無主⑬信仰に理由なし,何が故に彼らは奉戴するかと問うなかれ

    韓國議長の發言は。

    人として,間違ってないゾとわたしは全面的に支持をする

    あるいは,キモチはわからんでもないが公人として立場上は問題發言,みたいな
    AもBもあるよね,的
    イシキ高い系としてあるべき姿,
    みたいな日本のりべらるホ種は
    くそくらえだっっ



    昭和天皇のご臨終のとき,
    長崎市長が銃撃された,
    あの頃のリベラルならば,もう少し生硬の,喧喧諤諤がおこったろーが
    そもそもヒロヒト氏,日本人,天皇陛下の赤子,臣民に,謝罪してないことのおかしさを
    日本人はあたりまえだろう,と看過してしまうのは

    それはそれ,世界にただ一つ一國の民だけが尊重崇拝する宗敎の教徒にとってだ
    カミサマが謝罪する?ありえんわ
    ということになるのだろうが

    謝罪してほしかったと口にしただけで銃撃された

    こういう歴史的事實を日本人は忘れてはいけないし

    韓國から幾度となく澎湃としておこる,「お詫びの強要」


    奇禍とせず,奇貨として
    強要ではなく,別の観点からの提案として,うけとめ
    以てニホンジンの本カイを見つめ直すのも
    これまた一興として,色んなことを口にするリベラルであってほしいとわたしはおもうがね

    イシキ低い系のなかに,にもネトウヨ的言説ばかりではなく
    そうだっあやまればいいんだっ。たったそれだけでことがすむならあやまっちめえ
    みたいなゲンロンもあっていいわ,ともおもうし・・・

    ところで
    四方を海に圍まれた域の風土で2600年ともう少しつづいた,という,獨特の宗敎の純血敎義がガラパゴス的状況を呈すとなるのは
    これもいたしかたないことだろーが

    これ,この宗敎。いわば日本敎

    と大手を振ってあらわにならないのはなぜか
    過去の戰爭の原因を作ったのがこの宗敎だ,という國際社會の眼をキにしているから,というわけでもないだろーが
    べつにわざわざ名づけて差別化しなくても固有でドクトクの宗教
    日本人の宗敎といえば,ほかにないので,ははーん,とすぐピンとくる,
    ということかもしらん
    が。

    いや。
    略すのが好きな日本人だ,ニッキョウといっちゃったりすると,
    そうすると天皇は日教祖という音讀上まことヤヤコシイ状況が現出されてしまうからかもしらんが。
    日敎組より日本の方が二千ごろっぴゃく年は長くレキシがあるんだし。
    最初に日本敎と名乘りをあげておきゃよかったわ Orz

    などなど。

    とわゆへ

    名づけがなされてない。 
    というこのことも。

    まさにこの宗敎の
    宗教的核心,
    だわ,とも。

    明白,明確に明らかならしめ而して白す
    は,なによりこのまないこの國民
    名づけるには,明確な定義とかゼッタイ必要になってくるし,

    あいまいもこ,
    が宗教的テーゼであるならこのあいまいさも納得できるし
    宗教が先にあって,と,ゆーなら,
    そういうあいまいさがドグマであるなら,そもそもあいまいを好まない國民の間ではではデンパすることもなく終熄するだろーし。

    宗教と教徒が手を組まなければ
    宗教は蔓延しない。
    のだ

    あいまいな暗き曚は宿痾の瘖を昇華して。
    明るき光となるところ,明正 憲憲 たり,な

    ザ・淨闇。

    となるんだろうかw

    よくわからないよ

    まさにそれをしも國民性,國民國家のコクタイ,という。
    キもするし
    文字通り,國,の,體,だ

    日本ン人の天皇。

    ふつー,宗敎とは,
    闇と戰って光が勝ったり,
    燦然たる光が遍く照らしすべてが明らかならしめるを窮の極みとするんぢゃないか

    蒙蒙模糊たる闇をひたすら浄化してしていくさきにあるのは

    淨イ闇でしかなく,
    ・・・・・
    なにもワレワレは明白を志向していない。


    これが御神體,つまり國體だろー?
    という,假説から始めた,本年のこのブログだがww



    日本人,のなかにおいて日本人戰爭被害者が
    そもそも。
    戰後,戰爭の被害補償をうけられなかった,という驚くべき事實に驚くという人はもはや少數だとしても。

    だ。
    理不盡くと考える人もジツは少し前には結構ゐたキもするんだが。

    加えて言うなら,
    たとえばシベリア収容所における “勞務”に對し,その勞働對價すら出していない日本。
    國際法から言えば,(舊ソ聯が變態したところの) ロシアが,そのジジツを證明したら
    日本國が,日本國籍有すものに對して,補償すべき事案である。
    ボリス・エリツィンは,しっかりと我が國で,わが國の民にむけて謝罪をし,
    膨大な人名リストとともに情報提供を行っているが。
    1993年秋のことである。
    シベリア抑留は全體主義の黑歴史,率直にその非を認め,謝る。

    文言は忘れたが,文意はこーだった。

    宮澤改造内閣が倒れた直後だった。
    つまり,あの,短命だった細川内閣のときだが。
    あの年の政局や起こったさまざまなできごとと,それにつづく村山内閣でなされたこと,はわたしはよく覺えているがw

    ちなみに
    最近しきりに安倍之一味はアベノミクスのアの字も言わず
    「民主黨政權暗黒時代よりはましあの時はひどかった」ドクトリン
    でケムに巻こうとしてるが。

    あのじだいはいいことがいろいろあったなあ。と
    法治國家だった一時節に
    淡いノスタルジーに浸るヘンな人間もいるかもしれないじゃないか

    シベリア特措法。
    これがなんと!コッカイで通った!のはナニ政權のときだった?
    ということもわたしはいいたいし

    菅直人政權の數少ない,「やっただけマシ」なできごとぢゃあるものの
    功績である
    この時も戰後補償というテイサイをとることだけは, "國" はかたくなに拒否
    出した金額もビビたるもの,
    フザケんなっ,と受け取らない元抑留者は多かった

     ついでに書くと,「よくぞやった」なこともしている。
     現在,外務省がここまで情報提供,情報公開するようになったのは
     岡田克也の外相時代である
     わたしは,外務省が義務付けられ(ちゃっ)た情報公開をするたび,
     外相になるやすかさずこの仕組みを速攻で作った岡田克也に
     感謝し民主党政権に淡い郷愁を抱くw
     いまだに一定期間がたつと公開せねばならんことになっている

    シベリア抑留に關しては,國際法と言わず人道的にでもだっ

    日ソ中立条約が破綻する寸前,つまり,条約の延長はしないと通告され,期限が切れる前,

    どうかソ満國境を越えてくれるな,侵攻しないでほしいと,必死の嘆願を繰り返していた日本政府は,だ
    そのとき
    代償として

    日本政府としては關東軍の兵士の勞務提供をする心づもりがある

    そういう交換条件を水面下で申し出ていた,と言うジジツを
    日本人の多くは知ってか知らずか
    そうした素因があっての結果シベリア抑留でもある,という有因有果を
    率直に,
    人として,人のココロで
    この事實について考えるべきだと
    わたしはおもうが。
    シベリア問題をネトウヨは完全スルーするけども。それにはいろいろ理由がある。
    本來であれば,
    日ソ中立条約を延長せず,期限切れ前に破棄して侵攻したソ連を惡とするのではなく

    侵攻さえしなければ,關東軍兵士を連行してかまわん,といったのに,
    期限切れまで待たずに參戰,侵攻しておいて,そのうえ兵士をシベリアに連行したんじゃねーかと,
    そのことを,
    あんまりじゃないか,
    われわれの願いを無視してソ連はこんなにもヒドい,ずうずうしい,と
    つまびらかにののしるべきっ
    である。
    (ちなみに,ウィキペディアは間違いが多い,か,書かれてないことが多すぎるので,
    ウィキで調べて以て,わたしにむやみな反感を増幅させておもいこんでも,のちのちの人生どこかで恥をかくことになるので要ご注意だ。)

    だから,そもそも
    外形上,形は。あべのいうよーな「きょーぎ(狭義)のきょーせーせー(強制性)」的強制連行であったにしても
    日本兵士のシベリア抑留は,
    我が國が補償すべき問題として何ら論理上の破綻もないし,
    心情的にも,人が我慢できる範圍を超えた國家の横暴だ,
    連れてった奴だけが惡いのか,という,こちらの反省すべき,こちらがわの發意,
    意,の問題もからんでくる
    國家の意。

    そもそも戰禍は
    すべて日本帝國の國家の “意” もて,因を作し生し得た結果である,

    シベリア問題についてのみならず

    日本人が
    日ソ中立条約を,突如として一方的に破棄して侵攻した惡いソ連

    というよーな,こういう,一方的おとぎ話にばかりしがみつく限り

    つまり日本人が,こういうハナシにみずから疑問なり懐疑なり煩悶なりを抱かない限り。
    そして有因有果の整理をしない限り。

    永遠に,

    日本帝國に加害を受けた被害國の怒り,と,日本は何度も謝った,の
    隔たりを埋め,そして未來に向けてのすりあわせはできん,

    とわたしは思う

    曾ての,侵略と戰爭をした “日本人” の問題ではなく,
    今の,現代を生きる日本人,の問題だろう。

    ・・・・・・・。

    いやちがう
    根深い日本ドクトクの「コクタイのモンダイ」,

    ことばっをっかえれば,
    ニホンジンのホンカイ,とか,デントウ,とか,もちろんヒンカク,とかの
    いや,宗敎的確信,その信敎のガンコさのモンダイなのかもしらん

    すべて
    「補償はしない」とキメタンダ
    というニシキノミハタでもってごり押しする日本政府の
    ガンコな,デントウたる “流儀”がある。

    こんな流儀がまかり通る我が國は,ホウチコッカでドクトクのコッカシュギなのだから
    もちろんそれでいいのであるがw
    國家はそれでいいとして民はどうか?
    民の品格は?

    十何年か將校ヤッテルと・・・・・

    軍人恩給はなんと,毎毎年死ぬまで年額二百五十万から八百万
    とゆうギョッとする事實も看過してしまう日本人は
    ほんとにヒトが良い
    これをヒンカクというのかもしらんが

    だとしても
    いっぽう,一般兵卒,原爆投下の被害者,本土空襲の被害者,もちろん帝國日本軍に殺戮された沖繩の民に,戰後補償の名目では
    ビタ一文ださん日本政府。
    しかし
    怒りの聲も大きかった時代は確かにあったようなキもするし。

    ところが今
    それをおかしいとは言わず
    俺たちももらってないのに韓國になんで払わなきゃいかんという,すっとんきょうな論理まで持ち出して
    日本政府の言い分を理にかなってるし,しかも正しい,義しいと考える人も多いこの現代。

    因果關係と時系列がよくわかってない人にこの手の考え方するひとは多いと言う傾向はあるかと思うが
    よーするに歴史をまじめにべんきょーしてない,ということかもしらんが。


    結局
    國外的には我々はカガイシャだ,一億總ザンゲの様相を演じて
    ソノジツ國内的には喧嘩両成敗だろう? こっちも被害を受けたんだの
    “理” を内包する
    目配せしあって反省した,「戰後平和主義」が
    おおきく功を奏している,

    まるくおさまった(と日本人は考えた)としてしまったことに多大な効力を發揮したこの論理もどきな
    ニッ教の教義,日本國の流儀が

    結果天皇は謝らなくていいという,「なんとなく國是」
    「あいまいもことした宗教」の確固たる宗教テーゼ」をささえてきたのだろう,


    天皇陛下がひとことあやまってくれさえすれば。


    このひと言が内包している,何處の國人といわずヒガイシャ側,その想い、思い,

    またその,心の情のモンダイではあるものの,ジツは,
    ジンケンという,人間の尊嚴という理念にささえられておれば,非常におおきくおもい論理の歸結でもある,ということ

    いいかげん日本人も
    韓國バカにするのをやめて,
    韓國人の主張は國際的には,いや,自由と人権という
    大きな理念に照らせば何らおかしなことではない,という
    そういう視座がある,
    世界の常識には。

    おもったほうがいいし。


    ぜひ,ここは

    「ジツに人間っぽいっ」

    と,りべらるに大絶賛された今上陛下に御登板ねがって・・・・。

    哈哈
    そんなことしたらどうなるんだろうね

    全くワクワクする妄想だがw


    と前置きが長すぎてここから本題

    そもそもわたしが河上肇の『ドクトクのコッカ主義』を書き写していたのは

    ・・・・・・


    正月にブックオフのバーゲンで,白井聰の「國體論 菊と星条旗」を買って
    讀んだことがきっかけだった
    從來あまりこの手の本を讀まない
    それは,すこぶる單純な理由で。 自分で考える,という作為,做作を
    沮礙することになりはしないか,と考えるから。
    それに
    古いめんどくさい「原典」にあたるということが,じつは本質をつかむには,考えていくうえで一番の近道,かつ大事なことだとかたくなに信じているからだ。わたしの場合はそうなので

    手にとっても買うことはないんだが
    たまたま昭和天皇のお歌が頭にみっちりと巣食っていたときで
    ぱらぱら捲れば書いてあることは何となくわかりきったことのようにおもってしまったし
    中身はだいたい世間で言われていることからも予想がつくものの,

    ただ内田樹が大絶賛している「帶」にうっすらとした不安,ヤナカンジをかんじはしたものの。
    内田樹が絶賛しているからってイコール天皇批判なき天皇禮賛書であるとおもうほどこの本の中身を知らないわけじゃない
    つい
    安さ(216円)にひかれて,買って讀んでしまったのだw

    書いてあることは,わたし的には,非常に愉快で。
    對米從屬ヘンだよ,おかしいだろう?,「キに食わん」,とおもってるおおむねレフトがこれまで考えて主張してきたことでもある。
    が,いわゆるノー天気なパヨク,でもなさそうな真面目な研究者。

    ベツに怒りも感じないし批判的なこともおもいつかない,ヘイセイ心をたもってかつ
    慣れ親しんだ考え,を,なぞっているかのような,心地よさ,で讀むことができた。
    珍しいw視點もあってへえーとおもうことも多々あった。
    ヘンな考え方だなあ,面白いゾと。

    そしてある類型,を強く感じたのである
    シンパシーに似た・・・・・感情のもとに
    このヒトも“東亞先覺” 的志士という・・・・怪物たちにかじりついて
    ・・・・と

    北一輝,は國家,國體,國民國家について考えを深めようと思う人は避けて通れないだろうし。
    いやほぼ全員讀むだろう本だと思う。
    竹内好,また魯迅のことばはおなじ文言をわたしも引用して,まったく同じことを,まさに日本の近代のいびつな心象風景を總括したことがあるが。
    どちらも有名な言葉である。
    ただ。
    ・・・・・・・・・
    そこはわたしの思い込みなのでくわしくは書かないが
    ある時期
    いわば懸崖にたち下を覗き込んで,身がすくんだことがあるひとなんだろうな・・・・という
    シンパシーに似た・・・・・感情のもとに,
    若い白井聡の來し方の,その年數の短さに思い致せば,ここまでの明快な論理的總括をしてしまう,できてしまった淒さ,才,思索の深みを感じさせられて,いい本を讀んだ,と(ハナハダ自分本位のカッテながら)つくづく思ったのである

    とにかく
    レフトの從來の主張を總花的に且つ本質的にとりあげてもって
    戰前戰後に區切って同じことが起こっている,という時間の区切りっ
    をあえて大膽に,單純化してみせして理解をわかりやすくした明治維新以降の日本の近代史の,包括的かつ鳥瞰的分かりやすいよい,入門書,である
    ということは間違いなく言える

    おもしろかったし一人でも多くの人がこれを讀んだらなあ,と思う一冊だった
    が。


    ところがっ

    である。


    あとがきを讀んで絶句したのである


    なんでこーなるん?


    内田樹の絶賛の意味が漸く、すとん,と腑に落ちたのだがw


    しばらくあきれていた。


    そこで急に頭にうかんだのが。


    河上肇
    『日本獨特の國家主義』だった。


    そういうことなのかw,と。

    宗教。

    これは否定しようがない。

    どんなにレフトが,理を以て論じようと。
    宗教心だけはどうしようもない。
    しかもその宗敎はマルクスがわざわざ否定しなきゃならないほど,権威と歴史ある厖大な論理と力と学問で構築されてきた『神』ではない。

    ・・・・・。

    モノノアハレやカムナガラにどう論理的な反駁が加えられるというのだ?
    のれんに腕押し。糠に釘。

    もやっとした淨闇の如き,獨特のコクタイには,どんなマルクスだってレーニンだってかなわない
    二階から目薬のマヌケを演じるしかなくなるだろう


    ガラパゴスに特異な進歩を遂げた宗敎があってもいいじゃないか

    べつに他にあらそう宗派もないし。

    對立して整合性を競いあわなきゃならない三大宗教のような敵もなく
    十字軍もやってこないのである
    大それたものでもなく

    日本人の宗敎で,日本國内以外に世界にどこにも宗徒のいない宗教だし。
    理解される必要性も需要もない

    ベツに異な装束をしてなきゃならない戒律だの,何を食べてはいけないの戒律だのもない
    ブルカ(カブるやつね,オンナのひとが)のように,他國で教徒が物議を醸したり迫害されたりということもないし,
    外國で食べちゃいかんのに,食べちゃったというような宗教的煩悶もないし。

    布教しろ,と,
    戰中戰前はともかくいまはそんなこと,一般教徒に強要しないし

    一部の職業的宗徒が宗教的使命感もってかアメリカとかに行って少女の像にイチャモンつけるとかいう
    あるいは國聯の人権委員會に反論するとか
    そんなような宗敎的信仰心の言わばコンフェッションを行っているくらいで。

    もはやふつーにはアグレッシブな宗教でもないから
    日本列島本土に深く沈潜してずーっとこのさきもありつづける

    そう。そういうことだ。

    信仰に理由なし。
    理,なし,由なしだ。


    白井聡の國體論あとがきは,そうした心境の變化をわたしにもたらした

    諦めにも似た・・・・あきれかえりだった

    然らば何が故に彼らはかくの如き主義を奉じつつあるかと質問するなかれ
    なんとなれば,かくの如きはすでにわが國民の信仰たり



    だ!
    と。


    そして。
    わたしは白井聰のこの本を讀んだすべての人に問うてみたいキブンだった

    彼のしるした最後の
    あるできごとが,
    (ここはあるできごと,としておこう)

    ――が歴史の轉換を畫するものでありうるということは,その可能性を持つということ,言い換えれば潜在的にそうであるに過ぎない。
    その潜在性・可能性を現實態に轉化することができるのは,民衆の力だけである。


    そしてこう結ばれる

    民主主義とは,その力の發動に与えられた名前である


    彼なりの真摯なこたえ,であるだろうけれども。

    これがこの,“國體”というもの, に對する,
    “こたえ” であっていいのだろうか,?

    と。
    白井聡氏が誠實なひとだということはすごく心にしみたけれども。
    この。いわば “義” の通し方はヘンだ,

    というのがわたしのソボクな感想だった,

    嫌惡感ではなく,愕然として感じた,かつ素樸にいだいた,感想,だ


    ・・・・・・・・・。


    河上肇については
    「無主」の頁の最初に陸遊の《卜算子》を提示した時点で,
    河上肇の陸遊,「漢詩」理解のわけのわからさへの批判含め
    『小國寡民』の一部を記そうと思っていたが,

    こんなに書くことになるとは思わなかった。
    そしてあしたからもつづく
    もう少し古い本を。

    河上肇⑧『日本獨特の國家主義』(1911) 灰心枯想,曷顧人間!

     最終章。

    日本獨特の國家主義

    十四,國家主義の利弊――強き國家と弱き個人

     
     吾人は既に國家主義を以て日本人一般の宗敎となすものなり。
     故に今かかる公開の論文において,余はこの宗敎に對し,自己一家の尺度を以てこれが價値判斷を敢てするを好まず,少なくとも目下の情勢においては憚りてこれを避くべきものと考えるが故に,以上ただ事實の記述をなしたるに止(とど)まり,これが批評はすべて省略したるつもりなり。
     しかしながら,讀者にしてもし許さるるならば,余は終わりに臨みてただわずかに數言の批評を附加し置かんと欲す。

     思うに,この國家主義はわが日本國の精華なり。
     この貧國小國を以てしてなお能く強固たるを得るは,全くこの國家主義の賜(たまもの)なり。
     彼の蟻の社會を看よ,われら人類社會を除きては,彼等ほどの高度の文明を實現しつつあるものはあらず,といえども,かくの如きは全く彼らの社會における極端なる國家主義の賜なり。
     個人と個人を比較せば,われら日本人は,富力において知識において將(は)た體力において,到底西洋人の敵たるを得ざる者なれども,その合して日本國をなすや,かの國家主義の精神のために能く一大強國を實現出(いだ)す。

     故に吾人は今後におけるこの國家主義の健全なる發展を熱望してやまざる者なり。
     しかしながら,吾人は日本民族の特徴たるこの國家主義に無用有害の媚を呈すせんとする一切の論説,運動,政策ないし制度に反對す
     吾人はこの國家主義を善導せんとすることを熱心に希望するが故に,これを邪路に陥れんとするものに熱心なる反對をなす・・・・・・しかしながら吾人は今日の情勢において,これ以上の論議を,甚だしく迷惑なる誤解をこうむるの危險を犯すことなくして,ここにこれを述べ得るの手段を有せざるが故に,ただこのことを一言するにとどめてすべて詳論を後日に延ばし置くものなり。

     既に述ぶるが如く,蟻の社會は,人類社會をのぞかば,生物中最も高度の文明を発揮しつつあるものなり(別篇『分配と共楽』参照)。
     しかしながら,その個體はいかにも小弱なり。
     獅子虎の類をして蟻と同一の社會組織をとらしめばいかにおそるべきものとなるべき。
     日本國はいかにも強けれど,日本人はたしかに弱し。

     西洋の個人主義を甘く同化して(必ずしもこれを敵視するの要なからん),日本人をして鬼に金棒足らしめんとするの念願切なり。 思うに彼の個人主義を同化するが為,はたしていかなる政策をとるべきかの論は,余がこの論にとっては,敢て無用の事にあらざれど,今夜もはや一時を過ぎたり。
     さればかかる余論もまたこれを後の日に譲るとすべきか。


                  《以上明治四十四年二月十日稿》



     なんじゃいこのハンパな終わり方はw
     と

     脱力してしまうし,つまらんとおもってしまうけれども,そこは,大逆事件の直後。
     
     これ書いただけでも,w
     ヘンな目でみられるの時代状況なりしをおもんぱかれば
     いたしかたなしというべけん。

     嚴密に,委細に讀めば,
     
      “個體” を,
     蟻だの,西洋人だのと,くらべてはいるものの,
     小見出しにある “強き國家と弱き個人” というようなことは
     
     つまり
     國家と對峙するに個人は弱い,とは,かかれていない。
     しかしこの見出しである,
     というそこだけでも,まあ,河上肇の思いを斟酌することが,
     できる。
     といえる。

     これで『日本獨特の國家主義』は,終わるんだが

     灰心沮喪,黯然銷魂の河上肇。

     更に加えて書き足した “追録數則” 、というのが,よっぽど面白い
     そちらも。

     

    日本獨特の國家主義

    十五,追録數則

     以上認(したた)め終りたる後、思い出すことなおすこぶる多し。
     今ま何の順序も立てず,ただその中主なるもの二,三を 左に追記し置かんと欲す。

    (一)
     戸田(貞三)博士は,西洋を以て主我主義の國となし,日本を以て没我主義の國となし,この點に彼我民族性の差異ありと論ぜられたれども,余の見る所によれば,日本人の没我的なるはただ國家に對してのみなれば,一概にこれを没我主義というは如何やと思う。
     日本人は果たして一身の利益と一村の利益と衝突する時は即ち一身の利益を棄て,一村の利益と一縣の利益と衝突する時は即ち一村の利益を棄て,一縣の利益と國家の利益と衝突する時は直ちに一縣の利益を棄て,國家の利益と世界人類の利益と衝突する時は直ちに國家の利益を棄つるの國民なるや否や。
     余の見る所によれば,個人が國家と相對する時にのみ初めて(あるいは,その時にのみ特に,)没我の精神を發揮するが日本人の特徴にて,即ちこの特徴は没我主義といわんよりもむしろ國家主義というを當たれりとすべきに似たり。

     試みにこれを國際關係について見よ。
     日本人の組織せる日本國という國家はけっして没我的國家にあらず。
     恰も西洋諸國の個々人がその權利を主張するが如く日本國家も他の國家と相対する時は甚だしく主我的なり。
     否な主我的の外交こそ,われら日本人の理想とする所にして,即ち外交は軟なるよりも硬なるが常に歡迎されつつあり。
     さらにこれを地方の行政について見るも,われら日本人はこの方面においてもまた決して没我的なりというあたわず。
     一村の行政には字の利害の爭いあり,縣の行政には郡の利害の爭いあり,各々自家の利とする所を主張して容易に下らざるかに見ゆ。
     しかもこれを称して没我的國民ということ如何あらん。



          
      
     戸田貞三。東京帝大
     國粹主義的立場から家族,を重視,「世帶」の集成として社會をとらえた
     家族社會主義者だ。
     ちなみにこのヒトは滿洲事變が勃發すると,すかさず
     熱心にコクエキを追究する『滿蒙研究會』を東大につくっている。
     かんけーないけど。

     河上肇が

     「一身の利益と家族の利益が衝突する時は」,

     というところから論じて始めてないのは
     中華民國の黎明期の社會主義者とそこはおおきく違うところかもしれないな
     ふとおもう
     w
     中國の,四世同堂大家族制の弊害は日本の比ではなかったし。




    (二)
     自治ということは個人主義の國 において當然行わるべく,また行うて好成績を上げ得るの制度なり。
     これに反し日本人の如き国家主義を奉ずるものにありては,官治というがこれに相応するの制度なり。
     故に余の見る所によれば國家主義の論理を貫くためには,我が国現時の自治制度は宜しく廃止すべく(少なくともその根本の精神に大改革を加うべく),またあるいは強いて自治の制度を發達せしめんとすれば,宜しく今日の如き國家主義一遍の教育を改正して,加味するに個人主義の教育を以てすべし。
    今日の教育は國家主義を高調するに全力を費やし,而して個人主義的傾向は全力を盡くしてこれを抑壓せんとす。
     かくのごとくして自治政治の発達を望む派,山を掘って會を求めるがごときのみ。
     要するに自治は個人主義の産物にして国家主義の下にはただ官治あるを得るのみなり。


    (三)
     日本人は國家に沒我すれども國家以上のものに沒我するあたわず。
     故に我が國家の利益と世界人類の利益と衝突するの時,前者を取って後者を棄つということは, 恐らく一考することなくして多數民衆の直ちに答え得る所ならん。
     國家のために戰死することは日本にあっては,人々の望むところにしてかつ世人の賞賛する所なれども,例えば,米國獨立戰爭の如き場合において,自由のため人道のために,その獨立軍の軍隊に投ずというが如きことは,日本人の望まざる所にしてかつ日本人一般の賞賛を博する所以の行為にはあらじ。


    (四)
     佛敎は既に日本化したれば舎いて問わず,ただ今日において國家主義當面の敵とすべき宗敎は彼のキリスト敎なり。
     キリスト敎は個人主義をその最大の特色となす。
     而してその個人主義はすなわち我が國家主義の敵たるなり。
     この意味において,加藤弘之博士のキリスト敎と我が國體とは相容れざるものなりというの論,正に真相を得たり。
     神と國相衝突する時,國を棄て神に殉ずるのが真のキリスト敎徒たらん。
     しからば眞のキリスト敎徒は我が國體とは相容れざるものなり
     

    (五)
     國體と政體とはまさに區別すべきものなり。
     しかしながら,西洋諸國は皆な民主國體なるが故に,西洋學者の国家論には政体と國體の區別をたてたるものかつてこれあらず。
     日本國が國家論の一材料たるに至つて,はじめて政體論のほかに國體論あることを得。
     而して政體は政治の方法によって定まり,國體は政治の目的によって定まる
     政治の目的個人にあるを民主國といい,その目的國家にあるを國主國という。
     從來我が國にあつて國體の論をなすもの,多くは民主國または共和國に對して君主國を挙げるといえども,その君主國というを排して別に國主國の新名辭を立つるは,即ち余が一家見なり。


    (六)
     日本の國家主義は今のときにおいてその絶頂に達したるものなり。
     國家主義は明治に入りて毫も衰えず,かえって明治に入って始めて眞の發展をなしたるものなり。
     余はかくの如く信ず。
     而してたまたま余の尊敬する史學専攻の一學者が余と同じ意見を有せらるる由聞きて,余は大いにその自信を強めたるものなり。


    (七)
     今日の國家主義は固より歴史の産物なり。
     而してその近因はおそらく二あらんか。
     一は明治以前のいわゆる武士道なり。
     武士は農工商の輩と異なり,平生その君より封禄を頂きてその生命を維持する者なり,故に一朝事ある時は、その恩に酬ゆるがためには君の馬前に討死にすべきものなりというが,即ち武士道の要領なり。
     而してこの 昔時の武士と同じ状態同じ思想を維持しつつある者が今の軍人にして,即ち今の軍人道は昔の武士道の發展したるものにほかあらざるなり。
     けだし彼ら軍人は,經濟学者の言葉を假り用いば,まったく不生産的の人間なり。
     しかるにその不生産的の人間が,位を賜り,生ける時は年棒を賜り,戰死する時は年金を賜る。
     即ち,その經濟状態において昔時の武士に酷似すると同時に,一朝事あるときは陛下のために一命を棄つべきものと覺悟しおれるもまたすこぶる相似なり。
     加うるに今の軍人階級が世間に勢力を有しおることまた,封建時代武士階級が非常の勢力を有し至りしとやや相似たるものあり。
     故に封建時代に道德といえば即ち武士道のことの如く看做されたると同じく,今はこの軍人階級の道德がすなわち國民道德の中堅たり。
     而して軍人階級の道德は即ち國家主義なり,忠君愛國主義なり。
     これ我が日本において國家主義が最大勢力を有するに至りたる一因なり。
     而して第二の原因は,この封建時代に接續せる明治維新以降の歴史なり。
     特にその教育史なり。
     吾人は明治の政治家があらゆる手段を盡くして,國民敎育の上に,國家主義を鼓吹したるの事實を徒勞に歸したるものとみなすあたわず。
     固より教育の普及に伴い,個人主義も社會主義も起こらざるを得ざるに至りたれども,しかもこれらのものは皆な偶然の副産物にして,例えば工場の石炭ガラの如きのみ,國民教育の最大産物としてはすなわち今の國家主義が製造しだされたるものなり。
     即ち吾人は,維新以前の歴史と維新以降の歴史とこの前後の歴史の精華として今の國家主義あり,とみなすものなり。
     この點において,その種たる原因を維新以前にのみ求めんとする一派の論者とやや見る所を異にするを免れざるなし。




     社會主義も個人主義も,あるにはるけど石炭ガラの如きのみ。

     か。
     ふむ。
     いまの時代にいうなら,核燃料とった後にのこっちゃう劣化ウランの如きモノ,
     みたいな・・・・
     それでもって劣化ウラン彈作っちゃうんだから。
     文明の進歩するってばおそろしいな。




    (八)
     現代國家主義の中堅は軍人階級なり。
     換言すれば国家主義に對しもっとも激烈なるもっとも純一なる絶對の信仰を捧げつつあるものはすなわち軍人なり。
     しかるに軍人以外の者にあってはたとい國家主義を奉ずるもその熱心彼らに及ばざる者多く,或いはこれを口にするも心に是を疑うものあり。
     故に軍人以外のものには終始フル・ハートを以て事に當たり得ざる場合もあるいは多からん。
     それ人は信仰を以て生きく。
     たとい同一力量のものといえども一方のものが信仰を有しその信仰を以てことに當るならば,信仰を有せず侵寇を以て事に當たり得ざる他の者に比し,能くそれに十百倍するの功績をあげるを得るものなり。
     これ今の時代において,軍人が最大の勢力を有し,かつその勢力に價するの實力を有する所以なり。
     軍人階級が最も真面目にして最も人物に富むは,國家の爭うべからざる事實なり





    故に軍人以外のものには終始フル・ハートを以て事に當たり得ざる場合もあるいは多からん。
     
    か。

    りべらる勢力がネトウヨ勢力にいつもまけてるのもフルハート以て當たり得ざるが所以なり
    かしらん。




    (九)
     商業に従事する者もしばしば國家のためということを口にす。
    しかしながら,その國家のためという精神の力は,軍人が武を練る場合の如く,明瞭切實なるを得ざるは當然の勢いなり
    ゆえに彼らは国家主義の信仰において,到底軍人階級に劣る兒を免れ得ざる者にて,即ちこれ商人階級に人物少なくして軍人階級に甚だ多き所以なり。


    (十)
     しかしながら,ともかくも國家主義は現代日本の民衆的一般的信仰なり。
     故に敎師は生徒に向かって國家有爲の人物たれと要求し,親は子に向かつてまた國家有為の人物たれと要求す。
     而して人の健康祝するにも,なお、邦家のためにこれを慶すといえり。
     國家國家,これ現代日本の一大主義たること爭うべからず



    面白いとこだけ,と思ったけど結局全部おもしろいw


    あしたから,幸徳秋水の『社會主義神髄』をすこし。

    とわゆえ
    やっぱりなんといってもすごいのはコレ。ベツに心醉してるわけぢゃあないが

    北一輝著作集第一巻『國體論及び純正社會主義』
     『國體論及び純正社會主義』

    河上肇⑦『日本獨特の國家主義』(1911) 矛盾と妥協は現代日本の一大色彩たらざるを得ざるなり


    さて,

    「最大禁物タルナリ」,  
    最大禁物となるのである,

    とは書かず。

    「マコトニ最大禁物タラズンバアラザルナリ」,
    あったりまえに,最大禁物でないなんてことはないだろ?あり得ネ。

    と書く河上肇。

    なぜ,河上肇ほどの學者が,この時代誰もが承知するはずの古臭い話柄を繰り返し口説きながら。
    ・・・・

    文明開化,明治の日進月歩の時代はよかったのである。
    お上主導でもつて歐米に追いつけ追い越せとがむしゃらだった時代は。
    しかし。
    科學の進歩,生産力の向上,國富,自強自大。

    これら科學や技術の進歩によって可能となり,それを學ぶことで享受できる,つまりお上にとっても民にとってもとりあえずありがたい,
    いわばコクエキと,
    それと並行して不可抗力的に輸入されてしまう「新知識」,
    これが,ニホンジンにもたらすナニカ・・・・惡い影響
    コクミンコッカの實現性,その基礎たる,というべきジンケンの概念。

    社會とは,ジツは個人がナニカと契約するもの,だ,という
    そもそも前提としてあるべき “個人”の概念,とその自立自由。その權利。

    それら,本來據るべき歐米の自由思想あり,しかも,思想もまた,いまも,進歩しつづけている。
    科學の進歩而して發展,と,社會思想の進展は車の両輪,
    二つながら一心,一體となって,一體となることで,またより進化發展してい歐米社會と新思潮。

    なぜ,河上肇ほどの文才が,と思われる書き方,
    明治末期のこのとき,當時の讀書人においてはさほど目新しくもないような,解りきつたこと
    言わば
    ・・・いまさら何言ってんの,
    を敢て書くの愚鈍を佯りながら,説いている
    その言外の意を斟酌すれば。


    冴えわたる舌鋒。
    だw
    自嘲。そのつづきを

    なにがなし切ないものがある

    日本獨特の國家主義


    (十二)傳來的信仰に對する新興科學の謀叛――妥協と矛盾は刻下の特徴

     けだし日本の國民の團結はその一切の階級を貫くの統一的感情,一般的信仰あるによって始めて固し。
     故に政治の要訣は感情信仰を統一し,或いは統一されたる感情信仰を維持するより急なるはなし。
     古き知識は集積せられ凝結せられて信仰となり感情となる。
     而して新しき知識はその信仰感情を發展せしめ進歩せしむる所以の材料なり。
     しかしながら,舊知識とはなはだしく相違せる新知識が突然に發生する時は,舊知識はその新知識を摂取し同化して國民的信仰の内容に包容するの機會を有しあたわざるが故に,信仰の統一はこれがために破壊せられ,必らずや國情の激變國礎の動搖をきたすものなり。
     而して今の時代の日本は,かかる危險を避けんがためにようやく言論の拘束を嚴にせんとするの方針に向かえるなり。
     然りこの故に今の時代はすなわち矛盾の時代なり。

     けだし近刊 『時勢之變』においてやや詳論し置きしが如く,今の時代は,獨り日本のみならず,實に世界を通じて未曾有なる物質界の進歩の實現されつつある時代なり(その原因はかつても述べたるが如く,一に機械の發明および發達にあり)。
     しかるにこの物質界の進歩に伴うてまた未曾有なる知識界 の進歩あり。
     而して既に未曾有なる知識界の進歩あり。

     故に今の時代は,これらの新知識がさかんに舊知識の破壊を敢てしつつあるの時代なり。
     それ,新知識は學問科學の所産にして,舊知識は傳説信仰の内容なり。
     故に他語以てこれに換うれば,今の時代は科學と信仰のとの激烈なる衝突の時代なり。
     西洋において既に然り,しからばその傳來の文明とまったくその系統を異にせる新文明をきわめて急激に輸入したる我が國において,科學と傳説の間に一層激烈なる衝突を見んとするに至りしもまた必勢の命數なり。
     ここにおいて乎(か),日本の現代はもっとも甚だしき矛盾の時代たらざらんとするもまた得べからず。
     なんとなればいやしくも國家の競爭において他に負くるを欲せざる限り,吾人は全力を盡して科學の進歩および普及を圖らざるべからず。
     しかれどもまた他方において,いやしくも國内の信仰の動搖を防がんとする,吾人は全力を盡して新知識の急激なる發生および普及を妨げざるべからず。
     これ豈に矛盾の極にあらずや。
     而してかくの如き矛盾を最も痛切に感じつつあるものは,恐らくわれら學問を以て官吏の職を奉ずるものにあらん歟(か)
     けだしわれらは,一方において泰西日進の知識に一歩も後るるなかれと要求されつつあると同時に,他方においては我が國傳來の感情は一毫もこれを動かすなかれと要求されつつあるものなり。
     しかしながら,知識は感情を動かす。
     新知識に對する信念の強ければ強きほど,舊知識より成る信仰は即ち動搖せざらんとするもあたわず。
     ゆえに畢竟われらは,進め進むなという矛盾きわまる命令を奉じてわずかにその生を保ちつつあるものというも,場合によりては必らずしも過言ならず。
     しかしながら,かくの如きは必ずしも獨りわれらが身の上のみにあらず。
     たとえば政府當局者についていうも彼らはすなわち科学の保護者なり,否な,科學の保護者たらざるを得ざるなり。
     しかるにその熱心に保護しつつあるところの科學そのものが,また彼らの熱心に維持せんとしつつある所の信仰の破壊者なり。
     さればいかにしてこの科學の「謀叛人」と妥協するを得べきかは,妥協政治中の最大問題なり。
     知るべし矛盾と妥協は現代日本の一大色彩たらざるを得ざることを。




    おもわず笑ってしまうのだが。

    新思潮。それは水際で防ぎたい,と考えるムシのいい明治政府。
    新思想。それは洪水,怪獸のごときもの・・・・
    あたかも。
    明治が時代の終わりをむかえようという,

    次の章も。

    これまたキョーレツである

    笑ってしまってはいるがw
    思い深し,と考えるべきであり,また,わたしは,そのように讀んでいる。

    なにがなしものがなしいと感じるのは河上肇の人となりのせいかもしらんが,。
    ときあたかも。


    この稿は明治四十四年二月十日に脱稿,

    記されている。

    幸徳秋水が,冤罪の死刑判決を下されたのが一月十八日。
    “主義者ゴロシ” の犠牲者となったのは
    明治四十四年一月二十四日。
    その直後。

    忉怛する意,痛切な哀惜の情あるにちがいない。

    日本獨特の國家主義


    十三,信仰に理由の説明あり得ず――日本人は無宗敎に非ず――日本人に煩悶あり得ず

     吾人は既に國家至上主義がわが國民の信仰たり宗敎たることを述べたり。
     しからば何が故に彼らはかくの如き主義を奉じつつあるかと質問するなかれ(かくの如き質問はすなわち多くの西洋人が皆な一様に提出するところたるが如く思わる)。
     なんとなれば,かくの如きはすでにわが國民の信仰たり。
     故にそは議論の結論として生ぜしものにあらずして,かえつて演理の前提におかれるべきものなればなり。
     即ち吾人は,ただその信仰を記述してこれ歴史の成果なりといい得るのみ,何が故に個人主義に比して國家主義が優れりとするかは,歸納論法を以てするも將た演繹論法を以てするもわれらの到底論證し得ざる所なり。

     既に國家至上主義を以て日本人一般の信仰たり宗教たるものとせば,多數の日本人はこの意味において皆な一種の宗敎を有せりとなすを得べし。
     西洋人は,日本の敎育ある紳士の多數が,余は全く無宗敎なりと公言するを聞きてまことに奇怪の感をなすといえり。
     しかしながら,怪しむを止めよ。 
     その無宗敎というは,宗敎を信ぜず,キリスト敎を信ぜずというのみの意にして,彼らのすべては皆なじつは國家敎の信者たるものなり,少なくとも國家敎の信者たらずと公言し得るものにはあらざるなり。
     而して現代の日本人にはなはだしき宗敎的煩悶なきは(今は恐るべき動搖の時代にして宗教的煩悶の正に大いに起こるべき時代たるにかかわらず),その最大多數のものが皆な國家教の確(かた)き信者たればなり。
     彼らにとりては,人生の目的は即ち國家にあり。
     彼らは國家のために生き,國家のために死するを以て理想となす。

     されば日淸日露の二大戰役において,壯丁の死するもの算なかりしといえども,われら日本人はこれが為に懐疑煩悶に陥りたることなく,また陥るを得ざるなり。
     固より多少の懐疑煩悶を訴うるの聲を聞く。
     しかしながら,そはいまだ國家敎の信者たるを得ざる靑年のみ。
     而して彼らもついには國家敎の信者たるべき命運を有するものなり。

     すでに國家主義は日本人の宗敎たり。
     故に看よ,この國家主義に殉じたるものは死後皆な神として祀らるることを。
     靖國神社はその一なり。
     而して余が郷の先輩,吉田松陰先生もまたこの故に神と崇められ,伊藤博文公もまたまさに神と祀られんとしつつあり。



    河上肇の悲歎,絶望にも似る口吻
    欷歔の言

    『國體論及純正社會主義』において
    天皇の國民ではない,國民の天皇である,と書いた
    北一輝は中國に去く


    “大正デモクラシー”
    なるものはあたりまえだが大正に開花する,

    のだ。
    が。

    岐路,にあった帝國日本。


    北一輝著作集第一巻『國體論及び純正社會主義』


    河上肇⑥『日本獨特の國家主義』(1911) 最大禁物たらずんばあらざるなり

    再び河上肇に戻る
    ちなみに,
    本日1月30日は河上肇の命日だ。

    カンタンに記す

    1933年1月7日藏身する中野にて逮捕,そこから四年半におよぶ獄中生活,
    1937年6月15日刑期滿了にて出獄

    1945年
    1月,榮養失調から衰弱,病床に伏す
    9月1日,『小國寡民』 を表す,また

    1946年
    1月12日野坂參三が中國延安・ソヴェト根據地より歸國
    1月17日詩 《同志野坂を迎えて》をつくる
    1月26日肺炎を併発
    1月30日逝去 享年六十六歳

    こちらの詩は最後に紹介する

    軸裝された 河上肇 《同志野坂を迎えて》
    kawakamisyo1small.jpg
     引用元⇒法政大學 大原社會問題研究所 大原デジタルアーカイブス  

     

    日本獨特の國家主義


    十一,西洋及日本に於ける言論の自由不自由の差異 ――西洋の基督敎と日本の國家敎

     或る意味において日本ほど言論の自由なる國はなく,また他の意味において日本ほど言論の自由なき國はあらず。
     その故何ぞや。
     
     生物進化論は諸君の熟知せらるる如くダーウィンの著書によって初めて廣く世間に流布するに至りたるものなれども,しかもかかる思想は近世において(ギリシャの古代のことはしばらくおく),ダーウィンは以前の學者のつとに壊抱しいたる所なり。
     たとえばバッフォンの 『自然史』 の中には明らかに生物進化の事實を認めたる一説あり。
     しかしながら,彼はその事を記載せる後,直ちに一轉語を下し,それ然り豈それ然らん哉 (But no!)というて説き加えて曰く

     「聖書の示す所によれば,すべての動物は神が直接に創造たる者にて,すべての種類の動物の最初の一對は神の手により始めより完全に造り出されたるものなり。」

     これ即ちキリスト敎の敎義に迎合せるものなり。
     而してこのキリスト敎たる,當時に合っては絶大の權力を有し,いやしくもこれに反對する意見を發表せんか,たちまちその身命を危うくするの運命を免れ得ざりしものなり。
     ゆえに彼は生物進化論を一の假定として述べ置き,而して次の頁においては聖書の示す所を權威として直ちにその假定を打ち壊し置けるなり。 
     
     バッフォンに後るること約四十年にして,ラマルク出づ。
     而して彼は實にダーウィンに先だつこと約五十年前,はじめて生物進化論を世に公にせし者なり。
     しかしながら,彼はこれが為に 
     「すべての方面から攻撃せられ,すべての方面より憎むべき嘲弄によって迫害せられ」,
     かくて
     「長き間,すべての人に見捨てられ手て,貧乏と盲目との生活をなしたる者なり」(彼が一親友の言)。
     しかるに彼と同じ時代の動物學者rたるキュヴィエは當時の俗論に媚び,盛んにラマルクに反對したるが故に,後には擢(ぬき)んでられて文部の局長となり、華族に列せられて男爵を授けらるるに至りたり。

     さていささか余談にわたりたれど,これによりて考うるも,西洋の社會は如何に宗敎に關する言論の不自由なるかの一斑を知るに足るべし。
     固よりこれは百年前の昔話なれば,これを以て直ちに今を律すべからずといえども,總じて西洋の社會にあつては,キリスト敎の事を惡しざまに言うが禁物にて,この點においては我が國の方遥かに言論の自由あり。
     しかるに他の方面,例えば,社會主義に關しては如何,というに,彼にありては演説,著書,雜誌,新聞紙の類の公行せらるるはもちろん,社會主義者にして,あるいは大臣となり,局長となって政府の要路に當たるものすらあり。
     しかるに我が國にては,自ら社會主義者と名のらんには,民間の會社にても雇傭を斷ることなるべし。
     即ち書くの如き方面においては,我が國の方,彼に比して遥かに遥かに言論の自由なし。

     されば我が國の方,彼に比して一概に言論の自由ありとも言いがたく,また,一概にしからずとも言いがたし。
     要は言論の自由の拘束せらるる方面が彼我の間に相違あるにて,すなわち,彼にあつては宗敎の方面においてやかましく,我にあつては政治の方面においてやかましいともいうべきなり。
     しかしながら,かくいいたるだけにては,真に表面上の事にて何の面白味もなし。
     一歩を進めて言わば,實は,彼我共に宗敎の方面においては,一様に言論の自由が拘束せられおるものなり

     けだしここに、吾人の宗敎というは,社會的宗敎というほどの意にして,真の宗敎的宗敎のことを言うに非ず。

     即ち,一定の事項が民族一般の感情となり信仰となり而してその感情信仰が社會において最高最大の權威を有するに至るならば,吾人はこれを稱して宗敎というなり。
     而してこの意味においては,キリスト教が西洋の社會において一の民族的宗教たるが如く,日本の社會においては國家至上主義が一の民族的宗敎たり。
     故に彼に合ってキリスト教を非難することが禁物たるが如く,我が國にあつては國家至上主義を非難することが禁物たり。

     ことにその主義が今日の如くその最高調最頂上に達し,一般民衆の牢固として動かすべからざる最廣最大の信仰感情となれる目下の情勢においては,これに向かつて攻撃をなすはもちろん,價値判斷の尺度を當つることさえも,まことに最大禁物たらずんばあらざるなり。

     かく觀じ來らば,今の日本において,或る種の事項に關する言論の自由の,非常に拘束せられる所以を理解するに足るべし。

     而して人もし目下における言論自由の束縛を以て,或いは在朝政治家の専斷に出づとなし,あるいは或る一部の社會における頑冥者流の僻見にもとづくとなさば,そはおそらく真相の大誤解たらん。
     少なくとも余の見る所によれば,今の時代において或る種の事項に關する言論の拘束の爾(しか)く嚴重なる所以は,爾(し)か拘束することが民衆一般の要求たり世論たるがためにほかならず。


     この點においては,政府の政策たる,新聞雜誌記者の多くが裏書する所たり,議員政黨員の多くが裏書する所たり,否な國民の多數が皆な一樣に裏書する所たるなり。
     而して吾人はまた,讀書人の一人としてここにまたこれに裏書するを余儀なくせられざるを得ざらんとするものなり。




    笑。
    文語調というのは,フクザツな,心境自嘲もしくは憤恚の自噴するところをうまいこと和らげる
    その時代にあっては,どうかわからんけども
    今の時代の言語感覺をもって讀むと,

    おかしくてしょうがないなw

    いやわたしの言語感覺が「今の時代の」といえるかどうかはさておき,當時にあっても飃逸然とした口ぶりではなかっただろうか?それがより,シニカルにユーモラスに,増幅され強調されるようなキがして。

    現代語譯されるほどの文語ではないのでこのままのかたちで讀みつがれてゆくだろう

    ま、後世の人間のカッテな讀み方は,
    時間が過ぎること,のなさせるワザ,そこにまた新たな價値が生まれ,より長く永く讀み繼がれゆく可能性をよりひろげてゆくのだから
    言葉の變易,變遷は,古きものを疎外しない。阻害せず變わり,遷りつがれていかなければ。
    變易とはいわないし。

    一莖の 草の想い おもいしれ


     シキシマノ ヤマトゴコロノ オソロシサ コトアルゴトニ アラハレイヅル

         レーザーワイヤー 琉球セメントの土砂搬出の棧橋前に設置された「カミソリ刃付き鐡条網」 沖繩タイムズより
     やることがエグい  土砂搬出の棧橋前に設置されたカミソリ刃付き鐡条網


    沖縄の一人の若者が, “無力” の,(わたしは,そのジツ無力と書いた,その不用意をいま,わたしは愧じているんだが)
    中共から金をもらわず
    なされた,
    “體” をはった,からだを賭した行動が事態を動かした。
    事態はわずかながらでも,
    動いた

    この事に大きな意味がある

    人は,むりょくではない。
    たとえ,

      L'homme n'est qu'un roseau

    であれ。
    とゆう

    人間をすり潰すためには,この世が全體で武装するまでもないのである
    葦,というひと草を,殺すためには一滴の水の渇き、一滴の雫の餓えだけで,
    十分である。

      それほど,草は弱い, しかし。

    パスカルがパンセでしるした真理の真意である。

    幾多のカクメイはこの渇きを越えていくことができたから起こった
    成就し得た必然である,とゆう
    まさに
    liberal と,rebel のグラウンドゼロだ
    いやちがうw
    ゼロの地平だ

    河上肇が書く,
    西歐個人主義の原點はここにあるといっても過言でわないのダ

    個人,個個人,民草,その一草ひとくさ,
    には,力,がある。
    ということを
    ひとりびとり
    思い知ること,

    そしておもいしらせることができる,

    この事にイミがある。

    もちろん,わがニッポンの行政財政に責任を持つらし,立法府の責をはたしているらし
    あの,
    へんなヒトビトに。
    おもいしらせることができる。

    今の時代。
    それができなかった時代ではない



    “彼ら” は多數だ,そして無力ではない。
    が。
    多數であることがイコール “力”なの ではなく,
    この力はたまたま多數という,ひと粒ひと沙の,砂上の樓閣によって奇跡的に支えられた力にすぎない,
    とゆう,だいじなそのことを

    そのw,
    いわば秘中の秘を
    “彼ら” のその鈍い頭に
    いま,われわれが,おもいしらせること,ができていない,
    それだけだ。

    彼らの “力” ,とはその程度のものだ,

    おもいしれ。
    いいことばだ。

    想い,知らせなければ,おもいしらないだろうし。
    “彼ら” は。

    いったいに
    “彼ら” は,獨裁者たりうるに足るほどの感性をもっているだろうか?
    われわれの想い知る,もしくはわれわれを恐ろしいと思い知ることができるに足る感性をw

    こんなひとたちにまけるわけにはいかないっ

    畏れげもなく公衆の面前でぜっきょーした
    あべのぼんぼんだったが。

    このヒトは,民を恐れないばかりか
    天をも畏れていないのか??



    その祖父が,「聲なき聲」を懼れ畏むだように,そんな感性は孫にはあるか?
    哈哈
    その祖父が,
    昭和の妖怪が天をも恐れぬ惡人だったことは「滿洲國」の黑歴史を知れば何となくわかるがw
    姓安倍的時代
    今の時代,まだ今の時點では,想い知らせること,が,われわれにはできるのだから,


    これまで,
    例えば幾多のおじい,おばあ,の聲は無惨に踏み潰されてきたが。
    幾多のカヌーは沈められてきたが
    ジッサイ,なにが起こるかわからない。
    何が,事態を動かすきっかけになるか,など,
    わからない。

    ほぼすべてすり潰されたとしても,
    それでも,やめない,やまない,

    鞠躬盡力、死而已。
    無,力,とはほど遠い。

    その繰り返しが,「運動」の原點だ,
    運動,とはそういうものだ。
    そんなことをかんがえていた。
    “運動” の,原,動,力とはなにか?

    日本もまだまだすてたもんじゃない?
    哈哈
    ホンドをオキナワとひとしなみにあつかっては
    沖縄の民にハナハダ申しワケない。

    がんばれ,うちなーんちゅ


    キブン的にわたしは,
    そもそも,ヤマトんちゅに期待できないその理由を,
    由って來たるその理を
    河上肇に據って,
    その根本から, 

    かきばしっておこーっ♬
    と 
    考えていたのだが

    いや,そーぢゃない

    普天間の移設?

    「米軍基地」は,方便にすぎない
    ソノジツ,日本軍,未來の國防軍基地の新建設。
    ホワイトハウスが
    「ニホンジンのモンダイ」
    と。つきはなすのもムリはない。

    と。
    考えているのだが。

    妄想たくましいわたしだが。
    そのジツ
    コクナンフェチも
    コクタイフェチも
    防衞省も

    妄想たくましゅうしてるのは,
    わたしのちっぽけな妄想の比じゃない,
    彼らにはなんといっても
    實績がある。
    實體がある。
    そして
    實力がある

    ・・・・・・・。

    もちろんマックスヴェーバーゆうところの
    實力
    のことだが。

    政府トハ暴力装置ヲ獨占スル權力ナリ

       邊野古 埋め立てられる“民意


    聞道,きくならく

    運動の,原,動,力,は沖繩に在り。
    いや
    人,有し,而して,天地に在り,だ

    いまあり,かつてよりあり,ありつづき,なおありつづくだろう,
    ヒト,そして道あるかぎり,だ

    “じんどう” のことでわない,

    ありつづけて來,ありつづけて往くだろう
    この道

    滿聲載道。

    もちろん

    聲ありつる聲

    河上肇⑤『日本獨特の國家主義』(1911) 排斥する所は形にあらずして,心にあり

    『日本獨特の國家主義』その第十章は,そのもっとも核心のところで
    また確信的な河上肇の意を感じさせる。
    力強く,しかも,何より非常にわかりやすい。

    時代は明治四十四年,辛亥,
    幸徳秋水が,ただたんに。無政府主義者デアル,というが理由,
    ほかに理由などなく處刑された時節,である。

    なお,この河上肇の

    “その根本より立論し來たるか,來たらんか?”

    というような
    謂わばー―形式より心――,
    とでもいえよう姿勢態度が,
    のちに,
    福本イズム,講座派から攻撃を受けたゆえんだ。
    と,わたしはなんとなく思っている

    根本より説く,はマルクス主義者にして勞農派のあるべき姿だ。
    それを俗っぽい,と。
    マルクス主義の通俗化といってしまうのはプロレットカルトのそもそもからいって本末轉倒になりかねない

    また,
    形式より心。――これは・・・・・唯心論ではなくw。

    むしろ,
    形骸に,つまり “軀殼” に,

      “もちうる”べき何の“用” があるか,あらぬか?

    ということである,と
    わたしは考える
    いいかえれば體はあるか,主となる,は,なにか,
    をつねに,唯,明らかにしていく姿勢である

    實用, “實” の 用 のため,ではあり,ひいては主體, “主” であるべきそもそもの體は何か,その,根本を明らかならしめ,説きつくそう,という姿態
    これが,ただちにプロレットカルトの使命であった,と,わたしは信じるからこそ,なんだが。
    もちろん “蒙を啓く” というを目途としてはいるのであるが,
    しかし,西洋の啓蒙主義的思想とはすこし,意味が違う,
    啓蒙思想には大きな限界あった,そのうえで,追求されてでてきたのが,ただしくプロレットカルトの考え方とその實踐である,と,わたしは理解している。

    ちなみに
    河上肇が,いわば身内からめっちゃ攻撃された,つまり
    福本イズム,と,山川均らの勞農派の確執の時代とは,
    1920年代なかばから27,8年のことである。
    中國では第一次國共合作から,孫中山が死に,北伐,そして反共クーデターの時代。

    もちろん
    右往左往してテーゼをコロッとかえる,コミンテルンはヘンだった,が。

    中國共産黨もコミンテルンの朝令暮改に翻弄され,思想上と實踐上の鬪爭が絡み合いその整合もまったく追いつかず。
    猛スピードで變遷していく震盪の時代に,人間もまたみな腦震盪でもおこしていたようだった。
    實踐上,というが文字通り。中國は内戰と右派のクーデターで大混亂おおくの貴重な人材をうしなった。
    當時 “政治的” 人材が拂底するなかで中國共産黨の領導者となっていた瞿秋白も批判される。
    中國共産黨ができた最初期から社會主義研究の第一人,中國マルクス主義の理論的支柱であった瞿秋白だが。

    日本で講座派が猛威を振るったそのありさまは,過渡期の思想上の衝突,混亂によるものだろうと思いたいが。
    そのすぐのち中國でモスクワ歸りの王明一派,秦邦憲らに瞿秋白が攻撃されたのとおなじようなものであれば
    窮竟,
    アカの内部の權力鬪爭であるにすぎない

    ちなみに
    日本では・・・・いまだに・・・・・左からも右からも
    左傾盲動路線,極左と看做されてしまう,あるいは福本イズムの中國版のように形容される瞿秋白,だが。
    なぜだかはわたしにはサッパリワケがわからんがw

    いまだに一歩も進まないいっこうに變わることない貶下である。
    (わたしはこれもまた帝國日本の,中國への加害の直視につながるからか,と邪推したくなるのである)

    瞿秋白が批判されたは集中砲火だったw,立場上代辯していたはずのコミンテルンからも,モスクワからも。
    メンシェビキからトロツキストからスターリンからあらゆる方面から批判された。
    陳獨秀一派からは「野狐禪」よばわりされていた瞿秋白である。
    トロツキーに至っては
    「ストロチョフ(史鐡兒=瞿秋白のロシア名)はイイワケばかりで中身がないレーニンが一つもわかっていないくせレーニン盲信の原理主義の教条主義者」(『中國革命論』 邦譯あり 現代思潮社トロツキー文庫)
    とボロカスで
    とはいえ,しかし
    なによりそのことがw
    この一見思想上の混亂がただのみにくい權力鬪爭にすぎなかったことをよくわからせてくれる


    どうでもいいハナシだが。
    さはさりながら。

    ジツは河上肇と瞿秋白
    この二人には “獄中の陸遊” という,・・・・時空を超えたいわば賡響がある。
    “無主” ,中國古來の自由思想と――野における――それは “天民” という,古代の經世の理想を結びつけて考えると,
    なぜ,陸遊なのか,
    なぜ河上が敗戰直後に『少国寡民』を著わしたのか,
    それが必然であったことが,なにがなし,わかる,

    というか・・・・
    ある像を結びつけてくれる。
    河上肇が中國で深くリスペクトされ敬愛されていたことは言うまでもないことかもしれない
    このことは最後の最後, “無主” と題した一連の投稿のおわりにふれるつもりである。

    日本獨特の國家主義

    十,日本にて無政府主義,社會主義の排斥せらるる所以
     ――日本には西洋流そのままの社會主義、社會政策,立憲政治,政黨政治は在り得べからず



     要するに日本人が最大至高の價値を認めつつあるものは國家なり。
     而して現代の日本(またはその日本にありて最大の勢力を有しつつある民衆の大多數)が最も恐れつつあるところのものは,この國家至上主義の破壊なり。
     故に日本においてもっとも恐れらるる所のものは彼のいわゆる無政府主義なり。
     西洋にて無政府主義の恐れらるる所以は,その一派のものが暴擧を敢てするにあり。即ちこれらの輩の恐れらるるは,殺人犯人,強盗犯人等の恐れらるる所以と異ならず。
     しかるに日本にあって,無政府主義者の恐れらるる所以は,これとは選を異にす。
     たとい彼らにしてきわめて平和的なりするも,なお彼らの抱ける思想主義そのものが,最も恐れられ最も嫌われ,最も憎まるべきものなり。
     けだし無政府主義者と言えども必ずしもすべて暴力を以てその傳道の手段となすにあらず。
     たとえば米國のタッカーの如き,傳道の手段としてはスピーチ・エンド・プレッス(演説および著述)あるのみとなし,ただかくの如き平和手段にして全く自由を奪われたる場合のみ,暴力に訴うるもまた不可ならずと為せるにすぎずといえども,しかもかくの如き主義者に向かって言論の自由を得さしむということそれ自身が,日本國民の最大多數のこぞって反対する所なり。
     少なくともこれらの輩の言論を抑壓すということは日本人最大多數が決して反對せざる所なり。 
     日本人が無政府主義者を恐れかつ憎むは,これを以て強盗殺人狂者の類(たぐい)と同視するがためにはあらずして,その主義が日本民族の最高の信仰たる國家至上主義に絶對正面の反對をなすがためにほかならず。

     日本において社會主義の畏れられかつ憎まるるもまたこれと選を同じゅうす。一見する時は,國家主義と社會主義はその性質相近似し共に,彼の個人主義と對峙するものの如く見ゆ。
     何となれば,かのいわゆる社會主義なるものは,一切の土地資本を公有となし、すべての産業を公有ととなすべしと主張するものにて,いかにも個人主義と相容れざるが如くなればなり。
     しかしながら,かくの如きは真に外形上のことなり。
     則ちその精神に至っては,いわゆる社會主義なるもの,また全く個人主義の上に立脚するものにほかならず。
     その土地資本を公有とし一切産業を公營にすべしというは,そことが國家のために必要なるが故にあらずして,全く各個人のために必要なるが故にほかならず。
     即ちその根本の精神,本來の出發點,最後の立脚地は依然としてあくまで個人主義なり。
     すなわちその個人主義がたまたまその目的を實現するの手段としてしばらく國家主義に類似したるの主張を敢てするに至りたるのみ。
     而してこの社會主義がわが國において極力排斥せらるる所以のものは,その根本精神,本來の面目が這個の個人主義なるがためのみ。
     否な,一歩を進めて語を切にせば排斥せらるるは,社會主義にあらずして實は個人主義なり。
     故に見よ,わが國民は彼の鐡道固有をはじめとして,すでに諸種の事業を公營としたり。
     而してかくの如きは社會主意の主張の一部の実現にほかならずといえども,しかも朝野擧つて毫もこれを怪しまざる所以のものは,その動機が個人のためと言うことを主眼とせずして國家のためを眼目となせばなり。
     これ恰も漢學復興を唱うるが如き一派の人々といえども,またその帽を西洋帽にしその服を西洋服として怪しまざるが如きのみ。
     排斥する所は形にあらずして,心にあり。
     排斥する所は産業の公有そのものにあらずして,實は,個人主義に立脚せる産業公有論,そのものなり

     吾人はかつて佐藤信淵(のぶひろ)の遺著を読んで一驚を喫したることあり。
     なんとなれば,彼の主張する所は一切の土地資本を公有となし,一切の産業を公營とすべしというにありて,即ちまったく今のいわゆる社會主義の主張と合するが如く,しかもその時代を稽(かんが)うれば,あたかもいわゆる社會主義の先驅者たる仏人フーリエ,サンシモンの徒と相前後するものなればなり。
     余即ち「幕末の社會主義者佐藤信淵」と題し,兩三年前,かつてこの事を『京都法學會雜誌』に詳論せり。
     後ち福田(德三)博士,この卑稿を讀みいうて曰く,吾輩これによって始めて我が國に社會主義者なかりしを知り得たり,と。
     一句能く卑論の決を道破し得て遺憾なし。


     佐藤信淵(のぶひろ)江戸時代の醫師,經世家。平田篤胤の弟子だ。遺著とは『垂統秘録』。
     
      けだし,佐藤信淵の論はたとい土地資本の公有と一切産業の公營を主張するにありしとするも,その議論の根本精神はあくまで國家主義にして,個人主義にあらざるが故に,彼の論は西洋に言う社會主義なるものと全くその根本精神を異にするものなればなり。

     しかしながらこの意味においては,わが國にはいまだ社會政策の實行なし,ともいい得べし。
     なんとなれば,例えば工場法を制定するにあたっても,我が國にあっては,その趣旨が勞働者の人格を尊重し勞働者階級の階級的利益を増進するということを本來の目的にあらずして,あくまで彼らを以て國家産業上の道具となし,ただこの道具の精神上および肉體上の健全なる發達が,あたかも國家産業の發達のために必要なりとせらるるがためにほかならざればなり。
     かくの如きは畢竟生産政策にて近世のいわゆる社會政策にはあらず。
     要するに西洋の經濟論にてやかましきは分配論なれども,日本の經濟論にてもっとも重きをなすは生産論なり。
     蓋し個人の立場よりすればすべての經濟論が主として生産論的となるを免れざるべければなり。
     固より,個人が集まって初めて國家を成すものにて,個人を別にしてこっかあるにあらざるが故に,多くの場合においては,たとい個人主義より出發するもまた國家主義より出発するも,その到達の結果は形式においてしばしば相一致するに至るものにて,即ちその形式よりいえば,日本にもすでに幕末當時より立派なる社會主義ありあるいは社會政策ありたりというを得べく,また政治の方面においては維新以來議會の開設あり,立憲政治の樹立あるに至りたれども,その根本精神より立論し來たらんか,日本にはいまだ社會主義なく社會政策なく立憲政治なく政黨政治なく,否な,社會主義,社會政策,立憲政治,政黨政治は到底日本においてあり得ざるものというもあるいは大過なかるべし。



      太字は玄の恣意




    あっさりおわるなっ `o´ [東學農民戰爭]「廊下の奥に戰爭がヌボッとゐた」ワケでわない


    あっさりおわらせるなよっ(`o´)アサヒっ


    河上肇の『日本獨特の國家主義』はこのあと,
    “日本にては西洋流そのまゝの社會主義,立憲政治,政黨政治さえ在り得べからず” と言うことを論證していくのだが
    それは明日からにして。

    いま,他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブンの夕刊で
    またまた上丸洋一記者が書く素敵な連載について。

    “東學農民戰爭をたどって” となづけられている。
    いわゆる「東學黨の亂」。
    日本語ではなんでもかんでも,農民や勞働者がたちあがってなにかをなす,と
    亂,匪賊,暴徒とされるが。

    立場を換えれば,日本人の方がよっぽど,暴虐の手段にすぐうったえる野蠻の集團であったこと,これは,いうをまたない,
    しかも。権勢と武力をかさに,官,軍,コクタイ一丸となってすぐにムチャクチャをやる暴徒である

    (甚だ洗練されてないために,おなじことしてきた列強からさえ白い目で見られていた)


    たとえば
    閔妃暗殺,いわゆる乙未事變だが,
    一國の公使が王宮に亂入,妃を殺害而して屍骸を燒却するという暴擧も,
    素朴な目で見れば
    コルテスのメキシコ征服時の野蠻,ピサロのアタワルパの處刑にならぶ
    「世界史のムチャクチャな出來事」
    だとおもうんだが。

    コルテスやピサロはヒドイ,は世界の常識だが。
     
    閔妃暗殺は,日本においてだけはなぜか
    「やむにやまれぬ愛國の情」とされて
    以てかたづけられる

    にほんじんもひどいのである,

    と言うヒトビトは,
    「みな,反日ヒコクミン,中共から金もらってる奴」とされて
    以てかたづけられてしまうわけだがw


    それはそれ,万が一,かりにそうであっても安倍政權のカネで修正主義を蔓延させようと日夜はげんでいるヒトビトもおおぜいいるわけで

    愛國心,と,「愛國心には金が出る」,というが正義である!

    ことを信じているからこそ,
    「愛國心」,と,日本政府からカネもらうのはいいが,
    「愛國心じゃない」,と,中共からカネをもらう,は,けしからんといってるわけだ

    中國からカネをもらってないわたしにとっては,彼らのいってることのほんとうのうまみも正しさもサッパリわからない。としかいいようないが。

    沖繩のモンダイもそう。

    「カネなどもらわなくてもがんばるひとはいる」,と言うことが根本理解できないヒトビトには何を言っても無駄だが
    「カネなどもらわなくてもがんばるひとはいる」,と言う,その事がなにより
    ピュアな “ただしさ” をソボクに

    “あきらかならしめる”

    とわたしは考える

    カネをもらって愛國心を鼓吹鼓舞するヒトビトの動機の正しさをピュアにソボクに信じようにも,
    それは,「愛カネ心」なのか「愛國心」なのか,は俄かに判じがたいしさ

    それでも,カネ説信者の世界観,論法でもって考えれば
    ガンジーもコミンテルンからカネをもらってハンストしてたんだろーw
    まったくむちゃくちゃなのである

    いったいどこのだれが,カネをもらって,もしくは金をもらうことを目途に,やっても無駄な無力なハンガーストライキをするか?

    “生産性のない” こと言うまでもない。
    そんならバイトでもした方がよっぽどカネにもためにもなるのである

    あ,そうか,そういう “生産性のなさ” のせいで,だから,忌み嫌われるのか
    ふむ・

    どうもすみませんm(__)m


    少なくとも

    もらえるカネはけっこー高額であり。
    すくなくともそこらでやるバイトではいるカネより高いのかもしらんな
    彼等 “愛國サポーター” のほうも。


    それはさておき

    “東學農民戰爭をたどって”
    この先何回かにわたっていく。だろう。たぶん。

    日本人の暴力的傾向,殘虐なしざま,とはこれは日中戰爭以降,はやくても1930年代前半からです,

    と言うような定説に
    ソノジツ
    何の根據もなかったことが,描かれていきあばかれていくのであろう。

    いかに。
    日清戰爭前後の時代。
    に。

    激戰の戰場跡「牛金峙(ウグムチ)」にある農民軍の慰靈塔(2018年10月、韓国・忠清南道の公州郊外)

              朝日新聞さまより無断転載しておりますm(__)m


    ・・・・・・・・。

    いかに帝國日本がのちの昭和の侵略戰爭を遂行していくために

    シュクシュクと
    着着と

    準備を進め,戰爭に突き進むしかない
    「この道しかない」,というの道を整備し,

    朝野上下コクタイ,よーするに擧國一致で
    勇猛邁進
    していったか。

    結果。

    かならずしも,

    「廊下の向こうに戰爭がヌボッと待っていた」

    ワケではない,
    ということにきづこうとしなければ。




    “脇目も振らず” に,とは,脇目振らなかったから起こった結果であるということをw

     ――ワキを見ることをようしなかった,ワキをかくされていたとはいうものの,
      ワキをみたくなかった作為,ワキを見てもなんだかよくわからずあえて考える,
      たちどまる,ということをあえてしなかった――

    その有因有果 を
    キョシンタンカイに受け止めようじゃないか,と思うんだが。


    ・・・・・。

    日清戰爭の戰後賠償がいかに淸國にとって過酷なものであったか。
    淸國がどれほどの莫大な賠償金をはらい,國土を割譲し,日本帝國による經濟活動とそのための原資資本の提供をさせられたか・・・。

    一方,戰後日本に對する戰後賠償の請求をあっさりと放棄した中國。

    中國のその動機,發意は,アカのイデオロギーによるもの,つまり,
    「日本人民のひとりびとりはヒガイシャである」,
    として,過酷な要求をすることをしない,という原則を貫いた。

    このイデオロギーを中國人民大衆に納得させた当時の為政者はえらかったと,わたしなどはすなおにおもうわけ。
    日本人によって殺された身内がいない,友人がいない,という中國人は當時おそらく皆無だったろうと思うが,その恨み骨髄の,人民,かれらの日本への報復したいの激情をしっかりとグリップして抑えたわけであるから。

    たしかに,中國が敗戰の日本に賠償させると,いくらイキマいたところで
    近々15年戰爭の損害を賠償する,となったら
    そもそも,誰にも,全貌の一瞥できぬ,大ざっぱな數字もつかめぬほど國土を毀損させられた中國である,
    すぐには見積もり計算すらできないだろう
    どんなに小さく,きびしく日本の責任をしぼって見積もっても天文學的數字に上る

    それをかえしてもらう?
    ゲンジツテキではない,払えるわけがない
    せいきゅうしてもムダだ,というあきらめムードもあっただろーが。


    ひるがえって日本は,どうか?
    たとえば下關条約
    その賠償金,つまり現ナマということだが,それひとつとってもだ。
    淸國が現状自力でかんたんにはらえる以上の要求,度を過ぎた過酷の賠償を課した帝國日本に賠償するため,
    淸國は歐米列強に多額の借金をする。
    擔保として淸國は大地をきりうりし,鉱山發掘の權利,鉄道敷設圏,中國人の勞働力を犠牲にし,ナニナニ権,どこそこ租界と,無理に無理ををかさねて,

    人民の血を搾り取って,帝國日本にカネを払った。

      ――清朝西太后が抱え込んでいたお宝財ブツをさしだせばよかろうに
      とおもわなくもないが。どのみち義和團事件のどさくさで帝國日本を
      はじめ八か國連合軍にいっさいがっさいかっさらわれたのだから。――

    下關条約のとき時,そっちを吐き出して,大事な國土,山。河。人民の “膏血” , “力” を温存しなかったは,

    清朝と言う帝國,

    であるのであるが。

    しょせん
    その清朝もまた征服王朝ではある・・・・・・・・・・・。
    しかも
    そのあたりのフクザツは
    辛亥革命で大清帝國が倒れてからますますの混迷を深めていく

    ニホンのコクタイフェチも,同盟会に加擔するのもいれば
    大勢だったのはコクエキコクエキの コクタイフェチ。

    そしていま
    侵略したことはあるが侵略されたことのない日本人にはそのあたりのフクザツは意にかいされることもなく大ざっぱで單純な歴史はでっち上げられていっている,物語と詭辮のネタはいっぱいあるにもかかわらずw



    そもそもが
    姓がないので易姓革命もできないしorz,
    とゆう万世一系のシステムを構築(吹聴)して,そうゆう單純さを維持,していった(かつ,繼續していこう)という大和民族の國家である

    そう,
    繼續は力なり
    というなら,
    單純も力なり
    だ。

    この單純さ..という現象,それが
    世界最強であることは,なんとなくせっとくりょくがあるよーにもおもうんだが,そのうえ單純と繼續があいまってとてつもない偉大さだ


    そもそも明治時代に「万世一系」とそのリクツにしがみついたニホンジン民族の。
    戊辰戦争という内戰の勝者はシマグニの中でおわっていれば
    あまりフクザツに考える必要もなく,フクザツな腦内回路やそこからうまれる心象というものはなかったかもしらんが
    ・・・・

    コクタイ概念は,すこしびみょーであった時代

    「日本」人兵士の血の代償だ,
    を「 ニシキの御旗」に 
    好戰の大聲が高高と響きわたって世論をリードしてったのではないか?

    戰爭はおいしい,


    日本人の心をとらえ 
    キョコクイッチの先軍思想が“正義” をとりまとめていく

    そう。
    念願は人格を決定す,繼續は力なり
    だが。
    欲望は國格を形成す,單純は力なり

    そうはいってもだ。
    そのうえでの三國干渉されると,それを,被害者づらして不平を鳴らす,日本帝國コクタイと臣民多數。

    しかしながら,帝國日本はアジアの盟主たらんと,三國干渉の試練を,糧にして,いや教訓ににして
    列強に干渉されない “洗練” とたしなみを身につけようとしたし

    また,
    その國庫に入り込んだ莫大な賠償金,馬蹄型の金塊,を原資として

    軍備を増強し,さらなる中國侵略を重ねていった

    ・・・・

    その後も,租借權,租借地が割譲となり,經濟特區,規制緩和,關税撤廃,だかなんだかといーわけする向きもあるが
    なんでもかんでも,度が過ぎた要求をたてつづけにレンパツする,
    破廉恥な不平等条約を強要する


    あくどい經濟侵略と際限のない武力行使は,
    明治の時代に
    ときに富國強兵,ときに血の代償,おおむねコクエキと,いうが,
    しだいに
    東亞新秩序だの,大東亞共榮圏だの
    日本人にのみきこえのいい“大義” にまで名を換え

    その “大義” が
    “國益” のイデオロギーコクタイが
    日本中を,日本の臣民を,ぐりっぷ,していたのである

    (日本人の血はそんなには,流されていなかった時代にも,壓倒的大多,十倍百倍千倍する多くの,日本人以外の血,が,流されていたのでもあるが)

    日本の昭和はほんとうにヒドカッタ,
    が,
    そのジツ明治もひどかった
    國體,とともに肥大化した日本國民の欲望を巧みに利用し,
    やりたい放題,奪いたい放題は
    國益,の名のもとに正當化されていく


    ところで。

    ネトウヨとりべらるが過半数を占めるらし日本人,そのニホンジンが大好きな
    司馬遼太郎とかいう作家は

    明治のキラキラは活写したが
    ノモンハンは書けなかった。いや書かなかった。
    という
    批判はこれまでもなされている,が。ね。

    ネトウヨとりべらる以外に,といことになるかもしらんが

    ソノジツ
    しばりょうは,

    閔妃暗殺も
    東學党の “亂” も

    書かなかった。
    という批判もおおいにされるべきとおもうんだが

    何を書こうと書くまいとカッテ,なんだろうけど
    もっとも
    ノモンハンは,被害。
    東學の “亂” は加害。

    いっぽうは戰爭はコリゴリ史觀によって,あきらかならしめられているが,ね

    と。
    いろいろかんがえればかんがえるほど
    ますますコマカクチミツにフクザツにハラが立ってくるのである
    もはやマトモなことは書きそうもないのでここでやめるが
    やはり

    明治時代の暗部恥部はあんがいなことに隠されつづけたままになっていると


    ふんっ

    北方領土もそこからやり直せ,と言いたくなる

    ムチャクチャソボウナキブン



    河上肇④『日本獨特の國家主義』(1911) 單純合力,同一模型

    帝國日本軍がなぜ強かったか
    その理由がよくわかるうえ,なぜ最後に負けたのか,いや,
    なぜ先制攻撃が常に日本軍のメソッドとなっていたかもよくわかる。

    巨石を持ち上げる動機あり運ぶ意志あり,さはさりながら,
    もちあげり運べりとてそれを置く場所もなく,そもそもが
    置いてどうするの目途も理由もなければ巨石に壓し潰されるのみ。
    かくして玉の如き人命が石の如く砕け散る,

    日本獨特の國家主義


    九,日本の合力主義と西洋の分業主義――高度の愛國主義と劣度の商業道德――
     西洋の人物は特種の人格を有し,日本の人物は一色の國格を具ふ


     日本における國家主義の妙用は合力の方面に表れ西洋における個人主義の妙用は分業の方面に表わる
     分業も一種の合力なれど,ここに合力というはいわゆる單純合力を指し,複雜合力すなわち分業を除外するものたるやもちろんなり。
     たとえば何百貫という巨大なる石を動かさんには,數十人その力を合して同じ方向に是を推すを必要なるとするものがかくの如きは單純合力なり。
     しかるにこれと異なり,たとえば下駄を作るに各各その分擔を分かち,あるものは木を削り,あるものはこれを磨き,あるものは緒を作り,あるものはこれらの材料を組上げて一個の下駄となすが如きはすなわち分業なり。
     而して合力は日本人の調書にして分業は西洋人の長所なり。

     そもそも合力にして發達すれば必ず複雜となり(複雜合力は即ち分業なり),分業はまた合力を待って初めてその効用を全うするものにて,即ち合力と分業とは,例えば車の両輪と言うが如く本と兩兩あいならんで進歩するを理想とするものなれど,しかも日本人の長所は則ち合力に偏し,西洋人の長所は則ち分業に偏するを免れず。而してかくの如きは畢竟國家主義および個人主義の當然の結果なり。
     今日の時勢において最も能く合力の妙用を發揮するに足るの方面は即ち戰爭にして,最も能く分業の妙用を発揮するに足るの方面は即ち經濟なり。
     宜(むべ)なる哉,今日の文明國中,戰爭において最も強く,經濟において最も後(おく)るるものはすなわちわが日本に措いてほかあらざること。

     近頃西洋人が日本人の道德性について最も不可思議となせる現象二あり。
     その一は日本人が忠君愛國の精神に富めることにて,この點においてはさすがの西洋人も全く三舎を避けざるを得ざるなり。
     しかるにこの方面においてかくまで高度の道德性を有する日本人が,いわゆる商業道德の方面においては粗製亂造をはじめとして公然種種の背德を敢てして憚らず,これ西洋人の不可思議となせる第二の現象たり。
     けだし愛國的道德と言い商業道德と言う,斎しくこれ道德の範疇に屬するものなり。
     しかるに愛國的道德においては西洋人は到底日本人には叶わずと思えるに,他方商業道德においては日本人の德性ほとんど話にならず。
     これ西洋人の見て,以て大いに不可思議とせざるを得ざる所なり。
     しかしながら吾人を以てこれを見れば,此れ何の不思議にもあらず。
     なんとなれば,戰爭の際は日本固有の國家主義がその最高潮に達するの時にして,すなわち日本人の合力主義の妙用はいわゆる擧國一致の態度において最も能く発揮せらるるに反し,平素無事の際商業取引に從事するに當たっては,かくの如き妙用少しも發揮せられず、主として各人個個の人格に信賴しその自治に放任するのほかなければなり。

     思うに戰爭と言い貿易と言い共に外人と交渉接触せるの方面なるがために,その間に見(あら)わるる德性の差異,たまたま外人の怪しむ所となりしのみ。
     されば只に商業道德の方面におけるのみならず,公園にてはみだりに花を折り,汽車に乘るには互いに先を爭い,立食の饗應には紳士にあるまじき振舞いを演ずる等,いやしくも人格觀念を基礎とする道德の方面においては,日本人の短所として指摘すべきもの實に少しとせず。
     否な租税の納付というが如き國家的義務に対しても,平常無事の際,その國家主義の高調に達せざる時にあっては日本人の德性少しも疑うべきものなくんばあらざるなり。

     單純合力により何百何十貫と言う巨岩を動かす場合には,すべての人がおなじ方向に力を合わすことを必要とす。
     この場合において最も戒むべきことは,力の方向一ならざることなり。
     或る者は東に推し,或る者は西に推し或るものは北に引き或る者は南に引く等のことあらば,合力の効果全く挙がらざるなり。
     今ま日本人の主義はこの合力主義なり。
     故に日本にありては個人の人格を尊びその特性を重んずというの思想甚だ乏しく,而して統一主義畫一主義に至ってはその力甚だ大なり。
     故に日本人の間には特色ある人格甚だ稀にして,世に人物と稱せらるるものはほとんどすべて同一模型を有す。
     すべての人物がその力を發揮する所は直接に國家のためと言う同一の方向に向かってなり。
     而して人物の大小は,その同一方向に向かって直接に貢獻した力の大小によって評價せらるるなり。
     換言すれば,國格の大小が人物評價の標準にして,西洋にいわゆる人格の高下が人物評價の標準たるにあらず。
     故に西洋の人物は皆な個個得意の人格を具うるに反し,日本にあって人物として世に尊敬せらるる者は皆な一色の國格を具う。

     日本において尊敬せらるる人物はすべて國家のために貢獻する人人なり。
     官尊民卑ということここにおいてかあり。武尊文卑ということここにおいてかあり。
     而してあるいは煙草の製造に從事せる某某の商人,あるいは麦酒の製造に從事せる某某の會社が,しばしば國益の語を以てその利己的事業の哲學的背景となさんとせしもまたこれがためのみ。


         

            河上肇

             ※文中太字はすべて 玄の恣意による。





    日本人が組タイソウを好むのはこれが所以なるかとと頗る合點のゆくものなり
    役割分擔も合力が目的となるなら妙用なるを年少のころから覺えさせたるがためには何でも利用するに躊躇すべからず
    見物もまたおなじ同質同量の感動を分かち合わんとするにおいてや分かち合うもまた合力なりというべけん
    かくが故に,その危險を言いたて組タイソウいかがなものかといいつるヤカラありと言えども,組體,操せざるは以て日本人の本體を鍛えんがための日本本體體操體育の育成の道理に背くことなり。

    河上肇③『日本獨特の國家主義』(1911) 西洋“民主”國,日本“國主”國

    日本獨特の國家主義

    六,西洋諸國は凡て民主國なり、日本國のみ獨り國主國なり
      

     既に西洋にありては個人が主にして,國家は從たり。故に西洋の國體は皆な民主制なり。
     或いはその形式において,君主を置くあり大統領を選ぶありといえども,立國の根本精神は皆な民主にして,すなわち國を輕しとなし民を重しとするの主義なり。
     しかるに,日本にありては國家が主にして個人が從たるが故に,その國體はいわば國主制とも名づくべき一種獨特のものなり。
     故にこの根本精神にして變ぜざる限りは,◯◯◯◯◯◯◯◯◯
    ◯◯◯◯◯◯◯◯◯,日本は決して民主國たることなくまた民主國たり得ざるものなり。
     極言すれば,西洋にあつては國家は人民の奴隷にして,日本にあつては人民が國家の奴隷たり。




    七, 日本は神國なり――西洋人の權利思想と日本人の
       國家思想――西洋は權利國にして日本は義務國なり



     日本は神國なり。
     國はすなわち神なり,と言うこと,これ日本人一般の信仰なり。
     この信仰は明白に意識され居らずとするも,理を推して行かば一般日本人の必ず首肯する所たるべし。
     
     けだし日本人の思想によれば,國家は至善のものにしてかつ万能のものなり。
     國家は人民に對して害をなすものにあらず,否な,なすあたわざるものなり。
     國家は人民に對し如何なる事をも要求し得べくまた要求し得ざるの道理なきものなり。
     なんとなれば,前にもいえるが如く,日本人の信仰によれば,人民はすべて國家の機關にして,各個人は決して自存の目的を有しうるものにあらず。
     故に,いやしくも國家の利益のためならば,國家は如何なる時においてもまた如何なる程度においても,常に一定の犠牲を人民に命ずることを得べく,而して個人は既に國家の機關としてのみ生存しうることを信仰とするが故に,かくの如き犠牲の命令は彼らの絶對に反抗し得ざる所たるはもちろん,その犠牲の命令に對し道徳的批判を加うるの余地だも存せざるなり。
     かくの如きはたとい現在の事實にあらずとするも,少なくとも一般國民の理想たり信仰たるものなり。

     西洋にあっては個人が個人の利益を主張するということが權利なり。
     權利のことは英語にてライト(right)という。
     而してこのライトという語は元と公道正義の意を有し,ロング(wrong)即ち罪惡不正の意を有する語と相對するものなり。
     けだし西洋の如き個人本意の國柄にありては,各個人が自己一身の利益を主張す,と言うことが公道正義に合し,此れを主張せざるがむしろ罪惡不正なり。
     しかるに日本の如き國家本位の國柄においては,權利の主張は決してかくの如き道德的價値を有するものにあらず。
     故に英國のライトという語も,日本に譯されては權利という語となる。

     權は權道の權なり,利は私利の利なり,故に權利なる語そのものに本來道德的含蓄なし
     もし西洋のライトを直譯すれば正に正義となすべきものなれども,日本においてはかかる事は決して正義にあらずして,ただ義勇奉公ということが最上の道德なり。
     故に西洋を權利國といわば日本は即ち義務國なり。
     而して西洋の權利と言うはその本源を個人と個人の關係に發すれども,日本の義務と言うはその本源を個人と國家との關係に發せり
     そはともあれ,日本人の眼中腦中心中最も高貴なるものは國家を措いてほかあらず。
     故に日本人は國家のために何事何物をも犠牲にすといえども,何事何物のためにも國家を犠牲とするを肯んぜず。 
     國家は彼らがあらゆる犠牲を供する唯一神にして,彼らは國家を犠牲とすべき他の神あることを夢想だにもするあたわず。
     彼らにとりて最上最高最大の權威を有するものは國家にして,國家以上に權威を有するものあるべしとは,彼らの決して想像しあたわざる所なり。
     故に學者はその眞理を國家に犠牲にし,僧侶はその信仰を國家に犠牲にす。
     これ即ち,日本に大思想家出です,大宗教家出でざる所以なりといえども,しかも日本人は國家の存立と相容れざるが如き思想宗教を味わうの要求を有せざるが故に,彼らはかかる大思想家大宗教家の出でざることを悲しまず,あるいはむしろ悦びつつありというを得べし



     
    八, 日本においては天皇即國家なり,西洋においては
     天皇は國家の機關なり――日本における忠君と愛國との一致
     ――忠孝一本論および祖先崇拝論は時勢に適せず



     かくの如く日本人の神は國家なり。而して天皇はこの神たる國體を代表し給う所の者にて,いわば抽象的なる國家神を具體的にしたる者が我が國の天皇なり。
     故に日本人の信仰よりすれば,皇位はすなわち神位なり,天皇はすなわち神人なり。
     これ,帝國の憲法に,天皇は神聖にして犯すべからずと明記しある所以にして,この一条の明文は即ち日本國民の信仰箇条中最も重要なるなり。
     けだし前にもいうが如く,我が國の天皇は完全無欠の國格を保有し給い,國の政治においては,ただ國家公の利害を以てその利害とし給うのみにて,別に何ら私の利害を有し給わず。
     故に日本においては,國家と天皇とは一體にして分かつべからず。
     而して國家はわれらの神なるが故に,天皇はすなわち神の代表者たり。
     故にわが國ありては,愛國が最上の道德たると同時に,その愛國と言うことはやがて忠君と同義なり。
     知るべし,日本民族の特徴は忠孝の一本にあらずして,愛國と忠君の一本にあることを。
     これ吾人が,忠道奨勵の前提として孝道を奨勵せんとするものを愚なりとする所以なり。


     西洋にあつては、すべての人が個人の立場よりする人格を有す。
     故に君主もまた人民と同位同列の人格者なり。
     否な彼等の思想によれば,個人は個人としての人格を保つが故に貴きなり。
     故に君主もまた一個人として人格を保ち,、一個人としての私益私利を用す。
     故に西洋流の思想によれば、君主は決して國家と一體たるあたはず,國家以外別に隔離獨立したる人格を有するが故に,
     君主は即ち國家の機關たり。

     これ西洋の國法學が皆な一様に君主の地位を説明して,國家の機關となす所以なり。
     しかるに,日本においては君主は國家と一體にして,而してすべての個人がその君主なり國家なりの機關たり,道具たるものなり。
     ともあれ日本人の信仰によれば,天皇は完全に國家を代表し給うものなるが故に,國家は神なりとの思想を推して天皇を神聖となし皇位を神位となすものなり。
      
     世あるいは祖先崇拜,民族同祖のことをいいなし,以て日本人が天皇を神の代表者となすの信仰を説明せんとするものあれども,余の見る所によれば,こは,甚だしき誤解にしてしかも甚だしく危險なる誤解なり。
     けだし,祖先崇拝の宗教は(これを以て祖先尊敬の美俗と混同することなかれ),各國古代の歴史および現存野蠻人の状態に照らして考うるに,最も幼稚なる未開時代の宗敎に屬するものにて,いわば野蠻人の迷信無知に基づいて發生したるものなり。
     乃ち彼らの迷信によれば,死者の靈は死後なおその生活を持續するものにて,この神靈常にその子孫を保護し,子孫をしてよく禍を避け得さしむ。
     故に彼らは死者の靈を崇拜し神としてこれを敬畏するものなり。
     而してかくの如き宗敎は,幼稚なるすべての社會において常に見る所,決して日本人獨特の宗敎たるにあらざるなり。
     ただその日本獨特と稱すべきは,かかる宗敎が次第に發展してついに今日の如き國家崇拝敎となりたる點にあり。
     即ち今日の日本人が天皇を神の代表者となすは,己(おの)が祖先を以て神と信じ,而して皇室を以て同祖の宗家となし,祖先を神とするの信念を移してその家長たる現在の天皇を神の代表者とすというにあらずしてただ,國家を神とし,而してその國家の代表者として現在の天皇を神の代表者として仰ぎ奉るものなり。


         

             河上肇 


            ※文中太字は 玄の恣意。





    わが日本において權利の主張は公道正義にもとるかのごとくいいたるもの多くして
    即ち罪惡,不正反日の意を有するの語として忌み嫌われるジンケンも術語の翻譯を按じきたれば故なきこととはなっかりけりっ

    河上肇②『日本獨特の國家主義』(1911) 天賦人權、民賦國權と天賦國權,國賦人權

    日本獨特の國家主義


     三,日本民族の特徴は今の時に於いて最も顕著なり


     吾人の見るところによれば,西洋人の歴史と日本人の歴史と,此れを古代に遡れば,相似たる所すこぶる多きを覺ゆ。
     しかしながら,進化は即ち分化なり。乃ち今の西洋人を以てわが日本人に比するに,両者の間における民族的特徴の差異またすこぶる顕著なるものあるを覺ゆ。
     而して以下論究せんとする所は,すなわちこの現在における民族的特徴の差異なり。
     語を換えて言わば,吾人は過去の日本人よりも現在の日本人を以て發展したるものとなし,從つて日本民族の特徴も過去におけるよりも現在において,最も能く發揮されたるものとなし,從って又日本人の偉き所以を過去に求めずして現在に求めんとするものなり。
    ――(吾人は固より現在が歴史の産物たるを知る。しかしながら幼年期の生育に有益なりし牛乳は必ずしも壯年期の食料となすに足らず,壯年期の發育に適當なりし運動は必ずしも老年期の衛生法となすに足らざるが故に,吾人は現代の日本が今日の如く偉くなりたる所以を研究するよりも,今日の偉き所以を研究するの必要なるを信ずるものなり。否な,現代の日本が今日の如く偉くなりたる原因を研究して將來の日本を偉くせんとするの主義を否認し,むしろ今日の日本の偉き原因を研究し,此れを以て將來の國是を定むるの參考とせんと欲するものなり。
     かく抽象的に言いたるのみにては,吾人の態度は未だ明白なるを得ずといえども,仔細は請うこれを下文に徴せられよ。





    四,日本の國家主義と西洋の個人主義


     余の見る所によれば,現代日本の最大特徴はその國家主義にあり。そもそも國家主義の語,すでに日本獨特の術語にして,嚴格にこれを歐語に翻譯するを得ざるほどなれば,その主義の精神のごときは全く歐米人の諒解すを得ざる所なり。
     けだし日本現代の國家主義によれば,國家は目的にして個人はその手段なり。
     國家は第一義のものにして個人は第二義のものなり。個人はただ國家の發達を計るための道具機關として始めて存在の價値を有す。
     故に假りにももっとも極端なる場合を想像して,もし,すべての個人を殺すことが國家の存立を維持するため必要なる場合ありとせんか,たといすべての個人を犠牲とするも國家を活かすということが,國家主義の必然の論理的斷案にして,現代日本人の倫理觀はこの斷案を是認するに躊躇せざるものなり。
     しかるに西洋人の主義は,國家主義にあらずして個人主義なり。 
     故に彼らの主義によれば,個人が目的にして國家はその手段たり。
     個人は第一義のものにして國家は第二義のものなり。國家はただ個人の生存を完(まつと)うするための道具機關としてのみ始めて存在の價値を有す。
     故に假りにまたもっとも極端場合を想像して,もし,國家を滅ぼすことがすべての個人の生存を完(まつと)うするため
    必要なる場合ありとせんか,國家組織の打破と言うことが個人主義の必然の論理的斷案にして,現代西洋人の倫理觀はこの斷案を是認するに躊躇せざるものなり。





    五,西洋の天賦人權、民賦國權と,日本の國賦人權、天賦國權
     ――西洋人の人格と日本人の國格 



     かくの如く西洋と日本とは建國の根本趣旨が全く相違せり。而してこの根本趣旨の相違は,各種の方面にわたって彼我國情の上に種種の差異を派生しつつあるものの如し。今(い)ま,思い出のままその一,二を述べんか。

     西洋人の主義は個人主義なり。
     故に西洋にあつては個人を以て自存の價値あるものとなし自己目的性を有するものとなす。
     故に天賦人權の思想あり。
     人命を重んじ人格を尊ぶこと,日本人の想像の外にあり。
     しかるに日本人の主義は個人主義にあらずして國家主義なり。
     故に日本にあつては個人を以て自存の價値あり自己目的性を有すと看做すあたわず,獨り自存の價値を有し自己目的性を有する者はただ國家あるのみとなす。
     故に日本人には天賦人權の思想なくして,天賦國權の思想あり。
     個人の權利はただ國家の承認を經て始て存在す。國家はただその自存の目的を達するの手段として,個人に一定の權利を認む。
     個人の有する權利は,本來自己目的のためにあらずして,ただ國家の道具として役立つがためのものなり。
     故に西洋にありては人權が天賦にして國權は民賦たりといえども,日本にありては國權が天賦にして人權は則ち國賦たり。
     西洋にあっては人命を重んじ人格を尊ぶことが日本人の想像の外にあるが如く,日本にあっては國權を重んじ國家を尊ぶことがまた西洋人の想像の外にあり。

     日本にあっては,個人が個人として獨立の人格を有すというの觀念すこぶる乏し。極端に言わば,日本人には元來人格の觀念なし。
     しかしながら,彼等西洋人のいわゆる人格を所有せざるに反し各各國格を代表す。國格を代表すとは,國家の機關としてのその存在の意義を自覺するの謂いなり。
     西洋にあってもっとも高貴の人物はもっとも偉大なる人格を所有するの人物なれども,日本にあってもっとも高貴なる人物は最も多く國格を代表するの人物なり。
     畏れ多けれども日本の天皇陛下はすなわちもっとも完全なる國格を保有し給うものにて,國家の利害を自己の利害とし給い,國家の公の利害のほか別に個人としての私の利害を有し給わず。
     故に日本人の信仰よりすれば天皇は最高高貴の方にましますなり。
     陛下の下に統御せらるる各個人は,決してかくの如き完全なる國格を有しあたわず,皆な國家の公の利害のほかに,個人としての私の利害を有するものにて,而して日本人の信仰よりすれば,その私の利害を有すること多ければ多いほど,言い換えれば,その保有せる國格の少なければ少なき程次第に卑しき階級に屬するものたるなり。

     

           kawakamihajime2.jpg



           ※文中太字はすべて 玄の恣意による。



    吾人は現代の日本が今日の如く偉くなりたる所以を研究するよりも,今日の偉き所以を研究するの必要なるを信ずるものなり。否な,現代の日本人の偉くなりたる原因を研究して將來の日本を偉くせんとするの主義を否認し,むしろ今日の日本の偉き原因を研究し,此れを以て將來の國是を定むるの参考とせんと欲するものなり

    二種あり。止揚揚棄言い得て妙。 あうふへーべんなり。

    河上肇①『日本獨特の國家主義』(1911) 國民的自負と西洋輸入の反動

    わたしのよけいなブツクサ交えるより・・・

    そもそもが抜粹などできようはずもない秀逸の論考かつ,
    マルクス主義者河上肇の舌鋒鋭くもしかしどこか飄飄とした味のある
    名評論
    なのでそのままそっくり丸寫しすることにしたw
     
    國家主義,と對峙する個人主義,
    西洋列強,と對峙する日本近代の相對化がわかりやすくなされ
    なお,マルクス主義と社會主義のめざす社會そのある種「そぼくなかたち」
    をわかりやすく説明している
    明治四十四年大正元年前年,辛亥革命の年に,
    そして,ロシア革命いまだならざる時候に
    また河上肇の歐洲留學前に書かれた論考。

    河上肇は青空文庫でも公開が始まっているがこちらはまだなのダ
    わたしのブログは舊字體なので,その種のへー害はあるかとおもうが
    我慢できる方はどうぞお讀みください

     日本獨特の國家主義


    一, わが國目下の思想界
     

     東京を去りてより早く三年にもなりぬ。
    銀座日本橋通りは固より,かつて住まいたる駒込淀橋のあたりも,ここ數年の間如何に變わりたるやらんと思えど,たまに上京するも久しく滯留するを得ず、刺激多き帝都の盛觀も今やほとんど忘るるばかりなり。
    ただ時おり大阪に行き停車場を降りて右に曲がれば,高等有料便所というがあり,白き板に大便三錢小便二錢などと掲出せるを見て,さては脱糞放尿にも金のいる世の中とはなりたるかと。日本文明の著しきに驚かるるくらいの事にて,世相の變,目に睹ることまこと稀なり。
     平生多く書斎に閑居し,個人の議論を讀み古代の事跡を尋ぬるに忙(せわ)しくして,日日の新聞紙も見ずして終ること稀ならず。
     たまたま家を出づるも,鹿ヶ谷にて俊寛僧都を懐(おも)い,黑谷にて法然上人を慕うというの類いに止どまり,遠く遠く活ける現代の空氣に隔離せられ居るといえども,しかも刻下日本の思潮の浪の音は,近く我が山居の窓の障子にも驚き,小波時あってかわが心の海に動くの感をなすことなお稀ならず。
     たまたま文を徴せらる。
     流るる心をしばらくこの一稿に盛りて需(もと)めに應ぜんか。




    二, 國民的自負の時代、西洋文明輸入の反動時代


     余の見る所――感ずる所によれば,わが日本人の思想は明治四十年代を一期としてまったくその方向を轉化したるものの如し。
     思うに明治二十七,八年の戰勝は,大いに我が國民の自負心を強めしに相違なし。
     しかしながら,かの淸國人はわれらと等しく東洋人たるのみならず,その文明は我が文明の大部を構成せる要素たるが故に,我の彼に勝ちたるの一事は,いまだ以て東洋人たる日本人としてのわが自負心を惹起するに至らず,むしろ先勝の原因を以て西洋文明の輸入において我が國の淸國に一歩を先んぜしの點に歸せんとするの傾向を免れざりき。
     しかるに明治三十七,八年戰勝の影響は,おおいにこれと趣を異にするものあり。
     なんとなれば露國人は東洋人にあらずして西洋人なればなり。
     この西洋人に勝ちたりと言う一時,實に甚だしくは我が國民の自負心――東洋人たる日本人としての自負心を強めたり。
     從來西洋人にはとても叶うまじと觀念して,ひとえに西洋文明の輸入を計畫したるわが日本人は,この戰勝によりて,西洋文明必ずしも恐るるに足らず,かえって自家の文明に尊ぶべき或る物あるべしと考えうるに至れり。
     淸國に勝ちたる時は,此れおそらく西洋文明の賜物ならんとように考え居たれども,すでに露國にも勝ちたる以上はわが日本人は,他の東洋諸國にもなく又西洋諸國にもなき何らか偉大の特徴を有し居るに相違なしとするの思想勃然としてわが日本人の間に惹き起こさるるに至りたり。
     それ西洋文明の崇拜は,明治維新以來,上下都鄙を通じて實に國民一般の思想を支配せし所なりといえども,今やその西洋文明の崇拝は變じて輕蔑となり排斥となり,その輸入の歡迎は變じて警戒となり禁遏とならんとす。
     これ豈に驚くべき思想界の一大變化にあらずや。

     すでに日本人は,自家の文明に何らかの偉大なる特徴あることを自覺するに至れり
     ここにおいてか,輕率なる一派の人人は,何ら慎重の審議攻究を經ることなく,いやしくも今日の西洋になくして我が日本にあるものならば,その文明史的意義の如何を問うことなく,片端より手當り任せに,各各その思いつきに從うて復古的言説と運動とを開始せるに至れり。
     曰く漢學の復興,曰く家族制の復興(維持と言うよりも復古と言うに近し),曰く孝道の復興,曰く武士道の復興,曰く報德宗の復興,曰く何,曰く何,その發するところ各各異なれりと言えども,いずれも新たに展(の)びんとするの要求にあらずして,一に古きを守らんとするの要求たり。
     而してこれらのものをほかにして,學者の研究に見られし,著しき一般的傾向は,日本民族性の研究と言うことなり。
     倫理學者,史學者,憲法學者,經濟學者のあるものは近來しきりにこの方面の研究に志し,甚だしきは日本民族の特徴を高調して,あたかも現代の日本を謳歌するものなるかに見ゆる者あり。
     加うるに海外に漫遊し,または留學して歸朝せる人々の説くところを見るも,西洋崇拜の語氣を示すは甚だ稀に,むしろ多くは彼の短を擧げて我の長を示すに急なるかの觀あり。 
     
     これを要するに今の時代は西洋文明輸入の反動時代なり。
     わが民族の特徴を維持し又その特徴の真相を闡明せんとするの要求切なる時代なり。
     而して吾人は,この反動および要求を以て,社會の一部より起こりたる一時的の現象と見ることあたわず,民衆の底部より起こりたる永續的の現象たるべしと觀測するものなり。
     その故何ぞやというに,明治三十七,八年戰役の勝利のことは既に述べたり。
     思うにこの戰役たる實に國民的戰役にして,擧國一致,上下を通じてその戰敗を憂い,朝野を擧(こぞ)つてその戰勝を祝したる大戰なれば,その戰勝の産物たる自負もまた國民的自負にして,すなわち我らは自負するにおいてまた,擧國一致,上下朝野を貫きたるものなり。

     故に今の反動はその根柢廣くかつ深く,決して一部の思想家著作家の所産にあらず(明治二十年代の反動はすなわち然りき)。
     加うるに,維新以來西洋文明の輸入は極めて迅速の速度を以て行われたるが故に,爾來四十年を經過したる今日においては,そのいわゆる,西洋文明なるもの既に社會の最下底に到達し浸潤するに至れり。
     ――たとえば帽子と洋服と靴とは,巡査軍人の制服として以外において既に到る所の村落に見得るに至れり。
     而して西洋流の思想の臭味もまたこれらの制服に伴つて村落に入り,田舎漢の鈍き臭覺をも刺激し得るの程度に達せり。
     たとえば小中學の敎育を受けたる子の親に対する態度において。
     ――故に吾人は,今の時代の自負を以て國民的自負と見,今の時代の反動を以て國民的反動と看做し,從うてまた,その勢力の強大にしてかつ永續的なるべきを思い,乃ち明治四十年以降を以て明治思想史の改章の個處となさんとするものなり。

     かく考え來たらば,思想上の今の時代は最も大切なると同時に最も危險なる時代に屬することを知るに足るべし。
     なんとなれば,その自負にして,自負すべからざる所に行われ,かくて維持すべからざるものを維持し,變ずべきものを變ぜざることとなり,或いはみだりに,天佑を迷信し中華の謬想※に陥ることあらんか,わが日本文明の發展は,全くこれが為に,封鎖さるるに至るべければなり。
     ゆえに少なくとも,われら讀書人は,みだりに他の意に迎合せず,各各信ずるところを披瀝して思想の開發に努むること,蓋し刻下の任務ならん乎。請う,吾人をして,少しくその思うところを述べしめよ。


             『河上肇評論集』

         岩波文庫靑帶一三二- 七 『河上肇評論集』 杉原四郎編
     



         ※文中太字はすべて 玄の恣意による。



    ※余計なこととは思わなくもないが。いちおう。
    「中華の謬想」は,中國人,チャイナの間違った想念とかでわなく。 
    中華思想的,すなわち我が國家中心主義,
    我が國以外はみんな狄戎蠻夷とみなす,獨善的のかんがえかたのこと。
    こののち帝國日本が國家を擧げて,上下朝野一心同體まさにその獨善に陥りアジアを侵略したこといわずもがなのことだが

    つづく

    無主⑫惟神(カンナガラ)道是獨特天

    「そういう言葉のアヤ」,
    天皇の戰爭責任について記者に問われると,,そういうことは,文學方面の研究をしてないのでわからない,
    とか
    およそふつーの民屮にはもって理解のしがたいことを
    貴人の言葉,で,もってあっけらかんとのたまう昭和天皇
    だが。


    かつて,「滿洲國」皇帝,かつヒロヒト天皇の臣下であった愛新覺羅溥儀氏が,來日したとき,當時の皇太后(貞明皇后)に幻惑せられて,
    ほんとうに「滿洲國」も天照大神の照覧せらるる大地となってしまいたいと思ったのか。

    自身の今ある境遇を担保してくれるものはなにか。
    「滿洲國」民でも,ない。
    關東軍將校や有力政治家でもなく,(國際社會はもちろん,誰も溥儀氏を傀儡(くぐつ)としか認めていない)

    ただ,このニホンの國體だけが,自分を皇帝にしてくれたのであって,溥儀氏にとって
    ほかならぬ “それ” と「つながる」こと
    ひとつアマテラスオオミカミを奉戴する態度を示すことで皇祖の末裔にとりいり仲間に入れてもらうこと,
    喫緊に重要なことであったはずである,

    そういう認識のもとに,だったのだろうとおもうが,
    當時の「滿洲國」首都新京(長春)に建國神廟を建てたい,と溥儀氏がヒロヒト氏に承諾をもとめた(上奏文があった)とき,
    ヒロヒト氏は
    このように言ったという

    「中國には古來,祭天の信仰があるから天を祀るのが妥當ではないか」
                (原武史『昭和天皇』岩波新書105p 2008年)


    承諾,は,とくに,されなかった。
    そうだ

    明治憲法にある信教の自由に抵觸するから,天皇は承諾されなかったと拜察される,
    という侍從の岡部長章のコトバも上掲の本に引用されていたが

    (このブログでも何度か著者の原武史氏のことを書いているがわたしは率直にいって原武史氏が好きだ)

    ワケのわからないことだ。
    明治憲法は敷衍されることがダイ前提で,それに抵觸してはいかん
    「満州 “國” 民に信教の自由があると考える天皇」,
    という,侍從のかんがえも,まったくワケがわからないが
    また,
    ヒロヒト氏が,「滿洲國」とはどういうものか,というをまったく理解していなかった,
    との可能性ももちろんあるだろうが。
    よーするに,

    アマテラスオオミカミのおはしまします天とは,普遍の「天」ではない,

    という認識を持つ天皇。

    である。

    實際にはこの以前もニホンジンが群れなして住むところにはどこでも大鳥居があり,また,結局(天皇の意に反し)建國神廟もたてられたわけだが



    漢族にはもちろん
    天がある

    その “天” とは,
    漢族の,獨特の天,ではなく
    論理的に整頓せられ,世界のどんな天と爭っても,天であるとみとめさせうる論じつくされた體系をもち
    他の文明の天を認めることは吝かではないものの,がしかし,わが天はどの天にも一歩も譲らない

    どんな風に名づけられた天があってもいいが,われらの上天は,おおきな,遍く大地を照覧する天である,
    という,
    そういう天である。

    漢族の「天」の普遍性を信じないものは,漢族にはおるまいし,
    又その「天」とは別の地域では別の “名づけ” がされ,別の「神」格が定義される(おはしまします)「天」でもある
    と言う理性的な観念と論理。
    此天が盤石である,というその上で構築せられた,彼天との整合性


    どちらにしてもあくまで,
    ―「名づけ」られ方は違うが―,
    同じ天である。
    溥儀氏は,天の名づけをかえようとしていたのである


    そしてまた,二〇世紀において
    「天空」はひとつであり,太陽もまた一つであることが自明ではないヒトというのも
    いまい。

    しかし,天皇のプラズマティックなおおみこころのなかには,
    アマテラスオオミカミの照覧しないべつの「天下」の存在というのが,あっていい,
    とりわけ「滿洲國」はそれでいい,
    という
    そういうおもいがあったのだろうか?


    よくわからないのである。

    溥儀氏は
    漢族の天壇にアマテラスオオミカミをお迎えしたいというようなことをいったわけではない
    のだ
    天壇そのものを神社にしたい,と
    (ちなみに當時「滿洲國」が建てられた東北三省の民, “滿人” とはいえ實際19世紀,またそれ以前に流入した漢族の移民が多くをしめていた)


    ヒロヒト氏には

    「いっしょにしないでくれたまへ,溥儀君」
    というような不快なキブンもあったのかもしれないけれども。

    非常に内向きなことである

    アマテラスオオミカミとはなんだ?

    そもそも我がニッポン帝國があじあはもとより,万國に優れて一番なのダ、第一等のすぐれた美しい “國” なのダ,
    というのは
    天照は世界を照覧する神で,なんと素晴らしいことにはわが日本はこのカミサマのおひざ元に位置しているのである
    からである。

    という,それだけが,
    ただそれだけが日本が優れていることの昭明であり,證左であり

    中國を解放してやる,アジアを解放してやる,そのためには侵略してやるからありがたいと思え,

    と言う(これはわたしの言い方ではなく,實際,帝國軍人も政治家もこのようなことをいつでもはばかることなく公言している)
    昭和日本のしざまの一切の正當をいう,ただひとつの論據,
    であったにもかかわらず,
    その國家の元首であり,大元帥でもあった天皇が

    中國には中國の天があるんだからわざわざウチの神さんをおがまんでいい,

    などと,あっけらかんとしていう

    天皇の大御心を理解し得ないヒトビトはカンナガラ道を一生懸命布教して,
    天照大神と,その皇統の威徳を普遍化しようとがんばっていたのに。
    である

    俗人は
    惟神(かんながら)の道のおしえが「滿洲國」に浸透していく(カタチばかりに),
    そのことを
    おおいにことほぎ喜び,ココロ強く感じた。
    皇太后はじめ日本の帝國臣民のココロ。
    その裏腹に
    天皇はこんなことをいっていた,という・・・・。

    おどろくばかりであるが

    ジツに

    これが,まさに,

    コクタイ,

    である。

    というおそるべき


    淨闇

    もともと
    が「國力」,「國敎」より,臣民より,戰局より,
    なによりヒドロ蟲と野草をこよなく愛した生物學者にとって

    日の神論争など,天皇にしてみればどうでもいいことなのだったのだろう,か

    しかし。

    國體敎,いや國家主義,いや 「“國體” 主」主義のもと
    日本は・・・・・

    それも,つまり,
    國體護持も三種の神器も
    天皇にとっては言葉のアヤ,で,
    べつに
    ことの本質ではない,とばかりに,文學の方面の研究,ということでかたづけられてしまうのかもしれないが

    かんながらの道,とは,漢族の天に代わりうる “實力” や “實益” なく,

    つまりご利益をもたらすありがたいものではないが,
    万事,万國,万民のうえにたつ。

    という理解でいいのだろうか


    おもわずツッコミたくなるワケのわからなさである

    うえにたつ,がゆえ
    それは日本人の信仰のみによってささえられうる。
    けっこう繊細にして脆弱なモノ,

    なのかもしれない
    もちろんジッタイなどもとよりない

    この後。

    河上肇「日本獨特の國家主義」(1911年)について書こうと思っている

    いはく

     西洋人の主義は個人主義なり。
     故に西洋に在っては個人を以て自存の價値あるものとなし,
     自己目的性を有するものとす。
     故に天賦人權の思想あり。人命を重んじ人格を貴ぶこと,
     日本人の想像の外にあり。
     
     しかるに日本人の主義は個人主義にあらずして國家主義なり。
     故に日本人にあっては個人を以て自存の価値あり,
     自己目的性を有すと看做すあたわず,
     獨り自存の價値を有し自己目的性を有する者はただ國家あるのみとす

     故に西洋にありては人權が賦にして國權が民賦たりといえども,
     日本にありては國權が賦にして人權は即ち國賦たり。


    とか

     日本にありては,個人が個人として獨立の人格を有す
     という觀念すこぶる乏し。
     極端に言はば,日本人には元來人格の觀念なし


    とか

     日本人は國家に沒我すれど
     國家以上のものに沒我することあたわじ。
     故に我が國家の利益と世界人類の利益と衝突するの時,
     前者を取って後者を棄つと言うことは,おそらく一考することなくして
     多數の民衆のただちに答え得る所ならん


    とか

    言葉盡して,ニッポンの國體を説明しようとする。
    が。
    そんなカンジ

    無主⑫大逆

    如果人有靈魂的話,何必要這個軀殼!
    但是,如果沒有的話,這個軀殼又有什麼用處?
    這並不是格言,也不是哲理,而是另外有些意思的話
                      ――瞿秋白長汀獄中


    人には靈魂があるというハナシだが,それなら,この軀殼( “體” )がどうして必要か?
    しかし,もしない,というハナシなら,そもそもこの軀殼に何の“用” があるというのだ?
    これは,格言でも哲學でもないが,意外にちょっとしたイミが有るハナシだ



    昨夜,夢に幸德秋水が出てきた

    幸徳が,護送されていくところに出くわした,
    ひろい道の彼方から首枷をはめられて
    なぜかその首枷は水滸の挿畫でみるような手枷と一體になったバカでかい木の板だ,
    それを大勢の見物人に紛れてわたしが眺めてゐる
    なぜ幸徳秋水かと言えば

    大晦日から,
    ずっと昭和天皇のことばかり考えていたせいなんだろうか?

    その枷のハマった頸元を見ているとなにかつぶやいている
    聞こえない,
    聞こえないというそこがまたミソで
    聞こえないんだが何を言ってたのかはなぜかわたしはわかっていて

    そのうえでなんだろうと。

    考えている夢だった
    わたしの頭の中はどうもよっぽど都合よくできてるようで。

    眼覺めても何の驚きもない,何の示唆もない,何の發展も展望もない
    ミもフタもない夢をよく見る

    こういうことはよくあって
    一日考えてたことや見てたものがそのまんま出てくる夢
    ダンナにいわせるとそれは,あんたがコドモだからだ,と。
    ちっちゃいコドモがよく見る夢とかわらない,


    まぬけな夢だ
    夢の中で幸德秋水がつぶやいたのは

     聲なき聲,とは,なんだ

    であった,

    たしかにこの一週間

    聲なき聲,とは,
    よーするに

    新嘗祭の秘儀を執り行う天皇のみつめる淨闇のようなものなんだろう,

    そんなことをずっと考えていた

    ヒロヒト氏が敗戰の際,もっともきにかけたことは三種の神器を護りきることができるか,
    だ,
    當時は皇太子だった今上天皇に書いた手紙にあるように,それがまずの關心事だったと言う

      敗因について一言 いはしてくれ
      我が國人が あまりに皇國を信じすぎて 英米をあなどつたことである
      我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科學を忘れたことである

      ・・・・・戰爭をつづければ,三種神器を守ることもできず,
      國民を守ることもできず 國民も殺さなければならなくなったので
      涙をのんで 國民の種をのこすべくつとめたのである


    なぜ三種の神器かといえば
    北朝系のヒロヒト氏の正當,正統性は三種の神器,を持つ,というにすぎない
    譲渡されたからであるという,
    それだけである
    それだけであるゆえ,
    明治の時代に万世一系とはいうがその概念構築には瞞着,と言うかすこし無理がある
    南北朝正閏問題だが,
    幸徳秋水はそのことを,裁判で言い放ったと言う。
    しかしそれをいったところで

    北朝の天皇を正統ではない,といいはなつことは,もし北朝の天皇が正統であるなら大逆だが
    實際にはそうではない。
    幸徳は正當なことを言っただけである
    とはいえ
    これでは大逆の動機にも,謀反の叛意の辯明にもならないのはいうまでもないが

    幸徳がそれをあえて言ったというその意はどこから來たのか

    そもそも事件そのものがネツゾウなので,
    言わされた,というべきなのかもしれないが
    言わせる意,がさきにあって,
    言い放つ意
    その鬩ぎ合いがあったということか?
    しかし。


    大逆事件のフレームアップはなぜおこったかといえば

    滿聲載道,載道怨聲,
    それをおそれたものがかれらを處刑をしたのであろう?。
    そういえば以前その時系列をひたすら考えていたこともあった

    社會主義,無政府主義のおそろしい力を知ったのはどちらが先なのか,と言えば叛かれる側,
    つまり天皇の側である,そうでなければ捏造までして處刑はしない。
    叛く,と言うことが起こる以前に,
    叛くであろう,と,彼らを恐れることができるという能力と言うか・・・・
    その天皇の感性の鋭さはいったいどこからくるのだ??

    と。
    わたしはいつもこんなことばかり考えている

    差別する,という作為,つまり,意だ,
    その意と,
    差別者によってみつけられてしまう,被差別者との差異,それはどちらが先にある?

    とか。

    彈壓者と彈壓される思想とはどちらが先に生じ來たるか
    獨裁者と恐るべき大衆はどっちが先に生じ來たるか,とかw
    獨裁者彈壓者に必須の資質,とは大衆を恐れることができる能力だ
    ・・・・・・・。

    戰爭は防禦あってはじめて戰爭になる
    侵攻寇略しただけでは
    戰爭ではなく
    あいてが無限に譲歩していれば戰爭とはならないのである
    蔣介石や,張學良のように。

    相手が抗してはじめて戰鬪状態になる,
    とは,
    呆けのようだがほんとうにわたしはその端的な事實にきづいてびっくりしたことがあるのである

    戰爭,とは,どこ,から,をいうのか?
    という疑問
    日本の近代史を考えるとといつでもそこで躓く。
    出兵は戰爭ではない?
    駐留は?
    盧溝橋事變を起こした日本軍支那駐屯軍はなぜ,何を根據としてあの地にゐて演習をしていたのか?
    關東軍がそもそもあの地に駐留していたのはどういう正當性があってのことなのか?
    新しい戰爭をしかけてせーので,はじめるために帝國日本軍がそのときに,でかけて行ったのではない
    という,まさにこのことが
    いま,「戰爭」の後ろに「侵略」を隠してしらを切るひとびと,修正主義者の修正を容易にする理由づけとされているのだが
    その駐留の根據,正當性自タイは、帝國の武力侵寇の結果得た權益,利であった,

    だからこそ,
    その “正統性” を正當とは,もうしない,できない,そこにしがみつかない,
    その意圖を以て,第一次大戰後に,整合しようとしたのが
    これがパリ不戰条約の,そもそもであった
    そう,
    パリ不戰条約の “意” とはなにか,と言うことを書こうとしている今日この頃の目途だった。

    不戰条約の 意圖,意志,意義,だが

    戰鬪,そのものは,抗す,もしくは防ぐ,からはじまる,
    戰爭,は,膺懲によって擴大していったが。

    戰鬪についてこのような定義があることをおしえてくれたのは
    クラウゼヴィッツの『戰爭論』だ

    わたしにとって目からうろこであったが

    もちろんわたしは,マルクス主義陣營側の戰爭論とのつながりから
    讀み始めたのだが,(レーニンも,毛澤東もクラウゼヴィッツによく學んだという,)
    帝國日本でははやくからこれを研究していたという,
    ごくあたり前のことなんだが,
    それにもひどくびっくりしたことがあるw
    (これを最初にドイツ語から譯したのは森鷗外だったそうだ)

    『孫子』が兵法と言うよりはむしろ人間心理やモノゴトの見立て,哲學的考察に重きを置いた思想の書であるように,
    クラウゼヴィッツの書いてることは普遍的で,いわば,

    意,

    の所在を,彼處と此處,あとさきといったことを相對化をして論じつくしているように思え,哲學書のように面白く讀めたのだが。

    意,發意なくして何の現象,が。
    そもそもありうるというのだろうか,
    意,とは
    ソノジツ
    ネツゾウでもあるし。

    大逆。犯上作亂
    をあえてネツゾウしたお上,捏造された幸德秋水


    ところで
    幸德秋水の『死生』獄中に書かれ絶筆となったわけだが
    これ面白い。

    こんなことを書いている

     私が如何にして斯る重罪を犯したのである乎。其公判すら傍聴を禁止せられた今日に在つては,固より十分に之を言うの自由は有たぬ。
     百年の後ち,誰か或は私に代わつて言うかも知れぬ,孰れにしても死刑そのものはなんでもない。
     是れ放言でもなく,壯語でもなく飾りなき眞情である,真個に能く私を解し,私を知つてゐた人ならば,亦た此の眞情を察してくれるに違いない,
     堺利彦は「非常のこととは感じないで何だか自然の成行のように思われる」と言つて來た。
     小泉三申は「幸徳もあれで可いのだと話しておる」と言つて來た,
     如何に絶望しつらんと思つた老いたる母さえ直ぐに「斯る成行に就ては,兼て覺悟がないでもないから驚かない,私のことは心配するな」と言つて來た。


    ・・・・・・・・・


     死は古えから悼ましき者,悲しき者とせられて居る,左れど是は唯だ其の親愛,尊敬し若くは信頼したる人を失える生存者に取つて悼ましく悲しきのみである,
     三魂六魄一空に歸し,感覺も記憶も直ちに消滅し去るべき死者其人に取つては,何の悼みも悲みもあるべき筈はないのである,死者は何の感ずる所なく,知る所なく,喜びもなく,悲しみもなく,安眠・休歇に入つて了うのに,之を悼惜し慟哭する妻子・眷屬其他の生存者の悲哀が幾萬年か繰返されたる結果として,何人も漠然死は悲しむべし恐るべしとして怪しまぬに至つたのである,
     古人は生別は死別より慘なりと言つた,死者には死別の恐れも悲しみもない,慘なるは寧ろ生別に在ると私も思う。



    つづく

    欽此歌以淺,不測意中深。菊之恰刀鍔,永不止還心

    その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは

    哈哈
    樂府のいかにおもき,
    中國の章回小説の常套句,

    「それが證據に詩に曰」
    と。

    歌以言志,

    戦後日本の核心をうたうおうた。

    このようなうた,うたわれる
    くに。

    國家元首元帥元氣の元凶に
    このようなうた,うたわせる
    くに。
    それが日本だ。

    さらには。
    その事とは無カンケーに
    いかにスゴイ樂府歌辭か,《視刀鍔歌》が。
    いまさらながらよくわかった

    別離の意の象徴は,玦。
    決意促すときにも玦をさわる,とは、かの項羽と劉邦の鴻門の會でもおなじみ

    華夏震旦「支那」チャイナ文藝お約束のメタファーだが。

    刀のつばの象徴は,環。
    である

    つまりこの樂府歌辭,《視刀鍔歌》の,意は, “還る”
    ということだ。

    恨みごという男女のあいだのこと,

    別れを余儀なくされる,それこそ有情無縁の宿運の悲哀をまえに
    言葉,聲にいだされず

    哈哈
    まさに
    聲なき聲の意の深さよ
    と。

    そんなことはどうでもいい
    このヒロヒト氏と岸信介のつーつーかーかー

    刀と鍔のごとくして
    雲雨のごとき同病相憐れみあいつかず離れず
    相濡以沫,不如相忘於江湖
    信頼の厚きことこのうえなく

    正に,今上天皇とアベ晋三の
    不信,いや相互離反,敵對相視
    その表裏にぞありにけり,

    と言うことなのかもしらん

    いま,し,も,平成の “終わりのはじまり” ,大晦日と元旦にこれを報じた,
    朝日新聞。
    そのココロはとらえあぐねはするものの

    思ひはどうあれ

    意,深し。

    世情を映して塵埃拭い去れざる鏡の如く
    歌は世につれ世は歌につれ

    ミスターヒロヒト畢生の,いや,っ絶唱と言えるかもしれないご謹製御うた

    半藤一利氏が何を言うかはもちろん我我には興味深いけれども

    ココはぜひw
    國體ブンセキの第一人者,白井聰氏に訊ねてほしかった

    これはヒロヒト氏の意であり,
    岸氏の志であるところの
    志趣相投
    國體論,ヨリ證據ナ詩二曰ハク,だ

    到處殺人如刈草。の聖戰を十五年の長きにわたって遂行為された大元帥の,
    このようなうたうたわれるくに

    蓋しその通り。

    菊は刀の鍔であるとゆうワケか

    樂府歌辭《視刀鍔歌》

      《視刀鍔歌》    “Shì dāo è gē”

     常恨言語淺   cháng hèn yányǔ qiǎn,
     不如人意深   bù rú rén yì shēn,
     今朝两相視   jīn zhāo liǎng xiāng shì,
     脈脈萬重心   mò mò wàn zhòng xīn,




    正月早々きのう,だ
    2割引きセールでふらっとはいった近所のブックオフでみつけた

    『日本軍兵士ーアジア太平洋戰爭の現實』吉田裕著(中公新書)

    を讀み終えたとこだが。

    この本,なぜかたくさんあった。
    ケントギルバート,百田尚樹,竹田恒泰のうっとおしい本が山ほどある中に,

    近所の大學の講義でつかわれたのだろうか。

    まっさらの新品ぴかぴかもあれば,讀まれた(ページがめくられた)様子の本もあった


    今の若者がこれを讀む。
    永遠のゼロがいかに嘘っぱちかよくわかるだろうw
    いかに安っぽい “感動モノ” で,ブレインがウォッシュされていたかが

    めあたらしい内容といえば。

    水中爆傷」,
    また「壓抵傷
    興味があれば檢索してみるといい

    中國大陸の,陸軍,陸戰隊の戰線ばかり追ってきたわたしはこんな言葉を知らなかったが。

    ほかはおおむね,これまでなんとなく知っていたこと。
    われわれ世代が,(著者とわたしはまあ同世代といっていい)
    讀み知っていたこと,や,聞きかじっていたこと,が
    多い,

    しかし,なんとなく,ではなく,
    實證的學問的裏付けがなされて,きちんと書き表されていることに,
    ひどく感じ入るものがあった。

    上記二つの言葉を檢索すると見つかるブログの筆者もおおむね同じことを書いていた
    たぶんそうなんだろう。

    新しい意義を持って

    その事が,
    重い。
    いま,だからこそ。の。

    わたしは
    帝國日本軍兵隊の悲惨な實體のハナシ,から

    最近はとんとおざかっていたが。
    中國戰線,中國の戰場でおきていたことをまずは知りたい,というおもいから
    日本軍の兵士側から書かれたものは意識して遠ざけていた自分の,その長さにも氣づかざるを得ず
    ・・・・

    どうしても,
    日本人の,とりわけ太平洋戰爭以降の戰爭の被害者目線,
    戰爭はコリゴリ史觀から
    距離を置きたい

    加害をまずは見る
    かたくなに,そう決めてから,とおざかっていたあいだ。
    さまざま新しく露暴されたジッタイもとうぜんおおくあるだろう・・・・

    それはともかくだ

    出雲の空母化

    これが日本のゲンジツだ

    もう目の前に敵基地先制攻撃能力

    元來,對支一撃, 短期決戰,敵基地先制が日本軍のやりかただだ。
    それだけに
    宣戰布告もできようはずもなく、あくまで事變,ジヘンといいはる國であった。
    それは皇軍にあっては なぜかひきょうのそしりをうけるものでもなく

    皇軍の軍事思想のその歸結として
    真珠灣もあったのだ

    そして。
    このゲンジツが成就されるなら
    軍人の,見敵必殺,
    いや,
    民による臨陣格殺の五族協和「滿洲國」的文化の醸成されて

    よりおおいなる發展あるのも

    夢不成。

    夢ならず,ではない,
    夢ではないのダ,だ

    此時有兒不如無
    この時ばかりは兒有るも無きに如かず

    杜少陵樂府にいはく

    信知生男惡
    反是生女好
    生女猶得嫁比鄰
    生男埋沒隨百草

    君不見 靑海頭
    古來白骨無人収
    新鬼煩冤旧鬼哭
    天陰雨濕聲啾啾


    抗日戰詩にいはく

    八紘一宇言語好, 到處殺人如刈草 ――


    と。

    いや近代戰は女も使われるし
    そもそも。

    ジュネーブ条約「俘虜の待遇に關する条約」以降
    (帝國日本軍に限ってこの条項はカンケーない)

    曾て多く租界をかかえ,國際的に開かれた都市の多い中國大陸,
    都市攻略戰においては

     白人に見つかるとマズい
     強姦した女は必ず殺せ,

    と上官に命じられていた皇軍支那派遣軍だ,
    女に生まれたって侵寇されればたいへんだった
    もちろん從軍慰安婦の例もあるし

    と。ここは
    杜少陵に反駁したいものだが

    更には,それが常態化して
    奥地に行っても強姦而必殺,殲滅,焼却滅

    いずれにせよありとあらゆるところで,あますなく
    『メイワク』をかけた皇軍である

    いや,灣岸戰爭からは
    遠距離操作,
    これから先は自動殺戮だ

    オトコに女に生まれても侵寇されなきゃだいじょーぶ,だ
    やっぱり先制攻撃に如くは無し,だ

    まったくねんがらねんじゅうこんなことばっかりかいてるワケで
    ほんとーにしょーもないんだが。

    ・・・・・・。


    それにしても。

    『日本軍兵士ーアジア太平洋戰爭の現實』。
    四十一年から
    第一,二期を「戰略的攻勢と對峙」
    とゆう,
    帝國日本軍の軍事思想,それ,理のとー然として。そのなづけはわかる


    第四期「絶望的抗戰期」,
    ということばづかいは

    わたしには・・・・。
    違和感があり過ぎた。

    このことば,さえ。
    ・・・・・

    日本人の “戰爭コリゴリ史觀” , “ビルマの竪琴へーわ主義” 的

    加害無反省の
    日本人のつくりだした,となえだした

     免罪符的ことば,づかい,

    におもえてしかたない


    それが魚の小骨をのんだように引っかかる
    わたしがおかしいのはいうまでもないが。

    やっぱりこのテの本は讀まない方がいいのかもしれない
    ・・・・

    ふと考えてしまう自分に
    非常にサツバツとして,寂寞とした
    厭氣にも似た・・・・を
    持った。

    感情だが。

    20190103 23:50




    追;

    いや。抗戰が,なにも,どこかの “國” や,ナニカの主義の専賣特許,などと
    狭隘を,不快を,いいたているわけではない
    そんなことがいいたいわけではない。

    そうではなく
    かれら帝國日本軍,兵士の抗戰。
    たしかに,近代戰爭のうち,世界で一番淒惨,苛酷,に追い込まれた兵隊たち,
    と言うことは折り紙つきで

    わたしもその事に關しては,異論などありえようはずもなく
    その苛酷を言い立てるブログなら,それはそれ,人後に落ちずがんばるだろーが。

    その事を常に認め,
    彼らが地獄においやられていたことをいつでも聲を大にして言いたい,と
    このように思う。
    しかし。

    兵隊(士官将校ふくむ)の厭戰,精神的拒否,身體的抵抗
    いわゆる下剋上。

    それは,しかし,

    「抗戰」ということばづかいへの,
    ほかになづけようはほんとになかったのだあろうか,あるのではないか?
    というぬぐえない疑問が纏いついてくる

    すくなくともこのことば,
    の,理解
    への,思い入れ,の深い人であれば,こういうなづけはできないだろう。

    軍隊内の下剋上は
    ソノジツ,シベリア出兵(あかのことばでいえばシベリア侵略戰爭だ)の時代から
    あった。
    反抗,逃亡,
    日本の兵隊だって上官に虐められてるばかりじゃないのもいた
    したたかな勞働者もおおかったし,皇軍の強さはもっぱら軍曹、伍長の優秀に負うもの,とは
    相場が決まっている
    また,
    帝國日本軍兵士の脱走,しこうして匪賊化
    がなかったわけではあるまい

    いわゆる一次大戰後と
    柳条湖事件いわゆる滿洲事變までのあいだ

    出兵を繰り返していた帝國日本の軍隊において,
    上官への抵抗,めだたずも,反戰意識のデンパはあった
    アカが元氣だったころだったし。

    初期のプロレタリア文學,反戰文學を読めば,そのことはいやというほどわかる
    いわば,

    ・・・

    「希望的抗戰期」
    とでも名付けられてしまう時代かもしれぬがw


    そして,しかし。
    それをしも “抵抗”
    と,もし假にいうのならそれは,

    従軍慰安婦でさえ
    なしたこと。だ。

    アウシュビッツの少女たちの抵抗の生の “理”

    ということもまた

    つい,先から書いてきたことだ

    しかし。
    抗戰。

    ・・・・

    「絶望的抗戰」,と言う言葉は
    そもそもが
    語義矛盾,なのである

    それは,
    どんな立場からの,どちらの立場であっても,
    りべらるであれ,ねとうよであれw

    例えば,『持久戰論』(毛澤東)でもよめば,わかる,
    いかに,そのことばの,

    かるさ
    いいたりてないなさ,

    いやその見當違いもみえてくるだろうと。
    わたしには思える

    「絶望的抗戰」ということばの,不適當というのは,
    しょせん
    言葉選び,の,モンダイ,にすぎないのかもしれない
    つまりは言葉遊びの。
    だが

    抗戰?

    抗戰と言う概念を果たしてニホンジンは
    きちんと吟味しているだろうか?

    スペイン人民戰線 しかり。
    “自由” の戰線の。

    抗日戰。反ファシズム戰線

    “抗” 戰のイミ。
    そして意義,その固有の義しさ,というものを?
    どんなふざけた思想にも,固有の正しさはある

    はたして,なされてきたか?

    日本において。
    それらについての,考察と,「抗日戰爭」の意のすりあわせは。


    “抗” ,ということばにも, “戰” と言う言葉にも,必然的に “時期” と言う言葉についてさえ・・・・
    使われ方の輕きは否めない。

    そもそもが自家撞着したわけのわからん軍事思想の軍隊だ,
    名づけようにも
    いい言葉がないのだから・・・・

    そんな,これを名づけたガクシャ,だれだかしらないが,の笑う聲が
    宙宇のどこからか,

    しらじらと

    きこえてくるような,・・・・・

    そんな虚しさもあるけどさ

    戰爭は虚しいもの,だ,が

    たとえ
    「虚無」であれ,
    人間の體軀を通せば
    それは
    「現有」
    だ。

    それを,こそ,

    抵抗,と

    蓋しこのように考えるなら


    20190104 6:25

    聚民常思淺,只汝言語深。必定聲無聲,元帥不動心

     その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは

    元旦の他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン
    1面は昭和天皇は戰爭の反省をしてたとゆう。
    例によって最近朝日がいっしょうけんめアピールしている内容の。

    憲政史上最強,に。
    一方社會面は半藤一利氏。
    あさひはなにがいいたいのかさっぱりワケがわからん,とゆうことになってしまったが
    なんとなく。ほっとする,
    というかw


    おどろく。

    聲なき聲のおもいふかけれ。

    そうか。

    おもいがふかい,

    と。

    このようにおもっていたのか。

    聲なき聲とは
    たれのおお御心をおんおしはかりて。

    いや,だれの聲なき聲がきこえていたのかと。
    そのことを,
    きちんと實證した,おうた。
    重い、重いこと,このうえなく, 

    ニッポンにとって,その未來にとって
    この,
    まさに,うたうこころ,
    この心情の吐露

    これが公にされたことの

    意義,こそ,深し。
    重し。

    昭和史の,戰後に限って最大の汚點,
    という
    キがしてきた
    最大のナゾ,いやタブー
    いや,つーかー。
    誰もがわかっていて誰も口にできなかったということか?

    聲なき聲の所在。

    アメリカの深情け。

    深い恩

    偽りの平和主義者
    未來への囑託
    ニッポン州。

    奉戴したアメリカ
    献上された沖繩

    武力へのあつき信仰

    やはりにきさんすけへの信頼厚くあらせられたんだろうな,その當時も。
    そしてあの當時も,と。更にはあの當時もかっ
    と。
    輕いカンガイぶかさもあるが

    自らの臣民が苦しい時を,いきたこと,死にいきたこと。

    自らが臣民に負わせた “日本” の苦しい過去。

    昭和の天皇はなにをハンセイし,なにをかなしんでおられたのか
    なににおもひをはせ,なにをはづかしきとおもい,なにを・・・



     戰後平和淺
     人刀交融深
     兩相求同氣
     信賴武厚心

     聚民常思淺
     只汝言語深
     必定聲無聲
     元帥不動心

     欽此歌以淺
     不測意中深
     菊之恰刀鍔
     永不止還心



    見るべきもののありつるに,は,や,


    偽りあり,ニッポンのへいわしゅぎ


    半藤氏が,書かれた内容のうち,とりあげられた歌,その順番こそ。
    半藤氏のおもい深し。ズッシリとおもきおもいだ。


    哈哈 
    元旦そうそうヤナカンジだが。


     元旦の たれにぞ媚びる りべらるし
     おもひふかけれ 淺しひんぶん

    朝日新聞社會面

    歳暮天寒


    来年は,己亥
    五四から100年
    更に二巡,三巡ナニカ出版等いろいろ期待してしまうが

    來年秋白生誕後暦二巡 Láinián Qúqiūbái shēngdàn hòu lì èr xún.

      其一
     徹悟澈響精致秀     Chè wù chè xiǎng jīng zhì xiù,
     聲消身朽斯文有     shēng xiāo shēn xiǔ sī wén yǒu,
     嚢詩雖少大如光     náng shī suī shǎo dà rú guāng,
     新多霜痕常一帚     xīn duō shuāng hén cháng yī zhǒu 




      其二
     一劫仍仍梅一枝     Yī jié réng réng méi yī zhī
     作塵土就聚悲知     zuò chént ǔ jiù jù bēi zhī
     難忘世界清爽氣     nán wàng shì jiè qīng shuǎng qì
     花落又春移四時     huā luò yòu chūn yí sì shí

            20181229


         瞿秋白 24歳-1923年

     




     

    無主⑪

    自由主義の對立概念とはなんだろうか

    しかし。
    全體主義と國家主義は必ずしも重ならず。

    どちらが先に現れたのだろうか?

    ゼンタイと言う概念とコッカと言う概念はどっちが先にあったかを考えたところで,
    たとえそれがはっきりしたところで,
    どちらのシュギが先に出てきたか,わかることでもないが。

    「自由」であるならば,孤獨はあるイミしかたない,という

    自由思想と言うのはそういうものである
    個は孤である,と言う覺悟をもたなければ・・・・

    自由を貫くことはできない
    ばかりか,
    ジツはファシズムを招來してしまう,

    というのは,
    エーリッヒフロムの『自由からの逃走』を讀んだことのある人なら,至極わかりやす理屈であると思う

    民主主義と自由主義が行き着いたらこうなった。
    だからこそゆえ實現せられたナチスによる。
    ファシズム,
    である

    歐米ではだれもそこに異論などはさめぬ程によくひろく認知されている考え方だ,
    ファシズムの暴風暴壓の時代を通り抜けて,自由の意,はより深く理解されようとされ,より嚴しく吟味された。

    有名な
    ~からの自由,~への自由
    という二つの定義によって考察せられた,『自由』,である

    わたしのことばづかいでいってみれば

    自(~より)の由をもち,由ある主體である自分は,
    まずは,なにものからも自由であり(無主),そして
    自分は主體であると認識する自分へとむきあう,むかう。
    向う.嚮往する,自分。


    日本のりべらるが,集團で,もって,いっせいに印刷された「安倍政治を許さない」や,「ファシズムを許さない」を掲げる姿
    あれをみるといつもおもうのである,

    「この中にいれば孤立を感じなくてすむ,棲みよい自由」

    だ。
    わたしがりべらるに不信を感じるのはそこで
    また,これが
    日本人の,

     気づかなかったか,きづけなかったかはよくしらないけど
     
     帝國日本は正しく,日本のために素直に資源と富を差し出さない,
     暴戻である「支那」,日本は「支那」をたすけてやってるのに
     と言う構圖をあっさり肯定してしまった,分厚い層,かたまり,すなわち
     大衆,だ

    これをよく想起させるから。
    りべらるを見ていたくないとおもってしまうし,

    アイアムケンジの「同胞を護れ!」は
    居留民保護と暴支膺懲 を想起させる

    エーリッヒフロムの言を借りてくるまでもない,
    いや
    というより

     日本人に,その當時, “行き過ぎた自由” などなかったものの,
     自由デアルとナイとにかかわらず
     ただただやみくもに同調する性質,國家は義,國家につくすは善,
     天皇は神,正しさや美しさは日本にこそあると,信じてしまった

     孤立を恐れる心理は根深く,相互監視とファシズム體制がすんなりと
     ゆきとどいてしまう

     日本は全国民が「支那」侵略に熱狂した
     つきすすんで,滿洲事變,東亞新秩序,「北支」においてもヤリタイ放題
     ファショの完全なる到來と盧溝橋事變は殆ど同期,そして同義だだ

     喜び勇んで,祝勝して,兵隊さんをねぎらい,
     わが子の戰死に涙も見せ(られ)ない氣丈の母が賛美され
     そしてそれは,そうしておれば孤立することなく面倒も起きない。
     という,住みよさ,棲みやすさ
     孤立すれば下手すれば殺されるのである,軍に,官,に,民に,つまり “國” に。

    という,
    この大和民族にあってはw
    フロムの考察は通用しない
    全く役に立たない自由の定義,ということになってしまうんだが。


    自由とは,何か,

    無主である,ところの主體

    といったとき。

    ただ,孤,一個の一個人的人。

    だからといって,なぜ,孤立や疎外がつきまとうのか,それはおかしい,と言う空キ感,
    これが
    醸成されることはけっしてないだろう,と。
    悲觀的な気持ちにもなる

    自己責任や社會契約,その義務と言った議論は
    日本では
    “自由” の前提も追究も無しに,やみくもにおこなわれているだけだ

    “自由” を肯定してないやつがジコセキニンだけは,あるみたいにいうなとそもそもおもうし

    有主の奴隷には自由もなければ,自己責任もないのである

    このことの意味はハナハダ深い

    とわたしはいつもおもう。

    わたしは年末は,いつも暗いのだ
    ますますくらく,
    さいぎするのだ

    無主⑩クジラモンダイのアナロジー

    IWC脱退。
    クジラを食うことがいかん,という倫理觀念が,はたして,それほど正統性,正當性をもつものだろうか,という疑念はさておきだ。

    シーシェパードのムチャクチャもどーかとおもうし,牛ならいいのか,遺伝子組み換えはいいのか,
    だからといって狗やクジラがくいたいわけでもけっしてないが
    ハンバーガーは文化で,狗やクジラを食うアジア人を野蠻といって一方的に非難できるという,
    そもそもおかしいんじゃないですか,地球の在り方として,,
    ともおもうわけだが
    いや
    牛を食うことを教えたのは歐米人だ,
    と。
    そもそも牛肉がキライで食べられないわたしはおもうワケ。
    というのもさておきだ。

    いやちがう。
    カッテな種(タネ)をつくりだして大地を毀損し,その作物につかえる農薬も獨占してひたすら利をむさぼり,世界の農地をコントロールして搾取の対象とするグローバル企業ははたして正當な立場なのか,尚且つ種子の採取はイカン,風が運んでしまってかってに生えてもイカン,と,種子の獨占,そのためムチャクチャナな取り決めをするグローバル企業はまっとうなダンタイなのかのか。

    わけのわからないサーモン種を作り出してるヒトビトと,クジラを取って食う文化
    どっちが地球を毀損してますか?
    と,わたしもおもうし

    いろいろスタンダードがダブってしまって國際がいくら協調しようと聯盟したところで,正しさはなにか,など,だれにもわからない地球の状況であるわけだけど

    ルールはルール,法は法,
    だ。

    まがりなりにも
    種の保存のために人類はなにができるか,
    そのための,可能性を探り
    その法やルールを決めていこうじゃないか,という枠組みだ,
    IWCというのは。
    その中にいて一生懸命やってるひとたちは
    日本人やシーシェパードのような,あるいはクジラは哺乳類,知的でイタミをしるこころもつ動物を食べるなんてかわいそう,まで,雑多な議論を包摂してなお,より良い仕組みをかんがえよう,という枠組み。
    である

    クジラオタクな特殊なヒトビトの集まりではないのは言うまでもない國際捕鯨委員會だが。

    わたしのラオクンは山口県人で,
    山口県産で誇れるモノは,カンナオトとイワイシマだけ
    という,
    錯綜して複雑なジギャクネタをくちばしるヒトだが
    大のクジラ肉大好き人間,いつでもクジラが喰いたいとおもってるヤツ,

    それにしては予想に反して冷静な分析をして見せた
    いわく
    日本が沿海の捕鯨にシフトする,とは,遠洋を主とした山口の捕鯨にはカンケーない,東北の港は有利になるけど。
    山口の利権に結びつかないのによく安倍はこれ許したなあ,
    マルハニチロも,もうクジラはやらん,とキッパリ言ってる。
    國際的イメージをキにして食品小売り業界ネット通販もそっぽ向いてクジラ肉をあつかうことはしない
    要するに,これって,太地町だけが喜んでる状況。
    これからクジラの商業捕鯨に手を出そうというのもいなけりゃ,捕鯨船も老朽化。いずれつかえない
    商業捕鯨に未來はない。
    と。
    これまで調査捕鯨と稱して,わずかばかり存在するわれわれ「クジラ食」人種の需要を満たすことでうまいことおさまってた。
    おいしいところをこそこそ享受していた日本,なのに,この脱退は。
    複雑なクジラ肉をめぐる水産業界のオモワクの,そもそも,利に反すると。
    われわれクジラ肉好きも困る。

    おおむね,
    くじらに,そこはかとない郷愁持つヒトと,あんまりクジラ食に興味ない日本人のココロをも代弁している
    わりに,まっとうな,極論を排したブンセキ,だと,わたしには思われた。

    以下はわたしがおもったこと,かんがえたこと,だが・・・・。

    クジラにかんして
    このいきさつを

    ニカイ氏の執念にはさからえなかった官邸
    清和カイと宏池カイのよどんだ部分をさらに汰げてつくった「新しい波」はあとかたもなくきえうせたとみせてどっこいニッポンの老害もとい老獪はまだまだ元氣。さすがに志を帥としたキなだけあるね
    とゆう
    これを垣間見せてしまったことで,安倍政權にとってさえ,ちょっとばかり利に反する。
    日本のどこにもほとんど利をもたらさないばかりか,
    國際社會で日本の見識を問われる,という明らかな日本の國際的地位の失墜をもたらす,
    利,においても,理においても,あまりにもムチャクチャな。
    言わば “コクエキを損なって” 損害あまりある結論だ。

    なにがどうなったらこういう結論をだしてしまうのかほんとうに “理” の解に苦しむのであるが。

    わたしが,りかいにくるしみだす,と。
    すかさずきこえてくるのは

    D, N, A.

    ・・・・。

    戰 中 レ ジ ー ム 先 祖 が え り。
    も は や ど う に も な ら な い 
    あ き ら め ろ 考 え る な

    わたしの狂った認知機能は,わたしのなかのこのような大合唱にも抵抗するけど,
    わたしのなかのココロも。

     いいかげん理解をあきらめて以てサッパリしてみたらどうだ?

    そんあささやき聲があるのも知りながら。


    さはさりながら。
    病膏肓。

    ムシ。
    理解しようと考え始めてしまう
    何がなし,わたしにとって「タイムリー」,におもえる,「デキゴト」

    「タイムリー」,におもえる,「デキゴト」も
    しかしけっしてぐうぜんではないし。
    有因有果,である
    作為がある。
    と考えてしまう,考えずにおられない,

    痾。
    やもうているだけなのだが。もちろんキチガイあつかいされてもしかたないともおもうが。
    くじらのゆくすえ,などおわたしにはほんとはどうでもいいことで。
    やまい,というのはいわばならわし,積習惡癖なのだ
    宿習宿痾

    恰も,パリ不戰条約。
    かつて
    第一次世界大戰のあまりにも淒じい人類の悲劇,(と思われた,當時)を繰り返さないために。
    たしかに,そのとき,
    地球の恒久平和を目指し,頑張ってた人びとがいたのである。
    しかし第二次大戰勃發によって,結果この時,構築された理念,理想は,敗北した,
    そればかりか,理念は後退してしまったのだ
    人類は,ふたたび淒じい悲劇,――さらにおおきく,さらに重い―-をくりかえしたのであるが。

    かろうじて。
    どうにか。
    練りあげられた理念

    ――二,三の “國” のガンコなハンタイで侵略の定義をきっちり定めず,自衞の定義もきめられず玉蟲の色,解釋の余地を殘して,いくらでも,自國の理由で “自由” に戰爭できるという,非戰,ではなく,あくまで不戰,にすぎない条約――
    であったとしても
    平和構築を目指してねりあげられ,誓い合った平和条約
    これを結びえた理念
    というものがあった,

    そのあと

    その時,ハンタイしたガンコな二,三の “國” も,
    さすがにここまでの侵略行為,ここまでの自衛行為はよもや想定してなかったという,いき過ぎの驚くべき解釋をしてみせて世界をあっと驚かせた

    大日本帝國。

    そのキ質を濃厚にうけつぐ面面が専制ほしいままにしている現政権。
    である。

    普通のニホンジンはクジラ食にあまり興味もなく
    それよりクロマグロでしょ,ウナギでしょ,
    という聲が大勢の中でおこなわれた暴擧なので,それほどっ,めクジラ,たてるハナシではないのかもしらん

    しかし,
    かつては中國の利権奪取に正當をこじつけ眼の色變えていた帝國日本の實業界。

    松岡洋右と,クジラの族議員二階某では役者が違いすぎてはいるものの,だw

    そして,日本に及ぼす利益があまりにちっさく和歌山県だけのハナシ,
    と,
    滿蒙地域の豊かな資源,それが無しでは武力行使すらほとんどできえない,日本にはそもそ乏しい,とゆうところの鉱物資源,
    権益奪取と日満經濟ブロックで,ころがり込む利潤の大きさのハナシ,

    このふたつを
    いっしょくたにしてかんがえているわけでもないが。

    脱退を決めた當事者がどうかんがえているのかはともかく

    コトの本質は同じ,とみることはできる

    どんな出來事でも,コトの本質が同じ,と言う類推はかならずできるものであるし。
    歴史にまなべばアナロジーのネタはむすうにころがっている

    當時,クジラほどには關心をはらわれず聞く耳を持ってもらえなかった民族・植民地,の側からしてかんがえてみれば・・・・

    いま,クジラにむけられるあつい視線,情熱。
    人類,いや世界は,國際社會はひょっとして進歩しているのかもしれない――と,

    わずかばかり見えてくる希望はあるが

    そして「日本はかわらない」,と言うゼツボーがあるが。

    クジラが何を考えているかはほんとうのところはわからないものの,クジラたちの本音を讀み取ろうとその調査を一生懸命頑張っている研究者,「地球環境の」保護ダンタイ――地球の未來,と海と大地のために――
    そういう,ひたむきな努力,注力を一顧だにせず,この枠組みから脱退,つまり撤退
    いや,
    あえて書こう「敗退」,する日本


    と。


    ここまでシツコク考えを深めれば,(考える,の深みにはまれば)
    「コトの本質は同じこと」
    なのである

    暴論だろうか?


    暴論かもしらん。
    が。
    こういう暴論をあえてするひとにとって
    歴史というのは類推とメタファーの宝庫である
    敢てする暴論の動機がどこにあるかはともかくとして。


    過去を修正できると考える人も,未來を案じている人にとっても,今度のデキゴトが,

    「なにがなし日本らしいね,このクジラ聯盟脱退は。ニホンジンはかわらないね」

    世界中におもわれてしまうことには。

    おおむね異論はないだろう?


    大いに結構,日本は日本,唯我獨尊でいいと考える人人と
    いや,
    ルールの構築あってもいいけど,このルールは間違ってる,と考える人人がいる,とはおもうけれども。


    わたしのあたまのなかにはいつでも

    日本が帝國列強のマネをして好きなようにできた時代とは違うのであるにもかかわらず。(そんな時代においてさえも「対華二十一箇条要求」はあまりにもどギツイ,とおもってしまうがw)
    第一次大戰終結後世界の民族自決の潮流に,とりわけきづくことができなかった日本帝國。


    ほんとうに氣づくことができなかったのか?
    ほんとうは氣づいていたけど突き進んだのか?

    かつて日本人は,なぜ,あんな侵略行為を正しい,とおもいこんでしまったか。
    (そしていまも,その正しさを公言するひとびとの威勢がいい)
    という

    なぜだ?
    という

    理解に苦しみつづけるダイモンダイがあって。

    それををかんがえるよすがになることはなんでもよすがにするし

    一旦おわるつづく
     

    玄


        管理人: 少玄 (女子)


      
     楞伽案前, 楚辭肘後
     

      ― 本人不是佛教徒,
       當然是一個的詩囚 ―



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    * East Asia War &  Prolet’Kult contents
     日中戰爭とその記憶

    南京虐殺日中間の戰爭,その記憶 ①~⑥にすすむ

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     1931 錦州爆撃・張學良
     1933 熱河作戰・張學良
     1931 九・一八柳条湖
     1937 毒ガス使用作戰
     1937 淞滬會戰八・一三
     1940 棗陽戰(棗宜會戰)
     1940 宜昌作戰
     1931 抗日義勇軍・楊靖宇
     1943 常徳よ號作戰
     1935-東亞新秩序の前景氣
     1936 塘沽協定と熱河作戦
     1937 天津の支那駐屯軍
     1937 7・7盧溝橋事變勃發
     1938 漢口の國民政府
     1938 中國の抗日論調
     1938 國民政府 武漢防衛
     -1938 南京屠殺アトローシティ
       1 2 3 4  5 5 6

     1906 アナキスト的國粹主義者
     1907 東京 亞洲和親會
     1925 上海游記 芥川龍之介
     1949 『中國のレジスタンス』

     
    黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 1931
      『國境』 1931
      『』 1927
      『』 1928
      『武装せる市街』 1930
      『パルチザン・ウォルコフ』 1928
     竹内好  1910-1977
     ・
    日中國文學者からの告發
     ・帝國民間人のアヘン賣買
     ・中國の抗戰意識
     ・la résistance 同歸于盡
     ・ファシズムとパン
     ・經濟収奪の前段階

     芥川龍之介 1892-1927
     中野重治 1902-1970
     槇村浩 1912-1938
     小熊秀雄 1901-1940
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       日本人反戰同盟
       (1938-1945 中國)

       
       鹿地亘 1903-1982
       『自傳的文學史』(1959)
     第8章(前)・檢擧 拷問
     第8章(後)多喜二獄中志・死
     第10章・検察 釈放 脱出

       『中國の十年』(1946)
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      1 出獄から
      2 昭和十一年舊正月
      3 夏衍 蕭軍 左翼作家聯盟
      4 民族魂 魯迅との邂逅
      5 阿Q 魯迅の死
      6 七・七事變の勃發
      7 反侵略友誼的激勵
      8 上海 ルイ・アレー氏
      9  ホンコンへ脱出
     10 入境の日本人解放鬪爭
     11 武漢時代 國共合作
     12 武漢時代 朝鮮義勇隊
     13 武漢時代 日本人捕虜
     14 大移動 南嶽會議前後
     15 呉石將軍と廖濟寰氏
     16 桂林時代 蔣介石
     17 桂林時代 崑崙關
     18 重慶 反戦同盟總部
     19 湖北 陳誠將軍 恩施にて
     20 湖北 宜昌の前線
     21 ―新四軍事件
     22 郭沫若のこと
     23 重慶 ― 南進か北進か
     24 反戰同盟發展 
     25 重慶 破壊者 潜入
     26  天皇制の問題
     27 祖國 最終章


    * list of poetry    Anti-Japanese wars
      抗日戰舊體詩

      本ブログの骨幹です。
     一九三〇年代,抗日戰爭期,
     中國文人が詠んだ帝國日本の
     侵寇,掠略加害のありさま
     祖國の救亡のため抵抗し命を
     落としていった無數の草民,
     中華の大地,山河を忉怛し
     惜慯した哭詩,吊詞,哀歌
     口號,頌歌。
      抵抗者の忼慨をうけ連綿と
     傳えられてきた歌以言志。
     新・舊體詩,填詞,白話詩。
      歴史書の記述とは又,異なる
     日中の戰爭の實相が,曝され
     吐露されています
     以下クリックで直接進めます
      は特に御薦めする

      

      詩人詩篇題 INDEX

     田翠竹 1913-1994 湖南 湘潭
     《洞庭碧血》其四其二
     《血観音歌1943年作
     《重九》《甲辰雜詩
     《抗戰百詠・十首
     《還湘又將別家去桂書懷
     《避難吟荒江雪意
     《中秋后還家再去耒陽
     胡繩 1918-2000 江蘇蘇州
     《南京夜聞流亡東北學生
     《松花江上
     寇夢碧 1917-1990 天津
     《淪陷紀事詩
     黄假我 1916-1985 湖南寧郷
     《青年謠壬午五四青年節
     《柬呈柳亞子先生
     《暮春雜詠
     《過塘沽
     《瀋陽中秋對月
     《宿錦州
     《錦州廣濟寺前
     金紫衡 1914-? 河間瀛州
     《四周年瀋陽驚變九一八
     《沈監秋夜
     《瀋陽除夕寄徐
     《延邊辭歳1943年除夕
     《蘇武牧羊圖
     《山居雜詠
     《北平易幟
     《南京陥落
     《吊江南
      
     錢鍾書 1910-1998 江蘇無錫
     《故國》  《哀望
     《得龍忍寒金陵書
     張滌華 1909-1992 安徽鳳臺
     《南京大屠殺感賦
     盧前 1905-1951 江蘇南京
     《招西北之魂
     《百靈廟,更招東北之魂
     王季思 1906—1996 浙江永嘉
     《懐人五絶
     羅元貞 1906—1993 廣東興寧
     《路過上海有感
     《黄浦灘倚欄夜作
     《清明哭母二首》 《病裏
     《初到并州懷劉越石
     《中秋漫筆二首》
     《故都秋夕
     《送行
     《夜過景山
     張采庵 1904-1991 廣東番禺
     《勝利在望書此志喜
     《鬼意
     《亂離
     《秋夜》  《感憤
     《寇陷長春李君如玉僅
     身免南下相逢握手一慟

     聶紺弩 1903-1986 湖北京山
     《題 “藥” 兼吊秋瑾
     胡士瑩 1901-1979 浙江嘉興
     《過秋瑾墓感賦二首
     王禮錫 1901-1939 江西安福
     《再會,英國的朋友們
     何永沂 ?-? 廣東
     《報載日本首相參拜靖國
     神社憶南京大屠殺事感

      

     舒慶春 老舎 1899-1966 北京
     《七七紀念
     《沫若先生邀飲賴家橋
     《述懷
     《賀冰心先生移寓歌樂山》
     《哭王禮錫先生二首
     常燕生 1898-1946 山東
     《遊春八首選二》其一
     馮振 1897-1983 廣西北流
     《暮春
     《傷楠兒
     《野望
     《登蒼梧北山
     《草食人
     《病後
     《登銅石嶺最高頂
     林庚白 1896-1941 福建閩侯
     《次和炎南兄七七見寄韻
     《續丁丑雜詩六之一
     《水調歌頭,聞近事有感
     《丁丑雜詩三首
     《渡江至武昌
     《江岸散歩
     《月夜小步
     《七月十二夜坐月
     《浣溪沙
     《首都飯店聞警同北麗
     《病起聞警
     《江防
     《聞道二之一
     《難民來
     《夜聞鑿防空壕聲
     郁達夫 1896-1945 浙江富陽
     《贈光華報同人"/>
     郭沫若1892-1978 四川樂山
     《挽王禮錫
     唐鼎元 1894-1988 江蘇常州
     《哀瀋陽
     《武漢空戰三捷歌
     柳亞子 1887-1958 江蘇呉江
     《八聲甘州-次任潮將軍
     韻為亡友庚白先烈賦

     李濟森 1885-1959 廣西蒼梧
     《八聲甘州-林庚白
     先生香江殉難以表哀

     張鳦生 (不詳福建)
     《感事次達夫先生韻
     《南京失陥
     《七七掲開抗戰序幕
     《吊鑒湖女俠墓
     《贊東北義勇軍》二首
     《九一八感作
     《頌寶山姚子青全營殉城
     李大防 1878-?  四川開縣人
     《金陵作
      
    * list of poetry    Late Qing,Republican

        ☞瞿秋白 瞿秋白の生涯と詩作「形單影隻,孤苦畸零」雄魄 顛簸的一生

     史鐵兒 1899-1935 常州武進
      『餓郷紀程
    』1919-1923
     〔新體詩〕
      《心的聲音“遠”》1920年
      《去國答"人道"》1920年
      《無涯》(1920年)
      『餓郷紀程・跋』1921年
      《國際歌》 1923年
      《赤潮曲》 1923年
      《夢中鞋》 1923年
      《鐵花》 1923年
      《天語》 1923年
      《小小的蓓蕾》1929年
     〔舊體詩〕
      《詠菊》 1914年
      《哭母》 1916年
      《雪意》 1917年
      《紅梅閣  1926年>
     〔獄中誌〕
      《
    絶筆》1935年6月18日
      《浣溪沙》1935年5月
      《卜算子詠梅》1935年5月
      『瞿秋白筆名印譜

        


        ☞ 林庚白子舊體詩に すすむ

      林學衡 1896-1941 福建閩侯
     〔七言詩〕
      《次和炎南兄七七見寄韻
      《續丁丑雜詩六之一
      《丁丑雜詩三首
      《渡江至武昌
      《江岸散歩
      《首都飯店聞警同北麗
      《病起聞警
      《江防》 
      《難民來
      《夜聞鑿防空壕聲
     〔五言詩〕
      《聞道二之一
      《月夜小步
      《七月十二夜坐月
     〔詞牌〕
      《水調歌頭-聞近事有感
      《浣溪沙
      《菩薩蠻-送別
      《減字采桑子-雨夕書懷
      《曲牌行香子-
       -舊曆重陽樓望寄璧妹
      《琴調相思引-午夜聞歌
      《賣花聲-雨中樓望
      《鳳凰台上憶吹簫-
       -雨夜無寐》《-海行夜起》
      《滿江紅-秣陵感懷
      《摸魚兒 紅豆




      淸末民初“革命春秋”
     
     鄒容 威丹1885-1905四川巴縣
     《獄中答西狩
     『革命軍
     劉師培1884-1919江蘇儀徴
     《一萼紅-徐州懷古
     《賣花聲-登開封城

     黄節 玉昆1873-1935廣東順德
     《送劉申叔元日東渡
     秋瑾 璿卿1875-1907浙江紹興
     《滿天紅
     《杜鵑花
     《去常德舟中感賦
     《杞憂人
     《梅十首選其二
     《詠琴志感
     《讀書口號
     《殘菊
     《秋海棠
     梁啓超 1873-1929 廣東新會
     《讀陸放翁集

     章太炎 1868-1936 浙江余杭
     《獄中贈鄒容
     《辰州
     《亞洲和親會規約
     陳國常 1864-? 四川榮昌
     《徐烈士墓
     《秋瑾墓

     康有為 1858-1927 廣東南海
     《
    大同書成題詞
     黄遵憲 1848-1905 廣東嘉應
     《庚午中秋夜始識羅少珊
     魏源 默深1794-1857湖南邵陽

     《江南吟・其八
    * list of poetry     The Qing Dynasty 

        龔 定盦 龔璱人
         浙江杭州 1792-1841

       
      『平均篇
      『乙丙之際箸議
      『己亥雜詩全三百十五首
     〔七言絶句詩〕
      《己亥雜詩 百二十五
      《己亥雜詩 六十二
      《己亥雜詩 八十五
      《己亥雜詩 九十六
      《漫感
     〔七言詩〕
      《己卯雜詩自春徂夏全首
      《又懺心一種
      《常州高材篇
      《驛鼓
      《夜坐》其一
      《夜坐》其二
      《秋心》三首之壹
        
     〔五言詩〕
      《夜讀番禺集書其尾
      《又一首
      《戒詩》五章其一、二
      《自春徂秋偶有所觸拉雜
      書之漫不詮次得十五首

      《紀夢》七首之五
      《賦憂患
      《賦得香
      《觀心
      〔曲牌〕
      《端正好
      《醜奴兒令
      《念奴嬌 湘月
       龔自珍 編年校注 古典文學叢書
      ☞ 人痾芙蓉 阿片戰爭
    * list of poetry     The Ming Dynasty 

      屈翁山 屈大均 號 莱圃
       1630-1696 廣東番禺

       
      〔七言詩〕
     【屈大均詩集】七言絶句目録
     【屈大均詩集】七絶集 貮・參
     【屈大均詩集】七絶集 肆・伍
     【屈大均詩集】七絶集 陸
     【屈大均】《哭華姜百首》

      〔五言詩〕
     《哭内子王華姜》一三首
     《詠懷》一七首
     《詠古》二七首

      〔曲牌〕
     【屈大均詩集 詞牌
     《念奴嬌 湘月
      
      








    * list of poetry     The Song Dynasty

       文天祥 宋瑞 諡 忠烈
        江右人 1236-1283

       
       《劉琨
       《夜坐

       劉克莊 潛夫
        莆田城廂1187-1269

       《雜記十首》其二,其八






       元遺山 元好問 裕之
        山西秀容 金1190-1257

       
       《論詩絶句
       《孤劔詠
      《種松》 ,《出都
      《俳體雪香亭雜詠坐
      《壬辰十二月車駕東狩後





       陸放翁 陸游 字 務觀
        浙江紹興 1125-1210

       
      《夜歸偶懷故人獨孤景略
      《東籬雜題
      《雜書幽居事
      《水亭》,《八十一吟
      《卜算子詠梅







       邵堯夫 諡 康節
        范陽人 1011-1077

       
        《觀物吟
      《義利吟
      《自餘吟
      《乾坤吟二首
      《天聽吟
      《辛酸吟
      《論詩吟
      《夢中吟
      《不寢
      《洗心吟
      《晨起
      《寄楊軒
      《百年吟
      《感事吟
      《繩水吟
      《淸夜吟
      《歩月吟
      《月新吟
      《月到梧桐上吟




    * list of poetry     The Tang Dynasty

       李長吉 李賀
        791-817 河南昌谷

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       〔五言詩〕
       《申胡子觱篥歌
       《詠懐其一
       《詠懐其二
       《七月一日曉入太行山
       《潞州張大宅病酒遇江使
       《走馬引
       《古悠悠行
       〔七言詩〕
       《長平箭頭歌
       《酒罷張大徹索贈時…
       《綠章封事爲呉道士…
       《酒貝宮夫人
       

       杜少陵 杜甫
       712-770 長安

       《戯為論詩絶句》其一,五
       《詠懷古跡》五首其一,二


       孟東野 孟郊
       751-814 湖州武康

       ☞孟東野詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔全詩集〕
        壹・一~四卷(宋本)
        貮・六~十卷(宋本)
       〔樂府〕    《古怨別
       《古別曲
       《飢雪吟
       《寒江吟
       《苦寒吟》
       《遊俠行
       《羽林行
       《春日有感
       《游俠行
       《偶作
       《遣興》
       《
    聽琴》
       〔七言絶句〕
       《
    登科后
       《傷舊游
       〔五言絶句〕
       《旅行
       《邀花伴
       《古恩
       《閑恩
       《喜雨
       《春後雨
       〔五言古詩〕
       《答盧虔故園見寄
       《哭秘書包大監
       《送孟寂赴舉
       《寒溪》其三,五,六
       《夜憂
       《夜感自遣
      

        賈浪先 賈島
        779-843 范陽涿州 

        ☞
       《壯士吟
       《劍客
    * list of poetry     The Six Dynasties

       庾子山 庾信 庾開府
        梁 513—北周 581 

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       『庾子山・全詩集』上
       『庾子山・全詩集』下
       《哀江南賦・序
       《哀江南賦①
       《哀江南賦②
       《哀江南賦③
       《哀江南賦④
       《擬詠懷詩
       《詠畫屏風詩
       《望月詩
       《舟中望月詩

       庾子慎 庾肩吾
        梁 487-551

       
       《經陳思王墓詩
       《同蕭左丞詠摘梅花詩
       『庾肩吾・全詩集

       江總 江總持
        梁 陳 519-594

       《橫吹曲
       


       鮑明遠 鮑參軍 鮑照
        劉宋 414?-466

       鮑明遠 鮑照カテゴリーへ直接進む
       《代出自薊北門行
       《代結客少年場行
       《代升天行
       《扶風歌
       《學劉公幹體》其一~五
       《擬阮公夜中不能寐
       《冬至》,
       《代夜坐吟》

       
       江淹江文通
        劉宋 齊 梁 444-505

       《劉太尉琨傷亂


       劉越石 劉琨
        晉 224-262

       ☞劉琨カテゴリーへ直接進む
       《答盧諶詩・序
       《答盧諶詩
       《重贈盧諶詩
       《扶風歌


       嵆叔夜 嵆康
        晉 270-318

       ☞嵆康カテゴリーへ直接進む
       
    * list of poetry     The Han,Wei,Jin


       曹操 曹孟德
       沛国譙 155-220魏武

       
       《歩出夏門行

       曹子建 曹植
       192-232陳思

       
       《求自試表》上
       《求自試表》下
       《升天行
       《朔風

      漢魏晉 建安文學 三曹


      繁欽 繁休伯 建安?-218
       《遠戍勸戒詩
       《征天山賦
      繆襲 繆煕伯 建安186-245
       《屠柳城

      漢代樂府歌辭
       《戰場南



    * list of poetry    Pre-Qin and Others

      詩賦・樂府歌辭・偈頌
       
      南北朝・北歌
      《望月》蕭綱・梁簡文
      《隴頭歌辭
      《青溪小姑歌》南北朝末隋初


    * list of poetry    Japanese modern

      小熊秀雄 1901-1940
      『小熊秀雄詩集1935年
      『流民詩集1947年
        ☞ 詩篇 TitleMenu
       

      中野重治 1902-1970
      《新聞にのった寫眞
      《兵隊について
      《噴水のやうに》《歌
      《私は月を眺め》《波》4

      金子光晴 1895-1975
      《落下傘》《湖畔吟
      《燈臺》
      槇村浩 1912-1938
      『間島パルチザンの歌』
       ☞ 詩篇 TitleMenu

      金鍾漢 1916-1944
      《合唱について
      《一枝について
      《古井戸のある風景
      《待機
      《行状
      《空山名月
      《

      黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 『國境』 『
      『』 『武装せる市街
      『パルチザン・ウォルコフ』

      田邊利宏 1915-1941
      
    ☞ 詩篇 TitleMenu

     反戦詩人☞ 詩篇TitleMenu


      富澤赤黄男 1902-1962

       

      《蒼い弾痕》『旗艦』1939
      句集『天の狼』1941
      句集『天の狼』抄1951
      《風景畫》 『蛇の笛』1952


       短詩運動 大連『亞』  
       
       
       安西冬衞 1898-1965
      《黑き城》『渇ける神』1933
      『大學の留守』1943
      《砂漠》『軍艦茉莉』1929
      《夜の思料》『軍艦茉莉
      《八面城の念力》1933
      《砂漠の行者が臥てゐると
       鴉が食物を運ぶ

       『亞細亞の鹹湖』1933

       
       北川冬彦 1900-1990
      《
      《戰爭》『戰爭』1929
      《絶望の歌》
      《壊滅の鐡道

      《風景》《埋葬》『氷』1933
      《爛れた月》《斑らな水》
      『檢温器と花
    』1926
      《泡》『馬と風景』1952






     
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    * list of poets & link

     中國詩について
     中國詩はもともと,象形であるところの文字を使って詠まれている。つまり西洋詩にいわゆるサンボリズム,象徴詩,と言う「様式」は既に自得している。自得してしまっている。
     それが中國詩。
     古體,近體,舊體,新體,いつの時代のどの形式であっても漢字を使う限りそこから自由にはなれない。
     こうした作法の約束ごと,いわばクリシェ表現であるが,メタファーのいくつかでも知っているだけでも,漢魏の古詩は,類推しやすくそうとうにわかりやすくなる。
     まず,膨大なアナロジーの蓄積に眩むわけだが,漢魏六朝の古詩によってメタファーを知ると,唐詩は「表徴」と言うより「表現」そのものがおおきくひろがっていることがわかる,跳躍的に,である。
     さらに宋詩には,古來の中國思想に禪定(禪那 Dhyāna ディアナ)が加わり探究されて淒みを増した思想的表現の飛躍がある。
     Impressionism,Expressionism,
    そのどちらにおいても深化がある。
     これを,真に,深く實感すると中國詩の虜囚となる


     

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