金時鐘⑩《檻を放て!》 黑田喜夫①《時と移動》《沼地にて》

    大村収容所!
    日帝の白い亡靈はいたるところに,生身の體を得て甦っている,
    生きているという,この,おそろしさだ

    大村市の大村入國管理センター収容施設で一人の餓死者,
    全國各地の入管施設の,異常なまでの外國人収容者の死者數の多さ
    入管施設の収容實體は,ひどすぎる

    超過滯在の外國人に對する管理収容は
    治安維持法をうわまわるような亂暴かつ恣意的運用がまかりとおっている
    とは超過滞在でふとうに扱われる外國人支援をながくつづける辯護士の言いようだ

    日本はなにもかわっていない,
    という現實をまざまざと知らされる日日

    そのことを,直視する必要をあまりかんじていないというニホンジンの大勢

    日本は何もかわっていないのだ

    易變されない 國は,そんなにも住みよいものなのか?
    と。
    まるごといっさいがわたしにとってはふかかいだ

    まったく
    金時鐘の詩をブログに載せてる最中にこんな事件がもちあがる
    タイムリーヒット
    笑うしかない。

    日本。

    檻を放て! 

    (何人も迫害からの保護を他國に求めかつ享有する權利を有する)
     ――世界人權宣言第一四条第一項――

    お前の退化を待っている。
    そこらじゅう
    羽毛をまきちらし
    激しく檻にいどんでいる
    お前の退化をまっている。
    人は知らない。
    お前がもう
    お前でないとき
    人は食欲をそそられるだけ。

    羽。
    首。
    體。
    大村収容所。

    森でない森の
    異様な静けさの中で
    飛び立てない父は
    むしられたまま
    死んだ。

    野に逐ち
    海に消え
    なおはばたいたいく羽かが
    つながれたまま
    本の沼地へと引かれてゆくのだ。

    人よ。
    まとも生まれ變わった日本なら
    檻を放て!
    この地の足場から
    彼のはばたく先は
    海の向こうの
    北にある。

     復元版『日本風土記Ⅱ』 より




    この “北” はもちろん朝鮮民主主義人民共和國
    金時鐘の父祖の地であり,
    かつては,この詩が書かれた五〇年代後半は,
    文人金時鐘にとって,正義の,見果てぬ夢の共和國であった
    が,
    いまでは,この北は最も過酷な,檻の國家のひとつである

    しかし。
    だからといって。

    いうまでもないが
    日帝の “歴史” はもちろん,戰後の米國主導の苛烈なレッドパージも
    ゆるされるものではないだろう
    ましてや
    日本が,いまだ,檻を,かかえこんでいること,のいいわけにもなるまい。

    いまいままで。
    ミンシュシュギ國家として,アジアのリーダーと自負する日本が, “大村収容所” をそしらぬていで温存させていることがモンダイなのだ

    それはともかく。
    この頁で
    戰後日本の最強のプロレタリア詩人黑田喜夫の詩をいくつか載せ,詩はおわりにして
    再び徴用工のハナシに戻ろうと考えていた

    黨組織に壓殺されつづけた,そして,
    黨組織に抗いつづけた,忘れられてしまった詩人黑田喜夫は。
    ソノジツ

    ヂンダレ三人衆,金時鐘,梁石日,鄭仁と親交があつく,かつて。

    という
    このこと,ジタイ,につよく胸を打たれる。

    戰後日本の“現代詩” の黎明期,に,
    「ヂンダレ」と「列島」
    大阪と東京の,詩人たちの濃密な夜
    彼らの人生が一地點に集結し,収斂された時空の中で刺激し合った一時期があったこと。
    そのことジタイが,
    ――金時鐘の詩論,そのつきなみにしてかつ強靭な言い方をかりるまでもなく――,
    もはや,詩,である。

    戰後日本で
    あらゆる意味でもっとも餓え,渇え,最高位にて削ぎ落とされた,骨ばかりの詩骨が奏でる協奏曲,

    死して屍拾うものなし
    さはさりながら
    打ち捨てられた尸の腐るそばから
    詩骨は鳴る。
    詩人は鳴らす
    兀として
    カチ,カチ,カタカタカタと。

    草生す大地の竟せる佳境に。


    黑田喜夫 初期詩片から  

    時と移動


    水の粘膜を破り
    もつれた糸に身を投げよ
    欲望に憑かれ海の深みからのぼり
    血とともに卵を生んだ 力つきて
    流れていつた その
    回歸する鮭たちのもつれた糸に

    風に向つて耳をむけよ
    風のみなもとに饑えた兎がいる
    河の岸に
    夜の兎たちが鋭い音を立てて
    原生樹の皮を囓る
    齒の音に狂氣をさまし 雪のうえを
    きしみながら饑餓の脚をはこべ

    脚よ すると
    時のひびきに下りてゆく
    ひざを曲げべつたりと
    腰を土につけた人影が湧きあがる
    草の城の暗がりで木の鍬をけずり
    草の戸をあけ
    猿に似た後姿で白光の下に這いでていつた

    額から腹まで切り裂き
    野火に追われた獸が横ぎつてゆく だが
    一擊ごとに樹を殺し
    草から土を奪い よろこばしげに
    手を肩まで埋めた

    それから倒さまにみずからを土に植えた
    そのとき二重に奪われた初源の土に

       *

    そして用意されたとしつき
    累代のおくからひいてきた影
    暗い鏡 藁で髪をゆった祖父たちの貌
    いつの時代にも支配は深く
    沖積土はほりつくされ
    いつでも土地は他人のもの
    草は他人の土地に生え
    鳥は他人の風にとぶ
    しかしにんげんは旅をつづけ
    河に沿って足痕があり
    平地から奥地へ
    山のあいだにゆきづまり
    かたい赭土に鍬をうちこむ
    家は獸の穴に似ている
    木の實を食うにんげん
    岩に稲を植える手
    つぶれた肩
    かに股の脚
    樹皮を消化するはらわた
    壁の貌からみはっている眼
    その網膜を横ぎつた獸たち
    逃げてゆく季節の鳥
    発狂するむささびや兎
    すべての敗亡の列のあとにくる生存
    虚ろにある巣
    虚ろにある林
    虚ろにある空の下で
    おれたちは初めて見える

    倒立つ願望のあいだの草の城
    切り刻まれた土地の躰 一人のコミュニストと啞の沈默と古い屋根飾りを群落をつらぬいた雙面の饑餓の法則 虚無と不所有の重さ
    しかも俺たちは遠くからきた
    おれたちは殘る
    おれたちは旅を終わらず
    徒勞に抗う日は絶えない
    見知らぬ土地へのおどろきは
    日ごとにある




    矛盾にみちみちた戰後

    壓倒的なまでの,懐疑と,問答無用の黨組織
    夜ごと襲いくる, “虚無”への抗い,
    それでも
    社會主義者コミュニストとして曲げない背骨を堅持,顕示しながらも
    それでいてなお詩人として,
    囂囂たる非難と困窮の中で追求された表現

    わたし,たち,は黑田喜夫の詩の中に,彼が一人引き受けていたプロレットカルトの品位を
    見失うべきではない

    あらためて思う
    いや,見いだしつづけさせられる
    きょうこのごろ,というべきか




    沼地にて

    凍つた沼のほとりに
    真はだかの桐の木が立つている 

    春植えの若木は
    初めて自分を包んだ冬を感じている

    大きいだけに虚ろなひびきで
    落ちた葉は
    氷の下に沈んでいる

    死せる葉の氷漬
    一人の男も冷凍する風を感じている
    しかし腕を空に差し上げる代わりに
    彼は石を沼地に投げるだろう

    氷は割れるだろう
    氷は割れないだろう

    しかし彼は噴き出す笑いを
    逆轉の笑いを笑うだろう


    黑田喜夫『詩と反詩 黑田喜夫全詩・全評論集』


    『詩と反詩 黑田喜夫全詩全評論集』
    勁草書房1968年5月





    逆轉の笑いを笑う
    遊撃の,夜の暗さと屈強な精神のあかるさ。

    どつちもだ


    空しい無意味ばかりを積む小さな精神の徒勞がいわゆる詩だと思い慣らされてきたものは,黑田喜夫の詩に接すると,自然と生の實體が隙間もなくつまったその重い確實性に驚かされる。
    一冊の書として私達の眼前に置かれた彼の詩の空間が巨大な錘りを吊られたように確實なのは,
    恐らく,彼がそのなかのすべてに謂わば《同質連續者》といった不思議な仕方で直接關係しているからである。
    黑田喜夫においては,存在することが謂わばその詩の原質としてある。
    換言すれば,土地も,海も,鐡屑も,工場も,運河も,勞働も,革命も,敗北も,家族も,病患も,夢も,彼の存在に間然することなく關わつているのであって,彼がそこに在ることが詩がそこにあることなのだ,という端的な原理をその詩から直截に黙示されるのである。

          埴谷雄高

    金時鐘⑨《秋の歌》『地平線』

    10月である。
    建國記念の秋,北京はスマートさをたもつことができるだろうか。
    それはさておき。


    金時鐘の秋のうた,を。
    ディアスポラの叙事詩,
    蒼氓の秋,

    くにの竟せる,蹠の, “地平” にたちすくむ,

    風の鳴る,風に噎ぶ,國境は
    足下,この地にあるという。

    在日の實存を生きる金時鐘


    『地平線』 自序

    自分だけの 朝を
    おまえは 欲してはならない。
    照るところがあれば くもるところがあるものだ。
    崩れ去らぬ 地球の廻轉をこそ
    おまえは 信じていればいい。
    陽は おまえの足下から昇つている。
    それが 大きな 弧を描いて
    その うらはらの おまえの足下から没してゆくのだ。
    行きつけないところに 地平があるのではない。
    おまえの立つている その地点がちへいだ。
    まさに 地平だ。
    遠く 影をのばして
    傾いた夕日には サヨナラをいわねばならない。


    ま新しい 夜が待つている。


    この自序をよんだとき,即座にわたしは
    中野重治の大好きな詩 《私は月をながめ
    をおもいだして
    ああ,おなじだな,と
    なんども,なんども,おなじだ,と
    同じ詩骨だ,おなじだ,とうなづいていた

    ことばづかいの字面が似ているからではない,

    地面とは何か,
    もしくは。

    國境の意味を懐疑しつづけているナップ以來のプロレットカルトの命題,
    だ。

    さて季節。
    秋。

    秋の歌,最初よんだとき
    あまり好きではない,というか
    あまりこころにささらない詩だとおもった

    んだが。なんどもなんどもよんでるうちに
    きづく,
    日本語のおかしさに

    日本語のおかしさとはそのままあたらしい韻律をもっているとかんがえることができる,
    じつは,この
    たどたどしさは
    詩人があえてこだわっている,いまにいたるまで奇劂をたもちつづける
    “抒情” のリズムかと。

    おもいいたさずにはいられなくなる

    金時鐘の『四時詩集』の素の聲音と,行間が,
    ここに覗える,と,みえてくる

    朝鮮民族の翻弄されつづけた歴史をかんがえるとき
    かんたんに,詩意を,流暢に,滑らかに,調えて,整えて
    統一をもたせることなど

    できないのだ,
    できない,
    ということにも

    あらためて
    暗い靜けさと,氣持ちの澱みのなかで
    おもいつかされる
    胸をつかれる

    もし,調のうて,和やかに,流れてしまえば,
    それは
    祖國への,朝鮮の大地への,
    裏切りにも なりかねない
    そういう,詩人の
    不自由と不具を感じながら

    訥訥と,よまされる

    讀みてを
    默りこませる詩,


    この日本語が,讀み手を
    おしだまらせる

    かつてかれら民族の魂を壓殺した
    “日本語” も押默させられる

    瘖。
    その一種


    秋の歌

    1

    私は 秋が 一番好きです。
    秋には 色とりどりの思い出が
    たくさんあるからです。

    私の瞳のおくに いりついた
    祖國の色は だいだい色です。

    唐がらしの赤くほされた わら葺の屋根
    澄みきった空の ポプラも色づき
    柿の實は ひくく ひくく
    軒下に 色をあやどります。
    それは ちょうど
    夕暮れどきの あかね色に似て
    私の童心を 遠い家路へとゆさぶるのです。

      ◯

    私の家路は 落葉の道です。
    悲しい日日が うずたかくかさなつた
    茶褐色の 思い出の道です。
    遠く ひくく 傳い來る 鐘の音は
    消え去った日日の晩鐘です。
    私の 父への 鎮歌を 奏で
    私の 母への 弔歌を 奏で
    しめやかに しめやかに
    九月一日* の 哀歌を奏でています。

    十五圓五十錢* で 奪われた 生命(いのち)
    秋の一葉よりも もろく散らされた 生命(いのち)
    私の親への つきない 哀歌です。

      ◯

    私が もの心ついてからの
    秋の 思い出は
    灰色の 九月の歌からです。

    秋初めにして 無理じいに散らされた葉
    あまたの悲しみと 憎しみをおりまぜて
    今日も心ふかく 舞い散っています。
    その葉の靑さは 永遠にあせないい色
    苦い樹液を 胸そこに充たし
    九月の思いを 新たにさせるのです。

    血と汗と 涙の蓄積
    九月八日* の あの憤りを
    私たちは 忘れることがないでしょう。

      ◯

    祖國を 離(さかつ)たものが
    いくとせ夢みた 一つのまどい
    無殘にも ぶちこわされた秋の一日でした。

    抑壓の狂暴は 今日なお吹きすさび
    一風ごとに 私たちの怒りをまき散らします。
    冷たさが 身にしめば しむほど
    家への郷愁は 刃の如く 研ぎすまされ
    奪われたものの 憤りは
    喉ぶえを かつきる, 夢をすら見ます。
    秋に甦るもの それは私たちの意欲でしょう。
    秋風は 私たちに 家を求めさせ
    朝聯財産の返還を促させます。


    *九月八日= 在日朝鮮人聯盟解散。
    *九月一日= 關東大震災の同胞虐殺記念日
    *十五圓五十錢= 関東大震災當時十五圓五十錢と突然發言を強いられ,滿足に發音できなかったものはフテイ(不逞)鮮人の名の下にその場で殺された






    秋! それは魂の季節です。
    大氣は 聲に滿ち
    冬を迎えるものの姿は いとも嚴肅です。

    黄金のみのりは 田を滿たし
    葡萄のふさは 紫紅色に たれていても
    人の心はいつも侘しく 何かを求めて止みません。
    道一ぱいに 落葉が散り舞うときだけ
    人々は 木木を仰ぎ見
    急いで衿を合わせつ 通りすぎます。

    家路のある人も ない人も
    みながみな せかせかと せかせかと
    どこかへ行きつかねば ならないかのようです。

      ◯

    十月の歌は 私たちの牧歌
    ほのかな 草笛にも似た 郷愁の歌です。
    見知らぬ祖國(くに)への 思慕の歌です。

    秋が來るたびに
    どんぐり獨樂の 話を思い出します。
    貧しいわたしの こよない玩具
    ぐるつとまわせば 夢がまわります。
    ほし柿吊つて パク* 割つて
    庭の垣根に吊るす夢です。

    父も母も いうだけいつて死んじゃつた
    パクに汲んだ水など 呑んだことない
    十月の歌は しゃくにもさわる歌です。

      ◯

    それでも 私は 秋が好きです
    世のすべては 首をたれて禱りにふけり
    秋は僞ることを 知りません

    秋夕* の夜の そぼくな いのり
    月むかえの ならわしも うれしく
    老いも若きも ちつちゃな夢の願かけをします。
    三千万の悲願は この月をふくらませ
    靑い目の 野獸どもへの呪いは
    そこはかとなく 靑い火をのぼらせます

    十月は誓いの月
    時節は うす着をためらい
    怒りで染んだ古着を 行李から出させます

      ◯

    あなたは これをまといなさい。
    私は これを 着ます。
    洗つても落ちない 涙がしみた服です。

    流浪の民が はてなく流した汗
    祖父の服は しまつておきましょう
    親父の服は 炭鑛着です。
    はたけば 一日中 ほこりはつきますまい。
    私たちは これを着るべきです。
    昨今の スクラムで流した汗の服です。
    民族敎育 死守を絶叫した 十月十九日*
    組みあつた 私たちの腕を 打ちしだき
    貸し與えの泥靴で 踏みにじつた學園の服です。

      ◯

    さあ 着ましょう。
    たぎる怒りを おし包んで
    私たちは 武裝を すべきです。

    散らされた 木が
    枯れるとは かぎりません。
    大地に どつかと 足をすえ
    微動だにしない 裸の木
    ふつふつとたぎる 血潮をひめて
    秋の聲に わが身をうちならしているのです。

    昨日におびえて 血潮を燃やせないもの
    思い出に 涙する ひよわいものは
    今日のこがらしに 朽ちはてるものです。


    *パク= フクベのことで,朝鮮の田舎ではほとんどの家で杓もしくは器物の代用に使用している。
    *秋夕= 陰暦八月十五日。祖先の祭りや墓參をする節日
    *十月十九日= 朝鮮人學校に對する閉鎖令の出た日





    私は 私を呼びさましました。
    その聲は 私をふるい立たせ
    自由の歌を口にのぼらせます。

    遠く 海の彼方の
    祖國の勝利は 日増しに大きく
    私たちへの風當たりは 日増しに強まつています。
    私たちは枯れ通しの 立木ではありません。
    意志する心をもつた 木です。
    憤懣をこらえて 嵐に立ち通しの木です。

    いかに底びえの 霜がしだこうと
    樹液は凍らない 私たちの血潮
    明日を信ずるゆえに 苦難の日日に耐えています。

      ◯

    お聞きなさい。
    嵐の中の 枝ずれの ヒューヒュー聲は
    あれは私たちの絶叫です。

    虐げられた民が いついつまでも
    横暴の世界を 見過ごすてはありません。
    大邱事件は それを裏書し
    十月一日* の 雄叫びは
    歴史の 進展とともに
    波紋の輪を ひろげています。

    秋の 凋落は
    この次に來るものへの 呼びかけ
    今日を示す 明日への道しるべです。

      ◯

    後進しない 歴史の巨歩をしめす日
    灰色の 九月の歌の中にも
    真紅に燃えたつた 一日があります。

    それは 私たちの歸りつくべき家
    祖父の代から 待ちこがれた家
    真赤な 朝あけに映えて
    異郷の私たちにまで 照り映える日です。
    自由は九・九* の上に 榮光を宿し
    民族はこの日のために 生きもし死にもします。
    歴史は 進むもの
    十月の歌は 中國創建の 合唱に和し
    平和を守る歌聲に 歴史の齒車は進みゆきます。

      ◯

    どよもす秋の歌聲に
    虚偽の皮は はがれていきます。
    秋雨に 白鬼の面は露わにされていきます。

    米國製のライフル銃と カービン銃と
    拳銃と 軍靴でしか
    政治を行えない おとしよりたち
    どうして 世の真實を
    おおいかくすことができましょう。
    細菌戰がそうであり 麗水事件がそうです。

    同族を殺せと 與えた銃劍
    十月十九日* の あの逆襲は
    李承晚の末路の 象徴でしょう。


    *十月一日= 九月二四日の鐡道勞働者ストに始まる大邱事件は,演説中の女工を警官が射殺したことに憤激した大衆が遂にこの日,道廰警察署を襲撃した。
    *九・九= 朝鮮民主主義人民共和國創建記念日
    *十月十九日= 濟州島鎮壓派遣軍が出発間際に反旗をひるがえし,李政權に逆らって,順天に至る麗水一帶を占據した




    若くたくましい 若人の血は
    十一月三日* へと 注ぎ込み
    二十余年後の 秋風に鳴つています。

    あなた方が あなたの國の
    言葉と 歴史を 習うように
    私たちも 私たちの言葉と歴史を 習います。
    他民族の 文化を保障しなさい。
    私たちから まくしあげる 血税で
    私たちの 敎育費を支拂いなさい。

    屈服を知らぬゆえに 葬られた
    私たちの 兄が 姉が
    地獄の石部屋からの 聲援です。

      ◯

    十一月は 霜の降る月
    秋の日ざしは弱く
    蟲のすだきも とつくに消え去りました。

    夜更けに 耳をそばだてている
    牢屋の中の 愛しい兄弟たち
    遠い海鳴りのような あの聲は
    はるか 彼方の 勝利の歌聲
    隷屬を知らぬ 人民たちが
    ロシア大地を ゆるがした歌聲です

    身は捕われて 獄にうめくとも
    ああ あの歌聲がつづく限り
    私の心は 祖國の上にあるのです。

      ◯

    我が故郷は 赤茶けた戰火の里
    殷々たる砲聲は 私の腦裡にこだまし
    ややもすると 秋の夢をおびやかします。

    しかし,秋の歌は 心の故郷
    永遠に變わらぬ 私の牧歌です。
    故郷の夢は 枝もたわわな柿の實の秋
    沃土に藷のまろぶ みのりの秋です。
    今日,祖國がどうあろうと
    私の秋に 差しさわりはないのです。
    眼を閉じれば パクの實は熟れ
    秋草を喰む 小牛の鳴き聲は
    この夢の 終わらせない日を 呼んでいます。

    *十一月三日= 光州學生事件記念日



    『朝鮮評論』第6號一九五二年一二月掲載
    金時鐘第一詩集『地平線』より



      GimSijong-Autumn.jpg




    ちなみに
    最後に現れる光州事件はもちろん一九八〇年春の民衆蜂起,起義ではない
    1929年日本帝國統治下の光州で起きた學生運動
    この詩が書かれた翌年のことだが,韓國はこの運動を紀念して
    11月3日を「學生の日」とした

    金時鐘⑧《生きのびるもの》ほか,第一詩集『地平線』

    夜を希うもののうた 
     
    生きのびるもの

    これらの 意志に 動かされて 
    とりのける 手を 休めた。 

    絶えまなく
    トラックの行き交う 道ばたに
    もつれ いたんだまま
    ほこりを浴びてた 雜草たち――


    ――いつの間に しがみついたんだろう?
       乾ききっているものに
       これだけの力があったとは 不思議な話だ――

    ざつと よんで
    六種類はある
    曲がつた穂槍(ほやり)や 風に乘る傘,
    小さな棘槍(とげやり)
    こまやかな 棘(とげ)の球など,

    どれも これも
    受け身のもの ばかりなのだが 
    活動のための 道具を備えて  
    廣がるために くつついている  
     
    行樂の 歸りの  
    重い腰を電車にめり込ませたまま,  
    私は常識の詮議だてを  
    止めることにした。  
     
    たとえ これらが
    現今の社會とは 無關係な繁殖であつたにしても
    私は この意志を 
    無視するだけの勇氣がない。
     
    坐りなおして,
    知らぬふりをして,
    私はただ 落ちてゆくまで
    ズボンのすその こいつを運んでやろう



    1951年秋 大阪十三在住時代 祖國防衞隊のときの友人たちと,淀川べりにて
    大阪十三在住時代 祖國防衞隊のときの友人たちと,淀川べりにて 1951年秋



    ※祖國防衞隊
    1950年在日朝鮮人によって結社された非合法組織
    朝鮮戰爭勃發後,山村工作隊(日本共産党の非合法組織)と
    韓國向け軍需物資の輸送妨害などで連携して破壊活動を行った
    金時鐘も,吹田事件など關与し鬪爭に明け暮れていた



     
    夜よ はよ來い

    ひまわりが 病氣だ
    夜よ はよ來い,
    炎の 申し子が
    熱に うなされたんだ,
     
    千万人の 希いが
    彼の首を 曲げちやつた,
    がくんと たれたうなじに
    太陽が 照りつく――


    夜よ はよ來い
    晝だけを信じてたものに
    武裝の 夜を
    しらして やるんだ,
    ひやっこい 夜氣
    そこ知れぬ 闇のふかさ
    ひまわりよ, ひまわりよ,
    太陽への 追從を止めよ!


    真實,
    君が 太陽の 使徒なら,
    たるんだ晝に 見きりをつけろ!
    夜を信じ 明日を信じ,


    夜明けの 曙光に
    君の こうべを
    もちなおせ!
    夜よ, はよ來い はよ來い
    人が馬が, 花が,
    汗だくだ・・・・・・・・・



    ――サンフランシスコ・單獨講和条約を前にして




    金時鐘 第一詩集
    地平線
    (1955年12月)より

    “徴用人材”⑬徴用工(六)日米開戰前後

    そもそも朴慶植にこだわって引用を始めたのは
    外村大著『朝鮮人強制連行』を引用したときもらった,先のコメントに少少おもうところ(反發)があったからなのだが

    その關連で少し書いておくと
    このところ,
    「徴用工は奴隷状態ではなかった」
    「炭鑛での待遇における民族差別はなかった」

    というの,立證を試みた研究論文というよーなものが一部でもてはやされている状況がある。

    おもにアカの研究書の中から,いろいろ取捨選擇して,新たな文脈で再構築しましたよ
    とゆうよーに
    自らリヴィジョニストとしての立場を言明して憚らない,奇妙な語り口である。

    先人が引用する,その引用は,あたりまえだが一定程度確かに導き出されるであろう合理的結論,のためになされるのであるが・・・・。
    くだんの論文は
    そうして導き出された合理的結論を一切度外視して

    唐突に,タダ,讀みかえていく

    その書物の膨大に収集された事例,文獻や第一次資料の引用の蓄積によって初めて得られた合理的結論を無視し,否定する。
    否定するがための根據を示すという努力もあえてせず
    新しい物語を構築するとゆう
    亂暴な孫引き讀み替えのあざとい手法を驅使する常軌を逸した論文


    堂堂のナカッタ説,恬淡として恥じもせずに著書の横滑り?で衆目を集めるなど,ダブルにおそるべしな
    工藤美代子(加藤康男)の,
    關東大震災朝鮮人虐殺ナカッタ論證。
    そのアタマイタイ,徴用工バージョン,といえようが。

    歴史研究のイロハ,を心得ぬ,恣意的做作,常軌を逸したやりかたと同様の手法で「檢證」したたぐい。

    このアクロバチックな論文は
    アカデミックな九州大學リポジトリーで,カンタンに讀むことができる。

    これを讀んで納得してしまえるヒトビトやチルドレンは…

    かれらにとっては大部である史料文献、朴慶植の「朝鮮人強制連行の記録」もふくめこの論文で引用された書物を
    ジッサイ手にとり讀むことは決してないだろう
    という
    目論見のもとに書かれたさもしい論文である。

    このテの事柄,ようは徴用工のモンダイをすこしくしつこく檢索するときにヒット率は非常に高い
    のである


    『戰時期日本へ勞務動員された朝鮮人鑛夫(石炭、金屬)の賃金と民族間の格差』
    李, 宇衍
    落星台経済研究所研究委員
    https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1807618/p063.pdf


    給与賃金のへだたりは,長期雇用の日本人とすぐやめちゃう朝鮮人の賃金が異なるのはあたり前で民族差別ではない,とか

    給与はやってもいーが朝鮮人はすぐ使っちゃうので貯蓄を奨勵してた,でも欲しがるので預かって貯蓄させていた,とか

    給与は祖國に送金してやっている,という事業主側の資料があるからあらたに引用してみるとか

    そんなカンジ。

    貯蓄のことや送金のことが。

    戰後に徴用工たちが,命からがら半島に戻ってみれば
    そんなもんはあるはずもない
    マボロシだった。
    彼らはビタ一文受け取ることがなかったという
    事實認定については

    もちろん言及がなされないことはいうまでもない。
    “別稿に譲” ,られてしまっている,とゆうわけだが

    論者は韓國人であるようだが
    この研究者のアタマの中で,帝國日本事業主企業體に對して敷衍されている「性善説」と
    アカの研究に對するあきらかな偏頗,侮蔑的な傾向は論文の端端にうかがえる
    たとえば

    西成田豊はこれを奇貨として「賃金受領ノ正確ヲ期シ得ズ」といわれるほど、 「朝鮮人に対する賃金管理が杜撰だった」ことを上の資料から読み取れるとする。
    しかし、これは契約期間終了後の未払い賃金を清算する過程で起こったことであり、鉱山に勤務する中で生じたことではない

    ワケのわからんことが書かれてあるのである。

    “契約期間終了後の未払い賃金を清算する過程” で起こったこと

    ってなんだよw
    なんのハナシだよw

    そもそも未払いとゆうのは “鑛山に勤務する中で生じたこと” でわないか?
    とゆう。

    奇貨として,などと,あたかもたった一つの事例にアカが飛びついてしがみついてるみたいな言いぐさも
    思わせぶりである。
    たくさんある事例を一つ一つ追って檢討吟味をし膨大な事例を積み重ねて結論を出すのが歴史研究者であって
    たった一つにとびつきしがみつくのは歴史リヴィジョニストのやることだ。

    そもそも強制貯蓄,母國送金,この二種の用語はイコール帝國日本企業の収奪手口,
    イコール賃金未払いであったという,史實としても,司法の場でも明らかに認定された,
    「大前提」である。
    そういう實體があったという通説を檢討して,
    やれるものならそれをまず覆すだけの論據を提示して,「未払いは払われた」,「送金は送られた」という論證をして見せるのが
    先でありスジというものである。
    先人の學究に對峙するときの最低限の作法であると思うんだが。

    チャントしはらわれていたのではないか,
    少なくとも事業所によってはその待遇に著しい違いがあったハズ,

    なぜならばたとえば

    あるときある炭鑛で朝鮮人炭鑛夫にアンケートしてみたら,
    楽しいことの一番に「給料日」をあげていた
    (産業勞働調査所一九四二年一八頁)

    トツゼンこんなの理由にあげただけでは何の説得力もないのである
    日本帝國性善バイアス著しい韓國人である

    みなさんなんとかリテラシーを發揮して讀んでほしいとおもうばかりだが。

    アカの先人の研究が
    とりわけ在日朝鮮人,在野の研究者朴慶植の大變な努力注力によって執念のもとまとめられた告發の書が,
    このような白い韓國のアクロバチックな “論考” に “考證” され, “論證” され,貶められてしまうことに

    わたしは強い憤りを覺える。

    また
    歎く。

    歎きのタネはふえつづける

    社會にかれつづける毒麦のタネ


    かの大地にかれるべき種があるとしたら
    それはだれがくのか?と。

    かつてき散らされたことがある民,蒼氓であるはずだ
    が。
    アカでも白でもなく。
    蒼生草茫

      第二章 強制連行
        強制連行政策

     一九四〇年一月從來の「勞務者募集規則」はなくなり
    新たに朝鮮總督府令第二號として「朝鮮職業令」「同施工規則」がだされ,さらに府令第八號で京城,大邱,釜山,平壌,新義州,咸興の六ヶ所に職業紹介所が設けられるとともに,連行の業務は從來の警務所管から内務所管に移された。
     すなわち總督府においては保安課から社會課へ,各道廳においては高等警察から社會課へ,各郡では警察署から郡廰へとそれぞれ移管された。
     これは警察がこの連行に關係しなくなったことを意味するのではなく,より多くの勞働力動員のための處置であつた。
     
     一九四〇年三月には三九年度計畫の第二次募集があったのち,いちおう打ち切られたが,戰爭擴大政策は,より緊急な勞働力の不足を告げ,朝鮮人勞働者の連行も強化された。
     すなわち同月には三九年一〇月の中央物價委員會の石炭増産對策要綱にもとづいて「石炭増産緊急對策」の一つとして「外地勞務者による勞務の充足」が決定され,
     さらに厚生省もこれに従って炭鑛勞働者確保の方法として「外地勞務者,主として朝鮮人勞務者数万人の移入を急ぐ」という對策がたてられた。
     その結果,樺太,南洋を含めて四〇年度九三,〇〇〇名,四一年度一〇万名の連行計畫が決定された。

     一九四一年秋には第一期連行勞働者の二ヶ年契約が滿期になり,各事業所では再契約または期間延長に全力が注がれ,厚生省や社團法人「中央協和會」を中心に各省關係者と民間關係者間で「定着督励班」が組織され,強制的な方法で再契約が行われた。

     一九四〇年一一月に「勞務者移動防止令」,一九四一年一〇月に「國民労務手帳法」が出されるとともに朝鮮人勞働者にたいする拘束はより強化された。




    定着,督勵,班?

    異様なカンジがすることばづかいである

    供出督勵,なんてゆうのは,よく目にする言葉だが

    いったい
    朝鮮人勞働者,
    高い塀にかこまれて,嚴重な警備が敷かれている炭鑛の
    「タコ部屋」「監獄部屋」

    自由に使えるカネも渡されず,勞務手帳によって管理されつづける勞働者。
    ムリヤリに “定着” させられていた
    彼らをそのうえに

    定着させなければならない炭礦側・・・・

    おしこめられおいつめられた境地に於ける更なる定着,
    とは,

    つまりは
    膠のごとく壓着させられ,さだめられてしまった運命

    みたようなことしか
    わたしには想像することができない。

    しかし。
    先の論者にいわせれば,これも

    「第一期連行勞働者の二ヶ年契約が滿期になり」
    「『定着督勵班』が組織され」
    て,定着を奨勵されてたことからもわかるように,かれらは二ヶ年契約が滿期になれば,いやならやめられたのである,
    だから
    彼らの待遇は惡くなく,やめたくないヒトもおおかったのである

    などとゆう結論を導き出すネタとなりかねない



     一九四一年後半期は太平洋戰爭の始まる直前の緊迫した情勢下で,朝鮮人勞働者を
    「常備勞力として産業第一線を強化せんとする根本方針が確立せられ,その好むと好まざるとにかかはらず,勞務動員計畫下に於ける朝鮮人募集の緊要性は一段と重きを加ふるに至つた。」注⑪

     同年一一月企畫院は内務省警保局,厚生省職業局,生活局,朝鮮總督府と協議し,一九四二年度の「勞務動員計畫」による朝鮮人勞働者の「内地移入要項」及び「實施細目」「手續」を決定し,十二月二日付厚生省發職第一九四號の依命通牒「勞務動員實施計畫による朝鮮人勞務者内地移入に關する件」(内務省,厚生省次官名地方長官宛)が發せられた。

     四二年二月一三日閣議でも「朝鮮人勞務者活用に關する方策」が決定され,ついで同月二四日朝鮮總督府はこれらの決定によって「鮮人内地移入斡旋要項」なるものを發表し,三月中旬から實施するに至った。
     これがいわゆる「官斡旋」と呼ばれるもので,從來の「朝鮮總督府職業紹介所令」による方法が改められたものであり,朝鮮人勞働者の「供出及び輸送事務を一元化する」,より強制的な連行政策であった。

     その實施要項によってみれば,運營の主體を朝鮮總督府の中においた「朝鮮勞務協會」(一九四一年六月設立)があたり,募集許可申請書の提出及び折衝の對象を各道として連行事務を簡素化し,また勞務者の編成を隊組織にして日本の勤勞報國隊の供出に準據し勞務者の供出を強力にするために事業所から補導員が派遣され原地で一定期間訓練ののち連行し,連行後の訓練も六ヶ月に延長された。
     
     こうして四二年度國民動員計畫一九六万のうち,朝鮮人勞働者一三万の供出が決定され,各道に割當てられた。
     割當地域も從來の七道に江原道,黄海道の二道が追加され,九道となった。
     その結果,この官斡旋は石炭山では逐次に,金屬,土木,鐡鋼關係では即時に切り替えられ實施された。
     (鐡鋼は一九四二年二月から連行が實施されている)
     勞働者の輸送も計畫的になされた。

     四二年五月下關市で,石炭統制會 ,鉱山統制會 ,鐵鋼統制會,土木工業協會の四團體主催下に企畫院,厚生省,商工省,鐡道省,内務省,海務院,朝鮮總督府などの關係官庁の參加で「朝鮮人勞務輸送協議會」が開催され,供出,輸送に關する具體的計畫および逃亡,脱落防止のための綿密な對策がたてられた。

     一九四三年度には,戰爭の深化とともに上記の四企業體以外に,航空,化學,陸上及び海上輸送に連行されることとなり,連行計畫も二〇万と増加し,國民動員計畫二三九万の九%を占めるようになった。


    注⑪⑫『特殊勞務者の勞務管理』 前田一著
     山海堂 産業能率増進叢書1943



    つづく







    “徴用人材”⑫徴用工(五)日中開戰前後

    南京城を攻略し,中國人軍民問わず屠って一九三七年を終えた帝國日本だが

    そのアトローシティ,南京屠殺の状況はロイター,APなど通信社,シカゴデイリー,ロンドンタイムズ,ニューヨークタイムズなどが發生直後から詳報をつたえている。
    年改まり,一九三八年帝國日本にては,これで中國との戰爭は終わり,かと思いきや。

    南京城陥落前にさっさと敵前逃亡するよーな,抗日にそーとー消極的だった蔣介石は
    この南京の状況を,敏に,かつ賢しくとらえて吟味すると,
    ようやく, “抵抗の意志” ,をかため抗日戰の遂行を決意する。

    帝國日本がもくろんだ,
    これさえ成れば中華民國は降參する,というハズな
    南京陥落,
    だったが。
    いまかいまかと降服の機會を探っていた腰くだけの蔣介石に,抗日の決意させしめてしまう,という意味においては非常に効果的だった
    南京屠殺。

    どんな人間でも,國家でも,
    ここまでやられれば,抵抗せざるを得ない
    という,抵抗の閾値をこえた,ということだ

    なぜなら,抵抗しても,しなくても,殺される,と言う,窮境極限の不条理が,中國の大地に現出せられたからだあたりまえのことである

    人間は,抵抗するのである。
    という
    これは,中國という大地に樹ちたてられつけた“國家”の歴史を學んで思い知らされた,わたしにとってのシンジツであり
    わたしの,“歴史の認識”だ。


    ところで。
    海外の耳目を集めた南京の慘憺たる状況,をすかさず利用し,中國全國民に抗戰の意義と繼續を訴え鼓舞し士氣を高めるよう檄を飛ばした、蒋介石。
    蔣介石は海外のNanjing Massacre報道を,もしくは年明けに特集された雜誌『ライフ』の特集記事など含め,抗日プロパガンダに大いに利用した。


    が蔣介石が利用したからと言って,あたり前だが,「なかった」ことにはならない。

    利用した利用したと,「南京なかった」側はいいつのるが
    利用されたなら利用されるだけのことをしでかしていたということを檢討もあえてせず

    なんで利用したことが「なかった説」を裏付けることになるのかさっぱりわからんが

    中國がネツゾウし,歐米各メディアもネツゾウし,1937年12月クリスマス前の世界中かけめぐったニュースによって,震撼させられた世界,という奇妙なハナシ。
    逆にいえば,蔣介石はその「世界中がおかしたマヌケな錯覺」をみごとに利用しきって抗戰を戰ったのだ。
    というよーな文脈での,論證はもちろん歴史的論考すらもいまだに為し得た研究者はいない

    その時,一斎に歐米の反日メディアな各新聞によって,見事に騙されてしまったマヌケな世界人民,
    というおとぎ話がシンジツなら
    ならばなぜ,そんなに世界がそんなに反日だったのか?
    ということに思い致さねばならない。
    そこに自慰と自虐以外の何か事象があったと考えるなら
    世界各地で日をおかず “報道された”という事實,その質量は重い。

    大陸で起きたことごとを、ナイーブなニホンジン一般にはできれば知らしめたくないという心性は,
    戰時下もいまも
    同じ。
    戰前レジームを愛する權力側にとって不都合な真實,不都合な記憶。

    “隠すより現るるはなし”

    それでもいったん明らかならしめられた,知らしめられたことは
    荒唐無稽を以てしてしか反論しようがないのであるという。

    ニホンジンの一部の人は
    中華民國國民政府が「それを利用できた」のは,いったいなぜなのか?という時系列におもいいたすことはしないまま,
    中國に「利用された」
    だから誇大だ,ネツゾウだ,
    ホトンドナカッタ,イヤ,ナカッタ,
    と言い張っているのである。

    そうして,簡單な時系列の思考をイマイチニガテとするレキシ男子レキシ女子のハートをひきつけ
    日日ネトウヨチルドレンは増殖していくという仕組み。
    それがのちの世にどういう結果をもたらすかなんて,どのみちわたしが死んだあとのことだ,
    しったこっちゃないけれども

    “レキシ” は記憶されるためにあるはずなのだが。

    「記憶されない歴史は繰り返される」

    とは朝鮮半島の民族の膏血からしぼり出された無二の格言だ。

    広島市をディスるつもりは毛頭ないが,
    にほんじんらしいなあ,とおもわざるを得ない
    どんな立場の人も納得できるようよくよく,配慮された最大公約數的,
    あいまい主體。責任あいまい所在な,反省の弁,
    だれにむかって,だれがこの誓いを擔保するのかという一切が抜け落ちた・・・・

    それでいて,日本の民のまごころ,衷心からの追悼哀惜の,情緒的だれもが胸を打たれる言葉がある。

    しかしながら。

    安らかに眠ってください 
    過ちは繰り返しませぬから

    という,ヒロシマの碑文にさえ
    まるで日本が過ちおかしたみたいじゃないか,

    堂堂と広島市にイチャモンつける妄人がいる日本ぢゃある。
    アベノ一味ねとサポであることはいうまでもないが

    死者よ,どうか眠らずにわれわれのことを叱咤しつづけて下さい,
    というような文言こそが,戰爭を,われわれの,心に生じさせないためには,よりふさわしいのではないかとさえ感じるこの頃である

    わたしが初めてこの碑文を目のあたりにした時には,なによりあやまちということばに強く心をゆさぶられこうべをたれたものだったが。
    ずいぶんと,はるか昔だ。
    今,このことばに,加害者としての心持ちをあえて持することをやんわりと 謝絶するような、心性が感じられてならないのも。
    率直にいってわたしが抱かざるを得ない,違和感だ。

    恍如隔世

    忘れやすく,水に流しやすい日本の民。
    マゴコロだけでは,戰爭は防げない,情緒は戰爭の燠火だ,

    何よりも,理性がうしなわれていく,虐殺の前夜。
    論理性,とともに平和への意志を,搖さぶり損ない,無力化するのは,
    情緒的,抒情的,感動氾濫
    附和雷同された世間の正義感
    人情でくるめられて吟味されないことば。

    そんなことをつよくおもう

    人情とは。
    今の嫌韓世論。
    あれがまさに
    人情だ。

    以前にもましていいたいことがどんどんどんどん喉もと(指先)までこみあげてきて
    ますますどーしよーもない近頃のわたしである。

    この頁で書かれるべき前置きはたった一つなんだが


    日本人民は内地で何も知らずに戰爭はオワッタとばかりお祭りキブンであったが大陸では,まったく日本帝國の思惑とは逆の方向に,「戰爭」が推移擴大していったのであるという一九三八年以降

      第二章 強制連行
        強制連行政策


     中國侵略戰爭の深化とともに,戰爭に必要な物資や勞働力などを全面的に總動員するための「國家總動員法」(一九三八年四月)が公布され「勞務關係勅令」が矢繼ぎ早に發動され,ついで企畫院による「勞務動員計畫」がたてられた。注⑥

     それによって一九三九年一月「國民職業能力申告令」が實施されるとともに,七月四日閣議決定による「國民徴用令」が發表され大々的な動員がはじまった。

     しかし朝鮮に對しては,「徴用令」そのままの形での適用を避け「募集」形式での動員計畫がたてられて實施された。 
     大蔵省管理「日本人の海外活動に關する歴史的調査」(朝鮮編第九分冊)では,「徴用令の發動は,ともすれば無用の誤解摩擦を招くおそれがあったので・・・・・」としているが,これによっても民族抵抗を何よりもおそれたことが考えられる。

     同年同月商工省は「石炭増産のための新方針」の中に,「勞働力の補給策として半島人勞務者竝びに婦女子の利用」を明らかにした。注⑦

     前述の動員計畫によって一九三九年における需要勞働力は一一〇万と決定されたが,その供給源五項目の一つとして朝鮮人勞務者の重要産業への連行が決定された。
     その結果一九二五年以來の「朝鮮人勞働者移入制限方針」が解消されて,特に特に勞働力の不足を告げていた炭鑛,鑛山及び土建業に集團的連行が強行されることになった。

     同年七月二十八日の内務,厚生兩次官名儀の依名通牒「朝鮮人勞務者内地移住に關する件」により同年度は八万五千名の朝鮮人の集團連行が各業者に認可された。
     この朝鮮人連行は,從前の募集許可による個別的渡航と併行して新たに計畫されたものであり,事業主にたいし集團的連行を認める戰時報國の強制力をもったものであった。

     同年九月からの實施にあたり,從來の「勞働者募集取締規則」(朝鮮總督府令第六号)の外に,
    「朝鮮人勞働者募集要項」,「朝鮮人勞働者移住に關する事務取扱手續」を規定し,雇傭条件,募集地域,募集期間,輸送方法などについて國家權力による嚴格な統制が加えられた。
     すなわち,朝鮮總督府,警察當局,職業紹介所,關係協和團體などの緊密な連携と綿密な計畫の下に連行が實施された。
     
     「勞働者募集取締規則」の中には連行する朝鮮人勞働者に承知せしめておく事項としてつぎのような規則がある。

     イ) 時局産業に從事し,以て國家に貢獻せんとするものなることを自覺すること。
     ロ) 内地渡航後は所定の訓練所に入所,訓練を受くべきこと。
     ハ) 職場の變更はこれを為さざること。
     ニ) 協和事業團體に加入し,その会員證を所持すべきこと。
     ホ) 住所を變更したときは五日以内に協和事業團體に届出すべきこと。
     ヘ) 内地の生活風習に順應し,内地人の嫌惡するが如き所為なきこと。
     ト) 言語は国語(日本語=引用者)を使用すること。
     チ) その他協和事業團體幹部,警察官及び職業紹介所院の指示に 服すべきこと。 
               注⑧


     以上の規則の内容から見てもわかるように強權的な拘束が行われており,後出の資料が示すようにこれらの朝鮮人は大部分が行き先も知られずに連行されているのである。注⑨

     一部に一九三九年~四三年の移入は自由な募集による渡航であるかのように言われているが,以上の資料からみてもそれは當をえてない。
     一九三九年の連行は石炭山,金屬山,土建業などに許可され,九月中旬から一〇月下旬にかけて事業主の代理人が南朝鮮の七道の地域(京畿道,忠淸南北道,全羅南北道,慶尚南北道)に出張し,割あて人員の狩りたてにつとめた。

     この一九三九年度の連行状況を見ると次のようである。
     一一月末現在割當人員八万五千名中,三一,七九七名が各事業主に認可されており,一〇,七九七名が連行されている。
     そのうち代表的な地域をあげてみると,北海道一〇,三九六名,福岡縣六,七八〇名,長崎縣二,九二〇名,長野縣一,九〇〇名,福島縣一,五〇〇名,佐賀縣一,二六〇名,宮崎縣一,〇五〇名であり,朝鮮人勞働者の状態は次のようであった。
     
     「而シテ是等朝鮮人勞働者ノ素質ハ概シテ良好ニシテ,各業者ニヨリ其將來ヲ嘱目サレツツアルモ,一部ニハ思想的二イカガハシキ者モ混シ居リ,之等分子ハ他ノ一般善良ナルモノヲ指嗾シテ紛争議ヲ惹起セシメツツアアリ。
     又,應募ヲ内地渡航ノ手段トシタル者アリ,之等ハ坑内作業ニ恐怖ヲ感ジタル者等ト同様逃走シツツアリテ現在判明セル逃走者ハ一六〇名ノ多キニ達ス。サラニ移住朝鮮人中ニハ他人ノ替エ玉トナリ渡來シタル者アリ,現在マデニ発見シタル者ハ北海道五七名,福島四名計六一名ナルガナホ未發見ノモノ相當アル模様ニシテ斯ル状況ハ不逞分子ノ内地潜入二最適ノ機會ヲ與フルモノナルヲ以テ將來注意警戒ノ要アルヲ痛感スル次第ナリ。
     次ニ募集ニ依ル移住朝鮮人ハ不平不満等アル場合ハ常ニ集團的行動ニ出ヅル傾向アリ,特ニ對事業主マタハ對内地人ノ場合ニ於テ斯ル傾向顕著ナルモノアリ・・・・・・」注⑩



    注⑥『戰時戰後の日本經濟』J・B・コーヘン 大内兵衛(一九五〇年) 岩波書店
    注⑦『特殊勞務者の勞務管理』産業能率増進叢書 前田一(一九四三年) 山海堂
    注⑧同上
    注⑨『炭鑛における半島人勞務者』勞働科學研究所 (一九四三年)
    注⑩「募集二依ル朝鮮勞働者ノ状況」内務省警保局保安課 (一九三九年)

     朴慶植 『朝鮮人強制連行の記録』

       外村大著『朝鮮人強制連行』岩波新書69頁 


     


    いくつか注意深く讀まれるべき記述があると思う
    とりわけ赤字でしるしたところ。

    かりに國家,が,タテマエとして,
    朝鮮人の勞働力を,人が集まらない過酷な現場に充填しようとすることにいかにも抑制的であったとしても,だ。

    行政が,戰時報國の美名を与えて,連行をもって劣惡な環境の勞働力充足策を,事業主に奨勵していたことが,
    よく透けて見える。

    また,朝鮮人はもちろん日本で帝國に職をあてがってもらい喜んでいたわけではなく。


    帝國はいつでも,
    朝鮮人のありうべき, “抵抗” を恐れていた。
    事業者も逃走と集團爭議,もしくは暴動を恐れていた。

    つまりは,強権と取締,直接的には現場で暴力と拘束を作為しつづけていなければならなかった

    それはなぜなのか?
    半島から連れてこられた彼等は帝國日本のためになぜ報國の精神もて滅私奉公しなかったのか?



    つづく

     

    玄


        管理人: 少玄 (女子)


      
     楞伽案前, 楚辭肘後
     

      ― 本人不是佛教徒,
       當然是一個的詩囚 ―




     朴慶植
     『朝鮮人強制連行の記録』

      


     河上肇
     『日本獨特の國家主義』


     屈翁山 屈大均カテゴリー

      

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    * East Asia War
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      抗日戰舊體詩

      本ブログの骨幹です。
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     口號,頌歌。
      抵抗者の忼慨をうけ連綿と
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      は特に御薦めする

      

      詩人詩篇題 INDEX

     田翠竹 1913-1994 湖南 湘潭
     《洞庭碧血》其四其二
     《血観音歌1943年作
     《重九》《甲辰雜詩
     《抗戰百詠・十首
     《還湘又將別家去桂書懷
     《避難吟荒江雪意
     《中秋后還家再去耒陽
     胡繩 1918-2000 江蘇蘇州
     《南京夜聞流亡東北學生
     《松花江上
     寇夢碧 1917-1990 天津
     《淪陷紀事詩
     黄假我 1916-1985 湖南寧郷
     《青年謠壬午五四青年節
     《柬呈柳亞子先生
     《暮春雜詠
     《過塘沽
     《瀋陽中秋對月
     《宿錦州
     《錦州廣濟寺前
     金紫衡 1914-? 河間瀛州
     《四周年瀋陽驚變九一八
     《沈監秋夜
     《瀋陽除夕寄徐
     《延邊辭歳1943年除夕
     《蘇武牧羊圖
     《山居雜詠
     《北平易幟
     《南京陥落
     《吊江南
      
     錢鍾書 1910-1998 江蘇無錫
     《故國》  《哀望
     《得龍忍寒金陵書
     張滌華 1909-1992 安徽鳳臺
     《南京大屠殺感賦
     盧前 1905-1951 江蘇南京
     《招西北之魂
     《百靈廟,更招東北之魂
     王季思 1906—1996 浙江永嘉
     《懐人五絶
     羅元貞 1906—1993 廣東興寧
     《路過上海有感
     《黄浦灘倚欄夜作
     《清明哭母二首》 《病裏
     《初到并州懷劉越石
     《中秋漫筆二首》
     《故都秋夕
     《送行
     《夜過景山
     張采庵 1904-1991 廣東番禺
     《勝利在望書此志喜
     《鬼意
     《亂離
     《秋夜》  《感憤
     《寇陷長春李君如玉僅
     身免南下相逢握手一慟

     聶紺弩 1903-1986 湖北京山
     《題 “藥” 兼吊秋瑾
     胡士瑩 1901-1979 浙江嘉興
     《過秋瑾墓感賦二首
     王禮錫 1901-1939 江西安福
     《再會,英國的朋友們
     何永沂 ?-? 廣東
     《報載日本首相參拜靖國
     神社憶南京大屠殺事感

      

     舒慶春 老舎 1899-1966 北京
     《七七紀念
     《沫若先生邀飲賴家橋
     《述懷
     《賀冰心先生移寓歌樂山》
     《哭王禮錫先生二首
     常燕生 1898-1946 山東
     《遊春八首選二》其一
     馮振 1897-1983 廣西北流
     《暮春
     《傷楠兒
     《野望
     《登蒼梧北山
     《草食人
     《病後
     《登銅石嶺最高頂
     林庚白 1896-1941 福建閩侯
     《次和炎南兄七七見寄韻
     《續丁丑雜詩六之一
     《水調歌頭,聞近事有感
     《丁丑雜詩三首
     《渡江至武昌
     《江岸散歩
     《月夜小步
     《七月十二夜坐月
     《浣溪沙
     《首都飯店聞警同北麗
     《病起聞警
     《江防
     《聞道二之一
     《難民來
     《夜聞鑿防空壕聲
     郁達夫 1896-1945 浙江富陽
     《贈光華報同人"/>
     郭沫若1892-1978 四川樂山
     《挽王禮錫
     唐鼎元 1894-1988 江蘇常州
     《哀瀋陽
     《武漢空戰三捷歌
     柳亞子 1887-1958 江蘇呉江
     《八聲甘州-次任潮將軍
     韻為亡友庚白先烈賦

     李濟森 1885-1959 廣西蒼梧
     《八聲甘州-林庚白
     先生香江殉難以表哀

     張鳦生 (不詳福建)
     《感事次達夫先生韻
     《南京失陥
     《七七掲開抗戰序幕
     《吊鑒湖女俠墓
     《贊東北義勇軍》二首
     《九一八感作
     《頌寶山姚子青全營殉城
     李大防 1878-?  四川開縣人
     《金陵作
      
    * list of poetry    Late Qing,Republican

        ☞瞿秋白 瞿秋白の生涯と詩作「形單影隻,孤苦畸零」雄魄 顛簸的一生

     史鐵兒 1899-1935 常州武進
      『餓郷紀程』1919-1923

     〔新體詩〕
      《心的聲音“遠”》1920年
      《去國答"人道"》1920年
      《無涯》(1920年)
      『餓郷紀程・跋』1921年
      《國際歌》 1923年
      《赤潮曲》 1923年
      《夢中鞋》 1923年
      《鐵花》 1923年
      《天語》 1923年
      《小小的蓓蕾》1929年

     〔舊體詩〕
      《詠菊》 1914年
      《哭母》 1916年
      《雪意》 1917年
      《紅梅閣  1926年>

     〔獄中誌〕
      《
    絶筆》1935年6月18日
      《浣溪沙》1935年5月
      《卜算子詠梅》1935年5月
      『瞿秋白筆名印譜

        


        ☞ 林庚白子舊體詩に すすむ

     林學衡 1896-1941 福建閩侯

     〔七言詩〕
      《次和炎南兄七七見寄韻
      《續丁丑雜詩六之一
      《丁丑雜詩三首
      《渡江至武昌
      《江岸散歩
      《首都飯店聞警同北麗
      《病起聞警
      《江防》 
      《難民來
      《夜聞鑿防空壕聲

     〔五言詩〕
      《聞道二之一
      《月夜小步
      《七月十二夜坐月

     〔詞牌〕
      《水調歌頭-聞近事有感
      《浣溪沙
      《菩薩蠻-送別
      《減字采桑子-雨夕書懷
      《曲牌行香子-
       -舊曆重陽樓望寄璧妹
      《琴調相思引-午夜聞歌
      《賣花聲-雨中樓望
      《鳳凰台上憶吹簫-
       -雨夜無寐》《-海行夜起
      《滿江紅-秣陵感懷
      《摸魚兒 紅豆





      
    淸末民初“革命春秋”
     
     鄒容 威丹1885-1905四川巴縣
     《獄中答西狩
     『革命軍
     劉師培1884-1919江蘇儀徴
     《一萼紅-徐州懷古
     《賣花聲-登開封城

     黄節 玉昆1873-1935廣東順德
     《送劉申叔元日東渡
     秋瑾 璿卿1875-1907浙江紹興
     《滿天紅
     《杜鵑花
     《去常德舟中感賦
     《杞憂人
     《梅十首選其二
     《詠琴志感
     《讀書口號
     《殘菊
     《秋海棠
     梁啓超 1873-1929 廣東新會
     《讀陸放翁集

     章太炎 1868-1936 浙江余杭
     《獄中贈鄒容
     《辰州
     《亞洲和親會規約
     陳國常 1864-? 四川榮昌
     《徐烈士墓
     《秋瑾墓

     康有為 1858-1927 廣東南海
     《
    大同書成題詞
     黄遵憲 1848-1905 廣東嘉應
     《庚午中秋夜始識羅少珊
     魏源 默深1794-1857湖南邵陽
     《江南吟・其八
    * list of poetry     The Qing Dynasty 

        龔 定盦 龔璱人
         浙江杭州 1792-1841

       
      『平均篇
      『乙丙之際箸議
      『己亥雜詩全三百十五首
     〔七言絶句詩〕
      《己亥雜詩 百二十五
      《己亥雜詩 六十二
      《己亥雜詩 八十五
      《己亥雜詩 九十六
      《漫感
     〔七言詩〕
      《己卯雜詩自春徂夏全首
      《又懺心一種
      《常州高材篇
      《驛鼓
      《夜坐》其一
      《夜坐》其二
      《秋心》三首之壹
        
     〔五言詩〕
      《夜讀番禺集書其尾
      《又一首
      《戒詩》五章其一、二
      《自春徂秋偶有所觸拉雜
      書之漫不詮次得十五首

      《紀夢》七首之五
      《賦憂患
      《賦得香
      《觀心
      〔曲牌〕
      《端正好
      《醜奴兒令
      《念奴嬌 湘月
       龔自珍 編年校注 古典文學叢書
      ☞ 人痾芙蓉 阿片戰爭
    * list of poetry     The Ming Dynasty 

      屈翁山 屈大均 號 莱圃
       1630-1696 廣東番禺

       
      〔七言詩〕
     【屈大均詩集】七言絶句目録
     【屈大均詩集】七絶集 貮・參
     【屈大均詩集】七絶集 肆・伍
     【屈大均詩集】七絶集 陸
     【屈大均】《哭華姜百首》

      〔五言詩〕
     《哭内子王華姜》一三首
     《詠懷》一七首
     《詠古》二七首

      〔曲牌〕
     【屈大均詩集 詞牌
     《念奴嬌 湘月
      
      








    * list of poetry     The Song Dynasty

       文天祥 宋瑞 諡 忠烈
        江右人 1236-1283

       
       《劉琨
       《夜坐

       劉克莊 潛夫
        莆田城廂1187-1269

       《雜記十首》其二,其八






       元遺山 元好問 裕之
        山西秀容 金1190-1257

       
       《論詩絶句
       《孤劔詠
      《種松》 ,《出都
      《俳體雪香亭雜詠坐
      《壬辰十二月車駕東狩後





       陸放翁 陸游 字 務觀
        浙江紹興 1125-1210

       
      《夜歸偶懷故人獨孤景略
      《東籬雜題
      《雜書幽居事
      《水亭》,《八十一吟
      《卜算子詠梅







       邵堯夫 諡 康節
        范陽人 1011-1077

       
        《觀物吟
      《義利吟
      《自餘吟
      《乾坤吟二首
      《天聽吟
      《辛酸吟
      《論詩吟
      《夢中吟
      《不寢
      《洗心吟
      《晨起
      《寄楊軒
      《百年吟
      《感事吟
      《繩水吟
      《淸夜吟
      《歩月吟
      《月新吟
      《月到梧桐上吟




    * list of poetry     The Tang Dynasty

       李長吉 李賀
        791-817 河南昌谷

       ☞李長吉詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔五言詩〕
       《申胡子觱篥歌
       《詠懐其一
       《詠懐其二
       《七月一日曉入太行山
       《潞州張大宅病酒遇江使
       《走馬引
       《古悠悠行
       〔七言詩〕
       《長平箭頭歌
       《酒罷張大徹索贈時…
       《綠章封事爲呉道士…
       《酒貝宮夫人
       

       杜少陵 杜甫
       712-770 長安

       《戯為論詩絶句》其一,五
       《詠懷古跡》五首其一,二


       孟東野 孟郊
       751-814 湖州武康

       ☞孟東野詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔全詩集〕
        壹・一~四卷(宋本)
        貮・六~十卷(宋本)
       〔樂府〕    《古怨別
       《古別曲
       《飢雪吟
       《寒江吟
       《苦寒吟》
       《遊俠行
       《羽林行
       《春日有感
       《游俠行
       《偶作
       《遣興》
       《
    聽琴》
       〔七言絶句〕
       《
    登科后
       《傷舊游
       〔五言絶句〕
       《旅行
       《邀花伴
       《古恩
       《閑恩
       《喜雨
       《春後雨
       〔五言古詩〕
       《答盧虔故園見寄
       《哭秘書包大監
       《送孟寂赴舉
       《寒溪》其三,五,六
       《夜憂
       《夜感自遣
      

        賈浪先 賈島
        779-843 范陽涿州 

        ☞
       《壯士吟
       《劍客
    * list of poetry     The Six Dynasties

       庾子山 庾信 庾開府
        梁 513—北周 581 

       庾信カテゴリーへ直接進む
       『庾子山・全詩集』上
       『庾子山・全詩集』下
       《哀江南賦・序
       《哀江南賦①
       《哀江南賦②
       《哀江南賦③
       《哀江南賦④
       《擬詠懷詩
       《詠畫屏風詩
       《望月詩
       《舟中望月詩

       庾子慎 庾肩吾
        梁 487-551

       
       《經陳思王墓詩
       《同蕭左丞詠摘梅花詩
       『庾肩吾・全詩集

       江總 江總持
        梁 陳 519-594

       《橫吹曲
       


       鮑明遠 鮑參軍 鮑照
        劉宋 414?-466

       鮑明遠 鮑照カテゴリーへ直接進む
       《代出自薊北門行
       《代結客少年場行
       《代升天行
       《扶風歌
       《學劉公幹體》其一~五
       《擬阮公夜中不能寐
       《冬至》,
       《代夜坐吟》

       
       江淹江文通
        劉宋 齊 梁 444-505

       《劉太尉琨傷亂


       劉越石 劉琨
        晉 224-262

       ☞劉琨カテゴリーへ直接進む
       《答盧諶詩・序
       《答盧諶詩
       《重贈盧諶詩
       《扶風歌

    * list of poetry     The Han,Wei,Jin

       嵆叔夜 嵆康
        晉 270-318

       ☞嵆康カテゴリーへ直接進む
      《雜詩》  《幽憤詩》
      《四言贈兄秀才入軍詩十八首


       阮嗣宗 阮籍
       晉 210-263 兗州陳留

       
     『阮歩兵詠懷詩全首MENU』
      《詠懷詩》其一~其十
      《詠懷詩》其十一~其二十
      《詠懷詩》其二一~其三十
      《詠懷詩》其三一~其四十
      《詠懷詩》其四一~其五十
      《詠懷詩》其五一~其六十
      《詠懷詩》其六一~其七十
      《詠懷詩》其七一~其八二

       



       曹操 曹孟德
       沛国譙 155-220魏武

       
       《歩出夏門行

       曹子建 曹植
       192-232陳思

       
       《求自試表》上
       《求自試表》下
       《升天行
       《朔風

      漢魏晉 建安文學 三曹


      繁欽 繁休伯 建安?-218
       《遠戍勸戒詩
       《征天山賦
      繆襲 繆煕伯 建安186-245
       《屠柳城

      漢代樂府歌辭
       《戰場南



    * list of poetry    Pre-Qin and Others

      詩賦・樂府歌辭・偈頌
       
      南北朝・北歌
      《望月》蕭綱・梁簡文
      《隴頭歌辭
      《青溪小姑歌》南北朝末隋初


    * Prolet’Kult contents

      金時鐘 Gim Sijong 1929-

       

     『地平線
      《生きのびるもの
      《夜よはよ來い
      《距離は苦痛を食つている
      《夏の狂詩
      《1951年6月25日の晩餐會
      《夜のつぶやき
     『猪飼野詩集
      《夏がくる
      《影にかげる
     『光州詩片
      《日々よ,愛うすきそこひの闇よ
      《
      《
      《噤む言葉―朴寛鉉に
      《冥福を祈るな
     『四時詩集失くした季節
      《四月よ,遠い日よ。
      《

      《種族檢定


       日本人反戰同盟
       (1938-1945 中國)

       
       鹿地亘 1903-1982

      『自傳的文學史』(1959)
     第8章(前)・檢擧 拷問
     第8章(後)多喜二獄中志・死
     第10章・検察 釈放 脱出

       『中國の十年』(1946)
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      1 出獄から
      2 昭和十一年舊正月
      3 夏衍 蕭軍 左翼作家聯盟
      4 民族魂 魯迅との邂逅
      5 阿Q 魯迅の死
      6 七・七事變の勃發
      7 反侵略友誼的激勵
      8 上海 ルイ・アレー氏
      9  ホンコンへ脱出
     10 入境の日本人解放鬪爭
     11 武漢時代 國共合作
     12 武漢時代 朝鮮義勇隊
     13 武漢時代 日本人捕虜
     14 大移動 南嶽會議前後
     15 呉石將軍と廖濟寰氏
     16 桂林時代 蔣介石
     17 桂林時代 崑崙關
     18 重慶 反戦同盟總部
     19 湖北 陳誠將軍 恩施にて
     20 湖北 宜昌の前線
     21 ―新四軍事件
     22 郭沫若のこと
     23 重慶 ― 南進か北進か
     24 反戰同盟發展 
     25 重慶 破壊者 潜入
     26  天皇制の問題
     27 祖國 最終章




      小熊秀雄 1901-1940
      『小熊秀雄詩集1935年
      『流民詩集1947年
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      槇村浩 1912-1938
      『間島パルチザンの歌』
       ☞ 詩篇 TitleMenu

      中野重治 1902-1970
      《新聞にのった寫眞
      《兵隊について
      《噴水のやうに》《歌
      《私は月を眺め》《波》4

      黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 1931
      『國境』 1931
      『』 1927
      『』 1928
      『武装せる市街』 1930
      『パルチザン・ウォルコフ』 1928

      田邊利宏 1915-1941
      
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      金鍾漢 1916-1944
      《合唱について
      《一枝について
      《古井戸のある風景
      《待機
      《行状
      《空山名月
      《

     反戦詩人☞ 詩篇TitleMenu

    * list of poetry    Japanese modern


      富澤赤黄男 1902-1962

       

      《蒼い弾痕》『旗艦』1939
      句集『天の狼』1941
      句集『天の狼』抄1951
      《風景畫》 『蛇の笛』1952

      金子光晴 1895-1975
      《落下傘》《湖畔吟
      《燈臺》



       短詩運動 大連『亞』  
       
       
       安西冬衞 1898-1965
      《黑き城》『渇ける神』1933
      『大學の留守』1943
      《砂漠》『軍艦茉莉』1929
      《夜の思料》『軍艦茉莉
      《八面城の念力》1933
      《砂漠の行者が臥てゐると
       鴉が食物を運ぶ

       『亞細亞の鹹湖』1933

       
       北川冬彦 1900-1990
      《
      《戰爭》『戰爭』1929
      《絶望の歌》
      《壊滅の鐡道

      《風景》《埋葬》『氷』1933
      《爛れた月》《斑らな水》
      『檢温器と花
    』1926
      《泡》『馬と風景』1952


     
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  1. 鷹虎兄:No title (10/01)
  2. 荒野鷹虎:玄さんへ!! (09/30)
  3. 玄:Re: 説的対 (08/19)
  4. 包:説的対 (08/19)
  5. * list of poets & link

     中國詩について
     中國詩はもともと,象形であるところの文字を用いて詠まれている。つまり西洋詩にいわゆるサンボリズム象徴詩,と言う「形式」は既に自得する。自得されてしまつている。
     それが中國詩。漢字,一個の體は“意”,“理”を途方もなく内包し,文脈や文法を破壊するフォースを持つ。
     詩作はそこから始めらる。古體,近體,舊體,新體,いつの時代,どの様式下であれ,漢字を用う限り,そこからは解放されることはない。が,裏を返せば“一個字”,それ自體が, “自由”,を持つ,ゆえ,詩は,自在でありパワフルネスとなる。
     こうした作法の約束ごとは,宿命であれ,そこに限界あり,とはいえ,その限界はひろがりつづける。

     前秦漢魏の古詩は,メタファーのいくつか謂わば慣習・クリシェ表現であるがそれを知るだけで,わかりやすくなる。 詩人たちのの膨大なアナロジーの蓄積にたじろぎ眩むが,知らねば,わからない。
     しかし漢魏六朝の古詩を讀むことでメタファーの森林をわけいり知りゆくと,唐詩はそのうえに「表徴」に凭れるだけではない「表現」そのものが厚みを増し可能性がおおきくひろがつていることがわかる,跳躍的に,である。
     さらに宋詩には,古來の中國思想に禪定(禪那 Dhyāna ディアナ)が加わり探究せられて淒みを増した思想的表現の飛躍がある。
     Impressionism,Expressionism,
    そのどちらにおいても深化がある。
     これを,真に,深く實感すると中國詩の虜囚となる。


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