盧前《桂殿秋 “過虹口” 》《上海陥 工人楊劍李萍之死》,李履庵《旅居九龍聞盧溝橋之變憤筆書此》

    時天下草創,邊徼未安

    前頁からのつづきです

    そもそもである。
    沙場がなぜ花鳥風月なのか。
    倭寇がなぜ近代の戰爭ににつかわしくないのか?

    倭人,胡兒,鬼子,そして。
    驕れる虜ともうたっているが,
    ほかの呼び方があるだろう,という日本人の謂いはwたしかにその通りだが,

    帝國日本の侵略を,倭人の寇略,と歌い著わしたら
    なぜ花鳥風月におしこめるなのだ?

    なぜに彼らが彼らの母國語で,民族の魂を喚び覺まそうとする詩を書くにおいて
    民族の先祖傳來の漢字を使っては,いかんのだ?
    というそもそもの疑問は
    抱くことさえバカバカしい,たぐいだが。

    そんなのカラス,ダ)のカッテでしょ,といいたくもなる

    ShanghaiLozen.jpg

    では似つかわしいのはなんだというのか?

    近代の戰爭でも,古代の戰爭でも
    抗日を志願してすえ,帝國日本軍の武力によって,あえなく
    戰死した息子に先立たれた親の心情は變わりようがことはないのではないか,
    とわたしはおもうが
    如何?

    以前,わたしは
    二千年以上前に詠まれた漢代の歌《戰場南》
    を載せたが。今も十分,通用する淒愴がある

    屍肉をついばみにやってくる鴉の大群に

      少し待て,
      もはや死んだ,兵士,たちだ,
      屍骸はだれも,もう動けない,
      もはやこの場、戰場から逃げられない,
      だから,
      カラスよ,
      せめてそのくちばしでつつく前に
      號べ,
      鴉ー,鴉ー,と哀哭せよ,
      烏はせめて啼いてくれ


    と歌う詩人,その抒發,抒懐であり,また,挽歌だが

    戦場南》前漢鐃歌十八曲之一

    日本人はすぐ外來の新しいものに飛びつき,意も理も缺いたまま,すぐさまそのキになる
    日中戰爭にうたうにさいして在るべきは「近代戰爭を詠えてない詩人」ではなく,
    新し物好きの,軽薄に,老文明をかなぐり捨てる詩人が必要だった,というなら。
    まさにそのとおりだろう,
    彼等中國人は,帝國ニホンジンには,本質的な不可解さというものを,つねに感じていたし,

    なぜ帝國日本人はこんなに野蠻なのか,

    いつも,いつでも,測りあぐねていたようなところがあった。
    だから譲歩していた,,譲ることで,民の犠牲や國家の疲弊がより小さくて済むならば,と
    しかし,

    “夜郎妄敢再稱兵 

    なんだなんだなぜなんだ?
    わけがわからん中國人

    だから日本人の軽薄さを余すところなく歌う詩人がいるべきだと?

    アハハ,そういうイミ?

    それなら“左聯”だろう。

    “左聯”は確かにそれをやってたかもしらんw
    “沈雁冰(茅盾)の小説にはいくらでも近代の戰爭が描寫されるし,“瞿秋白の歌をよめば,
    まさにそれかもしらんw

    《東洋人出兵》
    田舎語と北京官話の2ヴァージョンつくっていた

    カルい筆致で描かれた瞿秋白の歌はプロレットカルトの手本ともいうべきな,
    舊弊をあざ嗤うところがあったが
    さはさりながらモスクワ帰りのニューエイジ,ニホンジンやかよっぽど近代的知性の頭腦勞働者だった瞿秋白さえ,獄中言志は唐詩の集句であらわした。


    “左聯”と民族詩壇の母體といってもいいだろう,南社の,長沙の詩人のそもそもの
    深いつながりを考えれば。
    近代性と「民族魂」は車の兩輪である。
    やるべきことを分擔していただけだ,ともいえる,

    しかし。

    では,いったい反動も革新も一致団結しておん “國” のために歇くした報國會は。
    では何を詠っていたのだろうか?
    歌われていた歌は近代の戰爭を詠ったものだったろうか?

    何をほざいて, “千女縫” をやらせ,兵士に無言の凱旋を果たさせていたか?

    その事を詠い,不倶戴天的,怒髪衝冠的にっくき帝國日本の内地の民の
    兵士の屍の歸還を迎える遺族の悲嘆を思い愴む歌さえ,
    抗日詩のなかに有るがw

    當時,日本國内に厭戰はゆるされなかった。

    そんなことはもちろんわたしはしっている

    お上によって出征兵士の戰死に哀哭を表すことはタブーであり
    出征を狂喜し,無言の歸還をほまれとせねばならない
    そうでなければいけなかった狂氣のなかに在った


    その内地で歌われていた歌は近代の戰爭を詠ったものだったろうか?

    イッタイ 
    「近代性」とはなになのか?

    あくまで輕く、仄けく,儚く,理もなく意味もなく,

    天皇はスゴいからスゴいんだ
    東亞の天のまた上の天上におわすのがわれらがアラヒトガミだっ

    とうたっていたのが,日中戰爭に心血注いだ,
    わがニッポンの,
    いさましくも,いさおしあげしブンジンたちではなかったか?

    盧前《桂殿秋 過虹口》


    これも,だ,
    已に魂が斷たれた?だと。
    近代の兵隊に魂などあるものか,

    というか?

    東風が草を吹くのは花鳥風月

    と,わらうか?

    杜甫は詠ってるではないか,
    “古來白骨無人収

    たしかに帝國日本軍は中華民国の首都南京城市を徹底的に屠った後,
    現地の,生き殘った,逃げられず,生きて殘ってしまった恐怖におびえる “生民” を使役し,
    帝國日本軍が屠殺したての, “草民” の屍骸を運ばせてクリークの流れをせき止めるほど積み上げさせた。

    いずれは,血に染まる流れ,丹水の中で,
    白骨は,ついに骨,沫となり,丹水に沙,となり,海に流れゆくだろう

    漆灰骨沫丹水沙

    大行山脈でも帝國日本軍は無數の草民,生民を殺傷,殺害,焼殺したが

    ほら,近代の戰爭は,白骨さらし,青草むすまでほっとくことなどないじゃないか,
    花鳥風月だ,とおまえら,そうやってふるくさいことうたってろ,と。

    なんの役にもたたなかった?
    じっさいには大いに役に立っていた,というのも一面ジジツとしてあるのだが,

    捜そうとしてもこのひとにはみえないのかもしれない。

    この人は,この熊本大學の研究者は
    今後もし。

    いやたぶん。

    日本が沙場を現出するジタイをひきおこすことがあるときには,

    きっと報國近代戰爭學會でも結成して,雄々しく勇ましく,近代の “戰場”を描く ,
    好,戰爭な
    描寫もまあたらしい體制翼賛をやってのけるはず


    なぜなら

    そもそも日中戰爭は

    日本が近代文明を “會得” してしまったから
    起きてしまった悲劇,という一面のシンジツが,あるからだ。

    わたしは近代文明,以て,明治維新をやり遂げ,富國強兵できたからとて
    すぐに中國征服,而して東亞を欧米列強から解放するという,突拍子もないミッションに
    夢中になったかを,
    その,理,も,スジ,も見えないトー突感が,なぜ長く共有されついに正當化されてしまったのか,
    アジア全土に數千萬の屍をつみあげることになったか,

    引いては今,そのことが,まさに,キレイサッパリ忘れられて,
    忘れよう,とせられて
    うっかり口にすれば隠れウヨクの紳士,や,堂堂たるネトウヨのバカ者に
    攻撃されて脅されなければならない,
    あるいは,間違った世界観は「おカミに密告していい」制度という法治のもとに
    日本人は生きていなければならないか,ということを,

    ずっと考えている。

    日本に世界にあるような天道がないこと,それはいい,
    なぜなら
    日本はヒロヒトの天下だったのだから。

    しかしながらなぜ,ヒロヒトが世界の天のまた上を行く天子である,とナゼに妄想するにいたったか,
    ということだ。
    とはいうものの
    發端は何か,發祥がどこだったかそんなことには興味はなく,

    ある種のデンパケイの病氣を發症した,のは帝國日本全土に及んだのだし。
    まあいい加減に
    モトオリノリナガあたり,とわたしは見当つけてるわけだが,

    いったいなぜなのか?

    わたしはこの熊本大學の研究者がその答えを教えてくれたキがするのである。

    熊本といえば荒尾精かもしらんが,かつて宮崎滔天。
    笑っちゃいかんが江湖に生きたと覺しきそして浪曲師になった御仁,わたしはかれの發意はプロレットカルトにあった,そう考えているが,その滔天のふるさとだがw

    そんなもっこすの大學人が,なぜに。民族詩壇を侮蔑するか?w

    その答えはわたしの中には,ぬきがたくあって
    それは,この人々は中國の “文明” そのものを,憎み,引き摺り下ろして強姦してやりたいくらいにおもっている,ひとむれのひとびとだからだ。

    ネトウヨの憎惡と同じレベルの侮蔑感が,公費を使ってナンキンに行く。

    まさに,今,安倍政権がカネを據出するとしたらおおいにフンダンに據出するであろうw
    教育勅語のよーちえん並みに,ゴミ代割り引いてくれるかもしらん

    そこまでじゃなくてもアッキー使ってひゃくまんえんくらい。

    じっさい
    ネット上の實働部隊,またの名をナントカサポーター,姓アベ的と同根の性根が
    研究をしている研究ならw
    そんな,根とネト研究者が學問の世界にはウヨウヨいて,
    あるいは學生に何かを教えている,
    あるいは公に何かを發信する!!。

    願ったりかなったり。
    こんな好都合なことはないのである。

    そんなキがしてならないわたし

    rokoukyousisi.jpg李履庵《旅居九龍聞盧溝橋之變憤筆書此》


      旅居九龍聞盧溝橋之變憤筆書此 
       Lǚjū Jiǔlóng wén Lúgōuqiáo zhī biàn fèn bǐ shū cǐ

     樓依初日對愁生    lóu yī chūrì duì chóu shēng
     邊徼鳳眼照眼明    biān jiǎo fèng yǎn zhào yǎn míng
     薇蕨西山人可採    wēi jué xīshān rén kě cǎi
     魚鹽東海利同傾    yú yán dōnghǎi lì tóng qīng
     蠻歌入戸曾惆悵    mán gē rù hù céng chóuchàng
     朝報沿街有戰爭    cháo bào yánjiē yǒu zhànzhēng
     置我此間宜中酒    zhì wǒ cǐjiān yí zhōng jiǔ
     江潮滿地獨閒行    jiāng cháo mǎn dì dú xián xíng

     樓に依りて,愁れい生まれるままにのぼる朝日に對する,
     邊地徼の鳳眼を照らすごとく,わが眼に明るく
     西山に,いま,人,薇蕨を採るべし
     東海に,利,魚鹽を同じくして傾けん
     蠻歌,戸に入りて,惆悵をつみかさね
     朝に報ずるは,沿街,すべてに,戰爭有りと
     この,我と我が身を置くは,此のとき,此の間にも 中酒,宜しき
     江潮の,地に滿つるを獨(ひとり)行中に閒す


    邊徼=邊境
    鳳眼=鳳凰の目のように眦(まなじり)の不かい愁いを帯びた目。貴相とされる
    宜中酒=憂愁を表す常套的表現縁語のようなもの。
    江潮滿地=恰も錢塘の怒れる潮の満ちるがごとき



    盧溝橋欄干

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    張鳦生《“七七”掲開抗戰序幕》《對月》 盧前《減字木蘭花 “今從軍樂”》

    rokoukyou2.jpg

    齊首高唱歌,響聲徹雲霄

    さて,またことしも

    抗日戰詩を寫していこうと思う

    まずは,七七,張鳦生だが。

    《“七七”掲開抗戰序幕》 張鳦生 忍讓何能無止境,夜郎妄敢再稱兵。蘆溝橋上高歌起,響徹雲霄第一聲

     “七七”掲開抗戰序幕

     忍讓何能無止境   rěnràng hé néng wú zhǐjìng,. ,
     夜郎妄敢再稱兵   yè láng wàng gǎn zài chēng bīng
     蘆溝橋上高歌起   Lú gōuqiáo shàng gāogē qǐ
     響徹雲霄第一聲   xiǎngchèyúnxiāo dì yī shēng

     忍び讓るは何ぞ境に止どめ能うこと無し,
     夜郎の妄,敢えて再び兵と稱す。
     蘆溝橋の上に高く歌起こさん,
     その響き雲霄に徹さんとす第一聲!


    雲霄 yún xiāo= 無際,無窮。高い空。 雲の塊が飄飄と浮かぶ天高き空



    長歌正激烈,中心愴以摧

    詩の大意は,こういうことだろう,

     忍び,譲っていても何にもならず,とどまることをしらぬ,
     あの夜郎自大のやつらには見境などない,
     その妄,どうだ,このありさま。
     またぞろ,兵と稱して,強盗略奪,暴力の日本帝國!

     いざ,抗日戰爭の開幕だ,
     盧溝橋上に高歌響かせよう,

     第一聲から,“榮志溢氣”は雲霄に達す勢いとなるだろう


    雲霄はもちろん,杜甫の,樂府の,傑作中の傑作《兵車行》
    中國人なら誰でも思い浮かぶ
    戰亂と,兵士の悲惨,無辜の生民の苦しみ,を詠う,鬼哭啾啾,上乾雲霄


    杜甫の 《兵車行》は超有名な詩,ネット上にも和譯もたくさんあるので割愛する
    もちろん “鬼哭啾啾” という言葉が初めて日本につたえられたのも,
    この詩からだろう,750年前後に書かれた詩,というか,まあ樂府であるが

      《兵車行》

    車轔轔, 馬蕭蕭     Chē lín lín, mǎ xiāoxiāo,
    行人弓箭各在腰     xíng rén gōng jiàn gè zài yāo
    耶孃妻子走相送     Yé niáng qī zi zǒu xiāng sòng,
    塵埃不見咸陽橋     chén'āi bù jiàn xián yáng qiáo.
    牽衣頓足攔道哭     Qiān yī dùn zú lán dào kū,
    哭聲直上干雲霄     kū shēng zhí shàng gān yún xiāo.
                                     (一解 蕭韻

    道旁過者問行人     Dào páng guò zhě wèn xíng rén,
    行人但云點行頻     xíng rén dàn yún diǎn háng pín.
    或從十五北防河     Huò cóng shí wǔ běi fáng hé,
    便至四十西營田     biàn zhì sì shí xī yíng tián.
    去時里正與裹頭     Qù shí lǐ zhèng yǔ guǒ tóu,
    歸來頭白還戍邊     guī lái tóu bái hái shù biān.
                                     (二解 真韻,先韻

    邊庭流血成海水     Biān tíng liú xiě chéng hǎi shuǐ,
    武皇開邊意未已     wǔ huáng kāi biān yì wèi .
    君不聞漢家山東二百州 Jūn bùwén, Hànjiā shāndōng èrbǎi zhōu,
    千村萬落生荊杞     qiān cūn wàn luò shēng jīng
    縱有健婦把鋤犁     Zòng yǒu jiàn fù bǎ chú lí,
    禾生隴畝無東西     hés hēng lǒng mǔ wú dōng .
    況復秦兵耐苦戰     Kuàng fù qín bīng nài kǔ zhàn,
    被驅不異犬與雞     bèi qū bù yì quǎn yǔ jī.
                                   (三解  旨韻,止韻,齊韻

    長者雖有問         Zhǎng zhě suī yǒu wèn,
    役夫敢申恨?       yì fū gǎn shēn hèn?
                                   (四解 問韻,恨韻

    且如今年冬         Qiě rú jīn nián dōng,
    未休關西卒         wèi xiū guānxī zú.
    縣官急索租         Xiàn guān jí suǒ ,
    租税從何出?       zū shuì cóng hé chū?
                                   (五解 術韻

    信知生男惡         Xìn zhī shēng nán è
    反是生女好         fǎn shì shēng nǚ hǎo;
    生女猶得嫁比鄰     shēng nǚ yóu dé jià bìlín,
    生男埋沒隨百草     shēng nán mái mò suí bǎi cǎo.
                                   (六解 晧韻

    君不見, 青海頭     Jūn bù jiàn qīn ghǎi tóu,
    古來白骨無人收     gǔlái bái gǔ wú rén shōu?
    新鬼煩冤舊鬼哭     Xīn guǐ fán yuān jiù guǐ,
    天陰雨濕聲啾啾      tiān yīnyǔ shī shēng jiū jiū.
                                   (七解  尤韻

     惡=去勢




    《兵車行》 の美しさは,いうまでもなく韻律と抒情,
    惡,好,鄰,草,
    頭,収,哭,啾
    《戦場南》 と同じ悽愴と,悼む詩人,ホメーロスと同じである

    哭し號す民の情景

    草生す丘,新鬼煩冤舊鬼哭,

    命と愚行の連環,繰り返される兵燹。

    しかし,と。
    おもう


    響徹雲霄第一聲

    中國の民は,どれほどこの,抗日戰の大義を信じ,
    どれほど,この日をまっていたか,
    後退し,譲るばかりの “娼婦” の如き,蔣介石國民黨を情けなく,悔しい思いで見ていたか,

     帝國日本軍を祖國から追い出すために命を懸けよう,

    と。
    この氣持ち,これは華北の住民,の總意, 想い,ねがい,

    僞滿,傀儡「滿洲國」壓政下,
    家を奪われ,奴隷のようにこき使われるか。
    祖國を裏切り強盗につき從うか。

    滿蒙の凍てつく大地に抛り出されて,帝國日本の「開拓民」と稱する強盗たち,に,
    はした金でやとわれ農奴となるか,そうしてみじめに死ぬのをただ待つか

    抗日をするか。

    その選擇を迫られて
    生まれ育った故郷を捨てて一家離散,流亡する若者,學生たち。

    中國大陸にいきるものすべての本心であった, “意志” であった。

    その,

    うた。

    である。
    つまり “言志” ,抗いの理,がなせる言志である。
    鼓舞する歌,
    檄をとばす,それが

    盧溝橋上高歌起

    “長歌” ,つまり四言(短歌)ではない五言七言の詩,とは,
    荊軻,易水や,漢初,李陵,蘇武の故事を持ち出すまでもなくw
    忼慨を詠う。
    長歌とは,そういういみであり, “高歌” とは,塞上にてうたう,うた。

    漢民族の,うた。忼慨し,命を捨てる,その時に歌う “言志” である

    rokoukyoua.jpg張鳦生《對月》

     
    わたしは最近知ったのだが,
    なんと21世紀になっても,2009年だ,ある日本の中國文學研究者は。

    こうした彼らの抗日戰詩を,嘲笑し,盧前らの民族詩壇や,南社詩人を侮り,

     新しい戰爭を詠えていない,と。

    近代戰は沙場,倭寇のような語でうたえるものか,・・・

    みたいな。
    論文書いてたが。
    わたしには,これこそが,日本人の,いつ,いかなる時代にも變わらない
    夜郎自大,
    その,根底にある,根底に蟠って永遠にのくことのないニホンジンの個性だと,

    惡いけれども考えている。
    わたしも日本人だが

    “文” を冒瀆し,言説の力を侮辱し, “うた” が,人間の,人體の,
    どこに作用するかを知らぬ。

    つまりは,ことばの力, La force de l'imagination を信じない。
    「漢詩」はわからないだろう,

    いつの時代も「漢詩」を花鳥風月を吟ず,ととらえるバカなニホンジン。

    その典型だ。

    「詩詞のような旧い文学形式を成立させている伝統的な美意識」

    などという,そのくせ,その “伝統”がなんであるかをしらぬ,
    知ろうともせず,「漢詩」をまちがった固定観念にまるめこんでしまっている

    おそらく,このひとは中國文學者でも

     屈大均も,夏完淳も,知らぬ,ゆえに,盧前,柳亞子はわからない,

    そういうことだろう,とは,わたしは,思いたいがw

    そうではなく,そうした忼慨詩,言志知ったうえでのこの侮蔑的見解なら・・・・・

    あいもかわらぬ。

    強姦略奪殺戮をほしいままにしたしたかつての帝國日本とその手足の軍,軍事を全く反省できない,中國侮蔑にこりかたまったそニホンジンの資質,ではあるまいか

    そして,つまりは大學の研究者もネトウヨ程度の思考力,ということになるのだろう。

    いわく。

     
    戦争はなぜこのように描かれたのか。
    『民族詩壇』に集まった文人たちがもともと現実を旧詩的な感性でしかとらえやられない人々であったからであろうか。
    そうではあるまい。彼らの多くはこの戦争を指導してきた政治家であり、抗日戦争の政治的本質や近代戦としての性格に無知であったとは考えられない。事はそもそも旧詩という形式を選び取ったとき、詩意識がそれに制約されて先祖帰りしてしまうことに由来するのではないか。
    旧詩の美意識からすれば、戦争は「蜂火」、日本軍を「倭兵」「倭冦」、戦場は「沙場」と書くのが望ましい。だが、そのように書いたとき、戦争の現実は花鳥風月的な詠嘆の世界に封じこめられてしまうのである。

    「旧形式に新しい内容を盛ることができるのか」という問題が、詩詞のような旧い文学形式を成立させている伝統的な美意識と、そのような美意識では表現できない内容との矛盾として、盧冀野の前に現れているのが分かる。

     旧詩詞という文学形式を選んだ時、創作者たちを繰り返し花鳥風月の世界に呼び戻してやまない、漢語という文学言語が形成してきた伝統的な美意識は、「民族」とか「偉大な時代」というような観念には無批判に同化できても、苛烈な近代戦争の現実を情緒的にしか描ききれない。
    旧詩やその発表舞台としての『民族詩壇』が抗戦文学史においてさしたる影響力をもちえなかったのも、そこに最大の理由があったといえるだろう。これが『民族詩壇』の文学的側面への一つの結論である。




    まったくはなしにならん
    というのは
    「さしたる影響力をもちえなかった」
    は,まだしもよいとして
    「旧詩やその発表舞台」
    という認識は。

    田壽昌,すなわち田漢だが,をも,南社をも,
    侮辱する言い,
    盧冀野,このブログでもとりあげてきた盧前そのひとだがw
    かれの詞牌,さえ眼中にない?ということか?

    マッタク「詩」をしらないひとがなぜ抗戰中の民族詩壇を,研究をする,しなきゃならんのか,

    という
    理フジンに
    あきれるが
    ちなみに公立大學の,公費を使ってナンキンにはるばる出かけて
    民族詩壇の詩を初めて讀んだ,という,彼が寫し取ってきた名前の多くは
    南社の著名詩人も多く,

    日本軍に殺された詩人もいる。

    この國に,いまもむかしも,中國の民族自決の裏にあった詩歌の存在を語る中國文學者がいない
    これは絶望的である。

    沙場という語,この意味を,ただ,復古趣味とおもうなら,
    ならば,この詩の含意,解らないのもとうぜんだが


    悄立營門人未識!

    江南の悲壮がこめられる

    《減字木蘭花 今從軍樂》盧前

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    竹内好(終) 『中國のレジスタンス』 ―中國人の抗戰意識と日本人の道德意識   鶴唳將導致 ,戰爭何苦行。

    ウィキペディアを改めてみてみると,この二年の間にかなりネトウヨ支配は薄まっているように感じた。
    これは一つ大きな希望である。

    WIKIPEDELIA,はおおくの目にさらされ,非官憲的,非営利的な民による民主的,在野的,『檢閲』によって,読みてのリテラシーによって鍛えられていく,という段階が確保されない限り,害,あるもの,でしかない

    多くは,そのアクセスの簡単さによって,萬人に開かれた,そして便利な,
    有益のものであると信じたいが,

    こと日本の,近代史の項目に關しては
    まったくリビジョニスト,夜郎自大ニッポン人の自慰史觀,の發信據点になっている
    彼らの編修のたくみ,リビジョン能力には驚くばかりであったが。

    つまりは,そういう恣意的編集を可能にさせているのが,そもそもゼッタイ的多數のムカンシンであるとすれば,
    ・・・・・

    みなさん,どうかそのムカンシンを貫いてください・・・・などといいたくもなる
    はは

    そういうアンビバレンツな感情を
    いかんともしがたい。

    わたしのブログは,

    特定の歴史観をそもそも持ってないヒトはどうか讀まないでほしい
    もしくは日本の近代史に深く根深く知り調べていくキ構えがないなら讀むだけ無駄である

    というのは,わたしのごくまじめな本心。心の底からおもうのである。

    ほんとうに底知れぬ日本の闇を見つめる
    そのキがないなら,中途半端では必ずや,ネトウヨか,りべらる,にからめとられて “自分” を見失うだけである

    それほど,ジツは,日本の,今,流布する日本近代史というのは,いいかげんなものであり
    巷間,いわれる,

      歴史認識に正解なんてない,
      勝者の歴史と敗者の歴史は正反対だ,
      それはあなたの見方にすぎない,あなたの考えを押し付けないでくれ


    というような一見至極まっとうな言説を,おとなのスマートとして
    ――それは確かにその通りなのだが,――
    それがムカンシンのいいわけや忘却のアリバイになっては・・・・・。
    はっきりいおう,

      からめとられてバカになっていくだけである。

    わたしが書くことは
    りべらる VS ネトウヨ,の対立ではもちろんなく
       左 VS 右,でもなく
      白黑 VS アカ,でもない

    そうではなく

    ムカンシン VS コダワリ
        忘却 VS 自省過去,

    の對立である

    しかし,それが,自己の自由の根源をわけいり,自得するよすがになるとおもうから

    わたしの肆言無憚は,無所顧忌,である。

    目をそむける,そういう日本人がおおい,
    日本の近代史を知らないニホンジンがいかに世界では奇異の目で見られているか,

    世界基準からおおきく外れた
    ブザマなものであると,わたしは思っているが,この,日本の近代,
    というものをしっかりとらえて自覺する責任が日本人にはある。
    そうでなければ。

    世界の大地にあって, “民” ではなく,
    ただの,ニホンジンでしかない,ということだ

    ・・・・・
    このことに,ニホンジンがキづくには,次の人間浩劫をまたねばならないのか?
    それとも日本人という特殊性だけを,記憶を喪失したまま,ただ愛しつづけるか?


    わたしは,
    やはり,わたしは愛國者ではないのだろう

    しかし
    ネトウヨと日本大好きニンゲンにはわからない, “國” の愛し方もある。

    それは,わたしの言う “國” は,國家でなく,ただの “社會”,ということかもしれない
    あるいは,單に土にすぎない,ということかもしれないが
    ヒトと,空,と土, “自然” ,これは「しぜん」というニホンゴ漢語ではなく,
    “自ずから然れる” 萬物,である

    天下地上,人間(ジンカン)萬物を愛することであって・・・・・

    “國” を愛していない,

    わたしはとりもなおさず國家を憎惡しているにすぎない,
    といういいかたは
    これはこれでわたしは非常に納得できる。

    大いにそれを受け止め,肯定したいと思うがw
    わたしは浩汎の意味で,

    “社會” 主義者

    なのである。以下は二年前の投稿の再掲だが
                 20170712



     ファシズムは現實のパンである。
     ファシズム反對は,描かれたパンである。


    今から,66年前,敗戰四年後に書かれた古めかしい,評論を,突如はるばる
    引っ張り出してきたのはWEB上に加害の事實を,或いは見解を書いているもの
    が,量として壓倒的に少ないため,すこしでも増やそうという,はかなくも
    無奈の奈落のそこからの・・・
    動機からくる枉費だ。
    寫していておもう古色蒼然。
    戰後長い時間を經て“進化した”,“社會と經濟”の繊細な議論からすると
    こんなの古臭い,見劣りする,と,一般的には感じられるだろう,單純素朴な謂い。
    “社會思想”。コクミンブンガクの竹内好であるが。

    しかし,ミゴトに,安倍政權と時代にフィットしてしまう,という。
    オロカしくもオソロしくオカしな日本の現況にあきれもする。

    いまは時代がちがう,日本を取り巻く環境が困難,ともいいつのる回歸シュギ。
    素人が作ったものを押し付けられた,だからもっといいものを作る,と,イキマく
    憲法アルチザンたち。
    先祖ガエルや,岸ガッパが,戰後レジメ,もといレジームを否定するなら
    こちらも敗戰直後の古色古香につきあってやるよりほかないぢゃないか

    戰後すぐの論調に汎くあった(近頃の朝日夕刊の連載『新聞と九条』によると,だ)
     “たとえ日本が侵略されて滅びるとしても,もう二度と侵略する國にはもどらない”

    だから武力の放棄なんだ,とにかく戰爭はゴメンだ,まして・・・
    という斷固たる基調,深く悔いた民の間に遍在した,平和への發意發念
    であったとおもう,それを否定して,踏みにじろうとしているわけだ,ちかごろ。


    人道に對する罪をその固有の意味において追求し,鏡にうつされた
    自分の野蠻さを,目を背けずに見つめ,その底から自力で起死回生
    の契機をつかむものでなければ,その苦痛に堪えるのでなければ
    わたしたちの子孫が,世界市民に加わることを望むことは出來ない



    竹内好のこの論考,は今日で引用が終るが・・・・その最後の一文。
    が,いっそうの忉怛の響きをともなって,
    ははは
    “わたしたちの子孫” たるは畏懼し,
    そして竹内好を,沮喪灰心させざるを得ない,

    そういう辜(つみ)負う子孫である。


    日本人中國文學者からの告發 

    林語堂の小説Moment In Peking 』瞬息北京, もしくは『京華煙雲 』(中國版)
    という小説,日本では一般的に 『北京好日』として知られる,1939年から1940年
    にかけてアメリカで大ベストセラーになつた小説。この小説について書かれた,
    竹内好の六章からなる小論を, 『内なる中国』 (筑摩叢書三百八 
    1987年初版筑摩書房)より,第二章から引用してきている

       *煙雲 yānyún とは 變化消失的事物,事象の比喩。つまり現題は
       “永久に續くものではない,中華の京城(北京)の時間”,
       という意味だ

    『京華煙雲 』


        『中國のレジスタンス』  竹内好 1949年

     


    毛澤東と林語堂とは,イデオロギイ的には,對極に立つ人である。
    それは國民の最左翼と最右翼を代表する。
    中國の抗日民族統一戰線はこの両翼を結ぶ線である。
    その統一の物質的根據は,言うまでもなく,民族の獨立と言う共通の利害であった。
    その二重性格のゆえに,毛澤東と林語堂は,それぞれ異なった反應を示しながら,しかも根本において結ばれていた。
    その結びつきの點が自力抗戰である。もしかれらが,他物に頼ったら,自力交戰と言う自覺には達せず,したがって結びつきもでてこなかったろう。
    かれらは他物にたよらず,また相互にもたよらなかった。
    かれらは,追いつめられた自分をテコとして自分の生きる道を發見した。
    林語堂はモラルの優位において,毛澤東は生産力の逆轉による優位において,抗戰勝利の確信への契機をつかんだ。
    そのことは,かれらが倫理主體として獨立し,獨立していることで互いに排除しながら,互いに含みあう關係にあった,ということである。
    毛澤東は林語堂を含み,林語堂は毛澤東を含んでいた。
     「德あるものは水を銀(お金)に變える」と言う林語堂の価値観は,そのまま毛澤東の,無から有を生む戰術*に當てはまる。
    一方,共産主義者としての毛澤東は,反共産主義者である民族ブルジョワジーが,抗日戰争において最後まで自分に協力することを確實に計算に入れている。統一は算術の和ではない。

    價値體系の一致でなければ統一とはいえない。

    そうでないものは妥協であるに過ぎない。中共は,利をもって民族ブルジョワジーをさそったのではなく,倫理の高さで相手をひきずりこんだのである。

     *これはつまり,とうじ,帝國日本がその支配下において
     阿片を專賣,巨萬の戰費を稼げば稼ぐほど,戰鬪に勝つことで
     中国側反日戰線が分捕ることのできる武器彈藥は増える,
     と言う皮相の事實と,
     抗日根據地では阿片の禁制を徹底した,と言う
     世界的には,”認識”されている倫理的事象の事實,その雙方を言う
     のだろう。
     
     したがって,前頁で最後にわたしがふれた ような「モノ」に書かれている 
     ことを,マッコウ疑いを持たず信じている人たちにとってはw,
     前提となる事實 の “認識” が,マッコウ違いすぎるので,この一文は
     (モチロン以下に續く文章も)
     當然意味を成さないもの,となる―ネトウヨは讀むな,と言うわけでは
     ないが・・・w(玄)



    中國の抗日民族戰線の土臺となった國民倫理の高さに比べると,日本にはほとんどそれが欠けていた。
    戰爭を倫理的側面からばかりみるのはまちがいだが,倫理的側面を見ないのも間違いである。

    日本の軍部は,ナチ流の技術をもっていたが,中國軍閥程度にしかその技術を使えなかった。
    だから中國の軍閥をたおした中國の革命勢力(それは世界の民主主義勢力につながる
    )によって倒されたのである。

    このことは教訓的である。

    人は利益でうごかされるが,利益だけで動かされるのではない。
    徳のないものは銀を水に変える。
    人を利益だけで動かしうるとかんがえるものは,自分が利益だけでうごかされている人間である。

    ファシズムは獨占資本の暴力による収奪の形態と言われている。
    しかしそれは,國民的規模において現れるので,したがって一方から言えば,國民の素質がファシズムへの向背を決するともいえる。經濟的条件から見れば,国民の一般的貧困がファシズムの温床であることは疑い得ない。

    しかしファシズムは,逆に國民を貧困から救う形をとって現われるのである。
    餓えたものは食を選らばない。
    それが,獨占資本の超過利潤のおこぼれに過ぎないと教えられたところで,喜んでおこぼれにとびつくだろう。
    げんに飛びついた。
    ファシズムは現實のパンであり,ファシズム反對は,畫かれたパンである。
    ファシズムとの鬪いの困難は,それが現實の繁榮の犠牲を伴うことにある。
    相手が鬼の顏をしてくれば,誰でも逃げること知っているが,福の神の假面には容易にだまされる。
    げんにだまされた。

    福の神を期待する心理がファシズムを招く。
    ファシズムの根である社會惡を除くことによって,ファシズムは除かれるだろう。
    しかしその社會惡を除くものは,社會惡の中にいる自分以外にはないので,もしそれが自分以外の他物によって除かれるのを期待するならば,つまり,苦痛をともなわない繁榮だけを期待するならば,その期待は逆にファシズムを呼び込むことになる。
    戰爭は各人の心に發する。
    と言うのはそのことであろう。
    ファシズムは収奪の形でなく,惠與のかたちであらわれるのが特徴だから,自主性のない,目前の利益のみを追う國民は,ファシズムとは徹底的に鬪うことが出來ない。
    ファシズムに反對するつもりでいて,ファシズムに巻き込まれてしまう。
    救いを求めるから救われないのだが,逆に救われないから救いを求めることになる。
    この惡循環を斷ち切る契機を發見しなければ,民族は自滅するばかりである。
    侵略戰爭が國民の價値意識を混亂させ,林語堂に告發されたような,道徳的不感症を生み出したことは事實だが,同時に國民的道德意識の低さが侵略を可能にしたともいえるのである。
    そして,それが今日でも,まだ自覺されていない。
    (たとえば張群の『日本視察後の印象記』を参照。)
    人道に對する罪を,平和に對する罪に解消させれば,肩は輕くなるが,問題は片付かない。
    人道に對する罪をその固有の意味において追求し,鏡にうつされた自分の野蠻さを,目を背けずに見つめ,そのそこから自力で起死回生の契機をつかむものでなければ,その苦痛に堪えるのでなければ,わたしたちの子孫が世界市民に加わることを望むことは出來ない。


    追記;
    日本の軍人と密輸商人とが麻藥を持ち込んでいたとき,また,日本の學者と文學者の多くが,科學と藝術の名で侵略戰爭のための作戰協力していたとき,中國では,數十萬人の勞働者と市民と學生とが,「東亞共栄圏」治下の安穏な生活*を捨てて,奥地に放浪を続けた。
    彼らは,パンよりも自由を求めてこの民族的大移動を行ったのである。
    林語堂の小説『モメント・イン・ペキン』の續編 『嵐のなかの木の葉』 “A Leaf in the Storm”(中國名は『風聲鶴唳』)はその一端を描いている。この小説は日本にまだ譯されていない。 

           一九四九年五月 

     『知性』五月號( 国土社刊行)に発表。『竹内好全集』第四巻にも収録。



    * 『東亞共栄圏』治下の安穏な生活
    とは,東亞共栄圏が安穏な生活をあたえた,と言う意味ではない。

    “安穏な生活” をすることが出来たはずの者たちでさえ,放浪した,
    “パンよりも自由を求めて”

    と,言う意味である。
    と,こうした言葉を,今日のネトウヨのごときが細切れの言葉を拾い出して
    杜撰な“レキシ” を,再構築しよう,Révisionしょうと,
    コピペーを繰り返すなど,
    よもや思わなんだろう。
    自分の著作を, “細切れ”と歪解によってネット上にさらされたあげく,
    けっして讀まないであろう多くの目にさらされ,
    自らのおもいもよらぬ論調にくみこまれる,などという時代が
    やってくるとは・・・。

    その語,不用意とも誤解を招くような語とは,わたしにはけっしておもわれない一語すら
    (本や,章の全文を讀みさえすれば自明のことなのだ)恣意的な引用のされかた
    によってねじまげられる不幸を,ほんとうによく目にするのである。

         2015-05-22 

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤④ 盧溝橋上高歌起

     侵略最小線 不治不感症

    漢口から飛び立った中國空軍機が投下したビラのはなしを前回書いた。

    一九三八年五月十九日,この頃に
    郭沫若 は,南京事件の,帝國日本軍による殘虐行為,非道のアトローシティを
    國際社會へ訴えるべくして,
    テインパーリー『外人目睹中之日軍暴行』 の序文を書いていたわけだが。

    nanjing13.jpg

    昭和十三年,この五月。どういう時期か,というと,大陸ではかの有名な
    「徐州會戰」が展開されていた。

    盧溝橋の発端となった駐留軍ではなく,その後日本が矢つぎ早に送り出した,
    北支那派遣軍と中支那派遣軍によって大胆な包圍線を仕掛けたのが四月のこと,
    ビラにあるが,郭沫若言うところの板垣師團が中國軍の激烈な反抗に會つて失敗
    した包圍線である。
    日本としては,最強を誇る板垣師團によって,

    「南京攻略の“一撃”で屈するはずがいまだ反抗的な,中國軍」を

    殲滅させようとした。

    徐州というのは,いわば,衢地である。
    鐵道路線の東西を横斷する隴海線,南北を縦斷する津浦線が交差する最重要の地であるが,

    帝國日本軍は 予定した
    “包圍して殲滅”こそできなかったが,
    そのあたりの,要衝に巣くう中國軍を蹴散らすことが出來た。
    帝國日本軍の犠牲は大きかったが,日本は兩鐵道を確保し,五月十九日徐州を占領する。
     
    つまり郭沫若は板垣師團を殲滅したというがw
    實際には對線した湯恩伯・孫連仲軍
    は退却し華南に再集結したのである

    この文脈をどうとらえるか,は

    あなたがネトウヨか,そうでないかによって微妙に違うだろうが。

    わたしがいいたいのは,考えたいのは。
    つねに知りたいのは,これだけはいいたい,というそれは

    中國大陸に生まれ,中國大陸に活き,大陸に住まう,“民” ,かれらはどういう考えだったか。

    である。

    その土に。
    落地生根して,逃げることもできぬ,農民,老人,女コドモ
    彼ら,民の根本, “國本”を自ずから成す彼ら生民の多くはどう考えていたか

    である。

    それは外交記録と日本側の言い分を讀んでるだけのネトウヨには,ゼッタイわからない
    ネトウヨとはネット上の言説だけを頼りにする人種wのことではあるが。

    國共合作後も蔣介石軍の將校すべてが,勇猛果敢にたたかった,というわけではかならずしもない。
    兵卒の士氣は高かったが。

    蔣介石とその周遍の幹部たち,國民黨軍の將校クラスも高かった,
    と言うためには,
    すこしレトリックを要さなくてはならないのでw,そこははしょるが。
    が,
    それゆえ,北九州への戰闘機飛來を知り,ビラを拾った日本側が
     「敗戰支那の兒戯的な行為だと一笑に附した」,と
    いうわけである。

    このとき内閣は近衞文麿
    ,この直後に内閣を改造する。
    朝鮮総督をつとめ二・二六事件のあと内閣を組織するはずが,
    陸軍によって阻止されちゃったw宇垣一成を外相に,
    また六月には最前線の戰場から板垣征四郎を呼びもどし陸軍大臣に任命している。

    この宇垣外相とは。たとえば。

    例の,南京を屠った帝國日本軍について,有名なことば,
    これが皇軍か*
    と悲憤した,石射猪太郎が,
    期待をもって,宇垣外相に『今後の事變對策に付いての考案』という有名な意見書を,提出した,このことからもわかるように,

    宇垣一成は中國の民族自決の動きを深く認識し,(ていたといわれるし),尊重し(ていたといわれるし),
    帝國日本は,中國の民のそうした抗戰への民族自決的自覺,愛國心,この動きをむしろ支援するべきである,といった考えを持っ(ていたといわれる),
    そういう,
    日中戰爭下にあっては,かなりめずらしい政治家,である。

    “支那はあくまで支那人に”,という,
    これが帝國日本の根本思想である,と
    信じていたwひとり,(といわれている)。
    もしくは,
    あるべきであるwという考えを持っていた(といわれている),
    數少ない一人である。

    當時は日本においては,
    軍も政治も民も
    「中國の分割統治,さしあたりは “北支” を植民地化する,」

    ということの,是非,また成否を,吟味するどころか,
    當然視して,恰も既定のこと,あわよくば,と。

    中國全土を手中におさめるだろう,そのことに,何の疑いをも持たずそれを欲しているのが大勢,という。
    帝國日本という國家,と,その日本の臣民である。

     *石射猪太郎が南京虐殺をのあり様を聞いて,翌三十八年一月六日の日記に
       「上海から來信,南京におけるわが軍の暴状を詳報し來たる。
       掠奪・強姦,目もあてられぬ慘状とある。嗚呼,これが皇軍か」

      としるしたこと

    じつはこのとき,
    中國の情況を目の当たりにして分割統治など,とうてい無理だ,
    とわかっていた人たちは,ひょっとしたら宇
    垣外相の就任で事態は収拾に向かう,と考えた期待したのではないか。

    廣田弘毅がおこなっていた軍と一心同體まさに同歸於塵wのシリメツレツ外交に,轉機が訪れる,のではないか,・・・・・と。
    かの惡名高き
    『爾後國民政府を對手とせず』
    は,ここで修正されるのではないか,・・・・・と。
    期待した人もおり,そして,

    このときが,或いは軌道修正の最後のチャンスだっただろう,

    たとえば國民黨政府の
    行政院長である孔祥煕 と,宇垣外相の水面下の交渉が始まっている。

    例のビラを撒布した飛行士の凱旋,漢口であったその歓迎會での談話で

      「我々が日本に飛行しても爆彈を投下しなかったのは,人道的見地からである。中國は文字の國 であるからビラで戰爭の無意味さを訴えたのである。日本軍は中國の文化施設や病院などに爆彈を投下しているが,これは國際法はもちろん人道にも反する行為である。このような日本軍閥の軍隊に對して中國は自由と民主獨立を擁護するために勇敢に戰うであろう」

    と,述べていた孔祥煕である。

    あくまで
    郭沫若周恩來などがよってたつ基盤,そして,中國と言う “國” の大多數を占める,農民,勞働者,學生・・・・・大民衆の意思であって,ビラの言文はそれを代表しているわけだが,
    そのじつ,
     蒋介石ら國民政府は必ずしもそれを望んでいたわけではない。

    ということをかきそえるが,それは,

    その,國民黨政府の孔祥煕,ですら。

    このようなことを對外に表明した。

    この表明を宣戰布告にちかいもの,と考え,また,あのビラを,以て宣戰,とわたしは書いたが,
    それは,ここを強調したいからである。

     そうした抗日戰爭を戰い抜くこころざし,―“同歸於盡―死なばもろとも”
     その決意で團結,布防した,民の存在こそが,
     あのビラを作った,郭沫若や夏衍らのバックボーンだった

    からだ。

    こういう書き方によって,少し思考力あるネトウヨなら,わたしが,反論の餘地ない狡猾な書き方をしていることがわかるだろうが
    (したがって思考力のないネトウヨは,無用のコメントはどうか,御遠慮ねがいたい)

    とはいえだ。
    話を戻すと,
    しかしながら,中國の民衆レベルではなければ,政治外交上は
    たしかにわずかな,交渉のひっかかり,糸口というものが,帝國日本にも,國民黨政權がわにもあったはずである,

    さらに宇垣外相の意をうけ,香港では,香港の帝國日本の領事らが,
    漢口から派遣された『大公報』 (新聞)の主幹である
    張希鸞,を通じて水面下にさまざま折衝をおこなっていた。

    このとき日本側が接しえた,
    中國の抗戰意識を冷静に客観的な立場で説くことができる,
    しかも蒋介石側に信頼を得ている人物,として

    張希鸞は,最適最良であったろう,が,
    このとき,このときでさえ,も,
    帝國日本側は,まず中國側に譲歩できるところのない主張をし,そのうえ,蒋介石の下野を求めた

    あろうことか,
    ―― つまりカミクダいて書くならw

    まず,まっさきに 
     他國の最高指導者の下野を求め,そうでなければ,何が起こるか責任もたん,

    と恫喝したのである。
     
    張希鸞が日本側にのべた主張は,

    『日中戰爭―和平か戰線擴大か』臼井勝美著(中公新書1967年)
    から引用する

     それ(張希鸞の發言)は大公報の責任者たるにふさわしく,もっとも正鵠を得た分析であったといえよう。

     中國は,日本の壓迫がやむまで,あくまで抵抗する,抗戰の意識の高揚と
     旺盛な團結心は 中國人自身が驚いているほどであって,日本は中國に
     政治的中心があることを知らなければならず,また國民政府の實力を
     再認識しなければならない,
     この認識にたったうえで,まず内政不干渉の原則が兩國間に確立されるべきで,
     (日本が)中國に對して共産黨排斥問題を持ち出すのは,
     中國が日本にファッショ化を警告するのと同じように内政干渉である,
     さらに蒋介石の下野の如きは,中國にとって全然考慮の余地がない,
     
    と,張は述べた

            

    そういう張希鸞の主張だ。
    じつは
    こうしたことを,終始一貫して,中國側は,おりにふれ,なにかあるごとに訴えていた。
     
    この大公報は中國の大新聞だが,この新聞が,
    盧溝橋事變の少し前にこのような
    ことを主張している。社説,というか論説のていさいだが,

    ついでに上記の中公新書『日中戰爭』から轉引する。

    日本側のいう“北支”なるものは,日本の歴史よりも古い時代から中國の土地でありわが民族が居住生活してきてから,すくなくとも百數十代經過している。
     そして中央政府とは,一國の國家組織にあつて當然具有すべき最高機關であり,それが領土内において政令を施行することも又當然のことである,然るにいま“北支中央化”をさして直ちに抗日であるとし,更に排日,慢日行為であるかのごとく日本側で言っているのはあまりにも中國を蔑視した誤論であり,中國國民として憤激にたえないものである。



    この北支中央化とは,つまり

      國賊の殷汝耕ら,帝國日本の傀儡である,翼東防共自治政府を,
      我々はだんじて認めない,
     
    ということで,

      あたりまえだろう?そもそも北支は中國なんだから,

    と,この論説は言っているわけである。

    中國の全土,全國民に向けた,また,日本へのメッセージであろう。
    北支の日本化を畫策し,軍官民一心となってさまざまな策謀を仕掛けていた頃,
    である。
    言ってみれば,例の關東軍子飼い傀儡の北支の“政権”に,権威付けしようと北支の「滿洲國」化,を謀略によって認めさせようとこころみていたころ,
    三七年,七七事變の前月六月の末のこと。


    まるで子どもを諭すような口調だ,が,今日,
    わたしはまったく納得できる言である。
    中國の文化界,言論界から,發せられたこのテの言説を知り,讀むたびに,
    わたしはくりかえしおもう,のだ,
    かれらはいったい誰に向けて言ってたのだろうか,と。
    誰がこれをうけとめたろうか,と。
    ニホンジンの誰が,こうしたことばを,

    當時も今も

    だれがうけとめうるだろうか,と。


    ほんとうに,昔も今もニホンジンは,こうした言葉から目をそむける。
    のである。そむけつづけるのである。
    それはなぜなのか?無知によるのか?其れだけだろうか?


    わたしにはわからない,中國に思い入れなどないひとにとっても
    これは「日本の歴史」であるのだが。


    こうした中國側から發せられていたメッセージを讀むことができた立場の人は
    當時限られるのかもしれないが,

    こうしたことば,がとるにたらないものにしか感じられ
    なかったのだろう,日本人。

    その心の中は,・・・・「侮蔑心」でいっぱいだったのだろうか?

    帝國日本の外交に,もしも理がある,というなら,

    ことを擴大させずおさめていこう,修復していこう,という熱意も,当然あってしかるべき だろう?

    中國側に譲歩できるところを,さがす。

    これはいまの時代だから,だからいえる國際的外交のメソッドなのだろうか?
    そんなことはない。

    とうじ,世界では,こうした國際間の,,武力行使や紛糾紛爭を,
    できるかぎり避けようと,模索を始めていた。

    それはとりもなおさず,第一次世界大戰の尋常ならざる悲劇を經て

    まがりなりにも,
    人類が,到達する理念として共有し始めようとしていた・・・・・
    そういう世界の潮流があった。

    ということである。
    いわば,文明の,武力行使のあとの ,あるべき “文” 化の, “橋頭堡” であったはずである,國際社会の “理” 性

    このことを理解するかしないか,は
    『信じられるか,信じようとしないか』,の不毛の神学論争というところにまで,
    ねとうよたちによって貶められてしまったわけだが
    これが,いわゆるジギャク史觀と,
    自慰史觀とはなぜか言われない帝國美化史觀

    その分かれ目,結界であるともいえるのだが。

    それは日本の “理” がいまだ世界基準にとどいてない,という
    ことを表す絶望的病態の証左
    としかわたしにはおもえない。

     中國側に譲歩できるところを,さがす。

    それが,他國を蹂躪し,他國の首都を屠った,多くの無辜の民を虐殺した日本側のあるべき立場ではないか?
    わたしは單純にそうおもったし,當時,同時代にあって,國際社會も,そう考えた

    帝國日本の立場を理解する者はいなかった
    今もいない。

    そう考えた,中華民國側と,國際社会。
    そう考えない帝國日本。

    理解すべき, は,日本の主張のどこにもみあたらない,と,国際社會は斷じたのである

    ところで,この文化と言う漢語。
    日本では正しく理解されていないが。

    “文” 化もひろい意味での統治メソッドを意味することば,である。
    治世,と言う言い方がより,正しい,いや,より嚴密かもしれないが
    武力による統治の,つまり戰いのあとには文もて治める,それを “文化” というのである

    それは,中國文人の三千年來の “理” 性,であり信念でもある,ということでもある

    この日中戰爭,國家存亡の秋,にあって
    古來,お上,國家の苛斂誅求に馴らされていた民は,
    權威に從うのではなく
    ――革命によって淸朝をたおした民たちである,――
    より自發的に,なにが今,もっともだいじなことなのか,考え,
    感じ取り,文人たちの言葉を受け入れていった。


    人々はよくそれにこたえて,抗日をためらう蒋介石を説得し,
    抗日に舵をきらせたのである。
    そこには,はっきりと,中國の民主的思想が育っていたといえるだろう。
     
    抗日は割に合わないうと考える,“利”で動く,いわゆる “漢奸” といわれるひともいたろう,

    しかし多くは,
    林語堂の『京華煙雲 』(北京好日》 を論じた文章で 竹内好が書いたような
    “現實の,食えるパン” ,よりも,“畫かれたパン” を選んだ。
    この,
    “畫かれたパン” とはなにか?

    “理想”である。
    “理” を想う,
    理のありどころを思慮する,ということだ

    しかも,
    ニホンは神の國,無敵な,という皇國神話的 “理想 “ではなく

    利,で動くのではなく,,“理” にしたがう民

    そして,彼らの “理” “想” 理を想う心はは 日本に屈することを選ばなかった。
    斷じてそれは望まなかったのである

     ☞ 竹内好⑤ 『中國のレジスタンス』 ―中國人の抗戰意識と日本人の道德意識

    反面,日本の洋装を身につけた知識人は西洋の何を學んでいたのだろう,そう思わざるを得ない。

    大公報のように民衆にアピールし,ともに抗日を呼びかけ,たちあがれ,と
    鼓舞していた新聞,言論。
    郭沫若ら文人がペンの力で以て,民族を起ち上がらせようとした,奮い立たせた,のだが。
    そういう精神。理念,理性。

    まさに當時帝國日本と同じ,だ。精神
    が,異なる “精神論”,ゲンロンでもって。
    だ。

     祖國をまもろう,國家の存亡を共にしよう,親,兄弟,兒女,友人,戀びと。
     大地を共に生きる同胞のために命を捨てた義勇兵の “精神論” と,

     昭和,銃後の精神論。カミカゼ,特攻,人間魚雷に発展していった
     民を自爆テロに驅り立てる言説。
     インパールで,死屍壘壘の白骨街道,靖國街道へと突き進んだ,セイシンロン。


    八紘一宇?
    笑わせるな,と言いたい。
    大東亞?, “小日本” のトンヤンクィ。小國の夜郎自大な亡國論だ

    特高や治安維持法によって,いかにがんじがらめに默らせられたとしても

    このセイシンロン。
    彼我の違いは大きい。

    このふたつの, “國” において信じられてしまったセイシンロンのどこがちがうか?

    似て非なるものである,そのちがい,とは,なにか?

    “理” である。

    かの地に “理” があり,この地に “理” が無かったのである

    いたって單純なことである

    甘んじて屈することをよしとしなかった理由には,
    中國人は病人じゃないという自負,それへの覺醒,自強,督励

    勿論,
    中華民族の四千年の歴史,中華思想,という,
    いま,日本人からすると鼻持ちならない傲慢にみえる,矜持かもしれない

    しかし當時,

    中國の民は前世紀からの帝國列強と帝國日本の侵略により痛めつけられ,

    「東亞病夫」と侮蔑され,つづけた民である。
    その人間(ジンカン)にあって
    中国の民主的文人,抗戰を組織した文人は,革命前から中國の病態に,憤り,悔しさに,歯噛みしつつ,いくども,いくども,絶望もしかけた文人たちである

    そして何より,民にとっての,理屈ではない肌感覺。
    明日を生きるためには帝國日本人に使役されねば,ならない,という
    不条理。
    奴隷とされ死ぬことの恐怖

    四千年の居住は根拠のないものではない。
    北京が中国の土地であることは言うまでもない,
    かれらの条理は,

    中國は,中國の民の “くに” ,である

    ということにつきる。
    それが中華民國であったし,孫文というまあいわばアイドルのような存在だが,
    彼の三民主義には“理” があった

    そして日本から中國に出かけていった人たちの根據は,それほど大義あり,
    世界の誰もが納得できる論據,理性にうらづけられたものだったのか?
    その根據とは何か?


    その「“理” のないなさ」 を象徴してあまりある夜郎自大の言説を紹介しておこう

     
    一九三六年,この大公報論説が書かれた一年前,滿洲事變五周年紀念に
    関東軍司令官が起草した 『滿洲國の根本理念と協和會の本質』
    題された極秘文書があるそうだ
    これも上記の本から引用すると

    皇道によるわが帝國の世界政策」は,一人燦然と輝いている,と
    規定した,そして日本民族の選ばれた民族であるゆえんを

     「じつに大和民族は内に優秀なる資質と卓越せる實力を包蔵しつつ,
     外に寛仁もて他民族を指導誘掖し,其足らざるを補い,勤めざるを鞭打ち,
     まつろわざるをまつろわせ,もって道義世界の完成に偕行せしむべき天与 
     の使命を有す。」


    と強調し滿洲建國は,八紘一宇の思想を権限する使命をもつ大和民族の
    世界史的發展過程における第一段階であり,逐次中國に,インドに,濠州に
    シベリアに第二第三の満州國を建設することを日本の使命としたのである。


    (・・・まるで大川周明ぢゃなくて隆法だ,その靈言まっつぁおの獨善的虚妄に
    みちたおそるべき言説だが・・・・)
    さらにつづいて


    この文書の重大な意義は,満州國皇帝(執政溥儀は一九三四年
    皇帝となった)の地位を明確に規定していることである。

     すなわち,満州國は皇道連邦内の一獨立國で,『滿洲國』皇帝は天皇の
     御心に基づいて帝位についたのであって,皇道連邦の中心である天皇に
     仕え,天皇の大御心をもって心とすることが,在位の条件である,万一皇帝
     が大御心に反したような場合は,天意により即時其地位から追放される,
     と皇帝の地位を明確に指示した。

    『日中戰爭―和平か戰線擴大か』臼井勝美著(中公新書1967年)

    こういう “使命感”にみちみちた ,妄想の陸軍,盲動一色の關東軍,そやつらがおこした侵略戰爭,
    というのが今日の日本の認識であって,それは確かにそうだと思う,
    しかし・・・・。 
    日本の最小抵抗線ならぬ,最小侵略線はなにか,といえば・・・・やはり關東軍
    だけではない。
    天皇から,はじまって,帝國日本人の総意だった。
    それは林語堂に言うところの日本人の道徳的不感症。

    そして

    それは今も同じである

    もしもあなたがネトウヨでないなら

    南京事件 Nanking Massacre をウィキペデイアでしらべてみるといい。
    日本語版をしらべ,他国の言語,そこにはアラビア語から數十か國語のヴェルジョンがある
    言葉がわからなくてもならべられた畫像を見ればよい
    いかに日本のウィキペディアだけが,画像が少ないか。
    ヘイトスピーチや週刊誌の見出しに代表される反中,嫌韓が蔓延している現状やはり中國蔑視,亞細亞蔑視
    以外のなにものでもない
    そして考えもせず,知ろうともせず,

    昔のことをいつまであやまらなきゃならんの?

    とかんがえ,それを,へーきでことばにするニホンジン。

    當時はしかたなかった?
    いたしかたない,一般のひとはなにも知らなかったのだし。
    日本の言論界は暗黑に閉ざされていたし,

    とおもって,そして思考停止に陥って,
    戰後日中戰爭の実態を知ろうとせず,美化史觀を盲信するネトウヨと,そのネトウヨにごまかされる,大量の民を生み出した。
    この期に及んで,この無知と忘却,この罪孽が,
    はびこり,はびこりつづけた結果安倍政權を生み出したのだが。




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    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤―「囘想は“鶴”,要塞をかがやき翔 び」(續)郭沫若・夏衍のビラ投下

    1938年,南京城市を屠られて,蔣介石國民黨政權は長江を遡り,武漢に移動する

    こんなエピソードがある。
    中國空軍には當時,まったく,笑えるほど餘裕がなかった餘力がなかったが,
    一度だけ北九州に飛來したw
    中國空軍のマーチン重爆撃機は爆彈は落とさず,大量のビラをばらまいて
    いっただけである。

    ちょっと話がそれるが,このときのことを書いておく

    なぜなら,ネット上では紙爆彈を落としていった,と書かれているからw

    よーちなネトウヨに

      それを中國では爆撃したとかいってやがる
      ワロタ

    みたいな文脈でかかれてるんだろーw

    みなさんよくごぞんじないだろうから一応書いておくと

    あれは紙爆彈ではない。

    “檄” ,である。
    もしくは,傳單,ビラである
    いや,もしかしたらあそびごころだったのかもしれない。
    いかにも,郭沫若,鹿地亘といった人たちが思いついてやりそうなことでは,あるw。

    まあどう感じるかは價値觀もしくは好みのモンダイだ。

    しかし。
    「事實」はこうである。

    一九三八年五月十九日に出撃した中國機は,長崎その他の都市に,照明彈
    を投じ數万枚のビラを撒き,二十日凱旋した。

    この,ビラ投下撒布は,当時の日本の新聞にはまったく報道されなかったが,
    唯一『特高月報』だけが報じたと言うハナシ。

    そのビラには 郭沫若,鹿地亘 の署名がはいっていた

    マナジリ決して國民精神総動員な日本の文學者の報國文學よりも,わたしには
    こうした文人によるビラ投下のほうがずっとステキなのことのように想われる。
    とそれはさておき
      
    以下 川勝一義氏の
    【『淘(よな)げられた歴史』―東北「滿洲」抗日軍の鬪い】
    から引用する

     一九三八年<昭和十三年)五月十九日未明,中國大陸の漢口飛行場から飛び立った中國空軍のマーチン重爆撃機二機が,二十日午前四時十四分ごろ九州の熊本県佐敷監視所上空を通過して,長崎市や延岡市など三十箇所の市町村に反戰ビラ數万枚を捲き,九州を横斷して引き上げる,と言う事件があった。

     この中國機によるビラ投下事件を,當時日本の各新聞は,一行も報道しなかったが,中國はもちろん海外で大きな反響を呼んだ
     彼ら飛行士たちの歓迎大會が漢口飛行場で開かれ,孔祥煕,何應欽をはじめ空軍司令など多數參加した。歓迎會席上の記者會見で孔祥煕はつぎのような談話を発表した,

     「我々が日本に飛行しても爆彈を投下しなかったのは,人道的見地からである。中國は文字の國 であるからビラで戰爭の無意味さを訴えたのである。
     日本軍は中國の文化施設や病院などに爆彈を投下しているが,これは國際法はもちろん人道にも反する行為である。
     このような日本軍閥の軍隊に對して中國は自由と民主獨立を擁護するために勇敢に戰うであろう」
     と。
     投下したビラは,『日本の商工業者に告ぐ』,『日本の労働者諸君に告ぐ』,『日本の農民大衆に告ぐ』,『日本政黨人士に告ぐ』『日本人民に告ぐ』,の五種類だつた。これらのビラには蒋介石総統の國民政府側で反戰活動をしていた鹿地亘夫妻書名入りのものが多數あつた。(特高資料)


                (新東京出版1996年)





    この投下されたビラ,日本語の文章は 夏衍,郭沫若
    二人の日本通の文人の手によるものである。 
    ほんの一部だが,引用しておく。
    注意してほしいのは,このビラが書かれたのは,郭沫若がテインパーリー

    『外人目睹中之日軍暴行』の序文 を,漢口で書いていた
     その同じ時期であること。

    過去において我われはあらゆる戰爭の惨虐をさけました。
    滿洲事變以降もわが政府はあくまで忍容*と屈辱との中に日を送りました,ことに塘沽協定*成立後わが政府は最大の忍耐をもつて貴國軍閥の壓迫を忍受しました。
    このやうな忍容はいずれの國家においても出來るものではありません,だがわが政府はそれをしました,目的は貴國軍閥の反省を促しそれを待つたのです。

    だが貴國のファシスト軍閥は依然として,悔悟の意を示さず,占領した地域の少數の腐敗分子を利用して傀儡組織を製造しわが行政の官整を破壊しやうと企て各種陰謀詭計を弄して,わが國家の統一を切り崩そうとしてゐます。
    だが,これらのすべては,無駄でたゞ日本軍閥の窮余の策の拙さを示すに過ぎません。
    一切の陰謀詭計は我われに對してたゞ,擧國一致の抗戰の決心を堅固にさせ,挙國一致の團結を促すのみです。

    南京に傀儡組織が成立するとすぐ,我われは軍事上,津浦線において日本の少壯派軍人と称する板垣の師團と磯谷師團を殲滅し抗戰以來の空前の勝利を博しました,一方わが政府は最近開會した中国國民黨臨時全國代表大會の決議によって抗戰建國の具體的綱領を發表しました,これらは十分に以上の事實を説明して居るではありませんか。
    わが全中華民國の國民はこの國難嚴重なる今日,かつてなき眞心の統一を完成しました,


     *塘沽協定=問題のカイライ政府擁立の根據
     *忍容=忍びつつ受け入れ,許容するの意。



    一拍紅衣燃憤火,横流熱血起哀師

    これは事實上の宣戰である。擧國一致しての徹底抗戰の覺悟を示している。
    非常に穏やかな言い回しで,侵略には斷固屈しないと言うことを宣言した。

    ほんとうの意味で

    ここにきて,ついにかれらは,中國の民は全中國と全世界に向け抗戰を布告した,
    といってもいい。

    郭沫若らの言葉は,又その後の帝國日本側の対應も,コトの本質をよくあらわしている。 
    露わにさらけだしているのである。

    これらのビラを拾って初めて,まさかの戰闘機飛来の事實を知った日本側だが
      
       連戰敗戰,惰弱の「支那」,暴戻の「支那」,その兒戯的な行為

    だ,と一笑に附し,

    近隣住民に反戰氣運や動揺がおきないか,左翼の活動が活發にならないかと
    監視の目を光らせただけだったそうである。

    彼らは中國の文人は,南京虐殺をうけて,彼らの國際的な人脈すべてを使って
    國際世論に訴えたが,それがこの飛行につながつたということ,
    このエピソードを追っていくと
    いかに國際的に“國” がひらかれていたか,その一端も見え,また精神的に
    彼らのよりどころがどこにあったのが見ることができ,彼らが勝利を確信していたその証左もかいまみることができるのである。

    一般的にあまり知られていないが,ほんとうに彼らの抗戰の希望,こと,その “希望” の本質をよく表しているエピソードとして,
    日中戰爭を識っていく過程でわたしの心には強く殘った,「佳話」であった

    その,くにの, “開かれ方” がたとえ前世紀からつづく歐米列強の侵略の結果であったとしても。

    歴史は。

    どちら側にも,どこにでも負がある,その負の歴史が,ひとびとに
    苦しみと困難をあたえもし,それとともに民族を鍛え,發展させること,も,ある。

    つまり,國際社會の世論に訴えると同時に,
    「日本の人民に告ぐ」
    とは,この
    中國の成長と發展を高らかに表明し,かつ帝國日本の民に向けられた最後通牒であった。

    この,最後通牒こそ事実上の中國,華南の宣戰布告,つまり全中國の發氣・發意,その總意である。

    それを,まっすぐうけとめなかった帝國日本。
    引用する。
    これをアカのたわごととあざけることができるだろうか?

    どうですかね?(呵)


                                   つづく


    我われはあえて斷言します!
    貴國軍閥の中國になせる冒險行爲は,かならず貴國の光輝ある前途を葬るばかりであると。

    彼等は中國において傀儡組織を製造し,文化機關を破壊し,民衆を慘殺して婦人小兒に陵辱を加へ,夙に世界の公正なる人々に唾棄されてゐます。
    しかも彼等は貴國の勤勞大衆の膏血を搾取して,いはれなく浪費し,貴國の優秀なる青年諸君を驅つては,いはれなき犠牲に供し,その罪やまことに重大です。
    いま彼等は侵華軍事上においてすでに行き詰まり迅速なる進展はむずかしく種種な事情を總合しても,もはや袋小路にはいってしまひました。
    我われの戰士は目下一層勇敢に一層堅固な意志を持って平和の擁護のため祖國の保衞のために,神聖なる戰爭に參加してゐます。

    我われは最後まで戰ふでせう!

    日本の民衆及び兵士諸君は決して我われの仇敵ではありません,
    かえって諸君は我々の佳き友人でこそあります,東亞兩大民族の共同の利益のために我われは熱烈なる握手を諸君に求めます。
    親愛なる日本人民諸君!
    貴國のファシスト軍閥は不斷に貴國内の民衆を搾取し,勤勞大衆を馳つて中國の兄弟とともに互いに殺し合ふやうなことをさせました,いまはもうかゝる暴擧に反抗するときが來ました,我々中日兩國の人民は固く手を握って共同の敵,暴戻なる日本ファシスト軍閥を打倒しませう!
      
    我われはまさに力を盡くしてゐます,諸君の努力を希望します!

    日本民衆解放萬歳!
    中華民族解放萬歳!
    中日兩大民族萬歳!
                           
           中日人民反侵略大同盟

     


    河清頌

     惟日月之逾邁兮,俟河清其未極 ――王粲 《登樓賦》emeng-L.jpg

    惡夢のように 美しい橋。
    色,淒淒たり,寒髓的黑,赤璺的朱。

    人間(じんかん),仍仍,相因,
    依依。
    止止。
    微微。
    塵寰。
    過沙。
    丹水沙,
    恒河(Ganges)の恒河沙(Ganga)の刼簸

    文明とは河である
    河とは流れ
    流れる。もの,
    河淸,頌すものあり,
    蕪城,賦すものあり。

    濁河の淸滌される,しかし
    そのことを,文明とは謂わぬ
    なぜなら絶對に,言わぬ,河水は,
    遡ることはないのだから 

    惡意のように橋が,架かる。

    河,という,水の流れ。
    文明とは
    濁る河の淸らかに透みてゆく永い時間をぬきとつて掌握することだ

    文明は遡行する。
    きりとられた文明を,さらに又偸みとるものがいる。
    埓として區切られた場所に“煞” のあとがのこる僇僇の
    河,という,ただ,端なくある水の流れ。
    文明とは
    透みてゆく時間を掌握しようとすることだ,
    囂張の,下卑てない,ものものしい顔つきで
      
    河淸, 
    洗滌する水の流れ,を想像してみる,
    黄河の濁濁。

    ゾッとしておもわず號ぶ,
    Bù kěnéng!
    向沙場
    區切られた形埓に殘る悲咽切切


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      沙という字は。
      非常に細かい碎かれた石粒のことである,と。
      しかし砂は俗字である,と,謂う

      あくまでも水,である,水中の礫である 
     

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    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤―「囘想は“鶴”,要塞をかがやき翔 び」


    最近わたしは,ウィキペディアを見ていない,
    きょう,ふとおもいたって,「翼東特殊貿易」「通州事件」など檢索してみたら
    ずいぶんの様変わりであるw
    ウィキぺディア自慰史觀大本營とかネトウヨ御用達等の語はいったん撤回しておっく♫


    この二年でずいぶん刷新されたことを知ったw

    この投稿をしたのは2015年夏であるが,例のふざけた安倍談話が出る前である,
    當時ウィキペディアはみるもおぞましい,自慰史觀のオンパレード。
    特に華北分離工作,熱河作戰の記述は見るに堪えない幼稚なネトウヨのおとぎ話で埋め尽くされていたがw


    ちゃーんと書かれていたw

    これもアベやらニホンカイギやらの,やりすぎ,のさばりすぎ,
    よーちさのダダ漏れw
    その粗雜さのおかげ,かもしれない。

    安倍が政權とって以來2015年までは自慰史觀にせよ
    ネトウヨ妄言にせよ,日中戰爭が話題になることはおおくなり,左翼だけの話柄ではなくなっていた,これは確かで,その意味では,わたし自身はないよかましだ,とおもっていた。

    なにごともすぎたるはなおおよばざるがごとし

    哈哈
    いやw

    何不反邪歸正,棄暗投明!




    20150630

     掌が 白い武漢の 地圖となる
              ― 富澤赤黄男 《武漢ついに陥つ》


    たしかにわたしの書くことは,日本でふつういわれるより,中國側の史觀に
    かたよりすぎているかもしれない。
    だからこそ日中戰爭の個個の戰鬪に於いての帝國日本軍の殘虐性について詳細に
    書きたいとはおもわない。
    が。

    帝國日本軍の,思想的背景のないように感じられる殘虐のふるまい,に,いつも畸形的な “不可解さ” を感じさせられている。
    日ごろ口にしていた“亞細亞の解放”,や,大東亞の理想,と,あまりにかけ離れた殘虐性は,何故見てみぬふりをされたのか。
    戰中も,戰後も,である。

    どうしてあのようなことができたのか。

    わたしも初めは日本人が書いたものを讀んでいた
    しかし日本人が書いたものを讀んでても,いっこうによくわからなかったが,
    中國人,特に抗戰に
    參加した左派の文人が書く言葉は比較的すんなり腑に落ちた。

    もちろん,
    ただ,兇暴で,残虐なだけだ,理解できないし,したくもない,という
    中國人が書いたものも多くあるが。

    知日派の文人は,どんなに憎しみを 抱いていようとても
    そのようなことは言わない。

    ――心に憎しみを抱いてないわけがない,戰後の日中友交に力をつくした文人で
    あっても八年に及ぶ抗戰の,日日絶望的な憤怒を文字に託し著しているのだ
    そして彼らの親兄弟,友人,同志,戀人までも。かれらのなかには日本人に,命を取られていない,というひとなどいない。
    まずいないのである。少なくともわたしが讀んだなかでは。――

    しかしまた,冷靜に,わたしたち日本人の戰爭を,こんな風に總括している文人も多い。

    言葉遣いはそれぞれちがうが。

    『文明』の,中途半端な吸収が,日本にもたらしたもの,に引きずられた結果だ,と。

    野蠻が惡いわけではない。
    文明が萬能なわけでもない。
    西洋文明の利器を手にいれる,それは大きな力を手に入れることではある,
    しかし他の文明を征服しようとする野心を持ってしまったら,害となるだけである。

    それを手にした時に,自らに害となり,罪孽を犯し破局に向かうのは,なぜか。
    それは確固とした自前で作り上げた 『文明』 をもたないからだ。

    中國人は,おしなべてこのようなことを言ってるように,わたしには思える。

    この言い方は,日本人には不快だろう。
    たしかに日本には 『文化』 がある。
    日本文化,が中國文明におとるか,というような,そういうことではなく,

    “文明の利器”とは,
    いや“利器としての文明”とは,

    時に人類に復讐もするものであるらしい。
    そのことを天道によって自覺できていないからだ,
    というのである。

    日中戰爭の総括として・・・・果たして日本人がこのようなことをことばにした
    だろうか?
    わからない,わたしが知らないだけかもしれない。

    そしてもちろん,今の中國共産黨はどうなんですか?
    このような罪孽に手を染めてはいませんか,と尋ねられるものなら尋ねてみたい。
    彼らは
    冒瀆することと,ただ攻勢することは違う,そういっているようにも思える。

    我々は我々の文明を冒瀆されたが。

    そのように言っているようにも・・・・・
    このことをもう少し考えて書いてみたいのだ。

                               
      

    1920年代 武漢,黄鶴樓
    HuangHe_Tower.jpg《武漢空戰三捷歌》唐鼎元

    一九三八年武漢防衛戰を詠んだ七言古詩, 《武漢空戰三捷歌》
    唐鼎元 による自注がある。

    敵機駕駛員跳傘降落在空中頻頻乞降,
    我即停槍勿擊。我張分隊長效賢,以殺敵過猛殉職。


    敵機の兵がパラシュートで降りてきたとき,我われは
    落ちてくるものを打たず銃撃を停めた。
    我が分隊長,張效賢は敵に殺されることになってしまった。
    壯烈の殉死だった。


    張烈士效賢,原名は效良,
    安徽省合肥縣人,生於中華民國二年(1912年)一月十日
    二十五歳 武漢にて民國二年(1938年)五月三十一日戰死

    wuhanHe00.jpg

      冬,武漢。黄鶴樓内, 雪中の鶴の像


    我が・・・・富澤赤黄男,我酷愛的俳人。

    日中戰爭從軍句。である。
    武漢を詠んだ句。
    漢籍,漢語を絶對的にゆるぎない,采配,處置でもってつかいこなす
    その字句に中國文明の精と血が凝る,赤黄男の詠む戰場・・・・・,

    極端に長江が白い。そして濕める空,戰聾。苦しみ

    囘想は“鶴”,要塞をかがやき翔 び

    この句の本質的な美しさは,いったい今,ニホンに幾ばくか,でも,つたえられているか?

    江岸要塞圖

    魚光り老文明は沖積せり
      ・
      ・
      ・
      ・
    江光り艦現實を溯る


    赤黄男の意圖した “順” 。
    わたしには,いたましいまでに,よくわかる。
    文明そのものの,・・・・おおいさと,
    戰爭,このちいささへの絶望が。




    追記
    戰地となった地域の住民の苦しみ。
    加害は復讐をよぶ。
    悲劇の應酬となるだけで戰爭そのものは,正反,善惡の分別,決着など
    できようはずもない。
    できない。

    勝者のいう歴史認識は一方的だ,間違っている,それはその通りだろう,
    と,わたしも思う。

    しかし,非戰闘員つまり現地住民だが,彼らにとっては,どこに逃げても日本軍は
    やってくる。
    中國では。

    それは日本の侵攻であって,日本の自衛ではない。
    ゼッタイに。

    銃後にあって,銃口にさらされなかった十一年間の日本内地,わたしたち日本人。
    銃前に,砲口に十五年間(嚴密にはもっと長くだが),さらされつづけた彼ら中國人。

    彼我の現實のちがいは,あまりにもおおきい。
     
    相手の現實を,想像することができないなら・・・・日本人は木偶か石ころだ。
    中國では樹木も,石ころも受害したが。 

    中國では・・・・逃げることが出來ない人,山河,畑,空氣,大地のすべてが
    受害した。帝國ニホンジンによって害されたのである。

    そこから,始めて,類推できない,考えられないのはなぜか?

    こんなカンタンなことが理解できない思慮のなさがネトウヨはじめとする,
    ――自慰のリヴィジョニストたち――の無思慮だが・・・・無知というより無恥だろう
    あれは,侵略じゃなかった,といい,
    ヤツらが抗日的だったから,やつらが惡かったからだ。

    蒋介石軍は酷い軍隊だ。
    蒋介石のやったことを知らないのか?と。

    確かに蒋介石は酷い,共産軍はもっと凄まじいこともしていた。

    しかし日中戰爭当時,最終的に彼ら國共兩黨の指導部が,選んだのは,
    民とともに,帝國日本にあらがうこと,たたかうことだった。
    その後のことについては

    彼ら自身が,彼ら自身の手で,國共の内戰によって決着をつけた。
    彼らがそれをやるべきであり,彼らのやるべきことを阻害し続けたのが,
    皇國日本帝國だった。


    常にかの地の民の邪魔をし,かの地に生きる民の權利を貪る昭和の日本だったのだ。

    わたしの書くことは,
    ネトウヨには,アカの言うことだ,時代錯誤のコミュニストきどりだ,なんだ,と。
    日頃バカにされるが
    あるいは,常識の圏内wにおいても抗日を美化しすぎていると侮蔑されるかもしれない。

    日本を美化したくない,それはそのとおりだが。

    國内のことは國内で決める。
    民族は民族の自決権を持つ。

    あたりまえのことだ,

    日本人だからこそ,日本人が,するべきことをする
    日本人の,こしかたを反思し,内省する,それだけだ。

    それはどちらが,正義か,決着をつける,
    正邪を斷じること,とは違う。
    河水の流れは常に一定,
    遡及はない。

    しかし
    河水淸らかにして且つ漣猗

    濁ったものが淸らかに澄めるには時間がかかる
    歴史の時間を何時から何時と區切って決濟するなど,
    ひと一人が生きる一代でできるわけもない。
    しかし糺正のため以外にも,思慮の質量はあり,あるべきで
    その質量が歴史をつくっていく,歴史を動かしていくということもまた,一,眞實ではないか
    そうした質と量その “總和” には,わたしは希望を持っている

    なぜなら有史以來,ひとは塵寰に群れを成してなお生き延びてきているのだから


    過去のしざまをただ,糾彈することでもない。
    ましてやジギャク,などと言うものではゼッタイにない

    善惡や正反が,彼我のどちらだったかを,決着をつけること,とは
    根本的に違う

    同じ人物から,またバカげたおしかりをいただいたが。
    この夏は, “自虐” 史觀がまったく活字になってない。
    毎年今頃は先の戰爭についてのさまざまな表出というものがあったが。
    しかし,今夏・・・・

    隠したるより顯わるる無し,

    という言葉を,リヴィジョニストたちに向かって無力感いっぱいで。ハハ,
    毒づくしかない。

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤③ 山水一程,赤峰熱河《過塘沽》

     日薄楡關何處抗, 煙花場上沒人驚
           ――魯迅 一九三三年一月三十一日

      楡關 yú guān =山海關

      むかし北方の長城邊塞に楡の木を植えたことからくる古稱

     ZhangSueLiang2.jpg


    この魯迅の言は痛烈である。
    日薄は落日のこと,西山に太陽が没む楡關, そのどこに抗うものがいよう?
    煙花場は妓院のこと,そこには驚くやつもいない。 

    日本軍が楡關(山海關)を越える喫緊の際に北京故宮博物院の古物を南京,
    上海に “遷移” させる通電を發した蒋介石の狼狽を皮肉り,又(娼妓の如き)南京國民政府の “賣國的”投降政策を痛罵したのダ



    義和團事件の後始末1901年に結ばれた議定書によって天津から北京に
    沿道を警護する兵1500名あまりが “支那駐屯軍” であるということを書いた。

    この支那駐屯軍の警護する地域は,山海關から北平方面に広がる非武裝地帶
    のいわば,“きわ” であるが,盧溝橋事件の一年前,一九三六年五月に,
    “山海關の東の特務機關” がでっち上げた傀儡の自治政府「翼東防共自治政府」への一方的な通告で,中國側の抗議にもかかわらず約5700名に一氣に増強される。
    その派兵の原因となったのは,
      
    反日感情が頗る惡化し抗日活動が活發化し華北一帶の治安がおおいに亂れた

    からである。
    そして險惡なムードは,この派兵によってますます惡化し,その中で,
    盧溝橋近邊で夜間演習のさい銃弾が打ち込まれ,つづいて武力衝突があり,日中戰爭に突入したということなのであるが。

    しかし,そもそもこの反日感情,抗日の擾亂がなぜおこったか。

    帝國日本の翼東特殊貿易すなわち,壓倒的な帝國日本の武力を背景とした經濟侵略によって華北の中國經濟が完全に破壊されたからである。
    これが以前紹介した林語堂言うところの
    “『東亞新秩序』の前景氣”である。
      
    共産黨の撲滅に血道をあげていた蒋介石の中國國民政府の威壓では,
    萬民百姓,一般大衆が,かんじていた祖國の窮乏,滅亡への危機感。
    その大きな原因,禍根の日本に對する怒りの噴出。
    つまりその表現である抗日行動の激化,先鋭化をもはや抑えきれなくなった,
    だから,帝國日本が “暴支膺懲” せざるを得なくなるほどの,抗日運動の擾亂,暴れる中國となったのである

    それと同時に,これもやはり林語堂が告發するアヘンの密貿易。

    日本のやり方のすさまじい悪辣さ。
    それまでは,誰が支配しようと地域が安定してくれるならばと譲歩をつづけていた華北の實力者,これはとりもなおさず軍閥ややくざもの,ということなんだが,かれらが既得の “權益” と していたアヘン密輸取引賣買の縄張りを日本に奪われた。

    領民への,その地に生きる生民にとって,苛斂誅求,収奪という意味では,中國の軍閥も,日本人の侵略もなんらかわるところない。
    1920年代までの滿蒙は自國の軍閥にせよ,他國の資本にせよ。

    民の受難は同じだった。そしてそれをあきらめていた。

    が,民族自決の機運の高まり,國際的風潮とともに,
    また革命という大きな時代變革の經驗を持つ民は,ようやく,自分たちが黙らされていた,我慢させられていたこと,にきづいた,
    それを,民の盲目的屈從を強いてきた,いやそもそも考えることをさせない “おとぎ話”が,通用しなくなったということである。
    民を眠らせることができなくなった,

    この時期
    自覺的に覺醒をはじめていた中國や世界の植民地の住民。

    彼等を目覺めさせたもの,それがなにかといえば,それこそプロレットカルトである。
    プロレットカルトに意味があるのは,世上が黑酣の眠りに覆われているとき,
    ということかもしれないが。

    とりわけ五四運動運動以降,學生は,理性的にも,愛國と抵抗の意識が高かった。
    勞働者は,外國資本に使役されることが余りにも不當な搾取であること,
    自國を弱體化させるほどの利潤を,外國資本に一方的に,自らの血と汗の代償によって喜んであたえつづている,ということに,そのおかしさにとっくに氣づいていたし,實際,搾取はあまりに酷烈だった

    それに對する憤り,これがじつは,救國抗日の聲浪,民衆のエネルギーが中共の革命と結びつくおおきな理由であり,彼等に殘されたたったひとつの道であった。

    日本の侵略行為は滿洲事變によって東北三省を手に入れたにもかかわらず,
    とどまることを知らず,あくことなき収奪はむしろ華北において,次第に國家の理想もへったくれもない,ただの“強盗” と化していったように思われる。

    このように書くとそれまでの満蒙經營 『滿洲國』 はマシだったか,義があったか,朝鮮併合に理があったのか,といえばわたしはそんなことはマッタクおもはないが,
    とはいえある種の理想を持って動いた人もいたのではないかと思えるフシも
    無きにしも非ず
    (・・・・と百歩日本側によってたてば・・・・ぎりぎり思えなくもない・・・・あくまで
    一部の人間が理想と理性をもっていた“フシ” も,あるか?,
    というていどの意味。中國側に立ってみるとき,そこには理も志も一分もない
    と言わざるをえない) 

    しかし,くらべて,この翼東特殊貿易というのはまったく,完全な “強盗行為” である。

    “強盗” とはこの時代,日本の侵略のことを指して比喩的にもいわれたが,

    この華北の “特殊貿易” なるものは,文字通り “押しこみ強盗” となんらかわりない。

    日本近代史が言うところの“塘沽協定”以降の「華北分離工作」の實利の話である

       1930年張學良と蒋介石
                     一九三〇年張學良と蒋介石


    帝國日本は,一九三一年柳条湖事件いわゆる滿洲事變を起こし,強引に『滿洲國』を成立させると,その隣の熱河をも,もぎとろうとして一九三三年一月から三月にかけ,軍事力を行使する。
    正確には一九三三年二月一七日關東軍司令官によって發令され武力侵寇にいたる

    いわゆる 「熱河作戦」 であるが,噛み砕いて書くと,この當時の中國軍はマッタクの力不足であって,とても日本軍には齒が立たない。

    蒋介石は,日本軍と闘って敗れれば 北平 (=国民政府の首都南京に對して北京は首都ではなくなったので北平という),をも,つづけて失うことになりかねない,と,
    又,今はとにかく,共産黨の圍剿作戦を優先するために,と帝國日本軍と一九三三年五月三十一日,停戰協定を結ぶ。

    『滿洲國』がつくられるきっかけとなった,いわゆる滿洲事變以降の一連の軍事衝突の決着がついていないことから言えば,滿洲事變は,このとき,この塘沽協定によってひとまずの決着がついた,といえる。

    陸軍少将岡村寧次 關東軍参謀副長と,中國側代表陸軍中将 熊斌 によって調印が結ばれた,
    それが天津郊外の,塘沽,なので, 塘沽停戰協定と稱される

     ◎日本軍は長城線まで退くと同時に中國軍も撤退させ “非武裝地帶” を設定
     ◎中國軍は速かに
       延慶,昌平,高麗営,順義,通州,香河,宝坻,林亭口,寧河,蘆台
       を通する線以西及以南に撤退し爾後同線を越えて前進せず
       又一切の挑戰攪亂行爲をしない

    こうして
     ◎日本の東北三省(いわゆる『滿洲國』)と熱河省の占領,『滿洲國』承認,

    さらに
     ◎河北省の十九にわたる縣の統治權を日本は獲得する。
      
    當然のコトながら例によって自慰自存史観の大本營,またの名
    「ウィキペデイア日本語版」,を參照すれば,おきまりの
    参考文献をきちんとつらねて,あれこれと日本側に都合のいいことばかりが
    採取選擇,剔別棄捨されてw並べられているが,

    この時期に,
    熱河攻略は『滿洲國』 がいまだ問題視されている中で國際社会列強の干渉
    を招く,“性急過ぎる”,とする聲もありながら,
    また

    “長城を越すことのないように”,

    との,アラヒトガミのお聲もありながら,しかし

    熱河を手に入れなければならないのっぴきならない事情
    があるため押し切った。

    それは熱河とアヘンの深いかかわり又,蒙疆はアヘンの産地であること,
    そして
    『滿洲國』と北平に駐留する中國軍との緩衝地帶をつくることが,できる,
    そうなれば,さらに“非武装地帯” による密輸天國,押し込み強盗に限りなく近い
    しくみ,もできあがること。
    この二つの理由から武力侵寇を押し切った。

    こういう見方をする歴史家もすくなくない。
    ま,わたしの自ギャク的と言われる史觀でもあるわけだが。

    この,楡關戰,熱河攻略のための一連の軍事行動,熱河作戰は,
      ①熱河東境と内蒙古,方面
      ②熱河南境河北省にむかう

    このふたつの作戰に分かれるが,

    帝國日本軍は “日滿支” ,つまり言ってみれば日本と,中國側言うところの「漢奸」の
    混成部隊である。

      ①内蒙古方面は劉桂堂をかしらとした護國遊撃軍,
      ②河北方面は丁強の救國遊撃隊である。

    そもそもこの,丁強,とは,滿洲事變の際,もと淸國宣統帝溥儀を天津に連れ出した
    土肥原賢二子飼いの,天津日本租界を據點とした土匪李際春(鶴翔)の變名
    である。
    つまり札付きの特務スパイの子分。

    もともとは開平武備學堂騎兵袁世凱の時代の武人で,呉佩孚のご同學だ。

    七七事變の後,日本が傀儡政府をつくったときには,こうした「土肥原=土匪」
    つながりから,呉佩孚のごとき時代遅れの軍閥にご登場願い奉って,
    中國や國際社會から失笑を買っている。

    蛇のみちは蛇だが,中國人で關東軍や,『滿洲國』に手を貸すものは,
    人民の侮蔑と敵意の的となる。
    抗日活動やテロや憎しみから殺されることも頭に入れつつ命がけということになる。

    今時どうにも浮上できないような “昔の名前” の御仁か,もしくは馬賊くずれ
    土匪,チンピラばかり,ということになるのであった。

    さらに劉桂堂は,山東の土匪の頭目で
    燒殺搶掠婦女奸淫殺人その手段きわめて殘忍,といわれてひさしい男で,
    いくどとなく帝國日本についたり,裏切ったり,また寝返ったりをくりかえした。
    その殺害した數は萬を數えるとさえ言われる男である,勿論 “軍事的な戰鬪行為” によるものでなくだ。
     

     馬褂着用の張學良。呉佩孚㊧
              めずらしいw 馬褂姿の張學良。呉佩孚㊧とのツーショット


    こうした日本と『滿洲國』いわゆる,“僞滿・漢奸”の混成部隊の日本軍にさえも
    武力でかなわない,對峙するのは,おもに張學良楊虎城 ひきいる惰弱の中國軍であった。

    張學良自身アヘン吸飲者であったといわれ,どちらの軍も暴れ者が多かったこと,東北の領民を苦しめたことは事實である。

    そして熱河産アヘンの賣買が蒋介石はじめとする舊軍閥,國民黨側の収益源であったこともそのとおりである。

    日本に遠慮する蒋介石も,同じ穴のムジナといえなくもないのである。

    したがってウィキペデイアに書かれていることはまったく “間違いではない”。

    しかし,だいじなことは,
    ハーグ條約で1912年の時點において,アヘンの輸出入は國際法違反となっている。

    アヘン戰爭の時代からつづいた帝國主義列強の中國へのアヘン輸出はグレーゾーンだった,といえる
    グレーゾーンだった理由には,阿片禍が,煙の吸引だった,と言う理由もある。

    ハーグ條約以降,國際法上の非合法犯罪だが,日本の密輸によるアヘン禍のすさまじさはそれまでの比ではない。
    世界に流通するモルヒネ,ヘロインのたぐい白色麻薬の9割が日本の取り扱いだったというデータは,歴史家によって學術的につまびらかにされているし
    興亞院,宏濟善堂といった固有名詞とともに,極東軍事裁判の時代既に明らかになっていたことである。

    熱河は 『滿洲國』樹立のずっと以前,古くから,日本人による買春宿,阿片窟經營,密輸密賣もさかんであった。
    日の丸の紅いマークはアヘン窟の目印と思われていたという熱河の住民の證言があるくらいである。
      
    前世紀から1920年代までこうした不平等條約を押し付けてきた
    西歐帝國主義であるが,すでにそうした収奪侵略的行為は行われなくなり,
    既得權益は手放さない,という程度で,中國の主權は國際社會に認められるようになっていった。
    しかし,日本は『満州國』建國によって,國際連盟からもすでに脱退しており,世界における不評判を知りつつも,自存自衞を言いつのってやりたい放題だった。

    道義のかけらもないのが滿洲,華北の収奪である。
    その。
    “翼東特殊貿易” だが
    塘沽協定の結果,『滿洲國』と中華民國との間に軍事的緩衝地帯が出來る,
    この華北の「非武裝地帶」の“非武装” とは軍隊だけではない。

    ふつう國家と國家の貿易には税關が間に入る。
    中國側の,税關,檢問所のたぐいは警備は武裝ができない。
    檢問を強行突破する日本の麻薬密賣人を銃撃して阻止しようとしたことから,
    難癖をつけて中國の税關吏の國境からの撤退と,武裝解除を要求したためだ。

    中國の警察には日本人を捕らえる權利がない,同じ東洋人,日本の密輸業者を中國人かとうっかり過まってw捕らえてしまうと領事裁判權によって日本側に渡さなければならない。

    日本の領事警察は,

    日本の國内法が中國への密輸出を禁じていない

    という,
    すさまじい理由で密輸人を釈放する
      
    つまり中國の税關は押し込み強盗によって手足を縛られたも同然のありさま。

    日本の領事館警察とは,なにか?
    則ち關東軍と一心同體である,

    壓倒的な武力を背景に後ろに控えている。
    帝國日本は,これまで軍官民すべて一體となって中國に “進出” していたわけで
    かさにかかって言いがかりをつけては,ナワバリを廣げてくる,その結果
    こうなっている,そのうえ關東軍が,中國軍との “少しの武力衝突” のきっかけで,
    またそれを “謀略によってひねりだすことも平然とやってのける”ことは
    『滿洲國』成立の経緯ですでに萬民周知のとおりである。

    しかし中國軍は手も足も出ない。

    後は日本のやりたい放題である。
    これが,当時の日本語でいう

       「“非武装”中立 地帶を設ける」

    の意味するところである,非武装は

      「中國側に限っての非武装」

    であり,税關は密賣人一人捕まえることができない。
    塘沽協定以來横行した密輸の實態である。

        熱河失陥直後の張學良
              熱河失陥直後の張學良

    林語堂は書く

    「私は國家間に貿易のことで戰爭が起こる話は聞いたことがありますが,
    國家が商業上の競爭から密輸をやらかすなんて話は聞いたことがありません」


    これはどういうことかというと
    まず,
    “山海關の東の特務機關” の仕込みによってつくられた
    傀儡の翼東防共自治政府は,輸入貨物差檢所というものを儲ける,

    正規の四分の一程度の“差檢料”を,帝國日本の物資のみに認める。

    それまで密輸をして,日本のヤミ商人が儲け放題だった密輸入の手數料を徴収することも徹底した。
    この収益によって,翼東防共自治政府の經費を確保もしつつ,
    この措置によって,人絹,綿から雑貨食糧にいたるまで日本の物資が大量に入ってくる。

    しかも他の外國の製品について,帝國日本は中國の正規の關税の八割の “差驗料” をとると言って通すことにしたので他國の製品も日本の差檢所を通して輸入するようになる
    當然のことながら中國の税關の収入は,激減する。  

    こうしてさらに収益が上がると,この手數料収入は,關東軍の内蒙工作によって作り上げた,カイライの蒙疆統治を萬全にすべくにつかわれる資金となる
    (そこで完結して仕上がった蒙疆綏遠のアヘン供給生産地化という特大利潤は
     アヘン謀略のところで話をいずれつなげていく。)

    中國側も運輸免許制度など對抗策をうったが,
    しかしそうなればなったで,帝國日本人は
    お得意の,丸腰の中國人を威嚇する暴力によって強行突破をするだけである。

    それで,モメれば今度は,かえって帝國日本のおもうつぼ,關東軍の武力而して帝國が出てきて,さらなる威嚇をする,

    “できれば戰爭をしたくなかった” 理由でいっぱいの中國は,
    我慢に我慢を重ね讓歩をする。

    最後には山海關から蘆台間の陸上ばかりでなく,海上も,中國税關の警戒船が立ち入ることを,日本帝國海軍によって禁止された。

    ほんとうにあきれるほど,やりたい放題である

    國と武力,官と民とがてをたずさえてグレイゾーン,から,限りなく黑に近い,そして完全にブラック,
    前代未聞のやり口で不當な利益を貪っていた。

    わたしは,
    個個人の振る舞いを,イコール「侵略」とはおもわない。
    “戰爭に負けたから” といって國家が,そうした個人の犯罪まで追求されることも,ありえないとおもう,

    しかし。
    國家が仕組みをつくって押し込み強盗をやっていたのである

      “戰爭に負けたから侵略” 
    ではなく,
      “強盗だったから侵略”  
    と言われている

    という,このことを,
    すなおにみとめないのは,いったいなぜなのだろうか?

       “戰爭に負けたから事後法による不當な裁きを受けさせられた”

    と考える日本人の多くが,もし,なにも,
    そもそも「東亞新秩序」のカラクリを知らないのであれば,

    何も知らずに,何も考えずに “外國が日本を不當にあつかった” ,と,いいつのる心性がわからない

    ガイコクは,日本人を憎みつづけて,いまなお,こうした侵略の濡れ衣を着せている,
    とかんがえるなら

    むしろ,そちらの方がジギャク史觀であるキもしないでもないw

    自慰と自虐は紙一重。
    自己愛ゆえの愛國は,Patriotism ではないし自己愛者だ
    過去のあやまちをふりかえられないのであれば,childish だ

    しかしw
    知らないとは,わたしにはおもえないのだ。
    考えればわかることだと思うが,東亞新秩序の一翼を擔っていた人の子孫ほど,またw
    その子孫の取り巻きが東京裁判の不當を言い募るからである。
    いずれにせよ,
    過去は過去であるとしても
    知らぬとして,そうであっても,また,カン違いでも,
    過ちを認めず,不當だ,とばかりいいつのる,これは今の日本人の幼稚,とみられる
    今の國家の幼兒性のモンダイとなる。

    恥ずべきことである。

    さて林語堂は言う
    「こうして山海關から天津までの全海岸は “自由港” いや “自由海岸” になったのです」

    バケモノ地域のことだ
    こうしたバケモノを現出させた發端は確かに協定によっているものだ,中國の主権侵害,もはなはだしいレベルでの “津梁條約”的協定,
    これが 塘沽停戰協定 によってもたらされた,“實利”のひとつであった。
    この,日本のアヘンの密賣という國家犯罪によって關東軍の謀略資金ばかりか,
    後の,敗戰までおよそ10年にわたる帝國日本の戰爭の,天文學的數字にのぼった軍事費を稼ぎ出していた。

      ☞ 竹内好『中國のレジスタンス』を引用したなかにも少し言及されている。
            
    黄假我 《過塘沽》

     過塘沽  Guò Tánggū

     轉移艱局在須臾  zhuǎnyí jiān jú zài xūyú
     依舊山河景不殊  yījiù shānhé jǐng bù shū
     痛定正堪思痛日  tòng dìng zhèng kān sī tòng rì
     滿懷惆悵過塘沽  mǎnhuái chóuchàngguò Tánggū

     艱難の局面轉移して須臾(しゅゆ)に在らん(もはや消え)
     舊に依りて山河の景は,ことならず
     痛定思痛して,まさに堪(た)えしあの日日を
     惆悵として懷(おも)い満ち塘沽過ぎん


     須臾 xū yú=刹那。いっときのもの,逍遥に同じく,又,無奈。空しい意味
     依舊 yī jiù=依然 古きに照らしても。なにもかわらないこと。 
     不殊 bù shū=これも依舊とおなじ。一樣
     痛定思 tòng dìng sī=情をつくして慯む,忉怛する。塘沽協定の痛みを。
     惆悵 chóu chàng=惆悵タリ。愁い嘆く 失意や寂莫,慯恨



    痛定,定正,正堪,
    痛定は協定に意味をかけたか,通の字にもつうじる痛定は通商協定を
    連想させるし,定に正をつなげれば“定正”,は改まるの意味。
    正堪は, まさに,正是(まさにこれぞ,自ずから堪えし日日),という意味     

    そこにかさねて自分たちは堪えた,大地のすべてが
    忍受して苦しみにたえた
    そうしたあれらの痛み伴う日日は改正された,そして山河は,といえばたしかに舊に復し
    それを痛み思う。
    まさに同胞受苦,河山待復である

    このような「東亞新秩序」,の前景氣,というべきものをもたらした,という帝國日本だが,軍隊駐留を許されれば何をやってもいい,
    というものではない。
    究竟,戰爭につながっていく,その自覺は,
    そうなればなったでしょうがない,と言う,陸軍の武力過信があり,かつ中國人民への侮蔑心,一撃を加えればすぐおとなしくなるであろう,という,大局觀のなさである。

    世界は盧溝橋前になんども,帝國日本に向け,中國人民の變化,かれらの主權への目覺めと自覺を,正面から見るように,と幾度となく通告している

    それは,戰爭が始まれば完全に「中國に肩入れしていくことになる歐米」を,――實際,南京後に起こった國際世論は完全に中國の中國の側にたってその立場をよく理解した――そのことを十分に予測できる程度には,國際は帝國日本にアピールしていたのである

    わたしが歴史のアヤというのはそこである

    中國を搾取する側にあった歐米が第一次大戰終結前後より,これまでの “やりかた” から手を引いた,そのためにそれらかつての西歐の權益は移っていったのである。
    何處に移ったかと言えば帝國日本。
    帝國日本は歐米のやり口を,まねただけである,と言う主張はそのとおりなのである,

    ネトウヨは,すぐ,日本の戰爭は歐米帝國列強からの自衛のための戰爭だったという。
    しかし,こうもいう,
    みんなやってたのに,ニホンだけが責められる。事後法で裁かれた,と。

    その二つの主張は注意深く,同時にはなされないためあまりこのことの整合性は重視されないかもしれない,
    しかし。

    日本は自衛と言い張るが,帝國日本に租界はなかった。
    中國には無數の租界があった。

    廣州,香港,上海,南京,漢口・・・・・,
    いたるところにニホンジンと同じようガイコクジンが居住していた華南。
    前世紀から, “「辮子―ブタのシッポ―」を下げた猪仔” と侮蔑され,中國人が大陸にあって差別された,「中國大陸」。
    そこには世界でも有數の國際的都市が多くあり,中國政府は非常に國際的であった。

    それゆえにかれらは鍛えられた。

    ということである。
    さらに
    既得權益の最後尾に位置した帝國日本は,最初期からの既得権益者を完全に敵に回したことに氣づきながらも,上海という,東洋一の世界經濟の中心にして各國の謀略の策源地であった, “東洋の魔都” に攻め込み,
    國際外交の中心であった首都南京攻略,という無謀をやり,南京城市を屠った,ということである。

    滑稽なのは,帝國日本軍の将校は,日本軍兵士に,

    殘虐行為は,白人には,するな,みつかるな,かくれてやれ,と
    命じていたことである。

    軍が指令で兵隊たちに 「強姦したら必ず殺せ」と命じたのも
    厄介な白人の眼を氣にしてであった。

    天を,無辜の中國人民を,おそれたのではなく,
    ミスターヒロヒトの赤子たちは,白人をおそれた

     張學良 威廉·亨瑞·端纳(William Henry Donald)1936年12月
      張學良 威廉亨瑞端納(William Henry Donald)1936年12月

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    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤②侵略は,戰爭の母。戰爭はウヤムヤの父

    この二年前の記事を出してきたのは,單に今度の七月七日は日中戰爭開始からちょうど80年という,それもある。
    戰後70年に比べまったく話題に上らないことに對するわたしの抗い,と言う意味で載せているのだけれども。

    ジツはこの二年間で,歴史觀にすこしの變化が生じているということもある。

    これまで中共中心にみてきたがため,見落としがあった,それにきづいた。
    いちばんには,瞿秋白の國民黨の處刑のいきさつを丹念にしらべていて気づいたのだが,瞿秋白の處刑はこれまで無關係と思っていた帝國日本の意志でもあったということ。
    不可解だった蔣介石の逡巡に意味があったことを知らされたのである,
    それまでは瞿秋白の著作をさがして讀むのにいっぱいいっぱいだったが,
    常州の瞿秋白研究會が發行してる『瞿秋白研究』と言う冊子を見つけ讀み始めて,いろいろわかったことがあった。
    さらに
    詩人林庚白の生涯を追って30年代の國民黨の情況にこれまで以上に關心を持って讀んできたことで,わかった國民黨政權下の中の文人と“左聯”のむすびつき,「民族詩壇」の抗戰。
    壓倒される抗日詩の數數,それをブログに載せていく過程でわかったこと。
    より一層の帝國日本の罪深さを感じ打ちのめされることもおおかったのである
    ・・・。
    それはともかく
    “抗日戰詩” は今年の夏もまたせっせと載せていこうと思っている
    そのまえに,と。

    この頁では,
    “支那駐屯軍” とはなにか,
    また
    「不擴大,現地解決」という言葉のマジックについて。



     侵略は,戰爭の母。戰爭はウヤムヤの父

    1937年,7月7日に北京郊外にて演習をしていた,“支那駐屯軍” とは,そもそも」なにものなのか。
    “支那駐屯軍”とは
    義和團事件(1900年)の決着を決めた「議定書」を法的根據として,天津から北京にかけての道程を警護を担當する,1500名程度の駐留軍であった,
    しかし,盧溝橋付近で演習をしていた “支那駐屯軍” は,このとき,1900年の議定書の取り決めを大きく逸脱する
    「5700名規模の駐留」をしていた軍隊ということになる。

    この軍隊駐留と演習の法的根拠は,なにかといえば。

    “關東軍”と密接にかかわりある特務機關がでっちあげた
    「日本の傀儡政権である『翼東防共自治政府』」にたいし
    一方的に通告したこと。
      
    もとは首都だが,いまは“北平”という地域にある,
    『北京政府』もどき,關東軍の特務機關による傀儡政權。

    日中戰爭前に帝國日本がこんなものをつくっていたことを,今,どのくらいの日本人がしっているだろうか?

    時の,正當なる中國の政權である南京の國民政府は,もちろんこんなもの承認していない。

    その傀儡政府の中國人代表とは,南京政府から逮捕状さえ出ている國賊,である。

    その “モドキの傀儡” にさえ,
    「日本人,待ってくれ一方的にすぎる,やめてくれ,」と
    いわれてしまった軍隊。

    そういう軍隊の一中隊が,盧溝橋付近にて夜間,演習中に,うちこまれた銃彈,
    これが日中戰爭の發端だ,
    と,そういわれているが,
    それはちがう,そうではない,というハナシをする。

    この事變は


    七月七日午後10時40分ころ,盧溝橋附近で演習中の帝國日本が派遣した「支那駐屯軍一箇中隊」にむけ,どこかから,小銃の銃彈が數十發うちこまれた。
    日本軍は演習を中止すると部隊の被害を点呼確認。
    行方不明だった人員一名がいたが,銃彈被彈とは何のかかわりもなくまもなく
    ナニゴトもなく,戻ってきている,
    その後は平穏にすぎていきただ午前三時に
    三発の銃聲がきこえた,と言う。

    同時並行的に帝國日本側は大隊の主力部隊を,現場に向かって
    急行させる。

    そもそも法的根據もいかがわしい軍隊の駐留,
    それが夜間に演習しているのである,と言う異常さもさることながら
    ―― 戰爭はつぎに受けるかもしれない被害を想定して先手を打つ,という
    側面はありはするものの,
    まだ,打ちこんだ相手も原因も確認できないうちにである。

    深夜に急行させた主力部隊はこの夜明け前に移動を終え,

    夜間演習していた当該の部隊ではない,あらたに集結した大隊と中國側の軍隊が衝突
    八日早朝,に戰端が開かれた。

    この軍事衝突をめぐって日本は翌日九日,すぐさま國内で
    「不擴大,現地解決」の確認をし,かつ,中國を非難,正式に

     「中國軍の撤退,中國軍の處罰,謝罪,再發防止の保證」を要求する。



    深夜の演習が,そもそも異常であるのはともかく,異状なしのまま夜明け
    をむかえる。
    そして軍事衝突に到った原因は,どちらに非があったか,といえば

    それまでの歴史の經緯,軍隊の駐留の法的根據を考えれば,
    帝國日本に問題がなかったと,は,ゼツタイにいえん,だろう?

    こう考えるトコから始めるのが,つまり・・・
    單純なことばでいえばw
    時系列で考えていく,もしくは根據法を吟味する,である。

    ジギャク的,というようなひとの性格によって恣意的な味つけがなされているかどうか,
    これらのジジツは,自慰史觀陣營の御用達ウィキペディア,であっても簡單に
    調べられることである,
    わたしがかりにマゾヒストであったとしても,起きていた事實をそのまま書いている,ということがわかってもらえるとおもう

    この事態の經過は,現在ふりかえってはもちろん,
    當時の國際法においても,
    ・・・・・これはあくまで個人的な感想だがw
       
      「日本は常軌を逸している」,としかいいようがない。

    ところでいったいこの盧溝橋事件を利用して,何を得ようとしていたかニッポン,というハナシに行く前に。



    それまで,何かことあるごとに,ナニカ突發的な “問題” があるたびに,

     ――トッパツモンダイは,大小さまざまあった事が知られるが
     一部,かなりの割合において,日本の謀略でわざわざ起されたことは
     あきらかならしめられている,と世界では認識されている。

    “突発的問題”

    この突發的な “問題” がおきるたびに帝國日本は
    中國の謝罪と帝國日本の權利の擴大・澎漲を一方的に要求してきた,
    日本流侵略。

    このいきさつ,やりかた,流儀のことを,
    ジツは

      “現地解決,不拡大”の方針」
    という。

    それまでも,それからもいつも,いまにいたるも,
    ものごとの本質を覆い隠していいかえる
    政府お得意,大本營おとくいのニホンゴ漢語である

    この言葉のあらわすほんとうの意味、つまり,ことの本質は

    「現地解決」は,現地の軍部がやることを内地に知らしめない,
    そして
    「不擴大方針」は,一方的に中國側に譲歩させる,である
    時には,中國側の武装解除を強要,帝國日本軍現地駐留の正當化。
    つぎにつながる中國の主權侵害である。

    コトをまるくおさめて擴大させない,と言うのは,
    すなわち,中國側が引っ込むこと,を意味するだけで,日本の權益は,澎漲していく一方だった

    動機にかぎって異論はあるものの,端的に言って盧溝橋事件とはこういうものだった。

    そもそも軍隊がいる,この異常さは語られることなく,一方的に「支那」が暴力的だ,
    中國人は反抗的だ,抗日がけしからん,という,大聲をあげて

    帝國日本人の横暴はすべて不問に付されている,にもかかわらず
    帝國日本人は,内地でも現地でも中國人を一方的に懲らしめる,とばかり言いつのっていた。

    それを可能にしたのが前世紀から中國が帝國日本とそれまで結んできた數數の協定,条約,取り決め,
    というもの,だが
    とはいえそれらは,もとより不平等なものばかり,中國人は隠忍をひたすら強いられてきた。
    中國がそのようになってしまった理由,には,日中軍事力の壓倒的,差,がまずあげられる
    日本側がそれを可能にする強大な軍隊を駐留させ得ていた,こと。

    さらには,ここから是非想像力を働かせてほしいところだが,

    中國大陸という大地の廣大,これは空間的事由,外國資本の君臨するたくさんの租界,もある。
    治外法權が半ば常態化していた,時代,
    辛亥革命からまだ二十數年しかたっていない,という,時間的事由
    アヘン戰爭以來西歐の帝國主義列強から種種樣樣の干渉を受けたあげくの
    淸國・中華民國という, “國” の國力そのものの弱體にくわえ
    國民黨と中共の内戰,。
    ことを「複雑」にしていく要因はさまざまあり,
    蔣介石も,中國の抗日勢力も,日本のような,おいしい思いをしたいだけという「單純」さ,では動くことができない。

    もし帝國日本に,こんな軍が,カッテに駐留していたら・・・・。
    こんな理不盡な要求をするガイコクジンばかりいたらどうだろう?
    はたして日本人は隠忍自重するだろうか?

      ・・・・。
      わからない,日本人はするかもしれない。
      だから中國はだめだ,つまり反抗的だ,となったのかもしれないがw。

    が,それはともかくだ。

    とにもかくにもそうした中國側の事情,それは帝國日本で論じられることはなかったし,今も封じこめられたままのようである
    日本人にとっては,中國がそういう状況に陥ったのは中國が惡い,とすらおもわない,
    それすら思わない,思うには,歴史の時系列が認識されてなければならないが,そもそも知らない,考えない。
    わたしには,そんな風に思えてしまうほど
    當時,あったのは,世論にあらわれたのは,反軍演説であり,中國膺懲のさけびばかりだった

    「不擴大,現地解決」方針

    この 中國で “うまみ” を得たい,という日本側の一方的願望に端を發して
    蔣介石の弱みに付け込み帝國日本が横車おす方針,とは,と,
    こう書いたところで,もちろんネトウヨは,すぐ

    中國が譲歩したことは,中國の責任であって,おれたちには關係ないハナシ

    というような短絡的思考を導き出す。
    リビジョニストがリビジョンをうちたてるに,においしいネタでもある。

    が,そういう短絡を好んでする,あえてする 「愛國者」,と,
    物事をあえて兩方の(中國の)立場でもって考えようとする 「ヒコクミン」
    その對立の圖式に落とし込んで,日中戰爭の侵略の構造,をふりかえることを
    しなかった日本人の戰後,である。

    謝罪ができないのは,それを民意が支え得る為に前提となる知識が,決定的に欠けているゆえ。

    世界が “自得自覺” する前提,それは,押しつけ,だの,スリコミ,だのでなく
    ごく客觀的に,帝國日本の侵略の「構造」を,知る “記憶” もしくは “知識” 。そして “意識” 。

    日本人だけがなぜか知らずにすまされてきたことの結果生じている,現在の國際關係をも,左右する齟齬である。

    なぜ,それですんできたか,ということについてはいろいろあるが,
    ここでいいたいことは,

    愛國か,そうでないかではなく,
    知らない,と言うことに端を発している,こうした侵略の構造の,無理解,である。
    どっちが惡いという前に,知るべきことを知り,考えるべきことを考えているか?

    そもそも,不平等な,一方にのみ利がある協定の強要,中國側の譲歩,
    という “外國” だけ都合がいい“しくみ”
    かつての帝國主義列強も,おいしい思いをしてきた不平等条約。

    その,内實の,つまり實利權益のおおきさは,
    歐米列強が手を引いたことで,帝國日本が寡占的に中國經濟を
    統制しはじめてからムチャクチャが一層加速し,ふれあがっていった。
    これこそは歴史のアヤ,と言うものだが。

    たとえば,このブログに書いてきた林語堂の頁などで描かれるように,
    条約によって武装を禁じられた中國人は,日本人による無法と暴力をまったく取り締まることはできず
    中國人差別と,日本人にのみおいしいハナシ,
    社會も經濟も帝國によって捻じ曲げられ
    倫理は限りなく,はてしなく, “淪陥” していったのである

    ところが
    1937年七月七日におきたトッパツ問題,
    この盧溝橋事件においては,「不擴大,現地解決」は,
    通用せず。

    日本はなんら得るところなく,しかも意圖して擴大,なすすべなく,
    なそうとする意志もかけたまま,――大元帥ヒロヒトに,生死をゆだねる教育勅語によって――
    歯止めない暴力,泥沼の全面戰爭の途をころがっていった,
    ということであった,

    武力行使を實行したのは,陸軍だが,それを喝采し,あとおししたのが,ジツは世界情勢もみることなく論理性もなく,
    ただただ中國の反抗に堪忍の緒をきらしていく,世論,民意であった。

    WanpingCastlesouthwall.jpg


    いったい“國” の主権を著しく損なう不平等条約,取り決めを,喜んでしよう,という
    おかしな“國”  があるだろうか。
    それをおもえば,今のニホンはアメリカにたいしてかなりそのケはある,とはいえ,
    隠忍自重を強いられているのはただ沖繩であって本土の人間はおかしな “國”民
    である,というわけだが

    これまで華北では,すべては帝國日本の軍隊の威壓によって,
    あるいはその後,「“現地解決不擴大”の方針」,を可能にするべく行われた謀略,と
    手品のごときしかけ,慣例化された手順によって,帝國日本は國益追求を推し進めた。

    たとえば植民地にした朝鮮半島,また中國東北部に,政府が銀行をつくり,紙幣の
    亂發をする。それによって貨幣經濟の混亂を生じさせ,相場で儲ける。

    カッテに,中國に税關を作りw關税の恣意的な操作をし,日本資本のぼろもうけ,
    中朝國境地帯でおこなわれた密輸。天津を密輸の一大基地として運ばれるトルコ産アヘン武器彈藥の類い

    これは盧溝橋の前,公然と行われ,日本人はやりたい放題だった。
    モチロンその日本人と結託した中國人も大勢いた。
    そして,熱河から蒙疆,綏遠にいたる地域の農村支配は,さらなる収奪を強要される。
    農民は,日本帝國の為にアヘン栽培をやらされたのである。
    帝國日本は満州国,河北の支配地域におけるアヘン専賣制と言う制度のもと,天文學的な數字に上る軍資金を得ていた,
    たとえば,「滿洲國」の高官だった岸信介と阿片との深いかかわり,は,しかし
    すべて東京裁判の司法取引の様な手品によって,アメリカとの良好な關係を結ぶために資することにもなった。

    こうした經緯をわたしはしつこく考えてきた。
    みちびきだされたのは,

     「日本が侵略を行い,しこうしてモメ,しかる後,のっぴきならない戰爭」
    であって

     「トツゼンの軍事衝突,しこうして自衛の戰爭,しこうして敗戰」,
    ではないし,

     日本が一方的に,事後法でもって戰勝國から一方的に侵略といわれ
     日本だけが斷罪される」
    ではゼッタイにない。

    もとより戰爭は侵略の結果起こったことである。
    この時系列を受け入れない限り,日中戰爭の深層は,その實相はゼッタイわからない。

    先に引用した斉藤隆夫の「反軍演説」が,よく説明するのである
    反侵略でも反戦でもない「反軍」演説である

     “國” はなにをやろうとしてるのか,
     これでは,「このやりかた」によるこれまでのような利益が出なくなって
     きているんじゃないか?

    日本内地において,現地解決不拡大が,『侵略』,と同義ではなく,
    『反軍部』は反侵略ではない。

    代議士が行った「反軍演説」は,日本の犠牲ばかりがいよいよ大きくて・・・
    ということで軍の,帝國の,見込み違い,
    “不手際” を問い詰めて糾彈したのであった。

    しかし,そのうらにあった中国側のけたちがいの犠牲はまったくおもわれることはなかった,
    死者をとっても,動産不動産の強奪にしても・・・・・

    いったい日本人は,それまで中國人に何か奪われたことがあっただろうか?
    居留地の反日行為は,一方的に責められることだろうか?
    そんな理性,論理性はどこにも見えない反軍演説,當時の日本人民衆の情動,
    である

    rokoukyousisi.jpg


    ところで盧溝橋事件を利用して,何をしたかったのか?

    中國北部の,植民地化。華北におけるおいしいおもいの永續
    つまり,河北の完全な『滿洲國』 化,であった。
    これまでは華北は,不完全な「滿洲國」だった,ということでもある

    それが,前頁で書いた『中國ではないなにモノか』 の地域。

    これまで,日露戰爭以降オイシイ思いをしてきた日本である,
    國民もソレを受けいれ,ソレに慣れきっていた。

      とりあえずは,中國の北と南を,南京政府と住み分ける,
      南はやるから北をよこせ,と。

    しかし,華“北”の住民(=中國のフツーのヒトビト)はもちろんのこと,
    華“南”のひとびとも,それをゆるさなかった,
    おことわりだ,と。日本人,いいかげんにしてくれと
    なぜか。
    あたりまえであるが,それは
    1933年日本帝國(主として關東軍)がでっちあげた『國民政府軍事委員会北京分會 』治下の,
    また
    1935年の『翼東防共自治政府』治下の
    “北” の住民が,どんなに悲惨だったか
    それをよく知るからである

    日本人のやり方はあまりにもひどかった。
    “南” の民は,しかし,それでも,
    “北” の同胞を,苦難から解放することはできなかった
    ということ,でもある

    そうこうしてたら,時1937年,中國はけしからん,と逆ギレした帝國日本。

    これが國際的な歴史認識である。
    歐米人の誰に聞いてもこうした答えが返ってくるだろう。

    ともかくそういう歴史をへて,1937年,日中の熾烈な戰鬪がはじまった。
    しかも宣戰布告をせず。

     つまり戰爭は犠牲を伴う,できれば避けたい
     これまでのやり口と違いとちがい,國民の表向き戰爭はイカン, という聲も
     澎湃として起きるかもしれない

     實際,代議士の中にさえ斉藤隆夫のような人が出てきてしまう,
     あるいは海外からも,
     ――「滿洲國」建國を事後承認せざるを得なかったような國際的なおもわく,
     をこえた,
     ――倫理的,論理的反發もあるかもしれない,と予想される。
     あくまで事變,といいはり,戰爭とはいわなかった裏には複雑な國際閒の
     駆け引きもあった,いわば國際のホンネとタテマエのつかいわけ。

     さまざま國際法上における帝國日本の不利益も出てくる。
     それまで帝國日本人は國際法上の違反をいくつもいくつも犯している。
     そうしたことのすべてが・・・・
     そうして築き上げた沙上の樓閣がいっきに壊れかねない

    しかし,ただただ侵略を “つづけたかった”のに・・・・
    目論見が崩れていった1937年。

    侵略とは何か。
    國家が,正當と考えられる以上の利益を,他國に要求し理不盡な方法で奪う,
    である 

    このことはアベとかゆうののブレーン北岡某も先の朝日新聞(2015年6月)のインタビューで坦直に規定している,
     (・・・かつ中國への“進出”は侵略である,ともいってたな)

    この定義も,帝國日本の侵略も,世界の常識であり,
    しかし・・・・。

    日本ではアメリカとの戰爭のはじまったおかげで,そのことがウヤムヤとなり,
    そもそもの帝國の侵略という,しざま,をすっかり忘却してしまった。

      「日本の戰爭だけを彈劾された」と,
      「日本の戰爭だけを 『侵略だ』 と定義された」

    我われ日本人はそういいつのることで戰爭前にあった
      「戰爭の原因としての侵略」
    をすべてわすれてしまった

    つまりは,相手を見くびり,そもそも相手を對等と認めないこと,
    端的に日本はまだその蒙昧の中にいて,單純な自畫自賛もさることながら
    侵略の自覺をしていない・・・・・。

    「暴支膺懲」,そしてつづく「南京を對手とせず」

    帝國日本の「現地解決不擴大の方針」がついえて
    あともどりできなくなったのは,いつか,
    1938年1月。
    南京城内におびただしく流された血が土にしみこむ間もない,ころ,
    アトローシティ直後の帝國日本が發した,近衛聲明として名高い。布告である。

    虐めっ子日本は,虐められっ子中國の逆襲におどろき,もう一度パンチを
    あびせようとした。
    それが暴支膺懲であり,つづく南京アトローシテイだったが
    歴史の 實” である
    自衛權というのは,イジメがなければ,發生はしない
    これは虐められたほうだけでなく。
    どちらの側にとってもいえる。

    このことは,このことだけは,歴史の實” ではないだろうか?,
    このうえない敎訓だ,とおもうが。

    ところで,この,戰爭はしたくないが,はじまってしまった戰爭,
    なぜか「中國人が暴戻で,我々に反抗的である」,
    と言う日本の被害者意識に對し,

    “道理” をみてとって帝國日本に同調,あるいは同情する國際的評價は
    當時,あっただろうか?

    北支事變,が日支事變,と名稱變更し,全面戰爭の様相を帶びたとき
    ソヴェトはもちろん,民間の英米人,フランスの軍人,ドイツ人までも中國を
    支援していた。
    1937年,蒋介石の上海防衛が,そうとうに堅固なものだったのは
    歐米によるおおきな軍事支援があったからである。

    それは。

    “利” によって動いたものでもあったろう,
    他國間に戰爭が起こることによって,儲けを貪る人,國,は必ずあるわけだ,武器の供給はいつの時代もオイシイ話である

    しかし
    あくまで,中國に “理” をとみてそのために動いた民間人もおおく居た。

    はじめに日中兩國が 『事變』 としてしまい,國際的に戰爭とは表明しなかった
    ことの副産物
    でもあった,
    歐米人が “義” 勇兵」として中國の抗日戰線に参加し協力することができたのは,

    「本式の戰爭ではない」“事變”

    というへンな戰爭だったから,といえる。

    世界はおおむね日本を,非,とし,中國に同情的だった。
    たとえばだが,シャルル・ド・ゴールとくらべて,國際的に,又中國人民にとって
    蒋介石に人望がそこまであつたかどうか,といえばわたしはそうは思わない。

    蒋介石に從ったのは “利” によるものが多かったろう,これはわたしの
    個人的意見にすぎないが。

    それがわるいことかといえば,それもわたしにはわからないが, 
    “利” よりも “理” ,命を惜しむより “義” によって抗戰を貫徹する,身命を賭して
    抵抗する,というのは人民の 「“意” 志」,だった。

    sisi.jpg張采庵 《七七事變書感》

      漣猗 liányǐ=風平浪靜,水面が穏かで平靜である,こと。又風紋。
          微風を受けて静かな波紋をくりかえしながら平穏であること,

     盧溝の河水,また橋の獅子像欄干の咆吼をも,詠みあらわされているか?
     
     盧溝橋の下を流れる永定河は長く戰亂の象徴だった。

      恥辱を甘んじ忍んできたが,この有樣は竟に斯くの如くあいなった,
      この,最後の關頭にきて,もはや忍びがたい
      熱血を携え,それを流すことになろうとも,“哀しみの師(軍旅)を起こす”
      中國の全民,敵に抗うことまさに久しかるべし更なる艱難も覺悟しよう
      靜に流れるはずの盧溝橋下の河水は平穏にならず波紋は奔騰し,
      風雲に狂吼す。 
      しかしわれわれは,邦 ―くに― の再興も疑う莫れ,
      河水は・・・。
      それをよく知っているのである。そう,
      昔の『詩』,國風にも謂うではないか ――河水淸らかにして且つ漣猗,と


    こうした詩はこのように讀み取ることが出來る。
    氣概を,決意を詩であらわし,
    みずから,そして民を鼓舞するのは “文”である,と言う文化。

    中國の民の抗戰の高まり,それをみくびりつづけた,同“文” の皇國は,ついに
    全面戰爭に突入したが。

    日本も本式の戰爭はしたくないのが本音である,
    “オンビンに”,權益の拡張をつづけたい。
    しかし。

    日本人が,なぜか予想もしなかった,中國側の拒絶。
    反抗的態度のために。日本のもくろみはくずれた,
    ちがう言い方をすれば,ありえない,想定外の
    中國人の覺醒。
    組織された抵抗,のために,だ。

    ついに,この時期 中國の民は,前世紀以來つづいていた大陸の暗黑に,棲みついた惰弱の“主” から完全に解放され,
    宿痾から脱出した,民自らが, 「“主” 體」となり,民による建國を志した,と言うことでもある

    では,なぜ今,現中國がこんななのか,と言うことは,
    結果はそうであろうけれども,
    時系列で考えなくては歴史に “意” 味 を見出すことはできない,これはわたしの信念にすぎないが。

    たとえば魯迅が, “治療しつづけた”,黑黯,黑酣の病,から,
    ようやく脱け出して,民が自覺的に國事を自分のこととして考える,
    そういう民がはじめて,中國大地の “あかるさ” のなかに姿を現した,と言うことだ。

    あるいは郭沫若ら民主的,左翼文化人の啓蒙,着火,而して “生氣”
    生氣,とは中國人のことばで “發脾氣”” ,怒り。

    一氣に火を噴いた。
    この律詩,にある,

     一拍紅衣燃憤火
      “このたびの一拍,血に染まった民も敲かれ起ち上がり火をふく憤りを發す,”


    我流の意譯,だが,まちがっていない。こう,としか,讀めないのである。
    言志とはそういうもの,
    とりわけ,生死の關頭にあらわされる言志は,われわれはまちがってはいけない,のである

    つづく



    言有文章,術有條理


    二〇一七年六月二十九日

    もし日本に,
    こんな理不盡な要求をするガイコクジンばかりいたらどうだろう?
    はたして日本人は隠忍自重するだろうか?

      ・・・・。
      わからない,日本人はするかもしれない。
      だから中國はだめだ,つまり反抗的だ,となったのかもしれないがw。
      ・・・・・。

    まったく逆説的な, スパイラルに循環するが如き “民意” の意向に笑ってしまうほどのアレゴリーが含まれている

    とどのつまり,侵略の背景には壓倒的に民意があった。
    民の,中華民國という國の主権の輕視,中國人と言う民族への蔑視。
    それが,侵略を受け入れ,促し,慣れっこになっていた。
    そしてそういう經濟収奪とは無關係だった日本の農民や勞働者は,
    兵隊として狩り出され,侵略のしりぬぐいをさせられた
    それを見送った家族,勇んで出かけて行った兵隊も同罪である

    こういうことを書くと,必ず,おまえは何様だ,おまえだって,その當時生きていたなら,
    今言ってるわかったふうなことなど,なにもわからず
    日の丸振っていただろう,おまえみたいなそんなエラソーなことなど,言えない,
    そういう反發があるだろう,こともおもう,

    とりわけリベラルとの會話では,そういう “空氣” をよく感じる,そしてこういう反發は,知らしめることを怠ることに,默ってしまうことの自分の擁護,自己弁解にもつかわれてきた。
    以前から言ってきたが,
    それが,忘れる癖,無知という痾,だまってしまう瘖(おしだまり)につながる
    ほんとうにつよくそうおもう。

    究竟,今の安倍政權をささえた,右翼の國粹理念に反駁できない,反駁しない民をやしなってきたのは,この沈默と忘却である。

      自分だってこうだったかもしれない,と言う想像はあってもいいが,
      それよりもだいじなことは,もしもそうなったとき,自分はどうしたいか,
      どうありたいか,それをかんがえることだ,

    わたしはいつもそうおもっていたし,言ってきた。
    しかし。
    それを言うたびに顔をそむけられてきた氣がする
    結局アカ,左巻きのヒトばかり,が果てしもなく反省を言い合い,謝罪しているだけ,ということになるw。

    そしてニホンでは,嫌韓反中の聲があふれ,自畫自賛史觀ばかりが喧傳される。
    國家興亡,匹夫有責,このことばをおもえば,わたしにとって安倍政權も共謀罪もヘイトスピーチも,りべらるにからめとられた民意の無意志の結果である,とおもう。

    至ってあたり前,起こって當然の “理” ,である

    今, “利” というものは,人間(ジンカン)民間に,そうそうそこらへんにころがってない。
    “義” によって酬いたいというような人物もいない,
    そういう世の中で, だれもが,手に入れることができ,もちつづけることができるのは,
    なにか,といえば,それは“理” だと,わたしはおもう,
    わたしの,想いにすぎないのだが。

    “理”を手に入れるには考えなければならない,考える材料はふんだんにあるのに,かんがえてこなかった “戰後” の不作為。
    これがそもそもいまの安倍政權ののさばり,法の輕視,民主シュギの侮蔑や疑念,を膨らませ,養い, 社會の崩壊,を加速させた。
    そう思えてならない。

    “理”,という言葉が意味するのは物事の本質であるり,觀相的事象の認識,のことである
    “紋路” ,と言う言葉がある。
    タテの模様,条理,すじみちのことである。
    さらに “層次” という,言葉。
    階層と言う概念,ヨコの重載,かさねられていくものである
    この二つが理,の本義,理と言う言葉の骨格である
    古く,單純な日本のことばでいえば,これは “肌理(きめ)” ,である

    肌理があらい,ならばそれは粗雑であり空疎であり,表層は壊れやすい

    理の不在は空隙と,罅を生み出すし,それは粗となり,疎となる。

    ということかもしれない,
    日本は論理の過疎地,であり,粗雑な關係ばかりが結ばれる
    大きくそれは何かを,たくさんの何かを,損ない,毀す。

    崩壊とは,きめの粗さによっておこる,ということだ

    とはいえ,歴史。
    理によって整然としていることなどない。
    これこそ “文目(あやめ)” ,である。
    タテヨコの肌理を稠密にすると こんどは綾線の紋様,をうしなうことがある


    歴史のアヤをみつけること,斜めの綾目,をみていくこと。
    これがまた困難をともなう。

    つぎは,歴史のアヤについてみていく 予定

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤① 盧溝流血多,窮兵戰不還

    これは二年前の投稿、その再掲だが,
    わたしの,ごくおおざっぱな歴史認識である,


    安倍と言うチンピラサイコーが,共謀罪なる脅しのシステムを
    網網疎にして漏らさず,のいかにも粗雑な網をかけたところで,

    國際的には認識された,
    それもおよそ近代史に興味持つものなら誰でもジョーシキとなっている認識
    である,
    良く知らないのは,わかってないのは今も昔もニホンジンだけである

    以下基礎的な,歴史の事實は,ご存じである,と言う前提のもとに書いている
    基礎的 "事實" を知らない,もしくは,おもそも捏造,とかんがえるなら,

    はっきりいって,讀むだけムダである,

    ということも,
    わたしの意見として書いておくw
    どうか時間を無駄にしないでいただきたい

    盧溝直下兩山合,泯泯暗流通一線

    盧溝は川の名。
    上流は桑乾河といい,源を遠く大同盆地に發し北京のあたりで永定河と稱する。
    そこにかかる盧溝橋は金の明昌年間章宗三年(1192年)にかけられた。
    のちに明代にかさねて修復され清の康熙年間永定河の洪水時にも
    再び改修される。
    橋の東頭には大淸乾隆帝により題寫された《盧溝曉月》碑がある。    
    マルコポーロの『東方見聞録』に「歐州ではみられないほどの美しい橋」等,
    記載があるため,西歐ではこの橋を Marco Polo Bridge と呼稱する。
     
    rokoukyou.jpg

    今日,日中戰爭と自覺されたるものの,當時はあくまで宣戰布告なき“事變”,
    「日支事變」もしくは「支那事變」と日本帝國が言い張っていた軍事衝突で,
    いわゆる盧溝橋事件,“七七事變”についてすこし。

    日中戰爭の發端といわれるが,そもそも日本は,このときにはじめて,
    侵略をしに,ノコノコとでかけていったわけではない。
    そこに日本の軍隊が “いた” からおこった軍事衝突である。
    何故日本の軍隊が北京郊外にいて中國軍から発砲されねばならなかったか。
    そして,そのために日本の“自衛權發動”がなされ結果,戰火が擴大,八年の
    永きにわたって軍隊を派遣しつづけねばならなかったか。

    かりに,である,
    滿洲地域が日本の正當なる權益圏だとしても,
    かりに柳条湖事件いわゆる滿洲事變の結果,『滿洲國』が興り
    日本がその『滿洲國』と,密接なかかわりを持つとしても
    “北京”という地域は『滿洲國』のなかにあるわけではない。

    かりに,華北が,“もはや中國ではない”,べつのなにかとしても,また
    『滿洲國』と ,『もはや中國ではない他國』 との國境線が,『日本のまもられるべき
    権益地域』 の生命線となっていたとしても。

    北京という地域は,『滿洲國』から見れば國境線の外側,この“生命線”より
    『中國』側,もしくは,『もはや中國ではない他國』のずっと内にある。
    ・・・・。

      『東亞新秩序』の前段階

    もし中國では最早ない『他國』があるとして,この地域とはどんな状態か。 
    それが,林語堂いうところの バケモノの世界
     
     これが“東亞新秩序”です,「滿洲國」がそうです。
     それはもう北京まできました。
     ここはもう化け物の世界で人間の世界ではありません


    先の投稿の林語堂 の小説,當時,歐米でベストセラーとなった
    Moment In Peking 』(瞬息北京), もしくは『京華煙雲 』(中國語版)
    という小説,にもでてくるが,
    “東亞新秩序の前景氣”と言う侮蔑的なニュアンスで投げつけられた言葉。

    これは十九世紀の帝國主義列強の「東方諸國」の植民地化と同じ,
    歐米帝國主義の手口をまねて,帝國日本が,みずから手を染めたやり口,
    臺湾領有,日韓併合から始まった,
    あるいは,シベリア經營,帝國日本の滿蒙権益地における經濟システム
    ――たとえば,南満州鐡道に代表されるような,經濟活動,
    それを,さらに “進化” させた状態,
    つまり植民地の經濟と一体化させて日本の領土拡張經濟發展を圖る

     (本)滿(州地域)(那)經濟の “ブロック(かたまり)”,

    と言われる經濟収奪システム,これがうちたてられた地域
    そして華北の貿易獨占などの
    まずは一義的な,地域の状況をあらわすいい,經濟の状況のことである。

      ちなみにこの東方諸國。
      この概念はほぼ,中國より以西のアジアのこと。
      オクシダン西洋,が東方を,オリエントといった時代と少し違う,東方。
      中東を近“東方”といったとき,中國から西。中近東より東,のアジア諸國
      それら地域が オクシダンの “植民地となりうる” 東方 という概念,
      である

    中國よりさらに東の日本や韓國は “遠” 東方,FAR EASTである。

    この視野,視界のスタンスをまず確認してほしい,
    日本から見るのではなく,世界を俯瞰したとき,中國と言われる, “國”(=地域) はどういう立場,状況にあったか。

    つまり,歐米にとって東方植民地經營は,中國より東に進まなかった。
    という,歐米の歴史的な “東方” 概念であることをまず頭にいれてほしい
      
    中國まで触手を伸ばした歐米が,中國で踏みとどまり,日本にまで
    その欲望の手をださなかったのはなぜか?

    そういうことを考えるのが, “世界史” というものである,
    これはわたしの信念だが,同時にわたしの「歴史認識」でもあるが,

    よく,じわじわと浸食する歐米列強の侵略から自衛した,というが。

    頭の惡いネトウヨの世界觀であるわけだが
    強盗しにわざわざでかけていってみたらば,家主に抵抗されて,
    結果家主を殺してしまった,
    それを正当防衛というにひとしい,
    端的にいって,

      みんなで渡れば怖くない式の,いや罪の意識さえない強盗殺人の罪

    であるにすぎない
    つまり,家主は中國人民,ということになる
    蔣介石でも,中華民國の行政主體であるところの,國民黨南京政府
    でもなく・・・・・
    あの広大な地域に生まれ育った,民
    民國と名のり,帝國とは名のらなかった “國” の主権者であるところの,民である
    そして,
    當時,ハワイなどへの移民政策に力を入れ,,さらには滿鐵周辺に移民をし,その上
    開拓民をおくらなければならなかった,すでに人でいっぱいの日本と言う帝國は,
    ――そこには,資源もない。――
    西洋諸國が殖民を行う余地は,そもそもなく植民地としては不適である。

    リベラルな “勉強” をしている人の中でさえ,このことがわかっていない人を
    よく見るが,世界史のおおきな流れからみれば單純明快な事實,である。

    帝國日本は,欧米列強が侵略するには,マッタク食指が動かない魅力なき土地

    世界の常識的な考え方,は,つねに日本では
    「不都合の真実」なのかもしれない。
    あまりこのことを言い過ぎては自虐的になるだろう,

    しかしその後帝國日本がしでかしたことを反省しないがために,

    あえて目をそらすためになら,
    おおいかくすなら,
    「ゴ都合による虚偽」
    といわれる。

    では四年ののちにおこる欧米との戰爭に自衛的側面はあったか?
    このデンでいけば,こたえは

    ない

    である
    あたりまえだ,強盗しに出かける資金がつくれないからといって,それを
    理由に戰爭始めたところ,で,それは,「自衞」ではない。

    國益のため,他國の主權を一切合財無視して一切合財うばいにかかった
    強盗的「經濟的活動」
    である,にすぎない

    なぜ,「自衞」,などというそういう,つごうのいいカン違いが,當時,
    ニホンジンの頭にすりこまれたか,といえば

    これは,ひとえに,姓を持たぬアラヒトガミ,ミスターヒロヒトのせいである

      帝國日本は神の國,
      優秀なるやまと民族,が,優秀であるのは,神の “國” だからである,
      のはw
      「神」がいたからである
      これを否定できる,東京裁判否定史觀はないだろう?? 

    と言うほどに,論理性なきしょーもない『全能』,もしくは『最高』がいた,
    までは言わないまでも
    中 “國” 人にとってみれば

      アサハラショウコウ,とその一味がサリンをまいた,テロ,

    と何のかわりもない。本質的には。

    これがっ
    わたしの,ごくおおざっぱな歴史認識である,
    いつもいってるが,不愉快に思うなら讀まなきゃいい。
    だけのハナシ


      「いわゆる『翼東反共』政權―日本の息がかかり,その尻押しで,『非武裝地帶』に成立したこの政權は,北京の東數マイルにある通州にまでその管轄をひろめた。
     不安と,迫りくる破局の意識が,人々の心に食い入った。
     華北は中國でもなく,日本でもなかった。國民政府から獨立してもいず,その完全な支配を受けてもいなかった。
     そしてその翼東僞政權は,日本と朝鮮の密輸業者,麻薬販賣人浪人たちにとっては樂園であった。長城をすでに乗り超えた怒涛は,毒物と密輸品の無數の支流になって北京はもとより,南は山東,西は山西の東南部にまで,日本が『東亞新秩序』と呼んでいるものの前景氣をもたらしながら殺到していた。」 


      ☞ 竹内好② 『中國のレジスタンス』―― 『東亞新秩序』の超過利潤



    ところで。
    この『東亞新秩序』

    前“景氣” があるなら 本“景氣”もあるはずだが
    この“『東亞新秩序』”というのは,そもそもなにかといえば
      
    日中戰爭中,まさに戰鬪,酣というころ,突如として出てきた理念。
    戰爭遂行のための理由づけ,プロパガンダとしてつくられた,つまり“大義”だが。

    当初 “大義” は『暴支膺懲』だ,といっていた。

    『暴支膺懲(暴戻なる“支那”を膺(う)ち,懲らしめる)』
    といって攻め込んだわけである。

    “國交”や“戰爭”は,あたりまえだが “對手”がある。
    当初日本の陸軍が“入念に練り上げた” プランでは,相手のでかたをある程度
    推測していたが,實際行動に移してみると,相手が意表をつくようなことをした。

    もくろみとは違う展開になってしまっても,強引に,あくまで当初のプランに固執して
    やりとげようとしたら破綻が生じた。

    日本が,いくら膺懲してみたたところで,一向に中國の
    “無禮千万” ブレイセンバンを
    やめさせることが出來ない

    一方的に懲らしめるつもりの『暴支膺懲』だったか,
    こちらの被害も甚大なものとなる

    ジツは“暴戻な支那” は,いつのまにか向こうでは,日に夜をついで抵抗のために
    要塞を築き陣地を固め,“志操”も固め,抗日という“大義”のために聚合して,
    その團結は,倔彊であった,という

    いつのまにか。
    ぼんやりしてうばわれるがままの「支那」は

    “抵抗の支那”

    に変わっていたのである。

    堅彊に統一された抗日戰線が出來上がってしまった理由の一つは南京。

    南京政府の意識がかわった,こと,さらにそこへもって“南京事件”という
    日本軍が引き起こした恐怖案件が重なって,後戻りできない泥沼の持久戰を
    強いられることになる。

    あたりまえだが
    「黙っていても殺される」 
    「それならば指をくわえてみているより一か八か抵抗してみよう」,

    となる。実際彼ら中國側の戰爭遂行の為に 
    掲げられたスローガンは,「同歸於盡=死なばもろともだ」,だった

    これは最小抵抗線だ,と林語堂は言う。

    パッシヴ,消極的抵抗?自衛??

    ときとして,こうした抵抗,を世界では “民族自決”だ,
    あるいは反ファシズム戰爭,
    といいかえたりもする。

    とにかくいつのまにか戰火は擴大するばかりで死者は何万何十万と日中雙方
    に積みあがっていく。軍事費も積もりつもっていく。
    そう,戰爭は金がかかる,
    シューダン的でも,ただの一國,コベツ的でも。
    カネがかかるのが自衞權。

    というところで。

    この,他國における帝國日本の
     
    “こらしめて居留民保護”,
    “こらしめて權益保護”

    という
    自衞權發動だったが。

     ――それにみあうオイシイ話は,いったいいつになったらでてくるのか,
     ――“シナ”を一撃して懲らしめている,と政府は言い張ってるが,ずるずるつづく

    火の粉のかからぬ“内地”も,さすがに民意は

      いい加減にしろ,
      この暴力の應酬はなんなんだ,なんにもいいことないじゃないか


    となる。
    そこで政府がひねり出したことばが『東亞新秩序』であり,
    戰爭目的であり
    擧げ句には,

    日米開戰,『大東亞共榮圏』 なる壮大なユートピア構想の押し賣り,
    となるわけだが。

    ときに國民の
    「いい加減にしろ!なんなんだ」

    それを代表して斉藤隆夫が,今リベラルの間で名にし負う,
    かの『反軍演説』
    を行う。
    またまたリベラルを敵に回すようなことを書いてしまうが,
    斉藤隆夫代議士が一九四〇年二月二日に行った演説は,
    確かに言論彈壓に抗して行われているが,發言をつぶさに讀めば,
    軍事力行使の批判も侵略行為の否定も行っていない。
    の批判をしたのである。

      そんなんではおかしいじゃないかと。

    だから,『反演説』 なのであり,『反演説』 とはいわれない。
    意地の惡い言い方をすれば,只,やり方が稚拙だ,手際が惡い,と
    つまり,國民の「いい加減にしろ」を代表した。
    斉藤隆夫はいう

     この戰爭の目的であるところの“東亞新秩序”建設が事變以來,約一年半の後において,はじめて現われ,更に一年のあとに,特に委員會を設けて其の原理原則,精神的基礎を研究しなくてはならぬ,
    ということは,
    私どもにおいてどうも受けとれないのであります。

      
      さらに事變についてこのように言う

     元来この事變につきましては,最初支那側は申すに及ばず,わが日本に起きましても,確かに,見込み違いがあつたに相違ないのであります。
     すなわちわが國より見まするならば,そのはじめは所謂,現地解決事變不擴大の方針を立てられたのでありまするが,其の方針は,支那側の徴發行為によってたちどころに裏切られ,その後事變は日に月に擴大し,躍進に躍進を重ねてついに今日の現状を
    覩るに到ったのであります。

     
    言論彈壓に屈しない,としていまもこの演説をたたえるひとがおおいが。

    侵略行為の美名を否定すれば命がない?というなかで

    ―― 中國人の抵抗は即,死につながった――

    という中で,日本人は,沈黙した,黙っていた,というわけではなく,

    このような代議士の演説がコッカイでなされ,
    とうじはまだしも,いまだ,骨のある反軍演説だなどと讃えられる

    ・・・・・。

    軍部を批判しているが,侵略行為そのものを否定していないよーに,
    むしろ積極的に,やり方が惡い,といってるよーにわたしにはきこえなくもない。

    わたしはこのことに,おどろきをかくせない

    主観的に過ぎる見方,自虐的かもしれないが。

    結局“當時にあつて稀有な” と,
    リベラルが いまホメ讃えてやまない “日本の良心” も,
    立場,見方を變えれば・・・もしかして目クソ鼻クソ?
    というハナシになる。
    侵略された側や,國際社會から見れば。

    そもそも戰爭でもないのになぜ中國大陸に澤山軍隊がいたか。

    そこからかんがえれば,この流れはよくわかる,歴史的事實と,
    “既成事實”によるのである。
    いつからいたかは次の頁に譲るとして
    ただいっておきたいのはこれは,

    こと,関東軍にかぎっての暴發ではなく,つまり,日本の國策による。

    ということだ。

    日本の侵略というのは,

    謀略につぐ謀略,それにつづいて,小規模の軍事衝突,
    小さな勝利,その勝利にあやかった大規模な無血入城,大きな權益の収奪。

    不平等條約によってもぎとった治外法権,

    ただただその繰り返しであった。

    みもふたもないいいかただが,これが拡大していったじっさい,であり,理由である

    “三七年までの中國”においては。

    ひたすら最小限の軍隊で,ブロック經濟化侵略をおし進めていたわけであって

    ・・・・。

    したがってつまり。
    戰爭の前に侵略があった,ということだ。

    日淸戰爭以降日本は,經濟的搾取をすることがまず目的で,經濟侵略するため
    少ない軍隊の駐留を強引に押しすすめ地歩固めをし,居留民保護といっては
    増派していった。

    少ないまま最低限のホゴ警備をしていれば,

    駐留イコール則戰爭
    とはならないし,にはならないし,

    イザコザがおきても外交が機能すれば戰爭は起きない。
    シベリアへの出兵もなかばまでは,この圖式,山東出兵は完全にこのような,
    意圖によっておこされていったのである。

    しかし
      柳条溝事件いわゆる滿洲事變を引き起こし,六年後盧溝橋に發展した。
      血氣にはやった関東軍がつぎつぎ重ねた無謀の末にあともどりできなくなった,

    と言う一面はかならずいわれることだ。

      陸軍の一部に “野望”はあったが ,洗練された戰略はなかった
      その“大局”観は妄想でしかなかった。

    こういう考えは否定できない。
    しかし。
    なぜ北京郊外に日本軍がいたのか。

    rokoukyouh.jpg

    つまり,
    なぜオイシイ話が大陸には,なんとなく日本のために手付かずで放りだされている,
    大陸に行けば,大陸に新たなる秩序をさえもたらせば,日本人は幸せになれる

    と,かってにおもいこんでしまったか?

    こういう書き方をすると,それはちがう,日本は亞細亞の民衆を歐米列強の奴隷
    状態から救うために命惜しまずワザワザ海超えて,大陸を志したんだ,と
    こんな反論がいまでもなされるだろうか?

    そうではなく,日中戰爭とは,

     国際的におこっていた民族自決の潮流に逆らい,かつ經濟の収奪をミサカイなく
     おこないつづけたことで,現地の民が反發したすえにおきたのである

    もっといえば,

     さらに長い長い,かれらの武力に拠らない抵抗,
     不買運動や人権運動の抵抗を經て

    それらをことごとくすり潰していった「帝國の暴力」のすえに

    起こったものだ。
    このことを起こるべくして起こった,と,
    達観してしまっていいのだろうか?ということ
    これを考えるのが,この頁のわたしの目途であるが。

    何故他國の軍隊が,北京という,つい何年か前には中國の首都であった場所に。

    駐留していたか?

    一九三七年の盧溝橋事變から二十年弱さかのぼると。

    そこでは北京大學に魯迅がいて,蔡元培がいて,五・四運動がおこり・・・
    抗日運動が激化して,日貨排斥,日本製品不買運動がおこり・・・・

    このことは,いわば戰爭という絶對惡に目を奪われてしまった日本の
    いまの歐米流リベラル平和主義者が一向によく理解しようとしないこと,である。

    大陸では日本の權益の正當性を,そもそも疑いもしない,
    沢山の日本人が殺到し居留していた,
    そして
    「近頃 “抗日”するやつらが野蠻だから困る,ナントカしろ,居留民を保護しろ」
    と。政府に要請した日本人が大勢いた

    いやちがう,

      日本軍の野蠻を内地の日本人はしらされてなかっただけだ。
      殘虐行為も,軍が,没収したアヘンを擔保に銀行から資金を調達したことも
      こぞって中國人にアヘンをヘロインを賣りつけ莫大な資金を得ていたことも。

    りべらるはそう反駁するだろうか?

    しかし南京事件も,日本人のアヘン賣買關与も世界に公然の事實であった。
    中國に駐在するもの,『滿洲國』の住民,軍部に關りある者には相当程度
    知られている事實であった。

    もし,これらが事實でないならなぜ日本政府は,世界には隠そうとも反論もせず
    流布されるがままであったか。
    それはフシギなことである。

    もし,こうした“不都合な真實”が皇國への憎しみに満ちた言いがかり,
    プロパガンダであるならば・・・・そのとき反論しなければならない,
    それは政治外交の仕事だが。

    なんども書いているが,なんどでも書くが,

    戰爭と侵略は違う。

      侵略とは 『無血入城』のようなもの,そして
      それに “付随した戰爭”がある,ということだ。

    侵略を批判しない限りは,付随する戰爭の加担者,ということにもなってしまう國内情況
    だった。
    そして,
    そも,侵略を,この帝國日本による収奪行為を,今も昔もニホン人は批判したか?

    たとえばこれは,斉藤隆夫の反軍演説の前であるが,
    帝國大學の職をうしなった,矢内原忠雄の軍部批判,
    これも,あくまでも
    反“軍部”である。

    殖民のやり方を。関東軍の行いや『滿洲國』の収奪をかれは知っていた。

    日中戰爭が始まって自分の考えてきた,あるべき殖民學,亞細亞の救濟,
    日本民族というキリストに選ばれた民によるシナの救濟,
    そういう理想とはちがう,帝國日本の軍隊について
    軍部のやり方はオカシイじゃないかと。
    エホバの榮耀のもとに主張した,

    南京政府に正面から對峙して,日本のために,シナにおける権益を資す
    そういうかたちを,きちんと,とのえよと,
    言ってたわけである,
    ミもフタもない言い方をすればこういうことである。

    わたしなどは,よっぽどタチが惡いなー,この矢内原の主張は。
    と感じてしまうが。

    ヒャッポ譲ってキリスト者らしい惠恤の心でもって中國人を愍愛し傳道したい,
    という信念をもっていたにせよ 中國人からしてみれば,

    おーきなお世話だ!

    と言えなくもない。わたしはそうおもう。

    まともに中國のためを思つていたわけではなく,しかもキリストのためですら
    なかったことは,戰後はになってヒロヒト氏をメシアと考えていたかれの言動に
    よって知られているが・・・・
    それはどーでもいいこと,戰後の國内のちまいハナシだ

    理屈をつけては軍隊を派遣,一度派遣したら駐留,徐々に範圍,人員を廣げる

    ―それは条約によったり,よらなかったり時には強引な既成事実化によって
    さいげんなくつづけられた,

    日本人の安全な“經濟活動” のために威壓し,ときに“暴支をかるく,膺懲”する
    そういうことをすることで,日本人は何かと,オイシイ思いが出來たこと

    を意味し,すなわち,
    中国が惰弱にすぎた,と言うことの証左に,ほかならない。
    こういうやり口は盧溝橋の衝突が始まるまで臆面もなくつづいた。

    そして,あたりまえだが,帝國日本人は
    このずうずうしいともかんじられよう "便利な手段" をてばなしたくなかった。
    そして,これを

    基礎的な,永久フマの構造にするために,

        東亞に限った新しい秩序,

    と言い張りはじめた。w

     
    ところで,そもそも開戦。
    盧溝橋の武力衝突が勃発したあと,
    もしも開戰してしまえば
    こうした,
    日本帝國に資する構造改革,東亞の新秩序建設は不可能になってしまう。

    それゆえの“事變”である。 
    “戰爭指導者”のことばでいえば
     
     “現地解決不擴大”の方針,

    ということになる。
    かみくだけばつまりは,ルールにのっとり,わかりやすく“戰爭”する氣は
    毛頭なかったのであった。
    正正堂堂,清清楚楚,はバカをみるだけだ,と。

    開戰すれば

    中立國からの軍事物資の輸入が途絶し,戰爭じたいがままならぬ
    帝國日本の弱み,

    などとまことにハズカシき事まではいいたくないが,

    じつは歐米が,日本の横暴を見て見ぬふりをしたことの説明は,

    日本への“輸出”のうまみにある

    ということだけ予防的に言っておく。

    ネトウヨはすぐ,じゃあなんで,歐米は黙って日本のやることをみてたのか,
    と言い出すからである。

      日本はお得意様だったから。軍需物資の輸出はまことオイシイハナシ

    ということで。
    それは朝鮮戰爭が,日本の戰後復興をおおいに助けたことでもよくわかる。
    日本は武器彈藥から車,テント,兵隊の靴下にいたるまであらゆるものを輸出した。

    が,それより大事なことは。

    どちらかが,一方が,宣戰布告をすれば戰爭である,というなかで
    日本の都合と思惑が宣戦布告しなかったと同時に,

    中國側も宣戦布告をしなかった,といううことである。

    勿論このばあい國際的には中國が宣戰布告するとして,その主體は蒋介石の
    南京政府であるが。

    では中國はなぜ,盧溝橋直後,宣戰布告しなかったのか。
    では中國はいつ,盧溝橋直後,宣戰布告したのか

    rokoukyou2.jpg


                                  つづく
    《北平易幟二首》其一 金紫衡 陰雨連綿夜已深,槍聲疏散炮聲沈。懷仁堂上燈光燦,草木銜悲萬馬瘖
    《北平易幟二首》其二 金紫衡 腥風猶夾北風哀,城下無盟九禁開。日落盧溝載歌舞,煤山空鎖昔時槐

    ☞ 解釈はこちら 抗戰詩ⅴ金紫衡①七絶四首 《北平易幟》,《南京陥落

    萬馬瘖,歌舞,そして平聲灰韻の押韻。
    一直線に魯迅の,龔自珍の魂に結びつく詩。
    魯迅① 《一九三四年》人痾芙蓉 Hymns of China

    そうして考えれば。夜深く沈むとは何か。
    萬馬瘖の意味。風,聲,歌舞とはなにか・・・・,
    ここには勿論,中國の100年の苦闘がよみこまれてあるのだが
    舊體詩ならではの深み。そして詩骨の賡響というもの・・・・。

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    誰能出不由戸!何莫由不開戸!

    一切有爲法。 如夢幻泡影, 如露亦如電, 如是!

    言葉を利用している
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    とりわけ,文化,文明,藝術,思想
    ブログ・アーサーのあなた,
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    小説だ,詩だ,俳句だ,哲學,だ
    精神の自由だ,

    もし,
    ハンタイする理由なんてないと,
    思ってるやつがいたら大マヌケだ。

      キョーボー罪?
      テロリストやオウム取り締まる法律でしょ?
      オリンピック開けないんでしょ
      だったらひつよーぢゃん

      なにをそんなにイキリたつの?
      ばかぢゃないの?

    もし,そんな風に思ってるあなたなら
    もとより,
    そんなあなたは,ほんとうは,ことばを使って

    表現する××などない
    そもそもが,なんにも,表現など,していない

    言葉の自由を失う,ということのおそろしさがなぜわからない?


      なぜ,言葉を失うことになるのか,サッパリわからないよ
      共謀罪をつくることが,なぜ,?
      なんであなた,そんなに脈絡ないことばっかりいうの?
      あたまおかしいんぢゃない?
      わたしたちの言葉を奪うテロリストをつかまえる法案ですよ?


    コトバの “意” を,知らないあなた。 
    言葉の力を知らないあなた。

    もとより××はないが,これまでつかってきたあなたも。
    明日からは,あるとカッテに思ってきた,言 “用” の××に加えて
    ことばをつかう “體” もうしなうのだw

    使う,“體”, “用” いる “ことば” とは,なにか,
    そのことがわからない

    究竟, “ことば” という “體” が
    これまで “用” としてつかわれるために擔ってきた,
    言葉の本質,のことである

    それをうしなう,ということだ。
    とりもなおさず,すべての

    作,為,と,法,をうしなう。ということだ。

    言葉の本質とは,
    理性や,理想や,論理や,自存や自在を精神の自由を
    ととのえていく
    そのために
    發せられてきたコトバの “體,用” のことだ

    これをうしなうとはどういうことか
    論理性の喪失,論理の破綻。

    “論理” というものは,本來ある特定のイデオロギーではない,

    わたしたちの人道,人權,自存と自由を人間(ジンカン)において
    調和調整させるための, 一切の“法” を構成する。

    ことばが,それを表現する。
    それを,表現できるのが,唯一,わたしたちの,ことば,だ
    表現してきたのがが,唯一,わたしたちの,ことば,だった

      この “國”民國家 もどき,のたとえでいえば,
      これまで,敗戰後,わたしたちが
      この “國” の統治理念の正統と, “國” 家の成立を正當ならしめる
      根本,根據,
      それを
      擔う,論 “理” が。
      消え失せる,ということだっ

    ということ。

    テンパイって
    如,夢。幻。泡。影。
    スピがフワフワするのは樂しいことぢゃあるが,

    テンパってばアワアワ蒼くなる。
    ジタイ。

    法治による國家,であるべき論理を擔ってきた “體” の,必 “用” であり
    そのため,有用ならしめてきたことば表現,

    “國” の法治の論理性を喪う,論理の喪失とは

    いいかえれば,それは。
    今日からわたしたちは法治をうしない,人治國家に成り下がるw
    ということだ
    今日から
    “内” 心は,アブナっかしくて,ウカウカ “外” に出られない

    ということだw
    論理と,法により,護られてきたジンケンが,どれほど脆弱なものか,
    法と,論理の庇護を喪った子ドモは,思い知らされる。

    これから日本は論理と法によるのではなく
    ニホンジンは,特定の,一部のヒトに,言葉の首根っこつかまれて
    一部のヒトの非論理性と,特殊なヒトビトの非普遍性と,
    恣意,擅權によって,自由を奪われる恐怖の中に生き,
    ことば棲むことになる  “意” 喪うなかに死ぬ

       “人治國家”
      と言う言葉をしらないかい?wwww

      しらないなら,しらべるといい,
      それも,紙の辞書ではなく

      ことばんく,や,はてな,を
      けんさくしてみればいい 

    そこにあふれかえることば

    みっともないネトウヨの,頭の足りないハクチの物言い,それをみてみるといい
    人治國家とは,この頭の足りないハクチたちの大嫌いな隣國のことだ,

    その,人治國家に,
    日本はなり下がった,と ゆ う こ と だ。

    そして,
    隣國の人々は自ら住まう “國” が,法治に據らない國であることを自ら知る
    人民であるが
    内心の自在,と自存の手段を家の籬越しに自由に築く,
    古來,人治の荒野に棲む智慧持つ民

    “欄”“柵” の意味を知る民衆。
    “欄柵”
    とはなにか?


    いっぽう,
    法治のなんたるかもわからず,特定の人びとの治める擅權と専横にもキづかず
    押し默ったまま
    疑うこともせず,
    無頓着に大本營の應援をする狗の忠誠を誓う偸生の公衆。

    今の日本人は。

    よくわかっていない。
    言語の不自由が監視から始まることを。
    論理が自由を支えてきたことを。
    自由とはなにか?

    “言侖”“人侖”

    “侖” とはなにか?
    “亼 冊”
      
     侖,思也。 (亼冊)。 侖,理也。

    “思” そして,
    “理” による欄柵だ
    それが,ヒトの心を守ってきた欄柵であることをわからない


      なぜ,共謀罪がコワいか?
      コワくないのか?

    他人の作った“欄柵” に閉じ込められる
    憐れな羊,狼から守ってくれる“欄柵”を欲する

    コワくなるひととは,すなわち
    “欄柵”とは自らつくるものであることを知り
    コトバをカケガエないものとおもってたいせつにいきてきたひとだ。

    コワくないひとは,もーしわけないが
    もとより,ことばになんらのアイジョウをもってないひとだ,
    他人の作った“欄柵” に閉じ込められる



    そして
    ことばというものが,
    我が國,の。
    ジツは,見えないところで,
    ジツに,社會の すみずみで。

    論 “理”性“理” 性,を
    人 “倫”“倫” 理性 とをささえていた

    そういうことにキづかない,で
    これまで生きてきたマヌケなヒトは,マッタク、感じない
    コワくない

    國がいつのまにか法治のお面をかなぐり捨てているのに
    キづかない
     
    言葉を狩られて初めてキづく

    コトバが,ヒトの “體” (からだ) にくくりつけられた “枷” になり,
    コトバは,ヒトの “體”(からだ) が背負う “架”
    となり。
    もちろん
    その,枷を “用” いるのは,民,では,ない

    使用者は人治國家の絶對者だけ,

    いっさいの,言の葉が,國家と言うバケもん,の,
    占有物となりさがり,

    ことばは,かくれてしまう

    (おしだま)る ひとびと

    “野” におびえて棲まう,沈默の民に。

    自由であるべき,ことば用いる個個の民は,
    絶大な力を持つバケもん,の,“用”いる擅權の
    バケモノ とバケもんの協力者の,ことばに
    默って
    隨う以外,道がなくなる

    《集定庵四絶句贈拓之其二》 黄松鶴

    んんん。スバラシイな
    “龔定盦集句” (龔自珍の句を集めて詠んだ詩)。

    黄松鶴,と言う詩人は,

    近代から現代にかけて革命中國,人民中國を生きた文人
    もちろん・・・・・ “ブンカク” ・・・・を生きた
    生きのび得た,文人だが。
    ...
    子曰。誰能出不由戸。何莫由斯道也
     子曰く 誰か能(よ)く出ずるに戸に由らざる。
     何ぞ斯(こ)の道に由ること莫(な)きや。


    ソコで一首。

    「道」,よりも まず戸口だね,ニッポンは。
    ドアを開ければ 外バケモノ道。
                        っげん

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    黄景仁《癸巳除夕偶成二首》

    黄景仁《癸巳除夕偶成二首其一》

      癸巳除夕偶成 二首  Guǐsì chúxì ǒuchéng

      其一

     千家笑語漏遅遅  Qiānjiā xiào yǔ lòu chí chí
     憂患潛從物外知  Yōuhuàn qián cóngwù wài zhī
     悄立市橋人不識  Qiāo lì shìqiáo rén bù shí
     一星如月看多時  Yī xīng rúyuè kàn duō shí

            平聲二 遅知時


       家家は笑語しゆっくりと時の過ぎる,
       憂患潜み從うよりほかを知るや知らずや
       悄悄と立ちて市橋に人を識らず,人識らず。
       月の如く看る時多き,一星のみ。



    *除夕=大晦日
    *漏=時計,水の滴りによって時刻を測る 滴漏,また漏刻
           洩聲 漏露もかけたことばか 
    *潛從=憂患潛み,で切り“從物(ものより)外知(外を知る)” 
           かもしれない
           潛從という成語はないようだ

         kokurou.jpg
        淸朝 銅の漏壺(銅壺滴漏)


     玉壺銀箭稍難傾,釭花夜笑凝幽明 ――李長吉

      歳末
      家家からもれ聞こえる笑い
      市中に一人佇立して,孤獨をうたう。
      あの星は識るや識らずや。
      月のようにいつもゐるを,看る。 

      まるで自の孤立を慰めてくれるかのごとく,煌めいて。


    黄景仁《癸巳除夕偶成二首其二》

      癸巳除夕偶成 二首Guǐsì chúxì ǒuchéng

     其二 

     年年此夕費吟呻   Nián nián cǐ xī fèi yín shēn
     兒女燈前竊笑頻   Érnǚ dēng qián qiè xiào pín
     汝輩何知吾自悔   Rǔ bèi hézhīwú zì huǐ
     枉抛心力作詩人   Wǎng pāo xīn lìzuò shīrén


        平聲八 呻頻人

      このとき,年年歳歳 吟呻して費えり
      兒女は燈の前に竊笑頻り。
      おまえたちは何ぞ知るまい吾が自ずから悔いているか
      詩作の人の,力も心も抛りすてるがごとくついやす枉(むな)しさを・・・・


           ( ※意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください)

     
    *吟呻=yín shēn 苦痛で發出される呻き聲,哼聲 詩句の苦吟もあるか
    *竊笑=qiè xiào 潜み笑い,また 暗笑 (暗中に 譏笑すること)
            ここではかすかに潜かにこっそりと笑う,という感じだろう
    *汝輩=rǔ bèi おまえたち 你們
    *頻呻=pínyínといういいかたもある
    *枉抛=Wǎng pāo 枉費,むなしい費え 抛費もおなじような意味
          投げ捨てるように無駄に力盡くす,という感じか 


           童女塑像(敦煌莫高窟)
             童女塑像 敦煌莫高窟




     汝輩何曾增一笑,吾儕相對復三人 ――蘇軾

       年の暮れには・・・・債務借錢の返濟があるもの。
       貧しく生活に困窮していた詩人たちは,みなこういう
       詩を歳暮に作っている。
       慘憺たるありさまを冬の凍てつく寒さ,と餓え,病苦
       鮑明遠,孟東野・・・・
      
       このとき,年年歳歳 吟呻して費えり
       兒女は燈の前に竊笑頻り。
       おまえたちは何ぞ知るまい吾が自ずから悔いているか
       詩作の人の,力も心も抛りすてるがごとくついやす枉(むな)しさを・・・・
      


    「兩當軒集」長沙 商務印書館
      ▲ 『兩當軒集』 長沙 商務印書館 民國二七年初版(1938年7月)

     この兩當軒集は・・・・
     1938年,抗日戰爭まっただなかの長沙,商務印書館の初版本。
     

     上海の商務印書館は1932年1月29日
     つまり
     九一八柳条湖事件いわゆる滿洲事變のあとの一二八上海事變の際
     帝國日本軍による爆撃のため,灰燼に歸した 
     多くの文獻、資料,原稿・・・・
     失われたものの大きさは想像もつかない。

     

     帝國日本軍は,帝國日本本土を空爆したアメリカとちがって,まったく見境なく
     一切の文化的歴史的遺産の重要性を考慮しなかった

     古來,中國大陸より文化的恩恵を受けてきた日本,
     天にツバするとはw
     このことではないか? 

     黄景仁の詩,にはなんのかかわりもない
     とはいうものの・・・・
     日本で黄景仁がいまひとつバカにされるのはw

     郁達夫(ユーターフ),の『采石磯』 ととからむから?,
     佐藤春夫のせえいか?
     というわたしのケンキョウフカイ。

     
     帝國日本軍上海派遣軍にもましてwまったく不愉快キワマリナイ
     昭和,内地の銃後,文人系戰犯たちである

     どーでもいーことだがw
     

      癸巳除夜思黄仲則詩《癸巳除夕》 

       除夕想人佇       Chúxì xiǎng rén zhù
       您猶孤如月       Nín yóu gū rú yuè
       寂寂凍天嘯       Jíjí dòng tiān xiào 
       那星伴歿滅       Nà xīng bàn mòmiè

      入聲五 月滅      

                   癸巳 (2013 歳暮)


       *嘯=自然發生的聲音  

                   koukeijin-Yue.jpg



    瞿秋白『赤都心史』《秋意―題畫贈林德女士》,《皓月―題畫贈蘇韮亞・托爾斯泰(Толстой)女士》

    瞿秋白がはじめて晨報の特派員としてモスクワに到着してすぐのころ。
    丁度,ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキンが逝去した。

    レーニン勞農政府はこの無政府主義者を追悼した・・・?か,

    そこは何とも。瞿秋白の『赤都心史』を讀む限りでは
    もうひとつよくわからない,がそれはこの頁ではカンケイないハナシ

    その葬儀を取材中知り合ったクロポトキンの親戚,という
    林德(Линд,おそらくリンドーでいいのだろう)女士,に贈った詩。
    題畫・・・・,とあるので畫をかいて贈りその畫にしたためた詩,というjことか。
    新體詩のスタイルだが,
    音讀してみると。
    詞牌に非常に近い,特に,
    黄景仁を一直に想起させる詞牌,とわたしはおもった
    嫋嫋の,蕭條の詩韵

    脚韻は 中原音韻,
      響,光,丈,攘  (江陽韻)。
      地,翳,秘,  (齊微韻)


    瞿秋白らしい,w

    瞿秋白語彙がならぶ
    結二句は。
    プーシキン詩を連想させる。

    青年瞿秋白,張太雷を介してロシアで共産黨に入黨するまえの。
    秋白的秋意。

    この『赤都心史』には,

    強靭なボルシェビキ,一個の頭脳勞働者として鍛錬される前の,
    瞿秋白の書香世家的,忞忞の質,文人的結習の克服できぬ苦惱。

    色濃く殘されてある作詞人としての頽唐的氣息が,

    トルストイ,クロポトキンという19世紀的舊 "文"人,
    その血の係累の女性と知り合うことで発露された
    いわば

    ――なまなましい “文”情 への思慕,拘泥,未練


    みえる

    瞿秋白の獄中言志(詩),曲牌《卜算子》 “一任風和雨”
    と共通する詩情が,かんじられるものの・・・・

    月,に孤獨をみ,光華萬丈,萬籟中の靜寂

    常州詩人らしく,さらに龔自珍迷(ミーハー)だった瞿秋白らしい詩句だ

    Haoyue.jpg瞿秋白《秋意―題畫贈林德女士》


              秋意     Qiū yì

           萬樹森疏,   Wàn shù sēn shū, ,
           西風又緊,   xīfēng yòu jǐn
     擁落葉如潮做奇響。   yōng luòyè rú cháo zuò qí xiǎng.

    獨那月亮兒靜悄悄地,   Dú nà yuèliàng er jìng qiāoqiāo de
       萬籟中自放靈光。   wànlài zhōng zì fàng língguāng.

       雖有些纖雲薄翳,   Suī yǒuxiē xiān yún báo yì,
       原不礙, 原不礙。   yuán bù ài, yuán bù ài.

    他那果毅沈潛的活力,   Tā nà guǒ yì chénqián de huólì,
             待些須,   dài xiēxū,
       依舊是光華萬丈。   yījiù shì guānghuá wànzhàng.

       滲透了, 滲透了,   Shèntòule, shèntòule,
         那宇宙的奧秘。    nà yǔzhòu de àomì.  
       一任他秋意蕭蕭,   Yīrèn tā qiū yì xiāoxiāo,
            秋雲黯黯。   qiū yún àn àn.
    我只笑, 笑君空擾攘。   Wǒ zhǐxiào, xiào jūn kōng rǎorǎng.

      萬樹,森疏,
      西風は,又,緊り,
      落葉を擁いて潮さいのごとく響きをたて奇なり。
      獨り月亮のみ,靜かに悄悄として,萬籟の中,自ら靈光を放つ。

      わずかに,纖雲の薄き翳あるといえども,
      原(もとより)礙(きず)なし,そもそも礙(さまたげる)ものなし。

      秋の意,かれは,はたせるかな,果毅として。沈潛の活力あり,
      須べからく,すべきをなし,待てるは,かわらぬ萬丈の光華。

      滲みとおり,滲み透ける,宇宙の奧秘。
      彼は秋意に一任して蕭蕭と,
      (しかし)
      秋の雲は黯黯と。

      我は只笑う,空,擾攘たり,君を笑う。


    意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください

     萬樹森疏,これはニホンゴにはできない,わたしにはムリ。

     森疏 =亦作"森疎 樹木の葉が枝に繁茂するようす,
              扶疏のこと,高低に疎密ある枝葉の繁茂するようす
              出典は陶潜(陶淵明)
     繊雲 . =小片的雲朵
              秦觀の超有名な詞牌《鵲橋仙》,
     “纖雲弄巧,飛星傳恨,銀漢迢迢暗渡”
     中國人は繊雲といえば,まずこれ。巧を弄して,綺なり絢なる雲の表情

     萬籟=衆籟與も,日本語の特に「風に吹かれて』という説明は?不可解
          全く必要ない,萬物がたてる音,
     果毅=日本でも使われることば,(かき)とイミはとくに違わない
     擾攘= 紛亂,擾亂




    こちらは,レフ・トルストイの孫娘ソフィアに贈った詩。

    SenunnYue.jpg瞿秋白《皓月―題畫贈蘇韮亞托爾斯泰女士》

     《皓月》
    ―題畫贈蘇韮亞托爾斯泰女士


     皓月落滄海    hào yuè luò cāng hǎi
     碎影搖萬裡    suì yǐng yáo wàn lǐ
     生理亦如斯    shēng lǐ yì rú sī
     浩波欲無際    hào bō yù wú jì

     皓月の,滄海に落ちるとき
     碎ける影,萬裡に揺れる
     生理とはまたかくこのごとし
     浩き波,きわまりなき際にいたらんとす




    モスクワ滯在中,交流のあったソフィアに招待されて,トルストイの居宅のあった

    淸田村,
     ―かの有名な―ヤースナヤ・ポリャーナ (Yasnaya Polyana,
    Ясная Поляна雅斯納亞波梁納(亞斯納亞-博利爾納莊園)

    にむかう。
    その滯在中,ソフィアに贈った題畫詩。

    皓 hào,浩 hào 
    ま白く皦い月光に,浩波,浩蕩無邊のかそけき心中,がよく表現されている
    妙絕の絶句。

    白き月亮の光が皦い波によって碎け消え,また生じる
    生の理(ことわり)も,かくのごとく

    如斯,この rú sī
    shēnglǐ, yì, rú sī

    このつらなりの美しさもあいまって。

    おそらくは,ソフィア,瞿秋白に中國語で吟じることをもとめたろう,
    對して,常州話で朗誦したであろうこと,想像するにつけ
    絶句詩,の聲音がいかに重要,緊嚴の作用をおよぼすか

    それを想う,絶句とはまさにそういうものであるが

    瞿秋白の『赤都心史』中にみえる
    《清田村遊記》 
    一進宅門,前室中就見五六架書樹,再轉往東有一小過進一間就是書房,滿架書籍。,卻是幾個中國字——原來是芝加哥(=Chicago)版的英漢對照本老子的『道德經』・・・・
     

    つづく


    關連 ☞ 瞿秋白〔9〕 形單影雙,孤苦畸零 1918年-1919年 『餓郷紀程』四 翻天巨浪,搖盪中國

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    黄仲則(黄景仁)七律 《僧舍夜月》 五律《僧齋夜詠》

     一閃燈花墮, 卻對著瑠琉火
                   ―― 納蘭性德 《尋芳草·蕭寺記夢》 


     黄景仁,月を詠んだ詩は無數にあり
     そのどれもが,愁歎哀切の音,靜謐淨夜の愔,という。
     夜,月,そして黄景仁の孤獨,
     その堆砌詩藻のみずみずしさにひたろうか・・・と
     憂慯の,adolescence を時季を過ぎ,壯志懐いて浩蕩雄心。
     身を立つる道をさがしあぐねたか
     江湖險惡人情薄。僧舍に安らぎを得て月を望む。
     この《僧舍夜月》
     非常に若若しい。
     不安定な靑年らしい清冽さにみちみちている,“月輪觀”的 七律詩を。
     照見本心。湛然清淨。

        ▼天水麥積山石窟

    麥積山石窟. 菩薩塑像百二十窟黄景仁(黄仲則) 《僧舍夜月》

     不遇のひと。 寂寞淒其。
     他在人間 三十五年。
     わたしはもはや感情移入する年頃ではないが・・・・忉怛する。
     黄景仁の肖像に見る美しい顔立ちをおもいうかべればなおせつせつと。

     何もかも忘れさせる,詩,情。
     月の情景は,孤單の夜の詩。美しい。より煌めきはなつ,
      

      
      《僧舍夜月》     

     寂寂諸天夜氣中     jí jí zhū tiān yè qì zhòng
     闍黎粥後飯堂空    dū lí zhōu hòu fàn táng kōng
     低頭雲影時爭月    dītóu yún yǐng shí zhēng yuè
     入耳松濤獨受風    rù'ěr sōngtāo dú shòu fēng
     遠跡已堪鄰虎豹    yuǎn jī yǐ kān lín hǔ bào
     定心可許問魚龍    dìng xīn kě xǔ wèn yú lóng
     一龕彌勒遙相對    yī kān mílè yáo xiāngduì
     歳久琉璃焰不紅    suì jiǔ liúlí yàn bù hóng

            平聲一

            ※意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください

     寂寂たる諸天,夜氣の中
     闍黎(ぢゃり)の粥を後にして飯堂,空なり
     低頭する雲影,しかし時に月と爭い
     耳に入る松濤,獨り受ける風
     已に遠跡して,鄰に虎豹のあるを堪え
     心は定まりて,魚龍を問うことを許さんか
     一龕の彌勒菩薩,遙かに相對し
     歳久しく琉璃,焔(ひかり),紅(あか)からず


    *闍黎粥後=阿闍黎 Ā dū lí,宿泊した僧舍で粥を食べたあと
      ひとり殘された
    *遠跡=yuǎn jì 旅行。踪跡遠離塵世つまり浮世はなれること
      隱​​居のことも謂うが,ここは旅行。弱冠二十歳までのころの作である
    *鄰虎豹=鄰はとなりあわせにある人,
      虎豹の如く恐しい人や貪欲の人もいたがどうにか克服し,という意味にとる
    *定心=dìng xīn 安心して,心の安らいだ,入定とまでは言わぬ心境地
    *可許=kě xǔ 心許して,允許
    *魚龍=yú lóng 魚化龍,すなわち高く登りつめるか魚にすぎないのか,
       江湖浪跡して問うたのだろう
    *一龕=yikān 佛像を供奉して安置した小閣子(小房),壁穴
    *彌勒=mí lè 彌勒菩薩 マイトレーヤ 中國の彌勒像は圓い顏,
       丸く太った臉。つまり滿月
    *琉璃=liúlí そもそも梵語或梵文俗語の veruliaの音。
       琉璃(瑠璃)は日本ではラピスラズリの藍のような靑だが中國では
       碧と金色。紫禁城の瑠璃瓦といえばうつしい黄金に耀く色である。
    *焰=光 紅焰焰(紅燄燄) hóng yàn yàn といえば氣勢烈烈



     この 《僧舍夜月》 は,『兩當軒集』巻第一におさめられる。
     一巻は癸未(1763年)から己丑(1879年)につくった古近體詩。

     つまり黄景仁が十四歳から二十歳までの間に詠んだ詩である。
     その一巻の後半に位置する。
     ひとり旅をつづけながら佛寺に一宿一飯を乞うて在る夜,
     明皎の月に對し問う,おのれのこころ。
     彌勒菩薩をはるかに仰ぎみる。
     滿月の夜であることは,彌勒の語より想定できる。
     彌勒は,中國では,圓月と重なり合うくらい肸臉。
     五代の時代に,布袋和尚 其の化身,というほど。
     まるくふくよかな造型である。

     “黄庭堅(黄山谷)《病起荊江亭即事》詩之九
     には。
     形模彌勒一布袋, 文字江河萬古流。”
     ここは關係なく引用したが,黄山谷は黄仲則の祖である。
     また
     陳世宜の《醉歌》にいうように “彌勒開口作憨笑, 金剛怒目將譙訶”
     まず “ 笑と圓” が,彌勒の特徴的な臉,ということにもなろうか

     金色(琉璃色)の煌耀というのは,白く浮かぶ月ではない。
     この《僧舍夜月》,深深と味わえばそれほど詩意は難しくないはず。
     語注のみで解説は必要なく。かえって野暮というもの。

     焰不紅!
     ほのおの如く光る月,しかし紅からず
     この一語が彼の心境すべてを物語っているよう。
     この詩の風韻,品格は,まさにここにこそある。

     ちなみに琉璃。釉薬 glaze としての語は。金葱粉である。
     青金石(ラピスラズリ)は金葱粉 (Glitter=ラメ)が美しい
     
       麦積山石窟“東方微笑”
           ▲  甘肅天水麥積山133窟裏「東方微笑」小沙彌菩薩像


    最喜《維摩》卷裡多淸詞――龔定盦

     衆生のために病みて一室にこもる富者長老ヴィマーラキルティ維摩居士の
     維摩經をふまえた詩の含意であろう。
     居士,とは出家せずに,世塵に在って苦修するもの。 
     終には菩提薩埵,菩薩行の成就を。
     そういういわゆる『居士佛教』の立場をあらわす襌家の象徴的な維摩。

    《僧齋夜詠》

    齋 黄景仁
       
     枝を搖らして松風鳴り,檜(柏葉)
     を濡らして蕭蕭と條つく雨。 
     讀經の音聲は(おんじょう
     しっとりと,やわらかく
     佛火。生の燃え上がる
     情。内熱。
     栴檀。裊裊と靑き
     けぶりたちのぼる。
     體。薫香
     心中の維摩居士と對話する
     或いは,維摩像の安置された
     小龕に對峙して,
     月落ち森閑,夜が明けてゆく。
     それが 一臥維摩室
     また,  經魚敲落月
               黄仲則 草書▲ 
                             
     江南詩人,倚劍吹洞簫。
     黄仲則は,人氣無くひっそりとわびしい佛寺に一宿を乞いながら, 
     さすらいの旅を,生涯つづけていたかのように思わせるほど 
     この手の詩が多い。
     遊子の羈魂は浩蕩不羈と言ふには・・・・,慘憺の詞語,苦吟の句。 

     病に臥せりての疼通の苦しみを詠い,呻吟を洩らす書客にとって。
     病苦のため,泉下も身近に。 
     
     松柏の蕭蕭,冷たい暗い夜雨。 貧鄙の寺。
     維摩居士の,何を意味してのサンボルなのか。
     その富者であるという,嚮往もあるかもしれぬ。志いだき・・・・
     しかし,
     いっそここで出家をして・・・苦樂を超越してしまえば・・・・,
     そんな誘惑に,惹きつけられ
     とらわれ,引き裂かれる孤獨の夜・・・・,
     ということなのだろうと,わたしは解したが。

       劍捐つるまい,棄瓢するまい

     得度, 得(え),度(わた)る菩提の境界地の際が今夜はひどく近い。
     すぐ目の前にあるように感じる,そんな夜に。
     その懊惱,を想像するにあまりある。

     湛然淸淨。菩薩の笑みを浮かべた維摩の靜謐。
     馝しい栴檀の爐,
     この深み,が胸を搏つ。
     一臥維摩室,・・・・佛火引深宵
     という句の,嫋嫋裊裊,ただただ寂寂寥寥
        
     うっとりとして世の静謐をおもう。
     黄景仁の傑作の一と信ず。

     《僧齋夜詠》 Seng Zhai YeYong

     一臥維摩室  Yī wò Wéimó shì      一人維摩の室*に臥す
     閑身耐寂寥  Xián shēn nài jìliáo    閑身,寂寥に耐え
     經魚敲落月  Jīng yú qiāo luò yuè   (誦)經し(木)魚を落月に敲き
     佛火引深宵  Fú huǒ yǐn shēn xiāo  佛火*を深宵に引く
     避縛思捐劍  Bì fù sī juān jiàn    劍を捐つる思いに縛されるを避け
     逃聲欲棄瓢  Táo shēng yù qì piáo  瓢を棄てん*と欲する聲より逃げる 
     何因老松檜  Hé yīn lǎosōng guì   何に因りてぞ松檜*の老いるは
     風雨尚蕭騷  Fēngyǔ shàng xiāo sāo  風雨,尚し,蕭蕭と騷*しかり

        平聲十二 寥宵瓢騷

       ※意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください

    *僧齋=sēng zhāi 
         誦經を略儀に供養齋食
         兼ねて僧に請う齋(とき)
    *維摩室=wéimó 維摩詰が病に臥せた部屋,もしくは
         寺に一宿を請うて泊まったとき
         維摩詰の像が安置された小龕のある小房に通されたのかもしれない
    *經,魚=jīng,yú
         經魚という成語はないようだ夜,月の落ちるまで木魚を
         敲いて讀經するを聞いたということだろう

    *佛火=fú huǒ 佛に供える油燈,香燭の火,焚香
    *松 =sōng 《詩·衞風》檜楫松舟。松柏といえば中國では墓に植える木
    *檜 =guì ここは柏か。,耐寒,大樹,爲に棺椁また舟の材に適す
    *棄瓢=qì piáo 隱逸傲世 (堯の時代隱士許由の棄瓢の故事にちなむ)
    *騷=sāoは 『楚辭』離騷,につかわれる意味の騷をもふくめて。憂。幽愁。



     東野窮而長吉夭  ―呉蔚光 『兩當軒詩鈔序』

       平生無恩酬,詩人作不得。
       東野は孟郊。長吉はむろん李賀。
       生涯東野の “貧窮” と 李長吉の夭(わか)死にをあわせもち
       纏身病苦の詩人黄仲則へのささげられたた呉蔚光のオマージュであるが。

     
     Vimalakiirti विमला कीर्ति 維摩詰像 (西魏)
    クリック擴大維摩詰

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    古風句裂一首,七絶一首

    黝布空月牙

     黝布      Yǒu Bù

     結習黝布空    Jié xí yǒu bù kōng
     天容止鈎月    Tiān róng zhǐ gōu yuè.
     月牙肌膚色    Yuèyá jīfū sè
     愛外心内裂    Ài wài xīn nèi liè.

         結習=Jié xí 煩惱
         黝= yǒu 靑黑い黑色
         鈎月= gōu yuè 鈎(かぎ)のように鋭く灣曲した月のこと,つまり三日月
         
         月牙=yuèyá または月芽。 新月。 眉月

         容止=róng zhǐ 儀容,擧止 姿かたちとふるまい

         空天,容止,色愛 

     起:積み重ねた惡癖がどす黑く,まるで空に黝くひろがる布のように。
     承:天の「容(かたち)」は鈎月をも容れて止めおくように,ふるまう
     轉:三日月は肌膚の「色」をしてあたかも牙むくよう
     結:「外」を愛する空(黝布)なのに,心の「内」は裂かれてゐはしまいかね
       (ああ・・・わたしもみならいたいものだw)


     孤月 Gū yuè

     月浮熬夜為何空    yuè fú áo yè wèi hé kōng
     教人古心闇無窮    jiào rén gǔ xīn àn wú qióng
     黑抉深弧殘淺光    hēi jué shēn gū cán qiǎn guāng
     東方竟白吸消溶    dōng fāng jìng bái xī xiāo róng

        孤=gū
        弧=gū
        古=gǔ          

        月は熬夜(夜どおし)為何(なぜ)空に?                   
        人に,闇が無窮だった古人の心を敎えるために?
        黑く抉れた弧の深みは淺い光を殘しつつ
        東方の空が竟(つい)に白むころ吸いこまれて消え溶ける

       2016 01 30

    zangetsu.jpg

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    邵雍《淸夜吟》,《月新吟》,《思友吟》

    Mingyue3.jpg《淸夜吟》 邵雍

       清夜吟  Qīngyè yín

     月到天心處    yuè dào tiānxīn chù  
     風來水面時    fēng lái shuǐmiàn shí. 
     一般清意味    yībān qīng yìwèi   
     料得少人知    liào dé shǎo rénzhī 

       天の心(まんなか)の處に月到る。
       水の面に風來たる,そんな時。
       一般(あたりいちめんにひろがる) ,この“清” の意,味
       それ料(はかりて)得る,これ知る人は・・・・(一般に),少なし


    *一般 yì bān=一般にはいろいろな意味がある
      あまねく,ひろがる,普遍的に一様なもの,(same as, just like)
      一種の(sort; kind)
      普通の,通常の (general, ordinary, common)
      概説的に,おおよそ(roughly)
      通常慣例的に(habitually)


     意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください

    Shingetsu.jpg
    《月新吟》 邵雍

      月新吟   Yuè xīn yín

     月新與月殘    yuè xīn yǔ yuè cán  
     形状兩相似    xíngzhuàng liǎng xiāngsì 
     奈何人之情    nàihé rén zhī qíng  
     初見自歡喜    chūjiàn zì huānxǐ 

       新しき月と殘れる月
       形状兩つながら相似るも
       奈何(いかんせん)や人の情
       初めて見るを自ずと歡喜す


    zangetsu.jpg邵雍《思友吟》

     思友吟   Sī yǒu yín

     欲見心無已    Yù jiàn xīn wú yǐ,
     久違情奈何    jiǔ wéi qíng nài hé.
     雲煙雖咫尺    Yú nyān suī zhǐchǐ
     不得屢相過    bù dé lǚ xiāng guò.


      見んとして,心,已に無く,
      久しく違う,情,奈何(いかんせん)。
      雲と煙と咫尺(のまにあり)と,いえども,
      屢(しばしば)相い過ぐるを得ず。

      *咫尺=日本でも使われる語,しせき,意味はおなじ


    テーマ:北宋・南宋詩詞 - ジャンル:学問・文化・芸術

    烹て喰われつちまつた詩人のハナシ『狐憑』 中島敦 

    詩,うた,というものは,本來。
    言葉を失いかけたり,奪われかけたりした時,

    言葉がもつあるべき “理” を,うしなったとき,
    卒然と“聲”を發することが,できるように,
    ときに,ほとばしらせる,ために
    聲浪,吶喊。そのための,
    ただ,聲を,發す,

    たとえ言と論理をうばわれても,それでも聲をあげるために。
    あらかじめ周到にも,“天(=古人)” が用意した, “原型”
    そんなものではないか・・・・と。w

    周到,なが,もともと最初に用意したものとは,
    文字ではなく聲音だった,

    なぜなら・・・・,
    一文字をも持たぬ鳥も獸も,喉と聲をもっているではないか
    ・・・・と。 
    生きものの啼鳴。咆哮。
    だ,が。

    單純に,考えた。
    聲音を發するとは,才智や能力ではなく,
    口と言う “體” が 最初 にもつ造作,もしくは・・・・たんなる “用” である。

    ” 詩” と言うものは,そもそも

    言のみにて論じることができない部分をつたえうる。
    つまり論理で説明できない不条理をよく傳え得る

    いいかえれば,じつは,逆説的にこうもいえる

    言葉が,理を「 “體(てい)” さない」とき,
    詩において言を もっともよく「“用(もちい)”得る」ことができる

    ・・・・・。
    言志,たしかに志には “論理” は無く, “意” ,あるのみである

    自分という個體,それ以外のヒトが いつまにか人でなくなるという慄れ。
    子どもの頃,バケモノとはコワいものだとは,バケもんの繪を見ても
    なかなか感じ得なかったが
    のっぺらぼうの話の結末だけは,コワくてコワくてしょうがなかった。

      いや待て,自分が少しずつ,少しずつ人間でなくなっていく恐れ。
      こっちの方がよっぽどコワいぞ,

    と氣がつくまでw。
    そして
    わたしは,ヒト以外の,人以外のナニモノでもない,という確信が生じたとき
    そして
    その確信がゆらいでしまったとき
    まで。

    初めてニンゲンである條件とはなにかを考え始めたとき。
    證明する必要もないことだが證據を考えておかねばならないという,

    こどもながらに,逼迫した考えに
    囚われたものだ
    兒子氣未消。

    けっこう今日の心弱はそこから・・・つづいているものなのかもしれない。

    HUSHAO.jpg

    罅隙裏,領會否,臺上意?

    日本の文學者で,もっとも畏敬し疼愛する中島敦の小説。

    孤高の寒き所,にゐらせられる。中島敦。

    “文字” そのものに憑かれた中島は,聲音の,神秘と災厄を書いた,
    のではないか。

    咆吼する獸にとって, “詩” は,つまり言志の必も用もない。
    詩とはなにか?という一個の「詩論」でもある

    「詩」というものの本質をあきらかにさせるために書かれた物語だろう?

    日本ではなぜか,李徴がゴーマンだった,という,ジンカクの因果応報ハナシにすりかえられているがw



    中島敦は

    ムザンな “虎嘯” ,にうち果てる “詩人” を,
    さらには “叙事詩”の發生そのもの を小説にしてみせた。
    楔形の文字の記述者を,
    また,
    「歴史の編纂人」の動機を解明し,その, “詩人” ではない “記述人” の言志を,
    材にとって
    小説にしてみせた。

    そういう中島にワケもなく魅かれるこどもが,

    おおきくなって野狐(やこ)となると,ふたたび,こんどは

      惑溺する聲音の禍禍しさ

    を,中島敦は安西冬衞と,ともに提教してくれた。
      
    しかし,こどもの時分,のっぺらぼうがこわかったときから今の今にいたるまで

    聲音の “顯耀” は いっこうに覩えない・・・・・

    未だ勿論わたしは,野に棲む孤狐。
    野狐の無明の夜。

    所詮わたしは詩語の虜囚でしかない・・・・と知る。



    中島敦は
    土に感謝せず,何も奉じない,獻じない,
    それを意識させない. .のだ

    “領會否?臺上意” である,w

    もちろんwこの “臺上意” は李長吉の
    “黄金臺上意” のことではないのはいうまでもないがw

    しかしどっちにしても,究竟同じこと,では,ある。
    と言う古代文化の奥深さでもある
    なぜなら “土” は,
    かならず
    だれにとっても “土” である。から


      土は,蒙の居室の戸を啓(ひら)く。
      濬哲は沈默する。
      禍殃の精密を識つてはじめて,
      罅隙の裏に
      神秘の臺が見えるとき,
      土を臺として識る,
      じつは臺とは,つちくれ,であったのだ,と
                        2015 09 17



    呑聲叫的“シャク”,哭咆哮的“李徴”

    自分以外がすべて,いつのまにか人間でなくなってゐた戰きを慄き。
    自分だけが少しずつ,少しずつ人間でなくなってゆく恐れを懼れ。

    中島敦の『山月記』
    これはコワい, 李徴 が感じる恐怖。

      一日一日,
      漸漸と,舒舒と,脱脱と
      虎になってゐる時間が夜ごとに増えてゆく,その自覺。
      人間でゐられる時間が毎日少しずつ減つてゆく自覺。
      人を喰らう,虎詩人。
      李徴の饒舌は,“誌” では,言志では,なかったのか
      李徴の峭刻は,“詩” では,なかったのか
      ことばの枉費。ことばをおろそかにするものは,頓として,
      しかし頓悟せず,頓として暴れ虎となる

    中島敦の 『狐憑』
    これは愉快だ。
    太古の詩人が・・・・烹て喰われっちまう話だ。
    こういうのが・・・いいな。今の氣分,  “文字獄” のものがたりw
     
    人を食らう「詩人」ではなく
    喰われっちまった「吃詩人」
    「吃烈士」ということばはあるがw

      この小説の寓意は,言論彈壓と侵略戰爭ハンタイである,
      なぜなら斬り取られた右手の象徴するものは筆,
      つまり・・・右筆だろう,

    などと,タワゴトはゼッタイ言うべきではない。

    そもそも右筆,或いは祐(佑)筆とは,ごゆうひつ,和製の漢語だ。
    中島敦が,和製漢語を象徴の,エレメントとして “用” いて物語を書く,

    という,ありえなさ,w
    そう思うことがすでにブジョクである
    中島敦の漢語と彼の “美學” にくわえられた,侮辱だw

    あんまりに粗雜にすぎる

    この小説の寓意は,“民聚” である,そして “ことば” の災厄
      
    これは,わたしは確信する。

      なぜなら最後に “ホメーロス”が忽然と,姿を現すからだ。 
      w
      それだけだが

      この,短編は
      “純粋” の叙事詩の發生に題をとって
      poème épique と,poésie の,力量と,質量のちがい
      このちがい,をよく説明してくれたのである
      もちろん,どちらが,いい,か,わるい,か,うえ,か,した,か,
      そんなゲセワなハナシぢゃない  



    『狐憑 』    中島敦


    ネウリ部落のシヤクに憑(つきもの)がしたといふ評判である。
    色色なものが此の男にのり移るのださうだ。
    鷹だの狼だの獺だのの靈が哀れなシャクにのり移つて,不思議な言葉を吐かせるといふことである。

    後に希臘人がスキュテイア人と呼んだ未開の人種の中でも,この種族は特に一風變つてゐる。
    彼等は湖上に家を建てて住む。
    野獸の襲擊を避ける爲である。
    數千本の丸太を湖の淺い部分に打込んで,其の上に板を渡し,其處に彼等の家家は立つてゐる。
    床の所所に作られた落し戸を開け,籠を吊して彼等は湖の魚を捕る。獨木舟を操り,水狸や獺を捕へる。麻布の製法を知つてゐて,獸皮と共に之を身にまとふ。
    馬肉,羊肉,木苺,菱の實等を喰ひ,馬乳や馬乳酒を嗜む。
    牝馬の腹に獸骨の管を插入れ,奴隸に之を吹かせて乳を垂下らせる古來の奇法が傳へられてゐる。
    ネウリ部落のシヤクは斯うした湖上民の最も平凡な一人であつた。



      常に,樂き事曰はず, ただ禍を豫言しつ,
      常に,不祥を占ひて, 心樂しと思ふ者,
      汝,好事を口にせず, はたまた之を行はず。 

           ― “L'Iliade”
     ホメーロス 『イーリアス』
       


      《沈疴》     “Chénkē chén bìng”

      一  入病室詠         “Rù bìngshì yǒng”

     滌綸榻帳垂三方    dí lún tà zhàng chuí sān fāng
     細管通痛滋入養    xì guǎn tōng tòng zī rù yǎng
     人生幾何對玄凝    rén shēng  jǐ hé duì xuán níng
     隻聽滴土寂無響    zhī tīng dī yīn jì wú xiǎng


       *脚韻:上聲十七養 
       *滌綸 =化繊,ポリエステル
       *幾何=人生幾何(いくばく)ぞ,譬へるに朝の露の如しw
       *玄凝=冥冥に對す,凝る精神のこと,




      二  病入膏肓         “bìng rù gāo huāng”

     尋病搜句童土意    xún bìng sōu jù tóng tǔ yì
     沈疴愈愈心枉費    chén kē yù yù xīn wǎng fèi,
     猛然復想鬼森寒    měng rán fù xiǎng guǐ sēn hán
     我覺未消孩子氣    wǒ jué wèi xiāo hái zi qì

        
       *脚韻:去聲二寘
       *童土=草木生えぬ
       *孩子=ガキ



      三  詩囚           “Shī qiú ”

     少言微顯闡幽衍    shǎo yán wēi xiǎn chǎn yōu yǎn
     弱脉稠稠瀉土泫    ruò mài chóu chóu xiè tǔ xuàn
     擊壤田田雖寫詩    Jī rǎng tián tián suī xiè shī
     頓漸無悟我浮淺    dùn jiàn wú wù wǒ fú qiǎn


       *脚韻:上聲十一銑 
       *闡=明らかにひらく
       *弱脈=びょーキ
       *稠稠=濃厚,粘粘
       *瀉土=鹽の土壌,草木の育たぬ地
       *題注:
          「然則詩話之作,集思廣益,顯微闡幽,寧濫毋遺,
           不亦可乎?」――《隨園詩話補遺》卷四 袁枚
           「殷殷田田,如墻壊然,悲哀痛疾之至也。」『禮記・問喪』


    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    「不法とは言ってない」 つまり“不法” と言ってはもらえないニホンry

    哀我填寡,宜岸宜獄。戰戰兢兢,如履薄冰
           ――――『詩經』《小宛》


    今朝の他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブンに
    檢閲否定する憲法21条「強力な保障」
    という見出しで載ってた記事

    國連の「表現の自由の促進」に関する特別報告者のデービッド・ケイ氏(米カリフォルニア大教授)が12日、朝日新聞の單獨インタビューに應じた。

    ケイ氏は日本國憲法21条が
    「集會、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」
    「檢閲は、これをしてはならない。通信の秘密はこれを侵してはならない」
    と定めていることについて、
    「とても強力な保障だ」と高く評價した。
    特に、檢閲を明確に否定した部分の重要性を指摘した。

    また21条について、言論・報道の自由を保障した米合衆國憲法修正第1条と比較し、「書きぶりは違うがとてもよく似ている」と評價した。
    自民黨改憲草案は、21条に「公益」や「公の秩序」を害することを目的とした活動は認められないとの文言を加えようとしている。
    ケイ氏は
    「21条にいかなる修正も加えるべきではないと強く訴えたい。例外規定を設け出すと、その例外規定の持つ性質により、時とともに、例外規定がそのルールや保障をのみ込んでしまう」
    と指摘した。



    この後がスコブる笑えるのであるが。

    非常にハズカシイわがクニの政府は
    ネトウヨを丸め込むに足る程度の知性で,
    国連をマルメコメるとふんだらしい,
    グにもつかないハンロンをしていたよーでw

    ケイ氏は12日ジュネーブで開かれている國連人權理事會で昨年4月の訪日調査結果を報告した。
    日本政府がケイ氏の報告に対する反論文書で『日本政府も與黨も不法もしくは不當にジャーナリストに壓力を加えていない』と反論したことについて,
    ケイ氏は
    「政府がジャーナリストに加えた壓力が不法とはベツに言ってない」(笑)
    と述べた。そのうえで
    「日本訪問中,政府の壓力があることがわかり,さらに放送法の性質により壓力がある種の強さをもっていることがわかった」
    と話した。



    あはは。

    ケイ氏はよっぽど日本の實情をつまびらかに調査したんだろう。
    ガラパゴスオオトカゲ早苗ちゃんの時代から
    ちょっと前の,知性「永遠にゼロ」百田のツブす發言から,
    直近のヨミウリの貧困女子的バー通いの官邸リークスまで
    日本の實相をよくご存じでゐらせられるのであろう。

    ハズカシイなw
    すべては世界の 注視のもとで,
    白日の下にさらされていることを
    恥ずかしいと思わないニホンジンを

    ケイ氏はついでに
    「ワケがわからん」
    「ニッポンジン,コワい」
    とでもいったろーか,いわなかったろうか?

    世界はあの,大日本帝國の狂氣
    ・・・・・つまり
     
     マツオカヨースケの國連脱退劇場や,
     淞滬會戰や南京攻略戰の,
     人間魚雷の,
     飛行機もろとも體あたり,の,
     インパール作戰で緬甸に現出した靖國街道の,
     バターン死の大行進の,
     帝國ニホンジンのワケのわからん激越型國家自閉症状


    トツジョフッカツするのではないかとコワがっているのであるかもしれないし,
    しょーもないと,あきれているのかもしれない

    がいずれにしても我ワレニホンジンは先進國の注視のまと

     ニッポンの,デモ,クラッシー。
     ニッポンジンは,でもこんなに名譽白人,くらっしー,ですぅ

    なのかもしれないが,w。

    つづけてケイ氏いわく

    またメディア自身も團結がなく,壓力を跳ね返すことを容易にするような
    ある種の調査報道の構造と文化がない。


    とも指摘。
    さらに,はw,しょうことなしにか
    ケツロンヅケて

    ワレワレが指摘したアツリョクはゲンジツのものであり,
    (ナニも)不法とは言ってない。
    メディアの獨立性に干渉する,と言っている
    (だけだ)

    とつけくわえたっそーだ

    不法とは言ってない,

    と。
    さはさりながらモンダイは・・・・ 。

    ケイ氏は,コクレンをナメてかかった政府の反論によっぽどハラがたったか,
    シンラツであるw

    何が辛辣かって?
    わたしの讀解によればこういうことだ。

    不法ではない,というのは,つまり法以前のモンダイだ,と言うことである
    法,不法のモンダイじゃない,精神が民主的でない,といってるのである。
    ww
    精神が民主的でない,というのは
    ベツに罰せられるようなことではない。

     壓力を跳ね返すことを容易にするような,ある種の調査報道の
     構造と文化がない

    文化がない
    とはどういうことか?

    ・・・・・。

    そもそも

    「文化というのは政府が作るものではない」と言うことを知らない國連の人權モンダイ専門家はいない,だろう,という予測のもとにわたしは書いているのだがw
    つまり,

    これはニホンジンのモンダイであるというコトだ
    もはやケイ氏は,コクレンは,國際社會は,
    ドアホの官邸をどーのこーの言ってるのではなく

      だからニッポンジンはこんなにもチューモクされる!
    は,即ち
      だからニッポンジンはこんなにも愛される

    ではない可能性がある
      
    ということだ
    おもえば文明開化でサムライがヘヤスタイルをかえたときから
    ヒロシマナガサキまで,一キ呵成だった。我が帝國。
    國體護持への執念。

    世界のヒトビトの頭ン中を走馬燈のようにめまぐるしくはしりぬける
    ニホンジンのイミ不明
    ホントに先進国か?
    だw
    いまさらしょーもないとおもうかもしらんが
    人類プロパーに地球規模で害をなすのが戰爭である。
    事前にニホンジンに警告を発する義務があるのが,
     
    ザ・國連
    とゆーものですね
    くりかえすが,
    精神が民主的でない,というのは
    ベツに罰せられるようなことではない。

      (ベツに罰せられるようなことではないが,キミ達が民主的でないことで
      世界が「メーワク」こうむるのはゴメンだ)

    かつて世界のホアンカンを自任した,ザ・アメリカは,

      民主的でないっ

    ことを理由に武力行使をしたがったがw
    最近じゃ大量破壊兵器があると報告されない限り武力攻撃は
    なかなかに踏み切らないみたいだが,
    日本が,
      「もんじゅ」も廢爐になるそーだし,いよいよ “つかえない”
      プルトニウムをせっせとためこんでる國

    であることは世界に明明白白のことである
    ・・・・・。

    それはさておき。

    わたしはちょっと前に
    ケイ氏の報告についての朝日の記事を引用した。
    なぜかといえば
    かれは植村氏の名前を挙げていたこと,

    此れが特筆すべき重要ゴト,だ,
    と思ったからだが

      よけーなお世話な,第二彈

       概要によると,ケイ氏は報道の獨立性を確保する觀點から,
       政府・与黨による報道關係者への壓力に懸念を示し,
       政治的公平などを定めた放送法4条の撤廃を要求。
       慰安婦問題を含む歴史教育について,元朝日新聞記者の植村隆氏への
       權利侵害や「教科用圖書檢定調査審議會」への政府の影響を指摘した。

      そんなに心配してくれなくていいよっ

    と書いたのはわたしの浅いかんがえで,
    彼等は心配はしているが,日本人のキョーキのはてに起こされる未來の

    人閒浩劫  Rénjiān hàojié

    をおそれているのかもしれない。

      ギャクタイする親をいくら叱ったところでw
      ニホンジンと言うコドモは,ギャクタイにもキづかない・・・とゆうありさまで。
      親子そろってジンケン感覺問題あり
      子は親の背中を見て育つ

    そうニホンジンですよ
    モンダイは。

    もはやアベツキーだの,政權だの言ってる場合じゃない。
    りべらるのミスリードもモンダイである。

    そのことをケイ氏は言外に訴えている。
    日本に,いったい “野”  はあるんかい?と。

    ブンカがない,
    とは

    つまりそういうことだ
    武で持ってキバッた帝國日本
    文,化してなかった,できなかった戰後ニッポン

    あなたのとなりにいる,
    U氏を迫害する,
    U氏のお嬢さんのさらされた顔をみて,コクゾクだ,自殺するまで追い詰めろ,

    という,ファーファーイーストにうちたてらられたコッカとそこに住まう
    “隣人” のことだ,

    メディアの獨立性に
    干渉するといってるだけだ,と。
    さはさりながらモンダイは・・・・

    そういうヒトたちが問題なんです。
    一政權のモンダイじゃない

    ケイ氏が,彼が発した

      不法とは言ってない,

    このことばのおそろしさがわかるかい?


    この記事のしたには 
    むっちゃ笑える,アジアの “ダイアローグ” における
    グッドルッキングなハナシが載っていたが
    ・・・・・。
    ワタシはニッポンがほんとにハズカシイ
    ルモンドのフランス人にバカにされたワレワレ

    ついでにつけくわえると
    内田樹がちょっと前面白いこと言ってた
    共謀罪法案ができると・・・・・
    やはり他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン


     政府がねらうのは隣人を密告するマインドの養成だ

    正しくは醸成と言うべきだろーが,
    ?とおもったならあなたはニブい
    内田樹は言葉の選択をまちがうよーなひとぢゃない。
    醸成にすらキづいていないヒトは養成と言う言葉にそれほど
    恐ろしさを感じず,違和感をおぼえるだけだろーが。

    仏紙ルモンドが5月下旬共謀罪法案について報道した。懸念を表明する國連の特別報告者に日本政府が抗議したことに觸れ、『驚くべき反應だ』『日本は國際法の順守をこれまで強く訴えてきた(=その日本はそもそも “國際法の順守” してねーぢゃねーか)』
    と非難した。

     


    安倍政權の支持率は下がらんが,日本の國際社會の評價はサガリッパナシ

    つづいてこうもいってた

    この法案に「いつか来た道」を懸念する聲もある。でも、僕はそう簡單に再來するとは思わない。戰前の警察組織とは敗戰で斷絶しているし、思想警察をつくって社會全体を監視するにはヒトもカネも足りない。反基地運動や勞働運動を一網打盡にするために使おうか、という程度だろう。

    政府が狙うのは「隣人を密告するマインド」の養成だろう。
    「共謀罪」を必要とする前提には、テロリストだけではなく、外國の意をくんで政府の轉覆を謀る「反日分子」がウヨウヨいるという現状認識がある。
    政府には網羅的に検挙する能力がない。ならば、お上に代わって我々國民が摘發しよう、となる。
          20170611朝刊

     

    あはは

      「中國共産黨やコミンテルンがバックにいる」とホンキで信じているヤツもいるから
      法案が成立した瞬間、自分たちの世界觀が承認されたと思いこむヤツも出てくる
      有権者の半數ほどがアベ政權を支持している

    だって
    まさに。

    これはおそろしいw
    わらっちゃうほどおそっろしい。

    いまはまだ,わたしは,
      頭ワルいネトウヨだけの世界觀,
    とおもって嗤ってりゃすむ。
    しかし
    “ネトウヨ感染” してない,免疫ない無菌ジョータイの 『イッパンジン』たちも
    それを信じ,思い込んでハイセキ始めるおそろしさ,だ。w

    わたしのことを今,
    「こいつはすこしおかしい」
    と思ってしまったあなた,。

    あなたのことです,よ


    日本一個官場恣   Rìběn shìgè yī guānchǎng.
    弱羊等待強狼食   děngdài ruò yáng qiáng láng shí.
    野無鑿鑿窟不棲   yě wú záo záo kū bù qī
    忘意蒼氓不必避   wàng rén cāng máng bù bì bì

           去聲二寘


      本,意も,去聲
         ●●●○○●●   ●○●●○○●
         ●○●●●○○   ○●○○○●● 



    ちなみに

    ウィキリークスというのは。

    ひとことでその立場を説明するなら “反檢閲”
    ついこのまえ,スノーデン氏の暴露についてほんの少しふれた。
    そのことが内田樹の語られていない,なまぬるさ,中途半端さをよくおぎなうのでね, 
    興味ある人は。4月25日の投稿だが・・・・・。


    “反検閲” ・・・・・

    検閲とはなにか?
    檢閲には本來  “翻檢閲讀”
    のイミしかないがね
    いわば
    「文字獄」
    である
    “言” が, “犭” と,“犬” に挟まれている

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

     

    玄


        管理人: 少玄 (女子)


      
     楞伽案前, 楚辭肘後
     

      ― 本人不是佛教徒,
       當然是一個的詩囚 ―



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    * East Asia War &  Prolet’Kult contents
     日中戰爭とその記憶

    南京虐殺日中間の戰爭,その記憶 ①~⑥にすすむ

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     1931 錦州爆撃・張學良
     1933 熱河作戰・張學良
     1931 九・一八柳条湖
     1937 毒ガス使用作戰
     1937 淞滬會戰八・一三
     1940 棗陽戰(棗宜會戰)
     1940 宜昌作戰
     1931 抗日義勇軍・楊靖宇
     1943 常徳よ號作戰
     1935-東亞新秩序の前景氣
     1936 塘沽協定と熱河作戦
     1937 天津の支那駐屯軍
     1937 7・7盧溝橋事變勃發
     1938 漢口の國民政府
     1938 中國の抗日論調
     1938 國民政府 武漢防衛
     -1938 南京屠殺アトローシティ
       1 2 3 4  5 5 6

     1906 アナキスト的國粹主義者
     1907 東京 亞洲和親會
     1925 上海游記 芥川龍之介
     1949 『中國のレジスタンス』

     
    黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 1931
      『國境』 1931
      『』 1927
      『』 1928
      『武装せる市街』 1930
      『パルチザン・ウォルコフ』 1928
     竹内好  1910-1977
     ・
    日中國文學者からの告發
     ・帝國民間人のアヘン賣買
     ・中國の抗戰意識
     ・la résistance 同歸于盡
     ・ファシズムとパン
     ・經濟収奪の前段階

     芥川龍之介 1892-1927
     中野重治 1902-1970
     槇村浩 1912-1938
     小熊秀雄 1901-1940
     反戦詩人詩篇TitleMenu

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       日本人反戰同盟
       (1938-1945 中國)

       
       鹿地亘 1903-1982
       『自傳的文學史』(1959)
     第8章(前)・檢擧 拷問
     第8章(後)多喜二獄中志・死
     第10章・検察 釈放 脱出

       『中國の十年』(1946)
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      1 出獄から
      2 昭和十一年舊正月
      3 夏衍 蕭軍 左翼作家聯盟
      4 民族魂 魯迅との邂逅
      5 阿Q 魯迅の死
      6 七・七事變の勃發
      7 反侵略友誼的激勵
      8 上海 ルイ・アレー氏
      9  ホンコンへ脱出
     10 入境の日本人解放鬪爭
     11 武漢時代 國共合作
     12 武漢時代 朝鮮義勇隊
     13 武漢時代 日本人捕虜
     14 大移動 南嶽會議前後
     15 呉石將軍と廖濟寰氏
     16 桂林時代 蔣介石
     17 桂林時代 崑崙關
     18 重慶 反戦同盟總部
     19 湖北 陳誠將軍 恩施にて
     20 湖北 宜昌の前線
     21 ―新四軍事件
     22 郭沫若のこと
     23 重慶 ― 南進か北進か
     24 反戰同盟發展 
     25 重慶 破壊者 潜入
     26  天皇制の問題
     27 祖國 最終章


    * list of poetry    Anti-Japanese wars
      抗日戰舊體詩

      本ブログの骨幹です。
     一九三〇年代,抗日戰爭期,
     中國文人が詠んだ帝國日本の
     侵寇,掠略加害のありさま
     祖國の救亡のため抵抗し命を
     落としていった無數の草民,
     中華の大地,山河を忉怛し
     惜慯した哭詩,吊詞,哀歌
     口號,頌歌。
      抵抗者の忼慨をうけ連綿と
     傳えられてきた歌以言志。
     新・舊體詩,填詞,白話詩。
      歴史書の記述とは又,異なる
     日中の戰爭の實相が,曝され
     吐露されています
     以下クリックで直接進めます
      は特に御薦めする

      

      詩人詩篇題 INDEX

     田翠竹 1913-1994 湖南 湘潭
     《洞庭碧血》其四其二
     《血観音歌1943年作
     《重九》《甲辰雜詩
     《抗戰百詠・十首
     《還湘又將別家去桂書懷
     《避難吟荒江雪意
     《中秋后還家再去耒陽
     胡繩 1918-2000 江蘇蘇州
     《南京夜聞流亡東北學生
     《松花江上
     寇夢碧 1917-1990 天津
     《淪陷紀事詩
     黄假我 1916-1985 湖南寧郷
     《青年謠壬午五四青年節
     《柬呈柳亞子先生
     《暮春雜詠
     《過塘沽
     《瀋陽中秋對月
     《宿錦州
     《錦州廣濟寺前
     金紫衡 1914-? 河間瀛州
     《四周年瀋陽驚變九一八
     《沈監秋夜
     《瀋陽除夕寄徐
     《延邊辭歳1943年除夕
     《蘇武牧羊圖
     《山居雜詠
     《北平易幟
     《南京陥落
     《吊江南
      
     錢鍾書 1910-1998 江蘇無錫
     《故國》  《哀望
     《得龍忍寒金陵書
     張滌華 1909-1992 安徽鳳臺
     《南京大屠殺感賦
     盧前 1905-1951 江蘇南京
     《招西北之魂
     《百靈廟,更招東北之魂
     王季思 1906—1996 浙江永嘉
     《懐人五絶
     羅元貞 1906—1993 廣東興寧
     《路過上海有感
     《黄浦灘倚欄夜作
     《清明哭母二首》 《病裏
     《初到并州懷劉越石
     《中秋漫筆二首》
     《故都秋夕
     《送行
     《夜過景山
     張采庵 1904-1991 廣東番禺
     《勝利在望書此志喜
     《鬼意
     《亂離
     《秋夜》  《感憤
     《寇陷長春李君如玉僅
     身免南下相逢握手一慟

     聶紺弩 1903-1986 湖北京山
     《題 “藥” 兼吊秋瑾
     胡士瑩 1901-1979 浙江嘉興
     《過秋瑾墓感賦二首
     王禮錫 1901-1939 江西安福
     《再會,英國的朋友們
     何永沂 ?-? 廣東
     《報載日本首相參拜靖國
     神社憶南京大屠殺事感

      

     舒慶春 老舎 1899-1966 北京
     《七七紀念
     《沫若先生邀飲賴家橋
     《述懷
     《賀冰心先生移寓歌樂山》
     《哭王禮錫先生二首
     常燕生 1898-1946 山東
     《遊春八首選二》其一
     馮振 1897-1983 廣西北流
     《暮春
     《傷楠兒
     《野望
     《登蒼梧北山
     《草食人
     《病後
     《登銅石嶺最高頂
     林庚白 1896-1941 福建閩侯
     《次和炎南兄七七見寄韻
     《續丁丑雜詩六之一
     《水調歌頭,聞近事有感
     《丁丑雜詩三首
     《渡江至武昌
     《江岸散歩
     《月夜小步
     《七月十二夜坐月
     《浣溪沙
     《首都飯店聞警同北麗
     《病起聞警
     《江防
     《聞道二之一
     《難民來
     《夜聞鑿防空壕聲
     郁達夫 1896-1945 浙江富陽
     《贈光華報同人"/>
     郭沫若1892-1978 四川樂山
     《挽王禮錫
     唐鼎元 1894-1988 江蘇常州
     《哀瀋陽
     《武漢空戰三捷歌
     柳亞子 1887-1958 江蘇呉江
     《八聲甘州-次任潮將軍
     韻為亡友庚白先烈賦

     李濟森 1885-1959 廣西蒼梧
     《八聲甘州-林庚白
     先生香江殉難以表哀

     張鳦生 (不詳福建)
     《感事次達夫先生韻
     《南京失陥
     《七七掲開抗戰序幕
     《吊鑒湖女俠墓
     《贊東北義勇軍》二首
     《九一八感作
     《頌寶山姚子青全營殉城
     李大防 1878-?  四川開縣人
     《金陵作
      
    * list of poetry    Late Qing,Republican

        ☞瞿秋白 瞿秋白の生涯と詩作「形單影隻,孤苦畸零」雄魄 顛簸的一生

     史鐵兒 1899-1935 常州武進
      『餓郷紀程
    』1919-1923
     〔新體詩〕
      《心的聲音“遠”》1920年
      《去國答"人道"》1920年
      《無涯》(1920年)
      『餓郷紀程・跋』1921年
      《國際歌》 1923年
      《赤潮曲》 1923年
      《夢中鞋》 1923年
      《鐵花》 1923年
      《天語》 1923年
      《小小的蓓蕾》1929年
     〔舊體詩〕
      《詠菊》 1914年
      《哭母》 1916年
      《雪意》 1917年
      《紅梅閣  1926年>
     〔獄中誌〕
      《
    絶筆》1935年6月18日
      《浣溪沙》1935年5月
      《卜算子詠梅》1935年5月
      『瞿秋白筆名印譜

        


        ☞ 林庚白子舊體詩に すすむ

      林學衡 1896-1941 福建閩侯
     〔七言詩〕
      《次和炎南兄七七見寄韻
      《續丁丑雜詩六之一
      《丁丑雜詩三首
      《渡江至武昌
      《江岸散歩
      《首都飯店聞警同北麗
      《病起聞警
      《江防》 
      《難民來
      《夜聞鑿防空壕聲
     〔五言詩〕
      《聞道二之一
      《月夜小步
      《七月十二夜坐月
     〔詞牌〕
      《水調歌頭-聞近事有感
      《浣溪沙
      《菩薩蠻-送別
      《減字采桑子-雨夕書懷
      《曲牌行香子-
       -舊曆重陽樓望寄璧妹
      《琴調相思引-午夜聞歌
      《賣花聲-雨中樓望
      《鳳凰台上憶吹簫-
       -雨夜無寐》《-海行夜起》
      《滿江紅-秣陵感懷
      《摸魚兒 紅豆




      淸末民初“革命春秋”
     
     鄒容 威丹1885-1905四川巴縣
     《獄中答西狩
     『革命軍
     劉師培1884-1919江蘇儀徴
     《一萼紅-徐州懷古
     《賣花聲-登開封城

     黄節 玉昆1873-1935廣東順德
     《送劉申叔元日東渡
     秋瑾 璿卿1875-1907浙江紹興
     《滿天紅
     《杜鵑花
     《去常德舟中感賦
     《杞憂人
     《梅十首選其二
     《詠琴志感
     《讀書口號
     《殘菊
     《秋海棠
     梁啓超 1873-1929 廣東新會
     《讀陸放翁集

     章太炎 1868-1936 浙江余杭
     《獄中贈鄒容
     《辰州
     《亞洲和親會規約
     陳國常 1864-? 四川榮昌
     《徐烈士墓
     《秋瑾墓

     康有為 1858-1927 廣東南海
     《
    大同書成題詞
     黄遵憲 1848-1905 廣東嘉應
     《庚午中秋夜始識羅少珊
     魏源 默深1794-1857湖南邵陽

     《江南吟・其八
    * list of poetry     The Qing Dynasty 

        龔 定盦 龔璱人
         浙江杭州 1792-1841

       
      『平均篇
      『乙丙之際箸議
      『己亥雜詩全三百十五首
     〔七言絶句詩〕
      《己亥雜詩 百二十五
      《己亥雜詩 六十二
      《己亥雜詩 八十五
      《己亥雜詩 九十六
      《漫感
     〔七言詩〕
      《己卯雜詩自春徂夏全首
      《又懺心一種
      《常州高材篇
      《驛鼓
      《夜坐》其一
      《夜坐》其二
      《秋心》三首之壹
        
     〔五言詩〕
      《夜讀番禺集書其尾
      《又一首
      《戒詩》五章其一、二
      《自春徂秋偶有所觸拉雜
      書之漫不詮次得十五首

      《紀夢》七首之五
      《賦憂患
      《賦得香
      《觀心
      〔曲牌〕
      《端正好
      《醜奴兒令
      《念奴嬌 湘月
       龔自珍 編年校注 古典文學叢書
      ☞ 人痾芙蓉 阿片戰爭
    * list of poetry     The Ming Dynasty 

      屈翁山 屈大均 號 莱圃
       1630-1696 廣東番禺

       
      〔七言詩〕
     【屈大均詩集】七言絶句目録
     【屈大均詩集】七絶集 貮・參
     【屈大均詩集】七絶集 肆・伍
     【屈大均詩集】七絶集 陸
     【屈大均】《哭華姜百首》

      〔五言詩〕
     《哭内子王華姜》一三首
     《詠懷》一七首
     《詠古》二七首

      〔曲牌〕
     【屈大均詩集 詞牌
     《念奴嬌 湘月
      
      








    * list of poetry     The Song Dynasty

       文天祥 宋瑞 諡 忠烈
        江右人 1236-1283

       
       《劉琨
       《夜坐

       劉克莊 潛夫
        莆田城廂1187-1269

       《雜記十首》其二,其八






       元遺山 元好問 裕之
        山西秀容 金1190-1257

       
       《論詩絶句
       《孤劔詠
      《種松》 ,《出都
      《俳體雪香亭雜詠坐
      《壬辰十二月車駕東狩後





       陸放翁 陸游 字 務觀
        浙江紹興 1125-1210

       
      《夜歸偶懷故人獨孤景略
      《東籬雜題
      《雜書幽居事
      《水亭》,《八十一吟
      《卜算子詠梅







       邵堯夫 諡 康節
        范陽人 1011-1077

       
        《觀物吟
      《義利吟
      《自餘吟
      《乾坤吟二首
      《天聽吟
      《辛酸吟
      《論詩吟
      《夢中吟
      《不寢
      《洗心吟
      《晨起
      《寄楊軒
      《百年吟
      《感事吟
      《繩水吟
      《淸夜吟
      《歩月吟
      《月新吟
      《月到梧桐上吟




    * list of poetry     The Tang Dynasty

       李長吉 李賀
        791-817 河南昌谷

       ☞李長吉詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔五言詩〕
       《申胡子觱篥歌
       《詠懐其一
       《詠懐其二
       《七月一日曉入太行山
       《潞州張大宅病酒遇江使
       《走馬引
       《古悠悠行
       〔七言詩〕
       《長平箭頭歌
       《酒罷張大徹索贈時…
       《綠章封事爲呉道士…
       《酒貝宮夫人
       

       杜少陵 杜甫
       712-770 長安

       《戯為論詩絶句》其一,五
       《詠懷古跡》五首其一,二


       孟東野 孟郊
       751-814 湖州武康

       ☞孟東野詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔全詩集〕
        壹・一~四卷(宋本)
        貮・六~十卷(宋本)
       〔樂府〕    《古怨別
       《古別曲
       《飢雪吟
       《寒江吟
       《苦寒吟》
       《遊俠行
       《羽林行
       《春日有感
       《游俠行
       《偶作
       《遣興》
       《
    聽琴》
       〔七言絶句〕
       《
    登科后
       《傷舊游
       〔五言絶句〕
       《旅行
       《邀花伴
       《古恩
       《閑恩
       《喜雨
       《春後雨
       〔五言古詩〕
       《答盧虔故園見寄
       《哭秘書包大監
       《送孟寂赴舉
       《寒溪》其三,五,六
       《夜憂
       《夜感自遣
      

        賈浪先 賈島
        779-843 范陽涿州 

        ☞
       《壯士吟
       《劍客
    * list of poetry     The Six Dynasties

       庾子山 庾信 庾開府
        梁 513—北周 581 

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       『庾子山・全詩集』上
       『庾子山・全詩集』下
       《哀江南賦・序
       《哀江南賦①
       《哀江南賦②
       《哀江南賦③
       《哀江南賦④
       《擬詠懷詩
       《詠畫屏風詩
       《望月詩
       《舟中望月詩

       庾子慎 庾肩吾
        梁 487-551

       
       《經陳思王墓詩
       《同蕭左丞詠摘梅花詩
       『庾肩吾・全詩集

       江總 江總持
        梁 陳 519-594

       《橫吹曲
       


       鮑明遠 鮑參軍 鮑照
        劉宋 414?-466

       鮑明遠 鮑照カテゴリーへ直接進む
       《代出自薊北門行
       《代結客少年場行
       《代升天行
       《扶風歌
       《學劉公幹體》其一~五
       《擬阮公夜中不能寐
       《冬至》,
       《代夜坐吟》

       
       江淹江文通
        劉宋 齊 梁 444-505

       《劉太尉琨傷亂


       劉越石 劉琨
        晉 224-262

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       《答盧諶詩・序
       《答盧諶詩
       《重贈盧諶詩
       《扶風歌


       嵆叔夜 嵆康
        晉 270-318

       ☞嵆康カテゴリーへ直接進む
       
    * list of poetry     The Han,Wei,Jin


       曹操 曹孟德
       沛国譙 155-220魏武

       
       《歩出夏門行

       曹子建 曹植
       192-232陳思

       
       《求自試表》上
       《求自試表》下
       《升天行
       《朔風

      漢魏晉 建安文學 三曹


      繁欽 繁休伯 建安?-218
       《遠戍勸戒詩
       《征天山賦
      繆襲 繆煕伯 建安186-245
       《屠柳城

      漢代樂府歌辭
       《戰場南



    * list of poetry    Pre-Qin and Others

      詩賦・樂府歌辭・偈頌
       
      南北朝・北歌
      《望月》蕭綱・梁簡文
      《隴頭歌辭
      《青溪小姑歌》南北朝末隋初


    * list of poetry    Japanese modern

      小熊秀雄 1901-1940
      『小熊秀雄詩集1935年
      『流民詩集1947年
        ☞ 詩篇 TitleMenu
       

      中野重治 1902-1970
      《新聞にのった寫眞
      《兵隊について
      《噴水のやうに》《歌
      《私は月を眺め》《波》4

      金子光晴 1895-1975
      《落下傘》《湖畔吟
      《燈臺》
      槇村浩 1912-1938
      『間島パルチザンの歌』
       ☞ 詩篇 TitleMenu

      金鍾漢 1916-1944
      《合唱について
      《一枝について
      《古井戸のある風景
      《待機
      《行状
      《空山名月
      《

      黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 『國境』 『
      『』 『武装せる市街
      『パルチザン・ウォルコフ』

      田邊利宏 1915-1941
      
    ☞ 詩篇 TitleMenu

     反戦詩人☞ 詩篇TitleMenu


      富澤赤黄男 1902-1962

       

      《蒼い弾痕》『旗艦』1939
      句集『天の狼』1941
      句集『天の狼』抄1951
      《風景畫》 『蛇の笛』1952


       短詩運動 大連『亞』  
       
       
       安西冬衞 1898-1965
      《黑き城》『渇ける神』1933
      『大學の留守』1943
      《砂漠》『軍艦茉莉』1929
      《夜の思料》『軍艦茉莉
      《八面城の念力》1933
      《砂漠の行者が臥てゐると
       鴉が食物を運ぶ

       『亞細亞の鹹湖』1933

       
       北川冬彦 1900-1990
      《
      《戰爭》『戰爭』1929
      《絶望の歌》
      《壊滅の鐡道

      《風景》《埋葬》『氷』1933
      《爛れた月》《斑らな水》
      『檢温器と花
    』1926
      《泡》『馬と風景』1952






     
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    * comment
  1. 玄:Re: 青梗菜 (07/26)
  2. 玄:Re: がたおさま (07/26)
  3. 青梗菜:No title (07/25)
  4. くわがたお:No title (07/25)
  5. 玄:Re: No title (07/25)
  6. 青梗菜:No title (07/24)
  7. 玄:Re: 地獄に落ちた悪魔が一人、生き地獄に落ちた死神一人。 (07/24)
  8. 妄 言之介:地獄に落ちた悪魔が一人、生き地獄に落ちた死神一人。 (07/24)
  9. 玄:無存を競 (07/24)
  10. 包:乱発脾気XD (07/24)
  11. * list of poets & link

     中國詩について
     中國詩はもともと,象形であるところの文字を使って詠まれている。つまり西洋詩にいわゆるサンボリズム,象徴詩,と言う「様式」は既に自得している。自得してしまっている。
     それが中國詩。
     古體,近體,舊體,新體,いつの時代のどの形式であっても漢字を使う限りそこから自由にはなれない。
     こうした作法の約束ごと,いわばクリシェ表現であるが,メタファーのいくつかでも知っているだけでも,漢魏の古詩は,類推しやすくそうとうにわかりやすくなる。
     まず,膨大なアナロジーの蓄積に眩むわけだが,漢魏六朝の古詩によってメタファーを知ると,唐詩は「表徴」と言うより「表現」そのものがおおきくひろがっていることがわかる,跳躍的に,である。
     さらに宋詩には,古來の中國思想に禪定(禪那 Dhyāna ディアナ)が加わり探究されて淒みを増した思想的表現の飛躍がある。
     Impressionism,Expressionism,
    そのどちらにおいても深化がある。
     これを,真に,深く實感すると中國詩の虜囚となる


     

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