こーゆーの,防備と禁阻にな,ん,だ,ろーか①欄柵の中のヒツジ


    今朝の他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン,
    トップの一面めくって前から三頁目は,スコブル秀逸っ
    レイアウトがw

    とおもった。
    といっても,三面というのはけっこういつも面白い構成ではあるんだがw

    また。

    といっても,秀逸,か,はたまた,惡辣かと言うのは俄かに判じがたいわけだがw
    なんといっても戰爭翼賛の過去あるアサシヒンブン
    である。
    そこは注意深くリテラシーを發揮しなくてはと思うワケ。

    なんのことかというと

    今日の三面は左端が

      共謀罪に関する世論調査で。
      質問の仕方によって賛否の%が大きく變わる。
      という,いつもの朝日新聞特有の・・・いわば
      『春秋の筆法』 だが。

      テロ対策の法律整備をどう思うか,
      そーたずねりゃ,
      そりゃー賛成おおいにきまってるぢゃんっ

      という。

    ノー天キな,キ休めのハナシと

    今日の三面,右端。

      放射能汚染土,と言う,これまた朝日の読者が非常にビンカンな話柄と
      黑いビニール袋の汚染土塊がつみあがってる影像。

    その間にはさまれた記事は何か,と言えば

      例のエドワード・スノーデンの

      米國由來のメール監視システムを日本政府は利用してますよ,
      日本政府はね,米國に,
      自國の通信傍受の基地局を提供してやるかわりに,
      「XKEYSCORE」のシステムを,言う見返り供与を受けてるんですよ!

    という,ハナシ。
      
      しかも,それ,なんと2013年のことなんですねー,
      こわいですよねー,安倍政權。
      あなたのメールは丸裸なんですよーっ

    という。
    これはたしかに,汚染度や共謀罪に敏感な讀者を
    萎縮させるためのレイアウトかよ!おい,朝日っ
    とまでは・・・・
    おもわない程度には
    わたしは,朝日新聞をいちおー信じているんだがw

    朝日新聞に限らず,紙媒体と言うものには,レイアウト編修による表現手法もあってw

       ウィキリークス關連の記事など,いつもあはは,とわらうくらい,
       いや,感心するくらい巧妙なレイアウトで文脈を際立たせる。

       これは,檢索ロボット,ビッグデータ,などと言うものより,
       よっぽど原始的手法ではあるが。
       みなさん。
       紙の新聞って,面白いですよ,

    というところで。

    ついでにいえば,
    中國には,

      万里の長城と言う名のファイヤー・ウォールがあるがw
      その効果が,國家にとってどの程度の大きさか知らないが。
      中國人民にどれほどの不便を強いているかしらんがねw

    中國には,

    古來春秋戰國より,
    お上によらない,民による野,の組織という,
    在野に民衆による強固なつながりと,それを組織する “俠”
    の文化がある。

    “俠” の定義はいろいろあるが,
    たったひとつ,これだけははずせない,という条件がある。

    それはなにかといえば,

    反官,反體制,反壓制,反おカミ。

    そこをはずしたら,俠ではない。
    “俠”

    とはなにか?
      
       え,またこの話になっていくの?
       と,パオ君には
       ヘキエキされるかもしらんが

    そしてだからこそ,
    最古の農民革命といわれる,陳勝(渉)、呉廣起義

    そこにおいて,端的に示された,

    「人類平等,主権在民。」

    この理念を最初に高らかに宣言したとも言われる(かどうかまでは責任もてんが)


    陳勝的名句,いわく,

     王侯將相寧有種乎
     王,侯,將,相いずくんぞ,種の,有らん乎!?


    王族,諸侯,將軍,大臣,に何か人種,身分のちがいがあるかね?

    ・・・・・。

        いやw
        今のニホンを見てると王侯は
        万世一系,政治家は二世三世,
        大女優の息子はバカ息子,
        ビンボー人の子はビンボー人という貧困連鎖

        うん,種,あるねw あるぢゃんっ

        といいたいところだが

    紀元前3世紀。

    秦に抵抗し,大漢を樹立するきっかけとなった楚漢戰爭の幕開けである
    以來
    近世,太平天國,辛亥革命,人民革命にいたるまで中國では,
    農民革命,民主革命は,
    かならずや, “俠”のリーダー によってはじめられた。

    “俠” とは何か。

    とそれは。
    ひとまず次回の「最初のテロリスト」のハナシに譲るとして

    リーダー一人いたところで,それは畢竟
    リーディングヒッター,先頭打者にすぎない。
    つまり

    鄒容の言葉を借りれば,
    “革命軍馬前卒”

    革命と言う洪水民軍の前驅(さきがけ)をなす馬前の卒,一兵卒にすぎない。

    しかし,
    そもそも,
    ひとりではない,その他大勢が,住まう,棲まう。
    棲遲する,野,在野,
    民が隱れるコーリャン畑,高莱。

     萬家墨面沒蒿萊,敢有歌吟動地哀,
     心事浩茫連廣宇,於無聲處聽驚雷


    的 “野” ,というものが中國大地には三千年来ある,ということ。

    つねに官と,對峙する廣大な, “野” の存在
    があり,
    ときとしてそれは
    法,と對峙することにもなりかねない。
    という
    歴史があった。

    法。
    たとえば。

     

    これを“水”“去” すると考える。

     法馬と言う言葉を,御存じだろうか?

     もしくは“砝碼” だ。

    じつは, “法”“砝” は異體字である。
    つまり,古には,同字,どっちをつかっても通用する「字 “體” 」ということになる
     
    “法” の原義はなにかということは
    想像つきやすくなるとおもうが

    たとえば。

    漢字は象形文字。

      日本は,
      自國民のメール監視システムはアメリカに提供してもらう,とゆう
      
    まあ,アメリカ属州とおもえばそれはべつにあたりまえ
    いわゆる
       「利のトー然」でしょ,
       今でしょ,
    なわけだが。
      
       民の“禾” 稷を“刀” で刈ると書いて,これを
       “利” ,という

    そもそも
    漢字と言う象形文字は,そのほとんどが日月火水木金石土天地人と心
    人體手足,目鼻,パーツやら,草やら芽やら蟲やら,で,できてるわけでw

    民の側の“利” にもなり,お上の“利” にもなるところの,“禾稷。社稷”
    “ 社會”の原義は何か,ということもいつだか書いたが

    “社” とは土の利を諮るもの,リーダーである,その利益合致した状態を “會” という

    その一文字には深い哲學がこめられていることをしり,
    なおかつ漢語をリスペクトしている人間には頗るカンタンな
    ハウツーによってたぐりよせれば,。

    “法” fǎ         
            もしくは“砝”,とは
            
            であると,
            段玉裁『説文解字注』にいう

            “廌” 去之意。法之正人、
            如 “廌” 之去惡也


    つまり法,とは。
     以觸不直者

    重り(錘)のことであり, “量り” のことであり

    ちなみに

    “段玉裁『説文解字注』によれば
    閑,の本義は 闌。柵 引申していわく,
    “防閑”
    つまり
    “堤也, 用于制水。
    あるいは

    “欄也, 用于制獸。
    引申して防備と禁阻を為す。

    つづく



    安西冬衞《夜の思料》




    どーでもいーが。

    これから「詩」を付け加えることにしてるのだ。

    アカの文言ばかり書いてると,
    逃げ込みたくなるのである。
    なにに?
    詩に。
    そして。

    自己の “闌柵” のなかに。
    闌,にもいろいろないみがありましてね,という


    のっぺらぼうの話を聞いた子供のころ,幾日も幾日も
    怖くてコワくて夜眠れなかった,
    明日の朝起きると,
    母親が,姉が,のっぺらぼうになっているのではないか。
    ・・・・・。

    そんなときにも。
    父親の,のっぺらぼう,な姿というのは
    わたしは,おもわなかった。
    なぜかおもいいたらなかった

    「孤獨」を,
    いや,
    「孤單」を
    わたしに最初におしえてくれたのは
    父親だったからかもしれない。

    もちろん,父親が,わたしに,
    個 “體” として生きる知恵を

    授けようとしてくれた
    その想いの結果,

    “一” ,と “全” のちがいをわからせようと,心砕いてくれた結果だった,
    と,いまにして,おもうが。

    端的に,わたしが疎外感を覺えるのは, “女” 性によってで有る,と言うのも。
    これまた否定しようのない,過去と現實であるが

    ・・・・・。
    ・・・・・。



    世の父親!世の野菜オヤジ!
    Anything,Anywhere。

    娘に語れ!
    そして
    something else と,
    Anywhere ,not Here を!



    孟郊《春日有感》

      春日有感》 Chūnrì you gǎn 

    雨滴草芽出  Yǔdī cǎo yá chū   雨が滴りて草芽出ずる
    一日長一日  Yī rì zhang yī ri     一日,長じまた一日
    風吹柳綫垂  Fēng chuī liu xiàn chuí 風吹きて柳綫(線)*垂れる
    一枝連一枝  yī zhī lián yī zhī     一枝,連なる,また一枝
    獨有愁人顔  Dú you chóu rén yán  獨り有り,愁人,愁顔
    經春如等閑  jīng chūn rú děngxián 春を經て(我は)等閑*
    且持酒満杯  Qiě chí jiu man bēi   且,持つ,酒は満杯
    狂歌狂笑來  kuáng gē kuáng xiào lái 狂歌,狂笑,來(らい)


     廣韻入聲五 出日     上平五 垂枝
     上平二十七 顔閑     上平十五 杯來

     *柳綫=柳の葉の細く長い下に垂れて線のような様子
     *等閑=等(閒)↓


    東野風狂,漢古佯狂
    孟東野の等閑・・・・・。

    年がら年じゅう,寒い,みたいな男が歌う春のうた。
      
    やはりこのヒトの詩は・・・・ 重いっ。クラいっ
    が,わらわしてくれるのだ

    等閑,もしくは,等閒

    等閑は等閑(なおざり),と。

    非常に意味が愽い。
    日本語では,なおざりにされてるっが

    感性,時季,といったものにさえ左右される,もしくは應變する。
    かっちりと意味づけされる言葉ではないと思う。

    この《春日有感》の“等閑” は,理由なしの意味が,私には一番しっくりと來た。
    平白無故,である。
    無端すなわち,無縁無故にして。 no reason である。
    憑空,なんていう “没有證據”,あかしが無い,の意味もある。
    ほかに尋常,平常=ordinary,あるいは平穏無事
    まあ,
    べつにどれでもおかしくない。

    まとまりすぎてしまってもいけない,
    収斂されているべきものがみえなくなってしまってもいけない。
    それが,詩。
    であるからには。

    春を經て。意味無く,理由も無く。
    おのれには無縁の “春”,ただ,酒を呑むのだ,歌うのだ


    孟東野の場合,フクザツな個性が狙う古拙,とどうも思われてるフシもあるが,
    わたしはそんなことないのではないか?
    とおもっている。

    古拙な響きに,やはり正直な心象をうつす。隠し切れない。
    いくら隠そうとしてもwシッポがでてますぜ,

    とゆうぐあいに
    おかしみを感じてしまうのはたぶん孟東野迷だからに過ぎない
    ・・・・
    思い過ごしにスぎないんだとは思いますけどね

    “枯” の “裝いをねらう” も
    というか・・・・,
    佯(いつわ)るも”,が
    より嚴密な言い方かも知れない,

    おのれのナサケナイなさ,ふがいなさ への
    直截な “悔しさ”が
    にじみ出てしまっている,

    “涸”

    びんぼーくさい辛気クサい,に,ほぼ同義。

    東野の詩才wが,不作法にも,よく顕われでていると思うわけ。
    顔,閑の音韻も,にくらしいくらいキいている

    ちなみに。
    段玉裁『説文解字注』によれば

    ,の本義は 。柵 引申していわく,“防閑”。つまり 堤也, 用于制水。
    あるいは欄也, 用于制獸。 引申して防備と禁阻を為す。  

    ふむ。

    等閑などとゆう言葉を平氣でつかうくせに,なぜに,せせこましい檻の中?。

    “涸”

    ふむ。
    つづく

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    こーゆーの,キョウボウ罪にアタイする,んだろーな②最初につかまるヤツは

    キョーボー罪=

     市民社會に著しく害なす,が,共謀しない,一匹狼の,
     兇暴なテロル準備行動計畫は取り締まれないものの,

     安倍政權に著しく害なす,共謀する,平和な羊の群れの,
     内心の自由を監視,而して萎縮させるための,便法。
     
     さらには微罪で拘引,拘束而していくらでも長期に拘留,を
     國家の胸三寸で可能にするツカイカッテのいい「治安維持」法




    今朝の他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン,
    半藤一利氏がちょっとキのきいたこといってたな。

    「アベん坊が,法律ができなければ,
    『東京五輪は開けないといっても過言でわない』,
    とか,コッカイよーちえんで答辯してたが,假りにそれが事實だったとしても,わずか
    二週間程度のイベントのために一百年先まで禍根を殘すことがあってはならない」

    だって。

    そりゃそーだ,
    とわゆへ
    たしかに一見その通りなんだがw

    よくよくかんがえてみる,ということを,すれば,だ。

    そもそも,
    ・・・・・。

       そもそも,とは,これまたアサしヒンブンにかいてあったが,
       アベんぼんぼんの辭書には
       「そもそも=基本的に」,とかいてるあるらしい

    そもそも,もとより,上古以來。

     「おりんぴっく」ナルモノ,
     コレ金色めだるヲ數多ク獲リタレバ國威發揚二資スルコト大ナルニシテ,
     ココロアワセテコレヲササエルベキハ帝國日本臣民タルノ責務ナリ,
     ノミナラズ不當二ワガ帝國二敵対セル夷狄ノ國ノ五輪出場體育選手
     ヲホメタタエルコトヲ為スハ治安ヲ著シク攪亂スル目的ヲ,ココロノ内ニ
     秘メタルモノトシテ排斥スベキモノナリ,トテ圍繞シ監視スベキハワガ帝國
     臣民ノ日日勵ムベキ二タルベキ必要ニシテ十分ナル条件ニシタルベクニシテベクニタルベキ・・・


    一萬萬民「一億總カツヤク國家」サポーター。
     
    いつだったか,
    ずいぶんまえだな・・・・。

    コッカイようちえんの代議士に轉身してすっかり忘れ去られてしまたが。
    かつて,
    ヤワラちゃんがまだスポーツ選手だったころだ,

    北朝鮮からやって來た無名の一少女に
    スカッとする一本を取られて金メダルを攫われた,

    たまたまテレビでそのようす,試合の一部始終を目撃したわたしは,
    その技の冴え,見事なサマもさることながら,
    北朝鮮の少女の礼儀正しさ,すがすがしさに,
    わたしはおもわず,

      「さすがわ儒教の國だなw」,

    と。驚歎して讃辭の聲をあげた。

    亂れた柔道着の襟を正すこともできず,魂消たようすで
    その場にボー然としてたちつくすヤワラちゃんには,

      禮節がないな,

    と感じられた,
    そのときはじめてヤワラちゃんをみたわたしの素直な感想だったがw

    そのことが原因で當時付き合っていた彼氏と別れ話に發展する
    深刻な口ゲンカをしたのだったw

    ヤワラちゃんに
    “武” ,を感じなかったのみならず。
    いまにしておもへばw
    それはとりもなおさず,日本に “文” のないなさ,を痛感する瞬間,であった
    と言うワケで,

      (ちなみに,その元カレは巨人ファン,長嶋茂雄が大好きな男だった)
      (カネモチだったがアホだった。)

    そもそもが付き合ったのが間違い,
    という,よくあるカン違いから,とゆーやつで
    どーでもいーんだが

    いや,なにがいいたいかというと,
    まだ時代は,「なんとなくわたしは中流」意識と言う意識がそのあたりにただよう,
    社會の分斷もあらわでなく。
    わたしはそのころ非正規ではたらいていたが,
    非正規派遣のほうが,手取りが多く,

    「正社員なんかなると手取りが安すぎて,責任だけが増えやっていられない,わ。」

    日本の空キが嫌韓反中に染まる前。

    いや。
    わたしは,なにがいいたいかというと。

    最近も

    淺田真央ちゃんより,斷然,金妍兒のほうがきれい。
    演技も素晴らしいぢゃないか?,という素朴なハナシを許さない空キがあったが。

    此れもわたしは。
    ・・・・。

    マオチャンの,樂音の流れも前後の脈絡もおかまいなしに
    トートツにジャンプする,とりぷるあくせる,より,
    金妍兒ん,音樂にノって,流れるように高く,強く,速く,遠く,
    飛ぶみごとなジャンプ(なんとゆうワザかしらないが)のほうが,
    「審美的に美しい」とゆったらば,
    村八分にされかかったw

    と言う記憶がある。

    當時わたしがやってたサイトのチャットでw
    そのとき,わたしを唯一辨護してくれたのは師弟のぱお君だ。

    世故にたけたオトナびた口調で,
    本人イシキしてかしないかわからんが・・・・仲裁能力を發揮した
    いわく
    「金妍兒は,もともとジャンプが苦手で,ワイヤーを使ってとぶ練習をしたらしいです」

    ユエンウーピンのワイヤーワークは,香港映畫においては,バカバカしさを果てしなく増幅させるテクニックとしては重要だが
    リアルカンフーを追求する武師(アクション映畫の武術指導)が,やたらつかうのはいかがなものか,と言って論陣を張ってるわたしの興味をさそって,うまく話をそらしてくれたのである。

    案の定,というか,

    そもそもが。
    もとより “韓流” をよくおもわない “華” 流,それも「港台派」の人たち,だ
    いや。
    ぢゃなくてw
    香港映畫オタクの集まり,だ,べつにフィギアスケートなどどーでもいい。

    チャットの話柄は金妍兒からチャン・ツイイーへと移っていき・・・・
    チャンイーモウは「大陸派」のくせにワイヤー使うな,とかw

    くだらんことまでおもいだして
    ダラダラだらだら書いてたら

    ・・・・。
    なにをかこうとしてたかわすれちゃったw
    そう,最初の「テロリスト」はだれか,というはなしだった

    つづく

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    こーゆーの,キョウボウ罪にアタイする,んだろーな①

    キョーボー罪
     市民社會に著しく害なす,が,共謀しない,一匹狼の,
     兇暴なテロル準備行動計畫は取り締まれないものの,

     安倍政權に著しく害なす,共謀する,平和な羊の群れの,
     内心の自由を監視,而して萎縮させるための,便法。
     
     さらには微罪で拘引,拘束而していくらでも長期に拘留,を
     國家の胸三寸で可能にするツカイカッテのいい「治安維持」法


    しまいにゃ死人もでるかもな,とゆーのは
    帝國日本の歴史がモノガタッテルトコロデアル,

    そーいやかつての治安維持法制定者の子孫は,たしか・・・・
    安倍政權内,中樞にて,辣腕ふるっておられるよーだが

    ・・・・。 
    すでに沖縄ではフライング,
    つい最近も・・・・
    ハナハダ不当な,半年にもおよばんかという拘置勾留の實例がありますが。
    ☞ 抗議中に逮捕 一本のテツジョーモー損壊でなんと拘束5カ月

    これは,
    國際的にはあたりまえに注目され,本土ではなぜか注目されなかった,
    國家による言論彈壓に限りなく近い,蹂躪された人權モンダイ事案だが。
    ・・・・・。

    ふむ。
    本日
    今朝のアサシヒンブン,

    慰安婦關聯文書19件を提出
    内閣官房に公文書館。『部隊命令』證言も

    慰安婦問題に關する戰犯裁判資料などの文書19件182点を國立公文書館がナイカクカンボウに提出したことがわかった。
    部隊の命令で女性を慰安婦として連れ込んだとの證言も記され,
    市民團體が,
    「強制連行を示す記述が随所にある」,と
    キョーボーして)指摘していた。ただ,内閣官房は「全體としてみると強制連行を直接示すような記述は見當たらない」として従來の認識を變えていない。

    文書は法務省が收集した,極東軍事裁判<東京裁判)やBC級戰犯に關する資料。
    オランダ領東インド(現インドネシア)でオランダが日本兵らを裁いたバタビア裁判の記録や,法務省による調査報告書などが含まれる。

    インドネシアの『ポンチャナック裁判一三號事件』では,ある日本兵に對する判決文に,「慰安所を入れて賣淫を強制」,と記されている。

    「バタビア裁判二五號事件」には,インドネシアの日本海軍特別警察隊元隊長が,戰後,法務省の聞き取り調査に「二百人位の婦女を慰安婦として部隊の命により,バリ島に連れ込んだ。」と證言した,との記述がある。

    キョーボーして)文書の存在を知った市民團體「日本軍『慰安婦』問題解決全國行動」が,2015年,政府の慰安婦問題再調査に必要と(キョーボーして)指摘。
    公文書館が今年二月三日,コピーを内閣官房に提出した。

    安倍政權は軍のカンヨとキョウセイセイを認め,お詫びと反省を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を繼承する一方,第一次政權時代の07年,に,政府が『發見した資料の中には,軍や官憲による強制連行を直接示すような記述もみあたらなかった』との答弁書を閣議決定している。

    政府は河野談話発表までに慰安婦問題に關する文書236件を集めた。93年以降も今回を含め,81件の文書を收集している。

    149243912235_20170417.jpg

    (20170417) 17日に公開された「バタビア裁判25号事件」の記録。


    秘密の反古法というのもあったっけ。
    しかしさー。
    あれだけ時間かけて,ショーコはない
    と。言いきった割に。
    236件w
    「93年以降も今回を含め,81件の文書」
    というからには,今回19件だからw

    93年以降,ゾクゾクと集まっている資料,發見されてもうた資料のなかから。
    なんと62件しか收集しなかった,ということ,な,の,かw

    海外の識者・歴史研究者から

    「これで精査?」
    という失笑をもらさしめた,
    「足りないよなー, ま,ヤル氣ないんだろー,日本政府。」

    敗戰後70周年2015年の自慰史觀陣營の手慰み,一連の自瀆行為,だが。

    今のニホン社會の
    實證的態度をきらい,論理性を憎む社會ができあがったのは。
    1990年代。

    戰爭加害の實態を示す數數の第一級史料,第一次史料,同時代資料があからさまになっていった過程に起こった,ある種の
    ・・・・・
    なんという言葉が適切か,さんざん考えたが思い浮かばないが

    ニホンジンりべらるの幼稚化現象,といったら,サンザンなハンパツ食らうだろーが。
    嫌「論理」惡「いでおろぎー」な,
    「M K」は「KY」症状とでもいっとこうか
    (「メンドクサイこと考えるヒト=MK」
    ・・・・。
    ・・・・。

    そもそも終戰直後。
    軍部はもちろん行政府は,といえば。

    帝國日本人民,在外居留民のホゴそっちのけで
    みられちゃハナハダまずいヒミツ文書の反古に全精力を傾けていた,
    内地,外地を問わず,である。
    いや血道をあげていた

    敗戰直後,外地でニホンジン居留民が現地の民の襲撃に遇うなか,
    おカミがやってたことは,ひたすら公文書の焼却
    非人道的施設の毀壊,埋匿・・・・

    内地でも。
    ヒロシマナガサキそちのけで,
    大元帥ヒロヒトとその他戰爭指導者の名譽を守ることに汲汲として

    各部隊各行政機關は・・・・ひたすらショーコ隠滅にはげんでいた
    しかし,なかには・・・・。

    戰爭当事者,指導者の部下が「内心の呵責に苛まれながら」,
    死ぬまで,隠し持ってきた文献資料。
    部隊の命令に背き,命がけで外地より持ち歸った◯秘文書・・・・

    ショーコはけっこうあった
    ,ようであった
    これらの,
    帝國の所業を昭明し,證明しつづけるはずだった,第一級資料は,

    我我の,「戰爭忘れたい平和國家主義」者のムカンシン忘却志向を刺激せずに。
    我我に,なんの示唆もあたえること無く埋もれてしまった・・・・

    こ-したKYな文献資料。「戰爭こりごり平和主義者」日本人の邁進する
    『平和主義國家建設』に水を差す,

    ―ーこの水は先の頁でいえば,「水に流す水」ではないw,
     ヒロヒトの車に投げつけられた壜にはいった水であるがw――

    あまたの・・・・
    反古されずに保護されてきたマル秘資料,
    結局日の目を見ずに幾多の行李にしまいこまれたまま,
    忘却されてしまった

    ・・・・。

    しかし。
    1990年代,
    つまり,丁度,戰爭當事者の世代が黄泉路をゆき始めたころ
    遺族がそれを知らずに分散させる,
    中身を知り,研究者に寄贈する
    中身も知らず,業者に委託する
    古書店を通じて研究者が入手してまう,ということもままあった,
    いや
    數おおくあった
    1990年代。

    天網恢恢,疎にして漏らさず

    歴史のアヤ,
    ではあるんだろーが。

    關東軍,帝国陸軍の滿蒙アヘン謀略,細菌戰,かずかずの恥ずべき所業
    戰後,それまで
    聲をひそめてかたられる 『ウワサ』 にすぎなかった,
    なかには酔った紛れにかたられる 『武勇伝』 としてかたられてきた
    「民間伝承」オーラルヒストリーは。

    ジツは戰後たゆたうごとくに,暗闇に,確かに有り,存り在った記憶,ではあったそれらが
    内外の歴史研究者によって,精緻に檢證され,議論され,ついには學術的に證明され,
    (これらの過程を, “實證される” ,とゆーのではないかとおもうが,)
    そしてのち,しかるべき手段で,われわれや,世界に向けて,發信され
    “實證的” に公開されていった,「學術的に檢證せられた事實」
    (アカデミーの權威を,盲信的に肯定するわけぢゃないがね。)

    これらをナキモノにしよう,ナカッタコトにしよう,と心砕いたのが
    いわゆる
    ネガシオニスト,り びじおにすと
    日本語ではなぜか
    自慰史觀論者とは言われず,なぜか修正主義者と言われてしまう

    ザ・アノヒトタチ

    それらが雨後のタケノコの如くゾクゾク頭角あらわしたのが1990年代前半であった。
    わたしはよく覺えている。

    確かに「帝國日本の戰爭加害」は完全に實證的にあきらかならしめられたのである

    しかし。
    ・・・・・。
    またまたおなじくりかえしになるがw
    りべらーるなシミン社會は,「戰爭こりごり平和主義者」は,
    この白日の下にさらされた1990年代以降なにをし,なにをしてこなかったか,
    という,ことだ,

    りべらるな次期コクミンの統合象徴職を “奉戴” するらしヒロノミヤ氏は

    日本の單なる,象徴,とモッカ,モクされる “皇上” モドキ となりはてるか
    いやいやイキガミ様が憑依して,アラヒトガミとなられたもうのか

    マレーシアで,ニホンジンとして反省や謝罪を口にするはおろか
    先の大戰にイササカもふれることなく恬淡として愧じることなく御公務をおえられたそーだが。

    仰不愧於天,俯不怍於人
              ――孟子『 盡心上』


    ぜひとも次期ホワンシャン(皇上)職には,
    アベん 某 のようなホンチュン(昏君)には,なられたもうなと,
    ネガいたてまつるんばかり,なのだが。

    ついでに,
    ブツクサをはてしなくつづけてまうが。

    「象徴天皇」前職は

    上皇(しゃんほわん)

    となるらしい。
    (って。しかし。考えてみたら スゴいニホンゴだよな)

    はたして,天の上に上はあるか?
    哈哈。
    母上の上には祖母はいるがw
    母なる大地。
    照覧せる天帝とは, “天” そのものである
    監照下土,天下戴之,此謂上皇
              ――『莊子』《外篇・天運》


    イキガミ様などいない。

    もとより,ニホンゴに論 “理” 性はないのであった
    M K。

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    天自得一③ “用と體”  物化とはなにか,此之謂死,


      先走春坤   Xiān zǒu chūn kūn 

     蝴蝶泛消浮     Hú dié fàn xiāo fú
     左魂右魄奔     zuǒ hún yǔ pò bēn.
     跛老杖先逃     Bǒ lǎo zhàng xiān táo
     午睡光弄痕     wǔ shuì guāng nòng hén.
     
       跛老の杖,逃げる,先行奔馳 

        平聲八  奔昏 
         *坤=西南,女性,坤母(地,火)

          2013 0414
      

    haru-tyou.jpg


    明者,光之體。光者,明之用也。

    つまり明,あかるいというとき,光源と云うべきは,その “體” であるが,
    その “用” としての光あるがため,明るさとは,照らしだされて明るさ,というものがあることになるかもしれない
    日月について,邵雍詩,からもわかるだろうこと,これはほぼ孟子とかわらないことをいっていて,なんらあたらしいものごとの規定はしていないはずだが。

    邵雍は宋代のひとである。ということを十分に感じさせてくれる,
    これは,宋詩のゆたかさをそのままあらわしているのだろうけれども
    孟子と邵雍のちがいが,すなわち,思想,と詩のちがいだ,とまでいいきるつもりはないが,
    多くの示唆をあたえてくれた。
    もちろん,思想,詩,その兩方に於いて,である。


    邵雍《幽明吟》

     幽明吟  Yōumíng yín

    明有日月   yōumíngrì yuè      幽明と日月(明)は,
    幽有鬼神   yōu yǒu guǐshén   幽には鬼神有り
    日月照物   rì yuè zhào wù      日月とは(本來)物照らすのみ
    鬼神依人   guǐshén yī rén     鬼神とは(本來)人に依る

    明由物顯   míng yóu wù xiǎn   明はゆえにモノゴトを顯らかにす
    幽由人陳   yōu yóu rén chén    幽はゆえに人が陳(なら)べて見せる
    人物不作   rénwù bùzuò       人,物,何もなさぬなら
    幽明何分   yōu míng hé fēn  幽明何の分かれるところ(あろうか?)




    まあ意譯,我流であるが,こういうことだろうと思う,邵雍の謂ってることは。

    すこし前邵雍の《至靈吟》と言うのを紹介したが。
    これも身もフタもないw詩だった。

    《至靈吟》 邵雍


     至靈吟  zhì líng yín    

    至靈之謂人  zhì líng zhī wèi rén    靈に至らばこれ人と謂う
    至貴之謂君  zhì guìzhī wèi jūn     貴き至らば之れ君という
    明則有日月  míngzé yǒu rì yuè    明はすなわちこれ日月有す
    幽則有鬼神  yōu zé yǒu guǐshén  幽はすなわち鬼神を有す



    天雖至神,必因日月之光;地雖至靈,必有山川之化 ――班固

    たぶん邵雍はふざけているわけではないと思うのだw
    至靈とは,
    ムリヤリな よみ下しを付けたが,
    霊妙,窮まれば,という意味
    つまり人という存在はそもそも靈が極まったものだろうとナゾなことをいう

    “貴()”い,のが極まると “君(20C6D.gif)” というではないか
    明るいというのは,すなわちこれ日月を有すからじゃないか
    幽(くら)いというのはすなわち,「鬼神」を有すんだろう?

    これは,佛敎輸入以前の德義w「字解」と,「みもふたもなさ」をつかって,ブツクサつぶやいている,のだ。 

    とは言いつつも深く心を打つのは
    認識,というものの,觀方(みかた)のノウハウをつたえて至言だ,
    と思うからであるが。

    こうした,邵雍の詩を讀んでみてはじめて理解できたことはおおい。

    儒學をモノゴトの觀法,としてかんがえてみると。
    つまり,あれこれ觀相して考えるのが哲學的思想だが,その思想はツールとして,物のみかた,とらえかたの方途をとらえる近道,である。
    日本では
    孔孟は,德義や禮儀を訓示する目的ばかり強調される,もしくは處世術,教訓としての側面をみるが,
    そもそも,

     萬物照應や天地の理からはじまった,觀相

    である。
    孔孟を讀むと,そのノウハウを語る以外にものすごく膨大なわけのわからん世界觀が示されていくので
    とっつきにくく,ドン引きする,
    そのてん,『莊子』は初めから讀む人が哲學思想としての構えで入っていくからまだ,いい。

    『莊子』のそのむずかしさも,ナニについてかたってるのかがわかっって讀めば,

    「さては深遠なものだな,これは」,

    くらいの感想を持つが
    孔子孟子は,人にやたら説教して徳義礼節を説くもったいぶったカンジ惡いヤツとなる
    天地のコトワリは大仰なイヤミのようなものになるw

    そもそもニホンジンにとって,觀相術としてかたられる儒生のことばが,途端に難しく感じる,これは
    漢語の文字の不理解から端を發している場合もあろうかと思うものの

    ・・・・・いまきづいたが,無理解はすぐヘンカンできるが不理解が「フリカい」になるのはなぜだ?フリカってなんだ?
    ふむ。

    ・・・・・。
    どーでもいーんだが。
    不~というとき ~が形容語,であるときはすぐヘンカンできるがそうでない時結構出てこないキがする。
    キのせいだろうか?
    ちなみに無理はでるが不理は出ない。
    不解。
    半解,無理解は出るが。

    無思慮は熟語でヘンカンできるが不思慮は,不,ヘンカン,思慮,ヘンカン。

    ふむ。

    これまたおかしな《思慮吟》

     思慮吟  Sīlǜ yín

    思慮未起   Sīlǜ wèi qǐ     思慮未だ起きざるは
    鬼神莫知   guǐshén mò zhī   鬼神知ること莫し
    不由乎我   bùyóu wǒ       我(自身)に由らずしてあることあるや?
    更由乎誰   gèng yóu shuí     更に由る,とはもともとは,誰にや?

    Syouyou-siryogin.jpg

    此れも我流の意譯,になるが。


    すごい詩だな。ソショク(蘇軾),キョージチン(龔自珍)の “憂患” に匹敵する。
    とはいえ邵雍の凄さは “思慮” と “知”の “主客” をも逆轉させてしまえるということだろう

    日本の儒學のハウツー本をめくってもイワ感ばかりつのらせていたわたしは,邵雍の詩を讀むまで,自分が(ひょっとして日本人の多くが)孔孟を誤解していることに氣づかなかった。
    世界を觀相するのは,古來思想家の役目だが。
    そのノウハウも,どこの世界でも,つたえられている。
    つたえきるコトバをもっている,ということでもあるが。

    しかし日本で,儒學というと,素朴な世界の照應,觀相をはなれ,なにかと,權威や,尊大をイメージさせる
    もったいぶった,説教がましさ。

    儒學がジツは天地を語ってものの見方を授けているとは,かならずしも,よくつたえられてないし知られてない,
    西洋哲學や洋の東西とわず宗教思想ほど,現代の日本には,浸透もしない。
    素朴な解りやすさ,は,人がそれに從うかどうか,という,ハナシにすりかわり
    民に行使しうる,使役させる影響力としての,道徳的統治のノウハウばかりが注目されるが

    禮儀や説教じみて,君子とは,「子曰」,という “オシツケ” がましい「道德」の教え,
    しかし,これをちょっと離れてみると
    驚くほどわかりやすい天地の理が示されていることにきづく

      (いってることは,『莊子』や馬鳴三藏とちがいはない,骨格。
      つまりだからこそ,孔孟,『莊子』老子,と,禪定の融合がなされ東洋思想,
      というものがおおきくできあがった,仕上がったともいえる。)

    ま,どうでもいいことだが,
    孔孟のいってることは,西洋哲學思想となんら變わらぬ根源的な,IDÉE イデーである,
    と實感,いや 「“體” 感」した邵雍詩のことば(詞)

    邵雍が,なにをいってるか,おそらく 「 “オシツケ” はイカン」論者にはわからんだろーが

    天意吧人法地,天意乃民心

    ところで
    小さいレベルでの異質をみとめつつ,大きく同じところを志向する,

    民主主義のむずかしさ,ということでもあるが,

    なぜ,日本人一人一人が民主すなわち, 「 “ 體” である民が“主”」 という言葉を理解するのが難しいかといえば。
    小さい異質はまず,ハナシにならんほど尊重されない,という “前提” があるからだとおもっていたが。

    まず,前提は世間體や,常識という共通の「正しい認識」があって,そこに異を唱えるというかたちで割り込まなければ,前提がナニカかということをふまずにつづけられる会話というものがある。
    その会話に前提は何か,という疑問が整理されないことはおおい。

    ラディカル,根源的なこと,というのは日本では議論しないでも,なんとなくそこに在る。
    いや,デンとして居座りつづける。

    正常なもの自明のことは議論する必要もない,という態度が生まれきたる,

    この,議論できようはずもない不毛の土壌に,楔の入れようがないことを感じる時があるが
    そこから

    世間が絶えず發する饐えた常識,世間テイ,KY排斥,ドウチョウアツリョク
    というものもおこるんだろうが,狭さ,偏狭なのは,
    もともと「ある」前提を,問題視してしまうこちら(わたし)のほう,,ということになる

    このような “體”(つまり, 主體だ・・・・)の態度で,前提が覆った時
    覆った,と言う事 “態” を,・・・・・・觀てかんじられるんだろうか?
    認識できるのだろうか

    ようは,前提がナニカを設定せずにいくら議論しても議論にならない,にもかかわらず
    その前提を提示することのむずかしさが,民主,という言葉を理解する阻害になっている,
    ということでもあるがw

    もともと
    「民が主であること」が前提であるというデモクラシーは, “體” のありどころは,正しく “主” の位置に,
    (Not,義しさ),(つまり正確な、位置にゐることだ)存在するべきものであるはずだが。

    “前” 提はナニか? “後” にくるのはナニか?
    “前提” の對義語はナニか?
    そもそもw

    Pre-の逆はPost-ではなく,Meta-であったりNewであったりする消息を
    嚴密につたえ得る、表し得る言葉を日本語で見つけようとすると,とても難しい

    陳洪綬邵雍《自餘吟》

      自餘吟   Zì yú yín

      身生天地後  Shēn shēng tiāndì hòu  身は天地の後に生き
      心在天地前  zài tiāndì qián.    心は天地の前に在り
      天地自我出  Tiāndì zìwǒ chū     天地は我より出ずる
      自餘何足言  zì yú, hé zú yán      自餘,何を言うに足らん

      自餘=爾餘 このほか



     これが天地と體用,
     天地體用有無用

     盡(ことごと)くす,と,盡(つ)きるもの,の盡のちがい,ということになるだろうか
     どちらがどちらかは,どちらが前に有るかによって變わりうる,だから相對,である
     ということで, 
     
     絶對と絶體のちがい,ということにもなるだろう。
     用は絶やすが,體は絶える,ということかもしれない

     漢字でなければならない,解(わか)り得ない,つまり,解(かい)し得ないのである

     天地與我竝生,萬物與我爲一 ――『莊子』

      天地,我れと竝び生じて、萬物も我れと一たり


     では,物化とはなにか。
     死,のことであるが ―― ,  “土一塊” 化,であろう,
     すくなくとも
     『莊子』においては,そうである

     物化 Wù huà

     是一種客體化(即對象化,objectify)的過程,
     あるいは,
     透過社會分工來區分物我,
     也就是把某些東西當作勞動的對象
     ともなるw
     が,

     もちろん物質文明の否定,とかいう下世話なハナシでなく

     無化 wú huà
     のハナシ,というわけでもないが
     主客,主體と客體のハナシ,つまり東洋思想の體と用のハナシは
     
     西洋の “絶對存在” を動詞化することで “相對化” できる,という
     わたしの理解はそういうことだが

     これを和ことばで説明しようとするとき,いくつかの,ニホン語にはない,概念,
      あきらか” に日本語には足りないものがある,
     と言うことにきづかされる
     日本語では, “明(あきらかに,正しく)確” に表しづらい,ということを,
     思い知らされる




     夢飲酒者,旦而哭泣,夢哭泣者旦而田猟,
     方其夢也,不知其夢也. 
     夢之中又占其夢焉,覺而後知其夢也.
    ――『莊子』


    soujihudie-6.jpg


     これを言いかえればこうなる

    《夢中吟》邵雍

     夢中吟     Mèngzhōng yín

    夢裏常言夢 mèng lǐ chángyán mèng   夢裏,常に言はん,夢,
    誰知覺後思 shuí zhījué hòu sī.   誰や知らん?覺めて後の思いこそ
    不知今亦夢 Bùzhī jīn yì mèng       夢。今,亦,夢や? 知らず。
    更説夢中時 gèng shuō mèng zhòng shí 更に説かんとすは夢中の時(言)


       我流で意譯。間違いはご指摘ご教示を



     さらに,言いかえればこうなる

     昔者莊周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
     自喩適志與。
     不知周也。 俄然覺、則蘧蘧然周也。
     不知、周之夢為胡蝶與、胡蝶之夢為周與。
     周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
    ――『莊子』


    ・・・・・・・・・・。

    生,を思うとき,
    そのもっとも具象化された姿といえば,

    わたしのなかでは

    杖をつき趍る,跛の老人。

    死,を想うとき,
    そのもっとも具象化された姿といえは,

    わたしのなかでは

    栩栩の,胡蝶。

    つづく

     白晝  Baizhou


     翩翩蝴蝶飜離塔   pianpian hudie fanli ta
     春晝不求醒一答   chunzhou shi xian xing yi da
     醉世猜情靑眼生   zuì shì cāi qíng qīng yǎn shēng
     恰夢銷魂中夢合   qia meng xiaohun zhong meng he


       *靑眼=阮嗣宗的       入聲九  塔答(恰)合
     
       2013  03 12

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    何處 “自分” ,何在 “理” 戰爭メカニズム在哪裡? 屈大均《客雁門作》

    hutong.jpg

        標語牌 (placard)    Biāoyǔ pái 

      何處自分無在理   Hé chù zì fèn wú zài lǐ.
      當然埋所論不起   Dāng rán máisuǒ lùn bù qǐ.
      一容一用標言牌   Yī róng yī yòng biāo yán pái,
      不想到衕依同體   bù xiǎng dào tòng yī tóng tǐ


     ※標=高枝曰く,標。 標枝,又,表也,又旌旗也
       衕=胡同,街道,亂,胡(狄戎蠻夷),


        上如標枝,民如野鹿。――『莊子·天地篇』

               20170407  06:12



    それにしても。

    アメリカの國民國家の疲弊は,いやされない。

    けっきょく毎度毎度の武器消費で延命している,ネオコンアメリカ。
    『パックス・ネオコンアメリカーナ』をターミネートしてくれるはずだった
    トランプ,そのトランプの坦直と粗暴に感じていた
    わずかな・・・・・秋毫のごとき希望はくだっけちったw
    ヤツのカツラは頭顱に貼りついたままか?
    それとも,秋毫之末を植え替えたか?

    わたしとトランプのことで言い合いをした何人もの人たちは,
    ほら「やっぱり,トランプのような差別主義者は平和の敵だ,」
    と嗤うだろうか?

    しかし。
    クリントン女史とペンタゴンならもっと,,巧妙に
    屁理屈こねてやったであろう
    というだけのハナシ,だ。

    人道と言う名の植毛の洗練と,正義ヅラで,
    化學兵器使用というアサドの惡辣を言い立てながら・・・・・。

    アメリカの正義は武器消費。
    わかりやすい粗暴さで「攻撃をしかけた」トランプは,
    ビルやヒラリーより,美辞麗句がすくないというだけで,
    アメリカの國家の「品格」を損ねているだけで,
    おなじくペンタゴンより委託されたトマホーク巡航ミサイルの在庫處分に
    すぎないぢゃないか?
    と考える,
    しかし,すくなくとも,

    「人道的見地から行う空爆」

    という,あの,
    コソボ,アフガンの欺瞞を見せられることがないというだけ,
    地球のその他大勢の人類にとってまだマシでわないか?
    と考える
    ことの本質はよりわかりやすくなるのではないか,と考える
    わたしはヒトデナシだろうか?

    1990年代に
    並べられたあれらのゴタクにどんな “理” があったというのか
    いまもってわからない。
    ただただ “” があったにすぎない。

    アフガン,イラク,シリアの苦しみ,空爆にさらされる民の苦しみ。

    ただただ終わりなき人間浩劫の化蟲血沙のなかにある,かれらには。
    きのうも,きょうも,あしたも。
    マダマシ,も,サイアク,もない,絶對的な・・・
    禾の刈られ」る大地,にゐる,社稷の “禍” 中にある草茫。

    それは,アメリカ主導のおとぎばなしを終わらせない限り,
    終わらない。と言う絶望・・・・
    すくなくともパックス・アメリカーナ,
    そしてこの “利” ,
    イスラム世界に干渉しつづけることで歐米が手にする “利” が枯渇がするまでは。

    「滿洲國」由來の阿片,モルヒネ,ヘロイン,武器をもっぱら專賣していた政商岸信介とその親友,盟友かれらは,戰後も日本で權力の中樞にありつづけた。
    東京裁判で,裏で取引き,しこうしてのちネオコンと合體したのが子,孫を産む。

    その孫たち安倍ボンボンと仲間たちは,いちはやくアメリカの「在庫處分セール」に支持を表明したが。

    これを,「 “利” のトー然」,という。
    かつて安倍のおじいちゃまが「經濟の官僚」だった帝國日本支配下の「滿洲國」
    そこで日本の科學者によって製造され
    敗戰後帝國日本軍によって遺棄された化學兵器,細菌兵器はいまだ中國の大地に加害をつづけている。
    と言う,
    そうした個別の事情は抜きにしてもwかれらにはもとより,道も理もない

    イラクでも,ボスニアでも。

    死産,が,畸形のこどもが,うまれつづける,イエローケーキのもたらす被害はだれがもたらした?

    “原發”, “原子炉” 由來の,つまり,電力を生み出すためには生じつづけるところの “必要惡” たる,
    劣化ウランの消費先として,武器製造があり,武器消費がある。

    そうした事情をわたしたちにうったえつづけてこられた
    肥田俊太郎氏も。
    つい先日三月二十日九泉下に旅立ってしまわれたが。
    わたしにとって, なぜかしらんが。
    “人道的” と言う言葉と, “必要惡” は,ほぼ同義,という。

    それを體現するのがブッシュ親子であることは,いうまでもないが
    その詭辯によって,より理の “矛盾” を,人道の欺瞞を感じさせたのはビル・クリントンである。

    ・・・・。
    ww

    被害とは,つねに,加害の結果である。
    その有因,而して有果はつたえられつづけなければならない

    “おとぎばなし” を聞かされつづけるより,
    ことの本質があからさまになり,わかりやすくなるほうがよい,
    と,いつもかんがえているわたしは,
    ヒトデナシだろうか?

    悲劇があるなら,起きているのであれば。

    そこには,どんなたぐいの粉飾,演出
    「正義の」美名も,「英雄」の美談もないほうがいい。
    と,いつでも,かんがえてしまう・・・・・,
    わたしはヒトデナシだろうか?

    わたしはいつも思う。
    「事實」を直視する前に,論旨を見つめる前に
    人格を批判するひと,人格にほだされる人は,
    英雄や美談に翻弄され,感性と理性を試されてる,諮られ,測られ,謀られる
    それはなぜなのか,といつもおもう。

    政りごと,敲き治めること,また,擅權の “體” ,と行使のバランス,をも,
    「情」で測ろうとする。

    差別されてきた,ガラスの天井下にいたから空爆はしない,というワケではないし,
    人種差別主義者だから空爆をすると,きまったワケでもない。

    空爆,という行為の動機は “情” にも性格にもない,,
    あるのは “道義” ではなく,理でもない, “利”

    もし批判さるるべき惡い性格が,空爆をする,というなら,その周りにはそれを阻むべく善い性格があるはずだ
    あるいは逆に,人道的美質がもし,動機やコンキョというなら,
    そもそも空爆ジタイあり得ない。

    「のっぴきならない」,無・情,つまりは非・情の動機があるから,
    非, “人道” 的な理由から,もっとフィジカルな理由から空爆,するのである。

     (そもそも人は人格や性格だけでは罰せられない,
      もしもそーなら,わたしなど100回死刑になってもまだたりない,
      もっともこれからはわからんが。
      ・・・・・。
      とわゆへ
      彼らの「共謀罪」が,そもそも,キョーボーっしなきゃ罪にならないなら,
      單獨個人のキョーボーっな性格は罪には問えない

      つまり,共謀罪というのは,群れる平和な羊の内心を拘束するための法である。
      言い得て妙だが,一匹オオカミのテロは防げない)

    いったいに,
    この世に惡人がゐるから,憎しみやレイシズムがあるから,だから戰爭が起こるのか?
    しかし,憎しみの “情” だけでトマホークやテポドンがつくられるのだろうか?
    スティルス戰鬪機が,劣化ウラン弾が作られるだろうか

    確かに
    差別のココロ,性根から慘たらしい悲しい事件は起きる。
    しかし
    戰爭のメカニズムというものは,それとはちがう。

    確かに
    慘たらしい南京虐殺はニホンジンの中國人への差別心が引き起こした人道的罪である
    しかし日中戰爭は。
    そもそも帝國日本の破綻を回避するには日滿支,植民地経済ブロックと言う連結決算が必要であった,という,
    經濟侵略がそもそもの目的,權益確保のための武力行使という確固たる, “銃後の民” の國家,の欲求,不健全な動機があった

    さらに,
    領土拡張でも搾取のためでもなんでもない戰爭がある,
    ――また,第二次大戰までの戰爭とは違う,大戰後の朝鮮,ベトナム,戰爭があり,
    ――また,東西冷戰を經てのちの「アメリカの戰爭」がある,
    ――また,劣化ウラン彈を消費しなければならない空爆があり,
    ――また,トマホーク巡航ミサイルを59発處分しなければならないという,武力行使がある

    と言う事實を眼前にして

    憎しみや差別をやめよう,平和を希求しようといくら叫んだところで
    こと,國というシステムが,行使する武力にかんしては,意味がない,

    いや意味がないどころか。
    「戰爭の本質」が見えなくなるぶんだけ
    本質を覆い隠すことに加擔してしまうぶんだけ,・・・・。


    そこを,
    戰爭の發端,動機を見つめずに。
    「事實」を直視する前に,
    かれらが,・・・・・
    「戰爭こりごり平和主義者」たちが,あるいは「好戰爭祖國防衞主義者」たちが,
    「戰爭ハンタイ」をいったり,あるいは「戰爭ハンタイ」をいわなかったりするのはなぜか?
    どうだ,こうだ,と言い爭い得る,その回路が
    サッパリわからないのである。

    わたしには, “日本のりべらるの理” がどこにあるのかがわからない。
    が,理が無いところに矛盾がある。それだけはわかる。

    そして筋が通らないことがあったとき,
    筋道を考えて,また,少なくとも筋を通してみたい,それが自分の行使(用)し得る範囲においてだけでも,と想う人。
    たとえそれができずとも。
    筋の在り處は有る,ということを示したい,見たいんだ,と想う人。
    それはどうでもいい,スジの主張やいさかいは,ただただ見たくないと想う人がいる

    ということ,
    それだけは確かである。
    それはわかっているが,ハンタイ者こそ,聲高に戰爭ハンタイをさけぶものほど,
    理とスジメに嚴密であらねば,ならないとおもうのだが。

    人類にとって,究極の正しさ
    は「戰爭はいけない」。
    この正しさが,ゼッタイ唯一の正義であることはこれは言うをまたない,
    あたりまえのことだ。

    しかし戰爭は起こる,
    ヒューマニスムと道徳ヅラをしてはじめられる
    ・・・・・・・・・。
    ところで。
    先日のつづきを書けば
    理が無いところに矛盾がある。
    理とは,矛盾がないところにこそ,育つ,
    理が整えられていく,という一面の「ただしさ」は。

    なぜかしらないが
    寛容や温柔によって,日本では多くの場合,忖度と思いやりによって阻害されてズタボロになる

    それでも矛盾をただそうとすれば必ず,
    全體は個體を疎外することで,

    見たくないものを,見たくないから,見えないところに追いやる。

    空氣を讀め,か,村八分,か,だ
    ・・・・。

    戰爭にはそれぞれメカニズムがある。
    という
    時代時代において,個別にとりだせばジツはすこぶる單純なこの,
    戰爭のメカニズム,だが。

    おもうに時代時代によって違う意志,個別の事情や動機があるにもかかわらず,
    ひどく錯綜してしまうのは。とらえるべきものがとらえづらいのは
    ひとえに
    時間の縦軸がつながっている,因果をなしているからだ,ろうという

    この有因而有果とメカニズムは,個 “別” に,個 “體” が。
    理を “用” いて考えていかないと

    いつまでたっても
    先述した「戰爭こりごり平和主義」のようなカン違いから議論を始めて抜け出せないではないか。

    「戰爭こりごり論者」は, “熟してくる” と,
    必ずや,いつまでたっても,個別の戰爭のハナシがつづけられることに業を煮やす
    メカニズムは語られず, “因果” の身にてかたられる “歴史觀” だけが殘ってしまう

    “熟し切った” すえに殘される,因果の果實とはなにか,といえば

    ひとの温情や寛容によって,潰されるようにして,
    案外に,簡單に,不可視化される
    隠匿される。
    忘却される

    ことさら,戰爭の發端に,非「人道」的意思をみようとする
    つまりは誰かのせい,非,人,道,的なだれかのせい,
    しかし。
    そもそも 人“體” には “道” はない
    道は地上にあり,ひょっとしたら天にもあるかもしらんが。

    ヒューマニズムの翻譯語はなにか?
    人道主義ではない,人本主義だ,
    ヒトの進む道のしつらえをする理であって,

    ヒトには,道は無い

    ヒトに,有るのは・・・・・

    足だ。大地に立てる。
    あるいは
    考える,頭顱だ。


    ・・・・。
    戰爭のメカニズムとは何か,
    「侵略」や「加害」の動機であるところの,
    ついひとびとが夢中になってしまうような,「ムシのいい話」,
    と言いかえることもできるであろうが,
    こうした戰爭のメカニズム
    と,
    レイシズムの悲劇や「人道」中心に裹められつたえられる戰爭原因もどき,
    ふたつは,
    永遠にパラレルであって,交わらない・・・・・なら。

    いくら人類が仲良く平和を望んだとしても・・・。
    戰爭のメカニズムは

    別處にある
    別 ,途,にある。

    覃葛のごとくして。
    歴亂の花が咲いてしまう,それはなぜなのだろう。

    根こそぐべきものの根源を見つめることがないからだ

    おとぎ話はずっとつづくし,根元は “枯” れず,源泉は “涸” れない
    日本においては特に。


    憂來無行伍,歴亂如覃葛

    ふん!(*・`ω´・)ゞ


      孤寢  gū qǐn

      自由已極     Zìyóu yǐ jí,
      狂泉甘服     kuáng quán gān fú ,
      不敢妄飲     Bù gǎn wàng yǐn
      敢做孤寢     Gǎn zuò gū qǐn

               20140206  01:29 


    ※狂泉=昔有一國,國中一水,號曰狂泉,國人飲此水無不狂
          唯國君穿井而汲,獨得無恙。
          國人既並狂,反謂國主之不狂為狂,
          於是聚謀共執國主,療其狂疾。
          火艾針藥,莫不畢具。
          國主不任其苦,於是到泉所,酌水飲之,飲畢便狂。
          君臣大小,其狂若一,眾乃歡・・・・

    ※寢=古に,水ナリ。
        『説文解字』 による,水。
        出魏郡武安,東北入呼沱水。从水聲。籒文字。子鴆切

       (段玉裁『説文解字注』による)
        按沈浸、浸淫之字多用此。作浸。 侵           


          寢 qǐn     寢 qǐn




    ちなみに“滹沱(呼沱)水”

    いかにもいかにも山西省,戰國趙の故地,秦との境といった感あり
    幾多の戰亂,民族興亡の歴史。黄土山河。
    この河のはなしは以前もなんどもなんども持ち出してるがw。

    山西省,直近のえびすの侵寇,祖國防衛戰は, VS 帝國日本軍


    漆灰骨沫丹水沙,古血淒淒タリ  


                       ▼ 滹沱河
    滹沱河《客雁門作》屈大均

     
     客雁門作  Kè yàn mén zuò

     一年作客傍滹沱    Yī nián zuòkè bàng hūtuó
     聽盡哀笳出塞歌    Tīng jǐn āi jiā chūsāi gē
     白髮不驚明鏡滿    Bái fà bù jīng míngjìng mǎn,
     秋霜只怨雁門多    qiūshuāng zhǐ yuàn yàn mén duō

      一年,滹沱の傍に客となり
      哀笳の出塞歌ことごと聽き盡す
      白髮,明鏡に滿つるも驚かず
      秋霜,只,怨のみ 雁門に多き


       平聲十四 沱歌多

    ※滹沱=河名 滹沱河,呼沱水のこと
      (Hūtuó hé),歴史上の名稱多く,《周禮》《漢志》は滹池,
      《史記》滹沱,,《水經註》滹沱 山西省五臺山北麓繁峙縣泰戲山下
      より發源。流れは山西省東部を經て,河北に入る。雁門の,水



    ・・・・・・。

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    菩提本無樹,明鏡亦非臺。物化と忘却㊦銃 “後”の民の“平和國家”コッカシュギ國家

    ほんとうはこの頁,邵雍“天自得一天無既”に進む予定でかきはじめてたんだが
    ・・・・・。

    他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブンの『新聞と九条――平和主義の國で』が唐突に終わった。

    おそらくアノヒトタチから,
    ジギャク史觀の垂れ流しをヤメロ

    と。横やりが入ったのだろうw

    まずは
    アサしヒンブン(・・・・not 淺し貧文)より無断で借りてきててた



    行進する日本軍の傍らで土下座する中国の民衆=1937年11月中国江蘇省


    この写真が,連載が唐突に終わった日の前日に掲載された写真。



    戰死者に別れを告げる日本兵=1937年10月中國山西省


    そして,
    こんな寫眞もあったっけ。これはだいぶ前だ。
    これをおもい,田邊利宏《夜の春雷》をまたのせよう,とそーすると日中戰爭の殺戮戰について延々書キバシることになる
    ・・・・。

    この37年の10月,つまり七七事變いわゆる盧溝橋事件事變の,三ケ月後。
    現場が山西省なら「北支」派遣軍だ。
    このころは,まだ,帝國日本軍は戰死した兵士を荼毘にふす余裕もあった。
    しかし戰爭擴大につれて,中國軍の熾烈な抵抗にあい殺戮戰と化してゆき,
    ついには “三光” の地獄道を邁進するしかなくなった帝國日本軍の薜茘多 (preta)
    餓鬼,の道。
    ・・・・・・。

    『新聞と九条――平和主義の国で』 41回にわたって,
    日本の戰爭加害をテーマにかきつづけ,戦後日本人の忘却とムカンシン,想像力の欠如について書きつづけた上丸洋一記者にかけられた壓力は,そうとうにすさまじかっただろう。

    想像にカタくない。
    心から敬意を表したいけれども。
    連載中幾度もわたしはおもった。
    こんなこと書いててへーきなのだろうか?と
    いやw,
    ほんとうをいえば
    ようやく,ニホンも日中戰爭の有因而有果に目を向けはじめ,戰爭加害の
    「無反省と忘却」こそが,今の時代に,直接手を下していないワレワレの
    もっとも責められるべき,日本人の罪深さ,積習,である,ということに

    將來の戰爭を回避するためには「戰爭ハンタイ」を叫んでいるだけではだめだ,
    ということに
    漸くキづいた,
    世の中がそのように變わっていくのではないかとw
    儚い希望を抱いていたのである
    そんな自分の愚かさ,淺はかさを嗤った。

    想えば,連載中,ブログに『迷惑』發言について書いたとき,
    安徽省の壁に書かれたスローガン,これは・・・・・w
    郭沫若らの抗敵宣傳のしごとぢゃないか。などと書きバシッていたときは
    わたしは有頂天だったw

    わたしの,ココロの中にぬきがたくある傷心。
    日中間の 血債血償,そのとてつもないひらき,
    歴史の,理解と揚棄の途方もない開き
    無理 wúlǐ 理の無いなさ”“離合 líhé”

    “迷惑 míhuò”
    とはまさにこのことをいうのかもしれない,
    ニホンジンの輕さ・・・・その,堪えがたい輕さ
    逆轉して,宙に浮かされたかのような,因業と加害。

    戰爭加害の深刻,甚大は,いうまでもなく,さることながら,
    中國人にあたえた最大の “迷惑 míhuò” は・・・・

    いや,二十世紀に,帝國が人類にあたえつづけた“迷惑 míhuò”とは。

    じつは日本人の, “理の無いなさ” と古來,世界に嚴然としてある,ありつづける文明への,ムカンシンと輕侮であった,
    そのふてぶてしいまでの輕み,

    このことは
    抗戰中の中國の文人が書いていたものを讀むとアリアリとわかるのだが。
    ジッサイ,彼らは,ニホンジンの無節操と,無理,理の無いなさに,
    とほうもなく,“迷惑 míhuò”されつづけていたのである。

    これは日本側の歴史の著述にはほとんど書かれていないことだが。
    しかし,この
    世界に嚴然と存在する文明と,“理”にムカンシンであり,無思慮であることが,
    ニホンジンの無反省キ質に直結するダイモンダイであり,將來,戰爭を招來する
    “因”となりあり,また兆しである,とは
    ジツは,世界は知っているのである。

    りべらるは,やみくもに「戰爭ハンタイ」というが,
    ねとうよの,祖國防衛という大義に,それによってかかげられる好戰爭志向に,
    りべらるが有効な反駁ができていない最大の要因であり・・・・・

    戰後直後から,90年代後半までは,辛くも抑えてきたウヨク一門の地下蠢動を,
    ついにおさえきれなくなった,はびこらせてしまった因,果である。
    1990年代後半から國家主義の増加,ネトウヨ言説の蔓延は當然の歸結,
    なのであって。

    「戰爭はもうこりごり」平和主義と,
    「あの時は戰爭だったからしかたない」無反省シュギは
    ウヨクの侵略戰爭美化と開き直りに,なんら有効なハンバクをしてこなかった。
    りべらるの不作為。
    そして今,わたしがおもうに日本を覆う蒙蔽。

    戰爭加害に直接關係ないわたしたちにとって。

    「戰爭」を反省せず,無知ムカンシンのまま,
    戰爭ハンタイをさけんでしまうことは,

    かつて,直接手をくだしてきた,兵隊たちの,
    戰後,演じられてきた「平和國家」のなかで,罪の意識と呵責に孤獨に苦しんだ “生きている兵隊” たちより,さらにうんと罪深い。

    はたして,
    苦しんできた兵隊たちの,夜ごとの惡夢を,戰場の殘虐を,彼らの小さな胸の内におしこめて,聞こうとする耳を持たなかった銃後の民。戰後の民
    記憶をとじこめることにばかり,寄与していた,
    忘却することばかりに,積極的だった,
    そうして,日本のりべらるは『戰爭はコリゴリ』平和主義を邁進していった。

    この『新聞と九条――平和主義の國で』,
    彼ら苦しんできた兵隊たちの苦しみをここまで,戰後のわたしたちにむけ,ストレートにぶつけてきた言説というものを
    わたしは知らない。
    その意味でもこの連載は・・・・・無限大の意味があり・・・・
    意味を持ち・・・・・
    (もう終わってしまったのだが。)

    いったいに。

    軍部將校や戰爭指導者の罪,これは,わたしたちには,償いようはない,
    ヒロヒトと帝國の,國家の,おこなった加害の過去は,贖いようがない。

    しかし。

    戰時中の, “銃後” の民の罪は
    戰時後に, “銃” の “後” をいきるわたしたちが償うべきではないだろうか?

    そもそも忘却は, “文”化 を著しく阻害する。

    「“文”化」 できないということは,單に
    “武” の延長,武力の行使と言う野蠻, “暴力”を民が決済できていない,
    ということだ。

    なぜ,りべらるを含む日本人は,そのことを,ネトウヨに言えないか?

    といえばw

    コトは單純至極にしてカンタン。
    知らないからである。とことん向き合わないからである。
    りべらるは日中戰爭を知ろうとしないでも生きられる土壌に安住して,戰爭ハンタイをさけぶことができるからである。
    土壌,とは,この場合,もちろん國家だ。

    いつだったか去年,澤地久枝が戰爭直後の思いをかたっていた,
    自分は日本に引き揚げてきて,本土の燒け野原をみてはじめて「戰爭を實感した」,と吐いていた。

    「敗戰」ではない,「戰爭」を,である。この九条の怪の女流にしてからがコレだ。

    りべらるのカタる,戰爭ハンタイは,原爆と空襲の被害,本土の荒廃をいいたてることからはじまる。
    いつだって「戰況惡化」の太平洋戰爭からだ
    それは,他者のいない,他者にムカンシンである, “本土” の
    ニホンジン同胞が苦しんだ,という傷,その傷口が疼くから,
    聲を上げる反省とハンタイにすぎない。


    日の丸の波に迎えられて富山市内を行進する帰還兵たち=1939年8月
    日の丸の波に迎えられて富山市内を行進する帰還兵たち=1939年8月


    昨日の夕刊,『新聞と九条』第440回―― “平和主義の國で”第40回,つまり,

    最終回の一回前の記事。

    まるごと引用していこう

     敗戰から一か月ほどったったころのこと,
     首相の東久邇宮稔彦が,米国の通信社の質問に文書で回答,
     米国民にこー呼びかけた

     「どーか真珠湾を忘れてくれろ,我我ニホンジンも原子爆弾による
      惨害をわすれてくれよう,
      そして全く新しい,ヘイワ的コッカとしてシュッパツしょー」

    ・・・・・。
    1945年9月15日のことだ。
    wwwww
    どうだろう,このノーテンキな發言は。

    おっそるべし夜郎自大,他者不在, "迷惑" 千万の帝國日本の皇族にして
    平和國家の日本の最初の指導者ならではゴ發言だ
    www

    ――平和主義の國で 第40回 
    戰爭は忘れよう。
     それが平和國家への道だと考えたのは首相だけではなかった。
     平和憲法を持ったことで日本はただちに平和國家に生まれ変わった,と人々は思った。
     それはいわば「忘却の平和主義」だった。
     戰爭はこりごりだ,と言う心情がその平和主義の支えだった



    マッタク胸のすく文章である,
    アサヒ新聞購讀してゐて,近年こんなに愉快だったことはない。

    ――平和主義の國で 第40回
     戰爭の意味や戰爭責任は深く問い返されなかった。
     かつての戰爭指導者が首相や閣僚の座についた。
     日本軍は何をしたか,新聞が他國の戰爭被害者に取材することはまれだった。しかし『忘却の平和主義』は他國には通じなかった。
     ’71年秋,歐洲を旅した昭和天皇は,英國やオランダで,帝國日本軍に虐待された元捕虜らの反發にあう。
     朝日,毎日,読売の各紙社説は歐洲が戰爭を水に流していないことに驚いた。



    www
    ヒロヒトの乘った自動車は,このときビンをなげつけられている。
    第22回。「新聞と九条」第422回。

    わたしはこの連載の筆者の文才におもわずニヤニヤさせられたんだったが。
    筆者の上丸洋一記者はこう書いている

    ――平和主義の國で 第22回 
    英國では天皇が記念植樹した木が何者かに切り倒された。
    オランダでは天皇が乘った車に水の入ったビンが投げつけられた。



    その時各紙社説はこう書いた,と,連載はつづく,

    ――平和主義の國で 第22回 
     朝日 『(天皇への批判は)日本に対する批判だったといえるだろう。
     我々はこの批判を素直に受け入れる必要がある。日本人がともすれば水に流しがちの過去がそこには生きていた』(71年10月14日付)



    ・・・・・。
    「そこには生きていた」という驚き・・・・。
    わたしもこれには驚いたが
    しかし,朝日はこれで,まだしもマトモだったw

    ――平和主義の國で 第22回 
     毎日 『いまさら大人げない,と言うカンジがしないでもない。というのは,過去は水に流して,新しい關係に白紙で取り組む淡白さを好む,日本の國民性にあわないからである』。(71年10月15日付)



    だって。
    www
    わたしの心に浮かんでしまつたのは,ずいぶん,タケダケしいな。
    とわいへ
    まさにまさに日本のりべらるのショータイここにあり,というカンジが
    しないでもない,
    だったが

    ――平和主義の國で 第22回 
     讀賣 『不幸な過去は水に流してしまいたい,とする日本に對して,
    "許すことはできても忘れることはできない" というヨーロッパ人の嚴しい態度をそこに見出さないわけにはいかない』(71年10月15日付)



    讀賣,これまた他人事である。と言う生ぬるい態度をそこにみいださないわけにはいかない。

    ――平和主義の國で 第22回 
     三紙とも「水に流す」と言う言葉を使った。
     歐洲は戰爭を水に流していなかった。
     各紙の論説委員はその點に驚いた



    さらに,つづく
    ノーテンキな昭和天皇の陳言

    ――平和主義の國で 第22回 
     14日夕,羽田空港に着いた天皇が「お言葉」を讀みあげた。
    「この旅行を省みるとき,真に國際親善の實を擧げ,世界の平和に
    寄与するためには,なお一層の努力を要することを痛感しました」



    だって。
    天皇は既に平和國家の元首として,いっぱしの平和主義者として歐洲に親善に出かけていた,
    が,その鼻っ柱だか,自尊心だか。
    その,ニッポンの,神の末裔のココロは痛く傷ついたに違いない。

    まったくまったく。
    上丸記者のココロのありどころを想像しては毎夕,わたしは
    心中拍手をしていたのであるが。

    ヒロヒト氏は戰後に平和國家日本の建設をこころからねがったそうだが,
    しかし。
    例の『天皇實録』によると,みずから “象徴と化す”ことはこれはまあ,
    仕方ない,いや “吝か” でないとしてもw
    神の裔でなくなることにはケチ臭かったようだ,

    その身の現人神としての 矜持は心中持ちつづけていたらしきこと,
    原敬之がいつだか,朝日のインタビューで暴露していたがw

    ・・・・。

    ハナシがそれた。
    最終回の第一回前,きのうの第440回にまたもどると

    ――平和主義の國で 第40回 
     日本と戰つた國の人々は,戰爭を忘れていなかつた。85年の終戰記念日,首相の中曾根康弘(98)が靖國神社に公式參拜した。
     アジアから批判の聲があがった。
     「アジアは首相や閣僚の視界から『他者』の存在が欠落していること
    に怒っているのである。」(85年8月15日付け毎日新聞社説,連載第428回)



    そう,この「平和主義の国で,第28回」も,わたしはよく印象に殘っている。

    85年,すでにして。
    新聞各紙の社説はもはや,反省のハの字もない。
    良心的なニホンジンは,

     どうやらわれわれニホンジンは死者を弔う,その弔い方にモンダイが
     あるのではないだろーか,
     というカンジがしないでもない,

    といつのるだけだった。

    わたしはこの連載を讀みながらそのころのことを思い出していた,
    そのころ,仏文學者平井啓之が,授業が終わりころになると,日本のソーリ
    ダイジンを苛烈に批判,そして語りだす,自らの學徒出陣,田邊利宏の詩や
    プロレタリア文學への憧れといった脱線話を心待ちしている女學生だった。
    その時,先生はこういっていた。
    「なにが,弔うだ,跪いて謝るのが先だっ」,と。

    學徒出陣によって青春を奪われた世代の,激高であった。
    老骨の,慷慨を目の当たりに,そして,
    その平井啓之先生はその數年後に退官されたが,
    故郷の京都で「ナカソネをぶっ飛ばせ」,と怪氣炎をあげていた
    そんなことなどを懐かしく思い出しながら。

    さはさりながら,今にして思う,
    平井先生が謝るのが先だっ,と怒ったその謝る先は
    あわや沙場の蟲と化すところだったわれわれニホンジンミンなのか,
    中國をはじめとする被害國に對しアヤマルベキダ,といったのか。

    もはや泉下の客となってしまた先生の真意。
    それは,想像たくましくするほかないのだが・・・・・
    わたしもそのころはまだ,ムカンシンの徒にすぎなかったこと,
    先日の頁にも書いた。
    当然それを尋ねる勇氣などない,
    と言う以前に,
    そもそもわたしは,疑問にもおもわなかったのだ。
    ただ,やみくもに

    そーだ,そーだ,跪くべきだ,ドイツのように,

    と,
    うなずいていただけだった

    この連載428回の上丸記者はこう書きむすぶ。

    ――平和主義の國で 第28回 
     滯日18年(85年当時)のドイツ人ジャーナリスト,ヒールシャーは,
    次のように指摘した。
    「西ドイツで戰後行われた終戰記念行事では・・・第三帝國(ナチスドイツ)
    の犠牲者を・・・・弔うことが中心におかれてきた。」
    「日本の終戰記念日の行事は,ニホンジンの戰爭犠牲者が中心である。
    ・・・・ただ日本人の,自分たちの死者のみを弔おうという行事なのである」
    (エネルギーレビュー85年8月)
     西獨の首相ブラントが,ワルシャワのユダヤ人追悼碑の前で跪き,
    默禱したのは70年12月のことだった。



    そして440回,つまり最終回の一回前だ

    ――平和主義の國で 第40回 
     90年代に入り,他國の戰爭被害者が日本政府の責任を問う訴訟が相次いだ。戰爭の被害だけでなく,加害の面にも目を向け記憶しなければならない。
     そうした認識が次第にひろがっていった。



    これが,つまり日本の戰後れじーむである,りべらるの代表的言説であった。
    逆にいえば,こうだ。
    漸く90年代に入って  “シダイにヒロガッテイッタ” にスギナイ,ということだ

    安倍やニホンカイギや神社廳や,が,あのヒトタチが,
    ひたすら憎んでやまない戰後のりべらる,しかし,これがそのりべらるにして
    その限界地,反省の精一杯だった,ということで。
    ・・・・。

    いったい,りべらるのどこがジギャク史觀なのかね?
    戰爭加害の反省ばかりの謝罪外交?
    いつ謝罪したんかね?たった二回,しただけじゃないか? 


    りべらるの本音は,わたしはよく知っている。
    りべらるでさえ,ときとして
    いったい,いつまであやまらにやいかんのだね?,
    と,へーきで口ばしるのである。
    そういう仲間を,たしなめるりべらるはいない。

    「戰爭だけはこりごりだ」平和主義國家,それは,なぜできあがったか?

    ネトウヨの言説に反駁できるほど,加害の直視も反省もしてこなかった,
    “りべらる” 。
    その無反省のりべらる衆愚を,ジギャク的だの,中國のイヌだのと
    なにもかんがえずに侮蔑する “ねとうよ” 。

    どっちもどっちの難兄難弟だ,
    ネトウヨがホントに,日本のりべらるを理解して,そのうえで侮蔑したり,攻撃したりしてるのか,と言うのは,わたしには,案外に,解けない,解せないナゾなのである。

    そんな,謎めいた關係性(わたしに言わせれば,共犯に限りなく近い,だ)を保つ
    りべらる,と,ネトウヨ。

    ネトウヨは,いったいぜんたい,りべらるの,どこをどうモンダイ視してるのか,
    なんだかさっぱりわからない,
    りべらるは,自分たちが誤解されて反省しすぎのニホンジンと思われてることに,
    ネトウヨから侮蔑されても,自分が言われていることのほんとうの意味は解らない。
    ハンバクも見当違いなら説得力もない。
    なぜなら,加害を反省しないからだ。無カンシンだからだw

    その意味では,たとえ反省しなくてもまちがった言説に流されていようとて,
    過去に,すこぶる有カンシンの,ねとうよのほうが,まだマシかもしらん。
    少なくとも,修正したい,と思うくらいには過去のことを知っているわけだから。
    たとえ大きなカンチガイ,していたとしても。だ。

    それでいてりべらるはやみくもに戰爭ハンタイだ。
    その,そうした
    『忘却の平和主義』國家に對する,筆者の舌鋒はこの回,このように終わる。

     ――平和主義の國で 第40回 
     中國に抑留された元戦犯たちは,忘却に抗して,戦場の実態と侵略の
    罪を語った。 
     同時に,日本の侵略事実を否定したり,隣国への嫌悪をあらわにしたり
    する言説も一部の雑誌などで目立つようになる。
     95年8月15日,首相の村山富市(93)が,侵略と植民地支配を反省,
    謝罪する談話を閣議決定した。
    『國民が共有すべきごく普通の認識を語るために,半世紀もの時間を必要とした」(1995年8月16日付朝日新聞社説)



    そう,わたしはこのころのことをよく覺えている
    たしかに語られはじめていたのである。
    そして,アノヒトたちの反轉攻勢が始まるのである・・・・・・。

    わたしは昨夜の夕刊を讀んで,恐らくここから,アノヒトたちの,プロパガンダ,
    やがてネトウヨが生まれ育つにいたる腐葉土を,だ,日本の土壌にまぜこみ,
    堆肥をせっせとふりかけて慈しみ育てた,彼らのハナシ,
    執念深いアノヒトタチの,
    過去の加害の否定と,帝國の美談を定着させるための汚いやり口,
    きっと,そこにつながっていくだろう,とぼんやり予感していた。

    そのわりには,この日のやけに総括的,総まとめ的な上丸記者の口ぶりがキにはなっていたが・・・・・
    翌日まさか唐突に終わるとは・・・・思わなかった。

    よもや・・・・・。
    しかし。
    現代日本の最大のタブー,に斬りこむことはできなかったようだw
    それはいうまでもなく,
    のちにネトウヨをはぐくんむ腐葉土をせっせと日本の “土域” に充填していた連中
    その醜い蠢き。
    である。
    やがてその,土壌には,インターネットが肥やしとなり,水に流した水は,

    ネトウヨがすくすく育つための水となる。


    記者会見で持論を語る藤尾正行文相(右端)=1986年9月8日東京・霞が関の文部省


    これも懐かしい寫眞である
    このころが
    アノヒトタチがノサバリハジメるはじめの始まりであったw

    連載ではそんなハナシになっていくんだろな,とぼんやり予想していたがそうはならなかった。
    ・・・・・。
    ・・・・。
    新しい草をそだてなければいけないのに,そして蘖(ひこばえ)をおおう毒麦をみずから刈り取ることができなくとも。
    せめて,ワレワレは萎れさせなければならなかったのに

    アノヒトたちは枯れるどころか水を得た岸のカッパ。だ。
    その土壌にかける水を運んでいたのは,ほかならぬ,忘却,
    と,
    その主 “體”
    そのショータイたる りべらるの寛容,
    であった,

    90年代後半から2000年代。
    もとより,日本に流れる “理のないなさ” という名の河川に,は漸く。

    「日本の國民が共有すべきごく普通の認識」,その “水” が流れるはずだった,が。
    この水はもちろん,じゃあじゃあ流す,蛇口の水,水に流す水ではない
    國土を潤す水, “囗” の “意思” そのもの

    本來「歴史の反省」と言う大河を流れるはずだった水は,
    しかしトツジョ逆流し,なんと,濁流となって狂水の源泉目指してw
    ニッポン山の御本山にむかって遡っていくのである。
    先祖歸りを始めていったのだ

    そうした,「先祖歸り」の先祖の末裔たるアノヒトタチのこと,
    そして驚くべきりべらるのムカンシンについて,これ以上は,やはり
    書き著していくことはできなかったのか。

    ウルトラライトばかりでない,キブンとしてホ種の,すぐ,他國から「押し付けられる」と言っては,拒絶する,子供じみた無,理,
    そして
    「押し付けてはいけない」という,イデオロギー嫌惡,理の無いなさを,どこまでも貴ぶ空キ。無,理。
    言い爭うのははしたない,みっともないというりべらるの自己抑制は,どっちもどっち,
    世界じゅうに日本にしか存在しない。
    『押し付けはイカン論』の論者たち

    そのうえ,そうしたりべらるの抑制と忖度の過剰は,いつしかネトウヨのドウチョウアツリョクと何ら異ならなくなっていく。
    わたしはアンポ法案に反對し,安倍政権に對峙する人達の,理が,
    どこにあるのか,
    いまひとつよくわからなかった。
    そして,そして・・・・・。
    最終回「りべらる機關紙」の殘っていた最後の良心,その斷末魔は,
    潰えて消えた一滴は,このように。

    唐突に始められる

    新聞と九条 441回――平和主義の國で 41回最終回

    「ビザの(査証)の発給を,なぜ拒否したのか。ストレートに理由を述べてほしい」
    今月二日午後東京地裁で開かれた口頭辯論で,原告側が 國側に求めた。 しかし,返事はなかった。
     1年半前の2015年9月,集團的自衞權の行使を可能にする安全保障法制が意見批判を押し切って,國會で成立した。
     これを受けて,戰後補償問題に詳しい學者らが「戰爭法の廃止を求め
    侵略と植民地支配の歴史を直視しアジアに平和を作る集い」を11月に開く計畫を立てた。
     帝國日本軍731部隊などによる細菌戰の被害者遺族12人を中國から集會に招いた。
    ところが,出發前日になって日本の外務省がビザを發給しないとつたえてきた。
     訪日予定者のうち3人と,集會を呼びかけた3人が,16年3月,ビザの發給拒否によって,集會,表現の自由が侵害されたとして,國に賠償を求めて提訴した。
     國側は「發給は國の自由裁量。拒否理由を示す必要もない」と主張。
     そもそも國は細菌戰の事實を示す資料は防衛省などで確認されていない,と言う立場だ。

     戰後日本は,憲法九条の平和主義を掲げてきた。その日本政府が戰爭被害の證言者の入國を拒否した
     中國では,帝國日本軍が敗戰辭に遺棄した毒ガスなどの化学兵器が原因で,今も住民に深刻な被害が出ている。



    そう,このとき,このビザが發給されなかったという事實,
    その日本政府の暴擧が世界に与えた衝撃,
    わたしはよく覺えている
    日本と中國の當事者以外の,つまり國際社會から非難の聲が,
    日本政府に向けられたが
    日本のりべらるの多くは,アンポ法案強行採決のPTSDにムシバマレていた
    「戰爭コリゴリ」反對者たちは,
    この暴擧には,ムカンシンであり過ぎた
    わたしは,そのことに憤りもし,あきれもした,そんな記憶がある。

    とにかくこのビザのハナシ,此れはムチャクチャなハナシなのである。
    なぜかなら。w

    連載はこうつづく

    新聞と九条 441回――平和主義の國で 41回最終回

     被害者が日本で起こした裁判を支援してきた元中學教員,
    大谷猛夫(70)は言う。
     「ドイツは周邊の國から,もう許そう,といわれるところまで歴史と嚴しく向き合ってきた。
     歴史認識の土臺を欠いては平和主義の花は咲きません。」



    これまで毒ガス被害の補償を求める裁判は日本で何度も起こされているのである。
    www
    外務省が認識してないと言い張る「事案」の被害者は,なぜか日本で幾度も提訴してきているのである。
    いや正しくは言い張り始めた外務省,というべきなのか

    そう,おそらく前回,95年村山談話のハナシのあとには,こうつづいていくはずだった・・・・

    平和主義の花は咲かない,りべらるに平和主義の花は咲かせることができるか?
    と,もう一度問うはずだったろう,とわたしは思う。

    わたしには,この毒ガス事案を持ち出す理由はそこにしかないだろう,と思う根據があるのだ。
    このころ,わたしは,まだ二,三,りべらるとつき合いもあって
    ずいぶんそのコンキョにつらなるハナシをしかけたが,反應した人は一人もいなかった。
    多分上丸記者はそのことを書こうとしたのではないかと,おもうが。
    これは,わたしのように自由に好きカッテ書いても誰にも相手にされない立場にあってすら,りべらるにそのことを語りつづけることはむずかしかったw。
    さすがの上丸記者も。
    おそらく,わたしの言ってることは,このころ起こったある出来事をおぼえているひとなら,わかってもらえるだろうがw。

    いったい
    どうやって日本が,いや,アノヒトタチが
    戰後半世紀たって90年代後半ようよう 
    「コクミンが共有しはじめたごく普通の認識」を

    一つ一つのその萌芽を
    芽吹き始めた「戰爭加害と歴史に向き合う平和主義」を
    つぶしていったか・・・・・・。

    その潰えてしまった普通の認識。
    それは,なぜついえ,次の世代に育たなかったのか・・・・・

    アノヒトタチの, “作為と忘却壓力” ・・・・・
    それに知らず知らず力ぞえしている
    りべらるの, “不作為と寛容”

    きっと上丸記者はそれを書こうとしてたんだ。

    このとき,このビザ発給の停止があったとき
    コッカイの強行採決を阻止できなかった晩秋。

    このとき,りべらるは,みな傷心をかかえて喪心していたことを思い出す。が,
    奥田愛基はなぜか意氣軒昂だった。

    彼は,たいして落胆も失望もせず。強行採決の翌日にも
    たしか,こんなようなことをいっていた。w
    「年があけて元旦を迎えた朝のよーだ」

    戰爭加害を知ることから發展していった奥田愛基の「戰爭ハンタイ」は,
    その敵の正體をよく知ったうえでの抵抗であると,
    それは
    ひとりコッカイ幼稚園,でも安倍ボンボンでもない。アンポ法でもない
    日本を覆う蒙蔽そのもの。

    そして。
    その真の敵,いや内なる敵・・・・内なる岩盤。

    わたしはそのころ,から
    りべらるの “ムカンシン” に,吐き氣がするほど憤りを感じたのだった。

    なにが,戰爭ハンタイだ
    戰爭ハンタイ平和國家主義の忘却の正當化はいつだって「寛容」だ。
    その寛容に,
    どこまでツッコみをいれるのか,この連載は,
    とワクワクした次の瞬間

    ヨコっツラはられてしまったw

    ◆『新聞と九条』は今回で終わります

    だって。w
    ・・・・。

    とはいえ。

    けっきょく,二回ともすべて引用する羽目になってしまったが。
    なんだかんだ,
    前回とこの最終回をまるごと書き寫さずにはいられなかったその,
    發端,動機は,
    やはり,上丸記者の文章が,その個人のナマナマシイ歴史認識をぶつけてき,その思いをジンジンと切實につたえるものだからなのだ,ということに。
    あらためて感じいり,

    またこの連載をつづけることの困難,と
    とほうもない,日本の修正主義者,そしてこりごり平和主義者 “りべらる” とその岩盤の堅牢に思い馳せ,

    そして。
    これも,ジャーナリストの使命,あるべき姿でもあるのだ,上丸記者は
    この連載の熱心な讀者に

    希望を
    つたえてくれた,最期の最後に。

    唐突ともいえ,また辛くもつたえ得た,といった觀ある,短い文章のつめこみだったが。
    どこか,トー突感のいなめない,このビザ發給拒否のハナシで始まった最終回は
    こうむすんで終わる。

    新聞と九条 441回――平和主義の國で 41回最終回

     大谷は今月,化学兵器被害者支援のNPO法人の役員として中國チチハルを訪れ,藥品代などへの援助を手渡した。
     フィリピンの戰爭被害者や,元帝國日本軍兵士から體驗の聞き取りをしてきたNPO法人「ブリッジ・フォー・ピース(BFP)」に參加する大學生ら三人が二月,マニラの南リパ市パガオ地區を訪問した。
     1945年二月,この地で帝國日本軍が住民數十人を虐殺し,遺體を二つの井戸に投げ込んだ。
     BFPは慰靈碑を作るための資金を一般から募り,被害者遺族に届けた。

     若者たちの『歴史と向き合う平和主義』が動きはじめた。



    いま。
    今しも。安倍政權は,りべらるの,アカの健鬪のはてにではなくw
    ウヨクの仲間割れによって崩壊していく。

    理念の純血からはみ出しがちな,政商ネオコン安倍ぼんぼんの
    信義のかけらもない義理もなければ任情もない,逆ギレしては,シッポをキり捨てるさまを見キった,アノヒトタチ,
    オトモダチタチによって安倍は退場させられる。
    www
    そのさまをみていて,おもう,

    日本のりべらるもまた,安倍と一緒に亡びされ・・・・w
    と。

    ヲワタ。
    とおもう。
    安倍ボンボンをたおせないワレワレに,たかが政商にすぎない安倍より,キョーリョクにして無テキなモトオリノリナガ一門バカヂカラに,たちむかえるか。
    立ち向かえるワケがない。

    ワカモノたちの,『歴史と向き合う平和主義』という若芽に,

    ソンタクと自己抑制というスマートを「オシツケず」
    キ色ワルい,へんな「寛容」のタマゴをうみつけず,
    しめやかに退場すべきであろう。


    旧日本軍731部隊が設置した凍傷実験室跡=2012年3月、中国・ハルビン、筆者写す
    舊日本軍731部隊が設置した凍傷實驗室跡=2012年3月中國ハルビン(上丸氏)写す



    2017年3月9日

    徽州の古民居はとてもうつくしい。紛牆黛瓦。
    徽派建築と言うのは,粉,おしろいのように白い粉牆,黛,すなわち黝い黑の瓦。
    おととし,抗戰詩を載せていたとき執拗に江南の水郷風景として載せつづけていた。
    粉墻と屋角。

    2017年3月8日,朝日新聞夕刊・・・・・

    ナルス殺虐ヲ民人ノ國中

    このメッセージはおそらく,郭沫若の第三廰,鹿地亘、馮乃超、らが所屬しし指揮しまた,手足となって活動した抗敵宣傳部のしごとであろう。
    郭沫若『洪波曲―抗日戰回想録』にはそうした活動の記述がたくさん書きしるされている,

    ・・・・・・。

    松井石根にあてたメッセージ 1938年4月、中国・安徽省安徽省に殘されていた中國側メッセージ 朝日新聞2017年3月8日夕刊

    南京陥落以降,帝國日本軍の殘虐さ,その殺戮の無差別,を,いやというほど思い知った中國の民衆は,
    かれらは,しかし。
    酸鼻な復讐戰となり,対抗すべくもなく逃げ出した蔣介石軍,丘八どもの,もとより望むべくもない「庇護」をうしなった無辜の民間人はただ,ただ,屠殺,の対象となった。

      屠殺と虐殺の意味はちがうのではないか?
      中國人は屠殺と言っているのである,だから南京大虐殺はなかったのかも,


    などと,しれっ,とカキバシル,リヴィジョニスト,秦郁彦某とかいう
    修正主義史觀陣営の旗手もいたっけ。  ☞屠殺 tusha 
    これが,ひょっとして,おととし日本の外務省が在外公館が世界に配った
    そして世界で失笑されたペーパーにしるされた,
    わがニッポン一押しの歴史學者であるならば・・・・・,
    日本は物笑いのタネである。

    が,それが戰後70年談話フィーバーのころの日本の自慰史觀一家のマスターベーション,ちまい,策動だったw
    わたしは,ただ,ただ,ハズカシイ,とおもったが,どうか,やめてほしいとはおもわなかった
    そういうことは大いにやるべきだ,と。
    なぜなら,それが日本人のじつは自力で行い得た戰後の決算,わずかばかりの黒字のたまものだからだ,
    戰後日本人の,
    ムカンシンによって,膨大な赤字から目をそらしつづけ,若者の將來をそこねているのも同じ精神回路ならこれは,にほんじんの
    本性だからだ,といいかえるべきかもしれないが。

    はなしをもどせば,
    南京アトローシティ。
    無辜の民間人を,屠殺 Túshā すれば。

    先日,虐殺された小林多喜二のハナシを書いた,一人でも “虐殺” だ
    それが   “ひとり” ,より,たくさん,名も知らぬものをブチ殺せば,大虐殺だ,
    ナニカ,異論をはさむ余地はあるだろうか?(秦氏にはあるらしいが。)


    ・・・・・。
    見知らぬ人の大量の死,と,孤としての, “個” の死,
    その,意味についての「距離感」をとりあぐねているような・・・・・
    乖離するばかり,の,ことばと想いの,合間の “虚” を率直に口にしてくださったひとがいた,わたしはその率直さに心の中ではいつも,いつも感謝しているが。
    それなのに「讀まないほうがいいよ」,などとw嘯く
    これも,わたし自身の距離感のとりあぐね,であること言うをまたないw,ヒトに説明できないから。

    ただ,こうは思う,

    ひとは, “歴史” との距離をそう簡單には埋められない。

    個個の歴史觀というのは,相當な努力の果てにようやく得るものである,
    ということ,それだけはいえる。
    そして獲得した歴史の觀相にたえず,充填しつづけなくてはいけない,
    自己のその時その時の思いを。
    充填しておくそれが,また,つぎに “とらえあぐね” してしまったときの,
    指標になるからだ,

    歴史に謙虚であらねばならない,ということの本質は,うらをかえせば,
    歴史はとらえた,とおもえば,それが,いつもとらえあぐねのはじまりでしかない,という,
    賽の河原,

    その河原にさえも,みちしるべがある,自分の在由をしめすための,
    という・・・・そのために “想” いがあるのだろうとわたしは思う

    この個人個人の道しるべも,もしそれが,普遍化されれば,
    “理” ,となる,道,理,となる,。
    それはヘーゲルの言う Weltgeist のなりたちのことかもしれないし,
    Weltgeist に關與,もしくは同化することでもあるし。

    第一次,第二次世界大戰の“沙場” であった歐洲では,自他の界も,國境の界も腑分けし,個“體” と國“體” の嚴密な腑分けの中で,自他,主客を考える習慣と理性が,ある。
    それはキリスト教會以前,アシアマイナーから波及したフィロソフィーの基礎があるからだ。
    いったん事あり,人間浩劫の沙場となれば,・・・・・救世主も福音も。
    唯一神など何の役にも立たない。
    有るのは,自他,それぞれの體と,用だけ。自明のことだった。
    いうなれば

    唯我存,唯我獨存。
    邵雍にいわせれば・・・・
     水體以器受, 火用以薪傳  
     體在天地後, 用起天地先



    ・・・・・。

    さて,と
    屍骸と鴉と野犬をのこして,逃げ惑う中國の難民たち。
    しかし。
    彼らの同胞が虐殺され,彼らが逃げ惑うはめに陥った「原因」をどうやらつくったらしい
    中國人民の,志願兵たち。祖國防衛軍の抵抗。

    日本側に言わせれば,笑止千萬のふとどきな,暴「支那」の抵抗。

    かれら避難民のなかに, “かれら” をうらむものが,はたしていただろうか?

    淞滬會戰で熾烈な攻防肉弾戰の死闘を繰りひろげ,帝國日本軍の侵寇に同歸於塵の勢いでぶつかった,上海の・・・・・いわば,中國版,對法西斯蒂(ファシスト)戰爭のレジスタンス「義勇軍」,をうらむものは。

    つまりは,古今東西,いつのどんな時代の,こと侵略戰爭において,
    戰火の擴大,その原因,その有因有果の “第一” でもあるだろうが。
    抵抗。

    兵燹そのものは憎む。
    しかし,抗日の主張を憎むものは中國人にはいない。
    なぜか?日本軍の統治が行われれば,もっと悲慘なことになるのはわかりきったことだからだ,

    東北三省のニセ「滿洲國」でっち上げからすでに六年だ,
    東北の民は故郷を捨て流亡するか,帝國日本人の下で奴僕となってたえしのぶか,
    蒼生飽受,塗炭之苦,である

    華北における日本の統治,冀東・冀察政權下にどれだけ中國の民が悲惨な境遇にあったか。
    吉鴻昌《察哈爾抗日詩》,《就義詩》が示すとおりである。

    抵抗を叫ばぬもの,ひとりとしていなかったろう。
    勞働者,學生たちは次つぎ,志願して抗日義勇軍に身を投じていった
    あたりまえだ,彼らの祖國なのだから。
    それを
    こンな單純な道理を,知ろうともしない,氣づきもしないで,今の日本にできあがってしまった,戰爭觀。。
    ベツにわたしは戰爭賛美者ではないが。

    日本人の戰爭觀は,「あの時代は戰爭だったんだからしかたない」,
    というときのあれだ。
    どっちもどっち,日本人も大勢死んだんだ,という思考停止。

    どんな殺人,暴力も・・・・
    いまさら道義的責任をいわれても。
    と。

    侵略戦争は喧嘩両成敗ではない,と言うことを理解しようとしないなら,
    「戰爭を起こしたが,それは “解放” のためだ,反省などしない」,と言う強弁とおなじである
    中國人が望んでいたのは,日本人の侵寇からの解放である。

    人が殺される,大勢死ぬ。動産不動産をうばわれる,婦女は凌辱される,
    たいへんんだ,
    だから戰爭はいけない,

    それが 唯一の “ただしさ” であることはいうまでもないが
    りべらる,がわたしに向ける批判が,この一点に依據しているとき,
    わたしは反發する。

    新聞と九条 426回――平和主義の國で 26回

    このころ,庶民の戰爭體驗をつづる読賣新聞大阪本社版の連載「戰爭」が評判になっていた。75年から続く長期連載で,社會部長の黒田清が記者たちをリードした
     連載は83年2月中旬から,中國戰線に從軍した元兵士の体驗を紹介した
     同じ部隊の少尉が斥候に出て中國側に慘殺された。元兵士らは腹いせに逃げまどう子連れの母親や老人ら50~60人に重機関銃の彈丸を浴びせた。『中國側にやられたから,帝國日本軍が逆上してむちゃくちゃやろうとした,と言うても,本当は順序がハンタイなんやろな。もとはと言えば,日本が勝手に攻め込んで暴れまわったからこそ,中國の方抵抗して・・・・」(83年2月25日付)
     



    南京寇略はさらに,彼らの抗日繼續の志を強固にした,
    あたり前だ,抵抗して破れ死に,抵抗せずとも屠殺される。
    いくら非暴力,不服從のガンジーだって,抗日戰はみとめざるをえないだろうよ。
    ・・・・・。
    さはさりながら中國の首都機能は
    撤退につぐ,撤退で,南京陥落後,漢口,長沙,から重慶に落ち着くまで長江を遡る。

    まっさきに撤退していく國民黨軍と官廰の車馬,
    その後塵を罵倒しつつ避難民の群れ,大八車とがあわただしく長い行列を作り。

    空っぽになった城市の一角で,帝國主義資本の建てた工廠,ビルディング,レンガ壁にこうしたスローガンを書き散らすのが,まさに鹿地亘らの活動でもあった。
    周恩來の下で,救亡抗敵文藝戰線を引っ張っていた郭沫若。


    今夕,この写真ののった夕刊を讀みながら・・・・・こんなことをずっとおもっていた,

    そして安徽省の粉墻を・・・・おととし執拗に載せつづけていた江南の・・・・
    美しい白墻…・雨に濡れる黛瓦


    そのあと連載はこうつづく・・・・・

    85年1月・・・・
    靖国神社宮司,松平永芳が,少人数の会合で,A級戰犯合祀の狙いを語る。
    「現行憲法の否定はわれわれの願うところだが,その前に極東軍事裁判の根源をたたいてしまおうと・・・・・」


    XDDDDD
    これがニッポンである。

    たたいてしまおうと・・・・って。
    たたくっっ,てなんだよー,たたくってっ。
    ニッポンシキシマ,宮司一家の總攬把かよ。
    こんな “國” なら ほんとうに,
    いちどほろぼしてくださり,なさったほうがいい,
    ヤハウェでもヤオロズでも。
    研究系A級戰犯ヤナイハラタダオ,ぢゃないがw
    (日ユ同起源説もこのあたりからきているのかなw,)

    天長地久有時盡,此恨綿綿無絶期――長恨歌

    kounanhakusyoutaiga.jpg

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    天自得一②もののあはれな “人那不如月” 孟東野 《古怨別》 ,《古別曲》

    みやこにて月をあはれとおもひしはかすにもあらぬすさひなりけり
                                ―西行


    西行のこの歌がいつ詠まれたかは知らんが
    12世紀であることだけは間違いないだろう
    ベツに深い意味はない
    もののあはれなるものを WIKIでみてみたらばこれがでてきた,というだけ。

    とはいへ。
    もののあはれなるものは,日本人の發明ではないのではないかと。

    わたしがモトオリノリナガときくだけで,ゾっとしては,ムシの如くにギライするのは,
    單に,このひとが
    まったくちんけな世界觀を展開しては,いいつのってることが
    わたしの趣味に合わない,と言うだけでなく
    このひとの粗雜な主張には,「コンキョ」があって
    それはいつでも,
    「わが日本が海内に無比の上國,唐・天竺・西歐は下」
    である,と。

    ほぼ,それだけ。
    という論據の貧しさ乏しさゴーインさ。

    そんなのさー,

    西からのぼった太陽は東に沈むのだ,それでいーのだ,

    わたしにしてみりゃ,バカボンのパパの妄想とほとんど同じ。
    リクツ以前の問題,だ。

    赤塚不二夫の非論理性をわたしは愛するけれども。
    マンガだからいーじゃねーかは,ひらきなおるまでもなく
    それでいーのだ,が。

    「ニホンだけで通用するならいーじゃないか,上等じゃねーか,」
    と開き直った,モトオリノリナガ上國論法。
    しかもその開き直りは
    それでいーのだ,といわれて,そーか,そーかそれでいーのか,と
    侵略始めた無茶な帝國日本,と言う,不都合な史實に直結するかぎり
    この有害さと,無害なバカボンとは同列には置いて措けない

    近代日本人の最暗部に,蟠りもともと踞する本居宣長。
    なんだが・・・・。

    ベツに11世紀の源氏物語以前に,王朝文學的文學が世界になかったわけでもない。

    人類が,「もののあはれ」や無常にうちひしがれたのは・・・・
    日本だけに固有のジタイでもないうえ,
    はじめて問題提起がなされたわけでもないだろうに
    そこですかさず無常を確立させた,日本人っ

    といいつのるのも。まずハズカシイ。
    恥を知るのは,これ,ニホンジンと,これまた夜郎自大なハンバクもきこえてきそうだが。

    日本はレイプ國家ぢゃありませんっっ。なぜなら,ニホンジンは恥を知るからです,
    などと強辯してナンキンアトローシティをなかったことにできるとおもっているヒトビトを
    おカミに戴く,日本のゲンジツぢゃあるが

    無常
    うちが最初だっ,などということは,世界のどこでくちばしっても,
    相手にされない。
    “常 cháng”  , “無常 wúcháng” ,はそもそも日本語ですらない。
    とゆー。
    たしか,
    そう,漢語であるようなキもしないでもない。

    何~にが「漢意」だ,
    だったら漢語つかうな,とおもうわたしはおかしいのだろーか・・・w

    漢語には,漢の哲理,思想がみっちり搗きこめられているのだが。
    漢「言」を, “用” いて吐く,漢「意」の侮辱,
    その “體” はいずこにやあらん?
    天地にあるやなしや,構築された
    “意”“言” を侮蔑しながら,うちたてられた,理のない,「 論“理” 」モドキ,

    そういう粗ザツな論考に對峙し,あいたい(相對)して,

    「では,あまてらすおおみかみ,の,てらす “ あま” は,いったいっどこらへんからどこらへんまでかっ」
    などと。

    無敵のバカボンパパにたいし,あくまでキまじめに問い訊ねる上田秋成の
    「不」な論理性にこそ
    わたしは人類の未來をみたい,とおもうけど。

    それはけっして,キンシカガヤクニッポンの未來ではないことは

    い わ ず も が な の  ヒコクミン  あ は れ も の

    哈哈
    ええ,ムチャクチャ書いてます。




    キをとりなおして。
    孟東野 このひとは「支那」の八世紀の詩人だが

    處處得相隨,人那不如月

    Mingyue-wujiao.jpg

    入聲の音は,日本語の發音によく傳えられているので,
    脚韻として日本人にはとても馴染みやすい。

    咽・説とか,結・切,なんていう全く正反對の意味を持つ語など,
    脚韻字にならぶとそれだけでドキっとさせられる

    ということで,以下二詩。譯文はつたない意譯
    天涯共明月を,どうとるか。
    ふつうは,天涯,羈客は明月とともにあり,なんだろうが。
    あわせて《古別曲》を讀めば,なるほど,そうかとおもう。

     《古怨別》 孟東野

     古怨別

     颯颯秋風生  颯颯として秋風生ず
     愁人怨離別  愁わしく人離別を怨む。
     含情兩相向  情を含みて両(ふたり)相向かいては
     欲語氣先咽  語らんとすも,氣(息)の先に咽ぶ
     心曲千萬端  心,曲(折)するところ,千端萬(緒)あり
     悲來卻難説  悲しみおそい來たりかえって説き難し
     別後唯所思  別れて,のちに思うところ,ただ。
     天涯共明月  天が下,涯と涯にはなれけらしも,ともに明月ありぬ

     入聲 別咽説月




    寒蟲,號(さけぶ),(蘇軾の言),とまでコキおろされるような孟東野だ,それにしては温かいと思うんだが・・・・,どうだろう。
    いや・・・・やっぱり寒いことはサムいなw。 
    しかしながら
    “有情無縁” の女性との別れをうたった(まあ妻なんだろーが)孟東野なりの
    “纏纏綿綿”
    (ビンボーゆえ,一人出稼ぎに旅立つ遊子孟東野。)
    しっとりとした情歌なのかもしれん。
    難解でもなく狷介でも峭刻でもない。
    少し寒いだけ。異字もなく・・・・・とさっぱりとしてわかりやすい。


    (ちなみに遊子は遊び人のことでわない。
    “遊,游” にも山ほど海ほど意味はイロイロある。)


    このふたつ,孟東野自制の樂府,その歌辭であるから。
    本來,「歌曲」を前提にして詠まれている
    《古別曲》という篇名がまたいい。
    “古怨別”と言う詩を書いた,その“古詩”風の別 “曲”
    という意味なんだろうとおもう。
    なぜなら,w
    より “古詩” だからだ, 《古怨別》よりも。
    そんな感じwカッテなもんで。

    とわゆへ,漢語は複雜。
    輻輳して意味があるし,その “意” を驅使していけば,おのずと意圖せずして
    “象徴詩” となる,漢語による舊體詩,いわゆる“漢詩”のふかみだ
    これは,唐詩だが。

    ともあれ。
    この別曲がなければ・・・・。
    《古怨別》は孟東野にしては,あまりにも淺い(=ダサい),とわたしは素通りしかねないものだった・・・・・。
    別曲をよむと
    より,いっそうの寂寂寥寥の月を,そこにみる。
    なぜなら
    この月。
    鈎月だろうから・・・・きっとひねくれた呉鈎劒のような,と。
    なぜなら・・・・
    脚韻が入聲音だから・・・・w

    これもカッテなおもいこみだがそう思わせるのが, “漢”字の深み,漢古,古文の深み。
     
    おそらく,古,別曲とはそいういうことだ。

    近代日本で孟東野孟郊詩がホンヤクされないのはなぜか・・・・
    不思議だが,w

    moon1.jpg 《古別曲》 孟東野

      古別曲

     山川古今路   山にも川にも古今,路あり。
     縱橫無斷絶   縱にも横にも斷絶無し。
     來往天地間   來れりも往きしも天地の間(ま)には
     人皆有離別   人,皆,離別あり。
     行衣未束帶   旅じたくも(衣)帶も未だ束ねず
     中腸已先結   腸中,すでにして先に,結ぼれり
     不用看鏡中   要らず。鏡中用いて看るまでもなし。
     自知生白髮   自ずから知れり。白髪,發するを。
     欲陳去留意   ひそと,我去るを陳べんととどまるに
     聲向言前咽   向かいあいては,言の(出ずる)前に,聲,咽ぶ。
     愁結填心胸   心胸に填(こ)もる愁いは結びとじ
     茫茫若爲説   茫茫,もし説きいださば(はてなきをおそれる)

     荒郊煙莽蒼   荒郊,煙ぶる莽莽として,より蒼蒼,
     曠野風淒切   曠野,風は,淒淒として,切たり。
     處處得相隨   どこまでも相随いを得ん(月よ)。
     人那不如月   那(なんとなれば),人は,ああ,月に如かず
     
     入聲十六屑=絶別咽切, 入聲十月=髮結説月

      天涯の果てと果てに別れようとも,ともに同じ月を見ることが出來る
      しかし人と人は處處相随わねば,やはり遠く離れていくばかりだ,
      荒郊に,曠野に,ただひとり足を踏み出せば淒淒として月を見上げる。
      そして,
      おもう。
      
      人,那,不如月

      ひと,月にしかず,不如月(月におよぶべくもない)

    gokouken400.jpg

      
      
    この二つの詩,《古怨別》,《古別曲》
    荒涼荒漠の曠野に,皎皎たりの明月照らす, “別離” ,そのもの。
    ものがなしく,さびしく,うつくしい。
    さらに
    ここには無常もあり,無力があり,
    それを乘り越えようとする, 「“自” “發” 」的「批判心」がある
    ここでわたしがいう批判とは,「是非を判斷する」,と言う漢語だが。
    批難でも否定でもない。自己の到達しうる界を見定めるそこに “自分 zì fēn”あり,
    明確な「漢意」あり。

    ・・・・・。

    たとえば離別,という,語
    “離” には,受遇,の意味がある。
    つまり惡いことに出遭う,遭遇する意が含まれる。

    “離” という,ことばひとつとっても,その包括する意味の廣さ,
    離れることは出逢うことだという,情理
    去ることは行くことであるという,物理

    漢字一字の中に自他,主客を倒置させて,二重に,三重に意味がある。

    そこにはもちろん “なさけ” はこもり, “あはれ” はつもる。

    このとき孟郊がつかう漢字には一千年を優に超える,
    漢民族中華民族の歴史あり,
    克服してきた道のりでもあり, “個人” の萬感こもるものであり。

    萬感こもるなかに,“あはれ”,はある。
    理念も論理も構築しないはずの “一字” のなかにさえある。

    なぜ,「漢意」には,日本人の感じるような様な情緒がないなどと言い得るか?

    とりわけ,
    この詩において,もっともだいじなことは,

    “離” には,もともと。
    婦女の身に着ける佩巾の意味がある。
    だから結ぶ,切れる,
    “未束帶,已先結”
    と言う詩語が生まれる

    本朝,我が國の王朝文學が,それを知ってか,知らずか,
    掛詞や,縁語がパクリかオリジンかそんなことはわたしは知らないが。

    漢字を馬鹿にしてはイカンということだけはいえるw
    いや,絲のちぎれは,缺裂,結切,の “しるし” ,であり “きざし” であることは
    世界のどこでも共通する
    衣服ある限り,束帶はかならずある。あり。

    月はどこから見上げてみても。
    東西南北どこから見ても,夷戎蠻狄,いずこもおなじくだれでも感じられる “あはれ” の感性。

    もののあはれの一國ヒトリジメは理解したくないというだけでなく,

    他國の “みちのり” を,道と倫理を,
    モトオリノリナガは,むやみにさげすむから
    わたしには “あのヒトたち” の元祖に見えてしかたない
    人間だれしも感じる「あはれ」,さえ日本の専賣特許です,みたいなノリで,

    其れとは別に。
    ここから本題。

    月を見上げて。 その“無常” を感じるココロを詠むか,
    月を見上げて。 おのれの“無力” を感じる心情が「言志」
    となる詩を歌わせるか。

    というモンダイイシキのちがいもあるし,
    どっちもどっち
    「あはれな」ありさまに,キづいて,
    あはれに端を發して,言を用いて,體を表すことには變わりない。

    あくまで。
    その體が,自分であることを。
    發端とする「もの」が “自” ,であること
    これが漢人の, “天” と “自分 zì fēn” との相對だ

    「漢意」でもある。

    「漢意」の反対は,ではなにか,といえば,
    皇國意,だが,それはなにか,と
    わたしにいわせれば
     
    「依存」。依りて,存する
    依靠,
    天下は皇國の家屋敷,民は臣民。なのだろうか?

    「無常感」をいやすのは,いったい「自」なのか,ヒロヒトをはじめとする現人神なのか。


    天意とは?
    天民とは?

    天自得一天無既

    邵雍《得一吟》


    つづく


    どーでもいいが。
    わたしは西行はきらいじゃない。素朴にいいな,と思う心は持っているのダ。
    と言っても誰も信じないかも知らんケド。
    ふんっ ` ´

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    菩提本無樹,明鏡亦非臺。物化と忘却㊤

    このところ,朝日新聞夕刊の『新聞と九条』 連載,『平和主義の國で』という章。
    先月からつづているのだが。
    わたしは毎夕,それを讀むたび,ひどく心を掻き亂される。

    堀田善衛,由比忠之進。劉連仁。撫順捕虜収容所,中國歸還者聯絡會,『三光』。
    それらの記事をいまの時期,新聞紙上で見ることができるのは,わるくない,,ようやく,アサヒシンブンも正キをとりもどしたかw,というおもいと,ともにあらためて,日本人の加害,とその忘却の罪の深さを思い知らされる,
    五味川純平,周恩來,といった顏を見ると,妙に落ち着かなくなる,ああ,と。
    岡村寧次,荒木貞夫・・・・見知った顔ぶれw,ははあ,と。
    以前の,苦痛、吐き氣との戰いだった日中戰爭と近代史を學習しつめこんでいた時期の辛かったことをまざまざおもいださせる,
    と書いてみても・・・・・いやモー烈なるイキオイでつめこんでいた,のでむしろ學んでいる時間は感じずにすんだかもしれない,樂しいといえば樂しかった

    20代の後半,もう若い娘ともいえぬ頃合いにさしかかる時代からだ。

    そのころ,わたしはまだ,フランス文學科の學生で・・・・・
    すべてのはじまりは・・・・アンドレ・マルロー“La Condition humaine
    人間の條件(上海の嵐)
    茅盾子夜を,同時に讀むことを強要した渡邊某先生のせいだ・・・・・

    La-condition-humaine‐Malraux-André, Gallimard, 1933


    そもそもわたしの日中戰爭への興味はべつの方向からも進んでいった。
    わたしの父は,戰後すぐ,父の出身校が,『きけ わだつみのこえ』の初版時に編集委員で中心だった刊行者の出身校(当時は舊制,府立三中)であった,という縁もあり,學生時代「わだつみ會」に入會した。若い時マルクス主義信奉者で,デモと言えば最前線で,歌いながら,當時は合唱隊というのがあって,先頭に立って指揮をしながら練り歩くという,血のメーデーではインターナショナルをうたいながらキがつけば,皇居に突入していた,というような血氣さかんのワカモノだった。
    いきおい,わたしは子供のころから,『きけ わだつみのこえ』は,もちろん,小林多喜二だの,槇村浩だの,というのはごくあたり前に身近に轉がっていて目に觸れる。

    最初にわたしが日本人詩人として名を覺えたのは・・・・中原中也ではなく
    中野重治であったw
    といえば,わたしが,いかに特殊な環境にて育ってしまたかわかってもらえるかもしれない
    日本の戰爭は,わたしのまわりには,學ぶ題材として,いくらでもころがっており,それは決して忘れてはいけない,日本の過去の罪業である,との思いは自然と身につき,まとっていくことになる。

    父はそうしたワカモノ時代を經て後,ドイツ文學の道に進んだ。
    戰後の西ドイツの情況は,つまりかれらのナチズムを生んだ祖國の,過去の罪に對する徹底的かつ峻嶮,嚴密の掘り下げと執拗な追求は,父との団欒の時に好んで語られる話柄であった。
    ヨーロッパのとりわけフランスの對ファシズム戰爭の英雄,ヨーロッパの戰後處理は,わが帝國日本の戰爭加害の對極にあり・・・・・。
    賛嘆をもて,ある種,憧れを帯びて・・・・・熱く語られるw。

    それでも。
    それでいて,わたしは,ながいこと,中國の被害の凄まじさと,抗日戰の意義には思い至らなかったのである。
    あるとき,
    わたしは,大學で,「日本の戰時下には,マルローのような作家はいなかった,みな,金子光晴のように息をひそめて隠れ濳むか,
    もしくは戰爭協力の「報國會」だ。日本の文人はナサケナイ,」(若い娘時代だ,半分は父の受け賣りであることはご想像がつくだろう),トクトクと。
    そのとき・・・・・。
    なんと,フランス人に,
    「日本にも中國で,反戰活動をしたリッパなレジスタンスの闘士がいる。スペイン内戰下のヘミングウェイ,アンドレマルローのような文人がいた,」と。聞かされた。
    鹿地亘――,ワタル カジ。君は何にも知らないじゃないか,自國のことをもっと知りなさい,
    と。
    叱られたのであった。

    それをおもいしらされて,ガクゼンとして。
    日頃,自分は戰爭のことは,ええ,よく知ってます,みたいな顔をしてえばっていたがゆえ,いっそう恥ずかしく,悔しく,自分にハラも立ち,またこういう若いときのハジは・・・・あとからふりかえれば大きな轉機となることがある。

    そもそも専攻も違う,やりたいこともべつにあった,で,近代史の勉強は,完全に獨學,ヤミクモに讀み進めるよりほかない五里霧中であったが。(もっとも今でも,霧がほんの少し晴れたくらいの程度だ,)
    手あたり次第に關連していく本を讀み漁った。
    まだネットというものはなく,手近に讀める中公新書,岩波新書から始めて片っ端から,貪り讀み。昔は,そこから,そうした,本の巻末に記されている参考文献を探し求めること,が唯一の手がかりで。
    圖書館や古書店を回り,讀み漁っていった。
    それでも,いくら讀んでも,いくら讀んでも讀後にいだくのは

    ―― あまりにも,自分は日中戰爭,「滿洲國」,かの地の實態を知らなすぎる,

    であった。
    いくら讀んでも,つきることなくいくらでも,新たに知る幾多の戰亂があり,中國は廣く,帝國日本が侵略していた期間は長い。
    とほうもない,戰爭被害の實態・・・・・・
    そうした感覺は・・・・・,

    たとえば,五味川純平の『人間の條件』を全巻讀んだひとにこういえば,わかってもらえるかもしれない。
    それを讀んでさえ,讀んだところでせいぜい知るのはある一時期の滿洲侵略と華北の情況でしかない。

    盧溝橋直後の華南の戰爭,湖南の侵略ではまったくちがう種類の・・・・寇略と殺戮戰である。
    堀田善衞を讀んでも知ることは淞滬會戰と南京攻略戰の實態にすぎない・・・・・。

    全體としていったいどれだけの・・・・,罪。命。破壊。略奪。半世紀に及び,斷續的にひろがりつづけた軍事侵攻の,ながいとき。大陸の大地。その廣大。

    この途方もないなさをどうつたえればつたわるか・・・・。
    わたしには,ちょっとおもいつかないのだが・・・・・むりにことばにすると,たとえば

    731部隊が作ったペスト菌兵器が實際につかわれたか,知るひとはいるだろうか?
    いつどこで,と言う實際の例は,いくつかある。
    ひとつが,ハルビンから遠く離れた華南,常徳である。

    それは,常徳という土地の・・・・ジツは
    こうむりつづけた被害のうちのほんの小さな規模,ささいな一つにすぎないと言う,事實。
    そのあたりは,洞庭湖畔の風光明媚,古來つたえられるところの桃源郷と言われた地域,日本でもなじみ深いはずだ。
    心ある日本人は,ペスト菌を播いた事實をもってしてたいへんなことだ,もうしわけない,と思うだろう,

    しかし,實際にはこの作戰は失敗し,たいした被害はもたらさなかった。

    そのいっぽうで,常徳殲滅作戰。
    常徳の市街地における攻防戰は,それとは全く別の,膨大な甚大な被害を戰鬪員,非戰鬪員問わず被っている。
    しかし,731部隊の関連本を讀んでも,それはわからない。
    「常徳殲滅作戰」・・・・という戰史の "項目" でのみ知ることができる。
    その被害のギャップ,両方知って初めてこそ常徳の被害だ。被害の大きさだけで見るとペスト菌のことはほとんど無視されるが。

    當時,わたしはそう思ったものである。それができうるせいぜいの納得の仕様だ

    しかし・・・・・。
    抗日戰爭詩をこのブログに載せるようになり。
    あるとき常徳を詠った一連の抗日詩群を讀んでいて,マッタク知らなかったある村落の淒じい被害を知る,そこでは完全に數村地域一帯ごと潰滅,完全にひとが死に絶えて,たった一人が,馬の世話をする人員がいないという理由で捕虜として生かされていたという事實を,わたしは知らされた。
    興味をそそられて,ネットで調べはじめていてとてつもなく恐ろしくなった。

    おととしのことだった。
    そのときおもったのだ,

    それはおそらく,日本で,日中戰爭歴史關連書を,たとえ,たとえすべて讀んだところで,知りえない實相ではないか?

    そこから,すすんでさらに,まったく予想もしない地域に,淒まじい戰爭禍害の實態があったことを知った。
    この地域の話は・・・・・自分がかつて讀んだ日本語の本にかかれてあっただろうか,記憶をたどってもちょっと片鱗さえおもいつかないくらいおもいがけないところだった

    そうしてそういうことは,ジツは中國大陸のいたるところで,取るに足らない,ごくありふれた事實にすぎない,という
    とほうもない,事理にいきあたったようなきがして,心臓がバクバクした。
    足元の地面をふんでいるのさえおそろしいような,

    賽の河原だ・・・・・,と。

    ネットで執拗に調べていった果てにはこうした實態はさがすことができるのだろう,次から次へと。
    そして,
    中國の被害を全て知ることなど到底できない,それは頭でわかっていても心の中では,自分はかなり,知っている十二分に知っている,というつもりになっていた,それで,どうだ,こうだ,と,わかったっつもりになっている自分の甘い認識に,畏れをいだきもした。
    恐怖心,にかられ・・・・。

    歴史に對して謙虚であらねばならない。とうぜんのことだ,しかし知れば知るほどもたげてくる禍。
    知識欲もやはり,欲であり,積習,である。知識會得の罠,というのはどこにでもぽかっと口をあけている。

    しかし。

    ところで,これらはたまたま知ったにすぎないできごとだ

    おそらく,わたしは,ふとおもいついて華南の抗日詩を讀み,民族詩壇周邊の事情を調べなければ,きっと知る由もなかった,
    もとより「知る必要もない」事實,である。

    しかし。

    1972年9月25日人民大會堂にいた,中國人は,みなこうした地域の恐ろしい時間を生き,生きのび,過去を背負っていた人々である。もちろん彼等も
    たまたま,その地に生まれ生きた為に知ったに過ぎないできごとだ。
    といっていえないこともないが。

    これが,此地と彼地のちがい,である,と言う,この差異,この
    「事理」。
    とうてい埋めがたい距離の遠さであり,これを埋めなければいけないというのは,もとより
    「無理」だ。

    此れがジツは,歴史に對して,あくまでも謙虚であらねばならない,という,「理」,なのだろう,

    端的な,こうした「無理」を痛感する,ということは,ジツは,机上にかじりついて歴史の勉強しているぶんには,あまりない。
    地続きのヨーロッパではまたちがうだろう,が。

    この,埋めがたい,距離,空間という概念では表しえない,無理であり “離”
    “離”と言う中國語はそのジツ “遇う” ,と言う意味なのだが・・・・)

    そして,この事理と無理・・・・・。理の無いなさと・・・・。
    そう。
    この「無理」感,
    理の無いなさ,と,不可能感, 絶望感。
    恐怖心・・・・・大地が忽然と消えるような,といったらおおげさだろうか,
    それに,出くわした・・・・・。

    三月三日,朝日の夕刊連載に載ってたのは,
    それを,その離合を,
    あっさりと,あざわらうようにばかばかしくも,象徴することばでもあったかもしれない。

    迷惑

    日本の指導者は,1972年,迷惑をかけた,といってはじめて人民大會堂で頭を下げたのだ。
    しかも,當時
    日本人のうち,中國に悪いことをした,と考える人は26.6%しかいなかったのだ。


    日本が中國と戰爭したことについてどう思うか

    悪いことをした        26.6%
    自衛上當然だ         8.4%
    ヤムヲエナカッタ       46.6%
    わからない 無回答     13.9%

    (1973年世論調査)

    AS20170303002409_comm.jpg↑見鬼 Jiànguǐ…(=ワケがわからんゾ…)1972 09 25 「迷惑」を聽く周恩來

    ・・・・・

    これが日本人である。
    無理。
    理が無いうえ,事理も無い!そして。この大事な時に
    あまりにも・・・・

    かるい。

    血債血償那隔絶,此心此土不同天

    1972年。
    敗戰後,僅か…・に,二十年もたっていない。
    中國の大地では・・・・父母を帝國日本人に殺されとなった兒がようよう,成人,壯年期をむかえるころだ。

    娘を惨殺された父親も,母を目の前で殺された兒も,大勢中國の大地で,この田中の言葉を耳にして。

    迷惑・・・・を?
    我我中國人は日本人に迷惑をこうむった?

    すこしまえ,この話を,「土人,ボケが」發言の記事で引用したとき,わたしはたしか,・・・・周恩來はうそをついてまで,・・・・w日本をかばったと。
    書いた
    つまり。
    ニホンゴの迷惑と中國語の迷惑は意味が違う,とまでいって,怒り狂う中國の民をなだめてくれたウソツキだ,周恩來は,という言い方で,揶揄を書きバシッたw
    想えばわたしは去年,一年,なぜか,そんなことばかり書いていた
    (理由はあったキがするが,いまはもう思い出せない。もうそういうフザケた書き方は,もうやめよう,と心の底で深く反省したからだ。)

    日本人が,なにかしら,これまでゆるされてきたのは,
    何ーんも戰爭の加害を意識することもなく,被害者の骨までしみこんだ怒りと憎しみを・・・・海を隔てた遠い世界のこととしてわすれさり, のちの世代に知らしめず・・・
    それですんできたのは,

    大陸流の「没法子,Méi fǎzi」 か?
    いやいや,
    しょーがね,しょせん,日本人は, “Guǐzi” , “Dōngyáng guǐ” ,だ,と?。

    と,同時にたしかに
    卓越して民衆の怒りを収める政治タレント,その手腕による,ということもわすれてはならないのだ。
    彼らの強權,共産黨のやり口を一黨獨裁といってカンタンに批判する,それは中國という囗の置かれた困難を知らないものの呑氣な言いかたである,ということもまたいえるのだ。
    さらにいえば,かの地で,必要とされる,政治 “能力”,外交 “能力” とは――複數の淒まじい才知と腕力でもって漸く補いうるような才覺が,正しさの行使を・・・・というと・・・・ちがうな,
    ――right conduct,の能力であるが
    なんといったらいいのか,・・・・・・
    まず,生ぬるさがない。
    日本人は中國の政治權力の,惡い側面ばかりにメをつけるが,そういうひとたちは,いちどでも,考えたことがあるか,その擅權,によって,いかに,「集團としての」日本人が戰後,なにかしら罪惡感や,懊惱から遁れ,安住の島國のうちにまもられ,ながらえてきたか・・・・・

    この時代,ニクソンとくらべられたであろう田中角榮,其一人格に,對峙した,膨大な人數の・・・・・・
    戰爭被害者たち・・・・・,
    その面前に,投げられた・・・・・打擲せられた, 迷惑 Míhuò” の二語。
    わたしは,このときの,1972年,のまさにこのことばによって,
    「日本鬼子 Rìběn guǐzi」 は永遠不朽の普通名詞となって大地にきざまれたんではないか,・・・・・。
    とすら。

    ジツは思っているのである。

    戰後だいぶ經ってからうまれたわたしは,・・・・・
    當然まず,田中角榮といえばロッキードのピーナッツ。
    が,近代史を學んでいく過程で,あるとき日中國交正常化交渉のさなかにおこったこのいきさつを知った時,愕然とした覺えがあった。

    ネトウヨブームがおきる前,つまり單に自分たちの世代が知ろうとしない加害の実態を調べているヘンなヤツと,想われはするけど,今に比べればずっとヒコクミンでなかったわたしですら,ぎょっとしたのだ。

    日本人,・・・・ナニ?なにもの?
    と。
    その戰爭責任の無自覺さ,,といえばまだきこえがいい,その・・・・,とほうもないなさ。
    存在の・・・・・・堪えがたい輕さ,だ。

    中國人民の憤激いかばかりかと。
    よく田中角榮は生きて歸れたな,と思ったくらいであった。

    そうおもっただけに。
    田中真紀子が,その時のことを回想してあのとき,父は死ぬことも覺悟して國交正常化交渉に臨んだ,と。
    そういってたのを何かで讀んだことがあるが。
    それは日本で,右翼の反發というより,中國で,何かあるのでは,生きて歸れないのでは?と言うニュアンスだったとおもう。
    わたしはそのとき妙にリアルな感覺で,納得した。

    今のネトウヨは,すぐ,中國の反日教育が,という。
    洗腦されてできあがった中國人の對日觀・・・・・
    共産黨一黨獨裁政權が自らの足場を固めるために,抗日戰勝利を無限大に美化しつづけてきた歴史觀・・・・・・と。

    わたしは違うと思う。
    それはまったくの,的外れ,むしろその,逆,だ,とおもうのである。
    すくなくとも72年の時期までは。

    わたしをキ違いだと思うなら,どうか,ここで讀むのをやめてもらいたい。

    洗腦やスリコミでしむけるまでもなく,民の被害感情の噴出のほうが壓倒的に凄まじかったろう。
    (それはこと,人民中國に限らない,マッタク,アジアに限らないことかもしれないが。。)
    おそらく,國交正常化交渉前は,
    つまり,この,『迷惑』 發言以前は。

    中國の民衆は
    日本人民が侵略の加害を,武力行使,殺戮と破壊を深く重く反省しているだろう,と。きっと疑いもしなかったろう。

    なぜなら我我は,
    日本に戰後賠償のいっさい,實際天文學的な數字にのぼったであろう,到底しはらうことなどできない,數字であったため,と言う一面もある,とはいえ,我我はそれを放棄したではないか。(――円借款は,あくまで,借款である,と言うことは日本人は殆どわかっていないのかのようだ)

    なぜなら我我は,
    處刑せず収容し,日本人戰犯には,たとえ,中國人民が腹ペコでも,白米を食わせ,無事祖國に送り返したぢゃないか,(中國大陸で處刑された戰犯はほぼ,國民黨政權下であったこと,帝國日本軍の武裝解除をおこなったのはほぼ,國府軍である,と言うことは日本人は殆どわかっていないのかのようだ)

    中國人民は,戰後,教育によって,憎しみはあれど,大切な人を殺された恨みはあれども,骨髄に染みわたってはおれど。

    日本人民はきっと反省したはずだ。
    斷腸の思いで悔恨したはずだ。
    そうおもっていたのであろう,とわたしはおもう。

    それは彼らにとって過去を,克服などできようはずもない過去,清算は,血債は血でしか償いようもない,という思い,
    と,
    それでも決濟しなければならないと,やらなければいけないと叱咤する指導者がいたこと,で,

    苦しい時間だったと思う,しかし,できやすくなった一面はある。
    齒軋りしながら,大“ しようとし,そしてまがりなりにも,
    “ 自發的” に彼ら人民は,自らが受けた被害の“清算” を行った,歴史上の過去を, “舊事”“揚棄=アウフヘーベン した。(これは前頁ですこし説明した,)

    自ら自(より)の變革によって,ムリヤリ憎しみをおさえこんだ。
    いわば,
    帝國日本から受けた被害を, “物化” させるために,
    私物化された過去の時間を, “無化” させるために,
    もちろん,唯物弁證法,マルクス思想は一定の力と作法を知らず知らず,彼らにあたえたはずである。

    そして
    ―― “共有” 化された。
    おのおのそれぞれがとして,普遍性を持った時間空間を共有する
    實はこれが,“文” 化,であることはいうをまたない,
    文化とは,揚棄と清算によってあざなえる, 化體

    さらには,大地の癒しであるだけでなく,土地を癒し,土地に癒される,ということ。
    (在宥とは,宥し在り。宥される存在,ということだ,)
    孔孟,『莊子』以來の天地の法則でもある

    共生,
    ひと同士が,ではない,
    中國の大地に,無“情”, “情(じょう)”無き ,非情,天と, “倶”に,生きる にはそれをするしかなかったのである

    いうなれば,大地が培ってきた民族の知恵でもある
    そこに,
    “普遍的なまでに” ・・・・,
    ヘーゲルの言葉を借りれば,Weltgeist だ,
    中國化された “共産”
    つまり正しくは共生・・・・中國古來のことばでいえば “大同”“社會” であるが。

    天下の蒼氓は,一個の大地と “文”の 化體に,
    その “存在” に氣づいたはずである

    ともすれば,日本人捕虜や収監者を虐待しようとする収容所の中國人兵士たち,その粗暴を,おさえこみ,こんこんと説き伏せ,日本人民も犠牲者なのだ,と。
    國家指導者に驅り出され,負ければ,その責任を負わさせられ,憎しみのさなか,置き去りにされた,日本の兵士もまた,君たちと同じ犠牲者だ,と。

    それは,今の日本人が,もっとも嫌惡するイデオロギーによる洗腦,もっとも侮蔑するアカの思想教育,というものかもしれない。
    しかし,すくなくとも抗日戰勝利後,彼等,八路軍指導者らのイデオロギー,強力な,一方的思想教育であれど,しかし一面,想教育、“理”“想” の押し付け,
    そのたまものでもあった。
    これはまさに Weltgeist,だろうし,また,。
    ヘーゲルの言う,“國民 國家” の精神である。
    ヘーゲルの言う,“Naition 民族”であり,ヘーゲルの言う “Naition 國家”である。
    わたしがわざと,マルキシズムを覆い隠しているのではなく,ヘーゲルが,アカなのでももちろんなく。

    これは單に, “社會” という漢語が “體” 現する “大同” のメカニズムをのべているにすぎない,
    もっといえば,誰もが共有する,共生の,リクツ,である。

    わたしにとって,いまさら思想に固有名詞はまったくどうでもいい。東西を乘り越えさえすれば,固有は跡形もなく消える,ただの “用” にすぎない。


    ・・・・。

    二十世紀前半1920年代後半以降およそ四半世紀の間,一連の帝國日本の侵略によって,中國全土で日本人によって殺された死者は二千万と言われる。
    わたしにとってはこの數字は決して大げさではない,むしろ,そんなもんか?もっといるだろう,という思いさえいだく數字だ。
    それほど兵燹は長く,大陸は廣く,隅々にまでいきわたった。

    たとえば,『戰鬪中』・・・・・・・・この言葉も近頃は定義がいろいろあるようだが

    日本軍の侵略および侵略戰爭時の武力行使によって殺害された人數,・・・・・
    中國人戰鬪員死者は百三十万人という,また,たとえば,

    帝國日本軍が入城し占領した城下で,直接手を下され殺害された捕虜の數,

    家屋財産の接収の際抵抗したため殺された民間人,

    貞操を守るために抵抗し殺された婦女子,
    貞操を守ることもできずあげく殺された婦女子,

    これら直接手を下された被害者を單純積算しただけでおよそ二千万は行くだろう,と言うのがわたしの素直な感想だ

    そのほかには,さまざまな死者がいる。
    たとえば,
    貞操を守れなかったことに絶望して爾後自殺した婦女子もいるかもしれないが,
    帝國日本軍兵が闊歩する中,餓死したという婦女子,息をひそめていてそのまま窒息死した婦女子。
    そのまわりには,一人を守るために死んでいった一人もいるだろう

    ほんとうに様々な形で,帝國日本軍に抵抗し死んでいった非戰闘員が多數いる。

    日本軍の占領をよしとせず,家屋を棄て12月に山中にこもって餓死したのは日本でも著名な作家郁達夫の母だ,と言うのはついこの前書いたばかり。
    郁達夫の兄は,日本の占領後できた傀儡政府の特務によって街中で殺害された,(郁達夫本人は日本の憲兵隊に殺されている)

    これらを,犬死だ,優秀なる日本人,アジア解放の救世主たる,皇國に素直に從えば,よかったのだ,という。
    これが今のネトウヨのせせらわらいだったが。
    ねとうよでなくとも,また帝國日本がアジア解放の救世主かどうかはべつとしても,そんなことで死を選ぶのはばかばかしい,というのが,今の普通の神經なのか。

    いぜん,もう十年近く前,わたしはネトウヨとよく対話をしていて,

    「むしろ皇軍兵士に強姦されたなら,ありがたいとおもうべき,
     そんなのまで日本の殺人罪にカウントするなバカ」

    そういう書き込みがあったことをよく覺えているが。
    そのとき,わたしは生真面目にもこう反論した

    「帝國日本軍の上官は,華南戰線では,外國人の目もあるから
    「強姦したら必ず殺せ」と堂々と,厳命している。
    これは帝國日本軍のかろうじて焼かれずのこった,第一次資料によって學術的に事實とみなされる。」
    と。
    かの有名な,修正主義陣営の南京事件に關する著作も發言も多數ある著者Hの南京虐殺について書かれた中公新書をふくめそれらを示している本をいくつか教えてやったが。そういうこともやったほうがいいとおもって・・・
    (その後ソイツがそれをよんだかどうかは知らぬけれども)

    そのころは,わたしはまだ,希望を持っていたのであるがw,今は,もう希望なく,理想だけが,ただ,ある。
    理想があって,希望がないなら何も書く必要もない。又何も書くべきでない。
    それでも書く。理想の垂れ流し,これはほんとに始末が惡い,厭惡さるべきサイテーの人格なのである。

    そうした自覺はともかくだ,
    中國全土の八年にわたる戰時下,こうした酸鼻の『戰鬪』がどれほど起きたか,
    東北三省は一五年間の永きである

    考えてみてほしいのは,・・・・・1972年。
    このとき中國の大地に生きたもの,その中に,親兄弟,親族,友人の中に,日本人に殺されたり,カタワにされたり、全財産を奪われたりした人がいない,知らない,という
    そんな稀有な人が,いるだろうか,と。

    つまり日本に “迷惑” かけられたことのない人,が,このとき人民大会堂には,まず・・・・

    いないだろう。

    と言うのは,普通は想像がつくだろう。

    いくら日本の總理は幼稚でもノータリンでもつとまるとはいえ。
    ましてや田中角榮においてをや???
    wwww

    である。

    人民会堂に集まっていた人々とは。

    帝國日本軍の軍門に下り,こびへつらった,漢奸と言われるひとびと,傀儡政府の人間は,すでに・・・・いない。
    張學良に監禁脅されるまで抗日をためらいつづけ,抗日を主張する人間を處刑してきた蔣介石一黨ももちろんいない。

    みな,命がけで抗日戰爭を戦い抜いた人びとばかりであり・・・・
    周恩來自身,幾多の親族身内,友人同志をうしなってきたのだ。
    もちろん日本語の迷惑は,中國語の迷惑と意味はとくだん變わらない。
    迷い惑わせ,妨害する,くらいの意味だ

    もっとも想定されうる被害は,せいぜい「擾民」だ。つまり,騷擾人民。


    半壁河山沈血海,幾多知友化沙蟲 ―陳毅

    吉鴻昌《就義詩》



     恨不抗日死   hèn bu kàngrì sǐ
     留作今日羞   liú zuò jīnrì xiū
     國破尚如此   guó pò shàng rúcǐ
     我何惜此頭   wǒ hé xī cǐ tóu

    大意:
     
    国破れてなお,このありさま,この時に
    今さら,我がどうしてこの頭(首)を惜しむ?惜しむわけがない
    恨むは,ただ,「抗日」し死ぬのではない,というただそれだけだ,
    今日,これを羞じ就義の詩を作るのみ。

    《察哈爾抗戰詩》吉鴻昌


     有賊無我,有我無賊  yǒu zéi wú wǒ, yǒu wǒ wú zéi
     非我殺賊,即賊殺我  fēi wǒ shā zéi, jí zéi shā wǒ
     半壁河山,業經改色  bàn bì hé shān, yè jīng gǎi sè
     是好男児,捨身報國  shì hǎo nán'ér, shě shēn bào guó

     賊,有れば我は無い,我有るならば,賊は無し
    我が賊を殺すこと非ずんば,即ち賊が我を殺す
    (わが祖國の)半壁山河, “業” を經てこそ,その色(姿)改まる
    この好男兒,身を捨て國に報いん


    大意:
    “業”=抗日の大業ということだろう
    半壁山河=成語。中國の大地,國土のこと。おもに異民族の寇略に逢った時。
    四壁,半壁という言い方



    この詩が詠まれたのは,詠み手の吉鴻昌が天津で處刑された1934年,
    いわゆる日中戰爭が始まる3年前である。

    チャハルは,このとき帝國日本の關東軍特務機関がデッチアゲた華北の傀儡政権下である
    抗日を叫ぶこと則ち,死を覺悟することであった。

    華北では帝國日本の軍人特務,その手先によって,殺されるか,
    華南では,日本帝國と対決しようとしなかった當時の蔣介石はじめとする国民黨支配下で,逮捕され,裁判なし(つまり蔣介石の胸三寸,一存によって)槍決つまり,銃殺された。

    吉鴻昌はそうしたうちのひとりである。

    帝國日本人が行く先さきで,戰爭中と,そうでないとを問わず。
    いたるところ各地で,いろんな,死,があった

    村落を接収され,住民を代表して,その命を守るために,
    いま,立ち向かったところで,武力で勝る日本軍にかなわない,結局皆死ぬだけだと。
    村ごと明け渡す邑おさ。
    また,血氣の若者をおさえなだめすかして,抗日を主張する若者たちをまもるために,
    また,そうした若者を無事逃がすための時間稼ぎに,
    すすんで首を差し出す邑長,土地の古老もいた

    ・・・・地主の素封家,名望ある大人,讀書人階級だ,みな,辭世の詩をしたためる。
    時には帝國日本軍の心あるものの胸をえぐった,
    そうした文辭の數數。

    長い内戰と愚かな文革の破壊行為によって,こうした「遺産」・・・・いわば「物化」した "文" はうしなわれていったが,
    著名人による詩は多く殘されている。
    じつはそれを目撃した帝國日本軍兵士の中に,また現地の日本人居留民らの手記のなかにも,そうした光景は多く書き殘されている

    そうした風景,古老,名望家の從容としてみずから選ぶ死。
    其の屍骸を埋める穴を掘らされるのは,土地の,ただそこに生まれていつくしまれて育った無辜の若者だ。

    華北に從軍した日本人の證言に多く殘っているが。
    いっぽう,
    華北と違って
    華南ではギリギリの存亡をかけた同歸於盡(死なばもろとも)の戰鬪が熾烈に繰り廣げられた,
    文人は辛くも結集し,その死鬪によりそって,
    多數の抗日言志を,檄文に,詩歌に書いていた。

    たくさんある。
    それらを
    わたしはもっと書きたい,とおもって。
    書かなきゃいけない,もっと中國側の事情をもっともっとたくさん調べて,彼方の被害と此方の加害を,
    書かなきゃ,書かなきゃと。
    書かなきゃ,書かなきゃと。



    書かなきゃ,書かなきゃと。
    書かなきゃ,書かなきゃと。
    いかん,いかん,いかん,いかん,
    ブツブツ30回ほどもつぶやいてw
    傷心のままにほったらかしていたブログをあけて。

    彼らの思いを,彼らの存亡を賭した同歸於盡詩を・・・・・
    そんな詩がどうして生まれたのか,
    どんな苦しみの大地に,

    わたしが書いたところで何になる?そんなことを疑問に思う時間さえつかって書いた方がいいにきまってる。
    それが,サイテーの人格のするべきことのすべてだ,と言う,聲なき聲が聽こえる


    今年は日中八年戰爭の勃發から1937年から80年。
    100年前は。
    1917年,中國では,段祺瑞が入城,辮子將軍を退治し復僻していた溥儀が退位させられた。(そのドサクサの際,紫禁城の多くのお宝が某國人によって持ち出されているwヤフオクに中國人がたかるのはそのせいだ)

    孫中山が・・・・目下わたしのアイドル林庚白に護法させて,廣東に下り廣東軍政府をつくる。

    あと一週間すればロマノフ王朝が亡びた三月革命から100年目。だ。
    バルフォア宣言,から,十月革命から100年だ,

    歐洲は,といえば,EU離脱の大英帝國の特務アラビアのロレンスがくわだてたオスマン帝國への叛亂。
    その大英帝國の指嗾によって日本帝國が軍隊を増強し始め,翌年から
    シベリア出兵・・・・つまり,アカの近代史觀から言えばこれはシベリア侵略戰爭,だ。

    日本帝國の武力,派兵による侵略が本格的にはじめられる。
    それ以前から侵略行為は手癖のようになっていた日本帝國だが。
    以來,間島出兵…・山東出兵,北伐,濟南事件五・三惨案・・・・なにかといえば軍隊を派遣しては,領有地をおおきくはずれて,中國の主権を犯し,既成事實をむりやりこしらえては日本帝國の國益を擴張していった

    既成事實をむりやりこしらえては國益を擴張していった・・・・・

    ちょうど,今の南沙諸島における中國の横暴とそっくりである。
    どちらも『自存自衛』のためと稱する大義があることまでそっくりである。

    ・・・・。

    つづくっ 

    カミュとマルロー

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    天自得一①意,言,在身 ~“形形色色” 

    邵雍《乾坤吟》

       乾坤吟 二首 Qián Kūn yín

      其一
     意亦心所至   Yì yì xīn suǒ zhì      意は亦た心の至す所
     言須耳所聞   Yán xū ěr suǒ wén.    言は須べからく耳に聞く所
     誰云天地外   Shuí yún tiāndì wài,    誰が云はんか天地の外に
     別有好乾坤   bié yǒu hǎo qiánkūn   “好” 乾坤有るなどと,す,な


      其二
     道不遠于人   Dào bù yuǎn yú rén    道は人において遠からず
     乾坤只在身   Qiánkūn zhǐ zài shēn   乾坤は只,身に在り
     誰能天地外   Shuí néng tiāndì wài    誰か能(あた)うか天地の外に
     別去覓乾坤   bié qù mì qiánkūn    乾坤を覓ねて去るなどはす,な

    意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください



    主語も述語も “用” にすぎない

    “漢語を使う” 東洋思想(=Not日本,主として古代中華思想,)の
    哲學者に言わせれば,主語も述語も “體”ではない。

    主,客と體,用はちがう。

    主客を用いて説明せられる,事象,物,その “體” において,
    その質を見いだす,とき
    (その質,とは,その實存いわば,レゾンデートルだが)
    その質を見出すのが,主體である。見出されるのが客體である

    “質” を見て,規定してはじめて,體がある,ともいえる。
    そこに,理,(肌理=きめ)と文(あや)が産まれ出ずる,と。

    とはいえ, “質を見る” のは體である。

    此れは天地が先か,身心が先か,という
    また。前か後か,内か,外か,という “處在”を常に考えつづけて,自身の自由と在宥を探し求めた『莊子』をはじめ,
    形而上と形而下をよく説明する儒家道家の世界認識だ

    かたち,とはなにか,
    “表現された實體” のことを漢語では “形” ,というのであるw

    形とは,漢語の理性では「象せられた 實“體”をいう。
    ということだ。

    つまり「實」,態様を,表現,したものが形である

    たとえば, “形骸” ということば,これは

    「かたちをむくろにする」,ことではなく,ましてや「形とは骸である」,なのではなく

    骸である形の状態,骸となったを,形骸というのである

    さらに,かたちをむくろにするような,しざま,のこと,
    その, “化, Hua, け”
    それをわざわざ形骸化,といってるのだから。。。

    なんだ?意外(意,外)と,やまとことばでもセツメイできるぢゃないか,

    ちなみにどーでもいーが,いまのニホンジンは佛教經典,(つまり釈尊ブッダの言葉や偈頌だが),そこに齟齬や矛盾があると

    すべては,中國でむかしおこなった漢譯,が惡い
    と言うことになってしまっているかのごとき。だ。

    (玄奘三蔵が惡い,と言うワル口は聞いたことがないのでやっぱり漢語がわるい,ということなんだろうw)

    それをゆーまえに,日本人が漢語をきちんと理解してないのではないか,と思うこと多々あり。

    空,即ち是れ色、色即ち是れ空。

    日本人はイロは,カタチのことだ,という。

    色は色だろーが。
    と,わたしはおもうし。
    ぬりえをやったことがない人はいないと思うがね。

    日本人は『般若心經』を『般若心經』のみで理解しようとする。
    金剛般若波羅蜜多こそが,「空」を説明しきった最初の大乘佛典であり,
    それをふまえれば

    イロは,カタチ,です。

    などと言う解釋はありえない,と思うんだが

    中國人にとって “色”“形” はおなじではない

    あたりまえだ,字が違うのだから。

    そんなテキトーなことは,
    佛敎傳來,以前はもちろん,以降も
    (孔孟『莊子』はもちろん,玄奘三蔵も鳩摩羅什も)
    ゼッタイいってなかったキがする。

    日本人が,「イロイロあるね」,というとき
    中國人は
    “形形色色”
    という。

    中國に佛敎がつたわるずっとむかし,ブッダの生きた時代とほぼ同時代。
    列御寇,つまり列子w,だが,(これはまさに『莊子』だ)
    有形者,有形形者;有聲者,有聲聲者;有色者,有色色者
    からきてるらしいがw
    “形形色色” ,といういいまわしの典據だが
    もとより,
    形形,生成形體。色色,生成顏色

    こうした認識論の嚴密,
    主と客,體と用を “用” いて、スキなく矛盾なく “理” としてみせた
    漢語による表現の思想體系があって,こそ,ゆえの
    六朝から唐代にかけて,佛典漢譯の大事業である,

    構築された,天竺に匹敵しうる哲學體系が,中華震旦にもあったよ,という

    もし色は形,といってしまったら,おおざっぱすぎて

    六租慧能はきっと大悟しなかったろう
    そもそも
    般若心經よりさらに初期の佛典,大乘,最,初期と言ってよい,
    金剛般若波羅蜜多いわゆる《金剛經》法身非相分。

    云:「若以色見我.以音聲求我・・・・・」

    ここには,中華思想のそれまでの哲學體系のなかに明確化されてきた

    實存在宥論ともいうべき 認識の法則がしっかり跡づけられる。

    “相” “好”とはなにか,ということがかたりつくされている,
    だから

    中國禪定,が『金剛經』『楞伽經』を礎として,遠く『莊子』を淵源とするわけはそこにある。

    形,色,相好をすべていっしょくたに “かたち”といって平氣ですましていられるのは日本語だけだ。

    kongou2.jpgChenHongshouNanhua4.jpg一切有為法, 如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀

    “體” でないものに, “理” なる “性”,その質はあるか,

    また,意と言と。
    このちがいはなにか?
    主客,自他以前のハナシ,である。

    そこが,根源であるところの “生” ,その主體,
    “體” ,と “天地” はどちらが先か,という,認識論のハナシだ,
    これにキづいたときわたしの中にあった “西洋” は完全に崩壊したw

    さらにいえば,ニホンジンは
    “用” にすぎないものに,価値をやたら,こねつけるのはなぜなのか,
    言葉を發した途端に,それが正しさの “押しつけ” ではないかと身構えたりする
    “用” によっていちいち感化されては “體” ではない。

    「押し付け」ということばはニホンゴにしかないのではないかと,
    たしか憲法のハナシかなんかで書いたキもするが

    さらにこれも以前も書いたキもするが
    いっそうキメツケて論理の飛躍と牽強付會を。

    わたしは・・・・・
    “アレ”
    のせいで,ニホンジンはなんでもかんでも侘びたり,寂び,たりするんじゃないか
    とおもうが

    そもそも, “嚴密” のないなかに,侘び,寂び,といった 罅隙はみいだせるのか?という
    布があれば,緻密の中に缺裂があって初めて,この布「ボロし」とおもうのではないか?

    本居宣長のいう,また,日本人の論理性のなさを美化自尊する,
    もの,の,あはれ。

    (本居宣長が・・・・・
    わが愛する上田秋成をこっぴどく批判し,侮辱したことは日本の論理學史上(そんなもんがあるかないかそんなことはしらんがw)はしにもぼうにもかからんたいしたハナシじゃない,のかもしらんけど
    上田秋成の論理性はぞくぞくっとくるな。)

    一方。
    本居宣長の言ってる,もののあはれ,

     わたしにはなにをいってるかわからん。という。
     わたしの感受性にモンダイがあるのはいうまでもないが,w

    あの「もののあはれ」の強弁を

    “あいまい” をたっとぶ,日本人の非論理性,(いや論理拒絶の)淵源とみることは,
    まちがいだ,いくらわたしがモトモト本居宣長がきらいとはいえ,
    日本人の非論理性のルーツを彼に歸するとまではキメツケないがw

     なーにが,モトモト居りだ。

    とは,おもうものの。
     彼が,それでよし,としたことの弊害もなきにしもあらず,
     いかにもあり,そうぢゃあないですかい。

    日本人の缺點を最初に美化して,

     それでいいのだ。 ニホンジンってこんなにすごい,

    とやった元祖は

    バカボンでも,テレビ局でもなく
    モト,オリ,ノリ,ナガ。のおっさん

    此れ
    前も書いたナー
    “弟” にむっちゃウケて嬉しかったことを思い出す・・・・
    哈哈
    いにしへの しづのをだまきくりかへしむかしを今に,なす よし も が な

    邵雍《得一吟》


    にたようなこといってたハッラージュは10世紀,當然に處刑された。
    邵雍は11世紀,ふつーに六十いくつの天壽まっとうだ。

    ずいぶんカゲキなことを,書いていたが。

    すすんでるな。北宋は。
    イブンアル=アラビーは12世紀だ。

    Holy Roman Empire,ジーザスクライストをぬきにジツゾンを考え始めたのはいつか

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    古體詩 《環状島》 ―Hazardsymbol 《缺》,樂府《老夫採玉歌》

    上海博物館的戰國蒲紋玉璧


        玦          Jué

       有名土中碧     Yǒu míng tǔ zhōng bì
       無論不凝血     wú lùn bù níng xiě
       潸然酸涙下     shān rán suān lèi xià ,
       湧滾惡水壁     yǒng gǔn è shuǐ bì
       原始愍燐火     yuán shǐ mǐn lín huǒ
       野光煌玉璧     yě guāng huáng yù bì
       象徴做離棄     xiàng zhēng zuò lí qì ,
       核電廠無絶     hé diàn chǎng wu jué





      “土中碧”は春秋時代の故事。『『莊子』『春秋左氏傳』記載
      蜀の人萇弘が冤罪で処刑された。潔白が晴れのち改葬しようと
      墓を檢めると,棺の中に血が凝ごり碧玉に化していた。 

        “無辜の人の恨みの血は土中に碧となって凝ごる”
          
      後世,ときの不条理によって,罪なき人の血が流されることを
      その恨み,怨嗟を表現する常套句となる。
      明末に,大虐殺のあった蜀の地。その慘酷の地は “蜀碧” とよばれた


    災禍であるにもかかわらず。
    人の犠牲,人の怨嗟がこのような象徴を生む。

    それは詩文の傳統,文化の華というべきものだが。
    何より,貴い美しい,いとおしむべき心情,あらわされるべき “真意” とは,
    なにか,

    つまり, “用” もて化 “體” さるべきは。

    象徴をもって “つたえられる” こと,それが,劂刀。 もて
    “雕 ” さるべき玉髄

    こうしたことがあった・・・・・という。その事實。
    その乗り越えなければならない血肉の長城

    慘酷の人間浩劫と天地の乖離を咒詛する民は。
    起きてしまったことは,必ず,その地の土で血算しなくては
    ふつうは,
    “民族 Nation” の “國家 Nation” はつづいてはいかない。

    國境線を,海で囲まれたシマグニでもない限り
    “土竟” を,たもてない。

    つまり,持つべき文の 化“體” およぶ “域”
    國域とは,土或すものにすぎす,
    とはいえ
    他國の横暴が引いた “國境” 線では “國” は決まらない。

    ついさきおとといに,そんなことをかいたばかりでまたしょうこりもないが

    象徴そのものが美しく人の心を揺さぶるのでは,ない,

    虐殺された無辜の民,その往き場のない,生き場のない血肉を

    その無辜の民のついえた望みを背負い,死につづけ,死につづけ,死につづけ,
    なお,抗日義勇軍に身を投ずることをやめなかった東北三省の若者。
    流亡して重慶を目指す若者

    東北抗日義勇軍の楊司令は

    自殺はおろか,餓死も凍死も,
    絶對に選びえなかったし,生きつづけなければいけなかった,
    長白山の雪山で,たった一人で抗日のレジスタンスをつづけた
    東北抗日義勇軍總司令は。
    帝國日本の警備隊と称する侵略部隊に,嚴重に包圍され完全に孤立してなお,
    屈服せず,幾日も幾日も命がつづく限り鬪爭をやめなかったのはなぜか?

    凍てついた土を掘り出して,木の根を齧り,戎衣の綿絮で飢えをわずかでもいやすことができただろうか?
    出来るわけがない,

    それでも,自ら死ぬことはゆるされない,ありえない,

    自殺,は,東亞の盟主コッカの討伐隊の長には許されても,ヒットラーにはゆるされても,
    甘粕正彦にはゆるされても,
    東北抗日義勇軍の司令には,ありえない,

    なぜなら
    自分の鬪爭を支えに
    わずかの望みを捨てずに生きる,滿蒙の民に
    にあきらめることをおしえることにほかならない,からだ,

    あきらめてはいけないとつたえ,自分もあきらめない,という
    その意はつたわる,必ず民につたわる,と信じることができる,そういう
    それほどの傑物,
    山東出身の彼は紅顔の少年時代から,自らいっさいを抗日闘争にささげていたのである。

    ・・・・・
    呵呵呵

    わたしは,ねんがらねんじゅうそんなことばかり書いている。

     でも,これはしょうがないのだ,
     今日初めてここにきた,と言う人をつねに念頭に書いてるのだから。
     くどいとおもうなら,どうか讀みに來ないでほしいというほかない。

    斬首,
    不撓不屈は,
    斬首される以外なかったのだ。日本軍の殺人軍刀,今現在の自衛隊の素敵なエンブレムも殺人軍刀だが

    抗日詩にいう
    “萬劫滄桑剩夕陽!” ,
    東北の,民に殘されしもの,夕陽のみ


    わたしの父の故郷は福島浜通りだが。
    わたしにとって,
    このブログにおいて “東北” のさすものは,dōngběi になってしまった。
    日本帝國の加害と日本の東北の被害者に遠く因源があることは,此れもまた間違いないが。
    語弊を招くのでくわしくはかかないが。
    農民は常に,どちら側の大地でも被害者になる。
    ほんとうの, “國土”
    “國” の或(有)する土をまもるのは,だれか。ということ
    “兵士” と言う職業がまもるのではない。

    こうもいえるがね。
    松花江上,森林煤坑においてヤン・ジンウーをおいつめたのは,
    正義の味方治安警備隊でも,匪賊討伐隊でも,ない。

    かの地の歴史においてはただの侵略部隊にすぎない,
    なぜなら彼らが治安維持をしていたのは,侵略者たちの權益にすぎないからだ
    どのように,美辭で飾っても。
    どんなに隊長がいい人で,温柔敦厚の,文質忞忞の,秀才だろうと,wwww

    いったいに。
    たとえば,だ。
    松井石根と,虐殺された民があの世で,肩を抱き合うことがあるだろう,強涙するだろう,と想像するやつがいるだろうか?
    南京城下で,母の腹を裂いて掻きだした嬰児を銃剣に差して,天に向かってほうり上げた兵士と,嬰児の父親が,強姦された婦の夫が。あの世で出会えば?

    かんがえるだに,侮辱的である。
    それはとりもなおさず,
    “民” への侮辱に他ならない。

    吹き出してしまうくらいの無邪氣さ,
    そういうたぐいの文言を公にする九条の怪の…・女流作家。
    これが日本の平和主義,りべらるだ。

    ヤン・ジンウーのからだには東北の,ハルビンの,南京の虐殺された “民” と同じ血が流れている,
    ありえない。

    滿蒙の大地に沈む,困憊の日輪はまさに,萬劫滄桑剩夕陽,その夕陽が楊靖宇であったと。
    夕陽は又昇るから, “彼等”の英雄だったのだ

    どれだけ書いても全く言葉が通じる感じがしない。
    わたしの文章がいくらだめでしょーもなくても,だ,

    女流の文質をあえて擁護するひとが,いつか,ここにくるだろうか,
    とは・・・・・我萬萬沒有想到

    わたしには,もとより,意,が通じうるような言葉はない。
    と考えるよりは
    わたしには,ことばを通じさせようとする意,がない,
    と考える方がよっぽど楽だ,ということ。

    これだけが信じるに値する,たしかなことだ。

    さはさりながら。
    かかずにはいられない

     ―環状島  の τραύμα ―  トラウマ


     環孤島    Huan Gudao 

     環綰未壊毀      Huán wǎn wèi huài huǐ
     容易髄淪墜      róngyì suǐ lún zhuì
     人心填坎壙      rénxīn tián kǎn kuàng
     草茫埋碧匱      cǎo máng mái bì guì
     惡情映膩玉      è qíng Yìng nì yù
     翳光兆世瑞      yì guāng zhào shì ruì
     璧雖價連城      bì suī jià liánchéng
     不然完沈潰      bùrán wán chén kuì
     成爲於東西      chéngwéi wū dōngxi
     風自風孔吹      fēng zì fēng kǒng chuī

       去聲七  毀墜匱瑞潰吹


    *環綰=環の結び
    *淪=沈。
        物が沈むではなく,人倫,心が沈む
        あるいはあらゆるもの全て。かつて・・・・
    *髓淪=深刻な嚴重の影響をうける
    *坎=淺陋(底淺い)あな
    *壙=墓穴
    *匱=毀れ崩れる 
    *世瑞=世間的に言われる吉祥
    *璧雖價連城=藺相如の連城壁から。信義に欠ける,日本,という話
    *成爲於東西=どうしてこんなことがありうる?

              20170311


    恨血千年土中碧身死千年恨溪水

    日本に,一千年後は。あるか?
      
    侵略戰爭も五十四基の核電廠も現實。 

    國家の理のないなさがもたらす
    GIFT,だ
    人の心によって,人間に,浩劫おこる。
    天地の空,水,土,木が汚染される。
    すべて事象はつながりあっての因果得禍であることをおもう。

     

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    七言。詠前往詩

    title=


     夜戚戚      Yè qi qi 

     切實是真無不實     qièshí shì zhēn wú bù shí. .
     何事惡滅好文質     héshì shì è miè hǎo wén zhì.
     孤單教我我讎囚     gū dān jiào wǒ wǒ chóu qiú
     惟知深明     wéi zhī shēn míng Shuāng Bái
       
         20170310 解題:孤單隻影。


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    肅肅と。自由自存の隘路肅殺タリ②鹿地亘[29]『自傳的な文學史』2《第十章 後日から見て》 血知士得志

    沖繩の民への。

    今度の法案が,沖繩の基地反對運動という,一般人の團體におよぶ,
    また合法的組織であるが,彼ら反對運動の人びとの聲をつたえうる,唯一の琉球のメディアに規制をかけるのは明らかだからだ。
    この間の,騒動をおさらいすれば,・・・・。
    基地反對運動は共謀罪の成立要件に値する。

    なぜ,メディアやチシキジンはこのことをもっと執拗に取り上げない?
    もとより,今現在おじいおばあが受けている暴力のことを。本土に知らしめない?
    ニュース女子?ちゃんちゃらおかしい。そのふざけた番組はモンダイだが,
    モンダイの本質はそこではない。

    火を見るように明らかなこと,かれらは。
    おきなわの,おじい,おばあは。

    犯罪を目的とする集團に一變しうる, “一般の人” の團體を構成してはいまいか?

    いかにもノータリンの親米ネオコン政商が考えそうなことだ。
    アベ政商政權が,やけに急ぐには理由がある。
    最終的に國家主義,全對主義を夢想するウェットな日本カイギは思想統制のための「共謀罪」を夢想する。
    政商と,國粹が夫婦なんだから同床はあたりまえ。
    同床ビミョーに異な夢ぢゃああるがw
    同じベッドで夢想する,美しきニッポンの明日,その姿は
    しかしながら一致してまうから仲良き夫婦なのだ,夫婦善哉,

    一億總活躍而してのち一億玉碎の富國強兵,教育勅語と88(Heil Hitler)だ。
    かれらの夢みる,人權をいちじるしく阻害,民の社會を毀損する “國”

    こどもたちを・・・・・・鐡は熱いうちに打て “勅語” によって國家の臣民あつかい,
    饐えた風吹く尖閣竹島。

    これをしも,スえ廣がりナリ,彌榮八八思想,というべきか
    イヤサカ音頭ならかまわんが。
    丘八音頭はカンベンしてくれ

    我が領土ナリ,は,吾が兩隣りナリ。

    ところで。鹿地亘の文學論考。

    とりわけ文學とは,「男一生の仕事とするにたる」かどうか,
    この中國文學の葛藤と克服,命題の解決としての五・四文學運動の歴史を重くたっとぶべき,ととらえているものとしてわたし自身は非常に氣のきいたすばらしく好い論考だとおもっている。

    以下2013年10月24日 の記事再掲です



     血知士得志  

    一九三三年二月,小林多喜二 が虐殺* されその葬儀の翌日から拘束された
    鹿地亘 は,その年の九月に釈放される。
    そして多喜二の死からちょうど一年後,紆余曲折をへて,一九三四年二月に
    左翼作家同盟は解散し,二月末にふたたび杉並署の特高に連行,拘束される。

    鹿地亘の 日本における プロレタリア文學運動の活動はここで途切れて,
    事實上の終わりとなった。
    以後二年半の獄中生活,三五年十一月にようやく釋放された。
    そしてシャバに出て二ヶ月,翌三六年の一月には日本を離れた。
    それ以降十年にわたって,鹿地亘は中國で反戰活動をつづけることになる。
    出國のいきさつなどは,このブログでこれまで寫してきていた 『中國の十年』
    に書かれている通りである。

    その特高の檢舉拘束の,すっ頓狂と,檢事のユルさをすこし。
    自宅で寝てたのに泥酔徘徊,ご飯たべてたら無届集會參加,の
    無茶苦茶は前前日の頁に書いたが,鹿地亘のホシャクのいきさつがしるされてあり
    オモシロいというか,あんまりにも あホらしすぎて引用したくなっちゃった。
    いったい,これが,「轉向」の踏み繪!? 
    なんだ,なんだ,このユルさはっ!
    という・・・・こんなばかげた展開には,びっくりするが,かえってとてつもなく
    恐ろしさを感じる。

    まだ盧溝橋,七七事變の勃發前である。
    小林多喜二のように共産黨員は慘殺されるものの,それは例外中の例外,
    それほど特高も血まよっておらなかったのか?
    「作家同盟の蟲けらどもを殺光滅熄せしめてくれよう」というカンジには見えない,

    特高とはそんなちゃっちい組織だったのだろうか。

    いやいや,いやいや。
    そんなことはないはずである。

    虐殺した死體を行き倒れだと言ってうんぬん,役所に引き取ってもらってかんぬん
    ・・・・・
    つまり特高は意氣さかん,でも日本の國全體はまだそれほど血迷っていなかった,
    と言うことにすぎない。

     だから特高の手を離れたとたんこんなユルさで釈放されるのである。
     だから,多喜二を・・・・特高手中の内に殺してしまった・・・・。

    と言うわけなのかもしれない。

    つまり鹿地亘は,殺さなければならないほど,あるいはずっと房内に閉じ込めて
    おかなきゃあならないほどのキケン人物とは思われなかった,
    ということに過ぎない,もしくは
    たしかに鹿地はうまくだましおおせたということなのかもしれない
    このいきさつには鹿地の柔軟性もよく見える,
    と,後日からすればそうかもしれない。

    とはいえ,鹿地は深く傷ついていた,この稿によく記されるとおりである。

    それにしても。このいい加減さ。

    「戰爭中に日本の防諜法の立案者」,というこの檢事のてきとーさ。

    言論を統制,というか何でも統帥したがってる,
    近頃のお歴歴の連中のことを想えばいかにもありそーだが。
    いまもむかしも,この連中の頭腦リョク(より穏健ないいかたをすれば文學觀)は
    大差はないんだろう。
    言論と言うものに對するびっくりするほどの侮蔑的認識,いや,
    そもそもが粗暴の振る舞い,意味不明なこともおおいのかもしれん。
    理クツもなければ,理性もないって。なんたって
    ナチスの手口に學んだらどーかねぃ
    (=麻生太郎 2013 八一宣言
    の汚染スイ,じゃない・・・・御センセイがた,だから。。。

     おそるべしヒミツのホゴ法案乎。 吁吁嗟嗟ニッポン。



    鹿地亘 『自傳的な文學史』 
     第十章 後日から見て ―― 後半部 ――

     一九三五年十一月,「轉向」して保釋出所した。
     當時,私の擔當檢事だった高木という男は,戰爭中に日本の防諜法の立案者だった。戰後,米軍から私が不法監禁された事件が明るみに出たとき,彼は私を「陰険な奴だ」といって,新聞に談話を發表し,監禁者たちの提燈もちをした。
     多分私が彼をだまして,保釋してもらい,裁判を受けた後中國にとび出し反戰をしたからというのだろう。

     そこで私は高木とのやり取りを思い出した。
     「君は保釋できないよ。思想がちっとも變っとらんじゃないか。
     「政治運動はやらない,といってるんです。」
     「それだけじゃ駄目だ。文學の考え方が問題だよ。第一,君たちは文學における階級の優位性ということをいってるじゃないか。」
     「それはどういう意味ですか?」
     「君たちは文學としてどんなにすぐれていても,階級意識のないものは價値が低いというんだろう。たとえば漱石や鷗外はプロレタリア文學より低い文學だというんだろう?ね?そうだろう?」
     「とんでもない! 僕なんかのへぼ小説より,古今の名作はくらべものにならないほど高いと思っていますよ。西鶴だって近松だって,漱石だって,鷗外だって。」
     「ほう!そうか,君はいつ變わったんだ?」
     「まえからそうですよ。」
     「ほんとかね,君?そうか,それじゃ考えとこう。」
     私は保釋になった。
     うそのようだが,ほんとだ。
     このばか檢事は私にだまされたのではなく,自分のプロレタリア文學觀にだまされたのである。

     ついでに,そのころの役人たちの頭をもうひとつ紹介しておけば,私を調べた予審判事の草間という男は,顔を見るなり,いきなり弁證法的唯物論の討論をぶっかけたものだった。
     「だめだよ君,君たちのような機械的な考え方をしちゃ。世の中はねえ,無理に変えられるもんじゃないよ。条件が熟して,必然に,進化していくもんだよ。
    それを君ィ・・・・。」
     私はにやにやしてしまつた。
     「僕もそう思いますよ。進化して変わるというのにちっとも反対していません。条件が熟して,必然に,變わるべくして變わりますよ。」
     「ほう!」
     彼も眼をまるくして私をみまもった。
     「じゃあ,君は變わったんだね。」
     「前からそうです。」
     「そうか,そりゃいい!」
     彼もまた自分の「機械的」な唯物史觀につまづき,わたしをすっかりみなおしたというわけだった。

     ところで,檢事をつまづかせたような文學觀だが,そういうおとし穴は私たちの運動の歴史にまったくなかったかどうか? なかったとはいえない気がする。


     プロレタリアートは新しい世界觀に立って過去の全歴史をみなおし,それを前にすすめてゆく。
     過去の世界觀ではもう現代のまにあわない。プロレタリア文學はその階級に奉仕し,その世界觀にたって世界を見る眼をおしひろめてゆく。
     それは過去の文學の全歴史の揚棄者※である。
     そこで自分をうちたてていこうとするものの出發の時期にかならず経過することだが,自分の立場をまずあきらかにして過去に對決しすぎさったものを「歴史」の中に押しやろうとするところからはじまる。
     私たちのところにもそれがあった。過去を破り,過去を否定した。過去の遺産を繼承者として,自分の位置をあきらかにし歴史を評價しそれをくみとるよりは,おしのけるのが先立った。
     
     それに文學そのものの歴史の視野にたって保護し,育成するよりも,自分に役立つものだけとって,そうでないものを否定するような革命運動の環境の条件が重なった。プロレタリア文學における文學遺産の受け取り方,文學史の研究の弱かったことの重大な原因の一つは,「政治と文學」の關係のありかたにあった。
     それはこの國の「近代」とも複雜に関係している。
     プロレタリア文學は,新しい階級の歴史を變革する任務と結びついて登場した。
     そこから「政治と文學」の關係ということが文學上はじめて一つの自覺された運動となって浮かび上がってきた。
     プロレット・カルトの運動における文學者,藝術家の役割が日程に登ってきた。
     文学,藝術の理論や實践にこれまできづかれなかった新しい面が,それを軸にして,拓かれ,解決されてきた。
     だが路は坦々として既に開かれているものではなく,紆餘曲折して進む處女地の開拓である。 

     どんな處女地だったか?
     地質からいえば,ここには移し植えた「近代」がみすぼらしくちっぽけな花しかつけないことを,鷗外が嘆いた赤土の土壌があった。
     目覺めた近代は二葉亭,透谷にはじまり,啄木にいたるまで,その土壌にとりくんで,悲劇の歴史をつづってきた。藤村,獨歩,武郎,龍之介 ―― ひとびとはたたかい,敗れ,また滅びたり,屈したりした。
     ハイネがパリに亡命して書いた「ドイツ古典哲學史」をひもとくような悲痛がひとすじに流れている。
     ゾラが花袋になりかねない壁が立ちふさがっていた。
     それにつきあたれば,筆を折るか筆を曲げるかしなければならなかった。

     一方でその土壌の上に「近代」は明治の「ひろく海外に知識をもとめ」というあわただしい模倣からはじまった。
     それは中身が中世のまま,近代的な殺人道具で武裝した日本資本主義發達のいびつな進路であった。
     形だけ變わった。
     文學では逍遥の「小説神髄」から,というところにその特徴があらわれていた。
     それに古い時代の戯作者的な文學觀などが結びついた。

     このようにして成長してきたものの性格は,民族のはげしい眼ざめのなかに生命をふきあげた中國の「近代」,五・四の魯迅に代表されるそれとは生い立ちからしてちがったところをもっている。

     中國では「近代」は日本におけるよりはるかに歴史が淺く,おさないものであったが,それは民族解放のたたかいとして始まりその文學ははじめから政治と密接にむすびついていた。

     ツアーリズムとヨーロッパの資本主義の集中的な矛盾の中から芽をふいたロシヤ文學について,ゴーリキーが

     「ロシヤ文學はその包括する世界のひろさにおいて,特に教訓的であり,特に意義深い。
     ロシヤ文學が想起せず,解決しようと試みなかったような問題はひとつもない。
     それは主として問題の文學である」(《ロシヤ文学史講義》)

    といったような一世紀にわたる前史も,ここにはない。
     日本の文學の根は淺く,骨は弱い。

     「男一生の仕事とするにたる」かどうかを二葉亭のみならず疑わなければならないような,他面ではまた革命運動から逃げ出して通俗文學に「男一生をかける」ものも出てこなければならないような情況がここにあった。
     プロレタリア文學がはじめて,その枠を破った。
     たちふさがった壁に挑んだ。
     たたかう階級を足場にし,それにまもられ,組織的な集團の運動として,あらわれた。
     この國の文學史に新しい局面がひらかれた。
     けれどもその中でやはり文學を男一生のこととみとめないような,またそれを「偽作」とするような文學觀,つまり文學を革命の實践にとって無縁なものとする思想や,それを裏返しにした卑俗な功利主義,いわゆる政治主義などに一貫して,なやまされた。
     階級闘争の退潮とともに文學運動が鎮まり落ちていったあとに,そのことの反省と悔恨が深く殘された。
     政治への嫌惡,非政治的傾向。
     文學者に対する戰時の野蠻な動員が一層それに拍車をかけたのであろう。

     私は一九三六年一月十五日に東京を離れた。ふとした機會を得て,關西の舊劇の一座が,旧正月をあてこみ,風雲のあわただしい大陸の居留民慰安という觸れ込みで,青島と上海に旅興行に出かけるのにもぐりこみ,姓名をかくして國を出ることができた。
     刑務所を出て二ヶ月目であった。もう歸ってこない覺悟をきめていた。
     妻*とは別れていた。その深い傷心もあったがもう一つには,この國では息が着けないのに絶望していたのである。

     保釋出所して出てきたときには,中野重治のいいかたをかりると,背骨をつかまれても 「身體はまげられる」 とおもっていた。
     そのあまさをしっかり思い知らされた。それに四國のある農民運動者から,「君の出所を期待し歓迎する。嵐の中で,ささやかながら君らの殘した根をまっている。」 というはがきを受けとったとき,私はぶるぶるふるえて涕を流した。
     誰にも面目なくて,顏をあげられないきもちであった。
     消えてなくなりたかった。

     中國にわたっても何のあてもあるわけでもない。
     野垂れ死にしてもいい捨て鉢なきもちだった。

     ちょうど華北に日本軍の傀儡政権の陰謀がすすみ,抗日の民族運動が高潮し,それを挑發して蒋介石を苦境に立たせる政敵の側の暗殺團が,上海の中山軍曹を射殺し,居留民が夜間は外出するのにもおびえているという情況だった。
     刻刻險惡な流れが最後のときを近づけていた。
     私にとっては,それが孤獨な心中の苦痛を消してくれる嵐となつて,誘いよせるようだった。

     魯迅 にあえるとも信じていなかった。
     けれども,ひそかに内山書店を訪れて試みるつもりになっていた。
     魯迅が病氣をおしてあいにきてくれたのは二月十一日だった。 内山完造 の家であった。
     胡風 もきた。
     鄭伯奇と内山書店であった。
     鄭から私の來たのをきいて夏衍が上海の文化各界の人々に紹介してくれ,私は中國の友人たちにひろくまもられるようになり,魯迅の意をうけた内山の保證により,私は「中國文學研究」という名目で,上海に合法的にとどまることができるようになり,東京の出版社との關係もできて,野垂れ死にからまぬかれた。

     すくわれたといっしょに私が骨身にこたえて自覺したことは,そのとき自分がむざんな敗北にどんなに打ちひしがれていたかということだった。
     十年のたたかいがあとかたなく打ち負かされて,「今にみろ」という悔しさに四六時中身をかまれながら,自信のひとかけらもなく,自分たちの凡てを賭けた事業にどれほどの意味があったかに,絶望的なみじめさを味わっていた。
     ところが魯迅やその他の人々にあって,私は日本のプロレタリア文學運動が,中國でどのように評價され,どのようにその影響がうけとられているか を,眼のあたりにみせつけられた。
     人々は,苦難の中に戰ってきた日本の私たちに,ひとごとでない感懐を寄せていてくれた。
     「むだじゃなかった!」という強い感動がぐっとつき上げてくると,私は大聲を上げて泣き出したかった。
     魯迅は私が獄中に居たこともしっていた。
     藏原惟人たちの安否をたずねた。
     私は 國外に出て,思いもよらず親しみにみちみちた身内に圍まれている自分を見出した。

     自分が敗北し,活路をもとめて,國を出てきた事情を私は人々に告げた。
     だが魯迅も他の人々も私を敗北者として扱いはしなかった。
     彼らはたたかい,きずつき,疲れ果てた外國の仲間をいたわり迎え,血を吹いている傷には指先が觸れないように,そっと氣をくばるゆきとどいた看護者のおもいやりで,つつみこんでくれた。
     こうして私が兩國の人民の結びのために自分のできることを貢獻するのに,彼らの及ぶ限りの聲援を送ってくれた。
     そのあたたかさを私はわすれることができない。
     嵐の沖から帰ってきた奇蹟の遭難者を,あかあかもえる暖爐の前にだきとってくれるようだった。
     民族の切迫した危機觀の中で,それは中國の人々が私たち日本人に,どんなに心の手をさしのべているかを感じさせ,私はその友情の中から自分のしなければ成らないことに猛然と勇氣を取り戻していった。

     東京の 中野重治 に私は手紙を書いた。彼はよく出境できたと驚き,「さとごころをおこすな。お前は中國人になってしまえ。」というはがきの返辭をくれた。
     ところで當時の中國文學界の情況についてだが,私は一九三一年に結成された 中國左翼作家聯盟 *の辿った足あとが,そのまま日本プロレタリア作家同盟と同じ經路をたどってきているのを見出した。
     國民黨の白色恐怖,むざんな迫害とたたかいながら,のりあげた困難,それ自身のうちにある矛盾,そのためここでも私が見たときには,左連は解體状態におちいり,夏衍らの 「光明」 や魯迅らの「海燕」 など數種の雜誌を中心にするいくつかのグループの分散と對立の局勢に陥っていた。

     中國の革命文學運動はひとつの轉機に立っていた。
     夏衍は私から日本の情況をききとってにこにこうなずきながら「中國もまったく同じことです。問題の性質は同じです」といい,自分たちのところの状態を説明してくれた。
     左聯の運動は率直に言って,日本の作家同盟の運動よりおさなく,規模も小さかった。
     それは一つには中國の「近代」の幼さからきており,もう一つには當時の國内戰爭の環境での彼らの活動の基盤が,主として租界を持つ上海のインテリゲンチャに限られていたことからきている。
     矛盾や缺陥は作家同盟の中國版を見るようだった。

     ところが,ここでは全民族に廣がる力づよい抗日の高潮に盛りあげられて,その缺陥や矛盾を揚げ棄てしながら,分散した諸グループが,又一つに集り,規模をひろげて,「抗敵文藝家協會」*への路をひらきつつあった。
     近代文學が革命の自覺の中から生まれてきた,歴史の傳統を持つこの國では,「政治と文學」の問題は失敗にこりて後ろ向きになるかわりに,失敗を克服して進み
    ,やがて何の疑いもなく,混亂もなく,毛澤東 の延安における文藝講話の主旨を受け入れ「工・農・兵」の文学となり,解放とともに躍進的な建設に入る民族の事業と結びついた文學になっていったのである。
      ここでは「政治と文學」がかたきどうしになることはなかった。・・・・

      




    *妻=河野さくら,日本プロレタリア音樂家同盟(略稱P.M.)の書記
    1928年プロ藝と前衛藝術家同盟が合同,結成された全日本無産者藝術連盟(ナップ)専門部の音樂部。29年ナップの組織替えの方針により日本プロレタリア音樂家同盟(略称P.M.)として獨立。31年以降日本プロレタリア文化連盟(略称コップ)の加盟團體として活動。33年さらに日本プロレタリア音楽同盟と改稱する。

    *中國左翼作家聯盟=(のちに抗敵文藝家協会)
     1931年魯迅を旗手とし中國の革命的な文学グループを集合し,統一的な革命文學團體として結成。國民黨の白色テロルのなかでたたかいながら,また日本のコップナップや作家同盟の場合とよく似た内部矛盾にもわざわいされ,一九三三年には内部にさまざまなセクト的グループの対立を生じ活動不能に陥った。
    1937年,抗日戰爭を前にして中國抗敵文藝協会に發展的に改組された。

    この鹿地亘出國のいきさつは,

    鹿地亘『中國の十年


    ※揚棄。 アウフヘーベン [aufheben]
      いまどきヘーゲル讀みでもなければ知らないことばかもしれないがw
     
    この『自傳的な文學史』や,鹿地の書いた魯迅の論考には,おもうに,
    中國から漢魏の時代(つまり・・・・曹植や曹丕『典論』に具現されたような
    建安文學のこころざしというようなこと),たからかにうたわれた文學觀,
    「男一生の仕事とするにたる」かどうか,という中國の文人の歴史,永遠の命題をも
    包括しつつ五・四運動以降の文學を,よく説明する。
    たたかう中國の文人,郭沫若らと,たがいの敬意と愛情以て深く交流した鹿地亘ならではの中國の“なま”の文藝評論でもある。

    それは同時に日本の,日中戰爭下,天皇と軍隊によって變容せしめられた,
    「一生の仕事たる」と,お國に盲從した文學界への批判でもあるともいえる。

    もし,あの時代の國威發揚,戰爭賛美の,日本人「文學者」の文筆活動を,
    もちろんそういうことを,ようしない文學者もいた,と言う事實があるにもかかわらず
    あえて蔑まず,報國會を「文學」といいうるならば・・・・,
    と言う範圍に於いてではあるが。
                  2013年10月24日 





    この鹿地亘の,文學論考の一節は,以前に載せた時には(・・・・・わたしのブログをこの當時から讀み続けている人がゐるのかどうか?という不毛にうたがいうるモンダイはおいといてw)いったん取り出して,
    別に仕分けて載せていた。鹿地亘の生涯をたどるのが目的であった,という掲載の動機が前面にあったからだが。
    載せたくはあったが,

    「文學とは,「男一生の仕事とするにたる」 かどうか,
    この中國文學の葛藤と克服,命題の解決としての五・四文學運動の歴史を重くたっとぶべき,ととらえているものとしてわたし自身は非常に氣のきいたすばらしく好い論考だとおもっている。」
    と付言して。

    切り離した。

    その時から四年,
    とくに「楞伽案前,楚辭肘後」と名付けてからは
    ひたすら,その,いわば『楚辭』以來の中國文學史上の政治と文學の葛藤
    その一點に的を絞って,
    いま,わたしのいう中國文學は『詩經』,辭賦,詩詞,歌曲,ということにしぼっているのだけれども。
    主に抗日戰爭期の舊體詩と,それが持つメタファーの歴史の変遷を書こうとしてきた。

    このブログでもずっとくりかえしてきたが。
    鹿地亘が,
    「近代文學が革命の自覺の中から生まれてきた,歴史の傳統を持つこの國」
    とする中國,だが。
    歴史の傳統,その意味は,わたしなりにいえば

    こと近代文學にかぎらない。

    屈原,嵆康,劉琨,陸遊,文天祥,屈大均,龔自珍・・・・,
    易姓革命と,異民族の侵寇にあうたび,文學は “高まった”
    激昂し,忼慨し,流血してきた大地の文學がある, 時を經て“碧玉” とかわりうる,名だたる文學の激越者は,つねに政治家であり,軍人であった,という端的な事實。

    もちろん,近代,五四運動以降,また抗戰期以降文盲の民をも巻き込んだ,文學運動の發展,という範疇においては,「中國近代文學論考」だが,
    こうした歴史の傳統,こそ,
    中國の國故斯文の “ある一面” ,いや中國文學 “そのもの” であるともいえる,
    また,鹿地亘の言う,
    「政治と文學がかたき同士になることはなかった」
    と述懐する意味である。

    鹿地亘の言うような中國プロレタリア文學の發展の經緯,のみならず。

    中國文學,これはわたしは,曹丕の典論が『文章經國之大業、不朽之盛事』,を宣したまいて以來,
    中國,その區切られた “囗” のなかの“土域”“國” たる骨幹であるところの
    民,“或(有)” すものを示す,
    (極論すれば,それは文化,とほぼ同義と思うが。)
    “ 文”

    建安七子の赫赫たる文采が,いかにして,權力によって弱められ潰え,また萎靡の風を受け頽廃し,ついには梁の滅亡につながったか,という六朝の歴史をみるだけでも,
    いくらでも實例を採ることができよう
    本末転倒をいえば,まさに。
    詩文に言志なく氣骨うしなわれれば國が亡ぶ,という・・・・,

    これから,抗戰期の中國文人たちの活動について本腰入れて書いていこうと思っている。

    なんといっても今年は七七事變いわゆる盧溝橋事件事變から80年,南京大虐殺から80年,
    十月革命から100年。
    書くべき,いや,キがちがうほど書きたいことが山ほどあるのだ。

    そう,
    詩文に「言志なく氣骨喪われれば」,中國は,ホントに亡んできたのだw

    それは裏返せば,文學,がいかに政治を助けてきたかの證左でもある
    あえていう,
    幾多の“文字之獄” ,文人の枉死,酷死がくりかえされてきた “國” である,その “國” で
    郭沫若 ら,あるいは,柳亞子,盧前(盧冀野) らの民族詩壇などが,
    國防文學として,祖國の救國抗敵のためにはたした役割のおおきさ。

    これらを考えるうえで,つねに忘れてはならない原點でもあるだろう,
    この,傳統,とは とりもなおさず“言志” であるが

    プロレットクルトと漢古の斯文が結びつき,“歌以言志” として,「喪われない」
    權力や來寇してくる異民族に “國境” 上で,對峙しうる “章” がある。
    “十” 足する“音” があるという。

    このことは。
    中國の文學が,中國の “民族 nation” 文學である,
    と言い得る核心。
    である。
    それを持っている,という,ただそれだけのことだ。

    ただそれだけのことが,わたしにはひどくまぶしく感じられる

    また, “國家 nation” の文學でありながら
    “人民 people” がつたえてきた血の歴史そのものと,
    まったく齟齬のない,詩文の傳統がある,という
    その事に激しく心揺さぶられる。

    匹夫之思,未易輕棄也。
    辭賦小道,固未足以揄揚大義,彰示來世也。
    昔揚子雲先朝執戟之臣耳,猶稱壯夫不為也


    このように述べたのは,曹丕の,気弱な弟だがwwww
    そのジツ
    揚雄秋室無俗聲ナリ。

    願攜漢戟招書鬼
    休令恨骨填蒿里


    とうたう李長吉がいる。
    ということ。だw

    文學的理想と現實社會のあいだで,常に,振り子のように揺れ動く文人詩人たちは
    「歌以言志」という四文字を心に想えば,たちどころに原點に立ちもどることができる。

    抗日戰爭期の生死を賭したあまた詩人文人もそうであった,
    歴史と傳統のなかにカンタン地に見いだせる,
    しかも,歐米の近代的知覺と同居でき,かつ吞みこまれないほど確固たる土臺を持つ。
    それだから, “國防” となる力を持つ。
    “滅私報國” ではなくだ,
    そういうことだ,

    國防文學であり,それは救國,であって某國に現れたような『報國會』ではない。
    ゼッタイに。
    そもそも立ち位置が違ったのである。
    文人の。文學の成りたちが “國” を作ってきた “國”,中國の 當然の歸結である

    それが文學の目的,ということではない,
    ゼッタイに。それは目的ではない。

    文學はヒトを強くする。
    ま,それはたしか,ということだが。
    が, “強靭であること” も文學それジタイの自存自立には必須なのだ
    キョーイクチョクゴのやから は, “人文” を,めのカタキにするが。 

    ・・・・・
    ・・・・。
    ちなみに。

    いまあらためて鹿地の文章を讀んでいてふとキづいたw
    別に揚雄からの連想ではなく。
    (揚の字の一致はただの偶然だw)

    “揚棄” とは。
    中文による。
    哲學上指事物在新陳代謝過程中,發揚舊事物中的積極因素,抛棄舊事物中的消極因素。

    近似の語として,遺棄,抛棄である。もちろんあくまで,近似,であって同義ではない。
    揚も,棄も “用” の言である。
    この場合, “體” は,過去,舊事,ということになるが。

    日本語の,アウフヘーベンの譯語 “止揚”,その “止” とはどこからでてきたことばなのだろう。

    ヘーゲル讀みにぜひきいてみたいが。

    マルクスがねじまげたのか?
    ちがうww
    ヘーゲル弁證法を マルクスが・・・・,wまさに“揚棄” したのだ。

    どーでもいーが,

    日本語ってやっぱヘンだ。
    哲學がわけわからなくなる一因は,マッタク,ゼッタイ漢語の咀嚼不足による。
    ヘーゲルの “世界精神”
    精,神,の語義を吟味しないで,世界精神。
    ウィキペディアもコトバンクも,

    っワケわからんこと書いてるぞw
    理性原理,世界霊魂・・・・

     世界史において特殊的有限的なものを媒介として、段階的に
     自己の本質である自由を実現するということである。
     一般的には、あらゆる存在を統一させる根源的な原理であったり、
     そのような事柄を成す神的であったり精神的な力のことを言う。

    だって。

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    肅肅と。自由自存の隘路肅殺タリ①鹿地亘[28]『自傳的な文學史』1《第八章 その前夜》 血路一滴瀝,血池笑蓮花

    今日は三月一日,三一節であるが。

    昨日(2017年2月28日),テロ防止対策,との,
    おおざっぱな大義名分でごまかされたまま,
    日本敗戰以來史上最惡兇獰の内閣によって,,
    思想,精神の自由なつながりを阻害し監視社會を現出させ
    治安の維持を幻出させる手品, 「共謀罪」法案,が閣議決定された。
    成立は確實,ということだ。
    哈哈
    笑止。

    以下の文章を載せるにあたって,鹿地の書く話そのものはわかりやすく注など
    かえって煩瑣なだけだろうととくにつけなかったが,大事なことをひとつ。

    この時代,
    作家同盟は合法。共産黨組織は非合法である。
    鹿地は當時,作家同盟の書記長。
    合法的集團であった文學藝術の作家同盟の面面が,
    多喜二のビラを持っていただけで檢擧され,ブタ箱にほおりこまれ,
    思想の選別によって,あるものは放免される,
    あるものは拷問を加えられる。
    今から85年前のハナシ,天皇ヒロヒトの傀儡國家「「滿洲國」成立の翌々年,
    日中戰爭はまだ始まってない。(2017年三月一日)


     心蓮吐輕馥
       xīn lián tǔ qīng fù,
     花笑血池紅   huā xiào xuè chí hóng
     滴瀝只開道   dī lì zhǐ kāi dào
     死吞天意空   sǐ tūn tiān yì kōng.

           2017.03.01




    以下2013年10月20日の記事再掲です



    鹿地亘の舊友

    昭和八年,特高警察によって虐殺された,小林多喜二。
    その小林多喜二の杉並馬橋の自宅で,集った友人らが遺骸を圍んで沈痛の面持ちで座り込む,有名な寫真がある。
    拷問を受けあげくに慘殺された,痕跡なまなましい,多喜二の遺體寫真,
    とともに,かなり出回っている寫真であるが
    ジツはこの寫真。鹿地亘も寫つてゐらせらるw。

      kaji.jpg

    前列向って右から,原泉子 (中野重治の妻),田邉耕一郎,上野壯夫,といった臉面が枕頭をかこむ。上野壯夫 の左に坐るのが立野信之,枕元向って左側,
    左端の胡坐の男,が 鹿地亘である。

    このように,かつて鹿地亘とともに,いわゆるプロレタリア文藝の運動を擔った同志は數多く存在する。そのうちの,すくなからぬ文學者は,日本の “空氣”,時代の風潮の要請をうけて “轉向” する。
    さまざまな動機で,特高警察の脅迫・強制で,生命や生活とひきかえの,“轉向” があった。いたしかたない,苦澀の“轉向” であった。
      
    さはさりながら。
    そのうちのいくたりか,多喜二の死後,數年を經て“轉向” 後,日本で “沈默” するどころか,わざわざ中國に出向いていって,大日本帝國陸軍の片棒,お先棒をかつぐ。
    從軍作家として,戰地を軍部とともに轉轉とし,武漢にいたらば,いたるところに,貼りちらされた鹿地亘の,戰爭の即刻停止をうったえる反戰ビラ を,眼にとめ “貶譏” するものがある。
    郭沫若や,馮乃超 ら,かつて日本に留學した文學者によって撒かれた,兵卒の命を保證する俘虜優遇規定の書かれたビラを,“嘲侮” して踏み進む。

    同じ,文學を志した作家たちであるが。

    これが,坦直に言って,わたしの少ない知識と狹い分別が,讀み得,知り得,感じ覺得した,日中戰爭下における,日中兩國の文學界のありさまである。
    端的に言って,帝國日本の民による侵略のすがた,であり,當時 (今も?) の日本の “空氣” である。

    時代の “空氣” ,文化人の “轉向” せざるを得ない事情,
    つまりこの時代の粛清がいかに,烈しくすさまじいものだったか,
    帝國日本のすがた。 當時の帝國日本の “空氣” 。この時代・・・・,そして今日。

    こんな時代が來ないことをひたすら望むばかりである。
    ここで書かれる,“話にもならん” 檢擧を可能にしたのが,惡名高き,
    治安維持法 である。
    “秘密保護法” とかゆーものも,
    わたしは “話にならん”のたぐいに發展しかねない恐れを真劍に抱いている。

    なぜなら,人があまりにも,あまりにも,このことに無關心だからである。
    やれ,中國の毒野菜だ,北京の公害空氣が日本人を滅亡させるだの,なんだの
    これらも言論の自由に裏打ちされた文言ではあるが,そのことに關心を払う
    程度には,安倍ら醜類の畫策するまがまがしい “毒法”,“精神の自由” の
    滅殺されかねない事態,への危惧にも,眼を向けて欲しいと思う今日この頃である。

    ヘイトスピーチも “ある程度” までなら許容できる,それが言論の自由,
    というものである。わたしも,すこぶるクチが惡い。

    しかし,ものごとには常識や限度というものがある,少なくとも以前の日本の社會
    世間にはあった。
    言を發しようとする側にも,言に顰蹙する側,にも節度が必要である
    言を取り締まる側,には,こえてはならない一線がひかれてあったはず。 
    ・・・・。

    小林多喜二 の弔い。葬儀が行われる。
    その翌日に鹿地亘 は特高警察に檢擧される。
    そのときのいきさつ,と,又,小林多喜二の死にまつわる,非常に興味深い,
    というか胸を打たれる不可思議なエピソード を鹿地亘 は戰後に書いている。
    それを,うつしておく。 

     自傳的な文學史  第八章 その前夜 前半部
               ―鹿地亘(三一書房1959)より。

     
     残虐眼をおおわせる小林多喜二の遺体を迎えたときの模様は,たくさん語られているので,ここでは省略する。だが一つの挿話を記録しておかないわけにはいかない。
     前にのべたように,その翌日私は檢擧された,實をいえばこの檢擧は計畫的なものではなかった。これは後に特高(名をおぼえていない)からきかされたのだから,ほんとうかどうか確かではないが,有りうることだと思つた。警視庁は小林のかばんの中から私の名をあげて作家同盟の右翼的偏向を批判した決議文の草案を手に入れたというのだった。
     彼らにとっては意想外のことだった。實は小林と同時にわたしをやるというのが彼らの予定になっていた。
     案外だ!黨グループに對立があるらしい。
     一方ではまた私には黨員という確證も握っていないので,彼らは計畫を變更し,もうしばらく泳がせて,ようすをみようということにしたらしいのだ。
     それでわかる。
     悲報を知って小林のうちにかけつけた私を見て,特高たちが「ほう,君もきたのか!」と妙な笑いを浮かべたのだった。彼らは私が風をくらって姿をくらますかどうかみていたわけだ。ところが,所轄違いの池袋署の一隊に翌日自宅をおそわれた。
     豚箱にほうりこまれて,事情がやっとわかった。
     そこには本庄睦男,若杉鳥子,そのほか執行部をまじえて東京支部員二十名あまりが,いっぱい押し込まれていた。
     支部執行委員會の流した多喜二の勞農葬のアピールをふところにしたあるサークルの青年が往來で不審訊問にかかり,それがいとぐちで支部執行部の檢舉になり,いなかものの特高たちが,このさい抜けがけの功名をたてる氣になり,同盟の名簿を手に入れようとして,誰かが書記長が持っているといったので,さてこそ私にまで手がのびたわけだった。
     話にもならない。
     だが話にもならないことで飛んだめに会うというのは,そのころめずらしくなかった。
    寝ごみをおそわれ,“泥酔徘徊”の罪名をつけられたものもある。
    私も晝食をたべていて,“無届集会”で檢擧されたことがある。
     このばあいも蟲のいどころの悪かった巡査に一人の靑年が,往來で“職權” を行使されたのが發端だ。
     本署にはドーミエえがくところの腐れ梨そっくりの知能の足りない特高巡査がいて,拷問がかりをしていた。
     彼はいちど,とりものの手傳いに動員されたのがやみつきで,「交番づとめよりゃ,そのほうがおもしろうなってのう」と特高に取り立ててもらった經歴を私に自慢したことがある。もとははたご屋の亭主だ。
     どんな拷問をやるのか,私はこの眼でお目にかかったことがある。
     今日『アカハタ』の編輯局長をしている宮本太郎君がそのころ水戸高校の學生で,私がここにいる間にやられてきて,かれもまたこいつの手にかかった。
    ほう,こいつか,というようにまず殘忍な笑いでなめまわす。
     「この野郎,しらばっくれやがって!」
     すごい形相に一変し,いきなり力まかせの往復びんた。
     さて,「そこに掛けろ」と椅子にかけさせ,どた靴で骨もくだけよと,力まかせに犠牲者の太股を五,六ぺん踏んづける。ばかの糞力に,私は思わず息を呑んだ。人間のかわりに椅子の足が折れ,巡査は笑止なかっこうで,ぶったおれた
    ・・・・・。
     私もまたこの腐れ梨にまずやられた。
     「名簿を出せ」
     「そんなものは知らん」
     「書記長がしらんはずがあるか!」
    したたかに殴りつけられ,肝をつぶして私は大聲で怒鳴りつけた。
     「冗談じゃないぞ!」
     こんどは巡査がびっくりして,手をやめた。
     天皇制警察の事大主義という奴で,“書記長” “赤門出” 」というのが,はたご屋の亭主に遠慮をさせたらしいのだ。
     「書記長が名簿の番なんかするか!」
     「じゃ誰がもってるんだ?」
     特高主任が私の後ろからすごみをきかせて,
     「鹿地クン,あんまりいばんなよ。」
      主任は私の目の前で本廰特高課の例の中川に電話を掛けた。
     「・・・・はあ,書記長もまいっておるであります。はあ,いや・・・・名簿をと思いましたが,殘念ながらまだそれだけは出しません。・・・・あっ,そうでありますか!名簿はいりませんでありますか。」
     何のことはない。名簿ときいて本廳では笑つているのだ。
     私がいるのを確かめると,悪名高い中川警部がすぐ来るといい,一時間ばかりの内に姿を現わし,その場で災難に遭った作家同盟の全員を釈放した。
     ただ ――
     「あ,鹿地クン,君は待ってくれ。一つゆっくり話しあおうじゃないか。」
     それから池袋に二ヶ月,ついで扇橋,杉並と半年をこえるたらいまわしが始まったのだった。
     後で考えてみると,いったんおよがせておくはずだったのに,池袋がまちがって掬いあげたので,逃げ出さないように,このさい片づけてしまえと,方針が變わったのかもしれなかった。

     池袋での二週間目に,多喜二を殺した下手人で拷問がかりの山口がさしまわされてきた。
     やつは私を腰かけた椅子の背にぐるぐるまきにしばりつけ,黨籍を白状せよといって,時計をみながら一時間二十分かっきり,さんざん殴りつけた。
     私は昂奮していたので,そのあいだじゅう多喜二のむざんな姿を眼におく憤激で歯を食いしばっていただけであり,留置場につれもどされてからも,同房の人たちに介抱されながら,多喜二のように死を賭けようと自分に誓っただけだった。
     だが思いかえしてみると,どうもおかしい。
     野豚のつらと體つきをした倒錯性嗜虐狂の山口が,ずいぶん私には手心を加えた氣がするのだ。
     拷打をくわえながら,ときどき私の息づかいに注意し,
     「ひよわそうで,案外強いなあ。胸くるしくなったらいえよ。心臓麻痺で多喜二の二の舞やられちゃ困るからな」
     それから茶碗に水をくんで窓に置き,
     「大丈夫か?息が切れたら水のめよ。」
     こいつ,今日でいう “心理作戰” をやっていた。多喜二の死の抵抗に脅えたということがあるらしい。やがて自分の方がくたびれ,大汗をぬぐい,時計を出して見て,
     「今日はこれくらいにしとこう」
     窓をひらき私の胸をはだけて,風をいれさせた。 
     山口はそれから二ヶ月目に,もういちど扇橋にやってきた。
     またやられるのかとうんざりしながら引き出されていってみると,ますますおかしい。
     やつは扇橋署の小使いに茶菓子と弁當をとりよせさせ,私に供應するのだ。
     「どうせ無理してみたところで,君は口をきかんのだし,骨折るだけでつまらんよ。僕は時間いっぱい閑をつぶして本廳に歸りゃ,役目はすむんだ。雜誌でも讀むよ。途中の本屋で文春と改造買ってきたから,君もまだだろう,どっちでもいい方をとれよ。」 
     私はあっけにとられた。
     ほんとにやつは二冊の雜誌をかばんから取り出し,私にえらばせた。どうしようもないので改造を受けとって,ひまをつぶしていると,彼はそっぽをむいて文春を一時間半あまり讀みふけり(あるいは讀むまねをし),時間がきてから私を留置場にもどして,ひきとっていった。 
     それいらい私はこの怪物にあわない。杉並では別の特高がやってきた。
     どうやら山口のようすは芝居ばかりでもなく,多喜二を殺したのにひどくまいっていたように思われた。戰後になって,私は彼が後に發狂して,悲慘な往生を遂げたらしいことを耳にしている。

     さてその後の話は少々架空な傳説じみたものになってくるが,れっきとした事實である。 

    半年も豚箱ぐらしをすると,まことにさまざまの人間を見,色々のことに遭うものだ。そして,切實に感ずることは,この社會の歪みの隙に落ち込んだあらゆる不幸な人々が,みなそれぞれに悲しく弱い,けれども「人間」だということである。
     それは囚人だけについてでなく,警官についても,またいえる。權力に歪められた人間失格者はもちろんたくさんいる。
     だが,彼らも人間をのぞかせることがある。ことに概して,出世の野心ももたず,留置場の番人くらいに安住している老巡査に,ときどきおもしろいのがいる。
     扇橋でそんな老看守の一人と知りあった。彼は熱心な日蓮信者で,私に好意をもって暇さえあると宗教問答や,むずかしい哲學論議をもちかけてきた。
     三ヶ月も私が入浴していないのに同情し,自分の財布から石鹼と手拭を買ってきて,便所のたたきで行水させるようにはからってくれたり,そっと煙草を吸わせたりした。
     ちょうど私のすじむかいの監房に,そのころ新聞を騒がせたらしい「今よう天一坊」という大へんな若ぞうが入つている。
     警察には,當分しゃばに別れることになる囚人が刑務所に移される前夜,係りの刑事とか,看守とかが,彼を刑事部屋などに連れ出し,慰安してやる風習が殘っている。
     天一坊の送られる前夜,この老看守が當番にあたっていて,囚人は晝間から彼に「今夜たのむ」とねだりつづけていた。
     「ねえだんな,おねがい申します。 ちっとばかり錢もありますから,どうかひとつ・・・・」
     「やかましいわい! ろくでもねえことこきやあがって! しつこくいうな!」

     ところが就寝まぎわになつて,老看守が私のところをのぞきこんだ。
     「今夜なあ,あの野郎ちょっと出してやろうと思うが,君もながいこと風にあたらんのだから,一緒に出てつきあわないか。あとで戸をあけとくからな。そっと出てきてくれよ。」
     泥棒の相伴だ。くすぐったかったが,看守の好意も無にできない。
     就寝の時刻になつて,囚人たちがばたばた毛布のほこりを立てている間に,老看守は相棒の巡査にあとをまかせ,泥棒と私をそっと看守部屋につれ出した。茶菓子と煙草が用意されていた。
     彼は二人を中に入れると,
     「ゆっくりやってくれ,おれはそこらでぶらぶら見張ってるから」
    といいのこし,部屋を出ていった。
     その後姿が見えなくなるのを確かめると,それまでひどく神妙に,ぺこぺこして顔もあげなかった天一坊が,急にいきいき眼をかがやかせ,にっこり笑つて,たたみに手をつき,うやうやしく私にお辭儀しはじめるのだ。ぐりぐり坊主のぬけめなさそうな若い衆だ。
     「あの,失禮でございますが,あなたはもしや共産黨のかたではございませんでしょうか?」
     そのようすが芝居がかっていた。私は苦笑をかくして,「共産黨の被疑者だ」と答えた。
     「ははっ!」と飛びすざって,彼は額をたたみにつけた。
     「出しぬけにこんなことを申し上げて,ご不審かと存じますが,私はあなたがたをたいへん尊敬申し上げておるものでございます。こんなところでお眼にかかれて,まことにうれしく存じます。じつは共産黨の方にぜひお眼にかかって,お耳にいれておきたかったことがございまして ―― 」
     「どういうことでしょう?」
     「わたしはあるかたにお眼にかかって生涯の感銘をうけました。そのかたの名はご存知かと思いますが,小林多喜二と申します。」
    今度は私が肝をつぶした。天一坊と多喜二! 
     「君はどうして多喜二をしっているのですか?彼は僕の親しい友人です。」
    彼はむしょうによろこんだ。
     「實は,あのかたが亡くなられました。」
     「知っています。」
     「私はそのとき築地署におって,最後のお世話をもうしあげました。」

     こうして,世にもふしぎなめぐりあわせで,私はたいしたいかさま師から,多喜二の最後のもようをききとることになったのだ。
     そのとき留置場には,かっぱらいやすりなどのほかに,三十人あまりストライキ勞働者もはいっていたという。
     天一坊は「牢名主」で,一等奧の坊の入り口に坐り,金網ごしに外をみていた。
     特高が一人の被疑者をつれこんできた。
     着物は裂け,顏じゅう傷だらけ,半死半生,息もたえだえのさまで,よろめきはいってきた。
     それが今村恒夫だった。九州の炭鉱出身の詩人で,豪氣なわかものだった。
     共靑グループのキャップ(文化團體内に靑年同盟のフラクもできていた)をしていて,前にもいちど山口の率いる特高隊にアジトの寝込みを,おそわれ,なわをかけられたが,特高たちが家宅捜索をしている隙をうかがい,なわつきのままずらかってしまった。山口からうらまれていて,ひどくやられたらしい。
     便所に近い坊に突っ込まれ,そのまま意識を失った。(二年後に結核で保釋出所し,中野の療養所で病死した)

     留置場内が殺氣だった緊張でしんとしているうちに,幾時間かの後,またひとりつれられてきた。
     苦悶によじれた真っ蒼な顔で,息をあえがせ,それでもまだえりくびを後ろからつかむ特高に肱をこずいて抵抗するのをやめず,「畜生!」「なにくそ」ともらしながら,彼は今村と反対側の,天一坊のいる房に突っ込まれた。
     倒れたまま苦悶しはじめた。天一坊たちが囲んで介抱した。
     胸をはだけてみて,ぞっとしたという。熟れすぎた果物の肌をしている。
     そのうちに,たえだえの声で便所にいきたい,という。自分では立てないのを,天一坊と一人の労働者が両脇から抱えるようにして,便所につれてゆき,しゃがませた。ひどく瀉した。それが血だ!急に弱って,そのまま倒れこみそうになるのを,はげましながら,やっと運び出したとき,ちょうど先刻のわかものが意識をとりもどし,金網にすがって廊下をのぞいた眼にぶつかったのだ。
     「小林,しっかりしろ!」
     われをわすれて彼が叫んだ。その聲ではじめて多喜二とわかった。
     房からいちどに火を吐く勵ましの聲がとんだ。
     もう何もきこえていないようだったと天一坊はいう。
     房にかえって横たえたとき痙れんがきて,人々は看守を呼び,看守は警察醫を呼びに走った。
     「しっかりしろ,小林!」とりかこむ人々が,のぞきこみ,はげました。
     そのとき多喜二がかすかに眼をひらいて,きれぎれに,「おれひとりのこと悲しむな。みんなしっかりやれ。」
     そしてけいれんがやんだとき,醫者はまにあわず息をひきとった。
     「おお,そのときのことばを私は忘れません。留置場じゅうがしんとして,すすり泣きがきこえました。誰からともなく赤旗の歌をうたい出し,みんなが聲をあわせて合唱になりました。うろたえて驅け込んできた巡査たちもそれをどうすることもできませんでした。」

     ものがたりには自分の役を誇張する天一坊の裝飾もまじっていたようだ。
     だが,若ぞうの惡黨が,いのちをかけた信念をまのあたりに見て,自分の生きがいのない蛆蟲の生涯につくづく思いおよび,しゃばにもどったら今度こそ生まれかわりたい,と語る顔には,うそがないように思われた。
     この惡黨がその後生まれかわったかどうか,私は知らない。だが多喜二が道を迷った一人のわかものに,強い光をさしいれたのは疑いない。
     萬人に光。
     文學の問題もそこにある。
     一九三七年八月,中國の抗戰に參加するため,私は上海で地下に潜行し,逃亡に入ったあいだに,萬一のばあいを考えて,このことだけはぜひ記録をとどめておきたいと思った。
     私はそれを書き,米國の友人の手を通して,モスクワの「國際文学」編集局に送った。發表されたことをきかないところをみると,とどかなかったのかも知れない。結局活字になるのはこんどがはじめてということになったようである。

     扇橋から,いったん釋放された。

     だが二週間たたないうちに,杉並に入れられた。
     九月に入つて,私の体はまいってしまい,四十一度の熱を出した。警察醫が責任をもてないといい出し,特高が本廰に請訓した。本廳では四カ条を示して,私が承認するならしゃくほうしてもいいと電話でいってきた。
     それがどんな内容だったかよくおぼえていないが,その一つは藏原がしゃばにいる間に,私とあった事實を承認せよということだったのだけ記憶している。
     私は拒絶した。
    「こまったなあ。じゃあ,しまいまで頑張るか。」
     と杉並の特高が当惑していった。
     翌日も熱は四十一度がつづき,警察はやむなく私を釋放した。

       鹿地亘『自伝的な文学史』 三一書房1959)



    特高警察から拷問をうけて,小林多喜二が慘死した直前のできごと。
    哈哈。
    ドラマちっくな光明を監獄の中に放ち逝った,あたかも吉田松陰ばりの,とうっかりいえないほど,姓安倍的は松下村塾をウヨクのメッカとおとしめたわけだがw

    その命を賭けて信念をつらぬく貴い精神は,まこと殄熄させえないものである
    とでもいっておこうか,
    この挿話,出來すぎていて,鹿地自身が書いているように,傳説めいている,
    が,實際起きた事だろう。
    真實真慘のものがたりである。

    魯迅 は,小林多喜二死せる,の報に接してすぐ,
    その死の酷虐を殤み,哀悼して日本語で短文を寄せた。
    鹿地亘は,多喜二の死からちょうど三年のちの冬,上海で魯迅に,邂逅する。
    鹿地の口からこの一話は語られたのだろうか・・・・。
    上海にて,鹿地亘が,貧しい中國の,魔窟に賣られた農村の少女の身におきた
    不幸をもとに,美しい詩文を書いた,それについて,論評せず批判めかず,
    しかし否定するかのごとき峻烈さでもって,自分にはこういう美しいものは書けない
    と言った魯迅
    ・・・・。

    書けないではなく書かない,ということであろうが。

    そのエピソードが, ☞ 鹿地の回想録 『中國の十年』〔二〕魯迅とともににおいて
    披瀝される。
    鹿地にとって生涯の師たる魯迅。中國における人民の魂の指導者魯迅に,
    この佳話が傳えられたであろうこと,想像するにかたくない。
    病に殪れるその直前まで,たゆまず文學とは何か,文學とは,誰の何のために
    あるのか,終生,文學者の果たすべき役割を,見究めつづけ全うした魯迅。

    思念歳歳紅蓮夜,沈吟深深各自知・・・・・・。
    格別に感慨深く想わされる。

    ちなみに,魯迅が雜誌『プロレタリア文學』1933年4,5合併號に
    書き送った輓章の如き短い文章,日本語で綴られた文を載せておく。


     同志小林の死を聞いて

    日本と支那との大衆はもとより兄弟である。資産階級は大衆をだましてその血で界をゑがいた,又ゑがきつつある。 
    同志小林の死は其の實證の一だ。我我は知って居る,我我は忘れない。
    我我は堅く同志小林の血路に沿つて前進し握手するのだ。
                                             魯迅




      
    表層に,薄っぺらく蔓延している,よくかんがえれば矛盾だらけのネトウヨの言葉を鵜呑みにする若者がどんどん増殖している。
    鵜呑みにするワカモノに,ちょっと待て,と,よく考えろ,と,言うことのできるオトナがいない。もとより知らぬから,なのか・・・,
    ほんとうに知らぬなら,知らぬことに不安を覺えないのか。
    もっとも知ったからといって,そのあと考えるかどうか,またどのような考え方をもつか,はそのヒト次第だが。

    想像力の欠如しすぎたひとたちからは嘲笑され,ゆがんだ “そうぞう” にふりまわされるひとたちから,非國民とののしられるだけかもしれない,黙っているにしくはない
    そう言いたげな顏つきがあふれてる,そんな時代なのかも知れないが。

    もっと多様であっていいじゃないかともおもう。
    しかしネトウヨ言説がはびこっている,という現實。

    それがすべてダメだ,とわたしはおもったことはなかったが。
    どんな言論だってあっていい。はずだ。
    いま,それが不可解で,氣になるのは “壓倒的な多數” を占めるという現實だ,日本の加害の歴史を,主張したらめちゃめちゃたたかれる。
    そしてアクセス數をほしさに美化史觀をはびこらせて,おもしろおかしくカゲキな反中感情を煽り立てる。どんどんエスカレートする。
    檢索結果ジタイ,作為的にコントロールされうるんだ,とはPC普及のころは常識だったが,
    そんなことは今や誰も考えない。
    ネット言論は,簡單に作られる,そんなことを知りもしない,いや疑う動機すらないネットユーザーにリテラシーを期待する,ナイーブでお行儀良いリベラル。

    修正(Revision)主義史観の横暴が,眼に見えて “知” 的に劣化した。
    (何が知的かはさておき,集團で同じ事をわめいたら,そして異を唱えるものを
    暴力的に押さえ込もうとしたらそれは少なくとも知的な行爲ではないだろう。)
    同調壓力と知力は反比例する。わたしが長年身近に感じて知りえたことた。 
    わたしは共産黨員でも支持者でもなくリベラルでもなく愛國者でもない。
    ただの文學好きで,ただ考えてるだけのヒトだ。
    同調壓力は右からも左からもつねに感じる。
    わたしがヒトに同調を強いたいとおもわないのは,弱いからではなく考えるからだ。
    強いられると反發するのも,ただ考えているからだ。單純なことだ。

                             2013年10月22日



    あははw4年前からおなじことしかかいてなかったわ

    日本人のイデオロギーアレルギーは。
    日本人がそうなっていった歴史の過程は・・・・・,。
    次頁にあげる,鹿地亘の文學論考によく表されている。
    のダ。
    戰後。
    國家權力が,どーこーしたというのではない。

    wwww
    集團となった瞬間,日本人が,
    である。

    當時の鹿地亘はいう,
    「戰後の反省から」。らしい。

    (鹿地亘事件の後に書かれているだけにこの言葉の裏の諷意と心情も讀み取るべきだがw)


    「イデオロギー」はバイ菌か犯罪にかぎりなくちかい。
    當時の鹿地ら・・・・中歸連への世間の反發・・・・・
    わたしがこれを引っ張り出したのは。
    ここのところの朝日の夕刊の連載が秀逸だからだ。
    毎夕讀んでいて・・・・,ひどく心を突き刺される苛まされる

    當時の鹿地亘はいう,「戰後の反省から」。
    今,わたしに言わせれば戰後の無反省から。だ。
    そして今,
    戰爭の反省を強いるから “思,想” は敵視される,

      考える “よすが” を摘み取れ!
       “考える葦” を刈り取れ!
    ・・・・。

    とわゆえ。
    いまや,コトバを發しただけで,主張がある,というそれだけで
    「他人の意見を封じ込め自分の考えを人に強いる自己チュー」
    ケダモノあつかいだ,
    ヒコクミンどころかヒトデナシというわけ。

    いまおもう,
    日本人は思想アレルギーではない。
    主張アレルギー。



    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    仍相仍因心何處,層銜層接我住地⑨りべらるホ種の棲棲遑遑と社會學者の心

    どうもあのへんちくりんのロバが我が家にやってきてから
    パソコンむかっても,へなへなへな~と力が抜けるのであるがw

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    ザ・ターミネーター・トランプ登場以來,ワケのわからん記事であきれるばかりであった,「他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン」にも,やっとすこぶるマトモ,
    と,わたしには思われる見解が現れた。
    それはオリバー・ストーンのインタビューだったが。

    トランプ當選直後の,フランクフルト學派のヴォルフガング・シュトレークのインタビュー載せたのは朝日の秀逸だとおもったが。
    ・・・・。
    わたしのしるかぎり,世の中に
    (と言ってわたしは,ネットのニュース言論意見は一切みない,アサヒシンブン以外で世の中の動きを知ることはないのだがw)
    日本人で,かろうじてまともと思えた見識ある意見は “社會” 學者の,小熊英二だけだった。

    オリバー・ストーンのいってることは,そのジツ完全に「アカ」の言説と一致する。
    わたしにはうなずけることばかり,というか,
    このブログでも前のブログでも一貫してずっと言いつづけてきたブツクサ,
    アメリカのワケわからなさ,は世界の不安定要因だ,ということでもある。

    わたしのダンナは,ぷらとーん,觀てないくせに

     「ぷらとーんの監督が,マトモなこと言ってるぞーっ」

    と,びっくりして笑ってたがw

    わたしに輪をかけノーテンキなうちのラオクン,
    大統領になったらもっと面白いこと言うかと期待してたか,

     「トランプは,あたり前のことしか言わないな,自國内の雇用を増やせ,とか
     工場移轉はするな,とか,TPPはやめる,とか。
     むしろ,安倍ボンボンは,フテクサれてこのくらいのこと言うべきだ。
     中國は二つあるゾ,とかジョーシキじゃないか,なんで大騒ぎするんだ」
     
    と言ったらばそーとーに周りからダメだしされまくったらしく。
    すっかりトランプびいきになってしまったというへそ曲がりでもあった。
    このトランプ騒ぎの棲棲遑遑,その間,
    へそ曲がりでないわたしは・・・・・,w

    わたしは,ニホンには完全にアカ的言説はなくなったことを。
    しみじみとさみしくジツ感させられてたわけだが。

    わたしがおもったのは。

    マッカーサー以來のレッドパージが,ようやく完成し,アメリカ・メディア・大コントロールによってアカが完全に熄滅したということだw
    とわいへ
    ついに,そのアメリカも,いや,世界の安寧と秩序を脅かす「パックス・アメリカーナ」
    も,トランプの鼻息によってターミネートされる。

    とゆう。
    哈哈。毎日,新聞を讀むのが楽しくてしょーがないのダ

    小熊英二が書いていたこと。これはトランプの人格批判に明け暮れる
    りべらるにはよくわからないかもしれないが非常に示唆的なことを,
    ラディカルで,單純な, “社會”の道理を,ある意味で非常にカゲキなことを書いていた。
    いっぽう,彼は,フランクフルト學派のいってることを,アカの匂いをさせずに,
    非常にソフトな言い回しで,書いた,というようにも
    わたしにはおもえるが。

    ターレン(大人Dàrén), とシャオレン(小人 Xiǎo rén)の言葉で,かれの意圖するところを,十二分に,しかも直球で投げつけてきた。
    漢籍とフランス大革命とマルクス主義を,都合よくかじったデンパケイならでは,
    よくわかるハナシだ。

    そもそもフランス革命の大義は, “瘰癧さわり” いわゆるロイヤルタッチ ―― その否定,であったわけで,
    では,その後登場した,シトワイヤン,市民社會において,
    ノブレス・オブリージュ( noblesse oblige )は,いったいだれが擔うのか,というハナシでもある。

    それを擔うものはだれか。
    當然,これは “人民 Rénmín”,つまり シトワイヤンcitoyen” である。

    またそのものらの,對極に位置するものは,だれか,といえば・・・・・。
    民の敵對的存在・・・・,古典的アカの用語を持ち出せばw
    “市儈 shìkuài”
    つまり,アカの,記号としての,Bourgeoisie,
    Classe des bourgeois
    である。
    その兩者が對立しあう,この状況を眺めて,名づければ,それはどんな概念語か,
    というと“階層”,もしくはより尖った言葉を使えば,
    “階級鬪爭” ということになる。

    それは,もはやいくところまでいった。
    カーストcastes,Unequalのモンダイだろう。
    民主社會にカーストはない,建前。
    それはそうかもしれないが,かならずや層をなしはじめる。

    la société Unequal ゆにこーる, ―― もしくは 不平等” inégalité
    術語としての,Les inégalités sociales,である。

    ちなみに。
    Les inégalités sociales,は,
    「どうも不平等があるね,この社會には」,ということではない,
    中國語では[社會不平等],となる。
    これは正確だ。
    つまり,社會のなかに存在する不平等のことではなく, “社會不平等” ,社會は不平等である,その社會の姿そのものをいうことを言う言葉だ。
    これは,體,であって形容ではない。
    人民の,語としてあるべき “體”“用” の關係性を考えれば・・・・
    この語順の違いは,かなり大きい。

    そして,今,この格差社會の不平等は,
    もはや, “革命 Gémìng” 
    révolution,commun によってしか,是正されえないこと,
    その絶望( ―― とワクワクした期待 ―― )を示唆する

    commun とは,そのジツ
    majorité, le plus grand nombre.である
    もちろんこれは,大人,ターレンではなく,多い人數のことであるがw

    小熊氏の言わんとすることは,社會の平等,すなわち水平社會とは,いったい誰がそれをつくりだすのかという,その “主體” ,のことでもある。
    社會は,いつのまにか創りあげられるが。

    “民主” 社會は民が創るものでもある,
    それが民の大同による主導であれば民主社會,となる。
    畢竟,どんな平等の社會であれ,不平等の社會であれ。
    彼が取り上げたバーニー・サンダースの言葉も,このことを,「 “政治指導者の權威” その否定」というかたちでしめしている

    人の,大小あるいは,“社會”という言葉の,漢字が本來持っている原義,その二つの文字の古義としての意味を,知るひとなら案外わかりやすいかもしれない。

          大 dà         小 xiǎo
            大 dà         小 xiǎo


    どちらもヒトが手をひろげて大地に立っている様を象形した文字である
    腕を大きくひろげているか,腕を小さくさげているか,という

    また,たとえば,
    中國の場合,“社稷ということばの概念はイコール “土” であり。
    日本にあっては社稷とは,ただの,いまだかつて否定されたことのない「權威」であるにすぎない,
    という違いであるし,

    このことは,日本に近代以降 “社會”がないコトの理の當然を,近代日本に起こっていたコトの必然性を,
    その “歴史” の證左を,そっくりそのままあらわしているようでもある。

    同じく西洋歐米列強の恫喝と “強姦” によって開國させられた極東の島國天皇國と準極東の,民國をへて人民共和國となった某大國とのチガイでもあり。
    のちに,敗戰を經て “恭しい娼婦” とされた米國の屬州的「戰後レジーム」と,
    一帯一路の野望の“覇道” につきすすむ中國のちがいでもある。

    では,“王道”,つまり,王樣がいない市民の社會に於いては
    “天道” とも時にいわれる, “道”
    その “正道” の具現者たるべき “天民=布衣の人” たちの「民“國”」 にはどちらが近いか, といえば。

    殘念ながら
    どちらでもない。ということだ。

    ではどちらがいいか,好きかというハナシでもなく。

    もちろんわたしはナントカ会議みたく戰前レジームに戀戀とするわけぢゃない。
    もちろんネトウヨでもない。
    (アンシャン・レジームではなく,Ancient に,固執しているだけだ)

    いつもいつも「朝日にあらわれる小熊英二」に生ぬるさを感じて,ブツクサいってた
    わたしは,それでもいいのかもしれない,・・・・
    とはじめておもった。
    彼が問題の大きさゆえに言葉を濁してきていたこと,彼の「覺悟」,というか,
    志のようなもの,それがよくわかったキがした。
    トランプの人格と人種差別と虚實云云に狙いを定めているりべらるとホ種は,小熊氏のラディカルを讀み誤るだろうが。

    とまれ,このおもしろい小熊氏の言説, “大人”“小人” という用語でつたえられた,くるみこまれたカゲキさ,は措いといて,

    そもそも。
    ・・・・・。
    今年,年明けそうそうから。
    天皇ヨイショがひどいアサヒーシンブン。
    元旦から,キワメてフテキセツ,な記事が多いんだが
    とりわけっ,フユカイ,だったのは

    なんだ?
    天皇前職,のミスターヒロヒトが,これからの日本は平和國家の道を歩んでうんたらかんたら,のたまったところ
    德富蘇峰がそれを聞いて
    「それでは以前のニホンがまるで侵略國家みたいぢゃあ~りませんか?」
    みたいなことを日記に書いたとかなんとか。

    ふざけんなっ
    お前が音頭とって侵略してたんだろーがっっ,
     


    怒。
    新年そーそー腹が立って,おもわず新聞ぐしゃぐしゃにして。ヤツアタリ。

    わたしは戰後だいぶたってから生まれたので。

    文人系A級戰犯の徳富蘇峰や研究系A級戰犯の矢内原忠雄とかが,はたして
    一度たりとも反省したり謝罪したりしたことがあったかどうか,よく知らんのだが
    和田春樹が言うには,
    「その時から今に至るまで・・・・・」
    あはは。
    アサヒシンブンの記事を引用すると

     「これ迄(まで)の日本は、平和国家でなかったか。平和国家でないとすれば
     侵略国家であったか」 (「徳富蘇峰終戦後日記」)
      
     和田春樹・東大名誉教授は、言論界の重鎮が残したこの言葉に着目し、
     「天皇の勅語は、戦後70年が過ぎても解けない歴史認識の対立の原点だ」
     と指摘する。
     そしてそれは、日本国憲法が占領軍による「押しつけ」かどうかをめぐる
     論争にも直結する、と和田氏は言う。

    徳富蘇峰を「言論界の重鎮」としか書かないところに。 
    端的にアサシひんぶんの質的劣化だ,それを,よくよく感じさせられたが。
    單純極まりないうえ,幾分デンパ系のわたしは,そこでますます論理を飛躍させ,
    キメツケテ思うに

    つまり,なんだ?
    今のネトウヨの元祖は,徳富一門。
    ということになる。w
    そして,

    第4インターの生き殘りとネオコンが結託したのとヒラリー・クリントンとグローバル主義と,この德富一家だの,岸のカッパの妖怪一味だのといっしょくたになって合成されたのが,

    ザ・安倍政權。
    とゆーことになる。

    テキトーだな。いや,ちがう,ムテキだな。

    とおもうんだが,しかしwそのム敵な彼らが

    一介の,粗暴な不動産屋に翻弄されまくっている。

    これはけっこう愉しい世の中なのかもしれない,
    とおもうだに,
    わたしは「ピープル」の底力というもんを信じている,ワクワクしながら戀患ってるのだ,ビョーキなのだ。

    トランプ大統領誕生は,
    アメリカの民の“天下紛然,怨聲滿道”
    をまざまざと感じさせてくれた。

    奥田愛基氏は大統領選擧期間中,アメリカで生にトランプ支持者を眼の當たりに見て ―― “直視” して,その壓倒的な熱氣を肌で感じた,そうである。
    これはいい。
    民の “聚” 聲を真直ぐ見ることができない,りべらるが多いなか
    在野の草民として,一本スジが通っている強靭を感じさせてくれた。

    ポピュリストをポピュリストと言って批判しないところがいい。
    ポピュリストの荷い手はピープルである,という,
    そのピープルとは何か,これをよくよく考えさせられる。

    people とはなにか?
    また,
    Naition とはなにか?ということだ,

    その原點を否定的にとらえない。
    トランプ熱狂,あれが,ザ・アメリカ,なのだ。と
    ジム・モリソンに言わせれば L’america の,W,A,S,P

    そのアメリカを好むかどうか別として,これは本來,日本人が否定したり,歎いたり,するよーなハナシじゃない。
    日本の行く末心配するのは,わかるが。
    それもアメリカの屬州であることを肯定していればのハナシ。だ。

    ふつうに優先順位から考えればw,
    ・・・・・此れもアカの發想なんだろーがw
    そもそも難民を受け入れない日本政府や,沖縄と “本土” に “カベ” をつくって
    差別を發散するマスコミテレビと大阪府知事の方が
    よっぽどダイモンダイである。

    「冗談じゃないぞっ,アメリカっ」
    とつねづね口にしている人間が,なぜアメリカの瓦解を心配するのかが,
    わたしにはさっぱりわからんハナシで,そーぢゃなくて,だ。
    トランプの人格にスジチガイの批判をする前に,考えるべきだ,
    沖縄の基地問題に連帶するなら,トランプの人格批判に加擔したらダメだ,
    物事を本質的に,テレビに映し出されるトランプなど見ずに,
    奥田愛基ぢゃないが,孤獨になって。
    コッカイで居眠りもせずにwひとりひとりがコドクによくよく考えればわかることだ,

    棲棲遑遑だ。
    だいたい日本のりべらるホ種は,アメリカの西部劇なるもんを見たことないのかよ,とおもってしまうが,
    そういやクリント・イーストウッドもトランプ支持だって?
    ま。どーでもいいや

    といいつつ今,WIKI,をみてみれば

    トランプ支持者は・・・・オリバー・ストーン,くりんといーすと・・・・
    キッド・ロック,に,ハルク・ホーガンwwwワケわからんな,こりゃ
    ・・・・・。まで書いてきたブツクサを整理すれば,

     アメリカの自由と民主主義,というのはゴールドラッシュの中で出逢った
     この西部の荒くれ,「ライフル所持が自らを守ってくれる」信仰
     全米gun “教會” と福音派教會の僞善,その “野合” から生まれ落ち
     兩者の拮抗(つまり同居すれば夫婦は喧嘩する)のせいでネグレクトされ,
     ますます野放圖になっていった子供たちぢゃないか?
    と。
     彼等は,メソ・アメリカの文化を破壊しネイティブアメリカンを荒涼の“居住地”
     柵塀の外(内にだがw)に追いやり,綿花畑で黑人の太鼓を取り上げた,
     居住區を分け,ゲットーを肯定し,いまも核實驗場の風上に安住する白い人
     ぢゃないか
    そして,
     最も民主的と考えられた黑人大統領は,先住民族の英雄ジェロニモと
     オサマ=ビン・ラーディンを同一視する。
    そして
     ガザ・ストリップに「高い壁」を作って鎖封するイスラエルとは難兄難弟,だ。

    そう考えれば,
    トランプの可笑しさは,アメリカ人の血,そのものだ,今に始まったことじゃない
    なにもTPPやグローバリゼーション音頭を柔順に踊らないからと言って,
    トランプ・アメリカに長大息したり,プリ・トランプ時代を懐かしんだりオバマ政權を忉怛する必要もない
    とゆーことでもある。

    わたしはオバマは就任一年目でキラいになった。
    好きだったのは,黑人音樂の聖地シカゴのサウスサイドの貧民區で育った
    才女のミシェルと,犬を飼いボーと名づけた,というエピソードだけだ。

    ちなみに。
    ローマ法王から非キリスト者の烙印を押されたトランプは長老派だw
    敬虔なキリスト者たちの投票行動に,宗教ハバツのセクト主義がどう影響したかはわたしはしらんが,
    (あのハレンチな言動を考えればマッタク影響しなかったと考えてもまちがいぢゃないだろー)

    ピューリタン革命以來だw,
    長老派は,彼らを追い出した歐洲のリベラリズムプロパーとは一線を劃してる,
    とゆうのは,身もフタもない世界史の常識だ

    アメリカの正義と歐洲リベラルは全く異質のものなのだ
    ドピルパンとラムズフェルドのケンカを思い出せばわかりやすいw
    「フランスは古い國だからあえて反對する」


    にほんのりべらるは,新興の自由の女神に象徴されたなんとなく,おっざっぱな,
    情緒的に,「自由」と民主主義の「正義」を,傳統無きアメリカの中に夢見ている。

    いかにも歴史無き,明治維新からはじまった新興國家らしく,といえばそれまでだが
    ヨーロッパの民主主義はローマ帝國以來の哲學思想に裏打ちされてきた,
    キリスト教會さえもそのうちに包括するオルソドクス,カノンである,
    もっといえば,
    洋の東西を問わず
    歴史上繰り返された,流血のジタイ,幾多の試練と苦難をのり越えて,民の力でもって確立したもの,人類の英知と限りなく一致するはずのものなのだ。

    その意味でも
    全世界に秩序と平和をもたらすのは,アメリカの保安官,だの,
    イージス艦ウィリアムなんちゃらの『航行の自由』作戰,だの,
    アメリカが自由と民主主義の盟主,だの,價値觀外交による「自由と繁營の弧」
    だの,とゆーのはマッタクのところ,安倍自身さえ信じていない“おとぎ話” だ,
    軍擴競爭が國土保全の唯一の道と信じるくらい,マヌケなことぢゃないか

      ちなみにだ,わたしがよくつかう, “おとぎ話”という語は,イコール
      嘘っぱち,だっ!だから信じるなッ
      といってるわけぢゃない,
      よく誤解され會話は途切れるし,ともすればだいじな友人を失うが・・・w。

      それが フィクションであれ ―― ノンフィクションであれ ――
      おとぎ話とはなにか,
      目覺めない人を,安らかに眠らせる作用を持つ,ということだ,
      そんな物語の流布に加担してはゼッタイにいけないのだ,
      當然,シェヘラザード姫の弱者の立場にはわたしは同情するが。
      強いものが喧伝するおとぎ話は,人を思考させない。
      麻痺させる。直面していることの一番大事な優先順位を狂わせる
      わたしが,
      日本が,りべらる衆愚でもってトランプの人格批判をしたからといって
      どうもならんどころか,やめたほうがいい,と思うのは・・・・

      ただそれだけだ。
      おとぎ話は,今日目醒めない人をあしたも眠らせることにしか・・・,
      意味をなさない。
      瞿秋白が批判した夢中鞋とおなじである
      
    ・・・・・。

    そもそも。
    ピルグリム・ファーザーズの子孫,トランプなる不届きもの,
    彼は,不動産やであった。
    とゆう。

    これはかれの性格や人格ではない,まぎれもない事實,
    ただのファクトだ,トゥルースだw
    では 「不 “動産” とは何か」ということで,考えれば,だ
    “動産資本” とは, “移動” で利ザヤを稼ぐ。
    “グローバリゼーション” とはそもそもの發想が違う。

    大資本であればあるほど, “資本移動” によって利益を生むに限りなく都合がいい
    というか,これ以上ないというくらいの,出來過ぎた,行き過ぎの収奪システム,
    移動できないものたちにとっては,不利を生み,損を擴大させるばかりの
    格差製造マシーンであるところのグローバル。

     (これはアメリカとイギリスのプロテスタント教會を通じてつながり,ツーカーである
      ところのある途上國でやりとりされる,資本移動のモンダイも含まれている。
      そのあくどい實例はパナマ文書やウィキリークスによって暴かれたばかり
      ぢゃないか?キリスト教會の宗教派閥で世界史を見ることは,世界史を
      手っ取り早く理解する作法の一つであるが,組織神學的教會史,いや宗教
      そのものも日本人が一番苦手もしくはムカンシンのところだ)

    そもそもトランプが,米國ファースト,というのは,彼の生業をかんがえれば,
    むしろ理にかなっているぢゃないかっ。
    すくなくとも,ワケのわからんダブルスタンダードを体現するクリントン一味より
    よっぽどスジがとおっているようにもおもうしw

    とはいえ,
    これは地上げ屋とか,リーマンショックだとかの,時代時代に現れる表層的な “相”のハナシ でなく,人類の歴史のはじめからある,もっともっと根源的な, “社會”,そして社稷のハナシである。

    “地主” と, “民主” の戰いでもあるし,
    “地主” への民の抵抗という單純な觀相であるが。

    最初の革命の轉機は ―― つまり「 “地主” のいきすぎた権利を剥奪して民にわけあたえる事業」 ―― ,これは畢竟,民が主體となってやるしかないのだが,
    その民を助けるものは,―― いつも 「“地主” 階級」 から現れる ―― 。
    「階級」と言ってカゲキすぎる,アカにすぎるなら,階層, “層層” ,という無色のコトバにおきかえる

    『出エジプト記』のむかしから安住の地を求める,落地生根,草萌の神話でもある,
    デイアスポラの怨嗟と,奪われた土域のハナシでもあり,
    レコンキスタでもある,現代の移民問題と直結するハナシだ

    社,土を示す・・・・・・

    この土地が「草民」にとって,最も良い,生きるに適した場所であることを
    “示す”

    それがリーダーであり, “政 まつりごと” の發端であり。
    社會とは,そもそも,社の會同である,という

          社 shè       會 huì

           社 shè          會 huì

    「會」字は段玉裁『説文解字注』によれば, “益” である。

    つまり。
    公羊學者の正統は, ―― その系譜はのちに,なるべくしてマルクス主義者と
    なっていったが
    “益” を考えずに社會は成り立たない,
    といっている。

    トランプがはたして真の民衆のリーダーであるか,そんな事はわたしは知らない。

    しかし,ホントの “民の利益”とはなんなのか,それを
    指し示すだけが。
    今あるシャカイに,それを示すのが,
    最初の “段階” である,ということだけは, “革命” の歴史を見ていてよくわかるのだ。

    そう,もうすこし穏健な言い方をすれば・・・・・
    ラディカルなことばかり考えている頭には,トランプのいってることは,それほど奇天烈ではない。ただ現實味がとぼしいのと, “現代的” でない,というだけで。

    では,現實や現代がそんなにいい時代なんですか?
    ということにつきる。
    屁理屈だと,おもわれるだろうが。

    ムチャクチャ言ってるわたしにしてみれば,
    トランプのいってる無茶なことに不快をつのらせ,拒絶反應示す人は,あまり
    原理的,根源的なことを考えない,
    かつ,
    “リアル” 現代に満足しているヒトビト,ということになる。

    つまりは既得權 “益” 層の,昔の言葉でいわんば,保守ではなく,精神的反動だ

    トランプををポピュリストだの,ポスト・トゥルースだのともっともらしく批判するやつは氣取ってるだけで,社會の表層しか見えていない。
    トランプの言ってることは,
    “土地” , ―― つまり “國” だ, ―― それを富ませよう
    ということ。
    ピープルに寄り添おうとすればポピュリストにならざるを得ない,
    社會主義者のバーニー・サンダースもおなじだ,
    過去の共産主義者もそうだ,
    ただ,
    土地の私有は許さない,公司は國營ですっ

    とタテマエいいはってるだけでw,
    “國”, ―― つまり “土地” だ, ―― ,“ 囗域” 内の價値を高らしめる,
    という意味では同じことを言っている

    その對極にあるのがグローバリゼーションだろ?
    と。
    そう考えれば,www出てくる答えは何か。
    デンパケイのわたしの頭の中で醸成されるものは,

    グローバルネオコン陣營VS「國民國家」主義者の熱き戰い,
    ということになる。

    これは第四インター殘黨VSコミンテルンの戰いではwもちろんない,

    そんなケチなハナシぢゃなく。
    民の, “人權”という “益” を, 民から搾取している何モノか,との,不斷の戰い
    人類普遍の,人民の不撓の戰い,ということだ,
    歴史のコトワリ―― 必然。

    120年に一度おこっている,のである。
    ルターの宗教改革,ピューリタン革命,フランス革命,ロシア革命,今年はソヴエト勞農政府の誕生から100年だ,二十年後には新しい夜明けがある。

    そして,ここが小熊英二のまさにいわんとしたことだとおもうが,

    トランプはそのワレワレ,民衆のリーダーでは決してない。
    彼に,うかうかついていったところでおこぼれは何もない。

    しかし,
    と小熊氏は
     バーニー・サンダースは,「おれにも期待するな,と。
     おれがナニカをしておこぼれを分け与えるわけではない。」
     バーニーはそう言っってるじゃないか,
    と,書いた。

    鄒容が110年前にいってたことと,なんらかわらない。
    ということだ,      ☞ 鄒容,社會大同

    彼は,一人びとりに命を革む自覺をうながすことしかできない,といった。

    畢竟,民のリーダーは前驅する馬,軍馬の前卒にすぎない,
    ただ,さきがけるだけだ,が,行くべき方向はわかっている
    トランプはカン違いの方向に走ってるだけだし。
    そういうやつはこれから何人も出てくる。
    ついて行ってはいけないし
    誰もついていかなきゃ,彼らはとぼとぼ歸ってくるしかない
     
    いろいろなジタイがおきるだろーが,そのうちには,いつか
    真の受益者たるべきはだれなのか,真の “土” の益とはなにかがわかってくる。

    その時初めて,彼等にとって,その “土” 地にとって,また, “移” 民者にとっても,
    “移民” を受け入れる側の者らも,彼らを安住させ彼らと安住できることが,
    真にその土地にとって “益” となることがわかる。


    その時, “意志” によらない不幸にしてせざるをえない移動,
    作為的なグローバリゼーションの惡弊によって起きてしまっている, “移動” だが,
    そうした“移動”には,意味などなくなっている。

    移民は,定着すれば “民” になる,
    古今東西。
    もとより “民” は移動してきたのだから。

    そして,そのとき民の “益”“示” された “土” の,“益” となる
    土と民の,“會”  となる。

    「不動 (資)産」,にはそうした意味がもともとある,ということだし,
    “社會” という語が古來持っている意味である。

    そして, “國” はいつも “變易” されてきた

    ちなみに
    古字の “社” は,
    こういう形であった,という説もある

         社の古字 社 shè   234AE.gif  社 shè

    畢竟,
    各樹其土所宜木也。 各各樹木はその土の "宜しき" に木と生(な)る




    おわりに

    わたしは國家というものは,イコール民の “社會”
    民の土地の利益をはかる,つまり社稷の豊穣のための “會同” が,社會である,と
    その事をずっと書いてきた
    その意味でならわたしは,精神的に社會主義でもあり,とはゆえ嚴密に整理して
    言えば “國” 家主義者でもある。
    國家が民のものになるとゆーなら,
    そーゆー國家ならネトウヨにはもーしわけないがわたしは,愛 “國” 者でもあるw

    しかし,今,わたしの棲遲する社會も國家も, ―― 日本政府が
    國 “土” 地を愛さず,「民が主」でもないから
    無政府主義にはもろてをあげて同調したい。
    そんなカンジ。

    某所では,ヒコクミンとさげすまれるが,わたしには名譽なことだ

    そ-いや
    ww
    大統領就任式の際, 黑い服きたのがアバレてたとゆう。
    そんな集團がいたとゆう・・・・w,
    ますます革命の予感にとらわれてしまうな。
    頭の中は・・・・,
    ヒコクミン,でなく,くろぽときん,な,玄ちゃんはワクワクなのだ。

    社會現象,仍仍相因,層層銜接・・・・

    120年に一度の世界の腦震盪に巻き込まれて,日本がちゃんと人類のカノンに參畫
    できる絶好のチャンスぢゃ!
    と。
    Hozhdenie v narod!!っっ

      碧玉觀音
               梱包される前の觀音とお別れするへんてこロバちゃん。


    包君がわたしに “玦”
    を贈ってくれたあれ以來。音沙汰がない。

    彼が送ってよこした “玦” の意味をわたしは取り違えてなかったようだ。
    彼が高校を不登校になり自室に孤獨にひきこもっていた十數年前以來
    ようやく, “部屋” から出る決斷をした,ということ,また
    わたしに “訣” をつげてきた,その “意”,を言祝ぎたい。
    さみしくもあるが。
    それでいいのだ,と心の底からおもう。

    そこで。
    これまでの友情の印にこの碧の觀音を彼に贈ることに決めたのだ。
    彼が “部屋” に閉じこもることが二度とないようにw

    こうしてみるとでかく見えるが實物はちいさい。60サイズで余裕で送れるからw
    心配しないようにw
                         切記切記


     なろーどにきっ 

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    這樣的事情在我的生日!②裂とロバ


    常州市紅梅閣quqiubai-hongmeiguo.jpg


         《紅梅閣

     出其東門外   東門外に出ずる 
     相將訪紅梅   相將(随伴)して紅梅を訪れん 
     春意枝頭鬧   春意は枝の頭に鬧(さわ)がしく 
     雪花滿樹開   雪花は滿ちて樹に開く
     道人煨古拙   道人の古拙の煨* 
     煙濕舞徘徊   煙濕,徘徊し舞う 
     此中有至境   此の中に,至境有り
     一一入寒杯   一一,寒杯に入る 
     坐久不覺晩   坐して久しく晩(おそ)き覺えず
     痩鶴竹邊回   痩鶴*,竹の邊を回る 

         平聲七 梅開徊杯回


       煨 wēi =玉書煨。 茶道具↓
         微火を用いて慢慢(ゆっくりと)煮た熱い食べ物
         燉(シチューのようなもの)を煮るなべのことも言うが
         ここでは,道人の古拙な器に點てた茶,と
         煨は盆中の火のこと
       痩鶴 shòu hè=鶴,だが

           wai.jpg



    この五古詩は連作の一。
    乳のみ兄弟であった羊牧之と武漢で劇的な再會の後,瞿秋白が
    二人の常州少年時代を回想して詠み贈った詩。
    1926年第一次國共合作北伐戰爭遂行のさなか,武漢でのできごとであるw
    最後に現れる
    痩鶴,これは二人が吟じ朗誦し愛した常州詩人の黄仲則をいうだろうことは
    連作の内容から,まちがいない,すくなくとも,黄仲則讀みならそう考えるだろうw



    さてその②
    も一人の友人,
    その方はわたしの唯一の女友達で,というと世にも奇特な性情の持ち主かヘンジンか,と思われるかもしれないが。
    彼女こそ人徳ある,ボサツの様な。わたしよりいくぶん年輩の女性である

    彼女がライフワークのようにしている,和の中古裂(おふるきれ)や古裂をつかって創作する美しい布製品
    その作品の一つを,誕生日プレゼントに,といただいた。
    彼女とはブログを通じて知り合ったのであるが,わたしがずっとここや前のブログに書き連ねてきた古詩,中國舊體詩の世界を見事に布によって,その手仕事によって表現してくださった。

    朱赤の鶴や梅,とりわけ紅梅,竹,そうしたモチーフが染め描かれた古裂れと黑絹の縮緬地とはぎ合わされて一つの彼女らしい表現物になりかわっているのだが,それらはわたしの,それこそ昨日の包君の詩にかかれたような異土に見る紅夢の世界でもある,
    中國の「文の化體」となってあらわれていた。

    いつか記事で書いた文化とは “文” ,の “化體” であるという,その文とは,文目,紋様である。
    絲の文が,彼女の “手と針” による “用” を通じて化したもの,まさにそれを感じさせてくれた。

    わたしがいつも書きばしる常州の “村風情” その象徴としての梅花,鶴が在る。存る。
    “文” とはたしかに,大地のうえに,生きて,進行形として存るものが,かたち,となり, “用” を經てサンボルとなり,時間軸上につたえられていくもの,である。

    化體というのは,物化でもある。
    というその機微は「文化」と,その「あらわれ」「あらわし」を知ることでよくわかる。

    『莊子』にいわせれば物化とはとりもなおさず,「死」である,
    が,
    それすなわち「死滅」ではない,という古代中國の叡智。
    ではあるが。
    ジツは,それは西歐の美學にいう「感性」 aesthetics とまったくよく似た認識論でもある

    彼女の血を分けた係累 ―― こういう言い方は語弊あるかもしれないが ―― は感性の極美というようなきわどい “物化” 表現をする著名な前衛的な畫家である。

    わたしは,贈り物に添えられた彼女の展示された作品の寫真の幾葉にも,そうしたつたえられた「血の化體」まで目撃した氣がしてゾクゾクとうれしかった。
    とにかくうれしく,もったいなくありがたかった。

    見事なその “お針仕事”,わたしなど感嘆するばかりで技術的なことは言葉にできないが,
    たしかにわたしの頭の中の古體の文絲となってあらわされ,そしてこの上に掲げた詩と“白雪”“紅梅閣” の情景が即,頭に浮かんだのである

    その美しい朱赤と黑絹と鮮やかな新緑の色彩が表現する
    絲文のさまは・・・・

    殘念ながら彼女のその作品をここに挙げるわけにはいかない,
    その作品は美術展などで公にもされるもので個人を特定されかねないからだが,
    もとより公開されてるなら,問題はないといえばそこにはないのだが,
    問題はこのブログである。
    こんな反日的ブログのへいとすぴーかーのブログに載ったらそれこそどんな珍事が出来してどんな迷惑がかかるやもしれぬ,
    そんなことを想像できるくらいには,わたしはこのブログの酷さを自覺しているし,
    そうしたはばかりを考えるくらいの常識はわきまえているw

    というわけで,その贈り物の包みの中にあったもう一つ。

    「驢馬」 のことを書く。

    ロバのお人形。
    木のからだ,とフェルトのデカ耳と毛皮の鬣と麻ひものシッポ
    なんとなくマヌケな丸みと無造作な肢をもったロバ。
    リボンが掛けられた包み紙も,ロバ文様なら,添えられた手紙の便箋もロバ柄。
    とゆー,ロバ驢馬づくし
    なぜかといえば

    彼女は凝り性なのである。

    と言っても,なぜその「凝り」がロバにコダワルかといえば。

    roba5.jpg

    わたしは彼女にはいつもいつも,かなり率直に
    この日本社會に對する怨嗟と呪詛とw
    それを惹起せしめるわたしの中國文化への戀戀たる懦情をかなり率直に語りつづけてきた。

    ヒトによってはウンザリするだろうし,不快を覺えるひともいるだろう,そんな
    踏み込んだ内容のことを。
    まあこのブログを讀んだならわかってもらえるだろーが
    どーにもクドいそして,シツコサ。
    日本ディスり&りべらるホ種へいと,そのほかいろいろ恨みツラミのタワゴトを

    とりわけ率直に過ぎたあるとき,キ恥ずかしさもあって
    わたしは,『王様の耳はロバの耳』,の寓話を念頭に

    これは,わたしにとって 「ロバの耳」なハナシ なんです

    と。
    王の秘密を垣間見て誰にも口外できない床屋が地面に穴掘ってささやいた,あの心境地です,と。
    いったのだった,
    彼女はそれを,(まあ,わたしの日ごろの言葉づかいのわるさならさもありなん,なことに)

    “馬の耳に念仏” 的,ブツクサ をきかされる「耳」とかんちがいした。

    わたしの
    「ロバ耳寓話モード」の内緒話,はwより穏当に言えば「馬耳東風モード」の耳。
    下手すりゃ 「カエルの面に・・・・かよ,おい。だまってきいてりゃ,コラっ」と
    となるとこだったが

    ところが彼女がたまたま,ロバという動物が大好きだった,という偶然も相まって
    彼女は怒るどころか,

    ドコロかそこが,まさにわたしが彼女のことをボサツよばわりする
    ゆえんなのだが,
    『玄ちゃん,いつでもぶつくさ言って,ロバちゃんでっかい耳でいつでも聞くからね』

    ・・・・w

    のちにわたしたちは「ロバの耳」の耳違いなもつれを,ほどいたのだが

    爾來, “ロバの耳” がわたしたちの会話に頻發するようになった。

    そして今年。このお人形が届いた

    わたしははじめ包みを開いて

      なんぢゃこりゃ,ヘンな顔したロバだなw
      泣きベソかいたようなカオしてーっ

    とおもった。
    そして泣いているよーなロバの顔,みてすぐさまわたしは
    去年のおわりのことを,

    そう,わたしはw
    彼女を怒らせたり,悲しませ,ひどく惱ませたのだった ―― それを思った
    胸につかえていたわだかまりのこと。
    そのうち,この正体不明な,ナサケないロバの顔を見ていて,ふっと

    そもそも,なんで,あの王の耳はロバの耳なのか,と
    王の耳がブザマにでかい,というだけならウサギだっていいぢゃないか・・・・・,

    そこで卒然と,

    王の耳のブサイクは
    たしかにロバの耳であらねばならない必然性があったことに思い至った,
    ロバの耳の物語の,深い寓意にキづいたのだったっw


    roba3.jpg

    「王様の耳はロバの耳」という寓話は,いくつかのパターンがあって發端と結末は同じだが
    微妙に違っている。

    ギリシャからアシアマイナー一帯につたえられてきた神話,
    王様,というのは
    もちろんミダース王,すなわち,アッシリアの王である。

    いま,まさにイスラミック・ステートが跋扈して, “擅(ほしいまま)權” を兇暴にふるっている
    あのあたり,だ

    わたしが覺える「ロバの耳」のパターンは
    子供のころギリシャ神話やホメーロスやが大好きだったわたしは,
    牧神パーンとのつながりをもつ,のが好き

    地面を掘って穴に向かって『王様の耳わ~,ロバの耳ぃ~』
    秘密の暴露のコトバにしたらば,その穴から
    葦が生え,やがてそれが葦笛(あしぶえ笳)となる
    その笛を吹くと,音色がなんと・・・・・

    『王様の耳ぅわぁ~,ロバの耳ぃひ~ぃひょろ』

    確かに

    ロバというのはつねに,大地にへばりついて生きる民の旁に,或る。ゐる。

    王のおそばにはゼッタイいないだらふし,
    白馬の騎士はまちがってロバに跨ることはないだらふ。

    ロバはいつでも民のブツクサを,じっと,聞くともなしに聞いている,
    まぬけ,ぃゃぃゃ,ぶれいな,ぃぇぃぇ 憂れひふくんだ,
    かわゆい顔して

    愚痴や,世迷い言や,痴話ゴトも,泣きゴトもすべて
    ぢーっっとw
    素志も,怨嗟も,頌もあろう,ときには革命の謀議もあるや,
    默つて無カンシンげに聞いているのである,

    それは,「壁に耳あり」,や
    「説曹操,曹操就到 shuō Cáo Cāo,Cáo Cāo jiù dào」
    ではない耳,

    いつもあの,でっかい耳できいていたんだろう,地べたに一番近いところで。
    じめーっつと。
    そんな象徴としてのロバの耳が,あったろうこと。

    「王がロバの耳を持つ」,この可笑しさは

    民ならわかる。
    くだらん王サマにはわからない,

    この大地のコトワリ,
    紅塵浮世,ジンカンモンヨウヒキコモゴモ(=人間紋様悲喜交交)
    だからよけいにおかしいのである。

    王は。
    聖王は,能く,良く聞こえる耳を持っていなければならない。
    古今東西,堯舜の中國もアシアマイナーもこれはいっしょだろう。

    “國風” ,という國柄を詠いことほぐ “うた” ,庶民の歌謡,民謡をあつめて『詩經』が編纂されたのは,たしかにそこに「國情」すなわち民情があったからである
    ・・・・。

    ふっとおもいつくのはこの詩だw   ☞ 魯迅《偶成
     
    《偶成》魯迅

      偶成 魯迅

     萬家墨面沒蒿萊    wàn jiā mò miàn méi hāo lái.
     敢有歌吟動地哀    gǎn yǒu gēyín dòng dì āi.
     心事浩茫連廣宇    xīnshì hào máng lián guǎng yǔ
     於無聲處聽驚雷!   yú wúshēng chù tīng jīngléi!



    魯迅の舊體詩はすくないが,みなすごくいい,なかでも七絶絶唱といえる,これ。

    第二句の,歌吟は,周の穆王が大風の雪中につくった詩から。
    《黄竹》,をうたう““歌聲動地哀”から來ているという。

    民の苦寒と飢餓を哀悼している“《黄竹》『穆天子傳』 という歌。
    “『莊子』《天地篇》“聽乎無聲”をあげる注釋もある。
    畢竟どちらも同じことを言っている。

    魯迅の詩意,含意はおそらくこんなカンジだろう

    蒿萊は,まさに魯迅の著わしたところの『野草』,であり,草民であり,蒼茫であり
    雜草。
    驢馬食むところの草,人食む草,人を食む草・・・・・・・・土饅頭つくり
    風を浮く草であり,案外にしぶとい “萊” ・・・・

      萬家はすべての民。墨面は黒くすすでよごれた顔。
      煤に汚れた,泥にまみれた人びとが,大地に這いつくばり,雑草の中に
      かくれるようにして沒している。

      敢然と有り,
      歌,吟ずば大地を動かす,いにしえに天子の天民哀れむ歌,
      とはいうけれど
      わが心,事に際し心は浩茫として廣き宙宇に連なりて

      聲無き處に"聲もたぬはずの民=齊瘖"は, 驚雷を,まさに聽く

    聲とは何か,聽くとはなにか。
    驚雷とななにか
    目覺めさすべき雷鳴の轟き。怨嗟満聲載道。瘖と聾と,ロバと笳。

    以前この記事をかいたときより,よりさらによくわかるのだw
    動搖震盪している地球,
    惡來,ターミネーター到來,
    習近平の野望,覇道の瘴癘氣

    萬馬齊瘖究可哀,天道歌吟動地哀。

    屈大均《天泣で,ふっつりとぎれていたが,
    天子哀しむ,そのワケの天民のハナシに戻らなければ・・・・・。

    そんなことごとがあたまのなかを
    走馬燈,いや哀しげなロバの,・・・・のように・・・・・のように・・・・・のように。


    と こ ろ で。
    實際のところ。
    いまさらながらに,このロバどんな顔してたか,と
    見てみたらればろば

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    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    這樣的事情在我的生日!①玦

     title=

    今年わたしの誕生日に,めずらしくも,二人の友人から!贈り物が届いた。
    珍事出來であるが・・・・感謝するとともに深く感じ入ることがあった。

    その①
    師弟の包(パオ)君,キの利いた,そして非常にイヤミな・・・・・,しかし
    作法はカンペキ。
    含意,起承轉結も絶妙の絶句。


    異土紅夢載     yì tǔ hóng mèng zài
    落花了一年     luò huā le yī nián
    我那隨何苦?   wǒ nà suí hé kǔ?
    老師玄擅権!   lǎo shī Xuán shàn quán! 


    含意はおそらくこんなカンジだろう

    起 異國の地に過ぎ去ったうるわしき夢を載せ年經りて
    承 また一年一載,わたしは華年をムダにしました。
    轉 ああ・・・。わたしが何でわざわざあなたについてかなきゃならん?
    結 玄先生,それは。  あなたがあまりに横暴だからですっ!


    仄起平韻式,五絶は
    ◎仄平平仄,
    ◎平◎仄平。
    ◎平平仄仄,
    ◎仄◎平平。


    とこーなる
    カ ン ペ キ,なうえ

    玄字 (平聲十一先) に押韻して年,そして擅權はキが効いてるのダ。



    さらに包君から,漢白玉,いわゆるホータン,(和田 Hétián 玉)と翡翠をあしらった
    とても美しい項鍊(首飾り)をいただいた。

    手のこんだつくりで,白玉は雙龍を彫りこんで,・・・・・
    “玦” の形。
    すぐうえの黄色も,ヒスイ,軟玉翡翠 Nephrite である

    チェーンの部分はオニキスと硬玉翡翠 Jadeite のビーズで連ねられてある
    白玉から垂れ下がるのはやはりオニキスとガーネット。
    ガーネットはわたしの誕生石,と全くあつらえたような出来過ぎの一品。

    結構値が張ったのではないかと思う。
    當人は中國人から安く買った,安かったんだと言ってくれているが
    白玉の質が非常に好いのである!

    ねっとりとした瑯玕質の白と黄色の玉は,光を近づけると透き通る。
    蒼色と翠が混ざったような薄いまだらがあり,幻想的な妖しい白である。
    色がまざったものは, “羊脂のような白玉” としての價値は下がるが一方,しかし
    包君がわたしに買ってくれた首飾りのように,アクセサリーにつかわれると
    またべつの相好,風格によって愛でられる美しさなのである

      hanbaiyu2.jpg

    日本は今,翡翠も安物ニセモノオンパレードで
    いいもの,ホンモノに出逢うことは・・・・そうとう信用ある店でなくてはむずかしい。

    それというのも昨今のパワーストーン・スピ・ブームのせいで,
    「玉」もまたとばっちりをうけている

    ヒスイにかんしては
    「日本の國石」であるという,キメツケのために翡翠ブームがきたためなんだそーだが。

    硬玉翡翠と軟玉翡翠の區別もおぼつかないのが,漢白玉を翡翠とだます???ためみどりに染めたりする。

    そもそも
    日本人のもっている翡翠の概念そのものが,ムチャクチャ,だ,
    そりゃ,あんまりだ,
    と感じることも多い。

    硬玉以外は,翡翠といっても,良いヒスイぢゃありません,
    とか,

    白人は東洋人の微妙なセンスがわからないから軟玉も硬玉も勝手にジェイドといってるが
    そもそもあれ(軟玉)はヒスイぢやありません
    とか

    あげくに中國にはヒスイは産出されないのでもともと存在しなかった,
    とか
    ホータン玉はなぜか,和田(Hétián )玉のことでなく和氏の璧玉は皇帝に献上された翡翠で,だから和田玉は翡翠でジェダイド,だ
    とかw
    まったくwイミ不明なのである。

    こういうディスりはとうぜん『春秋』はおろか和氏の璧の故事の出典も知らないひとが,ネトウヨ的妄想にはまって,なにしろヒスイは「日本の勾玉」ニッポンのホコリなのであるから。

    ロウカン(瑯玕)を,カッテに老管,の字をあてた業者もいた。

    おそらくは,「老翡翠管,老坑出的」なる文言をみてロウカンは老管だと思ったのだろう。
    じっさい管楽器,玉簫,玉管にヒスイはよく使われる。

    天然ぱわふるストーン業界のスピにも,國粹ヒスイ愛から派生したネトウヨ的ぱわふる自慰言説と夜郎自大がはびこっているのだ

    日本で愛されるヒスイは緑色だが,日本人の愛する緑は中國人の綺麗な緑色とは違うといい,日本のヒスイが一番といいつつ中國人が輸出用に染めた謎のインチキ石「綺麗すぎる緑色のヒスイ」を高い金出して買ってる人もいる。

    まあどーでもいーことなんだが。
    玉,碧,の彫琢の技術というのはやはり,中國,
    商,周代からつたえられてきた軟玉の細工であったりするわけだが,
    日本人は軟玉を翡翠とは認めないどころか寶玉とも認めたくない風情である

    そんななかで,
    包君はすばらしい,「ザ・日本の國石」ぢゃないすばらしい
    ネフライトの翡翠をプレゼントしてくれた。
    このことがすごいことなんだw

    包君がいうには,

     翡翠のアクセサリーを買おうと思って
     ほんとうにこまった,
     中國人のヒスイと日本人のヒスイはこんなにちがうもんだとおもわなかった。
     どうも大姐が大好きな翡翠はふつうに日本で売ってるものとは・・・・
     こりゃあちがうな,と。
     ヒスイは偽物が多いと知って
     日本糸魚川翡翠協会のHPなどさぐってみれば賣ってるものは。
     信用のおけそうなという店ではべらぼーに高い軟玉か
     比較的安いのは硬玉・・・・・,

    そうなのである
    日本でも真面目に翡翠を扱ってるところは變な差別もなく,いい軟玉にいい細工を施してあたりまえに高い。
    www

    ところが,
     
     中國人から買おうとすると,まわりは,翡翠などキョーミもないくせに
     絶対ニセモノにきまってるからヤメロ,
     とにかく信じるな,ブランド品の偽物,コピー品・・・・どぶにカネを捨てることになる
     といって皆とめるし・・・・

    苦勞したようである
    包君・・・・ちなみに彼はニホンジンである
    かれが世の中に絶ボーしていてへやにとじこもっていた高校時代,
    わたしがやってた香港映畫オタクwのHPにさ迷い込んで以來,の
    同キ相求,同病相憐れむの仲良しだが。

    そして。

    そうなのである。
    確かに中國人は信用ならない。

    だから中國人は中國で売られているモノも,自國のヒトもマッタク信用しない。
    そこはニホンジンがニホンジンを信用しているのと大きな違いである。

    ニンゲンの惡さは人種や國別できめつけるもんではないと。
    ワタシわおもうがね。

    たんに程度の差ではないかと。 程度がハナハダシイことはわたしも感じるがw

    日本人にもニセモノうりさばくやつはいくらでもいる
    そもそも歐米のブランド品に異常にヨワイ,という致命的な日本人の欠點をつかれて利用されてるのに,その點については別に “國” や人種のせいにはせず,問題視はしないらしいw

    いや
    確かに中國人は信用ならない。
    だから。

    だから中國人は,古玩骨董の類を日本で探すのだw

    明清時代の “老翡翠” が日本にはたくさんあるのである。
    そして價値の「不明瞭な混亂」というべきものもあるw
    中國人にとっては,吃驚するようなあり得ない安ネで流通するトキがある


    なぜたくさんあるか
    って?

    日中戰爭があったからである。
    「有因,而して有果」,ということである,

    なぜをその價値がつたえられず,安く市場に出回るのかって?

    帝國日本軍士官高級将校は,行軍中,物の価値を知る者も知らぬものも書畫文物骨董品,めぼしいものをせっせと徴用・接収しては内地の偕行社あてに商船を使って送っていた(つまりこれは略奪)。部下の兵隊たちは,そんな役得はないから畑を荒らし女を犯し金錢を奪った。戰爭がおこれば,これはいたしかたないことなんだろう。

    とわいへだ,w

    帝國日本の内地で朝鮮人や中國人の侵略や略奪,歐米人の侵寇から身をまもらなければならなかったという話はとんと聞いたことがないが,日中戰爭,あれは「自衛戰爭」,ということにナゼか今はなっている。

    「戰利品」は日本内地に,確かに届けられたのである。
    戰地で利用されなければ徴用とも接収とも言わないことは考えれば誰でもわかることだと思うが

    ・・・・・

    この老翡翠の浄瓶觀音ももしかしたらそうなのかもしれない,とおもう

    深夜,電燈のもとで見るとキミが惡いほどあおざめて,まさに,玉髄したたるような玉,
    “靑瑯玕” の美しさを湛えている
    淒淒とした蒼,愴む色,淒愴である。

       qinglanggan.jpg
     

    手前にあるのは軟玉翡翠の雕龍のペンダントヘッド。
    玉の色が黄色に移り変わる裏側には美しい雲が彫りこまれて二重になっている

       neflaitehuanglanggan1.jpg
       neflaitehuanglanggan2.jpg 


    昭和の古いもののようだが
    或いはいくつかの特徴から中國のものではないかと思っている 

    翡翠の掌。
    片側に黄色翡翠玉の連珠と,
    もう片側に 碧玉の珠。

    碧玉とは,
    英名はJaspar ジャスパー  

    血の色をした潜晶質石英のこと。

    どれも一万とか數千円とかで手に入れたものだがw

       huanyusmall.jpg
       碧玉

    中國人に見せたら,びっくりされたので鑑別機關に送って鑑定してみたのだ。
    でた結果は。
    業界用語でいうところのA貨翡翠であると。
    つまり人工的な加工を施してないもの,玉粉を固めて成型したり,樹脂で色を染めたりというインチキはない,天然無處理本翡翠であると。
    さらにワックスによる處理がなくみな現代のものではないだろう,ということだった
    “老貨翡翠” という言い方が中國にあるがそれは日本の鑑定機關では使われない言葉で當然,鑑別書に記載などないが。

    中國人と翡翠や玉,骨董品の話をすると
    おさだまりの「日中戰爭の時代に・・・・」がはじまる

    かれらは日本人に,これはまず言わない。
    かれらの "碧玉 の物語"が聞けるのは,もちろんわたしがヒコクミンだからである。


    ちなみに
    偕行社うんぬん,これはわたしは,彼らから聞いた話ではない。
    一昔前,それらを紐解くしか歴史を學びようがなかった時代には,だれもがよんだ歴史の書物に,ふつーに書かれていたことである。
    いまのように,ネットで検索すれば上位に連なるネトウヨ言説に洗脳された歴オタ,戰史オタ,ネトウヨ御用達の書物には書かれてはいないとおもうが。w

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    不寐吟

     不寐吟     Bù mèi yín

     離狂骨托開     lí kuáng gǔ tuō kāi
     温柔乞不來     wēnróu qǐbù lái
     邪念累身耗     xiéniàn lèi shēn hào
     亂情苛心猜     luàn qíng kē xīn cāi
     浮泛招默掌     fúfàn zhāo mò zhǎng
     淺抱寄深懐     qiǎn bào jì shēn huái

     幽意懼白然     yōu yì jù bái rán
     疲氣疑黯天     pí qì yí àn tiān
     一芯一途睡     yī xīn yītú shuì
     無夢無段眠     wú mèng wú duàn mián
     不求寐素因     qiú bù mèi sùyīn
     強思淸穩淵     qiáng sī qīng wěn yuān

     曇華笑隠岑     tán huá xiào yǐn cén
     芙蓉夜靜寝     fúróng yè jìng qǐn
     轉顛軀虚牀     zhuǎn diān qū xū chuáng
     傀俄起句尋     guī é qǐ jù xún
     醒醉如叔夜     xǐng zuì rú Shū yè
     沈愔四言韵     chén yīn sì yán yùn


      一解   開來猜懐   
      二解  然天眠淵      
      三解  岑寝尋韵

       

    老翡翠浄瓶觀音













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    林庚白 曲牌《鳳凰台上憶吹簫 “雨夜無寐”》

     曲牌,《鳳凰台上憶吹簫》
     
     林庚白“雨夜無寐”
     含意,詩情うるわしく。ほれぼれする,美事さ。
     才華は,厭戰ではなく。
     頽唐ではない。が。

     格律は正體。
     この詩の慯愴を,日本語で表現することはできないので
     これを示すくらいしか・・・・ない
     以下に格律をしるしおく。


    雙調,九十七字,前段十句四平韻,後段九句四平韻, 

    上片;
      首二句各四字,不用韻, 第三句六字,起平韻
     第四五句十一字為,四字對句,上加三字、(=頓點)的逗     
     前結三字一句,四字兩句

    下片;
     換頭六字,(二字韻字可不用、)不用韻, 第三句四字
     第四五句,同上片四五句。
     後結三字一句,六字一句。


      gyokusyouhusa.jpg

    つまりこうなる 
    (句=, 逗(頓點的)=、押韻句=。韻字 ◎=平仄不問)

     ◎仄◎平, 仄平平仄, ◎平◎仄平
     仄仄平平仄, ◎仄平
     ◎仄◎平◎仄, ◎◎◎(逗) ◎仄平
     平平仄, ◎◎仄◎, ◎仄平

     平(◎平◎仄, 平◎仄◎平, ◎仄平
     仄仄平平仄, ◎仄平
     ◎仄◎平◎仄, ◎◎◎  ◎仄平
     平平仄, ◎◎仄仄平


     (李清照詞)

     香冷金猊, 被翻紅浪, 起來慵自梳頭。
     任寶奩塵滿, 憑它日上簾鉤。
     生怕離懷別苦, 多少事、 欲説還休。
     新來瘦, 非干病酒, 不是悲秋。
     
     休休!這回去也, 千萬遍陽關, 也則難留。
     念武陵人遠, 煙鎖秦樓。 
     惟有樓前流水, 應念我、 終日凝眸。
     凝眸處, 從今又添, 一段新愁。




          ▼《鳳凰臺上憶吹簫》 曲據 李清照詞吟誦




    《鳳凰台上憶吹簫 “雨夜無寐” 》 林庚白


       鳳凰台上憶吹簫      Fènghuáng tái shàng yì chuī xiāo 
          “雨夜無寐”       "Yǔyè wú mèi"  


            更不成眠      gèng bù chéngmián,
            何曾是醉      hécéng shì zuì,
         夜殘獨自徬      yè cán dúzì páng huáng
           甚萬千塵影      shén wàn qiān chén yǐng,
            三兩燈      sān liǎng dēng guāng
         風際瓶花吹冷      fēng jì píng huā chuī lěng,
       映不冷、羈客心      yìng bù lěng, jī kè xīncháng
       聲聲雨,催教恨迸      shēng shēng yǔ, cuī jiào hèn bèng,
            賺得人      zhuàn dé rén kuáng.


         相一江咫尺      xiāng wàng yī jiāng zhǐchǐ,
           嗟浩淼煙波      jiēhào miǎoyānbō,
            中有滄      zhōng yǒu cāngsāng
           剩酒痕如水      shèng jiǔ hén rúshuǐ,
            鬢角添      bìnjiǎo tiān shuāng.
         未信蛾眉負我      wèi xìn éméi fù wǒ,
       遮莫是、我誤文      zhē mò shì, wǒ wù wénzhāng.
       淒涼絶,魂兒夢兒      qīliáng jué, hún er mèng er,
            沒個商      méi gè shāngliáng



       羈客=遊子。旅中にあるひと
       催教恨迸=ひとをして,恨みほとばしらせるもよさせしむ
       賺得=だましとる,これは日本語でもある
       咫尺=ごく近い間,間近に望む長江
       嗟=感嘆聲,悲嘆,慨嘆
       淼=水の浩浩廣漠 水面の果てしないさま
       滄桑=此れも日本語 滄海桑田
       沒個商量=ないできないされない,はかることもできない
         このばあい商量は 料想  醞釀されるおもい

    sensingreen.jpg

    鳳臺無還駕, 簫管有遺聲 ―― 鮑照 《代升天行》
       鳳臺に還駕する無く,簫管の遺せし聲のみ有りき
     
         
     こういう詞曲牌はとうてい日本語にできるものではない,
     字句の意味は輻輳し,音韵に,意味の陰影さえ表現されるので。
     音を詠みそしてひたすら字を眺めていく想像するしかない。
     浮かび上がるイメージのなかから,含意を象徴する語,もしくは
     「字そのもの」を見つけると,解きほぐれていく
     
     南京にもある鳳凰台,李白の詩は有名だが。
     むしろ 臺上吹簫で即, 秦代故事 
     秦穆公のむすめ弄玉,吹簫をよくし・・・という有名な故事

     わたしがイメージしたのは阮嗣宗(阮籍)《詠懷詩 其三十一
     鮑明遠(鮑照)《代升天行など古詩にあらわれる “國”の亡びのイメージ
     つまり
     相望一江咫尺
     嗟浩淼煙波,中有滄桑
     は
     “鳳凰臺” ゆえに。
     大盗移國,金陵瓦解する前觸れ,のある。

     鬢角添霜はいたづらに年ふりてゆく,不得志,その枉しさをいう常套的表現。
     庾肩吾をうたった李長吉が即おもいうかぶw

     さはさりながら
     これは “不寐吟” でもあるという・・・・。
     雨の聲音聽きながら
     個としての無力も孤獨の悵惻も忘れてゆくさま

     いまだ愛人よりの信,こず,遮莫・・・・・。我誤文章

     聲聲雨,催教恨迸。 賺得人狂
     淒涼絶,魂兒夢兒。 沒個商量・・・・・

     
     素晴らしすぎて,聲が出ないw というか,息が詰まるほど壓倒的哀韵。 

     林庚白仙韻!
     一九三三年元月五日于雨後。 “雨夜無寐”



    文人墨客の紛紛繊雲,弄巧歌誦す,“鳳凰台上憶吹簫” の意,とはこんなカンジぢゃw

      吹簫引鳳,乘龍而去,
      白日昇天,神仙眷侶!

     
    林庚白らしい戀情填詞。

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    玄


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    * list of poetry    Anti-Japanese wars
      抗日戰舊體詩

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     一九三〇年代,抗日戰爭期,
     中國文人が詠んだ帝國日本の
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     新・舊體詩,填詞,白話詩。
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      詩人詩篇題 INDEX

     田翠竹 1913-1994 湖南 湘潭
     《洞庭碧血》其四其二
     《血観音歌1943年作
     《重九》《甲辰雜詩
     《抗戰百詠・十首
     《還湘又將別家去桂書懷
     《避難吟荒江雪意
     《中秋后還家再去耒陽
     胡繩 1918-2000 江蘇蘇州
     《南京夜聞流亡東北學生
     《松花江上
     寇夢碧 1917-1990 天津
     《淪陷紀事詩
     黄假我 1916-1985 湖南寧郷
     《青年謠壬午五四青年節
     《柬呈柳亞子先生
     《暮春雜詠
     《過塘沽
     《瀋陽中秋對月
     《宿錦州
     《錦州廣濟寺前
     金紫衡 1914-? 河間瀛州
     《四周年瀋陽驚變九一八
     《沈監秋夜
     《瀋陽除夕寄徐
     《延邊辭歳1943年除夕
     《蘇武牧羊圖
     《山居雜詠
     《北平易幟
     《南京陥落
     《吊江南
      
     錢鍾書 1910-1998 江蘇無錫
     《故國》  《哀望
     《得龍忍寒金陵書
     張滌華 1909-1992 安徽鳳臺
     《南京大屠殺感賦
     盧前 1905-1951 江蘇南京
     《招西北之魂
     《百靈廟,更招東北之魂
     王季思 1906—1996 浙江永嘉
     《懐人五絶
     羅元貞 1906—1993 廣東興寧
     《路過上海有感
     《黄浦灘倚欄夜作
     《清明哭母二首》 《病裏
     《初到并州懷劉越石
     《中秋漫筆二首》
     《故都秋夕
     《送行
     《夜過景山
     張采庵 1904-1991 廣東番禺
     《勝利在望書此志喜
     《鬼意
     《亂離
     《秋夜》  《感憤
     《寇陷長春李君如玉僅
     身免南下相逢握手一慟

     聶紺弩 1903-1986 湖北京山
     《題 “藥” 兼吊秋瑾
     胡士瑩 1901-1979 浙江嘉興
     《過秋瑾墓感賦二首
     王禮錫 1901-1939 江西安福
     《再會,英國的朋友們
     何永沂 ?-? 廣東
     《報載日本首相參拜靖國
     神社憶南京大屠殺事感

      

     舒慶春 老舎 1899-1966 北京
     《七七紀念
     《沫若先生邀飲賴家橋
     《述懷
     《賀冰心先生移寓歌樂山》
     《哭王禮錫先生二首
     常燕生 1898-1946 山東
     《遊春八首選二》其一
     馮振 1897-1983 廣西北流
     《暮春
     《傷楠兒
     《野望
     《登蒼梧北山
     《草食人
     《病後
     《登銅石嶺最高頂
     林庚白 1896-1941 福建閩侯
     《次和炎南兄七七見寄韻
     《續丁丑雜詩六之一
     《水調歌頭,聞近事有感
     《丁丑雜詩三首
     《渡江至武昌
     《江岸散歩
     《月夜小步
     《七月十二夜坐月
     《浣溪沙
     《首都飯店聞警同北麗
     《病起聞警
     《江防
     《聞道二之一
     《難民來
     《夜聞鑿防空壕聲
     郁達夫 1896-1945 浙江富陽
     《贈光華報同人"/>
     郭沫若1892-1978 四川樂山
     《挽王禮錫
     唐鼎元 1894-1988 江蘇常州
     《哀瀋陽
     《武漢空戰三捷歌
     柳亞子 1887-1958 江蘇呉江
     《八聲甘州-次任潮將軍
     韻為亡友庚白先烈賦

     李濟森 1885-1959 廣西蒼梧
     《八聲甘州-林庚白
     先生香江殉難以表哀

     張鳦生 (不詳福建)
     《感事次達夫先生韻
     《南京失陥
     《七七掲開抗戰序幕
     《吊鑒湖女俠墓
     《贊東北義勇軍》二首
     《九一八感作
     《頌寶山姚子青全營殉城
     李大防 1878-?  四川開縣人
     《金陵作
      
    * East Asia War &  Prolet’Kult contents
     日中戰爭とその記憶

    南京虐殺日中間の戰爭,その記憶 ①~⑥にすすむ

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     1931 錦州爆撃・張學良
     1933 熱河作戰・張學良
     1931 九・一八柳条湖
     1937 毒ガス使用作戰
     1937 淞滬會戰八・一三
     1940 棗陽戰(棗宜會戰)
     1940 宜昌作戰
     1931 抗日義勇軍・楊靖宇
     1943 常徳よ號作戰
     1935-東亞新秩序の前景氣
     1936 塘沽協定と熱河作戦
     1937 天津の支那駐屯軍
     1937 7・7盧溝橋事變勃發
     1938 漢口の國民政府
     1938 中國の抗日論調
     1938 國民政府 武漢防衛
     -1938 南京屠殺アトローシティ
       1 2 3 4  5 5 6

     1906 アナキスト的國粹主義者
     1907 東京 亞洲和親會
     1925 上海游記 芥川龍之介
     1949 『中國のレジスタンス』

     
    黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 1931
      『國境』 1931
      『』 1927
      『』 1928
      『武装せる市街』 1930
      『パルチザン・ウォルコフ』 1928
     竹内好  1910-1977
     ・
    日中國文學者からの告發
     ・帝國民間人のアヘン賣買
     ・中國の抗戰意識
     ・la résistance 同歸于盡
     ・ファシズムとパン
     ・經濟収奪の前段階

     芥川龍之介 1892-1927
     中野重治 1902-1970
     槇村浩 1912-1938
     小熊秀雄 1901-1940
     反戦詩人詩篇TitleMenu

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       日本人反戰同盟
       (1938-1945 中國)

       
       鹿地亘 1903-1982
       『自傳的文學史』(1959)
     第8章(前)・檢擧 拷問
     第8章(後)多喜二獄中志・死
     第10章・検察 釈放 脱出

       『中國の十年』(1946)
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      1 出獄から
      2 昭和十一年舊正月
      3 夏衍 蕭軍 左翼作家聯盟
      4 民族魂 魯迅との邂逅
      5 阿Q 魯迅の死
      6 七・七事變の勃發
      7 反侵略友誼的激勵
      8 上海 ルイ・アレー氏
      9  ホンコンへ脱出
     10 入境の日本人解放鬪爭
     11 武漢時代 國共合作
     12 武漢時代 朝鮮義勇隊
     13 武漢時代 日本人捕虜
     14 大移動 南嶽會議前後
     15 呉石將軍と廖濟寰氏
     16 桂林時代 蔣介石
     17 桂林時代 崑崙關
     18 重慶 反戦同盟總部
     19 湖北 陳誠將軍 恩施にて
     20 湖北 宜昌の前線
     21 ―新四軍事件
     22 郭沫若のこと
     23 重慶 ― 南進か北進か
     24 反戰同盟發展 
     25 重慶 破壊者 潜入
     26  天皇制の問題
     27 祖國 最終章


    * list of poetry    Late Qing,Republican

        ☞瞿秋白 瞿秋白の生涯と詩作「形單影隻,孤苦畸零」雄魄 顛簸的一生

     史鐵兒 1899-1935 常州武進
      『餓郷紀程
    』1919-1923
     〔新體詩〕
      《心的聲音“遠”》1920年
      《去國答"人道"》1920年
      《無涯》(1920年)
      『餓郷紀程・跋』1921年
      《國際歌》 1923年
      《赤潮曲》 1923年
      《夢中鞋》 1923年
      《鐵花》 1923年
      《天語》 1923年
      《小小的蓓蕾》1929年
     〔舊體詩〕
      《詠菊》 1914年
      《哭母》 1916年
      《雪意》 1917年
      《紅梅閣  1926年>
     〔獄中誌〕
      《
    絶筆》1935年6月18日
      《浣溪沙》1935年5月
      《卜算子詠梅》1935年5月
      『瞿秋白筆名印譜

        


        ☞ 林庚白子舊體詩に すすむ

      林學衡 1896-1941 福建閩侯
     〔七言詩〕
      《次和炎南兄七七見寄韻
      《續丁丑雜詩六之一
      《丁丑雜詩三首
      《渡江至武昌
      《江岸散歩
      《首都飯店聞警同北麗
      《病起聞警
      《江防》 
      《難民來
      《夜聞鑿防空壕聲
     〔五言詩〕
      《聞道二之一
      《月夜小步
      《七月十二夜坐月
     〔詞牌〕
      《水調歌頭-聞近事有感
      《浣溪沙
      《菩薩蠻-送別
      《減字采桑子-雨夕書懷
      《曲牌行香子-
       -舊曆重陽樓望寄璧妹
      《琴調相思引-午夜聞歌
      《賣花聲-雨中樓望
      《鳳凰台上憶吹簫-
       -雨夜無寐》《-海行夜起》
      《滿江紅-秣陵感懷
      《摸魚兒 紅豆




      淸末民初“革命春秋”
     
     鄒容 威丹1885-1905四川巴縣
     《獄中答西狩
     『革命軍
     劉師培1884-1919江蘇儀徴
     《一萼紅-徐州懷古
     《賣花聲-登開封城

     黄節 玉昆1873-1935廣東順德
     《送劉申叔元日東渡
     秋瑾 璿卿1875-1907浙江紹興
     《滿天紅
     《杜鵑花
     《去常德舟中感賦
     《杞憂人
     《梅十首選其二
     《詠琴志感
     《讀書口號
     《殘菊
     《秋海棠
     梁啓超 1873-1929 廣東新會
     《讀陸放翁集

     章太炎 1868-1936 浙江余杭
     《獄中贈鄒容
     《辰州
     《亞洲和親會規約
     陳國常 1864-? 四川榮昌
     《徐烈士墓
     《秋瑾墓

     康有為 1858-1927 廣東南海
     《
    大同書成題詞
     黄遵憲 1848-1905 廣東嘉應
     《庚午中秋夜始識羅少珊
     魏源 默深1794-1857湖南邵陽

     《江南吟・其八
    * list of poetry     The Qing Dynasty 

        龔 定盦 龔璱人
         浙江杭州 1792-1841

       
      『平均篇
      『乙丙之際箸議
      『己亥雜詩全三百十五首
     〔七言絶句詩〕
      《己亥雜詩 百二十五
      《己亥雜詩 六十二
      《己亥雜詩 八十五
      《己亥雜詩 九十六
      《漫感
     〔七言詩〕
      《己卯雜詩自春徂夏全首
      《又懺心一種
      《常州高材篇
      《驛鼓
      《夜坐》其一
      《夜坐》其二
      《秋心》三首之壹
        
     〔五言詩〕
      《夜讀番禺集書其尾
      《又一首
      《戒詩》五章其一、二
      《自春徂秋偶有所觸拉雜
      書之漫不詮次得十五首

      《紀夢》七首之五
      《賦憂患
      《賦得香
      《觀心
      〔曲牌〕
      《端正好
      《醜奴兒令
      《念奴嬌 湘月
       龔自珍 編年校注 古典文學叢書
      ☞ 人痾芙蓉 阿片戰爭
    * list of poetry     The Ming Dynasty 

      屈翁山 屈大均 號 莱圃
       1630-1696 廣東番禺

       
      〔七言詩〕
     【屈大均詩集】七言絶句目録
     【屈大均詩集】七絶集 貮・參
     【屈大均詩集】七絶集 肆・伍
     【屈大均詩集】七絶集 陸
     【屈大均】《哭華姜百首》

      〔五言詩〕
     《哭内子王華姜》一三首
     《詠懷》一七首
     《詠古》二七首

      〔曲牌〕
     【屈大均詩集 詞牌
     《念奴嬌 湘月
      
      








    * list of poetry     The Song Dynasty

       文天祥 宋瑞 諡 忠烈
        江右人 1236-1283

       
       《劉琨
       《夜坐

       劉克莊 潛夫
        莆田城廂1187-1269

       《雜記十首》其二,其八






       元遺山 元好問 裕之
        山西秀容 金1190-1257

       
       《論詩絶句
       《孤劔詠
      《種松》 ,《出都
      《俳體雪香亭雜詠坐
      《壬辰十二月車駕東狩後





       陸放翁 陸游 字 務觀
        浙江紹興 1125-1210

       
      《夜歸偶懷故人獨孤景略
      《東籬雜題
      《雜書幽居事
      《水亭》,《八十一吟
      《卜算子詠梅







       邵堯夫 諡 康節
        范陽人 1011-1077

       
        《觀物吟
      《義利吟
      《自餘吟
      《乾坤吟二首
      《天聽吟
      《辛酸吟
      《論詩吟
      《夢中吟
      《不寢
      《洗心吟
      《晨起
      《寄楊軒
      《百年吟
      《感事吟
      《繩水吟
      《淸夜吟
      《歩月吟
      《月新吟
      《月到梧桐上吟




    * list of poetry     The Tang Dynasty

       李長吉 李賀
        791-817 河南昌谷

       ☞李長吉詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔五言詩〕
       《申胡子觱篥歌
       《詠懐其一
       《詠懐其二
       《七月一日曉入太行山
       《潞州張大宅病酒遇江使
       《走馬引
       《古悠悠行
       〔七言詩〕
       《長平箭頭歌
       《酒罷張大徹索贈時…
       《綠章封事爲呉道士…
       《酒貝宮夫人
       

       杜少陵 杜甫
       712-770 長安

       《戯為論詩絶句》其一,五
       《詠懷古跡》五首其一,二


       孟東野 孟郊
       751-814 湖州武康

       ☞孟東野詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔全詩集〕
        壹・一~四卷(宋本)
        貮・六~十卷(宋本)
       〔樂府〕    《古怨別
       《古別曲
       《飢雪吟
       《寒江吟
       《苦寒吟》
       《遊俠行
       《羽林行
       《春日有感
       《游俠行
       《偶作
       《遣興》
       《
    聽琴》
       〔七言絶句〕
       《
    登科后
       《傷舊游
       〔五言絶句〕
       《旅行
       《邀花伴
       《古恩
       《閑恩
       《喜雨
       《春後雨
       〔五言古詩〕
       《答盧虔故園見寄
       《哭秘書包大監
       《送孟寂赴舉
       《寒溪》其三,五,六
       《夜憂
       《夜感自遣
      

        賈浪先 賈島
        779-843 范陽涿州 

        ☞
       《壯士吟
       《劍客
    * list of poetry     The Six Dynasties

       庾子山 庾信 庾開府
        梁 513—北周 581 

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       『庾子山・全詩集』上
       『庾子山・全詩集』下
       《哀江南賦・序
       《哀江南賦①
       《哀江南賦②
       《哀江南賦③
       《哀江南賦④
       《擬詠懷詩
       《詠畫屏風詩
       《望月詩
       《舟中望月詩

       庾子慎 庾肩吾
        梁 487-551

       
       《經陳思王墓詩
       《同蕭左丞詠摘梅花詩
       『庾肩吾・全詩集

       江總 江總持
        梁 陳 519-594

       《橫吹曲
       


       鮑明遠 鮑參軍 鮑照
        劉宋 414?-466

       鮑明遠 鮑照カテゴリーへ直接進む
       《代出自薊北門行
       《代結客少年場行
       《代升天行
       《扶風歌
       《學劉公幹體》其一~五
       《擬阮公夜中不能寐
       《冬至》,
       《代夜坐吟》

       
       江淹江文通
        劉宋 齊 梁 444-505

       《劉太尉琨傷亂


       劉越石 劉琨
        晉 224-262

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       《答盧諶詩・序
       《答盧諶詩
       《重贈盧諶詩
       《扶風歌


       嵆叔夜 嵆康
        晉 270-318

       ☞嵆康カテゴリーへ直接進む
       
    * list of poetry     The Han,Wei,Jin


       曹操 曹孟德
       沛国譙 155-220魏武

       
       《歩出夏門行

       曹子建 曹植
       192-232陳思

       
       《求自試表》上
       《求自試表》下
       《升天行
       《朔風

      漢魏晉 建安文學 三曹


      繁欽 繁休伯 建安?-218
       《遠戍勸戒詩
       《征天山賦
      繆襲 繆煕伯 建安186-245
       《屠柳城

      漢代樂府歌辭
       《戰場南



    * list of poetry    Pre-Qin and Others

      詩賦・樂府歌辭・偈頌
       
      南北朝・北歌
      《望月》蕭綱・梁簡文
      《隴頭歌辭
      《青溪小姑歌》南北朝末隋初


    * list of poetry    Japanese modern

      小熊秀雄 1901-1940
      『小熊秀雄詩集1935年
      『流民詩集1947年
        ☞ 詩篇 TitleMenu
       

      中野重治 1902-1970
      《新聞にのった寫眞
      《兵隊について
      《噴水のやうに》《歌
      《私は月を眺め》《波》4

      金子光晴 1895-1975
      《落下傘》《湖畔吟
      《燈臺》
      槇村浩 1912-1938
      『間島パルチザンの歌』
       ☞ 詩篇 TitleMenu

      金鍾漢 1916-1944
      《合唱について
      《一枝について
      《古井戸のある風景
      《待機
      《行状
      《空山名月
      《

      黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 『國境』 『
      『』 『武装せる市街
      『パルチザン・ウォルコフ』

      田邊利宏 1915-1941
      
    ☞ 詩篇 TitleMenu

     反戦詩人☞ 詩篇TitleMenu


      富澤赤黄男 1902-1962

       

      《蒼い弾痕》『旗艦』1939
      句集『天の狼』1941
      句集『天の狼』抄1951
      《風景畫》 『蛇の笛』1952


       短詩運動 大連『亞』  
       
       
       安西冬衞 1898-1965
      《黑き城》『渇ける神』1933
      『大學の留守』1943
      《砂漠》『軍艦茉莉』1929
      《夜の思料》『軍艦茉莉
      《八面城の念力》1933
      《砂漠の行者が臥てゐると
       鴉が食物を運ぶ

       『亞細亞の鹹湖』1933

       
       北川冬彦 1900-1990
      《
      《戰爭》『戰爭』1929
      《絶望の歌》
      《壊滅の鐡道

      《風景》《埋葬》『氷』1933
      《爛れた月》《斑らな水》
      『檢温器と花
    』1926
      《泡》『馬と風景』1952






     
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  1. 玄:Re:「趙氏孤児」見ました。 (04/25)
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