士は生きて捕虜,となる,と・・・・たいがいは負傷して意識不明の状態,眼が覺め自分が中国軍の俘虜となっているゲンジツを知る,すると,多くが自殺しようとした,そうだ。
    連合國とおなじく國際法にのっとって運營されていた俘虜収容所で自殺はこまる,
    手を燒いた中國側が

     おまえは自由だ,釈放する,

    といってみても,
    日本軍兵士はさらにいっそう怯えて,死のうとする,
    そういう兵士だった,

     生きておめおめ日本軍陣地に戻った後の自分がどんな風に扱われるか,

    そう考えると死んだほうがマシだ,そういうことだ)。

    様様な,かわったエピソードが,書きのこされて,
    ある。

    捕虜となった帝國日本軍兵士の,その収容,
    それは國共合作後の,國民政府内の,共産側の代表である
    周恩來の指揮下,對敵宣傳をする部門の所轄となっていたのである

    對敵宣傳はその効果を發揮させるためにはとうぜんのことだとおもうが
    おもに,日本通,親日派文人によって構成されていた。
    そのかれらをもってして,帝國日本軍の異常さには,
    どぎもをぬかれたようだったが

    より相手のことを知ろうとして捕虜の収容を宣伝部の文人たちに任せた中國

    相手の力量を見誤る,日本帝國

    おもうに,ここに日中戰爭,その結果を大きく左右した兩國の本質的差異,
    その,ひとつ,
    がよく象徴として現れている,
    そう思っている
    色々日中戰爭の本を讀み散らかしてきて,この十年はこのことをとりわけ強くイシキして絞って考えながら讀んできたが,
    日本側は中國人民の, “力量” をみあやまたっただけでなく,
    意あるシュタイとしてかんがえず,そこを前提として戰術を考えなかった。

    この考え方は帝國日本軍の兵隊に對してもそうだった

     帝國日本軍ほど自國の兵士を悲惨な境遇においた軍隊はいない,

    世界で常識,世界史の常套句だが。

    けっきょくは,この “見せしめ戰術” が逆効果になってしまうのは
    戰術にはとうぜんのことながら相手がある,だからであり,
    見込み違いとは,考えかたの間違いというより,
    そもそもが,相手を見損なっている,ということからおこる,

    究竟,
    こうなればこうなるだろうという思い込みのミコミチガイ,
    脅して見せれば,相手はくじける,そういう相手ではなかった

    日中戰爭中,幾度もみられる,對「支那」一撃論,
    それにもとづいた帝國日本政府の,強硬論
    ことごとくおもいどおりにはならず,帝國日本を不利にしていくばかりだった,
    歴史家のだれもがも指摘するところだ

    この「見込み違いをする」
    見込み違いをしてしまう “意” ,がそもそも根底にある屬性のものたち,

    それが集まってしまったからこそ,
    そうした多くの あいてをみあやまる 屬性もまた“意” あるからこそ。

    そもそも,だから侵略をするのである,という一面のシンジツも思う。
    (ただ,もちろん意の集積があった,というだけでなく予期せぬ偶然,
    偶發が錯綜して戰爭になる。いや侵略をしてしまう)

    このインガは, この思考は“意” 味をなさない卵と鶏の堂堂巡り,
    のようにも思えるが,じっさいはそうでない
    鶏は意圖せずとも強制されなくても卵を産み,卵は孵る。
    そこに意,の介在する余地なく, “理” コトワリ,生理,があるだけ

    しかし。
    戰爭,とは。
    しかける戰爭(つまり侵略戰爭),であれ,受ける戰爭(つまり自衞戰爭)であれ,
    “意” の産物,だ。


    對「支那」一撃論は机上の空論だった,

    そこから組み立てられた戰術,みせしめ
    帝國日本軍はこの戰術の効果無きを知り,
    そして今度はそこからうまれたのが

    燼烕。潰滅の作戰だ。

    ばかげた

     「三光はニホンゴではない,だから帝國日本軍は三光などするわけがない」説

    大ハヤリの,
    現代日本だから。

    その實態をよくあらわす,燼滅の作戰という語を使うしかないいわけだが

    この戰術,いやメソッドに
    日本軍の作戰としての,
    いわゆる。「××号作戰」とかいうような固有名詞,などない。
    もともとない,

    だからといって。
    作戰名がない。
    作戰名がないから,なかった,

    のではなくw

    あたりまえだそれは,
    作戰名がない,それは
    それが戰術どころか,大戰略,いや,帝國日本軍の思想そのものなんだからw
    燼滅が,南京屠殺,後の日中戰爭の目的だったのだから

    そもそも日中戰爭は戰後のビジョンがなかったし,

    ただただ膨大なかずの中國人を相手に,廣大な中國の大地を
    いたづらに轉戰をつづけていた
    占領してもすぐ放棄してまた次の城市にと向かう

    非常に奇妙な軍隊だった。

    たとえ,殺し盡す,が可能であるとしてとして,
    それを果たし得なかったから日本は負けたのだ,ということであったとしても

    では
    無人の大地に勝利の歡聲響かせることを夢想できたものはいたか?

    戰爭指導者だけだ,

    はたして彼らもその事をほんとうに夢想できたのか,といえば
    わたしにはそうともおもえないのだが

    ネトウヨ諸君はあれこれ勇ましいこと夢想しているがw
    自分が行く,自分が死ぬ,ことは想定外のようで

    此れが,
    つまり
    「自分が死ぬ」が想像できない,後は野なれヤマト國民のDNAかもしらん
    ともおもうが

    いつの時代も加害者側の,被害者がわから遠く隔絶した距離のはてしなさ,というものなのだろうか

    保坂氏が紹介しているこの本
    この記録は,戰後生まれの著者がイギリスの文書館に通いそこに眠る膨大な資料を分析してまとめられたという,世界18か國語で翻譯出版されたそうだ,
    日本は19番目だそうである

    この盗聽記録は言うまでもなく歴史の第一級の第一次資料だが。
    ・・・・・・・・。


    わたしには關係ないことだが
    もう,來春から。
    高度プロレタリアートっ残業(代),ゼロっ,施行されるそうだ
    いったい完全,全きに自己の裁量でもって働いている人間,はシャチョー,つまり一事業主以外にない。

    そういうと,中小零細企業の社長さんは,

      「いや,おれたちいま,ボーナスはおろか給料も満足にない。
       事業主だからと言って非プロレタリアートだというのは,
       階級觀にとらわすぎ。だ。
       いまや無産階級の事業主,雇用主だっていっぱいいるんだっ」

    というだろうな,
    少なくともわたしが出入りしている民商で見る事業主は皆そうだ。
    そして,利益なく,赤字と負債まみれでも,消費税だけは何とか,時には借金までして
    捻出して納めつづけている


    この高度プロレタリアート働かせ法案が通ってしまうことを,喝采するネトウヨは

    やはり
    自分が
    自分が休めない,
    自分が殘業代もらえない
    自分が過勞死する

    つまりは

    自分が死ぬ,

    ことを真っ先に想定しないでいい,ひとびとなんだろう,
    とそんなこともおもうが。
    もしかしたら

    自分は自分の時間を生きてない,
    そんな想定なのだろうか?
    あるいは
    過勞で死に至らない頑建さを持った

    自分は休みを必要としない自分の休みを望む家族もいない
    自分は殘業代もらえなくてもこまらない

    そういう人たちなんだろうか?
    いずれ省令が,
    プロへっしょなる,ではなく「プロレタリアート全般の高度な働かせ方法案」であったことを
    ・・・・・
    省令できまる,とは,改竄ではない。
    法律の,多様なハタラキカタをジツゲンさせカガヤクための解釋,だ

    残業100時間で過労死なんて,情けない。と
    ほざいて憚らない自民黨議員もいたが
    このようなムチャクチャな法案が通ってしまう,
    ヨトウの多數。

    勞働者側の自由なハタラキカタができないのは困るという要望,ニーズがあって,と政府はくり返し強弁してたが
    首相自ら,経團連の要望を受けて成立させたとうっかり口を滑らしていた。

    しかしながら,

    与黨が多數であること,すなわち与黨は自由にふるまえる,

    ではない,
    ふたつはイコールではない。

    いくらムチャクチャをやっても

    首相は總裁選で再選される
    自分は又当選できる
    という,
    確信に近い見通し,があるから
    こんなことへーきでやってのける
    その確信を揺るがせる事がわれわれにはできない,
    ということだw

    かれらは “民” の怒りをマッタク恐れない。

    そして。
    又,選ばれる
    ネット上をネトウヨ言説でうめつくせばカイケンもできる



    あしたから七月,だ
    夏の恒例。例年の如く.抗日戰詩を少しでも上げていこうと思う

    因禍為福,譬若糾纆?④痛定思痛。痛恨のきわ

    日本は朝鮮戰爭の勃發とともに過去の戰爭指導者を復活させた,そのときすでに戰後は終わっていたのではないか,と

    やりきれない思いでこのブログを書いてきたけれど。
    この頃強く思う。

    ようやくにして,ほんとうは,これから戰後がはじまるのではないか?
    いや,やはり
    戰間にすぎない,猶予,モラトリアムの時候にすぎない
    なのか

    その分かれ目は。

    日本の岐路,とは今,この毎日,この毎日,おもむろに過ぎてゆく日々だ,と
    今までにない強い感覺をいやおうなく實感させられている


    戰爭責任を負うべき立場の人間をあっさりと,復活させた,
    公職追放した中將,少將クラスを呼び戻したのは,確かにマッカーサーの作為だったけれども。

    そして
    日本はほんとうにそうするよりほかにどうしようもない國の立場だったこと,
    それもおもう。
    それをおもうけれども,

    侵略の反省がほとんどなされずに平和國家に變身した日本だったけれども。
    それもおもう。
    それをおもうけれども,

    戰爭の悲惨,戰爭の破壊,戰爭の恐ろしさに, “戰爭” の反省をした,そして國をかえようともがいた民の意向はレッドパージと朝鮮戰爭であっさり書き換えられた,

    日本は
    ほんとうに
    ほんとうにそうするよりほかにどうしようもない國の立場だったのだろうか?

    ながいあいだこの答えの出ない問いを執拗に問いつづけてきたけれども,
    それに一つの解を与えてくれた,いや,解を可視化させたのが安倍政權だった。

    實際には安倍政權から始まったことではなく,安倍政權は見える化したに過ぎない。
    わたしたちはほんとうに騙されていたんだと,

    いや
    ふたつの流れがあり,
    ひとつは見えていなかっただけだ,

    そして恐ろしいことに見ようとしていなかった,
    隠されていたけれども。
    見ること,探し求めることは体裁がわるい,見えてないことに安心していた作為
    によって
    見るべきであったものを見ようとしてなかった

    痛切な痛恨,ジツに,痛い痛み,にさいなまれている
    たとえるなら
    万人坑の洞穴に首を伸ばしていながら斬首されない頸筋の寒氣をかんじつづけける刑罰
    だw

    作為は “意” に導かれる,

    とはジツに陳腐な哲学的謂いであるけれども



    「いずも」という軍艦がその威容をあきらかにしたとき,わたしたちは,
    此れは空母ではないか,と。
    ほんとうに。愕然とした
    ものだった。
    騒ぎ立てるわたしたちを,あざけり,
    あのね,戰鬪機の離着というのはそんなに簡單にできるものではない,いくら規模が空母の外觀を呈していても,大きい甲板だというだけでステルス戰闘機は飛ばせない,バカなことを言ってはいけないと。

    ずいぶんきかされたものだった。
    お花畑の護憲,りべらるの中にも科學的知見でもってさまざまなことをつまびらかにしてくれる人の存在はあって,いつでも我々の妄動や衆愚をたしなめてくれ,
    構造的,實證的にそれをわかりやすく教えてくれるもののわかったひともいたのだ
    いつでもバランスを取ろうと冷靜であろうと。
    原發の問題でもそうだ

    しかし。
    ゲンパツのモンダイでいえば
    フクシマはすべてをゼロにリセットした。
    反原發が言ってきたことは的確に將來を予見していた

    それなのに。


    わたしたちは
    いやわたしは傷心から立ち直るまでにずいぶんいたづらな時間をかけてきたように思う

    いつでもわたし,たちは
    客觀的であろうとする,努力をしてきたつもりだし,
    ネトウヨに徹底的に侮蔑されるようなお花畑の住人は絶滅危惧種だった,
    論理性と理想のあいだで,ゲンジツと理念のあいだですりあわせをし,
    傷心をいだきつつも,

    「アカ,は,鍛錬されてきた」

    わたし,たちは,そうか,と。納得したんである

    そういう時間を,冷戰の終結後にキズと恥を抱えたままやりすごしてきたのである,
    戰後の平和主義者は侮蔑や貶下に耐えきれず,

    論理性や現實に白旗を掲げているあいだに

    澎湃として沸き起こったかのようにみえてそのじつ古い日本への憧憬,と愛國心はつくられたものだった
    活性化した戰前ゾンビは
    ネット空間を支配して

    戰後の平和ゾンビを駆逐した

    りべらるはすぐ騒ぎ立てる,すぐ目くじら立てて,戰爭だ,戰爭ができる 國 になる,と
    バカにされつづけてきた
    おとなになろうとした
    ジッサイバカ正直なわたしたちは,
    そう,

    いずも,は護衛艦,
    われわれの大地をまもるための,専守防衛の頼もしい國防だ,とw

    いくどとなくおもいこまされてきたのであるw

    もうずいぶん前のことのような氣がする
    と,指折り數えれば5年前だ,
    あのころ今のニホンのここまでのジタイ,徹底的な敗北を想定していた,りべらるゴケンはいなかったようにおもえてくる,





    ものわかりのいい,ゲンジツと國際情勢をすり合わせて,
    あしもとを,まずはみつめよう,という 
    ものわかりのいい,・・・・

    そうか,そうかナニカとキーキー騒ぎ立てるのはゲンジツを見ていない,
    コドモじみた論理性なき,戰爭ハンタイヒステリーだと。

    ものわかりよく,融通をきかせて,ゲンジツをとらまえるよう努力してきたのだw
    原理主義はいかん,サヨク妄動だ,とw

    しかし

    われわれはほんとうにバカにされていたのである

    いつしか武器輸出三原則は,きえてなくなっていた


    お題目としての三原則も,お題目としてもしっかり,緩和され,マイナーチェンジしただけだといいながら,
    事實上のほねぬき,
    實質上の撤廃を可能にする
    御ニューな三原則の御題目がある

    大學は,軍用と民生には明確な區分け線引きは不可能であると,
    デュアルユースだという言葉w恰も免罪符のようにして,

    防衛装備庁のヒモつきのカネにわれさきにと手を擧げることに躊躇するという,
    ささやかな良心,
    ヘイワコッカとしての矜持もすこしずつむしばまれて。


    朝鮮戰爭のときはいたしかたなかったろう,
    あの時の反共國連軍の總大將はマッカーサーだったのである,
    日本はいやおうなく組み込まれ,そして

    經濟を
    最優先にしてにわかの軍需特需に飛びつき
    そのどさくさに自衛隊まで持たされて。
    それは本当に仕方なかったことなんだろうし,戰爭への痛切な反省の氣持に良心をさいなまれながら苦澀の選擇の,一つ,一つ,ひとつひとつをつみかさねていったんだろう,
    繰り返していったのだろう


    ハンタイは結果を見れば弱少だったようだし,密約は強固であったしw。
    それでもなんとか日本は本音と建前を使い分けて,ナントカヘイワコッカの面目を保ってきた
    中韓に謝罪もし,アジア諸國に援助を惜しまず,,,
    お詫びをし,反省してきた。

    ところがだ,

    その事をよきこととしていた人々も
    生ぬるいもっと反省をしめせと息巻いていたアカも

    ・・・・・

    オトナの對応がいかにナイーブでバカ正直だったかということにいま,
    ようやくここにきてキづかされつづけているのである





    いったい,
    起こりうることのすべてを想定することなどできないのである

    たとえば軍事轉用のハナシでいえば,

    ソニーの暗視スコープが米軍の北爆を飛躍的に容易にしどれだけベトナムの民を殺戮したか,
    しかしその事を以てソニーや我が國を責めるような論調は世界にはない。

    本州四國連絡橋の塗料「フェライト」がステルス戰闘機の開發を可能にし,
    どれだけ灣岸戰爭の優劣を決すことに寄与したか
    その事で日本の開発者は責められるべきはない,とわたしは思うし,實際攻める論調などない

    有因有果ではあるけれども。

    戰爭ハンタイゴケン派の硬直した議論を見直し,物分かりの良い,大人の対應ができるりべらる,
    そのものわかりのよさ,
    それによって


    今のニホンの
    憲法九条の理想を捨ててしまった大日本
    しかも
    「論理性なき」。

    ロンリノフザイだけが
    が,嚴然としてある,確固としてある

    ということのこの現状に,思いをいたすと
    やりきれない思いと,傷心とがないまぜになって齒噛みするしかないのである
    われわれの物わかりの良さのうらはらには

    武器輸出に躍起になるニッポン,
    秘密秘密に塗り固められて割の合わない仕事をさせられる齒車,

    文字通り齒車を作る,つくらされる齒車だ,

    そういう無數の齒車だけが,相變わらず,戰前からある
    世界の紛爭に組み込まれ殺戮の幇助をしているのである

    いったい,

    惡 “意” 無き創造,進歩
    人の暮らしを樂しく豊かに,にさせたいと願うカガクの善 “因” があって。

    われわれはそれらを想定せず,その責を問われても戸惑うばかりの惡 “果”
    そういう
    有因有果とちがって

    政商と巨大企業の軍事産業への傾斜を,追随を結果的にさせてきてしまった理想の喪失,と
    その 無作無做“意” という有因をも,
    いたしかたなかったといって
    割り切れるものだろうか?

    そう,いずも,は,
    しかし
    ほんとうは。

    そもそもがw
    はじめから
    その構想段階から,そして設計段階から,空母を想定した,夢の結實にひたはしる,彼岸の成就に邁進する戰艦だった,

    2000年代後半には日本國國防族,防衛庁,自衛隊の悲願だった航空母艦,いずれは空母への改修を “想定” していた

    ついこの二月のことだ,,あきらかになったことであった
    無力に打ちひしがれてわたしは
    何を書く氣にもなれなかった

    われわれが思う日本の姿,われわれが憂う日本の姿。

    その齟齬は,いやそのすがた乖離,それは,いったい誰の手でおおいかくされてきた?


    そこには完全に  “意” の隠し立てがあったのだ

    隠し立てする意,と,そもそもの意と。

    今,悲願の成就はあとすこし,のところまで來ている,

    敵基地先制能力,
    此れを現実に受け入れてしまっている日本の姿

    4月はじめ,わたしはほんとうにかなしみと,悔しさの極致にいて
    こんなことを書いている


      「足の着いた地」とはなにか? 

      ぱんせの我, もしくは, “かれら” がたつグラウンドとはなにか?

      地に足がつく
      イコール,ゲンジツ的でゐることのコトをいふ謂ゐらしいがね。
      それもお笑いのタワゴトだ

      ならば,現實とは何か?
      ならば現實的でないとはナニか?

      現の對義は,不現,非現,無現????
      實の對義,すなわち虚,ソノモノのコトか?

      ゲンジツ,りある,その反對は理想だっ,
      などとゆうフシギなことをへいきでかたるヤツもおおい

      平和主義はお花畑平和ボケゴケンのたわごとだっ

      確かにそのケはあるかも知らんが。
      ゴケンはゲンジツを見ない,
      理想だけでは “國” を護れない。

      それならば。

      その護りたい國の,足元の足の着いた地を見たらいい

      イッタイ軍隊を養う金でどれだけ貧困弱者を救濟できる?
      保育園落ちた母親をゼロになくせることができる?

      “國” のあしもとがより,豊かになることができる?

      いったい軍隊を持つにあたってどれだけ何かを犠牲にしなきゃならない?

      “國” の何かを犠牲にしてまでしてまでしてまでしてまで

      何を護りたいのかその具體をセツメイしてから
      カイケンしてほしいもの

      そんな説明は毛ほどもするキないことは,總理のあホづらのカオにかいてある

      セツメイ永遠にゼロ,なぜならあとは野となれヤマトコク

      どっか,あしもとわざわざがうばいにくるぞーっ,
      まもれっ,
      護るには軍隊だ!
      國防だ!
      國民を護れ?死守する?
      それこそもとのもくあみ,本末轉倒だ
     
      なぜ自國を護るに改憲が必要なのか?

      憲法のどこかに,自國民の生命財産を行政府が守らないのはケンポー違反
      という概念を見つけることがどうもできてないまぬけなアタマのヒトビトの頭
      というのはいったいどういう腦ミソの構造なのかよくわからない。

      自衞權?そんなもの有るに決まってる。
      改憲などしなくても

      専守防衛の防衞力は持っているという “現實”リア充をみてないのはどっちだ

      先制攻撃したいなら,そりゃまあ改憲しなきゃ。
     
      侵略戰爭,先制の武力行使。
      それはしかし,
      我が國の憲法がわざわざ禁じるとゆう以前に,
      國際の連名でたしかとっくに禁則されてるんぢゃあないんかい

      自國の憲法改ザンしたところで,そりゃムリスジってゆうもんだ
      しかし。
      カイケンはもう目前。
      九条は夭逝。

      亡國總理はすべてをおしみなくささげたてまつる
      そんなだいちよりも




    それも,もうずいぶん昔のことのように思える

    文在寅大統領と韓半島,韓國と米國が,大いなる旋回をしようとしている

    わたしはまた騙されるだけなのかもしれない
    でも,信じていたいのは
    意,がものごとをうごかす,というとき
    意,は,強靭な縒り合された縄,であって

    自然にブチ切れることはない,ということで


    邵雍《痛矣吟》

    これだなあ

    思想はいつでも道がすでにあることを教えてくれる,
    というより
    途を考えろということを教えてくれる

    明るい日月を人は言いつづける,
    そのことを,信というのだろうし,
    信が,は未酬であるからこそ,信と言えるわけで
    結果がわかっていれば信ではない。

    いまは半島のあしたを信じるしかない
    韓國の人々が,前世紀の終わり,に
    曾て日本人を信じてくれていたように。
    其れを口にすることができたということに
    それを,信といいうのである,その事を敎わったのも南北會談があったからこそだ

      「南北が統一されるとき、
      それをいちばん喜んでくれるのは、日本人でしょう」

    このことばこそ慚愧と羞恥にまみれていても,わずかにも酬いはあったと
    なぐさめる,
    そこにかすかな光はあると

    ムダな意,有無 “力”用   自找麻煩不必,戈

    そもそも,在(駐)韓米軍撤退はトランプの公約だった。

    わたしがトランプ大統領就任を「惡くない」,と思い,「ヒラリークリントンよりはましだ」と思ったその理由は二つあった,

    TPP離脱と米韓軍事同盟の見直し,だ,
    とりわけ米韓軍事同盟の見直し駐韓米軍撤退だ,
    りべらるゴケンはなぜそのことを評価しないのだろうと,率直に疑問に思っていて,その事をどう思うか,大統領選のさなか,幾人か,に問うた。
    その答えは愕然とするものだつた

    ヘイワのハトぽっぽとネトウヨにバカにされるりべらる,ともくされるひとびとだったが。
    在韓米軍と軍事同盟の見直しと,韓國に駐留する米軍の撤退,(ただしくは軍事指揮權の返上を含む,ということだ),それがトランプの公約のなかにあることを知らない人もいたが,知ってた人はこういってた,

    米國,が,北朝鮮ににらみをきかせてこそ平和がたもたれる,と。

    撤退されたらこまる,ということか?ときくとそのとおりだと

    では。今朝鮮半島は,「平和」状態にあるということなのか?と問うと。

    その質問の意味がそもそもよくわかってないみたいだった。


    それでは李承晚の理屈と同じじゃないか,とわたしはおもったし,



    そうだ,
    あの時,李承晚は休戰協定に背を向けた


    已乎已乎,臨人以德;殆乎殆乎,畫地而趨。
              ―――『莊子』《人間世》

       已む乎,已む乎,徳を以て人に臨むを。
       殆き乎,殆き乎,地を畫して趨くのは。




    李承晚は,休 戰 を 拒 ん だ の だ っ た




    そもそも朝鮮半島の南側の "國" ,韓國の陸軍に對する軍事統制權をアメリカが持っている,
    このことを日本人はどれだけおもくうけとめてるだろう
    在韓米軍は,在日米軍とは軍事力の意も,用も,形而上においても,形而下においても全く性質を異にする。論理上の構築の為され方が違うのである,
    朝鮮戰爭,ベトナム戰爭,湾岸戰爭の,イラク戰爭の実行部隊である海兵隊は在日米軍基地から展開した

    韓國の米軍は,

    そこからどこにも “轉戰しない” 陸軍だ,アーミーが,國境線にはりついているのである。

    その在韓米軍を撤退させたい,と,米國の國民の一部が考えていてもう,いいじゃないか,と,なぜわざわざ韓の "國" に貼りついていなきゃならない?,國連軍と言ったって實質,オレたちが命と金をかけて38度線に貼りつきをさせられている。それももう終わらせようじゃないか,と,
    アメリカ國民がこう考えることは,わたしは理解ができたし,共感もしたし,マッタクその通りだと思ったのだ,
    トランプの公約にはいろいろ滅茶くちゃなものもあるが。

    TPP離脱の公約がなくても,この韓国に,駐留する米軍の意と用の問い直し(トランプの言葉でいえば,コストバイ効果だw)をする,
    この公約ひとつだけでもわたしは「トランプは悪くない」「ヒラリーよりはマシだ」,と考えたとおもうが
    しかし
    事態は打開できないだろうとも思っていた,

    ところが,文在寅大統領という人物が登場しモノゴトをすこしずつ動かしていった。

    トランプは、本來守るべきであるが守られないことが多い公約を,ほんとに實行した,

    という,その現實の推移。

    ヨーロッパとの同盟關係を根本から見直していくトランプにどれだけの未來のビジョンがあるかなどわたしにはわからないが
    東アジアに関しては展望はかなり明るいのではないか?


    そしてそもそも。

    “同盟”という魔法の力がうすれて,
    “同盟”というもの,alliance among countries の本質を,その起源を,その, “意”
    その有用であったことの本質,そのものを
    問い直す,

    ということは,ひいては

    集團的自衛權

    その根據,を,
    その,地球に有,って,なぜか必要とされ,誰もがその是非を根本から問うことをしないで
    うけいれられてしまった軍事的メソッド,そのものを問い直すということにならないだろうか?


    殆乎殆乎,畫地而趨


    危殆,とは,地を劃すところからすでにはじまるし,
    停戰ラインとは,
    國境線とは,
    “同盟”
    が引くものではない,ひいていいものではない,ということだ

    あたりまえのことだ,韓半島のことは朝鮮民族が何とかしなければならない

    100年前に,イスラムの地に “同盟” が引いた線,何を解決した?


    邵雍《見義吟》

    いまわたしの心の支えはこれだw,
    これしかない

    窮まれば變ず

    變易のコトワリが,希望を擔保してくれている

    つづく





    人が書くものをチャカすのが好きな奴はほんとうにに多いし,その多くは,そこになにがかかれているかなんてどうでもいい。
    最初っから馬鹿にしてかかってるから中味の意味なんてどうでもいい
    字面,と言葉尻とらえて,さかしらでクールでキの利いたことを言えればそれで満足なんだろう
    政治や歴史認識にこだわってるやつを,見つけて茶化していく。

    チシキの欠落によるものでも,チシキが有り余るほどあっても,どっちのやつもいる。
    でもそういうやつはなぜか,ネトウヨのところにはちゃかしにいかないいんだなこれが

    茶化す奴とネトウヨはその根っこの心象風景が同じなのかもしれない

    憲法について書けば,ポエムだねえ,と嗤う
    金時鐘の叫びを,詩だねえ,と揶揄する
    そういうひとは詩,そのものを侮蔑しているという場合もあるんだろう
    ほんとうにくやしい
    人の真剣さに敬意を払えない人がいる,ということをわたしは知ってるし,
    なにかを立場を明らかにして,自分の思いのたけを書くからには 
    バカにされることも想定している

    それは受け入れるし,バカにされることはしょっちゅうだし,まったくかまわないと思って書いてる
    理性はそれを受け入れる。でもくやしい。
    人が黯膽の思いで言葉を絞り出しているのに感情はほんとうにささくれ立つ
    悔しくて,わたしにはヨノナカを呪詛していくことしか


    チャカシはチャカシで返せなければダサいやつ。
    それが世の中のルール。
    それでかまわない。
    政治に興味なく日本の加害の歴史に興味なく,ムキになってるやつはダサいやつ。それでいいじゃないか,
    わざわざチャカシを書きにくるのか,なんでそういうダサいやつをわざわざ相手にしにくるのか,という意,がわからん
    わたしにはほんとうに理解できない
    人が書いてることを頭から茶化す,ことができるというひとは,コミュ力でもってすべてこなして生きて行ける器用なやつなんだろう,な,とも思うが。
    權力批判してる人だけをちゃかすなら,それはそいつのスタンスと動機も勘ぐりたくもなる。
    どうせならネトウヨやザイトクちゃかしにいってくれ。
    と。
    わたしのことはほっとけよ,といつもおもう。

    ムダな意,有用無 “力”

    法我首先法在何


    ところで,わがニッポンの立法府で,ただでさえ短い審議の時間を空費する職業のヒトビト
    (わがニッポン國のロンリノフザイをひたすらあきらかにするために,は少しは役に立つか?),
    おそろしい答弁をくりかえし,
    審議が終了どころか,はじめてさえいないんではないか?これ,?
    というような
    論議の前提となるデータもすべて嘘っぱち,そもそもがデタラメ
    というなかで
    どんどん強行採決される。

    カジノ,も, プロ,は殘業代ゼロ法案も,次々決められていく
    このプロがプロフェッショナルのことなのか,プロレタリアートのことなのか?

    ヘイワを希求する責務だけを民に強いて,あとはわれわれの自由を擔保する,
    國家權“力”に,對してのみ大きな制約を規定する,日本國憲法も變えられていく

    イージスアショアに巨億の金をつぎ込み,
    巨艦「いずも」はフタをあければ,ジツは空母で最新鋭の戰鬪機も發着可能の規模をそなえた先制攻撃 “力” 持つ軍艦だった,という。
    いつのまに誰の許しを得て日本は航空母艦をもっているのだw

    一切がまともな論議の時間と情報を与えてもらえずに行われたこと,行われる作為。

    すべて,なすがままに,あとは野となれヤマト國,
    意の不在,圖の不明のまま
    趨く,すすんでいく,このことを考えれば,
    たとえゴハン論法の巣窟であっても
    審議の時間らしきもの,を,あたえてもらえてるだけ,われわれはありがたがってなければいけないのかもしらんが。


    まいにち,まいいち,
    イッタイゼンタイ我が國の朝ごはんの概念にはパン食は含まれるのだろうか,

    というようなことばかりわーわーいいつのってるだけの總理と大臣と代議士の大半に,

    法律をどんどんどんどん作らせていって
    あるいは予算の分配をあいつらにまかせていて,(しかし,それで特段暴動も起こらない)

    ロンリノフザイが法を決める,分配を決める

    將來の子供たちが背負うだろう借財がどんどんつみあがっていく。
    武器は山ほど整備されて,防衛力は “有” 力,の,力,を誇る
    有力は,ただもっているというだけ
    ためしてみなければ,その力はわからない。

    ひょっとすると,武力とは,

    無力じゃないか?これは?

    という疑念を拂拭する,ただそれだけのために實力行使されるのではないか,という
    そんなおそろしいハナシもおこりかねない



    ロンリノフザイ “無” 法の長が,論理性ない,だらしない,かんがえることをあきらめさせる,饒舌のなかで
    なにも,とりしまらない “有” 法をつくる

    いったい法の “無” 法さが窮まるとなにがおこるのかとかんがえてしまう

    多くの人にとって最大公約數的に有用なもの,
    が,社會の基盤から失われていくというきがするとき・・・・。

    ――社會には有用無用が混在するが,そういう社會の基底にはあんがい,人の意識しない中で
    有用がより有用に有効し,そして,ごく自然に無用を助けていく,という,緩やかな、規矩があるとおもう,
    そのための基盤がととのえられてあり,それが法治國家,だ
    とわたしはおもうんだが(いや信じているといったほうがいいのかもしれないが)――

    わたしはほんとうにぞっとする。

    “有用” が有るべき,(民の多くが,それで納得できうる)すがたで,要され, “用” たらしめられるから
    社會の基盤がととのっていくのだろう
    みなが最低限 “許容”できるていどの ,その基盤,それがどんどんと
    めちゃくちゃになっていく,

    有用は無用を助けない,
    法は弱者を守らない,
    というとき
    無用と無法がやたらとめだってくる
    無用が窮まるとなにがはじまるかといえば價値の選別が始まるだろう,
    無用なものはなくせばいい,有用なものだけ殘せばいい
    役に立たないものは排除していけばいいじゃないか,とならないか。
    真っ先に排除されそうなのはわたしだ,と
    ただそこからくる,特異な恐怖にすぎず,
    おおくの人はへーきなのかもしれないが


    戰爭が起こってしまえば,論理は,兵力を弱體化させるだけだ,といえるだろうか?

    集團虐殺が起こってしまえば,論理は役に立たない,論理性でコロシを制止できたためしはない,だから論理は必要ない,とはならないのに


    しかし論理性は,立法の権限者にないがしろにされ,敵意さえ持たれる。

    一黨獨裁,そこに身をまかせていたくないとき,それを厭い嫌惡する時
    ひとは, “社會” に對して後ろ向きになればいい。

    それだけのハナシなんだが。

    個(孤),が “意” ,に歸一していく,在野の,草莽の知恵だった,ともおもうし
    そうする以外にどうしようもない,ならば,そうなっていく,

    はずである。

    “國” は “國” のテイを為さずとも,ただの地域として變易していくことができるなら國など必要ないのである

    法我首先法在何


    ところで。

    日本人は,
    「半島の軍事演習,カネかかるしやーめた」
    とトツジョ口にしたトランプを憂い,北朝鮮にばかされてる,北朝鮮に手玉に取られた,と

    そんなことばかりいう。
    これはいったいどういうことなんだろうか?

    世界中の人がほぼ納得している和平の歩み,を,非常に危惧しているニッポンジン。

    わたしが文在寅大統領に好感をもったのは,
    去年の12月,彼が,重慶の朝鮮臨時政府の跡地を訪れたというニュースと,

    まあ,これは單にわたしの好感情にすぎないが


    日本海に原子力空母がうようよしてたとき,に,。
    オリンピック觀戦の合間,文在寅大統領に,向かって,ある國のソーリダイジンが,ちゃんと軍事演習をしたらどうか,延期はするな,と
    ふつーによけい,ともおもわれるなことをいった。
    文在寅大統領は
    『内政干渉だ』
    と怒りをあらわにしていた。
    そのときの様子に,正直いってわたしは非常に氣骨の明瞭、壯快さを感じたのである。

    これは客観的に見ても,軍事的であるとないとにかかわらず他國の主權の干渉であって,

    安倍が口ばしったあり得ない發言,であるが。

    そのとき,韓半島の大統領が見せてくれた “理 ” の印象は大きかった
    文在寅が,ここに,あえて,不快感を,敢做敢爲「示した」,意をよくかんがえさせられたものだった

    たしかに。いるべき時に,いるべくして,いる人物,だ,
    いまになって,そう思う

    國際社會が,北朝鮮という國家の大ヘンカンの模索を,

    まずは,
    まずは信じよう,

    という意を示しているとき,

    日本のりべらるな國際政治學者までが,トランプの決斷を危惧している,不安を論じている
    どこを見渡してもそんな論調ばかりの中で,

    ふとおもう,

    同盟,によりかかって思考停止の日本は,「同盟」の本質をというものをそもそもわかっていないみたいにみえる

    今,米韓軍事同盟を根本から見直そうという氣運が,半島において,
    徐々に醸成されている(わたしはそう理解している)
    ということが
    信じがたいことのように,
    まるでおもいもつかない,とてつもないことのように

    日本人は理解しようとせず,かんがえようとしない。
    名だたるりべらるの論客さえ,
    朝鮮半島における,「信」の起こり,を
    輕侮,もしくは貶下している

    同盟とはなにか,同盟の必要とはなにか,
    同盟の「用」とはなにか

    まさにそれを,根本から按じ吟味できる韓國の民主社會をほんとうにわたしは
    すばらしいとおもうし,
    同盟とは敵を作る作為と表裏にある,という,そのことを
    よくしる民なのだろうとおもう。

    長い永い間の民族同胞の分斷,
    親兄弟まで國境線で引き裂かれるような悲劇,19世紀末から連續した半島の亂離が終結したならば,

    米韓軍事同盟は必要ない。

    もちろん,軍事演習など大金かけて行う “用” がない。
    無用のことなのである。

    この “用” ,が不必要だ,ということは,目指されるべき道の理,みちのり,だ

    “用” は,北の脅威があって “有” だった
    そしてその “有” である状態は, 北の疑念や不安を増幅させる,と言うとき
    この有,力,

    米韓軍事力という,半島の南側が,有する力をみずから,減じていく

    そういう決斷。

     武器は山ほど整備されて,防衛力は “有” 力,の,力,を誇る
     有力は,ただもっているというだけ
     ためしてみなければ,その力はわからない。

    そんなもの,もっていることの,意,はなになのか?
    演習をゲームと呼ぶ,トランプ。
    わたしのキブンにココロからフィットした。

    カネがかかる。

    そのとおり。
    史的唯物論だw

    經濟が社會の變革をもたらしていく。

    ヘーゲルにトランプをくわえたらアカができる

    あはは

    EUもそうとうおかしくなって。
    同盟,という言葉の魔力は,



    を失いかけているのかもしれない


    考えを旋回させたら見えたものがあったw

    ひょっとしたらあたらしい

    (同盟のアンチテーゼとして,意義ある)
    ユニラテラリズム

    そんな考え方も,論理の歸着としてあるのではないか?


    だらだらつづく


    邵雍《力外吟》

    ムダな意,有無有用

    自找麻煩,敢什麼

    最近よくきく「ご飯論法」

    しかし日本の,ジンカンシャカイ,「壓倒的とまでは言えない “理のないなさ” 」の世間
    その潤滑油として元からあったもののようにも思うし,コッカイみていて既視感でいっぱいになるという
    これはいったいどうしたわけなんだろう・・・・。
    そもそも,

    ゴハン論法が通用する余地もなくなるまで細則をつめていく,
    それが,立法府,言論の府のあるべきすがたで
    ああゆう言い逃れをされないよう,
    想定されるいっさいのおかしな屁理屈もそれはいい,それはおかしい,と
    それは通用しないだろう,とそのために法律を作る。
    白黒疑問の余地なくキメツケてゆくことが
    ホウチコッカの、コッカイシンギ,つまりは代議士のしごとである。
    ゴハン論法の様な言い逃れをしたくなるのっは
    人間の性とゆうもので,
    でもそれは通用しません,ここから先は。
    という限界をみさだめることが,コッカイノ議論でもあろうかとおもうワケ

    でもそれができてない,だからわたしはいつも書くんだが
    コッカイよーちえん,と。

    ベツに幼稚園兒なら論理性なき まったき“無法” 者であってもいいワケだが
    とりわけ,こまった園兒の長があべんぼう。
    とゆう。


    うちのラオクンは,おととい「もう酒はヤメタっっ」と確かに,宣言していながら
    昨日は既にして,酒臭かった。

    サケはヤメタっ,とたしかにわたしはきいたんだが,と,問えば

      「酒は飲んでいない。飲んだのはビール。
      「いやぁ,いがいにビールは酔うんだなー。

    かれの分類によればビールは酒じゃないんだそうで,
    じゃあこれからビールなら飲むワケだ?と借問すれば

      「それにしても高いなー。ビールは。度数は低いくせに高いっどうしようかなー」

    などと。
    そもそも酒をのまないという大前提は宇宙のかなたにとびさってしまっているということがハンメイするんだが

    それ,っ,
    それをゴハン論法というんだよっ
    論理の否定だっ
    いやちがう,
    ヘリクツをこねるなっだ

      「アンタだって,アタシは無駄づかいせん,いいながらカンシの本買うやろ?
      それおんなじ」
     
    漢詩はムダじゃないゾ・・・・

      「おなじことだ,オレにとってはビールは酒じゃない,
      それをみとめないなら
      アンタのカンシはムダじゃないこともオレはみとめない」

    などと平然と言いはなつ
    酔ったとたんに頭がサエてベンがたつのがうちのラオクンの特徴的なヨッパライ症状なので
    これはビール以外にもそーとーのんだに違いないとはあきらかなのだが,そもそも大前提がふっとんでるので話がかみ合わないどころかべつのほうこうにむかっていくし

      「ジン,ウォッカはサケかなあ,
      テキーラは。うん。酒だ,うん,それはたしかだ
      ちゃっちゃらちゃちゃっちゃっ,ってきいっらっ♫ だから。」

    そ,それは。
    製造法や法解釈によって万人が納得しうる分類もできうるモンダイではあるけれども,サケ類であることにはかわりない。
    「漢詩」がムダかどうかというカチカンのモンダイと一緒にしてはいけないのである

    「漢詩」は果たして詩なのだろうかという問題はもちろんモンダイ提起されるにふさわしいし古今東西そうしたことの分類や評價でもってメシを食ってるヒトもいるんだが
    「漢詩」の本を買うのははたしてムダづかいか,というのは
    いくらモンダイ提起されてどんだけ研究されてもこたえがでるものではない
    し・・・・


      「だいたい,なんで酒飲むなという權利がアンタにあるですか?」
      「なんびとも 『内心の自由』,はおかしてはならない,とかゆうヤツ。
      それとおんなじでしょっ」


    アベン坊の答弁にガクゼンとなってる福山哲郎,みたいなことになってしまうんだが
    ロンリのフザイ,が,國を率いているとこうなってしまう,という我が “國” のどうやら
    ナショナルアイデンテティっ

    そもそもわたしは酒をのむな,とは一言も言ってない
    サケはヤメタっと言いながらきょう酒クサいのはいったいどうしたことなんだ?ときいただけである
    わたしは頭の中でそれを,反芻するしか能がないヤツ,ということになってしまう


    そうこうするうち,かんがえる,ということが,そもそもバカバカしくなるし,

    かくして論理の不在はテッテイして徹底され,而して決定づけられるる。

    異論がでないとか反論できないまでに,まるめこむというのではなく
    議論の,勝敗の,歸,趨と,はいっさいカンケイなく,どんなときにも最強の
    ハメツ的なロンリノフザイ

    すごいんだな,この破壊力,
    しかし,ロンリノフザイがわが “國” の大前提である,と言うとき
    ・・・・
    そもそも論理性は,

    ホンモノの
    「無用の “用” 」

    となる。
    つまり “無用” ということなだけなんだがw。

    とはいうものの

    若有縁,不請自入; 若無縁,求也無用


    ゴハン論法は論理のギスギスをなめらかに,ニンゲンカンケイをその場しのぎに丸く収める潤滑油だとは,なんとなくわたしはおもうものの,ゴハン論法が「論理」を追い出し,大前提を宇宙のかなたにふっとばす,というとき

    いや
    ホトケのタワゴトとしての「無用の用」としての “論理性” の有用を
    けっとばすのはなにかとゆう

    あるいは
    このゴハン論法や論理の不在に抵抗しうるものはなにか,ということにおもいをはせるとゆうことになる。

    けっきょく,

    意,

    ではないのだろうか?という,それが
    いつもわたしの結論,つまり論理の歸着するところとなる

    歸一,

    ということも加えて思う

    もちろん端を發したのは「もうサケはヤメタ」の
    意,であって,
    論理はそこから展開されていくべきもので,そこに歸着するものでなければならんわけで

    イッタイゼンタイ
    なぜ,意をおろそかにできる人間が,日本をカッテにしょってたっているのだろうか?
    代議士どもに對する,疑問や怒りはやはりむくむくと湧き上がるんだが。

    已乎已乎,臨人以德;殆乎殆乎,畫地而趨。
              ―――『莊子』《人間世》



    意を發す,
    けっきょくわざわざ,地面に繪を畫いておいてそしてそこをゆくという “從”順に, “順” 行す

    それが,いったい,なんになるというのか,

    つまりは
    なにの “意” をイミするか,というどーどーめぐりになるわけだが



    つづく


     本來歸趨順行波   Běn lái guī qū shùn xíng bō.
     自找麻煩敢什麼   Zì zhǎo má fan gǎn shénme.
     誰説人間以何苦   Shuí shuō rénjiān yǐ hékǔ,
     心言之意是摩訶   Xīn yán zhī yì shì mó hē

                 平聲十四歌
      
             20180622 11:51 




     無可無不無有可   Wú kě wú bù, wú yǒu ké.
     陳言子曰無偏頗   Chén yán `zǐ yuē', wú piānpō.
     人知無用不僅用   Rénzhī wúyòng, bùjǐn yòng,
     法我首先法在何   fǎ wǒ, shǒuxiān fǎ zài hé.

                 上聲十四哿

             20180622  14:20

    甘肅天水麥積山石窟 三體 みょーにニンゲンクサいホトケ

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    因禍為福,譬若糾纆?③亂離終局,決裁決償㊤

    さて。

    前頁,からつづく
    尖閣國有化,あのはなしが惡夢のように持ち上がった
    タイミングの惡さを想う。

    わたしはなぜよりによって民主黨政權のときにあれが起こったのかという因果關係を.
    事の發端からずっと考えていた
    ことのおこりは石原という一個のキちがい氣燄囂張がはじめたこと,しかし

    おそらくジミントウ政權の時代にはあれはできなかったはずである。

    なぜなら宏池會の老いたプリンスさえw
    まだ在職中,だ
    「戰爭」を知るお歴歴,日中國交正常化の經緯を知る老獪がたくさん存命中である,
    それはできるよしもないことだった,しかしw

    松下整形系美容部員が總理だった,という有因,
    而して日中の國交正常化の好時は破壊,
    という有果があった

    あの時。9月はじめ。。
    よもや,という,石原の購入計画が耳に届いていたころ。
    中國側も面白い對應をしていた。
    おそらく中國は
    どうも,

    日本人の理のないなさを,うっかりわすれていたのか,
    タカをくくっていたフシがあった
    まさかと思われる私人による尖閣島嶼の購入を一笑に付す余裕はあったのかなかったのか,
    そこまではわたしにはわからないが
    習近平ヘゲモニーがはじまる以前のおはなし,だ
    が。
    胡錦濤という,中國の民衆の反日感情を最大限押さえつづけてきた領導の努力を灰燼に歸することになる日本の暴擧。

    あの一週間はわたしにとっては惡夢,としかいいようがない

    そして,リベラル,日本のリベラル中道とはいったいなんなのか?
    心底、っ深刻な疑問を感じたときだった
    東日本大震災からまだ時を經ず,福島の係累を身内に抱えるわたしは,
    周りにいるリベラルと目される政治に関心があるヒトビトとよく接していて
    そのかんがえかたの,歴史との乖離,に,ついてはじめて
    深酷な疑念,と言いようのない不安を抱いたときでもあったのだった

    購入から,國有化,そして刻刻とつたえられる
    かの地の反日行為,

    王毅をはじめ知日派の言動が,日ごとけわしくなっていくなかで,
    これは・・・
    中國政府の強壓も民衆の暴動を抑えきれないだろう,そう思った矢先・・・・
    (抗日活動というのは戰時中も民衆がやっていた,權力者というのはつねに,日中戰爭當時も為政者はそれを抑えることに腐心していたこと,これまで書いてきたとおりだが,現在も同じである。)
    戦時はそれは国民党政權であり,今般は共産黨政權というちがいはあれど。

    ――日本人はとかく,反日思想の共産黨がやらせてる説,をこのむが。全くの見当違いである
    外交上モンダイに發展することは避けてきていたのである。
    反日教育の時代はあれども,あのころの中國の民は,いまほど日本人の歴史認識,の異常さにきづくことなどなく,したがって暴動も起こりえない)

    とにかくだ,
    ・・・・・,なんとありうべからざること,ノダ政權が最後に,その意がどこにあったのか,善意に拠るのか知らんが,w
    この問題について通告をしたのが9月18日,
    さすがに中國政府も怒り心頭,ここまでメンツをつぶされた彼らは

    默し,かつ相當な決意をしたのだった,

    わたしはあのときw即

    爾後國民政府ヲ對手トセズ

    を思い浮かべた。
    全く帝國日本の獨善,國際情勢に無關心だった帝國日本の野蠻,大和民族の文明への,根源的な輕侮,論理性のなさを目の当たりにしたキブンだった

    しかもそれは・・・・
    日本の中道リベラルを僭稱していた民主黨政權が,へいへい然としてそれを行ったのである
    この一事は強くわたしをゆさぶり,いたたまれないここちにさせた

    一年後,年末に敢行された日本という囗の蠻勇をよくしめしうる安倍的靖國參拜は,
    中國側の静かな “記憶されつづける記憶” ,繼續し,抑えてきた怒り,に
    ふたたび点火。
    いわば燠火を燃えさかる焔にかえて,日本は,日本人はまた,平,然,としていたのである
    中國外交部はあのとき,こういいはなった

    中國は,このことをけっしてわすれないだろう,

    と。
    恫喝するでもなく糾號するというでもなく

    しずかに, 「記憶する」
    そういった

    しこうしていまがある。,
    たとえば
    南京のユネスコ遺産登録というジタイ,,こうした一連の日本の蒙昧による。
    有因有果。


    中國の根回し能力には目を見張らされるのである
    ところでいましも

    二度の南北會談についで米朝對話によって,ついに朝鮮戰爭の終結が宣言されようとしている。

    長い永いあいだの,日帝の植民地支配によってめちゃくちゃにされた半島の亂離が,決着するのである
    わたしはこのところ毎日毎日ワクワクして事の經緯をみつめている。

    そう。
    北朝鮮と日朝國交正常化,となれば。
    これは戰後のニホンジンのぼうとした戦後の戰爭責任に對する,あいまいな,
    そして
    被害國にとっては侮蔑的ともいえような日本人の歴史認識にむけて

    「記憶されつづけた」,「記憶されつづける限り,ありつづける反證」

    をあげられていく端緒となるはずなのである

    これから起こるであろうことを夢想すれば。

    わたしはすこぶるノー天キ,きわめて樂觀的なので

    日本の明るい未來のために,こうしたことが起こるだろうと,
    あれこれ夢想しては
    ヒコクミンにとって都合のいいことばかり考えてしまうのである

    ご存じだろうか,?

    北朝鮮にはまだ我が國への戰後補償の請求権があるということを

    われわれはあたかも,

    國交が正常化すれば支援してやる,
    という立場で上から目線で半島を見ているが

    嚴密な國際法上言うところの「戰後賠償」――連合國とのあいだで,又サンフランシスコ講和条約のもとで締結された戰後賠償請求権――はもたずとも。
    北朝鮮は日本帝國の植民地領有においてうけた損害を「戰後補償」としては請求できる立場にあるということだ

    日朝國交正常化のあかつきには,日本人にとって非核化に勝るとも劣らない難しい,
    そしてなやましいモンダイが持ち上がる

    なんと言っても「非核化」は国際社會の後押しがある

    しかし,戰後補償の方はどうだろうか?



    臭いものにフタ,としてきた,

    もろもろの,
    封じ込めてきた記憶が,外からの力によって呼びさまされていくことになる

      蒸しかえすな,ひとよ, 葬れ,
      燒きすてよ, ヒトよ,忘却せよ,

    こう唱えられてきた日本人の戰後

      わすれさせて改竄せよ,ねつ造せよ

    こう鼓吹してきたキッシー一味とアベン坊の仲間たち

    このようなうたうたわれつづけてきた大地において。



    わたしは
    日本の民,が,戰爭の,決濟,決裁,決債を,すべてあいまいにしてきた,戰後を生きることができたのは朝鮮戰爭のおかげだったといってもけっして過言ではない,
    そうおもっている。アカの立場といてもいいけれども

    加害と侵略戰爭,犯罪の記憶をかこいこみ,封じこめあいまいにし,
    ついには,無きものに,あろうことか捏造までするという姑息な作為をなしえた
    その・・・・。

    記憶の燒却,忘却,は

    記憶され記憶されつづけるかぎりありつづけてきた記憶,と真劍にあい對峙させられることになっていく

    朝鮮戰爭というあらたにもちあがった半島の亂離のおかげをもって回避できてきた侵略戰爭の責任の理念上の決着,加害の形而上の決済,
    また
    朝鮮戰爭によって自衛隊という軍隊の,今や先制攻撃を論議するにいたっている實力組織――その前身の設立を強いられ
    また
    ニホンコクミンは,朝鮮戰爭の特需,軍需物資の提供,基地や兵力の提供によって大いにアメリカを助け,朝鮮戰爭によって經濟成長の端緒をつかみ,大いに經濟を發展させてきた

    つまりは
    戰後レジームの經濟優先によって,ヘイワコッカヅラができ,過去の,

    葬るべきでない記憶,一切合財封印してきたそれらに
    いやでもむきあうことをよぎなくさせられる

    くつがえしようのない反證は深い記憶のなかのもの。


    それはこれから明るみの出てくるのである,そうおもう,
    それは,

     記憶される記憶がある限り 
     ああ記憶される記憶がある限り 


    ありつづける “國” を溢れさすほどの冤鬼

    落ちくぼんだ眼窩に巣食つた恨み が
    冤鬼となつて國をあふれていく
    その膨大の一端でしかないにせよ・・・・・・。


    わたしたちは。
    ひとり日本のことにおいて,ノミナラズ

    何よりこれから世界の激動する情勢と,震盪の時代をまのあたりにすることになる。
    おもえば宗教改革の時代からw
    ひょっとしたら,紀元より

    世界は120年周期で,大きな大きな變革が起きているのだ

    これがわくわくせずにいられようか?


    “休戰時の通譯 『同じ民族 分斷悲しかった』

    四月と五月韓國と北朝鮮による首腦會談が開かれた板門店。一九五三年數百萬人の死者を出した朝鮮戰爭の休戰協定が結ばれた場所だ。横浜市港北區の鄭敬謨(チョン・ギョンモ)さん(93)は,協定締結までのやり取りの一部にたちあった。
    「理不盡な爭いを一刻も早く終わらせてほしい」と話す

     日本の植民地化ソウルで生まれた。慶應義塾大醫學部予科を終了した四十五年《帝國》日本が敗戰。
    北緯38度線を境に北をソ連,南を米國が占領した。四七年に米國の大學に留學。翌年韓國と北朝鮮が建國された。
    五〇年六月に朝鮮戰爭が始まつたのち,鄭さんは駐米韓國大使から連絡を受けた。北朝鮮中國との間で休戰に向けた協議をする場で,國聯軍の中心だった米國側の通譯を務めることになった
     板門店にある粗末なテントの中。焦點の一つが境界線の位置だった。
    米國と中國の測量技術者たちがコンパスと三角定規を使い,地圖上の半島をジグザグに切斷する作業をしていた。

    「身内の誰かが生體實驗でからだを兩斷されるのをみせられているようだつた」

    五三年七月二十七日に國聯軍と北朝鮮中國が休戰協定を結ぶ。

    「同じ民族同士の分斷が固定化するのが,ただ悲しかった」
    と振り返る。

    そののちは韓國で働いたが,民主化運動を彈壓する
    軍事獨裁政權が許せず,七〇年に日本に『亡命』。文筆業などで,韓國の民主化を訴えた。
    金日成主席や金正日總書記と面會したこともある。
    四月の南北首腦會談では 『今年に終戰を宣言し,休戰協定を平和協定に轉換』すると,板門店宣言に盛り込まれた。
    それには戰爭當事者である,米朝のトップ會談が前提になる。

    鄭さんは言う
    「會談がどこまで成功するかは分からない。しかし,同じ民族にわだかまりもないはずだ。分斷の過程を見た自分の目で,戰爭が終わる瞬間をぜひ見届けたい」(清水大輔記者)



         板門店休戰協定締結時テント内で半島に國境線を引く

        朝日から無斷轉載


    他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン六月九日朝刊34面より



    なんと示唆に富んだ言葉だろう,
    思わず涙ぐんでしまう。

      身内の誰かの生體實驗・・・・・

    おもわずこうべをたれる

    このことば,これを,即ハルビンを結びつけるわたしは,あたまおかしいだろうか?

    おかしいのかもしれない,

    ・・・・。

    が,それでは
    このことばはどうだ?

    “しかし,同じ民族にわだかまりもないはずだ。”

    まったくそのとおりなのである!

    なぜ,戰爭が起こる?

    亂離,
    侵略によって無數の,氓,―ディアスポラ――を生みだし
    兵燹の現場を現出させ
    無數の,民に艱難を強い,貴い命は,血沙の中に沈む。
    春,村は潰滅する、夏には草が繁茂の土饅頭

    なぜ朝鮮戰爭は起こったのか?なぜ,六八年の長きにわたってつづいたのか?

    七十年前建國した二つの “國” はなぜかくもながきにわたって分斷されてきたのか?

    “しかし,同じ民族にわだかまりもないはずだ。”

    それなのになぜ。

    かくもながきにわたって
    いや。

    そもそもなぜ日本人は半島を,自分たちのために犠牲にしていいと思い,
    併合し植民地化し,
    なぜ,中國のものは我が國のもの,として
    日本人の発展のためには中國領有が正当化されると信じこんでしまったのか?

    「大隈は中國を, 伊藤は半島を」

    なぜそんなことがありうべきこととして妄想されてしまったのか?

    ニホンジンのアイデンティティは


    ・・・・・・。

     歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。

    これにつきる,かもしれない

    この頃強くそう思う,これはわたしのなかの私的なアンビバレンツにすぎないけれども

    國家は歴史なくしてたちゆかない

    民は・・・・
    “國” などなくても生きていけるといえば生きていけるのだ
    これは國家主義者の難問題であるにすぎない

    歴史にツバしておきながら「美しい國」國家主義者でもいたい,
    など,
    民も統治したい
    などと

    あまりにも放恣に過ぎる。いやずーずーしいにもほどがある,

    國家主義者なら
    記憶され続ける記憶,と記憶の主體たる民と,ついでに公文書にもだ,
    謙虚にこうべをたれるべきである


    さはさりながら
    自由かつ,氓,
    であるなら。
    “國”
    などいらない,これもまた

    有道理!

             つづく,ダラダラと。

    因禍為福,譬若糾纆?②破局流亡,不生,滅,光復。

    あや
    歴史は綾なす,絲の作り出した紋様に過ぎない。
    人類の永い歴史を考えれば

    文明は河の流れる如く,少しの文様の變化を民と大地にもたらして永遠にただ流れるだけ・・・・・だ,はしなくも。
       
    特定の“色”,と言うものはもともと存在しない。
    彩の相と光りの明暗があるだけだ。
    文明の功罪も,思想も歴史も,見え方にすぎない。

    そういう考えは,いま氣分をこのうえなく樂にしてくれる。
    “水” は,もともと斑紋も色もない,風や時や,光りが何かを見せるだけだ。
    その風は,水が動くから波紋となり,文(あや)が見えるのだ。
    ブッダのおしえ,
    隨變,もしくは 依止だ。

    その,光を奪う所業。
    その主體が,光を奪うことができなくなったジタイ,それを光復といった。
    直近の光復は
    占領者,外來の。統治と収奪のためにはるばるやってきた侵寇者の破れによってもたらされた

    1945年8月15日。

    決して流行語大賞をとることのない,光復。

    しかしそのあとにこのようにうたう詩人がいたことに
    日本列島にもとから住まう人びとはあまりにも無頓着で

     眼を覆う死にも   
     光だけは透けていたのか韓國の夏よ。 
     惡魔の申し子の
     色めがねの息子よ。


     奈落へ堕ちていつた自由なら 
     深みは深みのまま 
     惡寒をつのらせているがいい。
     選んだ方途が維新のための暴壓であるなら 
     歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。
     片輪の祖國に鐡壁を張る  
     至上の國權が安保であるなら 
     萎える國土の砲塔の上で
     將星は永劫輝いているがいい。
     それでこそふさわしいのだ。
     浮かばれぬ死は  
     ただようてこそおびえとなる。
     落ちくぼんだ眼窩に巣食つた恨み 
     冤鬼となつて國をあふれよ。
     記憶される記憶がある限り  
     ああ記憶される記憶がある限り
     くつがえしようのない反證は深い記憶のなかのもの。
     閉じる眼のない死者の死だ。
     葬るな人よ, 冥福を祈るな。


    日本列島に住み續けることを余儀なくされたディアスポラ,
    かれらを,日本列島にできたかさぶた,くらいにおもっていた
    日本人の戰後
    があった。

    美しい水色の春。
    キタがミナミに,一歩を踏み出し,
    足を踏み入れた
    それだけのことが,なぜこんなに美しくせつないか,
    あの夜わたしは
    友人に電話をかけた,ずいぶんひさしぶりだが,

    おもいがけず。
    元氣?

    そういったあいさつもなく
    久闊を叙するといった,いとまなく
    激情と,
    電話口の向こうで嗚咽が聞こえる,
    「お母さんが生きていらしたら」といえば
    「ばあちゃんだって。生きていたら」返す
    列島中で涙する人はほんとうに多かったろう



    ナクバの日に考えていた。
    アブラハムの祝福された子孫はユダヤ人である,
    こういわれることの奇妙な “真理” を疑うことができない人びとが現實に,
    あるくに,にはたくさんいて,
    そのくにが,中東和平の仲介者を以て自任。自認
    自他ともに,承り認しているということの,おおきなまちがい

    地球そのものの誤謬なのかもしれないが
    そのいみで。
    宗教はゆがみ,ひずむ
    神は創る
    作為する人間を。神のために創られた人間の作る神



    アブラハムの宗教ハバツのトリプルスタンダードな誤謬を認めず
    我が宗派こそが正義であると信じ込むことができる人

    イスラエルのやってることの,なにが惡いのかさっぱりわからん,といってしまえる

     ――とうぜんである,イスラエル,エルサレムは神がユダヤ人に与えた土 “域”なのだから
     そこに國家を建設して何が惡い?

    そういう
    ヒトビトが四半をしめる “國” に果たして中東和平の仲介者としての資格があったのだろうか?

    イスラエル國家建 “國” の日はパレスチナの民にとって大破局の・・・・・
    いわば “國恥” 記念日である

    葬るな,ひとよ,

     記憶される記憶がある限り  
     ああ記憶される記憶がある限り
     くつがえしようのない反證は深い記憶のなかのもの。
     閉じる眼のない死者の死だ。
     葬るな人よ, 冥福を祈るな。



    このようなうたうたわれつづける,大地,

    うたわせることとなった,作為を,有因有果を 
    その素因と結果を正當化しつづける,大地,がある

    このゲンジツは100年たっても變わらない

    オスマン分割から,サヴェート労農政府樹立から100年の今の時代
    そしてイスラエル建國から70年の今日。

    相も變わらず,

    “ふかいきおくのなかのくつがえしようのない反證”


    あざわらうかのごとき
    シュタイがある。ゐる,
    そんなシュタイがそんざいする地球において

    これは嚴然たる,惡意,

    「“善意” のひとびと」によるこころがあざないあやなす
    作為,だ

    希望以てなされるのである。
    禍福はあざなえる縄のごとし。



    なぜ國家は,
    “國益” と稱して――じっさいにそれが, 國“民” の益となったり,大地を豊かにすることにつながっていくことは古今東西まれである――そういう作為をおこなうときには,
    利害關係をもたぬ第三者から見れば
    “おいおい,最惡のタイミングじゃないか”
    という日取りを選んでおこなってしまうのか。

    ナクバの日にそのことを朝から考えていた

    なぜ,か,こたえはかんたんだ。
    そのために,罪のない子供が何人も無造作に殺される

    そのかんたんさ。
    同じくらいに。
    簡易,單純なことだ

    それは,あるアピールのための作為であるため,そのアピールの効果を最大限おおきくするために
    最善の “良き” 日どりをえらんでおこなうからだ

    或る,種類の階層,ある属性を持つ團體の喜び,
    いわばw
    ――福音のタメに――行うしざま,


    こんなわかりやすいことはない。

    あえてなされる象徴的出來事とはこんなものだ

    そのうえ
    トランプというのはわかりやすいことをやたら好む

    アメリカの4人に一人が福音派の信徒でありw
    Religious right であるということ
    これはジジツである。
    ジジツであり,

    今度のガザの

    ――悲劇はガザでは日常茶飯のジジツであり,その一端,とりわけセンセーショナルな事態であった昨日今日の――

    悲劇というジジツ。

    これらのジジツが,なしなされたことの,有因と有果,


    トランプの動機は自國内の自身の支持者への公約の實行にすぎず
    トランプが彼らの歡心を買うことに腐心した結果がガザの慘状
    ――近代史の常識からすればホントにやれるわけもない公約だったが,
    歴代共和黨の大統領候補者はみなこの公約を吹聽してきた――
    という,

    公約,裏切られるばかりの契約が4年に一回むすばれてきていた,と言うジジツ
    その實行をようやく果たしたトランプ大統領
    というこの現象、ジジツをまず率直にありのまま見つめてみる。

    かんがえる,ということはそういうことだ,
    まちがっても,えせ人道のりべらるがいうように,
    トランプの人格のモンダイに歸してはいけない
    奴の人格がたとえひどいとしても,だ

    こと,トランプの人格に
    やたら憎惡をおぼえ,それをあらわすパレスチナのたみなど。
    いない。

    かりに蟲ほどの脳みそしかないという個人の才,能力,や
    考える時間の短さという,性格に起因する淺慮という資質,があったとしてもだ,

    才覚のハナシでいえばそんな人物が選擧によって選ばれてしまったという有因有果からかんがえなければならないし
    性格のハナシでいえば,彼は公約に誠實だったというだけで,正直さを責めなければならん,ということになってしまう

    人道的人道,云云,をいくら高めようとしたところで
    集團がおかすまちがい,と,粗暴は,だれにも糾彈できず,まして糾されることがない

    というのはどういうわけだ?

    ただひとりびとりのジンカク,そういうシュタイのせいだけで
    ガザのような悲劇,
    このようなことはおこらないのである
    ガザの悲劇は,社會と人間集團があざなえる時間の中でぶっつりと千切られてしまった縄
    縄は切れて初めて

    その強靭が,細い細い一本の糸が撚りあざなわれた太さのために

    持ち得た強さであったことにきづかされて。

    ひどく驚くことがある
    驚くことがよくある。

    ほんとうによくある

    わたしは,ばかなのかもしれない。
    が。
    バカに一本の毛糸を持たせても何かしら編むこともできよう

    そう。
    あらためておもいなおす。
    キをとりなおす
    しかし。
    ガザの壁の中では
    “き,をとりなおす”
    という,
    ささやかな希望,
    ささやかな權利,
    さえもない

    あしたの食事の心配はあっても,棲む場所を取り上げられても

    氣を取り直す時間を持つことはできる

    光を奪われる,とは
    それさえも
    うしなわれている
    人びとの闇のこと
    黯所にあって
    ことばは,よう,をなさない
    體がない

    光が無ければ,聖書もただの紙くずだ
    丸めて 飛礫 に する さえ
    ぶざまなまでに
    無用。
    無力

    なぜ,建國の日にこれをやったかということ,此れはその日行われることでより喜びを増幅しより幸福感がえられる集團というのがこの世に存在し,
    その集團のためになされた作為,そこに善悪はない

    ただ, 望外の“よろこび” があるだけだ。

    一人孤獨になってかんがえれば。
    流血のジタイ,子どもたちの死,タイヤの燃えつづける大地と空の光を奪う黑煙。

    何が福音だ?

    かれらが黑黑と,空を蔽う煙をたち上らせる動機はなにか?
    おそらく。
    おそらく。

    光がもたらされないことへの憤ろおしさ,狂ったゲンジツをはしなくもあからさまに
    白日の下に曝す

    彼らがタイヤをもやすのは
    イスラエルの狙撃者からインティファーダの行爲者の身を護るためだ,と
    聞いたことがある。

    精巧にすぎるユダヤのスコープがほんとうにタイヤの黑煙によって,
    その無慈悲その冷酷が,いったい,その濛濛と立ち上る煙幕によってはばまれることがあるのかどうか,


    違う,あの黑煙は,憤りの象徴,

    實効性なきアブラハムの神のいかずちに對する憤懣の。

    かれらのどすぐろい絶望はなぜ空にとどかない?

    彼らは石つぶてをなげる,銃彈砲彈の雨あられ
    夜には消えてなくなる煙幕。ガザを封鎖する高い壁。

    かれらの壓倒的無力に對する
    野蠻の強靭は

    神によってもたらされる

    彼はこれを信じた。
    そこでその信仰が,神によって義と認められた,
    つまり「正しい者と認められた」ということになるのだ

     また地のもろもろの國民はあなたの子孫によつて祝福を得るだろう。
     あ な た が わ た し の 
     言 葉 に 
     從 つ た か ら で あ る


    おそろおしいことばだ

    契約の章を讀む
    久しぶりに(なんじゅうねんぶりだ?)聖書をひも解き,このへんだ,あたりをつけて
    創世記15章を讀む

    深刻な形而上の疑いは
    わたしのなかではとうに解決しているのだwが

    いったいなぜ,うばわれていい土地があり
    トマホークをぶち込んでいい土地があり
    核大國を恐れて核を持つ,その怯懦を一方的に,惡と決めつける?


    そもそもパックスアメリカーナとはなんだったのか?
    どんなおとぎ話が構築され,蔓延し,イスラムの地をふみにじってきたか?

    そこから問い直さなければ,中東に和平は無い。
    その問い直しの機會をふんだんにあたえつづける
    トランプがいる。

    このことの有因有果をみつめている。
    全くサイアクではない。
    It’s not too mutch 


    イスラエル軍の無差別発砲によるガザの犠牲者を
    追悼も弔意もしめさないわたしは,わすれているのではなく,
    心痛めていないわけでなく
    考える,と,そうした感情は考えることを邪魔するなにかになってしまうからだが。
    それだけじゃなく
    追悼などしない。
    なぜかといえば,ガザではこれが繰り返されてきた悲劇の一端にすぎないからだ,
    58人という死者はそれが一日のデモの死者數として最惡だ,などとという論調の欺瞞にもに起因する

    3月から以降すでに40人死んでいるのである,

    「きみは將來何になりたい?」
    と,
    パレスチナの子供に夢や希望を問うなら
    「わからない,それまで生きていられるのかどうかが」
    と。
    そう答える,それがガザのゲンジツ。
    うまれたときからそうで,うまれるまえもそうで,
    お母さんもおばあさんもそうだった。

    それをナクバ,大破局,という のだ
    そういえば

    グアテマラ,パラグアイがアメリカに同調したのは,その二國が自國の安全保障の多くをアメリカに頼っているからというみすりーどもあったが
    それをゆうなら日本が真っ先に賛意を表明しそうなものぢゃないか?
    そうではない,
    「エベルの子孫」や「シオンの城壁」に疎いとわかりづらいところだが,
    福音派が近年強い発言權を持ってる “國” が,同調している

    全く福音派地球の問題児はちうごくだけじゃないんだが

    ふと思う。
    いわずもがなのことでもあるがw
    全くべつのことをおもいだした

    にほんのりべらる,にほんの,戰爭はゴメンだ平和主義者, “ 同胞を救え” 平和主義者に
    たいして,わたしが猜疑心のカタマリとなったさいしょも
    日本が行ったある, “國恥記念日” におこなった暴擧だった

    わたしがせっしたりべらるゴケンは,

    國有化は,石原が買うよりゃましだから,やむを得ない,
    という意見ばかりだった
    それが,まったくのカンチガイであることにきづかないリベラルに
    不勉強によってなされる恣意的な解釋に
    驚きを禁じ得なかった

    いまはなき民主黨政權末期におこった尖閣國有化のハナシだが。

    なんといっても,

    大陸において國恥記念日である,9・18にあえてなされたおこなわれた作為

    いちぶにせよ擁護してしまえるりべらるに
    深刻な疑念とともに危惧を感じたのである。
    (今では嫌惡となっているが)

    うばわれたことがなければ
    “むこうがわ” のきもちはわからないものなのだろうか,

    というせつじつに恐ろしい心理状態だが
    9・18はナクバだ

    なぜこんなかんたんなことに
    ・・・・・
    このかんたんさはなんだ?

    あえてなされる象徴的出来事とはこんなものだ

    そのうえ。


    この投稿は
    支離滅裂か?

    それでいい

    とおもう
    なぜなら,かいけつできないかんたんなことがかいけつできないのだから


       20180515


    第二十一祖婆修盤頭 偈

    神は創る
    作為する人間を。神のために創られた人間の作る神



    不生不滅
    如來如去
    虚空常住だ。
    それは異論を排し,溶け合うということにほかならない
    なぜなら。


    いずれにせよ。

    創世記一五章は
    欺瞞に満ちている
    虚空が有であることを否定する,それを,無,とは言わないのだから

    つづく

    因禍為福,譬若糾纆?①否。是福不是禍,是禍躱不過。

    長白山的冬天佈滿潔白瑞雪,讓山上呈現一片冰封世界是 “天池”
    長白山的冬天冠雪。讓山上呈現,潔白瑞雪作界冰封,是 “天池”



      戯作詠東北民歌

     松花江上水不停    Sōnghuājiāng shàng  shuǐ bù tíng
     長白山頭靑秀靈    Zhǎngbáishān tóu qīng xiù líng
     不滅寇倭不和氣    Bù miè kòu wō bù hé qì
     幾春靖宇草茫明    jǐ chūn “Jìngyǔ” cǎo máng míng

              20180525  17:54

     
     ※松花江=發源於長白山主峰白頭山天池
       東南向西北流,在吉林省與黑龍江省交界處
     ※靖宇 「jingyu」 は朝鮮語に有る「驅逐外敵」という言葉の音,らしい。
       その音から意をとったという楊司令のあざなの一つ,
       楊靖宇は長白山中にて「僞滿」の討伐隊に慘殺された
       東北抗日義勇軍總司令,かつて帝國日本言うところの匪賊,
       “彼ら” にしてみれば民族英雄
       ちなみに
       帝國日本いうところのテロリスト, “彼ら” に言わせれば民族英雄
       安重根が“テロ” もしくは義擧を行った所,ハルビン(哈爾賓)だ,が


          ↓哈爾濱西面的松花江河段,旁有牛扼湖(三日月湖)
       松花江

    ※東北地方民的唱歌

        松花江水流不停啊
        不滅日寇氣不平   
        長白山上英雄多啊  
        數著那楊靖宇楊司令   
        苦戰了八年沒有接濟啊 
        荒山裏犧牲了楊司令   
        一片忠心昭日月啊    
        留得萬世傳英 





    習皇帝。
    彼は,はるばる二度もやってくる “彼” に,はやばやと餌をあたえすぎたか?
    哈哈

    キタのもつ核兵器と戰爭コリゴリ平和ゴケンにしか興味がないニホンジンには
    このことの “意” はよくわからない,もしくは見過ごされてきたかもしれないが
     
     キタと中國は,血の同盟でむすばれている,のである,


    という,このこと。
    この “論理”“情理” ,の裏側には
    どんな歴史があるか,
    ということに極力目をそらしつづけるひとびとのすまうニホンで,
    なぜ書いていくか,どう描いていくか,と考えれば途方に暮れてしまう
    そういう自分を自覺自嘲するよりほかないワケだが
    つねに。

    だが,氣をとりなおして。

    もとより,ことばが通じない,だからなんだ?と
    それがなんだというのだ,
    “意” をだれともわかりあい得ないとしても。
    認めてもらうことが目的ではない,しw

    “意” 持てば,書くということもまた習い性,身の宿痾,
    積習惡癖,そを克服するためには,
    書く,しかない(ほかになにもできない)
    何苦?
    というものだ


    このブログ的にカタリはじめれば
    そもそも。

    朝鮮戰爭をたたかった人民解放軍はその前身を 東北民主聯軍という。

    つまり・・・・舊滿洲の抗日ゲリラの英雄楊靖宇がコミンテルンとともに組織した「滿洲」抗日義勇軍であり,
    朝鮮族をも多數まじえ,光復とともに東北民主聯軍と呼稱を換え國共内戦を闘った義勇軍だった。
    彼らが,(キタの)民草を,ま(巻)き込んで
    「アメリカ」と,(南韓,土,域の)民草をまきこんで,戰爭した
    それが
    「朝鮮戰爭」であるということ・

    では,なぜ,「南北」の「 “土” 域に」 芽生え生きる,という屬性をもつ「草民」たちは
    いったい。

     なぜ,巻き込まれたか?


    彼らが,ディアスポラの民,だった
    からである。


    この彼ら,という,民草,,
    古くより韓半島に,また東北三省,舊滿蒙の大地に,落地生根したと認めうる歴史と “正統”性, “正當” 性と言う “ただしさ” 持つ民族が,

    なぜ,

    ディアスポラ――草の種をま(撒) き散らされた人びと――となってしまっていたのか?

    ほんらい,かの土に “種をま(播)かれ” その,土域大地にはぐくまれてきた民族が
    なぜ・・・。
    彼ら蒼茫草莽の民が, “蒼氓” となり
    はなはだ不本 “意” なことに,故郷を離れ,各地を流亡,させられたか?

    アカのボキャブラリーでいえばw

    端的にこれは

     日帝のせいである

    まずこの歴史,このこと,の “意” そして “志” に根差すが,中朝血の同盟という意の本質であり,

    いま,彼らと対峙するのは,帝國アメリカ,であって。

    彼らを主體としたとき,かれらが “自衞權” の發動する権利のことをかんがえたとき,
    もしくは “自衞(權)” の “意” が發意されるさいには,その相い對する相手,とは

    いわば,お侵寇を恐れるかれらにとっての  “外” 敵,とは,

    アメリカ,,

    であって

     かつて日本帝國と名のったことがある,また,アメリカによって
     アメリカの屬州にされたかのような,土 “域” に暮らす,民の
     アメリカの言うことはホイホイ聞いて,軍事物資を提供することで朝鮮戰爭に加擔
     經濟的 “利” をむさぼることで,戰後經濟をいちぢるしく發展させた

    シマグニ,のこと

    ではない。

    ということだ。


    彼らの “敵” は,
    この間 “利によって” うごき, “理” をおろそかにしてきた,戰後日本の民のことなんかでは
    ないのであるw


    このことの意味をわかっていなければいないほど,りべらるは今度の米朝會談までの過程で起きていることがわからなくなっているんだろう,
    かれは,キムジョンウンは,
    二度も
    トランプに会う前に,習皇帝に逢いに行っている,

    この間のキタ,の軟化は,そもそもが,覇道の勇猛邁進的中國皇帝の制裁,
    今度こそ中國が本腰入れておこなった制裁が非常にきいた
    北朝鮮にとっては,そーとーこたえた
    ということでもある。

    と同時に,ミナミ,の和平への努力,文在寅大統領の理想邁進と
    が綾なして,あざなえる歴史の一コマでもある

    そして今,ゲンジツに世界のハタメーワクなホアンカンは,
    今までのアメリカの大統領とは,一線を畫して異質の
    スットンキョウなポピュリストだということw

    これはワケが分からんことが起きるという
    何が起こってもおかしくなという,すこぶるらんぼーな希望を
    わたしには,うえつけてくれた

    まさに。

    “是福不是禍,是禍躱不過”


    それがもし福ならば,それは禍ではない,
    それがもし禍だというなら,それを躱しやり過ごすことはできない。

    トランプは,話がわかるヤツ,だから,そしてたくみにトランプの虚栄心や内政事情を酌んで見れば,これは好機だ,
    という千載一遇の好機

    そればかりで
    モノゴトが進んだのではなく。
    そのうえ,文在寅の温柔敦厚路線。
    つまりは
    半島民主化運動において流された血の代償の一たる金大中大統領以來の「太陽政策」路線,
    また
    そもそもゲンジツテキに,モノゴトが動きはじめたした端緒は
    習皇帝の無慈悲な國境封鎖と,制裁が,北に打撃を与えたことからはじまったのである。
    だからだ
    そしてしかし。

    (黯膽銷沈せざるを得ない)
    その事の,有因有果,いま。みとめうるのはなにか?

    いろいろある,象徴的なところをひとつあげればw

    帝,堯舜の後任をもってカッテに自認する,習近平
    漢民族ルネッサンスを世界史に樹立,という,壯大にすぎる夢を妄想する習皇帝の
    “意”
    を汲んだ, という,シュタイが有り,
    “理” よりもまずは“利”
    によって動く,という素因, “動” 機 ありて

    さあるがために,
    今月
    中國の富裕層は中朝國境地域の土地を爆買いしている,という結果,
    がある

    俄かに現出した鴨緑江近遍の地價バブル

    これが有因有果。
    わたしが,今の時点でせいぜい,かんがえられる,
    また認めうることのできる  “ジジツ” のすべて

    といっていいかもしれないがw

    だからこそ。

    しかしだからこそわたしは前頁でこのようにかいたのだ
    みずからにいいきかせるべくして。


    アメリカにはなぜか,「ならず者國家」を名指し,決めつける権利があり,
    アメリカによって,すべて國家は「體制を保證」されるべきである,

    という,わけのわからないリクツ,世界に蔓延するりべらるのゴタクの,
    そもそもの,間違いを,
    ただしていく,ということで。
    それは。
    同時に
    東アジアにおいてそれは,かならずしも中國に覇権が移る,というわけではない
    そうではない,イコールプーチンがのさばる,というわけではないという,

    そうではない認識と覺悟をもつ,

    ということだ,
    (バランスをとる,ということですら・・・・ひょっとしたらないのかもしれぬ)
    さらには
    東アジアの地域に住まう共同體の主體たる民が當事者であり,その責を負う,
    という民主主義のあられもない素朴のカタチ
    理想をいえばそれを世界に認めさせなければならない

    それが「半島の非核化」である。




    わたしがおもうには
    日本の半分を占めるといわれるりべらる,というのはしょせん

    アメリカの属州にすぎない “土” 域に,すまう

    ナントナク「ヒコクミンではない」コク民として,

    あとは野となれヤマト民族のお先棒かついでいるだけのヒトビトの,集団。

    ねとうよ,と,よもやいっしょにはされたくない,
    反知性主義のあんちてーぜ,反「反知性主義者」たるべく,知性を働かしているヒトビトのことで,

    ネトウヨと,難兄難弟、兄たりがたく弟たりがたし,な ヒトビト のことだが


    だからこそ



    半島の苦難の日日,光復に至った夏。
    東アジアの八月を,日帝の罪を,けっして忘れてはいない世界は
    もちろんリスク,も不安も感じるだろう,が。
    それでも半島の變化の始まり,
    戰爭状態の終わりの始まりとして

    同じ轍は踏ませまい,という苦い思いのいり混じった決意でもあるであろう,
    けれどもしかし,世界は稱揚し,板門店の春を拍手でむかえている

    以前に比べて世界はHIBAKUSYAをよく識り,
    核廢絶のためのアクションの當事者としての覺悟をもって喝采した

    そう,キーとなるのは
    核廢絶,保天下和平,匹夫有責,
    だ。
    當事者であるという,單純なポピュラリティ。だ。

    “歴史は奈落へ棄ておいた方がいい”
    詩人の,このような, 重い“呪詛のことば” の “力” をひつようとしなくなる,
    用を為さなくなるような――もちろんこの言葉の “意” は原子核のようにうしなわれることはけっしてないが




    このように書いたのだった,
    この一か月の間,
    いろいろ書きたいことが汚泥のように。
    滯って溜まってしまった・・・・・

    わたしはナクバの日に,リベラル呪詛のゴタクを書いて投稿あげようとしていたが

    いろいろ想い始めたらいろいろおもいだしてしまって
    むしょーにハラがたってハラがたって
    結局書いたものアップするキを喪ってしまい,

    じっさい りべらるへの悪口雑言を書きつづけるというのもなかなかホントに
    キがめいる作為なのダ(たのしいことはほかにいっぱいある)

    結局,アップする,機,も,失ってしまった

    今更,5・14。ナクバの日に。

     いすらえる,によって引き起され惹起されたた悲劇を書いて,

    いや,
    いまさら 
    9・18,かれらの國恥記念日に起きた,

     りべらぇるっ,によってヒキ起こされた喜劇のことを書いたとて,

    このような “ヒ,キ,ゲキ” にw,

      おもうところを述べたとて。
      それに,何の意味があるのだ?
      それがなんになる?
      
      そのように嗤うわたしのこころのなかの
      コエなきコエもきこえるがw

    しかし
    イミは無くても,意はあるのデアル

    とりもなおさず,わたしの “意” だが。
    わたしの “意” にすぎないが
    やはりそこから始めなければいけない,と


    ついでに。

    今日起こったことにかんしていうならばw

    米国の今はリーダー未来のターミネーター・トランプに,
    米朝のネゴシェイター,半島草民のリーダーとしての文在寅が,
    もちかけていたこと。

    そもそもが
    “けっこう盛ってたんじゃね?”

    という,疑いを,あたりまえに持ちながら(もちろん持つことは必要だ,理性というのはそういうものだ)
    しかしなおそれと同時に

    その “盛り” は,

    民族融和と半島のヘイワ,を志向する明るい,心,と,意,もて
    なされてしまった “盛り” であったということを。
    あくまで,ありあまりあふれる心情のあかるさ,光復を希求想する想い,
    その情 “意” のために
    うっかりやりすぎちゃった,ということを
    まずは

    ソボクに信じることが,できるかどうか?

    という,ことだ

    韓國の民の精神とまた, “國” の民度,を試練にかけるジタイ
    トッパツしたジタイ,世情を騒がすトッパツ事態だが
    半島平和民族融和への切なる希求の深さを,測るメジャーとなる,ともいえる
    またそれを世界に示すためのいい機會となる,ともいえる

    わたしはあくまで,半島のことに關しては。
    樂觀的でノー天気。ナノダ
    彼らを信じようとしている,いや,信じたい
    東アジアのディアスポラはいまこそ世界にその叡智をみせるべき
    だ。
    それは。
    それがアメリカの凋落,であったとしても
    同時に西洋の日没を,即是,意味するわけではない。

    それは。
    トランプの人格のせいか?正恩の性格のせいか?
    などという “オトギバナシ” に惑うことなく
    どっちがどうびびったか?などと言う雑音を排して

    韓國の民が,しっかり耳を澄ましていられるか?
    ということで(日本のコクミンのことなどもちろんどうでもいいんだが)

    文在寅という人物,もしくは金大中,盧武鉉というリーダーの系譜,精神,
    その論理,
    その真價が問われること,でもあるし

    片輪の祖國に鐡壁を張る  

    という歴史こそ

    歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。

    という歴史をこそ
    顯顯と明らかならしめ
    そして,その歴史を,いかに “揚棄” できるかどうか?

    ということ
    だ。
    これはアカのリクツなんだから。あるいみしょーがない。

    あうふへーべんだ

    顯顯揚揚,宜民宜人,受碌於天地

    つづく (ワリとすぐ)

    Manchuria.png




    “板門店の春” ,と,謳われようためには

    わたしはきのうまで

     眼を覆う死にも   
     光だけは透けていたのか韓國の夏よ。 
     惡魔の申し子の
     色めがねの息子よ。

     奈落へ堕ちていつた自由なら 
     深みは深みのまま 
     惡寒をつのらせているがいい。
     選んだ方途が維新のための暴壓であるなら 
     歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。
     片輪の祖國に鐡壁を張る  
     至上の國權が安保であるなら 
     萎える國土の砲塔の上で
     將星は永劫輝いているがいい。


    このように金時鐘に,うたわせた主體はいったいなにか,
    このことをずっと
    憤りをもて考えていた

    わたしは今日一日
    なぜだろうか,ひどくノスタルジックな思いにとらわれていて。

    ベルリンの壁崩壊,もちろん天安門事件,
    80年代後半から90年代にかけて
    世界の状況,そのなまなましい匂いのような,すこしく騒騒しい聲色を
    追憶していた
    學生時代に興つたことだ,
    わたしは,とっくに卒業していなければならないはずの,しかし留年を繰り返していた大學生であった,
    院を目指すを口實にしてテキトーに勉強し,
    視野をひろげるといっては,好きなことにばかりいっしょうけんめいの
    あまり出來のよくない學生だった,
    そういう時間を過ごすことが許される環境にあり,また
    30代までならいくらでもつぶしがきく,というコンキョのない自信を持つことができるような時代情況,たまたまわたしの接する世間がそんなおおらかさ,を
    もっていただけかもしれないが
    そんななまぬるさの中で生きてる,そのことに
    特別な罪惡感など持つようなことも,自嘲してみせたりする必要もなく
    特別な意識も動機もなく,時代のめまぐるしさに個人の感受性を刺激されていた
    つづいておこったビロード革命,チャウシェスクの銃殺・・・・,

    同時に,西ヨーロッパへの憧憬や情熱が徐徐にしぼみはじめていったとき
    でもあった
    仏文科でありながらフランス文化とそのエスプリ “自由” に戀い焦がれるキモチは日ごとに薄れていって,
    ただ,人文,
    ヒト,文,世界,
    あるいは,
    民族,大地,
    というものが,なぜだかわからないが,
    ある,という,素樸でラディカルな事實に,
    きづきその單純さ,ミもフタもないなさを自覺し始めた時だった
    時代,社會をみつめはじめたといっていいかもしれない

    無端に。はしなく,

    “自由”というものの無崖,根源,その無窮さを。

    “社會” を相對化してみていくことの實質,自分なりにその手ごたえを
    すこしずつ感じはじめた時であった,わたしは若くてあたまは幼く稚拙で,
    世界は激しく動いていたし,示唆と刺激に滿ちていたし。

    そんなことを時系列も意識せずとりとめなく,思いつくまま連想していた

    金正恩のヴィジュアル,彼の相貌,与えられたインパクトの殘像も薄れかけた夕,
    ふと
    氣がづけば,ハヴェル大統領のことを考えていた
    昨日まですっかりわすれていた,ビロード革命とあの,文人のことを。

    あの革命,ハヴェルの,そこから數えてちょうど20年後だ,
    必然的に2009年,チェコ,プラハの四月をおもいだす
    オバマは,その時かの有名な演説でこのように言った,のだった

     誤解しないでください。私たちはその道がどこに進むかを知っています。
     もし,國と國民が相違によって定義されることを許してしまえば,
     その裂け目は廣くなるばかりです。
     平和は,求めなければ,永遠に私たちの手に届かないことになります。
     希望よりも恐怖を選んだときの道を私たちは知っています。
     協力の呼びかけを非難したり一笑に付したりすることは簡單ですが,
     臆病なことでもあります。
     戰爭とはそのように始まり,人間の進歩はその時に終わります。

     To denounce or shrug off a call for cooperation is an easy but also
     a cowardly thing to do.


    オバマはあの時こう説いたのだった,
    しかし

    わたしたちの眼を覆いつづけてきた作為・・・・

    北朝鮮にも自衞權がないわけではない。
    あたりまえにある,
    イランにも。リビアにも。キューバにも。中國にも。
    と,いう前提には,けっして,思いいたさせないようにw

    米國に國防をまかせるしかないと。
    おもいつめる日本,と, 韓國

    日本はモチロンのこと。
    どんな地域の “われわれ” も米國の属州ではないゾ

    というごくあたりまえのことに考えが至ることないように
    われわれをしてそのように仕向けつづけていたのは,いったいだれか?

    東西冷戰と名づけられた對立の時代はとっくにおわりをつげ,
    世界にあった亀裂,その深淵はすでに埋めたてられたかのような様相を呈していた
    世界,しかし。

    ――その,時代に生じた罅隙,新しい亀裂は, 次の時代に廣がり深まりつづけていった,
    ――より深き淵――
    もちろんその發端は,砂漠に引かれた強引な國境線と,ベルサイユ體制の欺瞞,
    そして大戰後イスラエルの建國
    中央アジアの歸趨,歸屬もまた
    民族自決の動きから積み遺されて棚上げされてきたありとあらゆる問題が
    根深く新しくもある,さらなる,混迷と擾亂の時代にずれ込んだだけだった。
    “文明の衝突” という相對立軸の,手の付けられない,テロルの時代,
    “殺戮” が流動していく時代に翻弄される世界
    アメリカの意志は,混亂の素因,而して結果,制裁の,有因有果自作自演であることに,
    ついに異を唱えることができなかった西側世界。

    それでも,しかし,オバマ大統領の登場によってその混沌も
    終わりをつげていく,その,はじまりであるかのような錯覺を
    わたしは感じ始め,世界も體感し始めていた (ようにも,少なくともわたしにはそうおもわれた)そんな時候。

    日本ではw
    あのころだ,
    「最低でも県外」,という言葉が喧傳されたころだ

    ニューヨークのアンダーグラウンド文化の領導ルー・リードを,リスペクトするチェコの賢者,智慧ある一風變わった文人,東歐の,
    精神的リーダー市民ハヴェル
    東側のかつての大統領,は

    シカゴのサウスサイド貧民街出身のミシェルという名の才女,を伴侶とし
    ボーと名づけられた犬を飼う――これはもちろんボ・ディドリーのボ,だ――
    ケニアとジャワインドネシアとハワイにルーツを持つ,チョコレート色の肌をした,
    アメリカの大統領,に。
    いや。西側世界の大統領に
    あの時,

    ヴァーツラフ・ハヴェルは,あの時,
    バラク・オバマ,に,
    こんなことをいっている,
    文言は忘れたが
    「國民に夢を持たせすぎると,うまくいかなかったとき,サイアクのヤツになっちゃうぞ」
    オバマは
    「もうとっくになっているよ」
    と應じたそうだ

    このエピソードをおもいだしていた。

    というよりこのエピソードを思い出したくて,たぶん,わたしは
    頭の中に走馬燈をムリヤリ捻出していたのだろうけど。

    ハヴェルは,冗談めかしながら,このとき,
    「覺悟はあるのか」,
    と。
    オバマに,問うたのだろうと想う,

    もちろん,
    揶揄,でも,悲觀,でもなく,
    ハヴェルは励まし,の言葉を,つたえたのだろう,
    とも,わたしは 考 え 得 る
    そして。では
    いま,われわれは,いや世界は,はたして。

    果たして,文在寅大統領に,こんなことをつたえうる人間を,
    もっているだろうか
    たやすく,頭に想起できるだろうか,と

    しばしかんがえていた

    そして今トランプがアメリカの大統領であることのイミ,もしくは,イミフメイをw
    わたしは心の底から喜ばしいことだと思ったが

    もちろん今,地球のあらゆる問題の根っこ,

     ――北朝鮮にもイランにも自衞權はある,――
     自國の安全のためへの,まずはあたりまえの配慮
     ――地域地域にあるべき,地域國家「主體」の,
     近代國家が有する “自衞權”,
     ――その國家がもし 「“民” 主主義」國ならば當然民が,シュタイ
     となって構築する, “自衛” もしくは “抵抗” の權利と,その,構築
     という,そういうあたりまえの國家の主權のありかたを狂わせつづけて,

    根っこには
    つねに歪んだ強壓的な力を持つ,地球を攪亂する強力の磁場たる一
    偏った一,
    アメリカ合衆國のリーダーがいて。
    クリントンファミリー,や,ブッシュファミリーではない,
    歴代の政治家,一族,一風,の血筋を外れたようなw
    スットンキョウな,予測不能の腦回路を持ち,唯物史觀的かつポピュリストの
    大統領だ,という現實に,・・・・・。

    リスクはあれどもだ,よろこぶべきことである,とあいかわらず,わたしはおもう

    神,とは,わたしは書かないが,
    法王廰のおぼしめしていどに世界は祝福されている

    地球のターミネーターは,さかだちすれば核のターミネーターになりうる
    ということもおもう

    半島の非核化。とは,
    その本質とは
    “このこと” であるはず。

    アメリカが,いかに他國の自衞權をwみとめるか,という,そのことだ,
    そして,核保有というのは決して「自衞」ではなく
    「地球の破滅」にすすむみちすじである,という,あったりまえのことを
    あたりまえ,としなくてはならない,ということではないだろうか??

    アメリカにはなぜか,「ならず者國家」を名指し,決めつける権利があり,
    アメリカによって,すべて國家は「體制を保證」されるべきである,

    という,わけのわからないリクツ,世界に蔓延するりべらるのゴタクの,
    そもそもの,間違いを,
    ただしていく,ということで。
    それは。
    同時に
    東アジアにおいてそれは,かならずしも中國に覇権が移る,というわけではない
    そうではない,イコールプーチンがのさばる,というわけではないという,
    認識と覺悟をもつ,
    ということだ,
    (バランスをとる,ということですら・・・・ひょっとしたらないのかもしれぬ)
    さらには
    東アジアの地域に住まう共同體の主體たる民が當事者であり,その責を負う,
    という民主主義のあられもない素朴のカタチ
    理想をいえばそれを世界に認めさせなければならない

    それが「半島の非核化」である。

    ということだ

    形而上のことだが。
    不可逆的,物理的に檢證可能な,などという, “形” 式も,そもそも根底ににこうした論理が無ければ意味がない

    人間という “精神” “論理” が,この地球に在る限り。ゐる,限り,
    だ。
    たとえ,いまフィジカルに核をのぞく,檢證する,査察する,とて。
    科學者のアタマの中から核の可能性を完全に外に掃き出すことなど,w
    これは無理である
    いつでもまた,手を付ける,世界中のどこでも。
    そういうことを考えれば,
    物理的な,形而下のことが,何より大事だ,と,そう言い張ることの無意,
    “理” のないなさもわかろうというものだ,
    マッドサイエンティストにも内心の自由はある
    ということ。

    “理想” を言うやつはお花畑の住民,ゲンジツを見ろ,日本の周りは敵ばかり
    とばかり連呼するやつは
    逆の動機が,そもそもあるのだ,

    わたしはそっちを疑いたくなる,
    わたしにいわせればこれも理性のなせるわざ,だ。
    形式,形を檢證可能にしても,形而上を何とかしなければ永久に非核化などできぬ
    これもゲンジツをみているから,というものではないか?w
    核武装しなくちゃと考える “動機” ,因をそもそも,斷たなくてはなんにもならない

    ・・・・・。


    金大中も,盧武鉉さえも,もはやいない。
    ということに,いまさらながらガクゼンとする。
    (考えナシの安倍がいる,カン違いの河野太郎がいるということにメマイもするが)

    文在寅大統領を孤立させてはいけない,

    文在寅(あるいは金正恩は)アメリカという國家の不實とダブルスタンダード,
    北朝鮮という國家の歴史,體制,イデオロギー,その詐術と狡猾に
    そして北朝鮮と中國の罪,韓國と米國の罪
    過去と惡意に
    翻弄されていくであろう,彼らの前途を,支えていくのは,

    かれ,を,叱咤激勵するのは,
    とにもかくにも終戰と和平に道筋をつけていく方途をはっきりと目途にするために
    今回の激動を歡迎した,まずは,南韓の民。
    だ。
    とりわけわかい芽。草萌たち。だ
    そして半島の “民” すべて “死者” のすべて
    ・・・・・

    ひるがえって
    日本のわたしたちの世代は彼らに,何をつたえうるのだろうか。

    なにもない。

    暗澹となるばかりである,

    日本の若者にさえ,何をつたえ得るのか。
    という喪失感,
    今までの非力というより,無作為,に
    わたしは愧じるしかないし

    この期に及んで “色眼鏡” で見るニホンジン

    まずは期待しすぎない冷静な立位置にあるべきだ,とゆうばかりの
    嫌ポピュリスムのすかした有識者

    トランプというリスク,などというおとぎ話で思考停止できる
    當事者意識のないなさに加え過去の反省を別次元の話と考えるりべらる

    被害妄想にくわえ過去の歴史をナカッタコトにして
    草民のナイーブを嗤い,また騙されるとしかいわない,脅威をあおるネトウヨ,
    その難兄難弟ぶりは,
    わたしは嫌惡するしかないし。

    そう,
    まさに。


     眼を覆う死にも   
     光だけは透けていたのか。 
     惡魔の申し子の
     色めがねの息子よ。


    だ。

    半島の和平,民族融和,彼らの彼ら自身の手で,構築する
    イスラム社會では邪魔されつづけてできない
    当事者による,
    その土域に,囗域における蒼生する民の手でこそ

    "國" は變易する

    それが東アジアにおいてあっさり成し遂げられたなら

    ファーイーストにおいて成就するなら
    ミドルイーストオリエント世界に勇氣を與えることにもなろう,

    こんなにすばらしいことはない。

    そう,詩人の哀號
    このような,呪詛のことばの力が用を為さなくなるのであるならば!

     奈落へ堕ちていつた自由なら 
     深みは深みのまま 
     惡寒をつのらせているがいい。
     選んだ方途が維新のための暴壓であるなら 
     歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。
     片輪の祖國に鐡壁を張る  
     至上の國權が安保であるなら 
     萎える國土の砲塔の上で
     將星は永劫輝いているがいい。
     それでこそふさわしいのだ。
     浮かばれぬ死は  
     ただようてこそおびえとなる。



    それでこそふさわしいのだ。
    わたしたちは,おおきなおおきな
    世界の動き,とりわけ東アジアの大きな歴史の轉換點にとりのこされていく,
    おおきく,あきれるほどむなしく,
    ばかばかしいほどおおきく敬遠される部外者だ。

    當事者意識の欠如,明るい展望へのことばのすくなさ,みいだしがたさ

    そして,どうしてだか,
    きょうわたしは

    万人坑

    おおきな,ふかい,深い淵,に蹴り落とされるような,そんな氣分になっている
    われわれの三代前が無數に 大地を損ねて鑿った “阬
    われわれが, “あなうめ” してきた加害,
    糊塗してきた罪,
    しかし,

    歴史を “葬る” ことはできない

     記憶される記憶がある限り  
     ああ記憶される記憶がある限り
     くつがえしようのない反證は深い記憶のなかのもの。
     閉じる眼のない死者の死だ。
     葬るな人よ, 冥福を祈るな。



    いまは。
    昼間に感じていた柔らかな光,明るい空色のキブンは吹っ飛んでしまっている

    うけた傷,痛恨の念は,痛定思痛とは。
    除外され疎外され阻害されていやおうなしに増幅する
    どちらの立場にあっても,どちらの感情をもつにしてもだ,

    賽の河原に立ちすくむよう
    石の礫をにぎりしめながら。

    國境の土饅頭と草生す丘のすぐかたわらにいまもぽっかりと黯い口をあけている
    坑を覗き込む。
    しかし,にぎりしめた石は砂礫となり沙となり水となり。

    無力の沙は水となってながれていってしまうよう。
    指先から掬っても掬いきれない

    われわれの罪深さに頭を垂れるしかない,
    いや 
    こうべをたれようと,地べたに叩頭しようともはや遲い
    そこ自覺するしかない,という
    耐えがたいほどの存在の輕さ,だ

    オバマはあのときつづけた,

     それはビロード革命の喜びです。
     それは,核武装した帝國を一發の銃聲もなく打倒したチェコの人々です。
     人類の運命は,私たちが作るものです。


    忘れているかもしれないがw

     ここプラハで,よりよき未來を求めることで,過去に敬意を表しましょう
     分裂に橋を渡し,希望を踏まえ,責任をもってこの世界をより繁榮した,
     平和的なものにしましょう。私たちは一緒にできるはずです。


    かつてオバマがこういえばニホンジンは喝采した
    わたしも大いに動かされ,感動したが。

    が。

    失望は大きかった。

    半島の苦難の日日,光復に至った夏。
    東アジアの八月を,日帝の罪を,けっして忘れてはいない世界は
    もちろんリスク,も不安も感じるだろう,が。
    それでも半島の變化の始まり,
    戰爭状態の終わりの始まりとして

    同じ轍は踏ませまい,という苦い思いのいり混じった決意でもあるであろう,
    けれどもしかし,世界は稱揚し,板門店の春を拍手でむかえている

    以前に比べて世界はHIBAKUSYAをよく識り,
    核廢絶のためのアクションの當事者としての覺悟をもって喝采した

    そう,キーとなるのは
    核廢絶,保天下和平,匹夫有責,
    だ。
    當事者であるという,單純なポピュラリティ。だ。


    歴史は奈落へ棄ておいた方がいい。
    詩人の,このような, 重い“呪詛のことば” の “力” をひつようとしなくなる,
    用を為さなくなるような――もちろんこの言葉の “意” は原子核のようにうしなわれることはけっしてないが


    ここ板門店で,よりよき未來を求めることで,過去に敬意を表しましょう。


    このような, “ことば” が,

    世界につたえられた意味こそを。
    もう少し考える
    ともあれ,

    まずは南韓の大地の草萌に。

    “好看!좋은!”
                        20180427 23:29 


                          つづく

    “和平,重新開始”,同 International,人類方重興。

    二〇〇七年十月,金大中對剛從平壤會談歸來的盧武鉉説:

    「第一次韓朝首腦會晤時播下的種子生根發芽了
     希望今後還能結出累累碩果。」

    第一次朝韓首腦會談播下和解的種子;
    第二次首腦會談讓合作生根發芽;
    第三次首腦會談即將舉行之際,半島期待孕育出和平的碩果。



    日本のメディアはなぜこの様なことをかかないのか
    半島の和平模索に,東アジアの平和構築への努力に背きつづける
    HIBAKUSYAの草民が生きる大地にあって
    世界中で核廢絶に,もっとも後ろ向きな
    國家日本だ,


           m(__)m 無断転載アサヒさんすいません


    金正恩27日將跨越軍事分界線,
    進入板門店非軍事區共同警備區韓方一側的
    “和平之家”同文在寅舉行會談。
    這將是朝鮮最高領導人歷史上首次踏上韓國土地。

    在半島局勢面臨重大轉機背景下舉行的這場朝韓首腦會談,
    舉世關注。

    舉行會談的場所板門店所蘊含的特殊歷史定義, 
    更讓人們對半島能否從對抗走向和平,充滿期待。

    1953年7月27日,朝鮮戰爭停戰協定在板門店簽署。
    朝鮮、中國和“聯合國軍”停戰,僅意味著臨時休戰,
    而不是戰爭終結。

    半個多世紀以來,朝鮮半島仍舊是冷戰的 “活化石”,
    軍事分界線兩側劍拔弩張,戰雲密布。

    韓國總統府青瓦台將此次南北會談的標語定為“和平,重新開始”

    文在寅19日表示,朝鮮半島應結束停戰機制,發表終戰宣言,
    向簽署和平協定邁進。
    青瓦台日前表示,簽訂和平協定僅有韓朝協議還不夠,如有必要,
    將努力達成韓朝美三方協議,或韓朝美中四方協議。

    曾是朝鮮戰爭和半島分裂象徵的板門店,
    這一次,承載著開闢半島和平大幕的使命。
                             《環球網》



    從戰爭走向和平,不是不好!

     


    ただただ悲しい。
    金時鐘に,
    痛切の言
    『融和の動き,そしらないで』

    このように言わせてしまうニホンジンのみすぼらしさ



    美しい蒼い太白山脈。
    希望に満ちた空色の半島。
    民,蒼氓,
    蒼蒼茫茫草草莽莽的民

    晴れやかな文在寅大統領,はにかむような金正恩委員長
    山河を蹂躪しつづけた帝國日本
    いまだ。
    心を踏み躙る

    かれらの國家和解,民族融和,半島統一への真摯で素直な氣持ちを,
    まずは疑うことをせず。
    温かいまなざしもてく靜かにみまもることさえできないニホンジン


    かの大地の苦難におもいたして。
    虚心でみてみよう
    ということさえおもいいたらないか?

     |      m(__)m アサヒから 無断転載wすいません


    依舊山河景不殊, 痛定正堪思痛日!
    民族受苦,河山待復,我們會牢牢記住。


    20180427 13:04

    金時鐘 『失くした季節―金時鐘四時詩集』 

    北冥有魚,其名為鯤。鯤之大,不知其幾千里也
    化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也

    正是逍遥處  。
    自在宥,所以我有自由。

    金時鐘四時詩集 『失くした季節』
    夏からはじまる詩集。
    冒頭


       村


     自然は安らぐ
     といつた君の言葉は改めなくてはならない。
     しずけさに埋もれたことのある人なら
     いかに重いものが自然であるかを知つている。

     ナイルの照り返しに干からびながらも
     なお黙りこくっているスフィンクスのように
     それは誰にも押しのけようがない
     深い憂愁となつてのしかかつている。
     取り付いた静寂には自然とても虜なのだ。


     自然は美しい,
     という
     行きずりの旅ごころは押しのけねばならない。
     居着こうにも居着けなかった人と
     そこでしかつなぎようがない命との間で
     自然はつねに豊かで無口だ。
     喧騒に明け暮れた人になら
     知っているのだ静寂の境がいかに遠いかを。

     
     一直線になぜ蜥蜴が塀をよじり
     蝉がなぜ千年の耳鳴りをひびかせているかも。
     出拂つた村で
     いよいよ靜寂は闇より深いのだ。


            金時鐘 『失くした季節―金時鐘四時詩集』 





    そして終章, “春” の
    最後の詩から一つ前


     
      四月よ,遠い日よ
    。    


     ぼくの春はいつも赤く花はその中で染まつて咲く。
     蝶のこない雌蕊(めしべ)に熊ン蜂が飛び
     羽音をたてて四月が紅疫(こうえき)のように萌えている。
     木の果てるのを待ちかねているのか 
     鴉が一羽 
     ふた股の枝先で身じろぎもしない。


     そこでそのまま
     木の瘤にでもなつたのだろう。
     世紀はとうに移つたというのに
     目をつぶらねば見えてもこない鳥が
     記憶を今もつてついばんで生きている。


     永久に別の名に成り變つた君と
     山手の追分を左右に吹かれていつてから
     四月は夜明けの烽火となって噴き上がつた。
     踏みしだいたつつじの向こうで村が燃え風にあおられて
     軍警トラックの土煙りが舞つていた。
     綾なす緑の栴檀の根方で
     後ろ手の君が顔をひしゃげてくずおれていた日も
     土埃は白つぽく杏の花あいで立つていた。
     

     うつすら朝焼けに靄がたなびき
     春はただ待つこともなく花を咲かせて
     それでもそこに居つづけた人と木と,一羽の鳥。
     注ぐ日差しにも聲をたてず
     降りそぼる雨にしずくりながら
     ひたすら待つことだけをそこにとどめた
     木と命と葉あいの風と。


     かすれていくのだ。
     昔の愛が血をしたたらせた
     あの辻,あの角,あのくぼみ。
     そこにいたはずのぼくはあり余るほど年を食(は)んで
     れんぎょうも杏も同じく咲き亂れる日本で,
     偏つて生きて,
     うららに日は照つて,
     四月はまたも視界を染めてめぐつてゆく。



     木よ,自身で搖れている音を聞き入つている木よ,
     かくも春はこともなく 
     悔悟を散らして甦つてくるのだ。





    *舊體字はわたしがかつてに,取り替えた。ご批判あればあっさり改めます




    あまりにも有名な詩,
    といっていいのかもしれない
    もちろん日本語の現代詩に興味をもつものにとっては,
    だが。
    とりわけ,
    日本の抒情詩を愛しきれないものにとっては,といいかえる
    これらは
    まさしく
    “金字” 塔。

    だw



    さいごに
    わたしが好きな
    金時鐘の詩群のなかでも,(もちろんすべてをよんでいるわけではない)
    もっとも衝撃を受け,かつ
    もっとも “好む” 一節を

     
        白亜紀の最後を 
        そんなりおし包んでいる 
        氷山はないか

    とうたわれはじめる 《わが性わが命》
    その結び


     
        油にもならねえ!
        大音響とともに
        氷山が搖れ動く

        數百億の
        プランクトンの
        景觀のまっただ中に
        歸る。
        極地で
        熱い血を通よわせた
        生の使者が
        今
        蝟集する


            「わが性わが命」 金時鐘第三詩集 『日本風土記Ⅱ』



    油?

    ただしくは・・・・脂,膏であるかもしれないが。

    虐殺者を
    個として在る,或る,虐殺者の慘酷,以上に,その淺薄と,
    すべての虐殺者が,その殺戮の,刹那において
    おのれのうちに,情動として感じるだろう, 
    おびえ,を,

    潜在的根源的な だれもが“畏怖” するもの,にたいする自嘲をもふくめた
    ヒトの “情” ,というものを

    たった一言で言い表す,(そのいみでこれは抒情でやあらん)w
    この,
    “發せられた” ところの,心情,が
    心の,一拍,が
    凝縮され,殺戮の “刹那” ,
    と連動してゐる, “勃” 然とある

    油にもならねえ!

    という一句,その表現力も
    さることながら。

    人類にあって固有,かもしれない,――他の生物は,ジェノサイドをもたぬ
    集團の, “動機の無いなさ” ,と

    一個一人的人としての生の姿を
    對比させ,
    なお
    “集團” を,より大きなもののなかで相對化させて見せ,

    なお,
    個體と集團をのりこえて
    なお
    動機のないなさ,によってよりきわだつ

      “性” “命” の,海(・・・・のようなもの),

    が,
    しっかりと刻記されてある,
    という。
    さらにいうなら
    そこに “論理” 性
    をみることができるからでもある

    加えて言わずもがなだが
    そこに,わたしは
    鵬の飛翔の,「論理」の性 をみるから。
    だ,ゆえに好む,し
    この詩は,力強い。
    と考える

    嗜虐の, 群衆の,狂氣による囲繞に,對峙させた “蝟集” 。

    この “蝟集” を現出させる詩,のなかにも,詩人という “一” を
    力強くかんじさせる,存在を意識させる
    生氣(Shēngqì)が 生機勃勃 (Shēngjī bóbó) としてある,
    だから。
    この詩は,力強いと。

    そそりたつであろうはずの氷山とはなにか
    という
    未だわからないその,真髄をかんがえつづけてもいるが

    詩力がある,
    と。
    詩の力が,確かにある,壓倒的なまでにある。


    自在自宥 Zìzài zì yòu







    |    長白山(白頭山)天池  
     

    玄


        管理人: 少玄 (女子)


      
     楞伽案前, 楚辭肘後
     

      ― 本人不是佛教徒,
       當然是一個的詩囚 ―



    ヒコクミン雜感
    自由國際 L'Internationale
    偈頌 Ghaatha(La religion)


      
     
    屈翁山 屈大均カテゴリー
     納蘭性德(容若)『飮水詞』

      

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    * East Asia War &  Prolet’Kult contents
     日中戰爭とその記憶

    南京虐殺日中間の戰爭,その記憶 ①~⑥にすすむ

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     1931 錦州爆撃・張學良
     1933 熱河作戰・張學良
     1931 九・一八柳条湖
     1937 毒ガス使用作戰
     1937 淞滬會戰八・一三
     1940 棗陽戰(棗宜會戰)
     1940 宜昌作戰
     1931 抗日義勇軍・楊靖宇
     1943 常徳よ號作戰
     1935-東亞新秩序の前景氣
     1936 塘沽協定と熱河作戦
     1937 天津の支那駐屯軍
     1937 7・7盧溝橋事變勃發
     1938 漢口の國民政府
     1938 中國の抗日論調
     1938 國民政府 武漢防衛
     -1938 南京屠殺アトローシティ
       1 2 3 4  5 5 6

     1906 アナキスト的國粹主義者
     1907 東京 亞洲和親會
     1925 上海游記 芥川龍之介
     1949 『中國のレジスタンス』

     
    黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 1931
      『國境』 1931
      『』 1927
      『』 1928
      『武装せる市街』 1930
      『パルチザン・ウォルコフ』 1928
     竹内好  1910-1977
     ・
    日中國文學者からの告發
     ・帝國民間人のアヘン賣買
     ・中國の抗戰意識
     ・la résistance 同歸于盡
     ・ファシズムとパン
     ・經濟収奪の前段階

     芥川龍之介 1892-1927
     中野重治 1902-1970
     槇村浩 1912-1938
     小熊秀雄 1901-1940
     反戦詩人詩篇TitleMenu

     的 拉雜語
      ◉ ヒコクミン雜感
      ◉ 自由國際
      ◉ 偈頌 宗教
      ◉ 自作詩詞&ワタクシゴト


        


       日本人反戰同盟
       (1938-1945 中國)

       
       鹿地亘 1903-1982
       『自傳的文學史』(1959)
     第8章(前)・檢擧 拷問
     第8章(後)多喜二獄中志・死
     第10章・検察 釈放 脱出

       『中國の十年』(1946)
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      1 出獄から
      2 昭和十一年舊正月
      3 夏衍 蕭軍 左翼作家聯盟
      4 民族魂 魯迅との邂逅
      5 阿Q 魯迅の死
      6 七・七事變の勃發
      7 反侵略友誼的激勵
      8 上海 ルイ・アレー氏
      9  ホンコンへ脱出
     10 入境の日本人解放鬪爭
     11 武漢時代 國共合作
     12 武漢時代 朝鮮義勇隊
     13 武漢時代 日本人捕虜
     14 大移動 南嶽會議前後
     15 呉石將軍と廖濟寰氏
     16 桂林時代 蔣介石
     17 桂林時代 崑崙關
     18 重慶 反戦同盟總部
     19 湖北 陳誠將軍 恩施にて
     20 湖北 宜昌の前線
     21 ―新四軍事件
     22 郭沫若のこと
     23 重慶 ― 南進か北進か
     24 反戰同盟發展 
     25 重慶 破壊者 潜入
     26  天皇制の問題
     27 祖國 最終章


    * list of poetry    Anti-Japanese wars
      抗日戰舊體詩

      本ブログの骨幹です。
     一九三〇年代,抗日戰爭期,
     中國文人が詠んだ帝國日本の
     侵寇,掠略加害のありさま
     祖國の救亡のため抵抗し命を
     落としていった無數の草民,
     中華の大地,山河を忉怛し
     惜慯した哭詩,吊詞,哀歌
     口號,頌歌。
      抵抗者の忼慨をうけ連綿と
     傳えられてきた歌以言志。
     新・舊體詩,填詞,白話詩。
      歴史書の記述とは又,異なる
     日中の戰爭の實相が,曝され
     吐露されています
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      は特に御薦めする

      

      詩人詩篇題 INDEX

     田翠竹 1913-1994 湖南 湘潭
     《洞庭碧血》其四其二
     《血観音歌1943年作
     《重九》《甲辰雜詩
     《抗戰百詠・十首
     《還湘又將別家去桂書懷
     《避難吟荒江雪意
     《中秋后還家再去耒陽
     胡繩 1918-2000 江蘇蘇州
     《南京夜聞流亡東北學生
     《松花江上
     寇夢碧 1917-1990 天津
     《淪陷紀事詩
     黄假我 1916-1985 湖南寧郷
     《青年謠壬午五四青年節
     《柬呈柳亞子先生
     《暮春雜詠
     《過塘沽
     《瀋陽中秋對月
     《宿錦州
     《錦州廣濟寺前
     金紫衡 1914-? 河間瀛州
     《四周年瀋陽驚變九一八
     《沈監秋夜
     《瀋陽除夕寄徐
     《延邊辭歳1943年除夕
     《蘇武牧羊圖
     《山居雜詠
     《北平易幟
     《南京陥落
     《吊江南
      
     錢鍾書 1910-1998 江蘇無錫
     《故國》  《哀望
     《得龍忍寒金陵書
     張滌華 1909-1992 安徽鳳臺
     《南京大屠殺感賦
     盧前 1905-1951 江蘇南京
     《招西北之魂
     《百靈廟,更招東北之魂
     王季思 1906—1996 浙江永嘉
     《懐人五絶
     羅元貞 1906—1993 廣東興寧
     《路過上海有感
     《黄浦灘倚欄夜作
     《清明哭母二首》 《病裏
     《初到并州懷劉越石
     《中秋漫筆二首》
     《故都秋夕
     《送行
     《夜過景山
     張采庵 1904-1991 廣東番禺
     《勝利在望書此志喜
     《鬼意
     《亂離
     《秋夜》  《感憤
     《寇陷長春李君如玉僅
     身免南下相逢握手一慟

     聶紺弩 1903-1986 湖北京山
     《題 “藥” 兼吊秋瑾
     胡士瑩 1901-1979 浙江嘉興
     《過秋瑾墓感賦二首
     王禮錫 1901-1939 江西安福
     《再會,英國的朋友們
     何永沂 ?-? 廣東
     《報載日本首相參拜靖國
     神社憶南京大屠殺事感

      

     舒慶春 老舎 1899-1966 北京
     《七七紀念
     《沫若先生邀飲賴家橋
     《述懷
     《賀冰心先生移寓歌樂山》
     《哭王禮錫先生二首
     常燕生 1898-1946 山東
     《遊春八首選二》其一
     馮振 1897-1983 廣西北流
     《暮春
     《傷楠兒
     《野望
     《登蒼梧北山
     《草食人
     《病後
     《登銅石嶺最高頂
     林庚白 1896-1941 福建閩侯
     《次和炎南兄七七見寄韻
     《續丁丑雜詩六之一
     《水調歌頭,聞近事有感
     《丁丑雜詩三首
     《渡江至武昌
     《江岸散歩
     《月夜小步
     《七月十二夜坐月
     《浣溪沙
     《首都飯店聞警同北麗
     《病起聞警
     《江防
     《聞道二之一
     《難民來
     《夜聞鑿防空壕聲
     郁達夫 1896-1945 浙江富陽
     《贈光華報同人"/>
     郭沫若1892-1978 四川樂山
     《挽王禮錫
     唐鼎元 1894-1988 江蘇常州
     《哀瀋陽
     《武漢空戰三捷歌
     柳亞子 1887-1958 江蘇呉江
     《八聲甘州-次任潮將軍
     韻為亡友庚白先烈賦

     李濟森 1885-1959 廣西蒼梧
     《八聲甘州-林庚白
     先生香江殉難以表哀

     張鳦生 (不詳福建)
     《感事次達夫先生韻
     《南京失陥
     《七七掲開抗戰序幕
     《吊鑒湖女俠墓
     《贊東北義勇軍》二首
     《九一八感作
     《頌寶山姚子青全營殉城
     李大防 1878-?  四川開縣人
     《金陵作
      
    * list of poetry    Late Qing,Republican

        ☞瞿秋白 瞿秋白の生涯と詩作「形單影隻,孤苦畸零」雄魄 顛簸的一生

     史鐵兒 1899-1935 常州武進
      『餓郷紀程
    』1919-1923
     〔新體詩〕
      《心的聲音“遠”》1920年
      《去國答"人道"》1920年
      《無涯》(1920年)
      『餓郷紀程・跋』1921年
      《國際歌》 1923年
      《赤潮曲》 1923年
      《夢中鞋》 1923年
      《鐵花》 1923年
      《天語》 1923年
      《小小的蓓蕾》1929年
     〔舊體詩〕
      《詠菊》 1914年
      《哭母》 1916年
      《雪意》 1917年
      《紅梅閣  1926年>
     〔獄中誌〕
      《
    絶筆》1935年6月18日
      《浣溪沙》1935年5月
      《卜算子詠梅》1935年5月
      『瞿秋白筆名印譜

        


        ☞ 林庚白子舊體詩に すすむ

      林學衡 1896-1941 福建閩侯
     〔七言詩〕
      《次和炎南兄七七見寄韻
      《續丁丑雜詩六之一
      《丁丑雜詩三首
      《渡江至武昌
      《江岸散歩
      《首都飯店聞警同北麗
      《病起聞警
      《江防》 
      《難民來
      《夜聞鑿防空壕聲
     〔五言詩〕
      《聞道二之一
      《月夜小步
      《七月十二夜坐月
     〔詞牌〕
      《水調歌頭-聞近事有感
      《浣溪沙
      《菩薩蠻-送別
      《減字采桑子-雨夕書懷
      《曲牌行香子-
       -舊曆重陽樓望寄璧妹
      《琴調相思引-午夜聞歌
      《賣花聲-雨中樓望
      《鳳凰台上憶吹簫-
       -雨夜無寐》《-海行夜起》
      《滿江紅-秣陵感懷
      《摸魚兒 紅豆




      淸末民初“革命春秋”
     
     鄒容 威丹1885-1905四川巴縣
     《獄中答西狩
     『革命軍
     劉師培1884-1919江蘇儀徴
     《一萼紅-徐州懷古
     《賣花聲-登開封城

     黄節 玉昆1873-1935廣東順德
     《送劉申叔元日東渡
     秋瑾 璿卿1875-1907浙江紹興
     《滿天紅
     《杜鵑花
     《去常德舟中感賦
     《杞憂人
     《梅十首選其二
     《詠琴志感
     《讀書口號
     《殘菊
     《秋海棠
     梁啓超 1873-1929 廣東新會
     《讀陸放翁集

     章太炎 1868-1936 浙江余杭
     《獄中贈鄒容
     《辰州
     《亞洲和親會規約
     陳國常 1864-? 四川榮昌
     《徐烈士墓
     《秋瑾墓

     康有為 1858-1927 廣東南海
     《
    大同書成題詞
     黄遵憲 1848-1905 廣東嘉應
     《庚午中秋夜始識羅少珊
     魏源 默深1794-1857湖南邵陽

     《江南吟・其八
    * list of poetry     The Qing Dynasty 

        龔 定盦 龔璱人
         浙江杭州 1792-1841

       
      『平均篇
      『乙丙之際箸議
      『己亥雜詩全三百十五首
     〔七言絶句詩〕
      《己亥雜詩 百二十五
      《己亥雜詩 六十二
      《己亥雜詩 八十五
      《己亥雜詩 九十六
      《漫感
     〔七言詩〕
      《己卯雜詩自春徂夏全首
      《又懺心一種
      《常州高材篇
      《驛鼓
      《夜坐》其一
      《夜坐》其二
      《秋心》三首之壹
        
     〔五言詩〕
      《夜讀番禺集書其尾
      《又一首
      《戒詩》五章其一、二
      《自春徂秋偶有所觸拉雜
      書之漫不詮次得十五首

      《紀夢》七首之五
      《賦憂患
      《賦得香
      《觀心
      〔曲牌〕
      《端正好
      《醜奴兒令
      《念奴嬌 湘月
       龔自珍 編年校注 古典文學叢書
      ☞ 人痾芙蓉 阿片戰爭
    * list of poetry     The Ming Dynasty 

      屈翁山 屈大均 號 莱圃
       1630-1696 廣東番禺

       
      〔七言詩〕
     【屈大均詩集】七言絶句目録
     【屈大均詩集】七絶集 貮・參
     【屈大均詩集】七絶集 肆・伍
     【屈大均詩集】七絶集 陸
     【屈大均】《哭華姜百首》

      〔五言詩〕
     《哭内子王華姜》一三首
     《詠懷》一七首
     《詠古》二七首

      〔曲牌〕
     【屈大均詩集 詞牌
     《念奴嬌 湘月
      
      








    * list of poetry     The Song Dynasty

       文天祥 宋瑞 諡 忠烈
        江右人 1236-1283

       
       《劉琨
       《夜坐

       劉克莊 潛夫
        莆田城廂1187-1269

       《雜記十首》其二,其八






       元遺山 元好問 裕之
        山西秀容 金1190-1257

       
       《論詩絶句
       《孤劔詠
      《種松》 ,《出都
      《俳體雪香亭雜詠坐
      《壬辰十二月車駕東狩後





       陸放翁 陸游 字 務觀
        浙江紹興 1125-1210

       
      《夜歸偶懷故人獨孤景略
      《東籬雜題
      《雜書幽居事
      《水亭》,《八十一吟
      《卜算子詠梅







       邵堯夫 諡 康節
        范陽人 1011-1077

       
        《觀物吟
      《義利吟
      《自餘吟
      《乾坤吟二首
      《天聽吟
      《辛酸吟
      《論詩吟
      《夢中吟
      《不寢
      《洗心吟
      《晨起
      《寄楊軒
      《百年吟
      《感事吟
      《繩水吟
      《淸夜吟
      《歩月吟
      《月新吟
      《月到梧桐上吟




    * list of poetry     The Tang Dynasty

       李長吉 李賀
        791-817 河南昌谷

       ☞李長吉詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔五言詩〕
       《申胡子觱篥歌
       《詠懐其一
       《詠懐其二
       《七月一日曉入太行山
       《潞州張大宅病酒遇江使
       《走馬引
       《古悠悠行
       〔七言詩〕
       《長平箭頭歌
       《酒罷張大徹索贈時…
       《綠章封事爲呉道士…
       《酒貝宮夫人
       

       杜少陵 杜甫
       712-770 長安

       《戯為論詩絶句》其一,五
       《詠懷古跡》五首其一,二


       孟東野 孟郊
       751-814 湖州武康

       ☞孟東野詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔全詩集〕
        壹・一~四卷(宋本)
        貮・六~十卷(宋本)
       〔樂府〕    《古怨別
       《古別曲
       《飢雪吟
       《寒江吟
       《苦寒吟》
       《遊俠行
       《羽林行
       《春日有感
       《游俠行
       《偶作
       《遣興》
       《
    聽琴》
       〔七言絶句〕
       《
    登科后
       《傷舊游
       〔五言絶句〕
       《旅行
       《邀花伴
       《古恩
       《閑恩
       《喜雨
       《春後雨
       〔五言古詩〕
       《答盧虔故園見寄
       《哭秘書包大監
       《送孟寂赴舉
       《寒溪》其三,五,六
       《夜憂
       《夜感自遣
      

        賈浪先 賈島
        779-843 范陽涿州 

        ☞
       《壯士吟
       《劍客
    * list of poetry     The Six Dynasties

       庾子山 庾信 庾開府
        梁 513—北周 581 

       庾信カテゴリーへ直接進む
       『庾子山・全詩集』上
       『庾子山・全詩集』下
       《哀江南賦・序
       《哀江南賦①
       《哀江南賦②
       《哀江南賦③
       《哀江南賦④
       《擬詠懷詩
       《詠畫屏風詩
       《望月詩
       《舟中望月詩

       庾子慎 庾肩吾
        梁 487-551

       
       《經陳思王墓詩
       《同蕭左丞詠摘梅花詩
       『庾肩吾・全詩集

       江總 江總持
        梁 陳 519-594

       《橫吹曲
       


       鮑明遠 鮑參軍 鮑照
        劉宋 414?-466

       鮑明遠 鮑照カテゴリーへ直接進む
       《代出自薊北門行
       《代結客少年場行
       《代升天行
       《扶風歌
       《學劉公幹體》其一~五
       《擬阮公夜中不能寐
       《冬至》,
       《代夜坐吟》

       
       江淹江文通
        劉宋 齊 梁 444-505

       《劉太尉琨傷亂


       劉越石 劉琨
        晉 224-262

       ☞劉琨カテゴリーへ直接進む
       《答盧諶詩・序
       《答盧諶詩
       《重贈盧諶詩
       《扶風歌


       嵆叔夜 嵆康
        晉 270-318

       ☞嵆康カテゴリーへ直接進む
       
    * list of poetry     The Han,Wei,Jin


       曹操 曹孟德
       沛国譙 155-220魏武

       
       《歩出夏門行

       曹子建 曹植
       192-232陳思

       
       《求自試表》上
       《求自試表》下
       《升天行
       《朔風

      漢魏晉 建安文學 三曹


      繁欽 繁休伯 建安?-218
       《遠戍勸戒詩
       《征天山賦
      繆襲 繆煕伯 建安186-245
       《屠柳城

      漢代樂府歌辭
       《戰場南



    * list of poetry    Pre-Qin and Others

      詩賦・樂府歌辭・偈頌
       
      南北朝・北歌
      《望月》蕭綱・梁簡文
      《隴頭歌辭
      《青溪小姑歌》南北朝末隋初


    * list of poetry    Japanese modern

      小熊秀雄 1901-1940
      『小熊秀雄詩集1935年
      『流民詩集1947年
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      中野重治 1902-1970
      《新聞にのった寫眞
      《兵隊について
      《噴水のやうに》《歌
      《私は月を眺め》《波》4

      金子光晴 1895-1975
      《落下傘》《湖畔吟
      《燈臺》
      槇村浩 1912-1938
      『間島パルチザンの歌』
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      金鍾漢 1916-1944
      《合唱について
      《一枝について
      《古井戸のある風景
      《待機
      《行状
      《空山名月
      《

      黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 『國境』 『
      『』 『武装せる市街
      『パルチザン・ウォルコフ』

      田邊利宏 1915-1941
      
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     反戦詩人☞ 詩篇TitleMenu


      富澤赤黄男 1902-1962

       

      《蒼い弾痕》『旗艦』1939
      句集『天の狼』1941
      句集『天の狼』抄1951
      《風景畫》 『蛇の笛』1952


       短詩運動 大連『亞』  
       
       
       安西冬衞 1898-1965
      《黑き城》『渇ける神』1933
      『大學の留守』1943
      《砂漠》『軍艦茉莉』1929
      《夜の思料》『軍艦茉莉
      《八面城の念力》1933
      《砂漠の行者が臥てゐると
       鴉が食物を運ぶ

       『亞細亞の鹹湖』1933

       
       北川冬彦 1900-1990
      《
      《戰爭》『戰爭』1929
      《絶望の歌》
      《壊滅の鐡道

      《風景》《埋葬》『氷』1933
      《爛れた月》《斑らな水》
      『檢温器と花
    』1926
      《泡》『馬と風景』1952






     
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     中國詩について
     中國詩はもともと,象形であるところの文字を使って詠まれている。つまり西洋詩にいわゆるサンボリズム,象徴詩,と言う「様式」は既に自得している。自得してしまっている。
     それが中國詩。
     古體,近體,舊體,新體,いつの時代のどの形式であっても漢字を使う限りそこから自由にはなれない。
     こうした作法の約束ごと,いわばクリシェ表現であるが,メタファーのいくつかでも知っているだけでも,漢魏の古詩は,類推しやすくそうとうにわかりやすくなる。
     まず,膨大なアナロジーの蓄積に眩むわけだが,漢魏六朝の古詩によってメタファーを知ると,唐詩は「表徴」と言うより「表現」そのものがおおきくひろがっていることがわかる,跳躍的に,である。
     さらに宋詩には,古來の中國思想に禪定(禪那 Dhyāna ディアナ)が加わり探究されて淒みを増した思想的表現の飛躍がある。
     Impressionism,Expressionism,
    そのどちらにおいても深化がある。
     これを,真に,深く實感すると中國詩の虜囚となる


     

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