天自得一②もののあはれな “人那不如月” 孟東野 《古怨別》 ,《古別曲》

    みやこにて月をあはれとおもひしはかすにもあらぬすさひなりけり
                                ―西行


    西行のこの歌がいつ詠まれたかは知らんが
    12世紀であることだけは間違いないだろう
    ベツに深い意味はない
    もののあはれなるものを WIKIでみてみたらばこれがでてきた,というだけ。

    とはいへ。
    もののあはれなるものは,日本人の發明ではないのではないかと。

    わたしがモトオリノリナガときくだけで,ゾっとしては,ムシの如くにギライするのは,
    單に,このひとが
    まったくちんけな世界觀を展開しては,いいつのってることが
    わたしの趣味に合わない,と言うだけでなく
    このひとの粗雜な主張には,「コンキョ」があって
    それはいつでも,
    「わが日本が海内に無比の上國,唐・天竺・西歐は下」
    である,と。

    ほぼ,それだけ。
    という論據の貧しさ乏しさゴーインさ。

    そんなのさー,

    西からのぼった太陽は東に沈むのだ,それでいーのだ,

    わたしにしてみりゃ,バカボンのパパの妄想とほとんど同じ。
    リクツ以前の問題,だ。

    赤塚不二夫の非論理性をわたしは愛するけれども。
    マンガだからいーじゃねーかは,ひらきなおるまでもなく
    それでいーのだ,が。

    「ニホンだけで通用するならいーじゃないか,上等じゃねーか,」
    と開き直った,モトオリノリナガ上國論法。
    しかもその開き直りは
    それでいーのだ,といわれて,そーか,そーかそれでいーのか,と
    侵略始めた無茶な帝國日本,と言う,不都合な史實に直結するかぎり
    この有害さと,無害なバカボンとは同列には置いて措けない

    近代日本人の最暗部に,蟠りもともと踞する本居宣長。
    なんだが・・・・。

    ベツに11世紀の源氏物語以前に,王朝文學的文學が世界になかったわけでもない。

    人類が,「もののあはれ」や無常にうちひしがれたのは・・・・
    日本だけに固有のジタイでもないうえ,
    はじめて問題提起がなされたわけでもないだろうに
    そこですかさず無常を確立させた,日本人っ

    といいつのるのも。まずハズカシイ。
    恥を知るのは,これ,ニホンジンと,これまた夜郎自大なハンバクもきこえてきそうだが。

    日本はレイプ國家ぢゃありませんっっ。なぜなら,ニホンジンは恥を知るからです,
    などと強辯してナンキンアトローシティをなかったことにできるとおもっているヒトビトを
    おカミに戴く,日本のゲンジツぢゃあるが

    無常
    うちが最初だっ,などということは,世界のどこでくちばしっても,
    相手にされない。
    “常 cháng”  , “無常 wúcháng” ,はそもそも日本語ですらない。
    とゆー。
    たしか,
    そう,漢語であるようなキもしないでもない。

    何~にが「漢意」だ,
    だったら漢語つかうな,とおもうわたしはおかしいのだろーか・・・w

    漢語には,漢の哲理,思想がみっちり搗きこめられているのだが。
    漢「言」を, “用” いて吐く,漢「意」の侮辱,
    その “體” はいずこにやあらん?
    天地にあるやなしや,構築された
    “意”“言” を侮蔑しながら,うちたてられた,理のない,「 論“理” 」モドキ,

    そういう粗ザツな論考に對峙し,あいたい(相對)して,

    「では,あまてらすおおみかみ,の,てらす “ あま” は,いったいっどこらへんからどこらへんまでかっ」
    などと。

    無敵のバカボンパパにたいし,あくまでキまじめに問い訊ねる上田秋成の
    「不」な論理性にこそ
    わたしは人類の未來をみたい,とおもうけど。

    それはけっして,キンシカガヤクニッポンの未來ではないことは

    い わ ず も が な の  ヒコクミン  あ は れ も の

    哈哈
    ええ,ムチャクチャ書いてます。




    キをとりなおして。
    孟東野 このひとは「支那」の八世紀の詩人だが

    處處得相隨,人那不如月

    Mingyue-wujiao.jpg

    入聲の音は,日本語の發音によく傳えられているので,
    脚韻として日本人にはとても馴染みやすい。

    咽・説とか,結・切,なんていう全く正反對の意味を持つ語など,
    脚韻字にならぶとそれだけでドキっとさせられる

    ということで,以下二詩。譯文はつたない意譯
    天涯共明月を,どうとるか。
    ふつうは,天涯,羈客は明月とともにあり,なんだろうが。
    あわせて《古別曲》を讀めば,なるほど,そうかとおもう。

     《古怨別》 孟東野

     古怨別

     颯颯秋風生  颯颯として秋風生ず
     愁人怨離別  愁わしく人離別を怨む。
     含情兩相向  情を含みて両(ふたり)相向かいては
     欲語氣先咽  語らんとすも,氣(息)の先に咽ぶ
     心曲千萬端  心,曲(折)するところ,千端萬(緒)あり
     悲來卻難説  悲しみおそい來たりかえって説き難し
     別後唯所思  別れて,のちに思うところ,ただ。
     天涯共明月  天が下,涯と涯にはなれけらしも,ともに明月ありぬ

     入聲 別咽説月




    寒蟲,號(さけぶ),(蘇軾の言),とまでコキおろされるような孟東野だ,それにしては温かいと思うんだが・・・・,どうだろう。
    いや・・・・やっぱり寒いことはサムいなw。 
    しかしながら
    “有情無縁” の女性との別れをうたった(まあ妻なんだろーが)孟東野なりの
    “纏纏綿綿”
    (ビンボーゆえ,一人出稼ぎに旅立つ遊子孟東野。)
    しっとりとした情歌なのかもしれん。
    難解でもなく狷介でも峭刻でもない。
    少し寒いだけ。異字もなく・・・・・とさっぱりとしてわかりやすい。


    (ちなみに遊子は遊び人のことでわない。
    “遊,游” にも山ほど海ほど意味はイロイロある。)


    このふたつ,孟東野自制の樂府,その歌辭であるから。
    本來,「歌曲」を前提にして詠まれている
    《古別曲》という篇名がまたいい。
    “古怨別”と言う詩を書いた,その“古詩”風の別 “曲”
    という意味なんだろうとおもう。
    なぜなら,w
    より “古詩” だからだ, 《古怨別》よりも。
    そんな感じwカッテなもんで。

    とわゆへ,漢語は複雜。
    輻輳して意味があるし,その “意” を驅使していけば,おのずと意圖せずして
    “象徴詩” となる,漢語による舊體詩,いわゆる“漢詩”のふかみだ
    これは,唐詩だが。

    ともあれ。
    この別曲がなければ・・・・。
    《古怨別》は孟東野にしては,あまりにも淺い(=ダサい),とわたしは素通りしかねないものだった・・・・・。
    別曲をよむと
    より,いっそうの寂寂寥寥の月を,そこにみる。
    なぜなら
    この月。
    鈎月だろうから・・・・きっとひねくれた呉鈎劒のような,と。
    なぜなら・・・・
    脚韻が入聲音だから・・・・w

    これもカッテなおもいこみだがそう思わせるのが, “漢”字の深み,漢古,古文の深み。
     
    おそらく,古,別曲とはそいういうことだ。

    近代日本で孟東野孟郊詩がホンヤクされないのはなぜか・・・・
    不思議だが,w

    moon1.jpg 《古別曲》 孟東野

      古別曲

     山川古今路   山にも川にも古今,路あり。
     縱橫無斷絶   縱にも横にも斷絶無し。
     來往天地間   來れりも往きしも天地の間(ま)には
     人皆有離別   人,皆,離別あり。
     行衣未束帶   旅じたくも(衣)帶も未だ束ねず
     中腸已先結   腸中,すでにして先に,結ぼれり
     不用看鏡中   要らず。鏡中用いて看るまでもなし。
     自知生白髮   自ずから知れり。白髪,發するを。
     欲陳去留意   ひそと,我去るを陳べんととどまるに
     聲向言前咽   向かいあいては,言の(出ずる)前に,聲,咽ぶ。
     愁結填心胸   心胸に填(こ)もる愁いは結びとじ
     茫茫若爲説   茫茫,もし説きいださば(はてなきをおそれる)

     荒郊煙莽蒼   荒郊,煙ぶる莽莽として,より蒼蒼,
     曠野風淒切   曠野,風は,淒淒として,切たり。
     處處得相隨   どこまでも相随いを得ん(月よ)。
     人那不如月   那(なんとなれば),人は,ああ,月に如かず
     
     入聲十六屑=絶別咽切, 入聲十月=髮結説月

      天涯の果てと果てに別れようとも,ともに同じ月を見ることが出來る
      しかし人と人は處處相随わねば,やはり遠く離れていくばかりだ,
      荒郊に,曠野に,ただひとり足を踏み出せば淒淒として月を見上げる。
      そして,
      おもう。
      
      人,那,不如月

      ひと,月にしかず,不如月(月におよぶべくもない)

    gokouken400.jpg

      
      
    この二つの詩,《古怨別》,《古別曲》
    荒涼荒漠の曠野に,皎皎たりの明月照らす, “別離” ,そのもの。
    ものがなしく,さびしく,うつくしい。
    さらに
    ここには無常もあり,無力があり,
    それを乘り越えようとする, 「“自” “發” 」的「批判心」がある
    ここでわたしがいう批判とは,「是非を判斷する」,と言う漢語だが。
    批難でも否定でもない。自己の到達しうる界を見定めるそこに “自分 zì fēn”あり,
    明確な「漢意」あり。

    ・・・・・。

    たとえば離別,という,語
    “離” には,受遇,の意味がある。
    つまり惡いことに出遭う,遭遇する意が含まれる。

    “離” という,ことばひとつとっても,その包括する意味の廣さ,
    離れることは出逢うことだという,情理
    去ることは行くことであるという,物理

    漢字一字の中に自他,主客を倒置させて,二重に,三重に意味がある。

    そこにはもちろん “なさけ” はこもり, “あはれ” はつもる。

    このとき孟郊がつかう漢字には一千年を優に超える,
    漢民族中華民族の歴史あり,
    克服してきた道のりでもあり, “個人” の萬感こもるものであり。

    萬感こもるなかに,“あはれ”,はある。
    理念も論理も構築しないはずの “一字” のなかにさえある。

    なぜ,「漢意」には,日本人の感じるような様な情緒がないなどと言い得るか?

    とりわけ,
    この詩において,もっともだいじなことは,

    “離” には,もともと。
    婦女の身に着ける佩巾の意味がある。
    だから結ぶ,切れる,
    “未束帶,已先結”
    と言う詩語が生まれる

    本朝,我が國の王朝文學が,それを知ってか,知らずか,
    掛詞や,縁語がパクリかオリジンかそんなことはわたしは知らないが。

    漢字を馬鹿にしてはイカンということだけはいえるw
    いや,絲のちぎれは,缺裂,結切,の “しるし” ,であり “きざし” であることは
    世界のどこでも共通する
    衣服ある限り,束帶はかならずある。あり。

    月はどこから見上げてみても。
    東西南北どこから見ても,夷戎蠻狄,いずこもおなじくだれでも感じられる “あはれ” の感性。

    もののあはれの一國ヒトリジメは理解したくないというだけでなく,

    他國の “みちのり” を,道と倫理を,
    モトオリノリナガは,むやみにさげすむから
    わたしには “あのヒトたち” の元祖に見えてしかたない
    人間だれしも感じる「あはれ」,さえ日本の専賣特許です,みたいなノリで,

    其れとは別に。
    ここから本題。

    月を見上げて。 その“無常” を感じるココロを詠むか,
    月を見上げて。 おのれの“無力” を感じる心情が「言志」
    となる詩を歌わせるか。

    というモンダイイシキのちがいもあるし,
    どっちもどっち
    「あはれな」ありさまに,キづいて,
    あはれに端を發して,言を用いて,體を表すことには變わりない。

    あくまで。
    その體が,自分であることを。
    發端とする「もの」が “自” ,であること
    これが漢人の, “天” と “自分 zì fēn” との相對だ

    「漢意」でもある。

    「漢意」の反対は,ではなにか,といえば,
    皇國意,だが,それはなにか,と
    わたしにいわせれば
     
    「依存」。依りて,存する
    依靠,
    天下は皇國の家屋敷,民は臣民。なのだろうか?

    「無常感」をいやすのは,いったい「自」なのか,ヒロヒトをはじめとする現人神なのか。


    天意とは?
    天民とは?

    天自得一天無既

    邵雍《得一吟》


    つづく


    どーでもいいが。
    わたしは西行はきらいじゃない。素朴にいいな,と思う心は持っているのダ。
    と言っても誰も信じないかも知らんケド。
    ふんっ ` ´

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    天自得一①意,言,在身 ~“形形色色” 

    邵雍《乾坤吟》

       乾坤吟 二首 Qián Kūn yín

      其一
     意亦心所至   Yì yì xīn suǒ zhì      意は亦た心の至す所
     言須耳所聞   Yán xū ěr suǒ wén.    言は須べからく耳に聞く所
     誰云天地外   Shuí yún tiāndì wài,    誰が云はんか天地の外に
     別有好乾坤   bié yǒu hǎo qiánkūn   “好” 乾坤有るなどと,す,な


      其二
     道不遠于人   Dào bù yuǎn yú rén    道は人において遠からず
     乾坤只在身   Qiánkūn zhǐ zài shēn   乾坤は只,身に在り
     誰能天地外   Shuí néng tiāndì wài    誰か能(あた)うか天地の外に
     別去覓乾坤   bié qù mì qiánkūn    乾坤を覓ねて去るなどはす,な

    意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください



    主語も述語も “用” にすぎない

    “漢語を使う” 東洋思想(=Not日本,主として古代中華思想,)の
    哲學者に言わせれば,主語も述語も “體”ではない。

    主,客と體,用はちがう。

    主客を用いて説明せられる,事象,物,その “體” において,
    その質を見いだす,とき
    (その質,とは,その實存いわば,レゾンデートルだが)
    その質を見出すのが,主體である。見出されるのが客體である

    “質” を見て,規定してはじめて,體がある,ともいえる。
    そこに,理,(肌理=きめ)と文(あや)が産まれ出ずる,と。

    とはいえ, “質を見る” のは體である。

    此れは天地が先か,身心が先か,という
    また。前か後か,内か,外か,という “處在”を常に考えつづけて,自身の自由と在宥を探し求めた『莊子』をはじめ,
    形而上と形而下をよく説明する儒家道家の世界認識だ

    かたち,とはなにか,
    “表現された實體” のことを漢語では “形” ,というのであるw

    形とは,漢語の理性では「象せられた 實“體”をいう。
    ということだ。

    つまり「實」,態様を,表現,したものが形である

    たとえば, “形骸” ということば,これは

    「かたちをむくろにする」,ことではなく,ましてや「形とは骸である」,なのではなく

    骸である形の状態,骸となったを,形骸というのである

    さらに,かたちをむくろにするような,しざま,のこと,
    その, “化, Hua, け”
    それをわざわざ形骸化,といってるのだから。。。

    なんだ?意外(意,外)と,やまとことばでもセツメイできるぢゃないか,

    ちなみにどーでもいーが,いまのニホンジンは佛教經典,(つまり釈尊ブッダの言葉や偈頌だが),そこに齟齬や矛盾があると

    すべては,中國でむかしおこなった漢譯,が惡い
    と言うことになってしまっているかのごとき。だ。

    (玄奘三蔵が惡い,と言うワル口は聞いたことがないのでやっぱり漢語がわるい,ということなんだろうw)

    それをゆーまえに,日本人が漢語をきちんと理解してないのではないか,と思うこと多々あり。

    空,即ち是れ色、色即ち是れ空。

    日本人はイロは,カタチのことだ,という。

    色は色だろーが。
    と,わたしはおもうし。
    ぬりえをやったことがない人はいないと思うがね。

    日本人は『般若心經』を『般若心經』のみで理解しようとする。
    金剛般若波羅蜜多こそが,「空」を説明しきった最初の大乘佛典であり,
    それをふまえれば

    イロは,カタチ,です。

    などと言う解釋はありえない,と思うんだが

    中國人にとって “色”“形” はおなじではない

    あたりまえだ,字が違うのだから。

    そんなテキトーなことは,
    佛敎傳來,以前はもちろん,以降も
    (孔孟『莊子』はもちろん,玄奘三蔵も鳩摩羅什も)
    ゼッタイいってなかったキがする。

    日本人が,「イロイロあるね」,というとき
    中國人は
    “形形色色”
    という。

    中國に佛敎がつたわるずっとむかし,ブッダの生きた時代とほぼ同時代。
    列御寇,つまり列子w,だが,(これはまさに『莊子』だ)
    有形者,有形形者;有聲者,有聲聲者;有色者,有色色者
    からきてるらしいがw
    “形形色色” ,といういいまわしの典據だが
    もとより,
    形形,生成形體。色色,生成顏色

    こうした認識論の嚴密,
    主と客,體と用を “用” いて、スキなく矛盾なく “理” としてみせた
    漢語による表現の思想體系があって,こそ,ゆえの
    六朝から唐代にかけて,佛典漢譯の大事業である,

    構築された,天竺に匹敵しうる哲學體系が,中華震旦にもあったよ,という

    もし色は形,といってしまったら,おおざっぱすぎて

    六租慧能はきっと大悟しなかったろう
    そもそも
    般若心經よりさらに初期の佛典,大乘,最,初期と言ってよい,
    金剛般若波羅蜜多いわゆる《金剛經》法身非相分。

    云:「若以色見我.以音聲求我・・・・・」

    ここには,中華思想のそれまでの哲學體系のなかに明確化されてきた

    實存在宥論ともいうべき 認識の法則がしっかり跡づけられる。

    “相” “好”とはなにか,ということがかたりつくされている,
    だから

    中國禪定,が『金剛經』『楞伽經』を礎として,遠く『莊子』を淵源とするわけはそこにある。

    形,色,相好をすべていっしょくたに “かたち”といって平氣ですましていられるのは日本語だけだ。

    kongou2.jpgChenHongshouNanhua4.jpg一切有為法, 如夢幻泡影,如露亦如電,應作如是觀

    “體” でないものに, “理” なる “性”,その質はあるか,

    また,意と言と。
    このちがいはなにか?
    主客,自他以前のハナシ,である。

    そこが,根源であるところの “生” ,その主體,
    “體” ,と “天地” はどちらが先か,という,認識論のハナシだ,
    これにキづいたときわたしの中にあった “西洋” は完全に崩壊したw

    さらにいえば,ニホンジンは
    “用” にすぎないものに,価値をやたら,こねつけるのはなぜなのか,
    言葉を發した途端に,それが正しさの “押しつけ” ではないかと身構えたりする
    “用” によっていちいち感化されては “體” ではない。

    「押し付け」ということばはニホンゴにしかないのではないかと,
    たしか憲法のハナシかなんかで書いたキもするが

    さらにこれも以前も書いたキもするが
    いっそうキメツケて論理の飛躍と牽強付會を。

    わたしは・・・・・
    “アレ”
    のせいで,ニホンジンはなんでもかんでも侘びたり,寂び,たりするんじゃないか
    とおもうが

    そもそも, “嚴密” のないなかに,侘び,寂び,といった 罅隙はみいだせるのか?という
    布があれば,緻密の中に缺裂があって初めて,この布「ボロし」とおもうのではないか?

    本居宣長のいう,また,日本人の論理性のなさを美化自尊する,
    もの,の,あはれ。

    (本居宣長が・・・・・
    わが愛する上田秋成をこっぴどく批判し,侮辱したことは日本の論理學史上(そんなもんがあるかないかそんなことはしらんがw)はしにもぼうにもかからんたいしたハナシじゃない,のかもしらんけど
    上田秋成の論理性はぞくぞくっとくるな。)

    一方。
    本居宣長の言ってる,もののあはれ,

     わたしにはなにをいってるかわからん。という。
     わたしの感受性にモンダイがあるのはいうまでもないが,w

    あの「もののあはれ」の強弁を

    “あいまい” をたっとぶ,日本人の非論理性,(いや論理拒絶の)淵源とみることは,
    まちがいだ,いくらわたしがモトモト本居宣長がきらいとはいえ,
    日本人の非論理性のルーツを彼に歸するとまではキメツケないがw

     なーにが,モトモト居りだ。

    とは,おもうものの。
     彼が,それでよし,としたことの弊害もなきにしもあらず,
     いかにもあり,そうぢゃあないですかい。

    日本人の缺點を最初に美化して,

     それでいいのだ。 ニホンジンってこんなにすごい,

    とやった元祖は

    バカボンでも,テレビ局でもなく
    モト,オリ,ノリ,ナガ。のおっさん

    此れ
    前も書いたナー
    “弟” にむっちゃウケて嬉しかったことを思い出す・・・・
    哈哈
    いにしへの しづのをだまきくりかへしむかしを今に,なす よし も が な

    邵雍《得一吟》


    にたようなこといってたハッラージュは10世紀,當然に處刑された。
    邵雍は11世紀,ふつーに六十いくつの天壽まっとうだ。

    ずいぶんカゲキなことを,書いていたが。

    すすんでるな。北宋は。
    イブンアル=アラビーは12世紀だ。

    Holy Roman Empire,ジーザスクライストをぬきにジツゾンを考え始めたのはいつか

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    孟東野 《春日有感》

    Han-yuhuai1.jpg孟郊《春日有感》

    高天厚地一詩囚 元好問

    孟郊詩は冬の凛凛たる冰氣を詠う詩が,やはり,それはそれはすばらしい。
    が,春の歌も意外と多くつくっており,また,これもよい。

    春ですが。・・・・。それが? なにか?

    “等閑”

    おおげさでなくものものしさもなく,今の言葉で言えばサクっと,か。
    重いことを輕輕にあらわしててみせようという心意氣と,魏晉の侠骨。
    古人の心骨をよくあらわす,―― 
    それが等閑,という語の,古詩における,ニュアンスだとも,わたしは思っているが

    また唐詩の粹(いき),洒脱のイメージもある。
    輕易=lightly, 随便=random, 簡單地=careless。

    が,この“輕易” のイメージで理解しようとすると孟郊詩は・・・・・・
    つまらないものになる。

    孟東野の等閑・・・・・。

    年がら年じゅう,寒い,みたいな男が歌う春のうた。
      
    やはりこのヒトの詩は・・・・ 重いっ。クラいっ
    が,わらわしてくれるのだ

      春日有感》 Chūnrì you gǎn 

    雨滴草芽出   Yǔdī cǎo yá chū    雨が滴りて草芽出ずる
    一日長一日   Yī rì zhang yī ri       一日,長じまた一日
    風吹柳綫垂   Fēng chuī liu xiàn chuí   風吹きて柳綫(線)*垂れる
    一枝連一枝   yī zhī lián yī zhī       一枝,連なる,また一枝
    獨有愁人顔   Dú you chóu rén yán    獨り有り,愁人,愁顔
    經春如等閑   jīng chūn rú děngxián   春を經て(我は)等閑*
    且持酒満杯   Qiě chí jiu man bēi      且,持つ,酒は満杯
    狂歌狂笑來   kuáng gē kuáng xiào lái   狂歌,狂笑,來(らい)


     廣韻入聲五 出日     上平五 垂枝
     上平二十七 顔閑     上平十五 杯來

     *柳綫=柳の葉の細く長い下に垂れて線のような様子
     *等閑=等(閒)↓


    東野風狂,漢古佯狂

    等閑,もしくは,等閒

    等閑は等閑(なおざり),と。

    非常に意味が愽い。
    日本語では,なおざりにされてるっが

    感性,時季,といったものにさえ左右される,もしくは應變する。
    かっちりと意味づけされる言葉ではないと思う。

    この《春日有感》の“等閑” は,理由なしの意味が,私には一番しっくりと來た。
    平白無故,である。
    無端すなわち,無縁無故にして。 no reason である。
    憑空,なんていう “没有證據”,あかしが無い,の意味もある。
    ほかに尋常,平常=ordinary,あるいは平穏無事
    まあ,
    べつにどれでもおかしくない。

    まとまりすぎてしまってもいけない,
    収斂されているべきものがみえなくなってしまってもいけない。
    それが,詩。
    であるからには。

    春を經て。意味無く,理由も無く。
    おのれには無縁の “春”,ただ,酒を呑むのだ,歌うのだ


    孟東野の場合,フクザツな個性が狙う古拙,とどうも思われてるフシもあるが,
    わたしはそんなことないのではないか?
    とおもっている。

    古拙な響きに,やはり正直な心象をうつす。隠し切れない。
    いくら隠そうとしてもwシッポがでてますぜ,

    とゆうぐあいに
    おかしみを感じてしまうのはたぶん孟東野迷だからに過ぎない
    ・・・・
    思い過ごしにスぎないんだとは思いますけどね

    “枯” の “裝いをねらう” も
    というか・・・・,
    佯(いつわ)るも”,が
    より嚴密な言い方かも知れない,

    おのれのナサケナイなさ,ふがいなさ への
    直截な “悔しさ”が
    にじみ出てしまっている,

    “涸”

    そこにこそ,漢古の侠(おとこだて)を感じる。
    この漢古とは。
    東野の場合,びんぼーくさい辛気クサい,に,ほぼ同義,という。

    わたしは孟郊の詩の嶢嶇峻嶮,峭刻の筆致を,絶對的に支持するけれども,この
    春日有感》のような, “樂府らしい”樂府 ,が
    たまらん,と

    東野の詩才wが,不作法にも,よく顕われでていると思う。
    顔,閑の音韻も,にくらしいくらいキいている

    ちなみに。
    段玉裁『説文解字注』によれば

    ,の本義は 。柵 引申していわく,“防閑”。つまり 堤也, 用于制水。
    あるいは欄也, 用于制獸。 引申して防備と禁阻を為す。  

    ふむ。

    等閑などとゆう言葉を平氣でつかうくせに,なぜに,せせこましい檻の中?。
    東野窮愁死不休,高天厚地一詩囚
    な東野らしい
    だから蘇軾にムチャクチャバカにされてしまうんでしょう。

    あの,ムチャクチャ口が惡い《孟郊ケナ詩》もあれはあれでケッサクだが。

    Han-yuhuai0.jpg

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    古體詩 《環状島》 ―Hazardsymbol 《缺》,樂府《老夫採玉歌》

    上海博物館的戰國蒲紋玉璧


        玦          Jué

       有名土中碧     Yǒu míng tǔ zhōng bì
       無論不凝血     wú lùn bù níng xiě
       潸然酸涙下     shān rán suān lèi xià ,
       湧滾惡水壁     yǒng gǔn è shuǐ bì
       原始愍燐火     yuán shǐ mǐn lín huǒ
       野光煌玉璧     yě guāng huáng yù bì
       象徴做離棄     xiàng zhēng zuò lí qì ,
       核電廠無絶     hé diàn chǎng wu jué



      

      “土中碧”は春秋時代の故事。『『莊子』『春秋左氏傳』記載
      蜀の人萇弘が冤罪で処刑された。潔白が晴れのち改葬しようと
      墓を檢めると,棺の中に血が凝ごり碧玉に化していた。 

        “無辜の人の恨みの血は土中に碧となって凝ごる”
          
      後世,ときの不条理によって,罪なき人の血が流されることを
      その恨み,怨嗟を表現する常套句となる。
      明末に,大虐殺のあった蜀の地。その慘酷の地は “蜀碧” とよばれた


    災禍であるにもかかわらず。
    人の犠牲,人の怨嗟がこのような象徴を生む。

    それは詩文の傳統,文化の華というべきものだが。
    何より,貴い美しい,いとおしむべき心情,あらわされるべき “真意” とは,
    なにか,

    つまり, “用” もて化 “體” さるべきは。

    象徴をもって “つたえられる” こと,それが,劂刀。 もて
    “雕 ” さるべき玉髄

    こうしたことがあった・・・・・という。その事實。
    その乗り越えなければならない血肉の長城

    慘酷の人間浩劫と天地の乖離を咒詛する民は。
    起きてしまったことは,必ず,その地の土で血算しなくては
    ふつうは,
    “民族 Nation” の “國家 Nation” はつづいてはいかない。

    國境線を,海で囲まれたシマグニでもない限り
    “土竟” を,たもてない。

    つまり,持つべき文の 化“體” およぶ “域”
    國域とは,土或すものにすぎす,
    とはいえ
    他國の横暴が引いた “國境” 線では “國” は決まらない。

    ついさきおとといに,そんなことをかいたばかりでまたしょうこりもないが

    象徴そのものが美しく人の心を揺さぶるのでは,ない,

    虐殺された無辜の民,その往き場のない,生き場のない血肉を

    その無辜の民のついえた望みを背負い,死につづけ,死につづけ,死につづけ,
    なお,抗日義勇軍に身を投ずることをやめなかった東北三省の若者。
    流亡して重慶を目指す若者

    東北抗日義勇軍の楊司令は

    自殺はおろか,餓死も凍死も,
    絶對に選びえなかったし,生きつづけなければいけなかった,
    長白山の雪山で,たった一人で抗日のレジスタンスをつづけた
    東北抗日義勇軍總司令は。
    帝國日本の警備隊と称する侵略部隊に,嚴重に包圍され完全に孤立してなお,
    屈服せず,幾日も幾日も命がつづく限り鬪爭をやめなかったのはなぜか?

    凍てついた土を掘り出して,木の根を齧り,戎衣の綿絮で飢えをわずかでもいやすことができただろうか?
    出来るわけがない,

    それでも,自ら死ぬことはゆるされない,ありえない,

    自殺,は,東亞の盟主コッカの討伐隊の長には許されても,ヒットラーにはゆるされても,
    甘粕正彦にはゆるされても,
    東北抗日義勇軍の司令には,ありえない,

    なぜなら
    自分の鬪爭を支えに
    わずかの望みを捨てずに生きる,滿蒙の民に
    にあきらめることをおしえることにほかならない,からだ,

    あきらめてはいけないとつたえ,自分もあきらめない,という
    その意はつたわる,必ず民につたわる,と信じることができる,そういう
    それほどの傑物,
    山東出身の彼は紅顔の少年時代から,自らいっさいを抗日闘争にささげていたのである。



    ・・・・・
    呵呵呵

    わたしは,ねんがらねんじゅうそんなことばかり書いている。

     でも,これはしょうがないのだ,
     今日初めてここにきた,と言う人をつねに念頭に書いてるのだから。
     くどいとおもうなら,どうか讀みに來ないでほしいというほかない。



    斬首,
    不撓不屈は,
    斬首される以外なかったのだ。日本軍の殺人軍刀,今現在の自衛隊の素敵なエンブレムも殺人軍刀だが

    抗日詩にいう
    “萬劫滄桑剩夕陽!” ,
    東北の,民に殘されしもの,夕陽のみ



    わたしの父の故郷は福島浜通りだが。
    わたしにとって,
    このブログにおいて “東北” のさすものは,dōngběi になってしまった。
    日本帝國の加害と日本の東北の被害者に遠く因源があることは,此れもまた間違いないが。
    語弊を招くのでくわしくはかかないが。
    農民は常に,どちら側の大地でも被害者になる。
    ほんとうの, “國土”
    “國” の或(有)する土をまもるのは,だれか。ということ
    “兵士” と言う職業がまもるのではない。

    こうもいえるがね。

    松花江上,森林煤坑において

    ヤン・ジンウーをおいつめたのは,
    正義の味方治安警備隊でも,匪賊討伐隊でも,ない。

    かの地の歴史においてはただの侵略部隊にすぎない,
    なぜなら彼らが治安維持をしていたのは,侵略者たちの權益にすぎないからだ
    どのように,美辭で飾っても。
    どんなに隊長がいい人で,温柔敦厚の,文質忞忞の,秀才だろうと,wwww

    いったいに。

    たとえば,だ。
    松井石根と,虐殺された民があの世で,肩を抱き合うことがあるだろう,強涙するだろう,と想像するやつがいるだろうか?
    南京城下で,母の腹を裂いて掻きだした嬰児を銃剣に差して,天に向かってほうり上げた兵士と,嬰児の父親が,強姦された婦の夫が。あの世で出会えば?

    かんがえるだに,侮辱的である。
    それはとりもなおさず,
    “民” への侮辱に他ならない。

    吹き出してしまうくらいの無邪気さ,
    そういうたぐいの文言を公にする九条の怪の…・女流作家。
    これが日本の平和主義,りべらるだ。

    ヤン・ジンウーのからだには東北の,ハルビンの,南京の虐殺された “民” と同じ血が流れている,
    ありえない。

    滿蒙の大地に沈む,困憊の日輪はまさに,萬劫滄桑剩夕陽,その夕陽が楊靖宇であったと。
    夕陽は又昇るから, “彼等”の英雄だったのだ

    どれだけ書いても全く言葉が通じる感じがしない。
    わたしの文章がいくらだめでしょーもなくても,だ,

    女流の文質をあえて擁護するひとが,いつか,ここにくるだろうか,
    とは・・・・・我萬萬沒有想到

    わたしには,もとより,意,が通じうるような言葉はない。
    と考えるよりは
    わたしには,ことばを通じさせようとする意,がない,
    と考える方がよっぽど楽だ,ということ。

    これだけが信じるに値する,たしかなことだ。

    さはさりながら。
    かかずにはいられない

     ―環状島  の τραύμα ―  トラウマ


     環孤島    Huan Gudao 

     環綰未壊毀      Huán wǎn wèi huài huǐ
     容易髄淪墜      róngyì suǐ lún zhuì
     人心填坎壙      rénxīn tián kǎn kuàng
     草茫埋碧匱      cǎo máng mái bì guì
     惡情映膩玉      è qíng Yìng nì yù
     翳光兆世瑞      yì guāng zhào shì ruì
     璧雖價連城      bì suī jià liánchéng
     不然完沈潰      bùrán wán chén kuì
     成爲於東西      chéngwéi wū dōngxi
     風自風孔吹      fēng zì fēng kǒng chuī

       去聲七  毀墜匱瑞潰吹


    *環綰=環の結び
    *淪=沈。
        物が沈むではなく,人倫,心が沈む
        あるいはあらゆるもの全て。かつて・・・・
    *髓淪=深刻な嚴重の影響をうける
    *坎=淺陋(底淺い)あな
    *壙=墓穴
    *匱=毀れ崩れる 
    *世瑞=世間的に言われる吉祥
    *璧雖價連城=藺相如の連城壁から。信義に欠ける,日本,という話
    *成爲於東西=どうしてこんなことがありうる?

              20170311



    恨血千年土中碧身死千年恨溪水

      日本に,一千年後は。あるか?
      
      侵略戰爭も五十四基の核電廠も現實。 

      國家の理のないなさがもたらす
      GIFT,だ
      人の心によって,人間に,浩劫おこる。
      天地の空,水,土,木が汚染される。
      すべて事象はつながりあっての因果得禍であることをおもう。


    日本人がイメージする碧はみどり。
    由って碧玉は翡翠をおもうだろうが。

    中國人にとって翡翠は實に多くの象徴と色彩を持つ。
    なかでも碧玉と言えば血赤,西に言うジャスパーストーン。
    大地の色。 
     
      汚染水流東, 水是洄洄土廻廻
      春風心土思, 心是恛恛向回回


    0311biyuilargesizered.jpg李長吉《老夫採玉歌》

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    七言。詠前往詩

    title=


     夜戚戚      Yè qi qi 

     切實是真無不實     qièshí shì zhēn wú bù shí. .
     何事惡滅好文質     héshì shì è miè hǎo wén zhì.
     孤單教我我讎囚     gū dān jiào wǒ wǒ chóu qiú
     惟知深明     wéi zhī shēn míng Shuāng Bái
       
         20170310 解題:孤單隻影。





     夜稠稠      Yè chóuchóu

     黯澹逗泥滯未流     àndàn dòu nì zhì wèi liú 
     洶溶昔畫情稠稠     xiōng róng xī huà qíng chóuchóu 
     竊心窺慯不凝血     qiè xīn kuī shāng bù níngxiě 
     愀夜惟知讎夜囚     chóuyè wéi zhī chóu yè qiú


       稠稠=液體濃厚的粘的

        20140813 解題:頭痛週間。右に傲の岸。左脳に燻灰。


            tonkou.jpg






    黑漆寥光的天雨,解素衣,衣緇衣而反,
    滲滲微光,眩眩仄黯,天對我不薄啊。
    是仁慈天道?

    錯。
    月皎皎。
    茫茫夜,
    銀灰色的星芒散落。
    涙眼涸。淪陥哄笑。
    敦厚好。
    膩哉。膩哉。
    貪!
    一枕黑甜餘,意弱少。
    然後我睡悄。



    Hēi qī liáo guāng de tiān yǔ, jiě sù yī, yī zī yī ér fǎn,
    shèn shèn wéi guāng,  xuàn xuàn zè àn,
    tiān duì wǒ bù báo a!
    Shì réncí Tiāndào?

    Cuò.
    Yuè jiǎo jiǎo.
    Máng máng yè,
    Yínhuī sè de xīng máng sàn luò.
    Lèi yǎn hé, lún xiàn hōng xiào.
    Dūn hòu hǎo.
    Nì zāi. Nì zāi,
    Tān! Yī zhěn hēi tián yú,  yì ruò shǎo.
    Rán hòu wǒ shuì qiāo.



    (脚韻:蕭豪 Xiāoháo 韻)

    20160310



    麥積山石窟  中國の佛像,

    甘肅 天水麥積山石窟 有餘涅槃の姿w・・・・

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    菩提本無樹,明鏡亦非臺。物化と忘却②抗戰詩ⅹ田翠竹⑤古體《血觀音歌》序・九解一首

    kounanhakusyoutaiga.jpg

    天長地久有時盡,此恨綿綿無絶期――長恨歌


    徽州の古民居はとてもうつくしい。紛牆黛瓦。
    徽派建築と言うのは,粉,おしろいのように白い粉牆,黛,すなわち黝い黑の瓦。
    おととし,抗戰詩を載せていたとき執拗に江南の水郷風景として載せつづけていた。
    粉墻と屋角。

    2017年3月8日,朝日新聞夕刊・・・・・

    ナルス殺虐ヲ民人ノ國中

    このメッセージはおそらく,郭沫若の第三廰,鹿地亘、馮乃超、らが所屬しし指揮しまた,手足となって活動した抗敵宣傳部のしごとであろう。
    郭沫若『洪波曲―抗日戰回想録』にはそうした活動の記述がたくさん書きしるされている,

    ・・・・・・。

    南京陥落以降,帝國日本軍の殘虐さ,その殺戮の無差別,を,いやというほど思い知った中國の民衆は,
    かれらは,しかし。
    酸鼻な復讐戰となり,対抗すべくもなく逃げ出した蔣介石軍,丘八どもの,もとより望むべくもない「庇護」をうしなった無辜の民間人はただ,ただ,屠殺,の対象となった。

      屠殺と虐殺の意味はちがうのではないか?
      中國人は屠殺と言っているのである,だから南京大虐殺はなかったのかも,


    などと,しれっ,とカキバシル,リヴィジョニスト,秦郁彦某とかいう
    修正主義史觀陣営の旗手もいたっけ。  ☞屠殺 tusha 
    これが,ひょっとして,おととし日本の外務省が在外公館が世界に配った
    そして世界で失笑されたペーパーにしるされた,
    わがニッポン一押しの歴史學者であるならば・・・・・,
    日本は物笑いのタネである。

    が,それが戰後70年談話フィーバーのころの日本の自慰史觀一家のマスターベーション,ちまい,策動だったw
    わたしは,ただ,ただ,ハズカシイ,とおもったが,どうか,やめてほしいとはおもわなかった
    そういうことは大いにやるべきだ,と。
    なぜなら,それが日本人のじつは自力で行い得た戰後の決算,わずかばかりの黒字のたまものだからだ,
    戰後日本人の,
    ムカンシンによって,膨大な赤字から目をそらしつづけ,若者の將來をそこねているのも同じ精神回路ならこれは,にほんじんの
    本性だからだ,といいかえるべきかもしれないが。

    はなしをもどせば,
    南京アトローシティ。
    無辜の民間人を,屠殺 Túshā すれば。

    先日,虐殺された小林多喜二のハナシを書いた,一人でも “虐殺” だ
    それが   “ひとり” ,より,たくさん,名も知らぬものをブチ殺せば,大虐殺だ,
    ナニカ,異論をはさむ余地はあるだろうか?(秦氏にはあるらしいが。)


    ・・・・・。
    見知らぬ人の大量の死,と,孤としての, “個” の死,
    その,意味についての「距離感」をとりあぐねているような・・・・・
    乖離するばかり,の,ことばと想いの,合間の “虚” を率直に口にしてくださったひとがいた,わたしはその率直さに心の中ではいつも,いつも感謝しているが。
    それなのに「讀まないほうがいいよ」,などとw嘯く
    これも,わたし自身の距離感のとりあぐね,であること言うをまたないw,ヒトに説明できないから。

    ただ,こうは思う,

    ひとは, “歴史” との距離をそう簡單には埋められない。

    個個の歴史觀というのは,相當な努力の果てにようやく得るものである,
    ということ,それだけはいえる。
    そして獲得した歴史の觀相にたえず,充填しつづけなくてはいけない,
    自己のその時その時の思いを。
    充填しておくそれが,また,つぎに “とらえあぐね” してしまったときの,
    指標になるからだ,

    歴史に謙虚であらねばならない,ということの本質は,うらをかえせば,
    歴史はとらえた,とおもえば,それが,いつもとらえあぐねのはじまりでしかない,という,
    賽の河原,

    その河原にさえも,みちしるべがある,自分の在由をしめすための,
    という・・・・そのために “想” いがあるのだろうとわたしは思う

    この個人個人の道しるべも,もしそれが,普遍化されれば,
    “理” ,となる,道,理,となる,。
    それはヘーゲルの言う Weltgeist のなりたちのことかもしれないし,
    Weltgeist に關與,もしくは同化することでもあるし。

    第一次,第二次世界大戰の“沙場” であった歐洲では,自他の界も,國境の界も腑分けし,個“體” と國“體” の嚴密な腑分けの中で,自他,主客を考える習慣と理性が,ある。
    それはキリスト教會以前,アシアマイナーから波及したフィロソフィーの基礎があるからだ。
    いったん事あり,人間浩劫の沙場となれば,・・・・・救世主も福音も。
    唯一神など何の役にも立たない。
    有るのは,自他,それぞれの體と,用だけ。自明のことだった。
    いうなれば

    唯我存,唯我獨存。
    邵雍にいわせれば・・・・
     水體以器受, 火用以薪傳  
     體在天地後, 用起天地先



    ・・・・・。

    さて,と
    屍骸と鴉と野犬をのこして,逃げ惑う中國の難民たち。
    しかし。
    彼らの同胞が虐殺され,彼らが逃げ惑うはめに陥った「原因」をどうやらつくったらしい
    中國人民の,志願兵たち。祖國防衛軍の抵抗。

    日本側に言わせれば,笑止千萬のふとどきな,暴「支那」の抵抗。

    かれら避難民のなかに, “かれら” をうらむものが,はたしていただろうか?

    淞滬會戰で熾烈な攻防肉弾戰の死闘を繰りひろげ,帝國日本軍の侵寇に同歸於塵の勢いでぶつかった,上海の・・・・・いわば,中國版,對法西斯蒂(ファシスト)戰爭のレジスタンス「義勇軍」,をうらむものは。

    つまりは,古今東西,いつのどんな時代の,こと侵略戰爭において,
    戰火の擴大,その原因,その有因有果の “第一” でもあるだろうが。
    抵抗。

    兵燹そのものは憎む。
    しかし,抗日の主張を憎むものは中國人にはいない。
    なぜか?日本軍の統治が行われれば,もっと悲慘なことになるのはわかりきったことだからだ,

    東北三省のニセ「滿洲國」でっち上げからすでに六年だ,
    東北の民は故郷を捨て流亡するか,帝國日本人の下で奴僕となってたえしのぶか,
    蒼生飽受,塗炭之苦,である

    華北における日本の統治,冀東・冀察政權下にどれだけ中國の民が悲惨な境遇にあったか。
    吉鴻昌《察哈爾抗日詩》,《就義詩》が示すとおりである。

    抵抗を叫ばぬもの,ひとりとしていなかったろう。
    勞働者,學生たちは次つぎ,志願して抗日義勇軍に身を投じていった
    あたりまえだ,彼らの祖國なのだから。
    それを
    こンな單純な道理を,知ろうともしない,氣づきもしないで,今の日本にできあがってしまった,戰爭觀。。
    ベツにわたしは戰爭賛美者ではないが。

    日本人の戰爭觀は,「あの時代は戰爭だったんだからしかたない」,
    というときのあれだ。
    どっちもどっち,日本人も大勢死んだんだ,という思考停止。

    どんな殺人,暴力も・・・・
    いまさら道義的責任をいわれても。
    と。

    侵略戦争は喧嘩両成敗ではない,と言うことを理解しようとしないなら,
    「戰爭を起こしたが,それは “解放” のためだ,反省などしない」,と言う強弁とおなじである
    中國人が望んでいたのは,日本人の侵寇からの解放である。

    人が殺される,大勢死ぬ。動産不動産をうばわれる,婦女は凌辱される,
    たいへんんだ,
    だから戰爭はいけない,

    それが 唯一の “ただしさ” であることはいうまでもないが
    りべらる,がわたしに向ける批判が,この一点に依據しているとき,
    わたしは反發する。

    南京寇略はさらに,彼らの抗日繼續の志を強固にした,
    あたり前だ,抵抗して破れ死に,抵抗せずとも屠殺される。
    いくら非暴力,不服從のガンジーだって,抗日戰はみとめざるをえないだろうよ。
    ・・・・・。
    さはさりながら中國の首都機能は
    撤退につぐ,撤退で,南京陥落後,漢口,長沙,から重慶に落ち着くまで長江を遡る。

    まっさきに撤退していく國民黨軍と官廰の車馬,
    その後塵を罵倒しつつ避難民の群れ,大八車とがあわただしく長い行列を作り。

    空っぽになった城市の一角で,帝國主義資本の建てた工廠,ビルディング,レンガ壁にこうしたスローガンを書き散らすのが,まさに鹿地亘らの活動でもあった。
    周恩來の下で,救亡抗敵文藝戰線を引っ張っていた郭沫若。


    今夕,この写真ののった夕刊を讀みながら・・・・・こんなことをずっとおもっていた,

    そして安徽省の粉墻を・・・・おととし執拗に載せつづけていた江南の・・・・
    美しい白墻…・雨に濡れる黛瓦

    松井石根にあてたメッセージ 1938年4月、中国・安徽省

    安徽省に殘されていた中國側メッセージ 朝日新聞2017年3月8日夕刊

    朝日夕刊連載引用 『新聞と九条:426』 平和主義の国で(26)

    このころ,庶民の戰爭體驗をつづる読賣新聞大阪本社版の連載「戰爭」が評判になっていた。75年から続く長期連載で,社會部長の黒田清が記者たちをリードした
     連載は83年2月中旬から,中國戰線に從軍した元兵士の体驗を紹介した
     同じ部隊の少尉が斥候に出て中國側に慘殺された。元兵士らは腹いせに逃げまどう子連れの母親や老人ら50~60人に重機関銃の彈丸を浴びせた。『中國側にやられたから,帝國日本軍が逆上してむちゃくちゃやろうとした,と言うても,本当は順序がハンタイなんやろな。もとはと言えば,日本が勝手に攻め込んで暴れまわったからこそ,中國の方抵抗して・・・・」(83年2月25日付)
     



    そのあと連載はこうつづく・・・・・

    85年1月・・・・
    靖国神社宮司,松平永芳が,少人数の会合で,A級戰犯合祀の狙いを語る。
    「現行憲法の否定はわれわれの願うところだが,その前に極東軍事裁判の根源をたたいてしまおうと・・・・・」


    XDDDDD
    これがニッポンである。

    たたいてしまおうと・・・・って。
    たたくっっ,てなんだよー,たたくってっ。
    ニッポンシキシマ,宮司一家の總攬把かよ。
    こんな “國” なら ほんとうに,
    いちどほろぼしてくださり,なさったほうがいい,
    ヤハウェでもヤオロズでも。
    研究系A級戰犯ヤナイハラタダオ,ぢゃないがw
    (日ユ同起源説もこのあたりからきているのかなw,)


     以下 つづきはクリックで開閉 します2015年11月8日

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    菩提本無樹,明鏡亦非臺。物化と忘却①

    このところ,朝日新聞夕刊の『新聞と九条』 連載,『平和主義の國で』という章。
    先月からつづているのだが。
    わたしは毎夕,それを讀むたび,ひどく心を掻き亂される。

    堀田善衛,由比忠之進。劉連仁。撫順捕虜収容所,中國歸還者聯絡會,『三光』。
    それらの記事をいまの時期,新聞紙上で見ることができるのは,わるくない,,ようやく,アサヒシンブンも正キをとりもどしたかw,というおもいと,ともにあらためて,日本人の加害,とその忘却の罪の深さを思い知らされる,
    五味川純平,周恩來,といった顏を見ると,妙に落ち着かなくなる,ああ,と。
    岡村寧次,荒木貞夫・・・・見知った顔ぶれw,ははあ,と。
    以前の,苦痛、吐き氣との戰いだった日中戰爭と近代史を學習しつめこんでいた時期の辛かったことをまざまざおもいださせる,
    と書いてみても・・・・・いやモー烈なるイキオイでつめこんでいた,のでむしろ學んでいる時間は感じずにすんだかもしれない,樂しいといえば樂しかった

    20代の後半,もう若い娘ともいえぬ頃合いにさしかかる時代からだ。

    そのころ,わたしはまだ,フランス文學科の學生で・・・・・
    すべてのはじまりは・・・・アンドレ・マルロー“La Condition humaine
    人間の條件(上海の嵐)
    茅盾子夜を,同時に讀むことを強要した渡邊某先生のせいだ・・・・・

    La-condition-humaine‐Malraux-André, Gallimard, 1933


    そもそもわたしの日中戰爭への興味はべつの方向からも進んでいった。
    わたしの父は,戰後すぐ,父の出身校が,『きけ わだつみのこえ』の初版時に編集委員で中心だった刊行者の出身校(当時は舊制,府立三中)であった,という縁もあり,學生時代「わだつみ會」に入會した。若い時マルクス主義信奉者で,デモと言えば最前線で,歌いながら,當時は合唱隊というのがあって,先頭に立って指揮をしながら練り歩くという,血のメーデーではインターナショナルをうたいながらキがつけば,皇居に突入していた,というような血氣さかんのワカモノだった。
    いきおい,わたしは子供のころから,『きけ わだつみのこえ』は,もちろん,小林多喜二だの,槇村浩だの,というのはごくあたり前に身近に轉がっていて目に觸れる。

    最初にわたしが日本人詩人として名を覺えたのは・・・・中原中也ではなく
    中野重治であったw
    といえば,わたしが,いかに特殊な環境にて育ってしまたかわかってもらえるかもしれない
    日本の戰爭は,わたしのまわりには,學ぶ題材として,いくらでもころがっており,それは決して忘れてはいけない,日本の過去の罪業である,との思いは自然と身につき,まとっていくことになる。

    父はそうしたワカモノ時代を經て後,ドイツ文學の道に進んだ。
    戰後の西ドイツの情況は,つまりかれらのナチズムを生んだ祖國の,過去の罪に對する徹底的かつ峻嶮,嚴密の掘り下げと執拗な追求は,父との団欒の時に好んで語られる話柄であった。
    ヨーロッパのとりわけフランスの對ファシズム戰爭の英雄,ヨーロッパの戰後處理は,わが帝國日本の戰爭加害の對極にあり・・・・・。
    賛嘆をもて,ある種,憧れを帯びて・・・・・熱く語られるw。

    それでも。
    それでいて,わたしは,ながいこと,中國の被害の凄まじさと,抗日戰の意義には思い至らなかったのである。
    あるとき,
    わたしは,大學で,「日本の戰時下には,マルローのような作家はいなかった,みな,金子光晴のように息をひそめて隠れ濳むか,
    もしくは戰爭協力の「報國會」だ。日本の文人はナサケナイ,」(若い娘時代だ,半分は父の受け賣りであることはご想像がつくだろう),トクトクと。
    そのとき・・・・・。
    なんと,フランス人に,
    「日本にも中國で,反戰活動をしたリッパなレジスタンスの闘士がいる。スペイン内戰下のヘミングウェイ,アンドレマルローのような文人がいた,」と。聞かされた。
    鹿地亘――,ワタル カジ。君は何にも知らないじゃないか,自國のことをもっと知りなさい,
    と。
    叱られたのであった。

    それをおもいしらされて,ガクゼンとして。
    日頃,自分は戰爭のことは,ええ,よく知ってます,みたいな顔をしてえばっていたがゆえ,いっそう恥ずかしく,悔しく,自分にハラも立ち,またこういう若いときのハジは・・・・あとからふりかえれば大きな轉機となることがある。

    そもそも専攻も違う,やりたいこともべつにあった,で,近代史の勉強は,完全に獨學,ヤミクモに讀み進めるよりほかない五里霧中であったが。(もっとも今でも,霧がほんの少し晴れたくらいの程度だ,)
    手あたり次第に關連していく本を讀み漁った。
    まだネットというものはなく,手近に讀める中公新書,岩波新書から始めて片っ端から,貪り讀み。昔は,そこから,そうした,本の巻末に記されている参考文献を探し求めること,が唯一の手がかりで。
    圖書館や古書店を回り,讀み漁っていった。
    それでも,いくら讀んでも,いくら讀んでも讀後にいだくのは

    ―― あまりにも,自分は日中戰爭,「滿洲國」,かの地の實態を知らなすぎる,

    であった。
    いくら讀んでも,つきることなくいくらでも,新たに知る幾多の戰亂があり,中國は廣く,帝國日本が侵略していた期間は長い。
    とほうもない,戰爭被害の實態・・・・・・
    そうした感覺は・・・・・,

    たとえば,五味川純平の『人間の條件』を全巻讀んだひとにこういえば,わかってもらえるかもしれない。
    それを讀んでさえ,讀んだところでせいぜい知るのはある一時期の滿洲侵略と華北の情況でしかない。

    盧溝橋直後の華南の戰爭,湖南の侵略ではまったくちがう種類の・・・・寇略と殺戮戰である。
    堀田善衞を讀んでも知ることは淞滬會戰と南京攻略戰の實態にすぎない・・・・・。

    全體としていったいどれだけの・・・・,罪。命。破壊。略奪。半世紀に及び,斷續的にひろがりつづけた軍事侵攻の,ながいとき。大陸の大地。その廣大。

    この途方もないなさをどうつたえればつたわるか・・・・。
    わたしには,ちょっとおもいつかないのだが・・・・・むりにことばにすると,たとえば

    731部隊が作ったペスト菌兵器が實際につかわれたか,知るひとはいるだろうか?
    いつどこで,と言う實際の例は,いくつかある。
    ひとつが,ハルビンから遠く離れた華南,常徳である。

    それは,常徳という土地の・・・・ジツは
    こうむりつづけた被害のうちのほんの小さな規模,ささいな一つにすぎないと言う,事實。
    そのあたりは,洞庭湖畔の風光明媚,古來つたえられるところの桃源郷と言われた地域,日本でもなじみ深いはずだ。
    心ある日本人は,ペスト菌を播いた事實をもってしてたいへんなことだ,もうしわけない,と思うだろう,

    しかし,實際にはこの作戰は失敗し,たいした被害はもたらさなかった。

    そのいっぽうで,常徳殲滅作戰。
    常徳の市街地における攻防戰は,それとは全く別の,膨大な甚大な被害を戰鬪員,非戰鬪員問わず被っている。
    しかし,731部隊の関連本を讀んでも,それはわからない。
    「常徳殲滅作戰」・・・・という戰史の "項目" でのみ知ることができる。
    その被害のギャップ,両方知って初めてこそ常徳の被害だ。被害の大きさだけで見るとペスト菌のことはほとんど無視されるが。

    當時,わたしはそう思ったものである。それができうるせいぜいの納得の仕様だ

    しかし・・・・・。
    抗日戰爭詩をこのブログに載せるようになり。
    あるとき常徳を詠った一連の抗日詩群を讀んでいて,マッタク知らなかったある村落の淒じい被害を知る,そこでは完全に數村地域一帯ごと潰滅,完全にひとが死に絶えて,たった一人が,馬の世話をする人員がいないという理由で捕虜として生かされていたという事實を,わたしは知らされた。
    興味をそそられて,ネットで調べはじめていてとてつもなく恐ろしくなった。

    おととしのことだった。
    そのときおもったのだ,

    それはおそらく,日本で,日中戰爭歴史關連書を,たとえ,たとえすべて讀んだところで,知りえない實相ではないか?

    そこから,すすんでさらに,まったく予想もしない地域に,淒まじい戰爭禍害の實態があったことを知った。
    この地域の話は・・・・・自分がかつて讀んだ日本語の本にかかれてあっただろうか,記憶をたどってもちょっと片鱗さえおもいつかないくらいおもいがけないところだった

    そうしてそういうことは,ジツは中國大陸のいたるところで,取るに足らない,ごくありふれた事實にすぎない,という
    とほうもない,事理にいきあたったようなきがして,心臓がバクバクした。
    足元の地面をふんでいるのさえおそろしいような,

    賽の河原だ・・・・・,と。

    ネットで執拗に調べていった果てにはこうした實態はさがすことができるのだろう,次から次へと。
    そして,
    中國の被害を全て知ることなど到底できない,それは頭でわかっていても心の中では,自分はかなり,知っている十二分に知っている,というつもりになっていた,それで,どうだ,こうだ,と,わかったっつもりになっている自分の甘い認識に,畏れをいだきもした。
    恐怖心,にかられ・・・・。

    歴史に對して謙虚であらねばならない。とうぜんのことだ,しかし知れば知るほどもたげてくる禍。
    知識欲もやはり,欲であり,積習,である。知識會得の罠,というのはどこにでもぽかっと口をあけている。

    しかし。

    ところで,これらはたまたま知ったにすぎないできごとだ

    おそらく,わたしは,ふとおもいついて華南の抗日詩を讀み,民族詩壇周邊の事情を調べなければ,きっと知る由もなかった,
    もとより「知る必要もない」事實,である。

    しかし。

    1972年9月25日人民大會堂にいた,中國人は,みなこうした地域の恐ろしい時間を生き,生きのび,過去を背負っていた人々である。もちろん彼等も
    たまたま,その地に生まれ生きた為に知ったに過ぎないできごとだ。
    といっていえないこともないが。

    これが,此地と彼地のちがい,である,と言う,この差異,この
    「事理」。
    とうてい埋めがたい距離の遠さであり,これを埋めなければいけないというのは,もとより
    「無理」だ。

    此れがジツは,歴史に對して,あくまでも謙虚であらねばならない,という,「理」,なのだろう,

    端的な,こうした「無理」を痛感する,ということは,ジツは,机上にかじりついて歴史の勉強しているぶんには,あまりない。
    地続きのヨーロッパではまたちがうだろう,が。

    この,埋めがたい,距離,空間という概念では表しえない,無理であり “離”
    “離”と言う中國語はそのジツ “遇う” ,と言う意味なのだが・・・・)

    そして,この事理と無理・・・・・。理の無いなさと・・・・。
    そう。
    この「無理」感,
    理の無いなさ,と,不可能感, 絶望感。
    恐怖心・・・・・大地が忽然と消えるような,といったらおおげさだろうか,
    それに,出くわした・・・・・。

    三月三日,朝日の夕刊連載に載ってたのは,
    それを,その離合を,
    あっさりと,あざわらうようにばかばかしくも,象徴することばでもあったかもしれない。

    迷惑

    日本の指導者は,1972年,迷惑をかけた,といってはじめて人民大會堂で頭を下げたのだ。
    しかも,當時
    日本人のうち,中國に悪いことをした,と考える人は26.6%しかいなかったのだ。


    日本が中國と戰爭したことについてどう思うか

    悪いことをした        26.6%
    自衛上當然だ         8.4%
    ヤムヲエナカッタ       46.6%
    わからない 無回答     13.9%

    (1973年世論調査)

    AS20170303002409_comm.jpg↑見鬼 Jiànguǐ…(=ワケがわからんゾ…)1972 09 25 「迷惑」を聽く周恩來

    ・・・・・

    これが日本人である。
    無理。
    理が無いうえ,事理も無い!そして。この大事な時に
    あまりにも・・・・

    かるい。

    血債血償那隔絶,此心此土不同天

    1972年。
    敗戰後,僅か…・に,二十年もたっていない。
    中國の大地では・・・・父母を帝國日本人に殺されとなった兒がようよう,成人,壯年期をむかえるころだ。

    娘を惨殺された父親も,母を目の前で殺された兒も,大勢中國の大地で,この田中の言葉を耳にして。

    迷惑・・・・を?
    我我中國人は日本人に迷惑をこうむった?

    すこしまえ,この話を,「土人,ボケが」發言の記事で引用したとき,わたしはたしか,・・・・周恩來はうそをついてまで,・・・・w日本をかばったと。
    書いた
    つまり。
    ニホンゴの迷惑と中國語の迷惑は意味が違う,とまでいって,怒り狂う中國の民をなだめてくれたウソツキだ,周恩來は,という言い方で,揶揄を書きバシッたw
    想えばわたしは去年,一年,なぜか,そんなことばかり書いていた
    (理由はあったキがするが,いまはもう思い出せない。もうそういうフザケた書き方は,もうやめよう,と心の底で深く反省したからだ。)

    日本人が,なにかしら,これまでゆるされてきたのは,
    何ーんも戰爭の加害を意識することもなく,被害者の骨までしみこんだ怒りと憎しみを・・・・海を隔てた遠い世界のこととしてわすれさり, のちの世代に知らしめず・・・
    それですんできたのは,

    大陸流の「没法子,Méi fǎzi」 か?
    いやいや,
    しょーがね,しょせん,日本人は, “Guǐzi” , “Dōngyáng guǐ” ,だ,と?。

    と,同時にたしかに
    卓越して民衆の怒りを収める政治タレント,その手腕による,ということもわすれてはならないのだ。
    彼らの強權,共産黨のやり口を一黨獨裁といってカンタンに批判する,それは中國という囗の置かれた困難を知らないものの呑氣な言いかたである,ということもまたいえるのだ。
    さらにいえば,かの地で,必要とされる,政治 “能力”,外交 “能力” とは――複數の淒まじい才知と腕力でもって漸く補いうるような才覺が,正しさの行使を・・・・というと・・・・ちがうな,
    ――right conduct,の能力であるが
    なんといったらいいのか,・・・・・・
    まず,生ぬるさがない。
    日本人は中國の政治權力の,惡い側面ばかりにメをつけるが,そういうひとたちは,いちどでも,考えたことがあるか,その擅權,によって,いかに,「集團としての」日本人が戰後,なにかしら罪惡感や,懊惱から遁れ,安住の島國のうちにまもられ,ながらえてきたか・・・・・

    この時代,ニクソンとくらべられたであろう田中角榮,其一人格に,對峙した,膨大な人數の・・・・・・
    戰爭被害者たち・・・・・,
    その面前に,投げられた・・・・・打擲せられた, 迷惑 Míhuò” の二語。
    わたしは,このときの,1972年,のまさにこのことばによって,
    「日本鬼子 Rìběn guǐzi」 は永遠不朽の普通名詞となって大地にきざまれたんではないか,・・・・・。
    とすら。

    ジツは思っているのである。

    戰後だいぶ經ってからうまれたわたしは,・・・・・
    當然まず,田中角榮といえばロッキードのピーナッツ。
    が,近代史を學んでいく過程で,あるとき日中國交正常化交渉のさなかにおこったこのいきさつを知った時,愕然とした覺えがあった。

    ネトウヨブームがおきる前,つまり單に自分たちの世代が知ろうとしない加害の実態を調べているヘンなヤツと,想われはするけど,今に比べればずっとヒコクミンでなかったわたしですら,ぎょっとしたのだ。

    日本人,・・・・ナニ?なにもの?
    と。
    その戰爭責任の無自覺さ,,といえばまだきこえがいい,その・・・・,とほうもないなさ。
    存在の・・・・・・堪えがたい輕さ,だ。

    中國人民の憤激いかばかりかと。
    よく田中角榮は生きて歸れたな,と思ったくらいであった。

    そうおもっただけに。
    田中真紀子が,その時のことを回想してあのとき,父は死ぬことも覺悟して國交正常化交渉に臨んだ,と。
    そういってたのを何かで讀んだことがあるが。
    それは日本で,右翼の反發というより,中國で,何かあるのでは,生きて歸れないのでは?と言うニュアンスだったとおもう。
    わたしはそのとき妙にリアルな感覺で,納得した。

    今のネトウヨは,すぐ,中國の反日教育が,という。
    洗腦されてできあがった中國人の對日觀・・・・・
    共産黨一黨獨裁政權が自らの足場を固めるために,抗日戰勝利を無限大に美化しつづけてきた歴史觀・・・・・・と。

    わたしは違うと思う。
    それはまったくの,的外れ,むしろその,逆,だ,とおもうのである。
    すくなくとも72年の時期までは。

    わたしをキ違いだと思うなら,どうか,ここで讀むのをやめてもらいたい。

    洗腦やスリコミでしむけるまでもなく,民の被害感情の噴出のほうが壓倒的に凄まじかったろう。
    (それはこと,人民中國に限らない,マッタク,アジアに限らないことかもしれないが。。)
    おそらく,國交正常化交渉前は,
    つまり,この,『迷惑』 發言以前は。

    中國の民衆は
    日本人民が侵略の加害を,武力行使,殺戮と破壊を深く重く反省しているだろう,と。きっと疑いもしなかったろう。

    なぜなら我我は,
    日本に戰後賠償のいっさい,實際天文學的な數字にのぼったであろう,到底しはらうことなどできない,數字であったため,と言う一面もある,とはいえ,我我はそれを放棄したではないか。(――円借款は,あくまで,借款である,と言うことは日本人は殆どわかっていないのかのようだ)

    なぜなら我我は,
    處刑せず収容し,日本人戰犯には,たとえ,中國人民が腹ペコでも,白米を食わせ,無事祖國に送り返したぢゃないか,(中國大陸で處刑された戰犯はほぼ,國民黨政權下であったこと,帝國日本軍の武裝解除をおこなったのはほぼ,國府軍である,と言うことは日本人は殆どわかっていないのかのようだ)

    中國人民は,戰後,教育によって,憎しみはあれど,大切な人を殺された恨みはあれども,骨髄に染みわたってはおれど。

    日本人民はきっと反省したはずだ。
    斷腸の思いで悔恨したはずだ。
    そうおもっていたのであろう,とわたしはおもう。

    それは彼らにとって過去を,克服などできようはずもない過去,清算は,血債は血でしか償いようもない,という思い,
    と,
    それでも決濟しなければならないと,やらなければいけないと叱咤する指導者がいたこと,で,

    苦しい時間だったと思う,しかし,できやすくなった一面はある。
    齒軋りしながら,大“ しようとし,そしてまがりなりにも,
    “ 自發的” に彼ら人民は,自らが受けた被害の“清算” を行った,歴史上の過去を, “舊事”“揚棄=アウフヘーベン した。(これは前頁ですこし説明した,)

    自ら自(より)の變革によって,ムリヤリ憎しみをおさえこんだ。
    いわば,
    帝國日本から受けた被害を, “物化” させるために,
    私物化された過去の時間を, “無化” させるために,
    もちろん,唯物弁證法,マルクス思想は一定の力と作法を知らず知らず,彼らにあたえたはずである。

    そして
    ―― “共有” 化された。
    おのおのそれぞれがとして,普遍性を持った時間空間を共有する
    實はこれが,“文” 化,であることはいうをまたない,
    文化とは,揚棄と清算によってあざなえる, 化體

    さらには,大地の癒しであるだけでなく,土地を癒し,土地に癒される,ということ。
    (在宥とは,宥し在り。宥される存在,ということだ,)
    孔孟,『莊子』以來の天地の法則でもある

    共生,
    ひと同士が,ではない,
    中國の大地に,無“情”, “情(じょう)”無き ,非情,天と, “倶”に,生きる にはそれをするしかなかったのである

    いうなれば,大地が培ってきた民族の知恵でもある
    そこに,
    “普遍的なまでに” ・・・・,
    ヘーゲルの言葉を借りれば,Weltgeist だ,
    中國化された “共産”
    つまり正しくは共生・・・・中國古來のことばでいえば “大同”“社會” であるが。

    天下の蒼氓は,一個の大地と “文”の 化體に,
    その “存在” に氣づいたはずである

    ともすれば,日本人捕虜や収監者を虐待しようとする収容所の中國人兵士たち,その粗暴を,おさえこみ,こんこんと説き伏せ,日本人民も犠牲者なのだ,と。
    國家指導者に驅り出され,負ければ,その責任を負わさせられ,憎しみのさなか,置き去りにされた,日本の兵士もまた,君たちと同じ犠牲者だ,と。

    それは,今の日本人が,もっとも嫌惡するイデオロギーによる洗腦,もっとも侮蔑するアカの思想教育,というものかもしれない。
    しかし,すくなくとも抗日戰勝利後,彼等,八路軍指導者らのイデオロギー,強力な,一方的思想教育であれど,しかし一面,想教育、“理”“想” の押し付け,
    そのたまものでもあった。
    これはまさに Weltgeist,だろうし,また,。
    ヘーゲルの言う,“國民 國家” の精神である。
    ヘーゲルの言う,“Naition 民族”であり,ヘーゲルの言う “Naition 國家”である。
    わたしがわざと,マルキシズムを覆い隠しているのではなく,ヘーゲルが,アカなのでももちろんなく。

    これは單に, “社會” という漢語が “體” 現する “大同” のメカニズムをのべているにすぎない,
    もっといえば,誰もが共有する,共生の,リクツ,である。

    わたしにとって,いまさら思想に固有名詞はまったくどうでもいい。東西を乘り越えさえすれば,固有は跡形もなく消える,ただの “用” にすぎない。


    ・・・・。

    二十世紀前半1920年代後半以降およそ四半世紀の間,一連の帝國日本の侵略によって,中國全土で日本人によって殺された死者は二千万と言われる。
    わたしにとってはこの數字は決して大げさではない,むしろ,そんなもんか?もっといるだろう,という思いさえいだく數字だ。
    それほど兵燹は長く,大陸は廣く,隅々にまでいきわたった。

    たとえば,『戰鬪中』・・・・・・・・この言葉も近頃は定義がいろいろあるようだが

    日本軍の侵略および侵略戰爭時の武力行使によって殺害された人數,・・・・・
    中國人戰鬪員死者は百三十万人という,また,たとえば,

    帝國日本軍が入城し占領した城下で,直接手を下され殺害された捕虜の數,

    家屋財産の接収の際抵抗したため殺された民間人,

    貞操を守るために抵抗し殺された婦女子,
    貞操を守ることもできずあげく殺された婦女子,

    これら直接手を下された被害者を單純積算しただけでおよそ二千万は行くだろう,と言うのがわたしの素直な感想だ

    そのほかには,さまざまな死者がいる。
    たとえば,
    貞操を守れなかったことに絶望して爾後自殺した婦女子もいるかもしれないが,
    帝國日本軍兵が闊歩する中,餓死したという婦女子,息をひそめていてそのまま窒息死した婦女子。
    そのまわりには,一人を守るために死んでいった一人もいるだろう

    ほんとうに様々な形で,帝國日本軍に抵抗し死んでいった非戰闘員が多數いる。

    日本軍の占領をよしとせず,家屋を棄て12月に山中にこもって餓死したのは日本でも著名な作家郁達夫の母だ,と言うのはついこの前書いたばかり。
    郁達夫の兄は,日本の占領後できた傀儡政府の特務によって街中で殺害された,(郁達夫本人は日本の憲兵隊に殺されている)

    これらを,犬死だ,優秀なる日本人,アジア解放の救世主たる,皇國に素直に從えば,よかったのだ,という。
    これが今のネトウヨのせせらわらいだったが。
    ねとうよでなくとも,また帝國日本がアジア解放の救世主かどうかはべつとしても,そんなことで死を選ぶのはばかばかしい,というのが,今の普通の神經なのか。

    いぜん,もう十年近く前,わたしはネトウヨとよく対話をしていて,

    「むしろ皇軍兵士に強姦されたなら,ありがたいとおもうべき,
     そんなのまで日本の殺人罪にカウントするなバカ」

    そういう書き込みがあったことをよく覺えているが。
    そのとき,わたしは生真面目にもこう反論した

    「帝國日本軍の上官は,華南戰線では,外國人の目もあるから
    「強姦したら必ず殺せ」と堂々と,厳命している。
    これは帝國日本軍のかろうじて焼かれずのこった,第一次資料によって學術的に事實とみなされる。」
    と。
    かの有名な,修正主義陣営の南京事件に關する著作も發言も多數ある著者Hの南京虐殺について書かれた中公新書をふくめそれらを示している本をいくつか教えてやったが。そういうこともやったほうがいいとおもって・・・
    (その後ソイツがそれをよんだかどうかは知らぬけれども)

    そのころは,わたしはまだ,希望を持っていたのであるがw,今は,もう希望なく,理想だけが,ただ,ある。
    理想があって,希望がないなら何も書く必要もない。又何も書くべきでない。
    それでも書く。理想の垂れ流し,これはほんとに始末が惡い,厭惡さるべきサイテーの人格なのである。

    そうした自覺はともかくだ,
    中國全土の八年にわたる戰時下,こうした酸鼻の『戰鬪』がどれほど起きたか,
    東北三省は一五年間の永きである

    考えてみてほしいのは,・・・・・1972年。
    このとき中國の大地に生きたもの,その中に,親兄弟,親族,友人の中に,日本人に殺されたり,カタワにされたり、全財産を奪われたりした人がいない,知らない,という
    そんな稀有な人が,いるだろうか,と。

    つまり日本に “迷惑” かけられたことのない人,が,このとき人民大会堂には,まず・・・・

    いないだろう。

    と言うのは,普通は想像がつくだろう。

    いくら日本の總理は幼稚でもノータリンでもつとまるとはいえ。
    ましてや田中角榮においてをや???
    wwww

    である。

    人民会堂に集まっていた人々とは。

    帝國日本軍の軍門に下り,こびへつらった,漢奸と言われるひとびと,傀儡政府の人間は,すでに・・・・いない。
    張學良に監禁脅されるまで抗日をためらいつづけ,抗日を主張する人間を處刑してきた蔣介石一黨ももちろんいない。

    みな,命がけで抗日戰爭を戦い抜いた人びとばかりであり・・・・
    周恩來自身,幾多の親族身内,友人同志をうしなってきたのだ。
    もちろん日本語の迷惑は,中國語の迷惑と意味はとくだん變わらない。
    迷い惑わせ,妨害する,くらいの意味だ

    もっとも想定されうる被害は,せいぜい「擾民」だ。つまり,騷擾人民。


    半壁河山沈血海,幾多知友化沙蟲 ―陳毅

    吉鴻昌《就義詩》



     恨不抗日死   hèn bu kàngrì sǐ
     留作今日羞   liú zuò jīnrì xiū
     國破尚如此   guó pò shàng rúcǐ
     我何惜此頭   wǒ hé xī cǐ tóu

    大意:
     
    国破れてなお,このありさま,この時に
    今さら,我がどうしてこの頭(首)を惜しむ?惜しむわけがない
    恨むは,ただ,「抗日」し死ぬのではない,というただそれだけだ,
    今日,これを羞じ就義の詩を作るのみ。

    《察哈爾抗戰詩》吉鴻昌


     有賊無我,有我無賊  yǒu zéi wú wǒ, yǒu wǒ wú zéi
     非我殺賊,即賊殺我  fēi wǒ shā zéi, jí zéi shā wǒ
     半壁河山,業經改色  bàn bì hé shān, yè jīng gǎi sè
     是好男児,捨身報國  shì hǎo nán'ér, shě shēn bào guó

     賊,有れば我は無い,我有るならば,賊は無し
    我が賊を殺すこと非ずんば,即ち賊が我を殺す
    (わが祖國の)半壁山河, “業” を經てこそ,その色(姿)改まる
    この好男兒,身を捨て國に報いん


    大意:
    “業”=抗日の大業ということだろう
    半壁山河=成語。中國の大地,國土のこと。おもに異民族の寇略に逢った時。
    四壁,半壁という言い方



    この詩が詠まれたのは,詠み手の吉鴻昌が天津で處刑された1934年,
    いわゆる日中戰爭が始まる3年前である。

    チャハルは,このとき帝國日本の關東軍特務機関がデッチアゲた華北の傀儡政権下である
    抗日を叫ぶこと則ち,死を覺悟することであった。

    華北では帝國日本の軍人特務,その手先によって,殺されるか,
    華南では,日本帝國と対決しようとしなかった當時の蔣介石はじめとする国民黨支配下で,逮捕され,裁判なし(つまり蔣介石の胸三寸,一存によって)槍決つまり,銃殺された。

    吉鴻昌はそうしたうちのひとりである。

    帝國日本人が行く先さきで,戰爭中と,そうでないとを問わず。
    いたるところ各地で,いろんな,死,があった

    村落を接収され,住民を代表して,その命を守るために,
    いま,立ち向かったところで,武力で勝る日本軍にかなわない,結局皆死ぬだけだと。
    村ごと明け渡す邑おさ。
    また,血氣の若者をおさえなだめすかして,抗日を主張する若者たちをまもるために,
    また,そうした若者を無事逃がすための時間稼ぎに,
    すすんで首を差し出す邑長,土地の古老もいた

    ・・・・地主の素封家,名望ある大人,讀書人階級だ,みな,辭世の詩をしたためる。
    時には帝國日本軍の心あるものの胸をえぐった,
    そうした文辭の數數。

    長い内戰と愚かな文革の破壊行為によって,こうした「遺産」・・・・いわば「物化」した "文" はうしなわれていったが,
    著名人による詩は多く殘されている。
    じつはそれを目撃した帝國日本軍兵士の中に,また現地の日本人居留民らの手記のなかにも,そうした光景は多く書き殘されている

    そうした風景,古老,名望家の從容としてみずから選ぶ死。
    其の屍骸を埋める穴を掘らされるのは,土地の,ただそこに生まれていつくしまれて育った無辜の若者だ。

    華北に從軍した日本人の證言に多く殘っているが。
    いっぽう,
    華北と違って
    華南ではギリギリの存亡をかけた同歸於盡(死なばもろとも)の戰鬪が熾烈に繰り廣げられた,
    文人は辛くも結集し,その死鬪によりそって,
    多數の抗日言志を,檄文に,詩歌に書いていた。

    たくさんある。
    それらを
    わたしはもっと書きたい,とおもって。
    書かなきゃいけない,もっと中國側の事情をもっともっとたくさん調べて,彼方の被害と此方の加害を,
    書かなきゃ,書かなきゃと。
    書かなきゃ,書かなきゃと。



    書かなきゃ,書かなきゃと。
    書かなきゃ,書かなきゃと。
    いかん,いかん,いかん,いかん,
    ブツブツ30回ほどもつぶやいてw
    傷心のままにほったらかしていたブログをあけて。

    彼らの思いを,彼らの存亡を賭した同歸於盡詩を・・・・・
    そんな詩がどうして生まれたのか,
    どんな苦しみの大地に,

    わたしが書いたところで何になる?そんなことを疑問に思う時間さえつかって書いた方がいいにきまってる。
    それが,サイテーの人格のするべきことのすべてだ,と言う,聲なき聲が聽こえる


    今年は日中八年戰爭の勃發から1937年から80年。
    100年前は。
    1917年,中國では,段祺瑞が入城,辮子將軍を退治し復僻していた溥儀が退位させられた。(そのドサクサの際,紫禁城の多くのお宝が某國人によって持ち出されているwヤフオクに中國人がたかるのはそのせいだ)

    孫中山が・・・・目下わたしのアイドル林庚白に護法させて,廣東に下り廣東軍政府をつくる。

    あと一週間すればロマノフ王朝が亡びた三月革命から100年目。だ。
    バルフォア宣言,から,十月革命から100年だ,

    歐洲は,といえば,EU離脱の大英帝國の特務アラビアのロレンスがくわだてたオスマン帝國への叛亂。
    その大英帝國の指嗾によって日本帝國が軍隊を増強し始め,翌年から
    シベリア出兵・・・・つまり,アカの近代史觀から言えばこれはシベリア侵略戰爭,だ。

    日本帝國の武力,派兵による侵略が本格的にはじめられる。
    それ以前から侵略行為は手癖のようになっていた日本帝國だが。
    以來,間島出兵…・山東出兵,北伐,濟南事件五・三惨案・・・・なにかといえば軍隊を派遣しては,領有地をおおきくはずれて,中國の主権を犯し,既成事實をむりやりこしらえては日本帝國の國益を擴張していった

    既成事實をむりやりこしらえては國益を擴張していった・・・・・

    ちょうど,今の南沙諸島における中國の横暴とそっくりである。
    どちらも『自存自衛』のためと稱する大義があることまでそっくりである。

    ・・・・。

    つづくっ 

    カミュとマルロー

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    肅肅と。自由自存の隘路肅殺タリ②鹿地亘[29]『自傳的な文學史』2《第十章 後日から見て》 血知士得志

    沖繩の民への。

    今度の法案が,沖繩の基地反對運動という,一般人の團體におよぶ,
    また合法的組織であるが,彼ら反對運動の人びとの聲をつたえうる,唯一の琉球のメディアに規制をかけるのは明らかだからだ。
    この間の,騒動をおさらいすれば,・・・・。
    基地反對運動は共謀罪の成立要件に値する。

    なぜ,メディアやチシキジンはこのことをもっと執拗に取り上げない?
    もとより,今現在おじいおばあが受けている暴力のことを。本土に知らしめない?
    ニュース女子?ちゃんちゃらおかしい。そのふざけた番組はモンダイだが,
    モンダイの本質はそこではない。

    火を見るように明らかなこと,かれらは。
    おきなわの,おじい,おばあは。

    犯罪を目的とする集團に一變しうる, “一般の人” の團體を構成してはいまいか?

    いかにもノータリンの親米ネオコン政商が考えそうなことだ。
    アベ政商政權が,やけに急ぐには理由がある。
    最終的に國家主義,全對主義を夢想するウェットな日本カイギは思想統制のための「共謀罪」を夢想する。
    政商と,國粹が夫婦なんだから同床はあたりまえ。
    同床ビミョーに異な夢ぢゃああるがw
    同じベッドで夢想する,美しきニッポンの明日,その姿は
    しかしながら一致してまうから仲良き夫婦なのだ,夫婦善哉,

    一億總活躍而してのち一億玉碎の富國強兵,教育勅語と88(Heil Hitler)だ。
    かれらの夢みる,人權をいちじるしく阻害,民の社會を毀損する “國”

    こどもたちを・・・・・・鐡は熱いうちに打て “勅語” によって國家の臣民あつかい,
    饐えた風吹く尖閣竹島。

    これをしも,スえ廣がりナリ,彌榮八八思想,というべきか
    イヤサカ音頭ならかまわんが。
    丘八音頭はカンベンしてくれ

    我が領土ナリ,は,吾が兩隣りナリ。

    ところで。鹿地亘の文學論考。

    とりわけ文學とは,「男一生の仕事とするにたる」かどうか,
    この中國文學の葛藤と克服,命題の解決としての五・四文學運動の歴史を重くたっとぶべき,ととらえているものとしてわたし自身は非常に氣のきいたすばらしく好い論考だとおもっている。

    以下2013年10月24日 の記事再掲です



     血知士得志  

    一九三三年二月,小林多喜二 が虐殺* されその葬儀の翌日から拘束された
    鹿地亘 は,その年の九月に釈放される。
    そして多喜二の死からちょうど一年後,紆余曲折をへて,一九三四年二月に
    左翼作家同盟は解散し,二月末にふたたび杉並署の特高に連行,拘束される。

    鹿地亘の 日本における プロレタリア文學運動の活動はここで途切れて,
    事實上の終わりとなった。
    以後二年半の獄中生活,三五年十一月にようやく釋放された。
    そしてシャバに出て二ヶ月,翌三六年の一月には日本を離れた。
    それ以降十年にわたって,鹿地亘は中國で反戰活動をつづけることになる。
    出國のいきさつなどは,このブログでこれまで寫してきていた 『中國の十年』
    に書かれている通りである。

    その特高の檢舉拘束の,すっ頓狂と,檢事のユルさをすこし。
    自宅で寝てたのに泥酔徘徊,ご飯たべてたら無届集會參加,の
    無茶苦茶は前前日の頁に書いたが,鹿地亘のホシャクのいきさつがしるされてあり
    オモシロいというか,あんまりにも あホらしすぎて引用したくなっちゃった。
    いったい,これが,「轉向」の踏み繪!? 
    なんだ,なんだ,このユルさはっ!
    という・・・・こんなばかげた展開には,びっくりするが,かえってとてつもなく
    恐ろしさを感じる。

    まだ盧溝橋,七七事變の勃發前である。
    小林多喜二のように共産黨員は慘殺されるものの,それは例外中の例外,
    それほど特高も血まよっておらなかったのか?
    「作家同盟の蟲けらどもを殺光滅熄せしめてくれよう」というカンジには見えない,

    特高とはそんなちゃっちい組織だったのだろうか。

    いやいや,いやいや。
    そんなことはないはずである。

    虐殺した死體を行き倒れだと言ってうんぬん,役所に引き取ってもらってかんぬん
    ・・・・・
    つまり特高は意氣さかん,でも日本の國全體はまだそれほど血迷っていなかった,
    と言うことにすぎない。

     だから特高の手を離れたとたんこんなユルさで釈放されるのである。
     だから,多喜二を・・・・特高手中の内に殺してしまった・・・・。

    と言うわけなのかもしれない。

    つまり鹿地亘は,殺さなければならないほど,あるいはずっと房内に閉じ込めて
    おかなきゃあならないほどのキケン人物とは思われなかった,
    ということに過ぎない,もしくは
    たしかに鹿地はうまくだましおおせたということなのかもしれない
    このいきさつには鹿地の柔軟性もよく見える,
    と,後日からすればそうかもしれない。

    とはいえ,鹿地は深く傷ついていた,この稿によく記されるとおりである。

    それにしても。このいい加減さ。

    「戰爭中に日本の防諜法の立案者」,というこの檢事のてきとーさ。

    言論を統制,というか何でも統帥したがってる,
    近頃のお歴歴の連中のことを想えばいかにもありそーだが。
    いまもむかしも,この連中の頭腦リョク(より穏健ないいかたをすれば文學觀)は
    大差はないんだろう。
    言論と言うものに對するびっくりするほどの侮蔑的認識,いや,
    そもそもが粗暴の振る舞い,意味不明なこともおおいのかもしれん。
    理クツもなければ,理性もないって。なんたって
    ナチスの手口に學んだらどーかねぃ
    (=麻生太郎 2013 八一宣言
    の汚染スイ,じゃない・・・・御センセイがた,だから。。。

     おそるべしヒミツのホゴ法案乎。 吁吁嗟嗟ニッポン。



    鹿地亘 『自傳的な文學史』 
     第十章 後日から見て ―― 後半部 ――

     一九三五年十一月,「轉向」して保釋出所した。
     當時,私の擔當檢事だった高木という男は,戰爭中に日本の防諜法の立案者だった。戰後,米軍から私が不法監禁された事件が明るみに出たとき,彼は私を「陰険な奴だ」といって,新聞に談話を發表し,監禁者たちの提燈もちをした。
     多分私が彼をだまして,保釋してもらい,裁判を受けた後中國にとび出し反戰をしたからというのだろう。

     そこで私は高木とのやり取りを思い出した。
     「君は保釋できないよ。思想がちっとも變っとらんじゃないか。
     「政治運動はやらない,といってるんです。」
     「それだけじゃ駄目だ。文學の考え方が問題だよ。第一,君たちは文學における階級の優位性ということをいってるじゃないか。」
     「それはどういう意味ですか?」
     「君たちは文學としてどんなにすぐれていても,階級意識のないものは價値が低いというんだろう。たとえば漱石や鷗外はプロレタリア文學より低い文學だというんだろう?ね?そうだろう?」
     「とんでもない! 僕なんかのへぼ小説より,古今の名作はくらべものにならないほど高いと思っていますよ。西鶴だって近松だって,漱石だって,鷗外だって。」
     「ほう!そうか,君はいつ變わったんだ?」
     「まえからそうですよ。」
     「ほんとかね,君?そうか,それじゃ考えとこう。」
     私は保釋になった。
     うそのようだが,ほんとだ。
     このばか檢事は私にだまされたのではなく,自分のプロレタリア文學觀にだまされたのである。

     ついでに,そのころの役人たちの頭をもうひとつ紹介しておけば,私を調べた予審判事の草間という男は,顔を見るなり,いきなり弁證法的唯物論の討論をぶっかけたものだった。
     「だめだよ君,君たちのような機械的な考え方をしちゃ。世の中はねえ,無理に変えられるもんじゃないよ。条件が熟して,必然に,進化していくもんだよ。
    それを君ィ・・・・。」
     私はにやにやしてしまつた。
     「僕もそう思いますよ。進化して変わるというのにちっとも反対していません。条件が熟して,必然に,變わるべくして變わりますよ。」
     「ほう!」
     彼も眼をまるくして私をみまもった。
     「じゃあ,君は變わったんだね。」
     「前からそうです。」
     「そうか,そりゃいい!」
     彼もまた自分の「機械的」な唯物史觀につまづき,わたしをすっかりみなおしたというわけだった。

     ところで,檢事をつまづかせたような文學觀だが,そういうおとし穴は私たちの運動の歴史にまったくなかったかどうか? なかったとはいえない気がする。


     プロレタリアートは新しい世界觀に立って過去の全歴史をみなおし,それを前にすすめてゆく。
     過去の世界觀ではもう現代のまにあわない。プロレタリア文學はその階級に奉仕し,その世界觀にたって世界を見る眼をおしひろめてゆく。
     それは過去の文學の全歴史の揚棄者※である。
     そこで自分をうちたてていこうとするものの出發の時期にかならず経過することだが,自分の立場をまずあきらかにして過去に對決しすぎさったものを「歴史」の中に押しやろうとするところからはじまる。
     私たちのところにもそれがあった。過去を破り,過去を否定した。過去の遺産を繼承者として,自分の位置をあきらかにし歴史を評價しそれをくみとるよりは,おしのけるのが先立った。
     
     それに文學そのものの歴史の視野にたって保護し,育成するよりも,自分に役立つものだけとって,そうでないものを否定するような革命運動の環境の条件が重なった。プロレタリア文學における文學遺産の受け取り方,文學史の研究の弱かったことの重大な原因の一つは,「政治と文學」の關係のありかたにあった。
     それはこの國の「近代」とも複雜に関係している。
     プロレタリア文學は,新しい階級の歴史を變革する任務と結びついて登場した。
     そこから「政治と文學」の關係ということが文學上はじめて一つの自覺された運動となって浮かび上がってきた。
     プロレット・カルトの運動における文學者,藝術家の役割が日程に登ってきた。
     文学,藝術の理論や實践にこれまできづかれなかった新しい面が,それを軸にして,拓かれ,解決されてきた。
     だが路は坦々として既に開かれているものではなく,紆餘曲折して進む處女地の開拓である。 

     どんな處女地だったか?
     地質からいえば,ここには移し植えた「近代」がみすぼらしくちっぽけな花しかつけないことを,鷗外が嘆いた赤土の土壌があった。
     目覺めた近代は二葉亭,透谷にはじまり,啄木にいたるまで,その土壌にとりくんで,悲劇の歴史をつづってきた。藤村,獨歩,武郎,龍之介 ―― ひとびとはたたかい,敗れ,また滅びたり,屈したりした。
     ハイネがパリに亡命して書いた「ドイツ古典哲學史」をひもとくような悲痛がひとすじに流れている。
     ゾラが花袋になりかねない壁が立ちふさがっていた。
     それにつきあたれば,筆を折るか筆を曲げるかしなければならなかった。

     一方でその土壌の上に「近代」は明治の「ひろく海外に知識をもとめ」というあわただしい模倣からはじまった。
     それは中身が中世のまま,近代的な殺人道具で武裝した日本資本主義發達のいびつな進路であった。
     形だけ變わった。
     文學では逍遥の「小説神髄」から,というところにその特徴があらわれていた。
     それに古い時代の戯作者的な文學觀などが結びついた。

     このようにして成長してきたものの性格は,民族のはげしい眼ざめのなかに生命をふきあげた中國の「近代」,五・四の魯迅に代表されるそれとは生い立ちからしてちがったところをもっている。

     中國では「近代」は日本におけるよりはるかに歴史が淺く,おさないものであったが,それは民族解放のたたかいとして始まりその文學ははじめから政治と密接にむすびついていた。

     ツアーリズムとヨーロッパの資本主義の集中的な矛盾の中から芽をふいたロシヤ文學について,ゴーリキーが

     「ロシヤ文學はその包括する世界のひろさにおいて,特に教訓的であり,特に意義深い。
     ロシヤ文學が想起せず,解決しようと試みなかったような問題はひとつもない。
     それは主として問題の文學である」(《ロシヤ文学史講義》)

    といったような一世紀にわたる前史も,ここにはない。
     日本の文學の根は淺く,骨は弱い。

     「男一生の仕事とするにたる」かどうかを二葉亭のみならず疑わなければならないような,他面ではまた革命運動から逃げ出して通俗文學に「男一生をかける」ものも出てこなければならないような情況がここにあった。
     プロレタリア文學がはじめて,その枠を破った。
     たちふさがった壁に挑んだ。
     たたかう階級を足場にし,それにまもられ,組織的な集團の運動として,あらわれた。
     この國の文學史に新しい局面がひらかれた。
     けれどもその中でやはり文學を男一生のこととみとめないような,またそれを「偽作」とするような文學觀,つまり文學を革命の實践にとって無縁なものとする思想や,それを裏返しにした卑俗な功利主義,いわゆる政治主義などに一貫して,なやまされた。
     階級闘争の退潮とともに文學運動が鎮まり落ちていったあとに,そのことの反省と悔恨が深く殘された。
     政治への嫌惡,非政治的傾向。
     文學者に対する戰時の野蠻な動員が一層それに拍車をかけたのであろう。

     私は一九三六年一月十五日に東京を離れた。ふとした機會を得て,關西の舊劇の一座が,旧正月をあてこみ,風雲のあわただしい大陸の居留民慰安という觸れ込みで,青島と上海に旅興行に出かけるのにもぐりこみ,姓名をかくして國を出ることができた。
     刑務所を出て二ヶ月目であった。もう歸ってこない覺悟をきめていた。
     妻*とは別れていた。その深い傷心もあったがもう一つには,この國では息が着けないのに絶望していたのである。

     保釋出所して出てきたときには,中野重治のいいかたをかりると,背骨をつかまれても 「身體はまげられる」 とおもっていた。
     そのあまさをしっかり思い知らされた。それに四國のある農民運動者から,「君の出所を期待し歓迎する。嵐の中で,ささやかながら君らの殘した根をまっている。」 というはがきを受けとったとき,私はぶるぶるふるえて涕を流した。
     誰にも面目なくて,顏をあげられないきもちであった。
     消えてなくなりたかった。

     中國にわたっても何のあてもあるわけでもない。
     野垂れ死にしてもいい捨て鉢なきもちだった。

     ちょうど華北に日本軍の傀儡政権の陰謀がすすみ,抗日の民族運動が高潮し,それを挑發して蒋介石を苦境に立たせる政敵の側の暗殺團が,上海の中山軍曹を射殺し,居留民が夜間は外出するのにもおびえているという情況だった。
     刻刻險惡な流れが最後のときを近づけていた。
     私にとっては,それが孤獨な心中の苦痛を消してくれる嵐となつて,誘いよせるようだった。

     魯迅 にあえるとも信じていなかった。
     けれども,ひそかに内山書店を訪れて試みるつもりになっていた。
     魯迅が病氣をおしてあいにきてくれたのは二月十一日だった。 内山完造 の家であった。
     胡風 もきた。
     鄭伯奇と内山書店であった。
     鄭から私の來たのをきいて夏衍が上海の文化各界の人々に紹介してくれ,私は中國の友人たちにひろくまもられるようになり,魯迅の意をうけた内山の保證により,私は「中國文學研究」という名目で,上海に合法的にとどまることができるようになり,東京の出版社との關係もできて,野垂れ死にからまぬかれた。

     すくわれたといっしょに私が骨身にこたえて自覺したことは,そのとき自分がむざんな敗北にどんなに打ちひしがれていたかということだった。
     十年のたたかいがあとかたなく打ち負かされて,「今にみろ」という悔しさに四六時中身をかまれながら,自信のひとかけらもなく,自分たちの凡てを賭けた事業にどれほどの意味があったかに,絶望的なみじめさを味わっていた。
     ところが魯迅やその他の人々にあって,私は日本のプロレタリア文學運動が,中國でどのように評價され,どのようにその影響がうけとられているか を,眼のあたりにみせつけられた。
     人々は,苦難の中に戰ってきた日本の私たちに,ひとごとでない感懐を寄せていてくれた。
     「むだじゃなかった!」という強い感動がぐっとつき上げてくると,私は大聲を上げて泣き出したかった。
     魯迅は私が獄中に居たこともしっていた。
     藏原惟人たちの安否をたずねた。
     私は 國外に出て,思いもよらず親しみにみちみちた身内に圍まれている自分を見出した。

     自分が敗北し,活路をもとめて,國を出てきた事情を私は人々に告げた。
     だが魯迅も他の人々も私を敗北者として扱いはしなかった。
     彼らはたたかい,きずつき,疲れ果てた外國の仲間をいたわり迎え,血を吹いている傷には指先が觸れないように,そっと氣をくばるゆきとどいた看護者のおもいやりで,つつみこんでくれた。
     こうして私が兩國の人民の結びのために自分のできることを貢獻するのに,彼らの及ぶ限りの聲援を送ってくれた。
     そのあたたかさを私はわすれることができない。
     嵐の沖から帰ってきた奇蹟の遭難者を,あかあかもえる暖爐の前にだきとってくれるようだった。
     民族の切迫した危機觀の中で,それは中國の人々が私たち日本人に,どんなに心の手をさしのべているかを感じさせ,私はその友情の中から自分のしなければ成らないことに猛然と勇氣を取り戻していった。

     東京の 中野重治 に私は手紙を書いた。彼はよく出境できたと驚き,「さとごころをおこすな。お前は中國人になってしまえ。」というはがきの返辭をくれた。
     ところで當時の中國文學界の情況についてだが,私は一九三一年に結成された 中國左翼作家聯盟 *の辿った足あとが,そのまま日本プロレタリア作家同盟と同じ經路をたどってきているのを見出した。
     國民黨の白色恐怖,むざんな迫害とたたかいながら,のりあげた困難,それ自身のうちにある矛盾,そのためここでも私が見たときには,左連は解體状態におちいり,夏衍らの 「光明」 や魯迅らの「海燕」 など數種の雜誌を中心にするいくつかのグループの分散と對立の局勢に陥っていた。

     中國の革命文學運動はひとつの轉機に立っていた。
     夏衍は私から日本の情況をききとってにこにこうなずきながら「中國もまったく同じことです。問題の性質は同じです」といい,自分たちのところの状態を説明してくれた。
     左聯の運動は率直に言って,日本の作家同盟の運動よりおさなく,規模も小さかった。
     それは一つには中國の「近代」の幼さからきており,もう一つには當時の國内戰爭の環境での彼らの活動の基盤が,主として租界を持つ上海のインテリゲンチャに限られていたことからきている。
     矛盾や缺陥は作家同盟の中國版を見るようだった。

     ところが,ここでは全民族に廣がる力づよい抗日の高潮に盛りあげられて,その缺陥や矛盾を揚げ棄てしながら,分散した諸グループが,又一つに集り,規模をひろげて,「抗敵文藝家協會」*への路をひらきつつあった。
     近代文學が革命の自覺の中から生まれてきた,歴史の傳統を持つこの國では,「政治と文學」の問題は失敗にこりて後ろ向きになるかわりに,失敗を克服して進み
    ,やがて何の疑いもなく,混亂もなく,毛澤東 の延安における文藝講話の主旨を受け入れ「工・農・兵」の文学となり,解放とともに躍進的な建設に入る民族の事業と結びついた文學になっていったのである。
      ここでは「政治と文學」がかたきどうしになることはなかった。・・・・

      




    *妻=河野さくら,日本プロレタリア音樂家同盟(略稱P.M.)の書記
    1928年プロ藝と前衛藝術家同盟が合同,結成された全日本無産者藝術連盟(ナップ)専門部の音樂部。29年ナップの組織替えの方針により日本プロレタリア音樂家同盟(略称P.M.)として獨立。31年以降日本プロレタリア文化連盟(略称コップ)の加盟團體として活動。33年さらに日本プロレタリア音楽同盟と改稱する。

    *中國左翼作家聯盟=(のちに抗敵文藝家協会)
     1931年魯迅を旗手とし中國の革命的な文学グループを集合し,統一的な革命文學團體として結成。國民黨の白色テロルのなかでたたかいながら,また日本のコップナップや作家同盟の場合とよく似た内部矛盾にもわざわいされ,一九三三年には内部にさまざまなセクト的グループの対立を生じ活動不能に陥った。
    1937年,抗日戰爭を前にして中國抗敵文藝協会に發展的に改組された。

    この鹿地亘出國のいきさつは,

    鹿地亘『中國の十年


    ※揚棄。 アウフヘーベン [aufheben]
      いまどきヘーゲル讀みでもなければ知らないことばかもしれないがw
     
    この『自傳的な文學史』や,鹿地の書いた魯迅の論考には,おもうに,
    中國から漢魏の時代(つまり・・・・曹植や曹丕『典論』に具現されたような
    建安文學のこころざしというようなこと),たからかにうたわれた文學觀,
    「男一生の仕事とするにたる」かどうか,という中國の文人の歴史,永遠の命題をも
    包括しつつ五・四運動以降の文學を,よく説明する。
    たたかう中國の文人,郭沫若らと,たがいの敬意と愛情以て深く交流した鹿地亘ならではの中國の“なま”の文藝評論でもある。

    それは同時に日本の,日中戰爭下,天皇と軍隊によって變容せしめられた,
    「一生の仕事たる」と,お國に盲從した文學界への批判でもあるともいえる。

    もし,あの時代の國威發揚,戰爭賛美の,日本人「文學者」の文筆活動を,
    もちろんそういうことを,ようしない文學者もいた,と言う事實があるにもかかわらず
    あえて蔑まず,報國會を「文學」といいうるならば・・・・,
    と言う範圍に於いてではあるが。
                  2013年10月24日 





    この鹿地亘の,文學論考の一節は,以前に載せた時には(・・・・・わたしのブログをこの當時から讀み続けている人がゐるのかどうか?という不毛にうたがいうるモンダイはおいといてw)いったん取り出して,
    別に仕分けて載せていた。鹿地亘の生涯をたどるのが目的であった,という掲載の動機が前面にあったからだが。
    載せたくはあったが,

    「文學とは,「男一生の仕事とするにたる」 かどうか,
    この中國文學の葛藤と克服,命題の解決としての五・四文學運動の歴史を重くたっとぶべき,ととらえているものとしてわたし自身は非常に氣のきいたすばらしく好い論考だとおもっている。」
    と付言して。

    切り離した。

    その時から四年,
    とくに「楞伽案前,楚辭肘後」と名付けてからは
    ひたすら,その,いわば『楚辭』以來の中國文學史上の政治と文學の葛藤
    その一點に的を絞って,
    いま,わたしのいう中國文學は『詩經』,辭賦,詩詞,歌曲,ということにしぼっているのだけれども。
    主に抗日戰爭期の舊體詩と,それが持つメタファーの歴史の変遷を書こうとしてきた。

    このブログでもずっとくりかえしてきたが。
    鹿地亘が,
    「近代文學が革命の自覺の中から生まれてきた,歴史の傳統を持つこの國」
    とする中國,だが。
    歴史の傳統,その意味は,わたしなりにいえば

    こと近代文學にかぎらない。

    屈原,嵆康,劉琨,陸遊,文天祥,屈大均,龔自珍・・・・,
    易姓革命と,異民族の侵寇にあうたび,文學は “高まった”
    激昂し,忼慨し,流血してきた大地の文學がある, 時を經て“碧玉” とかわりうる,名だたる文學の激越者は,つねに政治家であり,軍人であった,という端的な事實。

    もちろん,近代,五四運動以降,また抗戰期以降文盲の民をも巻き込んだ,文學運動の發展,という範疇においては,「中國近代文學論考」だが,
    こうした歴史の傳統,こそ,
    中國の國故斯文の “ある一面” ,いや中國文學 “そのもの” であるともいえる,
    また,鹿地亘の言う,
    「政治と文學がかたき同士になることはなかった」
    と述懐する意味である。

    鹿地亘の言うような中國プロレタリア文學の發展の經緯,のみならず。

    中國文學,これはわたしは,曹丕の典論が『文章經國之大業、不朽之盛事』,を宣したまいて以來,
    中國,その區切られた “囗” のなかの“土域”“國” たる骨幹であるところの
    民,“或(有)” すものを示す,
    (極論すれば,それは文化,とほぼ同義と思うが。)
    “ 文”

    建安七子の赫赫たる文采が,いかにして,權力によって弱められ潰え,また萎靡の風を受け頽廃し,ついには梁の滅亡につながったか,という六朝の歴史をみるだけでも,
    いくらでも實例を採ることができよう
    本末転倒をいえば,まさに。
    詩文に言志なく氣骨うしなわれれば國が亡ぶ,という・・・・,

    これから,抗戰期の中國文人たちの活動について本腰入れて書いていこうと思っている。

    なんといっても今年は七七事變いわゆる盧溝橋事件事變から80年,南京大虐殺から80年,
    十月革命から100年。
    書くべき,いや,キがちがうほど書きたいことが山ほどあるのだ。

    そう,
    詩文に「言志なく氣骨喪われれば」,中國は,ホントに亡んできたのだw

    それは裏返せば,文學,がいかに政治を助けてきたかの證左でもある
    あえていう,
    幾多の“文字之獄” ,文人の枉死,酷死がくりかえされてきた “國” である,その “國” で
    郭沫若 ら,あるいは,柳亞子,盧前(盧冀野) らの民族詩壇などが,
    國防文學として,祖國の救國抗敵のためにはたした役割のおおきさ。

    これらを考えるうえで,つねに忘れてはならない原點でもあるだろう,
    この,傳統,とは とりもなおさず“言志” であるが

    プロレットクルトと漢古の斯文が結びつき,“歌以言志” として,「喪われない」
    權力や來寇してくる異民族に “國境” 上で,對峙しうる “章” がある。
    “十” 足する“音” があるという。

    このことは。
    中國の文學が,中國の “民族 nation” 文學である,
    と言い得る核心。
    である。
    それを持っている,という,ただそれだけのことだ。

    ただそれだけのことが,わたしにはひどくまぶしく感じられる

    また, “國家 nation” の文學でありながら
    “人民 people” がつたえてきた血の歴史そのものと,
    まったく齟齬のない,詩文の傳統がある,という
    その事に激しく心揺さぶられる。

    匹夫之思,未易輕棄也。
    辭賦小道,固未足以揄揚大義,彰示來世也。
    昔揚子雲先朝執戟之臣耳,猶稱壯夫不為也


    このように述べたのは,曹丕の,気弱な弟だがwwww
    そのジツ
    揚雄秋室無俗聲ナリ。

    願攜漢戟招書鬼
    休令恨骨填蒿里


    とうたう李長吉がいる。
    ということ。だw

    文學的理想と現實社會のあいだで,常に,振り子のように揺れ動く文人詩人たちは
    「歌以言志」という四文字を心に想えば,たちどころに原點に立ちもどることができる。

    抗日戰爭期の生死を賭したあまた詩人文人もそうであった,
    歴史と傳統のなかにカンタン地に見いだせる,
    しかも,歐米の近代的知覺と同居でき,かつ吞みこまれないほど確固たる土臺を持つ。
    それだから, “國防” となる力を持つ。
    “滅私報國” ではなくだ,
    そういうことだ,

    國防文學であり,それは救國,であって某國に現れたような『報國會』ではない。
    ゼッタイに。
    そもそも立ち位置が違ったのである。
    文人の。文學の成りたちが “國” を作ってきた “國”,中國の 當然の歸結である

    それが文學の目的,ということではない,
    ゼッタイに。それは目的ではない。

    文學はヒトを強くする。
    ま,それはたしか,ということだが。
    が, “強靭であること” も文學それジタイの自存自立には必須なのだ
    キョーイクチョクゴのやから は, “人文” を,めのカタキにするが。 

    ・・・・・
    ・・・・。
    ちなみに。

    いまあらためて鹿地の文章を讀んでいてふとキづいたw
    別に揚雄からの連想ではなく。
    (揚の字の一致はただの偶然だw)

    “揚棄” とは。
    中文による。
    哲學上指事物在新陳代謝過程中,發揚舊事物中的積極因素,抛棄舊事物中的消極因素。

    近似の語として,遺棄,抛棄である。もちろんあくまで,近似,であって同義ではない。
    揚も,棄も “用” の言である。
    この場合, “體” は,過去,舊事,ということになるが。

    日本語の,アウフヘーベンの譯語 “止揚”,その “止” とはどこからでてきたことばなのだろう。

    ヘーゲル讀みにぜひきいてみたいが。

    マルクスがねじまげたのか?
    ちがうww
    ヘーゲル弁證法を マルクスが・・・・,wまさに“揚棄” したのだ。

    どーでもいーが,

    日本語ってやっぱヘンだ。
    哲學がわけわからなくなる一因は,マッタク,ゼッタイ漢語の咀嚼不足による。
    ヘーゲルの “世界精神”
    精,神,の語義を吟味しないで,世界精神。
    ウィキペディアもコトバンクも,

    っワケわからんこと書いてるぞw
    理性原理,世界霊魂・・・・

     世界史において特殊的有限的なものを媒介として、段階的に
     自己の本質である自由を実現するということである。
     一般的には、あらゆる存在を統一させる根源的な原理であったり、
     そのような事柄を成す神的であったり精神的な力のことを言う。

    だって。

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    肅肅と。自由自存の隘路肅殺タリ①鹿地亘[28]『自傳的な文學史』1《第八章 その前夜》 血路一滴瀝,血池笑蓮花

    今日は三月一日,三一節であるが。

    昨日(2017年2月28日),テロ防止対策,との,
    おおざっぱな大義名分でごまかされたまま,
    日本敗戰以來史上最惡兇獰の内閣によって,,
    思想,精神の自由なつながりを阻害し監視社會を現出させ
    治安の維持を幻出させる手品, 「共謀罪」法案,が閣議決定された。
    成立は確實,ということだ。
    哈哈
    笑止。

    以下の文章を載せるにあたって,鹿地の書く話そのものはわかりやすく注など
    かえって煩瑣なだけだろうととくにつけなかったが,大事なことをひとつ。

    この時代,
    作家同盟は合法。共産黨組織は非合法である。
    鹿地は當時,作家同盟の書記長。
    合法的集團であった文學藝術の作家同盟の面面が,
    多喜二のビラを持っていただけで檢擧され,ブタ箱にほおりこまれ,
    思想の選別によって,あるものは放免される,
    あるものは拷問を加えられる。
    今から85年前のハナシ,天皇ヒロヒトの傀儡國家「「滿洲國」成立の翌々年,
    日中戰爭はまだ始まってない。(2017年三月一日)


     心蓮吐輕馥
       xīn lián tǔ qīng fù,
     花笑血池紅   huā xiào xuè chí hóng
     滴瀝只開道   dī lì zhǐ kāi dào
     死吞天意空   sǐ tūn tiān yì kōng.

           2017.03.01




    以下2013年10月20日の記事再掲です



    鹿地亘の舊友

    昭和八年,特高警察によって虐殺された,小林多喜二。
    その小林多喜二の杉並馬橋の自宅で,集った友人らが遺骸を圍んで沈痛の面持ちで座り込む,有名な寫真がある。
    拷問を受けあげくに慘殺された,痕跡なまなましい,多喜二の遺體寫真,
    とともに,かなり出回っている寫真であるが
    ジツはこの寫真。鹿地亘も寫つてゐらせらるw。

      kaji.jpg

    前列向って右から,原泉子 (中野重治の妻),田邉耕一郎,上野壯夫,といった臉面が枕頭をかこむ。上野壯夫 の左に坐るのが立野信之,枕元向って左側,
    左端の胡坐の男,が 鹿地亘である。

    このように,かつて鹿地亘とともに,いわゆるプロレタリア文藝の運動を擔った同志は數多く存在する。そのうちの,すくなからぬ文學者は,日本の “空氣”,時代の風潮の要請をうけて “轉向” する。
    さまざまな動機で,特高警察の脅迫・強制で,生命や生活とひきかえの,“轉向” があった。いたしかたない,苦澀の“轉向” であった。
      
    さはさりながら。
    そのうちのいくたりか,多喜二の死後,數年を經て“轉向” 後,日本で “沈默” するどころか,わざわざ中國に出向いていって,大日本帝國陸軍の片棒,お先棒をかつぐ。
    從軍作家として,戰地を軍部とともに轉轉とし,武漢にいたらば,いたるところに,貼りちらされた鹿地亘の,戰爭の即刻停止をうったえる反戰ビラ を,眼にとめ “貶譏” するものがある。
    郭沫若や,馮乃超 ら,かつて日本に留學した文學者によって撒かれた,兵卒の命を保證する俘虜優遇規定の書かれたビラを,“嘲侮” して踏み進む。

    同じ,文學を志した作家たちであるが。

    これが,坦直に言って,わたしの少ない知識と狹い分別が,讀み得,知り得,感じ覺得した,日中戰爭下における,日中兩國の文學界のありさまである。
    端的に言って,帝國日本の民による侵略のすがた,であり,當時 (今も?) の日本の “空氣” である。

    時代の “空氣” ,文化人の “轉向” せざるを得ない事情,
    つまりこの時代の粛清がいかに,烈しくすさまじいものだったか,
    帝國日本のすがた。 當時の帝國日本の “空氣” 。この時代・・・・,そして今日。

    こんな時代が來ないことをひたすら望むばかりである。
    ここで書かれる,“話にもならん” 檢擧を可能にしたのが,惡名高き,
    治安維持法 である。
    “秘密保護法” とかゆーものも,
    わたしは “話にならん”のたぐいに發展しかねない恐れを真劍に抱いている。

    なぜなら,人があまりにも,あまりにも,このことに無關心だからである。
    やれ,中國の毒野菜だ,北京の公害空氣が日本人を滅亡させるだの,なんだの
    これらも言論の自由に裏打ちされた文言ではあるが,そのことに關心を払う
    程度には,安倍ら醜類の畫策するまがまがしい “毒法”,“精神の自由” の
    滅殺されかねない事態,への危惧にも,眼を向けて欲しいと思う今日この頃である。

    ヘイトスピーチも “ある程度” までなら許容できる,それが言論の自由,
    というものである。わたしも,すこぶるクチが惡い。

    しかし,ものごとには常識や限度というものがある,少なくとも以前の日本の社會
    世間にはあった。
    言を發しようとする側にも,言に顰蹙する側,にも節度が必要である
    言を取り締まる側,には,こえてはならない一線がひかれてあったはず。 
    ・・・・。

    小林多喜二 の弔い。葬儀が行われる。
    その翌日に鹿地亘 は特高警察に檢擧される。
    そのときのいきさつ,と,又,小林多喜二の死にまつわる,非常に興味深い,
    というか胸を打たれる不可思議なエピソード を鹿地亘 は戰後に書いている。
    それを,うつしておく。 

     自傳的な文學史  第八章 その前夜 前半部
               ―鹿地亘(三一書房1959)より。

     
     残虐眼をおおわせる小林多喜二の遺体を迎えたときの模様は,たくさん語られているので,ここでは省略する。だが一つの挿話を記録しておかないわけにはいかない。
     前にのべたように,その翌日私は檢擧された,實をいえばこの檢擧は計畫的なものではなかった。これは後に特高(名をおぼえていない)からきかされたのだから,ほんとうかどうか確かではないが,有りうることだと思つた。警視庁は小林のかばんの中から私の名をあげて作家同盟の右翼的偏向を批判した決議文の草案を手に入れたというのだった。
     彼らにとっては意想外のことだった。實は小林と同時にわたしをやるというのが彼らの予定になっていた。
     案外だ!黨グループに對立があるらしい。
     一方ではまた私には黨員という確證も握っていないので,彼らは計畫を變更し,もうしばらく泳がせて,ようすをみようということにしたらしいのだ。
     それでわかる。
     悲報を知って小林のうちにかけつけた私を見て,特高たちが「ほう,君もきたのか!」と妙な笑いを浮かべたのだった。彼らは私が風をくらって姿をくらますかどうかみていたわけだ。ところが,所轄違いの池袋署の一隊に翌日自宅をおそわれた。
     豚箱にほうりこまれて,事情がやっとわかった。
     そこには本庄睦男,若杉鳥子,そのほか執行部をまじえて東京支部員二十名あまりが,いっぱい押し込まれていた。
     支部執行委員會の流した多喜二の勞農葬のアピールをふところにしたあるサークルの青年が往來で不審訊問にかかり,それがいとぐちで支部執行部の檢舉になり,いなかものの特高たちが,このさい抜けがけの功名をたてる氣になり,同盟の名簿を手に入れようとして,誰かが書記長が持っているといったので,さてこそ私にまで手がのびたわけだった。
     話にもならない。
     だが話にもならないことで飛んだめに会うというのは,そのころめずらしくなかった。
    寝ごみをおそわれ,“泥酔徘徊”の罪名をつけられたものもある。
    私も晝食をたべていて,“無届集会”で檢擧されたことがある。
     このばあいも蟲のいどころの悪かった巡査に一人の靑年が,往來で“職權” を行使されたのが發端だ。
     本署にはドーミエえがくところの腐れ梨そっくりの知能の足りない特高巡査がいて,拷問がかりをしていた。
     彼はいちど,とりものの手傳いに動員されたのがやみつきで,「交番づとめよりゃ,そのほうがおもしろうなってのう」と特高に取り立ててもらった經歴を私に自慢したことがある。もとははたご屋の亭主だ。
     どんな拷問をやるのか,私はこの眼でお目にかかったことがある。
     今日『アカハタ』の編輯局長をしている宮本太郎君がそのころ水戸高校の學生で,私がここにいる間にやられてきて,かれもまたこいつの手にかかった。
    ほう,こいつか,というようにまず殘忍な笑いでなめまわす。
     「この野郎,しらばっくれやがって!」
     すごい形相に一変し,いきなり力まかせの往復びんた。
     さて,「そこに掛けろ」と椅子にかけさせ,どた靴で骨もくだけよと,力まかせに犠牲者の太股を五,六ぺん踏んづける。ばかの糞力に,私は思わず息を呑んだ。人間のかわりに椅子の足が折れ,巡査は笑止なかっこうで,ぶったおれた
    ・・・・・。
     私もまたこの腐れ梨にまずやられた。
     「名簿を出せ」
     「そんなものは知らん」
     「書記長がしらんはずがあるか!」
    したたかに殴りつけられ,肝をつぶして私は大聲で怒鳴りつけた。
     「冗談じゃないぞ!」
     こんどは巡査がびっくりして,手をやめた。
     天皇制警察の事大主義という奴で,“書記長” “赤門出” 」というのが,はたご屋の亭主に遠慮をさせたらしいのだ。
     「書記長が名簿の番なんかするか!」
     「じゃ誰がもってるんだ?」
     特高主任が私の後ろからすごみをきかせて,
     「鹿地クン,あんまりいばんなよ。」
      主任は私の目の前で本廰特高課の例の中川に電話を掛けた。
     「・・・・はあ,書記長もまいっておるであります。はあ,いや・・・・名簿をと思いましたが,殘念ながらまだそれだけは出しません。・・・・あっ,そうでありますか!名簿はいりませんでありますか。」
     何のことはない。名簿ときいて本廳では笑つているのだ。
     私がいるのを確かめると,悪名高い中川警部がすぐ来るといい,一時間ばかりの内に姿を現わし,その場で災難に遭った作家同盟の全員を釈放した。
     ただ ――
     「あ,鹿地クン,君は待ってくれ。一つゆっくり話しあおうじゃないか。」
     それから池袋に二ヶ月,ついで扇橋,杉並と半年をこえるたらいまわしが始まったのだった。
     後で考えてみると,いったんおよがせておくはずだったのに,池袋がまちがって掬いあげたので,逃げ出さないように,このさい片づけてしまえと,方針が變わったのかもしれなかった。

     池袋での二週間目に,多喜二を殺した下手人で拷問がかりの山口がさしまわされてきた。
     やつは私を腰かけた椅子の背にぐるぐるまきにしばりつけ,黨籍を白状せよといって,時計をみながら一時間二十分かっきり,さんざん殴りつけた。
     私は昂奮していたので,そのあいだじゅう多喜二のむざんな姿を眼におく憤激で歯を食いしばっていただけであり,留置場につれもどされてからも,同房の人たちに介抱されながら,多喜二のように死を賭けようと自分に誓っただけだった。
     だが思いかえしてみると,どうもおかしい。
     野豚のつらと體つきをした倒錯性嗜虐狂の山口が,ずいぶん私には手心を加えた氣がするのだ。
     拷打をくわえながら,ときどき私の息づかいに注意し,
     「ひよわそうで,案外強いなあ。胸くるしくなったらいえよ。心臓麻痺で多喜二の二の舞やられちゃ困るからな」
     それから茶碗に水をくんで窓に置き,
     「大丈夫か?息が切れたら水のめよ。」
     こいつ,今日でいう “心理作戰” をやっていた。多喜二の死の抵抗に脅えたということがあるらしい。やがて自分の方がくたびれ,大汗をぬぐい,時計を出して見て,
     「今日はこれくらいにしとこう」
     窓をひらき私の胸をはだけて,風をいれさせた。 
     山口はそれから二ヶ月目に,もういちど扇橋にやってきた。
     またやられるのかとうんざりしながら引き出されていってみると,ますますおかしい。
     やつは扇橋署の小使いに茶菓子と弁當をとりよせさせ,私に供應するのだ。
     「どうせ無理してみたところで,君は口をきかんのだし,骨折るだけでつまらんよ。僕は時間いっぱい閑をつぶして本廳に歸りゃ,役目はすむんだ。雜誌でも讀むよ。途中の本屋で文春と改造買ってきたから,君もまだだろう,どっちでもいい方をとれよ。」 
     私はあっけにとられた。
     ほんとにやつは二冊の雜誌をかばんから取り出し,私にえらばせた。どうしようもないので改造を受けとって,ひまをつぶしていると,彼はそっぽをむいて文春を一時間半あまり讀みふけり(あるいは讀むまねをし),時間がきてから私を留置場にもどして,ひきとっていった。 
     それいらい私はこの怪物にあわない。杉並では別の特高がやってきた。
     どうやら山口のようすは芝居ばかりでもなく,多喜二を殺したのにひどくまいっていたように思われた。戰後になって,私は彼が後に發狂して,悲慘な往生を遂げたらしいことを耳にしている。

     さてその後の話は少々架空な傳説じみたものになってくるが,れっきとした事實である。 

    半年も豚箱ぐらしをすると,まことにさまざまの人間を見,色々のことに遭うものだ。そして,切實に感ずることは,この社會の歪みの隙に落ち込んだあらゆる不幸な人々が,みなそれぞれに悲しく弱い,けれども「人間」だということである。
     それは囚人だけについてでなく,警官についても,またいえる。權力に歪められた人間失格者はもちろんたくさんいる。
     だが,彼らも人間をのぞかせることがある。ことに概して,出世の野心ももたず,留置場の番人くらいに安住している老巡査に,ときどきおもしろいのがいる。
     扇橋でそんな老看守の一人と知りあった。彼は熱心な日蓮信者で,私に好意をもって暇さえあると宗教問答や,むずかしい哲學論議をもちかけてきた。
     三ヶ月も私が入浴していないのに同情し,自分の財布から石鹼と手拭を買ってきて,便所のたたきで行水させるようにはからってくれたり,そっと煙草を吸わせたりした。
     ちょうど私のすじむかいの監房に,そのころ新聞を騒がせたらしい「今よう天一坊」という大へんな若ぞうが入つている。
     警察には,當分しゃばに別れることになる囚人が刑務所に移される前夜,係りの刑事とか,看守とかが,彼を刑事部屋などに連れ出し,慰安してやる風習が殘っている。
     天一坊の送られる前夜,この老看守が當番にあたっていて,囚人は晝間から彼に「今夜たのむ」とねだりつづけていた。
     「ねえだんな,おねがい申します。 ちっとばかり錢もありますから,どうかひとつ・・・・」
     「やかましいわい! ろくでもねえことこきやあがって! しつこくいうな!」

     ところが就寝まぎわになつて,老看守が私のところをのぞきこんだ。
     「今夜なあ,あの野郎ちょっと出してやろうと思うが,君もながいこと風にあたらんのだから,一緒に出てつきあわないか。あとで戸をあけとくからな。そっと出てきてくれよ。」
     泥棒の相伴だ。くすぐったかったが,看守の好意も無にできない。
     就寝の時刻になつて,囚人たちがばたばた毛布のほこりを立てている間に,老看守は相棒の巡査にあとをまかせ,泥棒と私をそっと看守部屋につれ出した。茶菓子と煙草が用意されていた。
     彼は二人を中に入れると,
     「ゆっくりやってくれ,おれはそこらでぶらぶら見張ってるから」
    といいのこし,部屋を出ていった。
     その後姿が見えなくなるのを確かめると,それまでひどく神妙に,ぺこぺこして顔もあげなかった天一坊が,急にいきいき眼をかがやかせ,にっこり笑つて,たたみに手をつき,うやうやしく私にお辭儀しはじめるのだ。ぐりぐり坊主のぬけめなさそうな若い衆だ。
     「あの,失禮でございますが,あなたはもしや共産黨のかたではございませんでしょうか?」
     そのようすが芝居がかっていた。私は苦笑をかくして,「共産黨の被疑者だ」と答えた。
     「ははっ!」と飛びすざって,彼は額をたたみにつけた。
     「出しぬけにこんなことを申し上げて,ご不審かと存じますが,私はあなたがたをたいへん尊敬申し上げておるものでございます。こんなところでお眼にかかれて,まことにうれしく存じます。じつは共産黨の方にぜひお眼にかかって,お耳にいれておきたかったことがございまして ―― 」
     「どういうことでしょう?」
     「わたしはあるかたにお眼にかかって生涯の感銘をうけました。そのかたの名はご存知かと思いますが,小林多喜二と申します。」
    今度は私が肝をつぶした。天一坊と多喜二! 
     「君はどうして多喜二をしっているのですか?彼は僕の親しい友人です。」
    彼はむしょうによろこんだ。
     「實は,あのかたが亡くなられました。」
     「知っています。」
     「私はそのとき築地署におって,最後のお世話をもうしあげました。」

     こうして,世にもふしぎなめぐりあわせで,私はたいしたいかさま師から,多喜二の最後のもようをききとることになったのだ。
     そのとき留置場には,かっぱらいやすりなどのほかに,三十人あまりストライキ勞働者もはいっていたという。
     天一坊は「牢名主」で,一等奧の坊の入り口に坐り,金網ごしに外をみていた。
     特高が一人の被疑者をつれこんできた。
     着物は裂け,顏じゅう傷だらけ,半死半生,息もたえだえのさまで,よろめきはいってきた。
     それが今村恒夫だった。九州の炭鉱出身の詩人で,豪氣なわかものだった。
     共靑グループのキャップ(文化團體内に靑年同盟のフラクもできていた)をしていて,前にもいちど山口の率いる特高隊にアジトの寝込みを,おそわれ,なわをかけられたが,特高たちが家宅捜索をしている隙をうかがい,なわつきのままずらかってしまった。山口からうらまれていて,ひどくやられたらしい。
     便所に近い坊に突っ込まれ,そのまま意識を失った。(二年後に結核で保釋出所し,中野の療養所で病死した)

     留置場内が殺氣だった緊張でしんとしているうちに,幾時間かの後,またひとりつれられてきた。
     苦悶によじれた真っ蒼な顔で,息をあえがせ,それでもまだえりくびを後ろからつかむ特高に肱をこずいて抵抗するのをやめず,「畜生!」「なにくそ」ともらしながら,彼は今村と反対側の,天一坊のいる房に突っ込まれた。
     倒れたまま苦悶しはじめた。天一坊たちが囲んで介抱した。
     胸をはだけてみて,ぞっとしたという。熟れすぎた果物の肌をしている。
     そのうちに,たえだえの声で便所にいきたい,という。自分では立てないのを,天一坊と一人の労働者が両脇から抱えるようにして,便所につれてゆき,しゃがませた。ひどく瀉した。それが血だ!急に弱って,そのまま倒れこみそうになるのを,はげましながら,やっと運び出したとき,ちょうど先刻のわかものが意識をとりもどし,金網にすがって廊下をのぞいた眼にぶつかったのだ。
     「小林,しっかりしろ!」
     われをわすれて彼が叫んだ。その聲ではじめて多喜二とわかった。
     房からいちどに火を吐く勵ましの聲がとんだ。
     もう何もきこえていないようだったと天一坊はいう。
     房にかえって横たえたとき痙れんがきて,人々は看守を呼び,看守は警察醫を呼びに走った。
     「しっかりしろ,小林!」とりかこむ人々が,のぞきこみ,はげました。
     そのとき多喜二がかすかに眼をひらいて,きれぎれに,「おれひとりのこと悲しむな。みんなしっかりやれ。」
     そしてけいれんがやんだとき,醫者はまにあわず息をひきとった。
     「おお,そのときのことばを私は忘れません。留置場じゅうがしんとして,すすり泣きがきこえました。誰からともなく赤旗の歌をうたい出し,みんなが聲をあわせて合唱になりました。うろたえて驅け込んできた巡査たちもそれをどうすることもできませんでした。」

     ものがたりには自分の役を誇張する天一坊の裝飾もまじっていたようだ。
     だが,若ぞうの惡黨が,いのちをかけた信念をまのあたりに見て,自分の生きがいのない蛆蟲の生涯につくづく思いおよび,しゃばにもどったら今度こそ生まれかわりたい,と語る顔には,うそがないように思われた。
     この惡黨がその後生まれかわったかどうか,私は知らない。だが多喜二が道を迷った一人のわかものに,強い光をさしいれたのは疑いない。
     萬人に光。
     文學の問題もそこにある。
     一九三七年八月,中國の抗戰に參加するため,私は上海で地下に潜行し,逃亡に入ったあいだに,萬一のばあいを考えて,このことだけはぜひ記録をとどめておきたいと思った。
     私はそれを書き,米國の友人の手を通して,モスクワの「國際文学」編集局に送った。發表されたことをきかないところをみると,とどかなかったのかも知れない。結局活字になるのはこんどがはじめてということになったようである。

     扇橋から,いったん釋放された。

     だが二週間たたないうちに,杉並に入れられた。
     九月に入つて,私の体はまいってしまい,四十一度の熱を出した。警察醫が責任をもてないといい出し,特高が本廰に請訓した。本廳では四カ条を示して,私が承認するならしゃくほうしてもいいと電話でいってきた。
     それがどんな内容だったかよくおぼえていないが,その一つは藏原がしゃばにいる間に,私とあった事實を承認せよということだったのだけ記憶している。
     私は拒絶した。
    「こまったなあ。じゃあ,しまいまで頑張るか。」
     と杉並の特高が当惑していった。
     翌日も熱は四十一度がつづき,警察はやむなく私を釋放した。

       鹿地亘『自伝的な文学史』 三一書房1959)



    特高警察から拷問をうけて,小林多喜二が慘死した直前のできごと。
    哈哈。
    ドラマちっくな光明を監獄の中に放ち逝った,あたかも吉田松陰ばりの,とうっかりいえないほど,姓安倍的は松下村塾をウヨクのメッカとおとしめたわけだがw

    その命を賭けて信念をつらぬく貴い精神は,まこと殄熄させえないものである
    とでもいっておこうか,
    この挿話,出來すぎていて,鹿地自身が書いているように,傳説めいている,
    が,實際起きた事だろう。
    真實真慘のものがたりである。

    魯迅 は,小林多喜二死せる,の報に接してすぐ,
    その死の酷虐を殤み,哀悼して日本語で短文を寄せた。
    鹿地亘は,多喜二の死からちょうど三年のちの冬,上海で魯迅に,邂逅する。
    鹿地の口からこの一話は語られたのだろうか・・・・。
    上海にて,鹿地亘が,貧しい中國の,魔窟に賣られた農村の少女の身におきた
    不幸をもとに,美しい詩文を書いた,それについて,論評せず批判めかず,
    しかし否定するかのごとき峻烈さでもって,自分にはこういう美しいものは書けない
    と言った魯迅
    ・・・・。

    書けないではなく書かない,ということであろうが。

    そのエピソードが, ☞ 鹿地の回想録 『中國の十年』〔二〕魯迅とともににおいて
    披瀝される。
    鹿地にとって生涯の師たる魯迅。中國における人民の魂の指導者魯迅に,
    この佳話が傳えられたであろうこと,想像するにかたくない。
    病に殪れるその直前まで,たゆまず文學とは何か,文學とは,誰の何のために
    あるのか,終生,文學者の果たすべき役割を,見究めつづけ全うした魯迅。

    思念歳歳紅蓮夜,沈吟深深各自知・・・・・・。
    格別に感慨深く想わされる。

    ちなみに,魯迅が雜誌『プロレタリア文學』1933年4,5合併號に
    書き送った輓章の如き短い文章,日本語で綴られた文を載せておく。


     同志小林の死を聞いて

    日本と支那との大衆はもとより兄弟である。資産階級は大衆をだましてその血で界をゑがいた,又ゑがきつつある。 
    同志小林の死は其の實證の一だ。我我は知って居る,我我は忘れない。
    我我は堅く同志小林の血路に沿つて前進し握手するのだ。
                                             魯迅




      
    表層に,薄っぺらく蔓延している,よくかんがえれば矛盾だらけのネトウヨの言葉を鵜呑みにする若者がどんどん増殖している。
    鵜呑みにするワカモノに,ちょっと待て,と,よく考えろ,と,言うことのできるオトナがいない。もとより知らぬから,なのか・・・,
    ほんとうに知らぬなら,知らぬことに不安を覺えないのか。
    もっとも知ったからといって,そのあと考えるかどうか,またどのような考え方をもつか,はそのヒト次第だが。

    想像力の欠如しすぎたひとたちからは嘲笑され,ゆがんだ “そうぞう” にふりまわされるひとたちから,非國民とののしられるだけかもしれない,黙っているにしくはない
    そう言いたげな顏つきがあふれてる,そんな時代なのかも知れないが。

    もっと多様であっていいじゃないかともおもう。
    しかしネトウヨ言説がはびこっている,という現實。

    それがすべてダメだ,とわたしはおもったことはなかったが。
    どんな言論だってあっていい。はずだ。
    いま,それが不可解で,氣になるのは “壓倒的な多數” を占めるという現實だ,日本の加害の歴史を,主張したらめちゃめちゃたたかれる。
    そしてアクセス數をほしさに美化史觀をはびこらせて,おもしろおかしくカゲキな反中感情を煽り立てる。どんどんエスカレートする。
    檢索結果ジタイ,作為的にコントロールされうるんだ,とはPC普及のころは常識だったが,
    そんなことは今や誰も考えない。
    ネット言論は,簡單に作られる,そんなことを知りもしない,いや疑う動機すらないネットユーザーにリテラシーを期待する,ナイーブでお行儀良いリベラル。

    修正(Revision)主義史観の横暴が,眼に見えて “知” 的に劣化した。
    (何が知的かはさておき,集團で同じ事をわめいたら,そして異を唱えるものを
    暴力的に押さえ込もうとしたらそれは少なくとも知的な行爲ではないだろう。)
    同調壓力と知力は反比例する。わたしが長年身近に感じて知りえたことた。 
    わたしは共産黨員でも支持者でもなくリベラルでもなく愛國者でもない。
    ただの文學好きで,ただ考えてるだけのヒトだ。
    同調壓力は右からも左からもつねに感じる。
    わたしがヒトに同調を強いたいとおもわないのは,弱いからではなく考えるからだ。
    強いられると反發するのも,ただ考えているからだ。單純なことだ。

                             2013年10月22日



    あははw4年前からおなじことしかかいてなかったわ

    日本人のイデオロギーアレルギーは。
    日本人がそうなっていった歴史の過程は・・・・・,。
    次頁にあげる,鹿地亘の文學論考によく表されている。
    のダ。
    戰後。
    國家權力が,どーこーしたというのではない。

    wwww
    集團となった瞬間,日本人が,
    である。

    當時の鹿地亘はいう,
    「戰後の反省から」。らしい。

    (鹿地亘事件の後に書かれているだけにこの言葉の裏の諷意と心情も讀み取るべきだがw)


    「イデオロギー」はバイ菌か犯罪にかぎりなくちかい。
    當時の鹿地ら・・・・中歸連への世間の反發・・・・・
    わたしがこれを引っ張り出したのは。
    ここのところの朝日の夕刊の連載が秀逸だからだ。
    毎夕讀んでいて・・・・,ひどく心を突き刺される苛まされる

    當時の鹿地亘はいう,「戰後の反省から」。
    今,わたしに言わせれば戰後の無反省から。だ。
    そして今,
    戰爭の反省を強いるから “思,想” は敵視される,

      考える “よすが” を摘み取れ!
       “考える葦” を刈り取れ!
    ・・・・。

    とわゆえ。
    いまや,コトバを發しただけで,主張がある,というそれだけで
    「他人の意見を封じ込め自分の考えを人に強いる自己チュー」
    ケダモノあつかいだ,
    ヒコクミンどころかヒトデナシというわけ。

    いまおもう,
    日本人は思想アレルギーではない。
    主張アレルギー。



    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    仍相仍因心何處,層銜層接我住地⑨りべらるホ種の棲棲遑遑と社會學者の心

    どうもあのへんちくりんのロバが我が家にやってきてから
    パソコンむかっても,へなへなへな~と力が抜けるのであるがw

    roba-b.jpg


    ザ・ターミネーター・トランプ登場以來,ワケのわからん記事であきれるばかりであった,「他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン」にも,やっとすこぶるマトモ,
    と,わたしには思われる見解が現れた。
    それはオリバー・ストーンのインタビューだったが。

    トランプ當選直後の,フランクフルト學派のヴォルフガング・シュトレークのインタビュー載せたのは朝日の秀逸だとおもったが。
    ・・・・。
    わたしのしるかぎり,世の中に
    (と言ってわたしは,ネットのニュース言論意見は一切みない,アサヒシンブン以外で世の中の動きを知ることはないのだがw)
    日本人で,かろうじてまともと思えた見識ある意見は “社會” 學者の,小熊英二だけだった。

    オリバー・ストーンのいってることは,そのジツ完全に「アカ」の言説と一致する。
    わたしにはうなずけることばかり,というか,
    このブログでも前のブログでも一貫してずっと言いつづけてきたブツクサ,
    アメリカのワケわからなさ,は世界の不安定要因だ,ということでもある。

    わたしのダンナは,ぷらとーん,觀てないくせに

     「ぷらとーんの監督が,マトモなこと言ってるぞーっ」

    と,びっくりして笑ってたがw

    わたしに輪をかけノーテンキなうちのラオクン,
    大統領になったらもっと面白いこと言うかと期待してたか,

     「トランプは,あたり前のことしか言わないな,自國内の雇用を増やせ,とか
     工場移轉はするな,とか,TPPはやめる,とか。
     むしろ,安倍ボンボンは,フテクサれてこのくらいのこと言うべきだ。
     中國は二つあるゾ,とかジョーシキじゃないか,なんで大騒ぎするんだ」
     
    と言ったらばそーとーに周りからダメだしされまくったらしく。
    すっかりトランプびいきになってしまったというへそ曲がりでもあった。
    このトランプ騒ぎの棲棲遑遑,その間,
    へそ曲がりでないわたしは・・・・・,w

    わたしは,ニホンには完全にアカ的言説はなくなったことを。
    しみじみとさみしくジツ感させられてたわけだが。

    わたしがおもったのは。

    マッカーサー以來のレッドパージが,ようやく完成し,アメリカ・メディア・大コントロールによってアカが完全に熄滅したということだw
    とわいへ
    ついに,そのアメリカも,いや,世界の安寧と秩序を脅かす「パックス・アメリカーナ」
    も,トランプの鼻息によってターミネートされる。

    とゆう。
    哈哈。毎日,新聞を讀むのが楽しくてしょーがないのダ

    小熊英二が書いていたこと。これはトランプの人格批判に明け暮れる
    りべらるにはよくわからないかもしれないが非常に示唆的なことを,
    ラディカルで,單純な, “社會”の道理を,ある意味で非常にカゲキなことを書いていた。
    いっぽう,彼は,フランクフルト學派のいってることを,アカの匂いをさせずに,
    非常にソフトな言い回しで,書いた,というようにも
    わたしにはおもえるが。

    ターレン(大人Dàrén), とシャオレン(小人 Xiǎo rén)の言葉で,かれの意圖するところを,十二分に,しかも直球で投げつけてきた。
    漢籍とフランス大革命とマルクス主義を,都合よくかじったデンパケイならでは,
    よくわかるハナシだ。

    そもそもフランス革命の大義は, “瘰癧さわり” いわゆるロイヤルタッチ ―― その否定,であったわけで,
    では,その後登場した,シトワイヤン,市民社會において,
    ノブレス・オブリージュ( noblesse oblige )は,いったいだれが擔うのか,というハナシでもある。

    それを擔うものはだれか。
    當然,これは “人民 Rénmín”,つまり シトワイヤンcitoyen” である。

    またそのものらの,對極に位置するものは,だれか,といえば・・・・・。
    民の敵對的存在・・・・,古典的アカの用語を持ち出せばw
    “市儈 shìkuài”
    つまり,アカの,記号としての,Bourgeoisie,
    Classe des bourgeois
    である。
    その兩者が對立しあう,この状況を眺めて,名づければ,それはどんな概念語か,
    というと“階層”,もしくはより尖った言葉を使えば,
    “階級鬪爭” ということになる。

    それは,もはやいくところまでいった。
    カーストcastes,Unequalのモンダイだろう。
    民主社會にカーストはない,建前。
    それはそうかもしれないが,かならずや層をなしはじめる。

    la société Unequal ゆにこーる, ―― もしくは 不平等” inégalité
    術語としての,Les inégalités sociales,である。

    ちなみに。
    Les inégalités sociales,は,
    「どうも不平等があるね,この社會には」,ということではない,
    中國語では[社會不平等],となる。
    これは正確だ。
    つまり,社會のなかに存在する不平等のことではなく, “社會不平等” ,社會は不平等である,その社會の姿そのものをいうことを言う言葉だ。
    これは,體,であって形容ではない。
    人民の,語としてあるべき “體”“用” の關係性を考えれば・・・・
    この語順の違いは,かなり大きい。

    そして,今,この格差社會の不平等は,
    もはや, “革命 Gémìng” 
    révolution,commun によってしか,是正されえないこと,
    その絶望( ―― とワクワクした期待 ―― )を示唆する

    commun とは,そのジツ
    majorité, le plus grand nombre.である
    もちろんこれは,大人,ターレンではなく,多い人數のことであるがw

    小熊氏の言わんとすることは,社會の平等,すなわち水平社會とは,いったい誰がそれをつくりだすのかという,その “主體” ,のことでもある。
    社會は,いつのまにか創りあげられるが。

    “民主” 社會は民が創るものでもある,
    それが民の大同による主導であれば民主社會,となる。
    畢竟,どんな平等の社會であれ,不平等の社會であれ。
    彼が取り上げたバーニー・サンダースの言葉も,このことを,「 “政治指導者の權威” その否定」というかたちでしめしている

    人の,大小あるいは,“社會”という言葉の,漢字が本來持っている原義,その二つの文字の古義としての意味を,知るひとなら案外わかりやすいかもしれない。

          大 dà         小 xiǎo
            大 dà         小 xiǎo


    どちらもヒトが手をひろげて大地に立っている様を象形した文字である
    腕を大きくひろげているか,腕を小さくさげているか,という

    また,たとえば,
    中國の場合,“社稷ということばの概念はイコール “土” であり。
    日本にあっては社稷とは,ただの,いまだかつて否定されたことのない「權威」であるにすぎない,
    という違いであるし,

    このことは,日本に近代以降 “社會”がないコトの理の當然を,近代日本に起こっていたコトの必然性を,
    その “歴史” の證左を,そっくりそのままあらわしているようでもある。

    同じく西洋歐米列強の恫喝と “強姦” によって開國させられた極東の島國天皇國と準極東の,民國をへて人民共和國となった某大國とのチガイでもあり。
    のちに,敗戰を經て “恭しい娼婦” とされた米國の屬州的「戰後レジーム」と,
    一帯一路の野望の“覇道” につきすすむ中國のちがいでもある。

    では,“王道”,つまり,王樣がいない市民の社會に於いては
    “天道” とも時にいわれる, “道”
    その “正道” の具現者たるべき “天民=布衣の人” たちの「民“國”」 にはどちらが近いか, といえば。

    殘念ながら
    どちらでもない。ということだ。

    ではどちらがいいか,好きかというハナシでもなく。

    もちろんわたしはナントカ会議みたく戰前レジームに戀戀とするわけぢゃない。
    もちろんネトウヨでもない。
    (アンシャン・レジームではなく,Ancient に,固執しているだけだ)

    いつもいつも「朝日にあらわれる小熊英二」に生ぬるさを感じて,ブツクサいってた
    わたしは,それでもいいのかもしれない,・・・・
    とはじめておもった。
    彼が問題の大きさゆえに言葉を濁してきていたこと,彼の「覺悟」,というか,
    志のようなもの,それがよくわかったキがした。
    トランプの人格と人種差別と虚實云云に狙いを定めているりべらるとホ種は,小熊氏のラディカルを讀み誤るだろうが。

    とまれ,このおもしろい小熊氏の言説, “大人”“小人” という用語でつたえられた,くるみこまれたカゲキさ,は措いといて,

    そもそも。
    ・・・・・。
    今年,年明けそうそうから。
    天皇ヨイショがひどいアサヒーシンブン。
    元旦から,キワメてフテキセツ,な記事が多いんだが
    とりわけっ,フユカイ,だったのは

    なんだ?
    天皇前職,のミスターヒロヒトが,これからの日本は平和國家の道を歩んでうんたらかんたら,のたまったところ
    德富蘇峰がそれを聞いて
    「それでは以前のニホンがまるで侵略國家みたいぢゃあ~りませんか?」
    みたいなことを日記に書いたとかなんとか。

    ふざけんなっ
    お前が音頭とって侵略してたんだろーがっっ,
     


    怒。
    新年そーそー腹が立って,おもわず新聞ぐしゃぐしゃにして。ヤツアタリ。

    わたしは戰後だいぶたってから生まれたので。

    文人系A級戰犯の徳富蘇峰や研究系A級戰犯の矢内原忠雄とかが,はたして
    一度たりとも反省したり謝罪したりしたことがあったかどうか,よく知らんのだが
    和田春樹が言うには,
    「その時から今に至るまで・・・・・」
    あはは。
    アサヒシンブンの記事を引用すると

     「これ迄(まで)の日本は、平和国家でなかったか。平和国家でないとすれば
     侵略国家であったか」 (「徳富蘇峰終戦後日記」)
      
     和田春樹・東大名誉教授は、言論界の重鎮が残したこの言葉に着目し、
     「天皇の勅語は、戦後70年が過ぎても解けない歴史認識の対立の原点だ」
     と指摘する。
     そしてそれは、日本国憲法が占領軍による「押しつけ」かどうかをめぐる
     論争にも直結する、と和田氏は言う。

    徳富蘇峰を「言論界の重鎮」としか書かないところに。 
    端的にアサシひんぶんの質的劣化だ,それを,よくよく感じさせられたが。
    單純極まりないうえ,幾分デンパ系のわたしは,そこでますます論理を飛躍させ,
    キメツケテ思うに

    つまり,なんだ?
    今のネトウヨの元祖は,徳富一門。
    ということになる。w
    そして,

    第4インターの生き殘りとネオコンが結託したのとヒラリー・クリントンとグローバル主義と,この德富一家だの,岸のカッパの妖怪一味だのといっしょくたになって合成されたのが,

    ザ・安倍政權。
    とゆーことになる。

    テキトーだな。いや,ちがう,ムテキだな。

    とおもうんだが,しかしwそのム敵な彼らが

    一介の,粗暴な不動産屋に翻弄されまくっている。

    これはけっこう愉しい世の中なのかもしれない,
    とおもうだに,
    わたしは「ピープル」の底力というもんを信じている,ワクワクしながら戀患ってるのだ,ビョーキなのだ。

    トランプ大統領誕生は,
    アメリカの民の“天下紛然,怨聲滿道”
    をまざまざと感じさせてくれた。

    奥田愛基氏は大統領選擧期間中,アメリカで生にトランプ支持者を眼の當たりに見て ―― “直視” して,その壓倒的な熱氣を肌で感じた,そうである。
    これはいい。
    民の “聚” 聲を真直ぐ見ることができない,りべらるが多いなか
    在野の草民として,一本スジが通っている強靭を感じさせてくれた。

    ポピュリストをポピュリストと言って批判しないところがいい。
    ポピュリストの荷い手はピープルである,という,
    そのピープルとは何か,これをよくよく考えさせられる。

    people とはなにか?
    また,
    Naition とはなにか?ということだ,

    その原點を否定的にとらえない。
    トランプ熱狂,あれが,ザ・アメリカ,なのだ。と
    ジム・モリソンに言わせれば L’america の,W,A,S,P

    そのアメリカを好むかどうか別として,これは本來,日本人が否定したり,歎いたり,するよーなハナシじゃない。
    日本の行く末心配するのは,わかるが。
    それもアメリカの屬州であることを肯定していればのハナシ。だ。

    ふつうに優先順位から考えればw,
    ・・・・・此れもアカの發想なんだろーがw
    そもそも難民を受け入れない日本政府や,沖縄と “本土” に “カベ” をつくって
    差別を發散するマスコミテレビと大阪府知事の方が
    よっぽどダイモンダイである。

    「冗談じゃないぞっ,アメリカっ」
    とつねづね口にしている人間が,なぜアメリカの瓦解を心配するのかが,
    わたしにはさっぱりわからんハナシで,そーぢゃなくて,だ。
    トランプの人格にスジチガイの批判をする前に,考えるべきだ,
    沖縄の基地問題に連帶するなら,トランプの人格批判に加擔したらダメだ,
    物事を本質的に,テレビに映し出されるトランプなど見ずに,
    奥田愛基ぢゃないが,孤獨になって。
    コッカイで居眠りもせずにwひとりひとりがコドクによくよく考えればわかることだ,

    棲棲遑遑だ。
    だいたい日本のりべらるホ種は,アメリカの西部劇なるもんを見たことないのかよ,とおもってしまうが,
    そういやクリント・イーストウッドもトランプ支持だって?
    ま。どーでもいいや

    といいつつ今,WIKI,をみてみれば

    トランプ支持者は・・・・オリバー・ストーン,くりんといーすと・・・・
    キッド・ロック,に,ハルク・ホーガンwwwワケわからんな,こりゃ
    ・・・・・。まで書いてきたブツクサを整理すれば,

     アメリカの自由と民主主義,というのはゴールドラッシュの中で出逢った
     この西部の荒くれ,「ライフル所持が自らを守ってくれる」信仰
     全米gun “教會” と福音派教會の僞善,その “野合” から生まれ落ち
     兩者の拮抗(つまり同居すれば夫婦は喧嘩する)のせいでネグレクトされ,
     ますます野放圖になっていった子供たちぢゃないか?
    と。
     彼等は,メソ・アメリカの文化を破壊しネイティブアメリカンを荒涼の“居住地”
     柵塀の外(内にだがw)に追いやり,綿花畑で黑人の太鼓を取り上げた,
     居住區を分け,ゲットーを肯定し,いまも核實驗場の風上に安住する白い人
     ぢゃないか
    そして,
     最も民主的と考えられた黑人大統領は,先住民族の英雄ジェロニモと
     オサマ=ビン・ラーディンを同一視する。
    そして
     ガザ・ストリップに「高い壁」を作って鎖封するイスラエルとは難兄難弟,だ。

    そう考えれば,
    トランプの可笑しさは,アメリカ人の血,そのものだ,今に始まったことじゃない
    なにもTPPやグローバリゼーション音頭を柔順に踊らないからと言って,
    トランプ・アメリカに長大息したり,プリ・トランプ時代を懐かしんだりオバマ政權を忉怛する必要もない
    とゆーことでもある。

    わたしはオバマは就任一年目でキラいになった。
    好きだったのは,黑人音樂の聖地シカゴのサウスサイドの貧民區で育った
    才女のミシェルと,犬を飼いボーと名づけた,というエピソードだけだ。

    ちなみに。
    ローマ法王から非キリスト者の烙印を押されたトランプは長老派だw
    敬虔なキリスト者たちの投票行動に,宗教ハバツのセクト主義がどう影響したかはわたしはしらんが,
    (あのハレンチな言動を考えればマッタク影響しなかったと考えてもまちがいぢゃないだろー)

    ピューリタン革命以來だw,
    長老派は,彼らを追い出した歐洲のリベラリズムプロパーとは一線を劃してる,
    とゆうのは,身もフタもない世界史の常識だ

    アメリカの正義と歐洲リベラルは全く異質のものなのだ
    ドピルパンとラムズフェルドのケンカを思い出せばわかりやすいw
    「フランスは古い國だからあえて反對する」


    にほんのりべらるは,新興の自由の女神に象徴されたなんとなく,おっざっぱな,
    情緒的に,「自由」と民主主義の「正義」を,傳統無きアメリカの中に夢見ている。

    いかにも歴史無き,明治維新からはじまった新興國家らしく,といえばそれまでだが
    ヨーロッパの民主主義はローマ帝國以來の哲學思想に裏打ちされてきた,
    キリスト教會さえもそのうちに包括するオルソドクス,カノンである,
    もっといえば,
    洋の東西を問わず
    歴史上繰り返された,流血のジタイ,幾多の試練と苦難をのり越えて,民の力でもって確立したもの,人類の英知と限りなく一致するはずのものなのだ。

    その意味でも
    全世界に秩序と平和をもたらすのは,アメリカの保安官,だの,
    イージス艦ウィリアムなんちゃらの『航行の自由』作戰,だの,
    アメリカが自由と民主主義の盟主,だの,價値觀外交による「自由と繁營の弧」
    だの,とゆーのはマッタクのところ,安倍自身さえ信じていない“おとぎ話” だ,
    軍擴競爭が國土保全の唯一の道と信じるくらい,マヌケなことぢゃないか

      ちなみにだ,わたしがよくつかう, “おとぎ話”という語は,イコール
      嘘っぱち,だっ!だから信じるなッ
      といってるわけぢゃない,
      よく誤解され會話は途切れるし,ともすればだいじな友人を失うが・・・w。

      それが フィクションであれ ―― ノンフィクションであれ ――
      おとぎ話とはなにか,
      目覺めない人を,安らかに眠らせる作用を持つ,ということだ,
      そんな物語の流布に加担してはゼッタイにいけないのだ,
      當然,シェヘラザード姫の弱者の立場にはわたしは同情するが。
      強いものが喧伝するおとぎ話は,人を思考させない。
      麻痺させる。直面していることの一番大事な優先順位を狂わせる
      わたしが,
      日本が,りべらる衆愚でもってトランプの人格批判をしたからといって
      どうもならんどころか,やめたほうがいい,と思うのは・・・・

      ただそれだけだ。
      おとぎ話は,今日目醒めない人をあしたも眠らせることにしか・・・,
      意味をなさない。
      瞿秋白が批判した夢中鞋とおなじである
      
    ・・・・・。

    そもそも。
    ピルグリム・ファーザーズの子孫,トランプなる不届きもの,
    彼は,不動産やであった。
    とゆう。

    これはかれの性格や人格ではない,まぎれもない事實,
    ただのファクトだ,トゥルースだw
    では 「不 “動産” とは何か」ということで,考えれば,だ
    “動産資本” とは, “移動” で利ザヤを稼ぐ。
    “グローバリゼーション” とはそもそもの發想が違う。

    大資本であればあるほど, “資本移動” によって利益を生むに限りなく都合がいい
    というか,これ以上ないというくらいの,出來過ぎた,行き過ぎの収奪システム,
    移動できないものたちにとっては,不利を生み,損を擴大させるばかりの
    格差製造マシーンであるところのグローバル。

     (これはアメリカとイギリスのプロテスタント教會を通じてつながり,ツーカーである
      ところのある途上國でやりとりされる,資本移動のモンダイも含まれている。
      そのあくどい實例はパナマ文書やウィキリークスによって暴かれたばかり
      ぢゃないか?キリスト教會の宗教派閥で世界史を見ることは,世界史を
      手っ取り早く理解する作法の一つであるが,組織神學的教會史,いや宗教
      そのものも日本人が一番苦手もしくはムカンシンのところだ)

    そもそもトランプが,米國ファースト,というのは,彼の生業をかんがえれば,
    むしろ理にかなっているぢゃないかっ。
    すくなくとも,ワケのわからんダブルスタンダードを体現するクリントン一味より
    よっぽどスジがとおっているようにもおもうしw

    とはいえ,
    これは地上げ屋とか,リーマンショックだとかの,時代時代に現れる表層的な “相”のハナシ でなく,人類の歴史のはじめからある,もっともっと根源的な, “社會”,そして社稷のハナシである。

    “地主” と, “民主” の戰いでもあるし,
    “地主” への民の抵抗という單純な觀相であるが。

    最初の革命の轉機は ―― つまり「 “地主” のいきすぎた権利を剥奪して民にわけあたえる事業」 ―― ,これは畢竟,民が主體となってやるしかないのだが,
    その民を助けるものは,―― いつも 「“地主” 階級」 から現れる ―― 。
    「階級」と言ってカゲキすぎる,アカにすぎるなら,階層, “層層” ,という無色のコトバにおきかえる

    『出エジプト記』のむかしから安住の地を求める,落地生根,草萌の神話でもある,
    デイアスポラの怨嗟と,奪われた土域のハナシでもあり,
    レコンキスタでもある,現代の移民問題と直結するハナシだ

    社,土を示す・・・・・・

    この土地が「草民」にとって,最も良い,生きるに適した場所であることを
    “示す”

    それがリーダーであり, “政 まつりごと” の發端であり。
    社會とは,そもそも,社の會同である,という

          社 shè       會 huì

           社 shè          會 huì

    「會」字は段玉裁『説文解字注』によれば, “益” である。

    つまり。
    公羊學者の正統は, ―― その系譜はのちに,なるべくしてマルクス主義者と
    なっていったが
    “益” を考えずに社會は成り立たない,
    といっている。

    トランプがはたして真の民衆のリーダーであるか,そんな事はわたしは知らない。

    しかし,ホントの “民の利益”とはなんなのか,それを
    指し示すだけが。
    今あるシャカイに,それを示すのが,
    最初の “段階” である,ということだけは, “革命” の歴史を見ていてよくわかるのだ。

    そう,もうすこし穏健な言い方をすれば・・・・・
    ラディカルなことばかり考えている頭には,トランプのいってることは,それほど奇天烈ではない。ただ現實味がとぼしいのと, “現代的” でない,というだけで。

    では,現實や現代がそんなにいい時代なんですか?
    ということにつきる。
    屁理屈だと,おもわれるだろうが。

    ムチャクチャ言ってるわたしにしてみれば,
    トランプのいってる無茶なことに不快をつのらせ,拒絶反應示す人は,あまり
    原理的,根源的なことを考えない,
    かつ,
    “リアル” 現代に満足しているヒトビト,ということになる。

    つまりは既得權 “益” 層の,昔の言葉でいわんば,保守ではなく,精神的反動だ

    トランプををポピュリストだの,ポスト・トゥルースだのともっともらしく批判するやつは氣取ってるだけで,社會の表層しか見えていない。
    トランプの言ってることは,
    “土地” , ―― つまり “國” だ, ―― それを富ませよう
    ということ。
    ピープルに寄り添おうとすればポピュリストにならざるを得ない,
    社會主義者のバーニー・サンダースもおなじだ,
    過去の共産主義者もそうだ,
    ただ,
    土地の私有は許さない,公司は國營ですっ

    とタテマエいいはってるだけでw,
    “國”, ―― つまり “土地” だ, ―― ,“ 囗域” 内の價値を高らしめる,
    という意味では同じことを言っている

    その對極にあるのがグローバリゼーションだろ?
    と。
    そう考えれば,www出てくる答えは何か。
    デンパケイのわたしの頭の中で醸成されるものは,

    グローバルネオコン陣營VS「國民國家」主義者の熱き戰い,
    ということになる。

    これは第四インター殘黨VSコミンテルンの戰いではwもちろんない,

    そんなケチなハナシぢゃなく。
    民の, “人權”という “益” を, 民から搾取している何モノか,との,不斷の戰い
    人類普遍の,人民の不撓の戰い,ということだ,
    歴史のコトワリ―― 必然。

    120年に一度おこっている,のである。
    ルターの宗教改革,ピューリタン革命,フランス革命,ロシア革命,今年はソヴエト勞農政府の誕生から100年だ,二十年後には新しい夜明けがある。

    そして,ここが小熊英二のまさにいわんとしたことだとおもうが,

    トランプはそのワレワレ,民衆のリーダーでは決してない。
    彼に,うかうかついていったところでおこぼれは何もない。

    しかし,
    と小熊氏は
     バーニー・サンダースは,「おれにも期待するな,と。
     おれがナニカをしておこぼれを分け与えるわけではない。」
     バーニーはそう言っってるじゃないか,
    と,書いた。

    鄒容が110年前にいってたことと,なんらかわらない。
    ということだ,      ☞ 鄒容,社會大同

    彼は,一人びとりに命を革む自覺をうながすことしかできない,といった。

    畢竟,民のリーダーは前驅する馬,軍馬の前卒にすぎない,
    ただ,さきがけるだけだ,が,行くべき方向はわかっている
    トランプはカン違いの方向に走ってるだけだし。
    そういうやつはこれから何人も出てくる。
    ついて行ってはいけないし
    誰もついていかなきゃ,彼らはとぼとぼ歸ってくるしかない
     
    いろいろなジタイがおきるだろーが,そのうちには,いつか
    真の受益者たるべきはだれなのか,真の “土” の益とはなにかがわかってくる。

    その時初めて,彼等にとって,その “土” 地にとって,また, “移” 民者にとっても,
    “移民” を受け入れる側の者らも,彼らを安住させ彼らと安住できることが,
    真にその土地にとって “益” となることがわかる。


    その時, “意志” によらない不幸にしてせざるをえない移動,
    作為的なグローバリゼーションの惡弊によって起きてしまっている, “移動” だが,
    そうした“移動”には,意味などなくなっている。

    移民は,定着すれば “民” になる,
    古今東西。
    もとより “民” は移動してきたのだから。

    そして,そのとき民の “益”“示” された “土” の,“益” となる
    土と民の,“會”  となる。

    「不動 (資)産」,にはそうした意味がもともとある,ということだし,
    “社會” という語が古來持っている意味である。

    そして, “國” はいつも “變易” されてきた

    ちなみに
    古字の “社” は,
    こういう形であった,という説もある

         社の古字 社 shè   234AE.gif  社 shè

    畢竟,
    各樹其土所宜木也。 各各樹木はその土の "宜しき" に木と生(な)る




    おわりに

    わたしは國家というものは,イコール民の “社會”
    民の土地の利益をはかる,つまり社稷の豊穣のための “會同” が,社會である,と
    その事をずっと書いてきた
    その意味でならわたしは,精神的に社會主義でもあり,とはゆえ嚴密に整理して
    言えば “國” 家主義者でもある。
    國家が民のものになるとゆーなら,
    そーゆー國家ならネトウヨにはもーしわけないがわたしは,愛 “國” 者でもあるw

    しかし,今,わたしの棲遲する社會も國家も, ―― 日本政府が
    國 “土” 地を愛さず,「民が主」でもないから
    無政府主義にはもろてをあげて同調したい。
    そんなカンジ。

    某所では,ヒコクミンとさげすまれるが,わたしには名譽なことだ

    そ-いや
    ww
    大統領就任式の際, 黑い服きたのがアバレてたとゆう。
    そんな集團がいたとゆう・・・・w,
    ますます革命の予感にとらわれてしまうな。
    頭の中は・・・・,
    ヒコクミン,でなく,くろぽときん,な,玄ちゃんはワクワクなのだ。

    社會現象,仍仍相因,層層銜接・・・・

    120年に一度の世界の腦震盪に巻き込まれて,日本がちゃんと人類のカノンに參畫
    できる絶好のチャンスぢゃ!
    と。
    Hozhdenie v narod!!っっ

      碧玉觀音
               梱包される前の觀音とお別れするへんてこロバちゃん。


    包君がわたしに “玦”
    を贈ってくれたあれ以來。音沙汰がない。

    彼が送ってよこした “玦” の意味をわたしは取り違えてなかったようだ。
    彼が高校を不登校になり自室に孤獨にひきこもっていた十數年前以來
    ようやく, “部屋” から出る決斷をした,ということ,また
    わたしに “訣” をつげてきた,その “意”,を言祝ぎたい。
    さみしくもあるが。
    それでいいのだ,と心の底からおもう。

    そこで。
    これまでの友情の印にこの碧の觀音を彼に贈ることに決めたのだ。
    彼が “部屋” に閉じこもることが二度とないようにw

    こうしてみるとでかく見えるが實物はちいさい。60サイズで余裕で送れるからw
    心配しないようにw
                         切記切記


     なろーどにきっ 

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    這樣的事情在我的生日!②裂とロバ


    常州市紅梅閣quqiubai-hongmeiguo.jpg


         《紅梅閣

     出其東門外   東門外に出ずる 
     相將訪紅梅   相將(随伴)して紅梅を訪れん 
     春意枝頭鬧   春意は枝の頭に鬧(さわ)がしく 
     雪花滿樹開   雪花は滿ちて樹に開く
     道人煨古拙   道人の古拙の煨* 
     煙濕舞徘徊   煙濕,徘徊し舞う 
     此中有至境   此の中に,至境有り
     一一入寒杯   一一,寒杯に入る 
     坐久不覺晩   坐して久しく晩(おそ)き覺えず
     痩鶴竹邊回   痩鶴*,竹の邊を回る 

         平聲七 梅開徊杯回


       煨 wēi =玉書煨。 茶道具↓
         微火を用いて慢慢(ゆっくりと)煮た熱い食べ物
         燉(シチューのようなもの)を煮るなべのことも言うが
         ここでは,道人の古拙な器に點てた茶,と
         煨は盆中の火のこと
       痩鶴 shòu hè=鶴,だが

           wai.jpg



    この五古詩は連作の一。
    乳のみ兄弟であった羊牧之と武漢で劇的な再會の後,瞿秋白が
    二人の常州少年時代を回想して詠み贈った詩。
    1926年第一次國共合作北伐戰爭遂行のさなか,武漢でのできごとであるw
    最後に現れる
    痩鶴,これは二人が吟じ朗誦し愛した常州詩人の黄仲則をいうだろうことは
    連作の内容から,まちがいない,すくなくとも,黄仲則讀みならそう考えるだろうw



    さてその②
    も一人の友人,
    その方はわたしの唯一の女友達で,というと世にも奇特な性情の持ち主かヘンジンか,と思われるかもしれないが。
    彼女こそ人徳ある,ボサツの様な。わたしよりいくぶん年輩の女性である

    彼女がライフワークのようにしている,和の中古裂(おふるきれ)や古裂をつかって創作する美しい布製品
    その作品の一つを,誕生日プレゼントに,といただいた。
    彼女とはブログを通じて知り合ったのであるが,わたしがずっとここや前のブログに書き連ねてきた古詩,中國舊體詩の世界を見事に布によって,その手仕事によって表現してくださった。

    朱赤の鶴や梅,とりわけ紅梅,竹,そうしたモチーフが染め描かれた古裂れと黑絹の縮緬地とはぎ合わされて一つの彼女らしい表現物になりかわっているのだが,それらはわたしの,それこそ昨日の包君の詩にかかれたような異土に見る紅夢の世界でもある,
    中國の「文の化體」となってあらわれていた。

    いつか記事で書いた文化とは “文” ,の “化體” であるという,その文とは,文目,紋様である。
    絲の文が,彼女の “手と針” による “用” を通じて化したもの,まさにそれを感じさせてくれた。

    わたしがいつも書きばしる常州の “村風情” その象徴としての梅花,鶴が在る。存る。
    “文” とはたしかに,大地のうえに,生きて,進行形として存るものが,かたち,となり, “用” を經てサンボルとなり,時間軸上につたえられていくもの,である。

    化體というのは,物化でもある。
    というその機微は「文化」と,その「あらわれ」「あらわし」を知ることでよくわかる。

    『莊子』にいわせれば物化とはとりもなおさず,「死」である,
    が,
    それすなわち「死滅」ではない,という古代中國の叡智。
    ではあるが。
    ジツは,それは西歐の美學にいう「感性」 aesthetics とまったくよく似た認識論でもある

    彼女の血を分けた係累 ―― こういう言い方は語弊あるかもしれないが ―― は感性の極美というようなきわどい “物化” 表現をする著名な前衛的な畫家である。

    わたしは,贈り物に添えられた彼女の展示された作品の寫真の幾葉にも,そうしたつたえられた「血の化體」まで目撃した氣がしてゾクゾクとうれしかった。
    とにかくうれしく,もったいなくありがたかった。

    見事なその “お針仕事”,わたしなど感嘆するばかりで技術的なことは言葉にできないが,
    たしかにわたしの頭の中の古體の文絲となってあらわされ,そしてこの上に掲げた詩と“白雪”“紅梅閣” の情景が即,頭に浮かんだのである

    その美しい朱赤と黑絹と鮮やかな新緑の色彩が表現する
    絲文のさまは・・・・

    殘念ながら彼女のその作品をここに挙げるわけにはいかない,
    その作品は美術展などで公にもされるもので個人を特定されかねないからだが,
    もとより公開されてるなら,問題はないといえばそこにはないのだが,
    問題はこのブログである。
    こんな反日的ブログのへいとすぴーかーのブログに載ったらそれこそどんな珍事が出来してどんな迷惑がかかるやもしれぬ,
    そんなことを想像できるくらいには,わたしはこのブログの酷さを自覺しているし,
    そうしたはばかりを考えるくらいの常識はわきまえているw

    というわけで,その贈り物の包みの中にあったもう一つ。

    「驢馬」 のことを書く。

    ロバのお人形。
    木のからだ,とフェルトのデカ耳と毛皮の鬣と麻ひものシッポ
    なんとなくマヌケな丸みと無造作な肢をもったロバ。
    リボンが掛けられた包み紙も,ロバ文様なら,添えられた手紙の便箋もロバ柄。
    とゆー,ロバ驢馬づくし
    なぜかといえば

    彼女は凝り性なのである。

    と言っても,なぜその「凝り」がロバにコダワルかといえば。

    roba5.jpg

    わたしは彼女にはいつもいつも,かなり率直に
    この日本社會に對する怨嗟と呪詛とw
    それを惹起せしめるわたしの中國文化への戀戀たる懦情をかなり率直に語りつづけてきた。

    ヒトによってはウンザリするだろうし,不快を覺えるひともいるだろう,そんな
    踏み込んだ内容のことを。
    まあこのブログを讀んだならわかってもらえるだろーが
    どーにもクドいそして,シツコサ。
    日本ディスり&りべらるホ種へいと,そのほかいろいろ恨みツラミのタワゴトを

    とりわけ率直に過ぎたあるとき,キ恥ずかしさもあって
    わたしは,『王様の耳はロバの耳』,の寓話を念頭に

    これは,わたしにとって 「ロバの耳」なハナシ なんです

    と。
    王の秘密を垣間見て誰にも口外できない床屋が地面に穴掘ってささやいた,あの心境地です,と。
    いったのだった,
    彼女はそれを,(まあ,わたしの日ごろの言葉づかいのわるさならさもありなん,なことに)

    “馬の耳に念仏” 的,ブツクサ をきかされる「耳」とかんちがいした。

    わたしの
    「ロバ耳寓話モード」の内緒話,はwより穏当に言えば「馬耳東風モード」の耳。
    下手すりゃ 「カエルの面に・・・・かよ,おい。だまってきいてりゃ,コラっ」と
    となるとこだったが

    ところが彼女がたまたま,ロバという動物が大好きだった,という偶然も相まって
    彼女は怒るどころか,

    ドコロかそこが,まさにわたしが彼女のことをボサツよばわりする
    ゆえんなのだが,
    『玄ちゃん,いつでもぶつくさ言って,ロバちゃんでっかい耳でいつでも聞くからね』

    ・・・・w

    のちにわたしたちは「ロバの耳」の耳違いなもつれを,ほどいたのだが

    爾來, “ロバの耳” がわたしたちの会話に頻發するようになった。

    そして今年。このお人形が届いた

    わたしははじめ包みを開いて

      なんぢゃこりゃ,ヘンな顔したロバだなw
      泣きベソかいたようなカオしてーっ

    とおもった。
    そして泣いているよーなロバの顔,みてすぐさまわたしは
    去年のおわりのことを,

    そう,わたしはw
    彼女を怒らせたり,悲しませ,ひどく惱ませたのだった ―― それを思った
    胸につかえていたわだかまりのこと。
    そのうち,この正体不明な,ナサケないロバの顔を見ていて,ふっと

    そもそも,なんで,あの王の耳はロバの耳なのか,と
    王の耳がブザマにでかい,というだけならウサギだっていいぢゃないか・・・・・,

    そこで卒然と,

    王の耳のブサイクは
    たしかにロバの耳であらねばならない必然性があったことに思い至った,
    ロバの耳の物語の,深い寓意にキづいたのだったっw


    roba3.jpg

    「王様の耳はロバの耳」という寓話は,いくつかのパターンがあって發端と結末は同じだが
    微妙に違っている。

    ギリシャからアシアマイナー一帯につたえられてきた神話,
    王様,というのは
    もちろんミダース王,すなわち,アッシリアの王である。

    いま,まさにイスラミック・ステートが跋扈して, “擅(ほしいまま)權” を兇暴にふるっている
    あのあたり,だ

    わたしが覺える「ロバの耳」のパターンは
    子供のころギリシャ神話やホメーロスやが大好きだったわたしは,
    牧神パーンとのつながりをもつ,のが好き

    地面を掘って穴に向かって『王様の耳わ~,ロバの耳ぃ~』
    秘密の暴露のコトバにしたらば,その穴から
    葦が生え,やがてそれが葦笛(あしぶえ笳)となる
    その笛を吹くと,音色がなんと・・・・・

    『王様の耳ぅわぁ~,ロバの耳ぃひ~ぃひょろ』

    確かに

    ロバというのはつねに,大地にへばりついて生きる民の旁に,或る。ゐる。

    王のおそばにはゼッタイいないだらふし,
    白馬の騎士はまちがってロバに跨ることはないだらふ。

    ロバはいつでも民のブツクサを,じっと,聞くともなしに聞いている,
    まぬけ,ぃゃぃゃ,ぶれいな,ぃぇぃぇ 憂れひふくんだ,
    かわゆい顔して

    愚痴や,世迷い言や,痴話ゴトも,泣きゴトもすべて
    ぢーっっとw
    素志も,怨嗟も,頌もあろう,ときには革命の謀議もあるや,
    默つて無カンシンげに聞いているのである,

    それは,「壁に耳あり」,や
    「説曹操,曹操就到 shuō Cáo Cāo,Cáo Cāo jiù dào」
    ではない耳,

    いつもあの,でっかい耳できいていたんだろう,地べたに一番近いところで。
    じめーっつと。
    そんな象徴としてのロバの耳が,あったろうこと。

    「王がロバの耳を持つ」,この可笑しさは

    民ならわかる。
    くだらん王サマにはわからない,

    この大地のコトワリ,
    紅塵浮世,ジンカンモンヨウヒキコモゴモ(=人間紋様悲喜交交)
    だからよけいにおかしいのである。

    王は。
    聖王は,能く,良く聞こえる耳を持っていなければならない。
    古今東西,堯舜の中國もアシアマイナーもこれはいっしょだろう。

    “國風” ,という國柄を詠いことほぐ “うた” ,庶民の歌謡,民謡をあつめて『詩經』が編纂されたのは,たしかにそこに「國情」すなわち民情があったからである
    ・・・・。

    ふっとおもいつくのはこの詩だw   ☞ 魯迅《偶成
     
    《偶成》魯迅

      偶成 魯迅

     萬家墨面沒蒿萊    wàn jiā mò miàn méi hāo lái.
     敢有歌吟動地哀    gǎn yǒu gēyín dòng dì āi.
     心事浩茫連廣宇    xīnshì hào máng lián guǎng yǔ
     於無聲處聽驚雷!   yú wúshēng chù tīng jīngléi!



    魯迅の舊體詩はすくないが,みなすごくいい,なかでも七絶絶唱といえる,これ。

    第二句の,歌吟は,周の穆王が大風の雪中につくった詩から。
    《黄竹》,をうたう““歌聲動地哀”から來ているという。

    民の苦寒と飢餓を哀悼している“《黄竹》『穆天子傳』 という歌。
    “『莊子』《天地篇》“聽乎無聲”をあげる注釋もある。
    畢竟どちらも同じことを言っている。

    魯迅の詩意,含意はおそらくこんなカンジだろう

    蒿萊は,まさに魯迅の著わしたところの『野草』,であり,草民であり,蒼茫であり
    雜草。
    驢馬食むところの草,人食む草,人を食む草・・・・・・・・土饅頭つくり
    風を浮く草であり,案外にしぶとい “萊” ・・・・

      萬家はすべての民。墨面は黒くすすでよごれた顔。
      煤に汚れた,泥にまみれた人びとが,大地に這いつくばり,雑草の中に
      かくれるようにして沒している。

      敢然と有り,
      歌,吟ずば大地を動かす,いにしえに天子の天民哀れむ歌,
      とはいうけれど
      わが心,事に際し心は浩茫として廣き宙宇に連なりて

      聲無き處に"聲もたぬはずの民=齊瘖"は, 驚雷を,まさに聽く

    聲とは何か,聽くとはなにか。
    驚雷とななにか
    目覺めさすべき雷鳴の轟き。怨嗟満聲載道。瘖と聾と,ロバと笳。

    以前この記事をかいたときより,よりさらによくわかるのだw
    動搖震盪している地球,
    惡來,ターミネーター到來,
    習近平の野望,覇道の瘴癘氣

    萬馬齊瘖究可哀,天道歌吟動地哀。

    屈大均《天泣で,ふっつりとぎれていたが,
    天子哀しむ,そのワケの天民のハナシに戻らなければ・・・・・。

    そんなことごとがあたまのなかを
    走馬燈,いや哀しげなロバの,・・・・のように・・・・・のように・・・・・のように。


    と こ ろ で。
    實際のところ。
    いまさらながらに,このロバどんな顔してたか,と
    見てみたらればろば

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    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    這樣的事情在我的生日!①玦

     title=

    今年わたしの誕生日に,めずらしくも,二人の友人から!贈り物が届いた。
    珍事出來であるが・・・・感謝するとともに深く感じ入ることがあった。

    その①
    師弟の包(パオ)君,キの利いた,そして非常にイヤミな・・・・・,しかし
    作法はカンペキ。
    含意,起承轉結も絶妙の絶句。


    異土紅夢載     yì tǔ hóng mèng zài
    落花了一年     luò huā le yī nián
    我那隨何苦?   wǒ nà suí hé kǔ?
    老師玄擅権!   lǎo shī Xuán shàn quán! 


    含意はおそらくこんなカンジだろう

    起 異國の地に過ぎ去ったうるわしき夢を載せ年經りて
    承 また一年一載,わたしは華年をムダにしました。
    轉 ああ・・・。わたしが何でわざわざあなたについてかなきゃならん?
    結 玄先生,それは。  あなたがあまりに横暴だからですっ!


    仄起平韻式,五絶は
    ◎仄平平仄,
    ◎平◎仄平。
    ◎平平仄仄,
    ◎仄◎平平。


    とこーなる
    カ ン ペ キ,なうえ

    玄字 (平聲十一先) に押韻して年,そして擅權はキが効いてるのダ。



    さらに包君から,漢白玉,いわゆるホータン,(和田 Hétián 玉)と翡翠をあしらった
    とても美しい項鍊(首飾り)をいただいた。

    手のこんだつくりで,白玉は雙龍を彫りこんで,・・・・・
    “玦” の形。
    すぐうえの黄色も,ヒスイ,軟玉翡翠 Nephrite である

    チェーンの部分はオニキスと硬玉翡翠 Jadeite のビーズで連ねられてある
    白玉から垂れ下がるのはやはりオニキスとガーネット。
    ガーネットはわたしの誕生石,と全くあつらえたような出来過ぎの一品。

    結構値が張ったのではないかと思う。
    當人は中國人から安く買った,安かったんだと言ってくれているが
    白玉の質が非常に好いのである!

    ねっとりとした瑯玕質の白と黄色の玉は,光を近づけると透き通る。
    蒼色と翠が混ざったような薄いまだらがあり,幻想的な妖しい白である。
    色がまざったものは, “羊脂のような白玉” としての價値は下がるが一方,しかし
    包君がわたしに買ってくれた首飾りのように,アクセサリーにつかわれると
    またべつの相好,風格によって愛でられる美しさなのである

      hanbaiyu2.jpg

    日本は今,翡翠も安物ニセモノオンパレードで
    いいもの,ホンモノに出逢うことは・・・・そうとう信用ある店でなくてはむずかしい。

    それというのも昨今のパワーストーン・スピ・ブームのせいで,
    「玉」もまたとばっちりをうけている

    ヒスイにかんしては
    「日本の國石」であるという,キメツケのために翡翠ブームがきたためなんだそーだが。

    硬玉翡翠と軟玉翡翠の區別もおぼつかないのが,漢白玉を翡翠とだます???ためみどりに染めたりする。

    そもそも
    日本人のもっている翡翠の概念そのものが,ムチャクチャ,だ,
    そりゃ,あんまりだ,
    と感じることも多い。

    硬玉以外は,翡翠といっても,良いヒスイぢゃありません,
    とか,

    白人は東洋人の微妙なセンスがわからないから軟玉も硬玉も勝手にジェイドといってるが
    そもそもあれ(軟玉)はヒスイぢやありません
    とか

    あげくに中國にはヒスイは産出されないのでもともと存在しなかった,
    とか
    ホータン玉はなぜか,和田(Hétián )玉のことでなく和氏の璧玉は皇帝に献上された翡翠で,だから和田玉は翡翠でジェダイド,だ
    とかw
    まったくwイミ不明なのである。

    こういうディスりはとうぜん『春秋』はおろか和氏の璧の故事の出典も知らないひとが,ネトウヨ的妄想にはまって,なにしろヒスイは「日本の勾玉」ニッポンのホコリなのであるから。

    ロウカン(瑯玕)を,カッテに老管,の字をあてた業者もいた。

    おそらくは,「老翡翠管,老坑出的」なる文言をみてロウカンは老管だと思ったのだろう。
    じっさい管楽器,玉簫,玉管にヒスイはよく使われる。

    天然ぱわふるストーン業界のスピにも,國粹ヒスイ愛から派生したネトウヨ的ぱわふる自慰言説と夜郎自大がはびこっているのだ

    日本で愛されるヒスイは緑色だが,日本人の愛する緑は中國人の綺麗な緑色とは違うといい,日本のヒスイが一番といいつつ中國人が輸出用に染めた謎のインチキ石「綺麗すぎる緑色のヒスイ」を高い金出して買ってる人もいる。

    まあどーでもいーことなんだが。
    玉,碧,の彫琢の技術というのはやはり,中國,
    商,周代からつたえられてきた軟玉の細工であったりするわけだが,
    日本人は軟玉を翡翠とは認めないどころか寶玉とも認めたくない風情である

    そんななかで,
    包君はすばらしい,「ザ・日本の國石」ぢゃないすばらしい
    ネフライトの翡翠をプレゼントしてくれた。
    このことがすごいことなんだw

    包君がいうには,

     翡翠のアクセサリーを買おうと思って
     ほんとうにこまった,
     中國人のヒスイと日本人のヒスイはこんなにちがうもんだとおもわなかった。
     どうも大姐が大好きな翡翠はふつうに日本で売ってるものとは・・・・
     こりゃあちがうな,と。
     ヒスイは偽物が多いと知って
     日本糸魚川翡翠協会のHPなどさぐってみれば賣ってるものは。
     信用のおけそうなという店ではべらぼーに高い軟玉か
     比較的安いのは硬玉・・・・・,

    そうなのである
    日本でも真面目に翡翠を扱ってるところは變な差別もなく,いい軟玉にいい細工を施してあたりまえに高い。
    www

    ところが,
     
     中國人から買おうとすると,まわりは,翡翠などキョーミもないくせに
     絶対ニセモノにきまってるからヤメロ,
     とにかく信じるな,ブランド品の偽物,コピー品・・・・どぶにカネを捨てることになる
     といって皆とめるし・・・・

    苦勞したようである
    包君・・・・ちなみに彼はニホンジンである
    かれが世の中に絶ボーしていてへやにとじこもっていた高校時代,
    わたしがやってた香港映畫オタクwのHPにさ迷い込んで以來,の
    同キ相求,同病相憐れむの仲良しだが。

    そして。

    そうなのである。
    確かに中國人は信用ならない。

    だから中國人は中國で売られているモノも,自國のヒトもマッタク信用しない。
    そこはニホンジンがニホンジンを信用しているのと大きな違いである。

    ニンゲンの惡さは人種や國別できめつけるもんではないと。
    ワタシわおもうがね。

    たんに程度の差ではないかと。 程度がハナハダシイことはわたしも感じるがw

    日本人にもニセモノうりさばくやつはいくらでもいる
    そもそも歐米のブランド品に異常にヨワイ,という致命的な日本人の欠點をつかれて利用されてるのに,その點については別に “國” や人種のせいにはせず,問題視はしないらしいw

    いや
    確かに中國人は信用ならない。
    だから。

    だから中國人は,古玩骨董の類を日本で探すのだw

    明清時代の “老翡翠” が日本にはたくさんあるのである。
    そして價値の「不明瞭な混亂」というべきものもあるw
    中國人にとっては,吃驚するようなあり得ない安ネで流通するトキがある


    なぜたくさんあるか
    って?

    日中戰爭があったからである。
    「有因,而して有果」,ということである,

    なぜをその價値がつたえられず,安く市場に出回るのかって?

    帝國日本軍士官高級将校は,行軍中,物の価値を知る者も知らぬものも書畫文物骨董品,めぼしいものをせっせと徴用・接収しては内地の偕行社あてに商船を使って送っていた(つまりこれは略奪)。部下の兵隊たちは,そんな役得はないから畑を荒らし女を犯し金錢を奪った。戰爭がおこれば,これはいたしかたないことなんだろう。

    とわいへだ,w

    帝國日本の内地で朝鮮人や中國人の侵略や略奪,歐米人の侵寇から身をまもらなければならなかったという話はとんと聞いたことがないが,日中戰爭,あれは「自衛戰爭」,ということにナゼか今はなっている。

    「戰利品」は日本内地に,確かに届けられたのである。
    戰地で利用されなければ徴用とも接収とも言わないことは考えれば誰でもわかることだと思うが

    ・・・・・

    この老翡翠の浄瓶觀音ももしかしたらそうなのかもしれない,とおもう

    深夜,電燈のもとで見るとキミが惡いほどあおざめて,まさに,玉髄したたるような玉,
    “靑瑯玕” の美しさを湛えている
    淒淒とした蒼,愴む色,淒愴である。

       qinglanggan.jpg
     

    手前にあるのは軟玉翡翠の雕龍のペンダントヘッド。
    玉の色が黄色に移り変わる裏側には美しい雲が彫りこまれて二重になっている

       neflaitehuanglanggan1.jpg
       neflaitehuanglanggan2.jpg 


    昭和の古いもののようだが
    或いはいくつかの特徴から中國のものではないかと思っている 

    翡翠の掌。
    片側に黄色翡翠玉の連珠と,
    もう片側に 碧玉の珠。

    碧玉とは,
    英名はJaspar ジャスパー  

    血の色をした潜晶質石英のこと。

    どれも一万とか數千円とかで手に入れたものだがw

       huanyusmall.jpg
       碧玉

    中國人に見せたら,びっくりされたので鑑別機關に送って鑑定してみたのだ。
    でた結果は。
    業界用語でいうところのA貨翡翠であると。
    つまり人工的な加工を施してないもの,玉粉を固めて成型したり,樹脂で色を染めたりというインチキはない,天然無處理本翡翠であると。
    さらにワックスによる處理がなくみな現代のものではないだろう,ということだった
    “老貨翡翠” という言い方が中國にあるがそれは日本の鑑定機關では使われない言葉で當然,鑑別書に記載などないが。

    中國人と翡翠や玉,骨董品の話をすると
    おさだまりの「日中戰爭の時代に・・・・」がはじまる

    かれらは日本人に,これはまず言わない。
    かれらの "碧玉 の物語"が聞けるのは,もちろんわたしがヒコクミンだからである。


    ちなみに
    偕行社うんぬん,これはわたしは,彼らから聞いた話ではない。
    一昔前,それらを紐解くしか歴史を學びようがなかった時代には,だれもがよんだ歴史の書物に,ふつーに書かれていたことである。
    いまのように,ネットで検索すれば上位に連なるネトウヨ言説に洗脳された歴オタ,戰史オタ,ネトウヨ御用達の書物には書かれてはいないとおもうが。w

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    不寐吟

     不寐吟     Bù mèi yín

     離狂骨托開     lí kuáng gǔ tuō kāi
     温柔乞不來     wēnróu qǐbù lái
     邪念累身耗     xiéniàn lèi shēn hào
     亂情苛心猜     luàn qíng kē xīn cāi
     浮泛招默掌     fúfàn zhāo mò zhǎng
     淺抱寄深懐     qiǎn bào jì shēn huái

     幽意懼白然     yōu yì jù bái rán
     疲氣疑黯天     pí qì yí àn tiān
     一芯一途睡     yī xīn yītú shuì
     無夢無段眠     wú mèng wú duàn mián
     不求寐素因     qiú bù mèi sùyīn
     強思淸穩淵     qiáng sī qīng wěn yuān

     曇華笑隠岑     tán huá xiào yǐn cén
     芙蓉夜靜寝     fúróng yè jìng qǐn
     轉顛軀虚牀     zhuǎn diān qū xū chuáng
     傀俄起句尋     guī é qǐ jù xún
     醒醉如叔夜     xǐng zuì rú Shū yè
     沈愔四言韵     chén yīn sì yán yùn


      一解   開來猜懐   
      二解  然天眠淵      
      三解  岑寝尋韵

       

    老翡翠浄瓶觀音













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    林庚白 曲牌《鳳凰台上憶吹簫 “雨夜無寐”》

     曲牌,《鳳凰台上憶吹簫》
     
     林庚白“雨夜無寐”
     含意,詩情うるわしく。ほれぼれする,美事さ。
     才華は,厭戰ではなく。
     頽唐ではない。が。

     格律は正體。
     この詩の慯愴を,日本語で表現することはできないので
     これを示すくらいしか・・・・ない
     以下に格律をしるしおく。


    雙調,九十七字,前段十句四平韻,後段九句四平韻, 

    上片;
      首二句各四字,不用韻, 第三句六字,起平韻
     第四五句十一字為,四字對句,上加三字、(=頓點)的逗     
     前結三字一句,四字兩句

    下片;
     換頭六字,(二字韻字可不用、)不用韻, 第三句四字
     第四五句,同上片四五句。
     後結三字一句,六字一句。


      gyokusyouhusa.jpg

    つまりこうなる 
    (句=, 逗(頓點的)=、押韻句=。韻字 ◎=平仄不問)

     ◎仄◎平, 仄平平仄, ◎平◎仄平
     仄仄平平仄, ◎仄平
     ◎仄◎平◎仄, ◎◎◎(逗) ◎仄平
     平平仄, ◎◎仄◎, ◎仄平

     平(◎平◎仄, 平◎仄◎平, ◎仄平
     仄仄平平仄, ◎仄平
     ◎仄◎平◎仄, ◎◎◎  ◎仄平
     平平仄, ◎◎仄仄平


     (李清照詞)

     香冷金猊, 被翻紅浪, 起來慵自梳頭。
     任寶奩塵滿, 憑它日上簾鉤。
     生怕離懷別苦, 多少事、 欲説還休。
     新來瘦, 非干病酒, 不是悲秋。
     
     休休!這回去也, 千萬遍陽關, 也則難留。
     念武陵人遠, 煙鎖秦樓。 
     惟有樓前流水, 應念我、 終日凝眸。
     凝眸處, 從今又添, 一段新愁。




          ▼《鳳凰臺上憶吹簫》 曲據 李清照詞吟誦




    《鳳凰台上憶吹簫 “雨夜無寐” 》 林庚白


       鳳凰台上憶吹簫      Fènghuáng tái shàng yì chuī xiāo 
          “雨夜無寐”       "Yǔyè wú mèi"  


            更不成眠      gèng bù chéngmián,
            何曾是醉      hécéng shì zuì,
         夜殘獨自徬      yè cán dúzì páng huáng
           甚萬千塵影      shén wàn qiān chén yǐng,
            三兩燈      sān liǎng dēng guāng
         風際瓶花吹冷      fēng jì píng huā chuī lěng,
       映不冷、羈客心      yìng bù lěng, jī kè xīncháng
       聲聲雨,催教恨迸      shēng shēng yǔ, cuī jiào hèn bèng,
            賺得人      zhuàn dé rén kuáng.


         相一江咫尺      xiāng wàng yī jiāng zhǐchǐ,
           嗟浩淼煙波      jiēhào miǎoyānbō,
            中有滄      zhōng yǒu cāngsāng
           剩酒痕如水      shèng jiǔ hén rúshuǐ,
            鬢角添      bìnjiǎo tiān shuāng.
         未信蛾眉負我      wèi xìn éméi fù wǒ,
       遮莫是、我誤文      zhē mò shì, wǒ wù wénzhāng.
       淒涼絶,魂兒夢兒      qīliáng jué, hún er mèng er,
            沒個商      méi gè shāngliáng



       羈客=遊子。旅中にあるひと
       催教恨迸=ひとをして,恨みほとばしらせるもよさせしむ
       賺得=だましとる,これは日本語でもある
       咫尺=ごく近い間,間近に望む長江
       嗟=感嘆聲,悲嘆,慨嘆
       淼=水の浩浩廣漠 水面の果てしないさま
       滄桑=此れも日本語 滄海桑田
       沒個商量=ないできないされない,はかることもできない
         このばあい商量は 料想  醞釀されるおもい

    sensingreen.jpg

    鳳臺無還駕, 簫管有遺聲 ―― 鮑照 《代升天行》
       鳳臺に還駕する無く,簫管の遺せし聲のみ有りき
     
         
     こういう詞曲牌はとうてい日本語にできるものではない,
     字句の意味は輻輳し,音韵に,意味の陰影さえ表現されるので。
     音を詠みそしてひたすら字を眺めていく想像するしかない。
     浮かび上がるイメージのなかから,含意を象徴する語,もしくは
     「字そのもの」を見つけると,解きほぐれていく
     
     南京にもある鳳凰台,李白の詩は有名だが。
     むしろ 臺上吹簫で即, 秦代故事 
     秦穆公のむすめ弄玉,吹簫をよくし・・・という有名な故事

     わたしがイメージしたのは阮嗣宗(阮籍)《詠懷詩 其三十一
     鮑明遠(鮑照)《代升天行など古詩にあらわれる “國”の亡びのイメージ
     つまり
     相望一江咫尺
     嗟浩淼煙波,中有滄桑
     は
     “鳳凰臺” ゆえに。
     大盗移國,金陵瓦解する前觸れ,のある。

     鬢角添霜はいたづらに年ふりてゆく,不得志,その枉しさをいう常套的表現。
     庾肩吾をうたった李長吉が即おもいうかぶw

     さはさりながら
     これは “不寐吟” でもあるという・・・・。
     雨の聲音聽きながら
     個としての無力も孤獨の悵惻も忘れてゆくさま

     いまだ愛人よりの信,こず,遮莫・・・・・。我誤文章

     聲聲雨,催教恨迸。 賺得人狂
     淒涼絶,魂兒夢兒。 沒個商量・・・・・

     
     素晴らしすぎて,聲が出ないw というか,息が詰まるほど壓倒的哀韵。 

     林庚白仙韻!
     一九三三年元月五日于雨後。 “雨夜無寐”



    文人墨客の紛紛繊雲,弄巧歌誦す,“鳳凰台上憶吹簫” の意,とはこんなカンジぢゃw

      吹簫引鳳,乘龍而去,
      白日昇天,神仙眷侶!

     
    林庚白らしい戀情填詞。

    テーマ:清末民初詩 - ジャンル:学問・文化・芸術

    丙申除夕偶作 五古

    Qiantangchao.jpg



       安排朋友     Ānpái Péngyǒu

     吹風同一軌     chuīfēng tóngyī guǐ
     小日本辦詭      Xiǎo Nìběn bàn guǐ. 
     去地仰慰霊     qù de yǎng wèi líng,
     明天俯拜鬼     míngtiān fǔ bài guǐ,
     心亂也身亂     xīn luàn yě shēn luàn,
     逆叛哀悼毀     nì pàn āi dào huǐ,
     何處手足舞     hé chù shǒu zú wǔ,
     措不能流水     cuò bù néng liú shuǐ

     難忘國佞阿     nán wàng guó nìng ā,
     倭不在東亞     Wō bù zài Dōng Yà,
     狡詐偸機會     jiǎo zhà tōu jī huì,
     女朋畝爬蹉     nǚ Péng mǔ pá cuō,
     有因而有果     yǒu yīn'ér yǒu guǒ,
     癖惡常生痾     pǐ è  chángshēng ē,
     美國屬米國     Měi guó shǔ mǐ guó,
     島人沈默啞     dǎo rén chén mò yǎ,

     東方起來嘲     Dōng fāng qǐlái cháo,
     何時満怒潮     hé shí mǎn nù cháo,
     畢竟錢塘聲     bìjìng Qián táng shēng,
     萬不成一朝     wàn bù chéng yī zhāo,


     *畝=中國語では隴界,つまり畝,稲田地界。
     *美國=中國語ではアメリカのこと メリケン 美利堅合衆国



    昨日慰靈今日拜鬼

    どーせなら松井石根の命日に參拜すればよかったのにと
    わたしわ思ふ

    我我の兵隊たちにシツレイだから戰爭屋のおまいりは游就館だけにしてくれ,と
    わたしわ言ひたい

    あはは。
    アメリカには
    中韓との和解を促してくれた,「辜負」Dissapointed と不快感をしめしてくれた
    大統領はもういないのにww

    わたしは,ニホンジンはかつてのような粗暴な中國,反日デモに感謝した方がいい,と何年か前に姓安倍的が参拝したとき書いたが。あの時は奇妙に静かだつた
    中國はこのままにはしない,日本に必ずお返しする,と
    中國のある管轄部署の高官が冷たく言い放つた捨て台詞。
    わたしは忘れていないが,
    姓安倍的の靖國參拜の後中國がしば~らく經って日本にしたこと,覺えてているのだろうか?

    中國は,こんども反日デモも抗議も抑え込むだろう。
    コドモのわがままにつきあってられない,と。
    “ターレン” の態度で冷たくあざ笑う習近平の顔が思い浮かぶ

    日本はちっさくて見苦しいなw

    自私的孩子應該教 ? 更好的是不理。

                   21161230

       杭州錢塘江怒潮




    令人壓倒,天觀奇態
    今古怒聲,時代變革
    萬不想到,自由自來

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    はひんとんぽすと。非常正確的説,這是説的對!我,同意。


    七絶

     血債血償那隔絶   Xuè zhài xuè cháng nà gé jué
     何爲敢做形骸劂   Hé wèi gǎn zuò xíng hái jué
     此心此土不同天   Cǐ xīn cǐ tǔ bù tóng tiān?
     知人間無差別    zhī Rén Jiān wú chā bié

                20151108  23:13  《讀 “血觀音歌”》


    解題: 我的「仇視性言論」

    仇視性言論 =中國語で “ヘイトスピーチ” のこと
    佛=松井石根の禪室の佛龕におわします

    ホトケの知るは,ジンカンに, “しゃべつ” 無し,のみ
    ただ,それだけ



    ところで
    日本的りべらるプロパーはなにをかんがえている?
    もちろんこのところのわたしの強烈な不快感,はすべて今度の安倍晉三の真珠湾訪問に根ざしてるわけだが。

    日本のりべらるは歴代總理の誰が行って安倍は何番目かということがキになってキになってしょうがないヒトビトとして世界から侮蔑されていると,自らのことを,ジギャク的に考えたりすることはないのかと,

    まったくとんちんかんなヒトビト。

    さらには
    今上は自分の誕生日にニコニコ笑って手を振るだけの「象徴行動」をことさらアピールするな,といいたい。
    12月23日は,松井石根が處刑された日ぢゃないかw

    私的旅行で両陛下満蒙開拓平和記念館を訪問

    滿蒙開拓團の悲劇がなぜおこったか,をかんがみれば,だ。
    1945年春まで「滿洲國」の日ソ國境に満蒙開拓青少年義勇軍を,執拗に送りつづけていた帝國日本と昭和天皇だが。

    というところで
    ちかごろのプーチン來日と北方領土に關連して。
    他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブンに,こんなことが書かれていたw。
    いわく
    1945年8月9日ソ連は,日ソ不可侵条約を一方的に破棄して,ソ満國境に侵攻したうんぬん

    こう書いていたのは,ネトウヨ大本營のウィキペディアじゃない,りべらる機関紙とバカにされる天下のアサヒシンブン,である

    これは,端的にいって間違いである。

    朝日が言ってるのは「大日本帝國及ソヴエト社會主義共和國連邦間中立条約」のことだろうとおもうんだが,
    つまり,41年4月13日發効の五年間有効の,日ソ中立条約である。

    1945年四月に
    期限の満了一年まえに,一方が破棄を通告しなければ自動的に延長するという前提条件の上にある,この条約を ,
    ソ連は“延長しない” 旨,(ソ蓮側は「破棄」と明言しているのだがw),
    帝國日本はきちんとソ連から通告を受けていたのである,

    それでも条約上は1946年4月までは有効なんじゃないか?
    そうあってほしいものだ,
    から,
    いやそのハズだ,そうにちがいない,にいたるまで。

    都合のいい解釈,希望的観測ともいうらしいが,ムシのいい現状認識が日本側にあった,という。

    おろかにも帝國日本の駐ソ大使以外の,帝國内地の戰爭指導者は “恣意” 的にそう受け止めた,
    ソ連や世界情勢はそんな甘い希望的観測がありえないことを十二分以上に,日本帝國に,しかも, “示威” 的に, “示唆” しつづけていたのにもかかわらず,である

    わたしはこのことは何回か,このブログでも書いているとおもうがここにこだわるのは理由がある。

    そこのところの,当事者間の認識の齟齬はたしかに歴史上,頻頻とおこりうる。
    また,外交上,公文書上の齟齬は,法理論的にも厳密を期すべきである,
    また,こと,歴史の研究においては。より精緻にすりあわされるべきである
    とわたしも思う

    とはいえ,
    この 一國のみの身カッテな“認識の違い” ,これは今のキム・ジョンウンと違わない,当時の帝國の狂氣,
    その狂氣がよみちがえさせた外交文書,条約の恣意的解釈
    つまり世界に對してカッテに抱いていた致命的な認識不足による “齟齬”である ,

    この齟齬を最大限利用しての牽強付会し,さらに無限に増幅させて
    壯大な虚構を作り上げるのが,
    今や,うようよいるネトウヨ,である

    たしかに多かれすくなかれ,わたしたちは牽強付會して虚構を作り上げる。
    研究者でもないわたしたちは,歴史の,研究された成果の僅かばかりに觸れて學ぶ,にすぎない。

    ということでもあるが。

     外交上,条約上の不備は “しばしば” おこり,その齟齬を,どういう讀みかた,
     どういう解釈をするかによって,構築される「歴史」は180度かわる

    そんなことが,わからないほど,わたしはナイーブではない。
    しかしながら。
    このこと,と,

    日本帝國が,その破棄を通告された1945年四月五日以降も「滿洲國」の “ソ満” 国境に,少年と農民を,關東軍のための “捨石” として,布石として,つぎからつぎへと送りつづけていた,

    という,まごうかたなき,齟齬のなき,『事實』

    ―― 實際に “國” の境を越えて動いた人々がいる,

    この事實の方にこそ,

    正に現代の我我がよみ取るべき,我我が考えるべきこと,が象徴的に現れている,
    と信じるくらいにはわたしはナイーブである。
    いや,わたしはナイーブでありたい,と考える

    ここに,ジツは「歴史に學ぶ」ということの意義と,その歴史の本質があるとも信じている,のであるし。

    ひとがいる,ひとがいた, “國” 境に。という,端的な事實
    そこにおもいいたせば・・・
    一方でわたしは國境で消えていくべき聲音に,つよく惹かれ魅せられる
    それが,わたしの執着する「抗日戰詩」なのかもしれないが

    風に任せて散らばったさきの大地,土域に芽吹く
    囗の竟, “音の竟せる”地域であるべき,國 “境” に。

    國境とは,民族のうたが,ジツは途切れるところなのである,というパラドクスにも似た
    “國” という存在そのものが本質的に持つ矛盾。
    のことでもある。

    國體とはなにか?
    “民” である,
    という。
    わたしが信じたい,端的な事實であり,現に,そうである “國” は世界には存在する,
    という事實。

    そういう嚴然の事實を,とほうもないリアリティのなかで知らされた。
    それが ―― 國境,
    いわば,・・・・ソ満國境だった。
    ・・・・・。

    ディアスポラ,移民問題もまた然り。
    EU離脱問題に揺れる歐洲,また然り。
    イラク,シリア,イスラミックステートのモンダイも然り
    サイクスピコ協定が引いた國境線の「直線」に,民族の血が,抗いつづけている,
    という,イスラム世界の混亂。

    ジンカンに,囗域,國境,無くならない限りありつづける  “落地生根” の,
    草萌のかなしみではあるが
    變 “易”するのが “國” である,という,いわば國民國家の起源の歴史・・・でもある。

     いったいに,なぜ,日本の民は銃後の民でいられたか?

    ということでもある,また,

     なぜ日本の内地で「銃後の民として生きられた」はずのかれらが,滿蒙の
     凍てつく大地に,ソ連兵の銃前に,その身をさらすことになったか?


    ということでもある,

    日ソ不可侵条約の破棄予告は,今,口にしてはいけないタブーのひとつなんだろう,
    それにしても,だ,

    こういうことをパールハーバーの奇襲攻撃を正當化に利用する確信犯的曲解ネットウヨク言説がある,そしてことに,近ぢか安倍晉三がパールハーバーに出かけるぞ,という時期に,
    なんで?

    ささいなことかもしれないが,日本のりべらるに對する「疑念」は不可逆的に強くなる。
    いや「刺激惹起性ノー細胞的」に増幅していくのであるが
    その歸結せるところが今,わたしが書いてる仇視性言論と,というワケ。

    このアサヒシンブンの無神經,何乎也?
    無神經?
    とぼけてるんですか?あるいは,ほんとは何にもしらないんですか,と。

    まず「戰爭ハンタイ」のヒトビトに,とりわけアサヒシンブンに問いたいとも,思うんだがw。

    かの地に
    でかけていったひと,
    かの地に,
    やってきた,かの地のさらに遠いかの地からでかけてきたソ連のひとがいたいた,
    という事實。
    そして,
    かつて “銃後” にあったひとびと,本質的に今も “銃後” でしかないひとびと,の心と
    銃前にさらされつづけたひとびと,その記憶が今も凝りつづける大地に生きるひとびとの心,とは,

    やはり・・・・隔絶しているのである。

    ・・・・・
    わたしはこういうことは言いつづけていかなければ意味がなく,
    心の中でいくら思っても口にしないリベラルは反戰平和や連帶を語る資格はない,
    とも坦直にも思う。
    ことばをごまかし,あいまいにしつづけるのはなぜですか?

    なぜみなもっともっと言わないのですか,というりべらるプロパーに對する
    わたしの偏見,はつのるばかりだが。

    ヘイトスピークではなくラップで表現する,抜きんでたワカモノもいる

    先だって亡くなった元BC級戰犯の飯田進氏。
    生前ずっと,自らの過去を,いろいろな機會を自らもとめて語りつづけていた。
    そんな飯田進氏も,高校でそれを語ることは躊躇したそうだ,しかしただ一度,高校で語ったことがあったという。
    その,ただ一度の機會にめぐりあったわずかな人數のうちの一人が,先のアンポ法案反対運動を激越に展開した大學生のリーダーだったと知った時,
    病床にあった飯田進氏は感極まって涙した,号泣したという。
    今年の10月横浜市の老人ホームで死去した飯田進氏,見舞いに訪れ奥田愛基氏との再會も實現している

                *  *  *  *   *  *  *  

    ときに,きのう報じられた,オリバー・ストーンらの表明。

    おととし,だったかチョムスキーやオリバー・ストーンが沖縄に示した連帶の表明,あの聲明にはひどくカンゲキした。

    今回の質問状と似たような
    去年の安倍談話の出される前の,安倍政権への意見表明には,今回,名を連ねる學者とおなじようなメンバーだったが,
    アメリカの學者らメ,おおきな御世話だ,よけいな事するなと,身勝手に思ったがw
    なぜかといえば
    安倍が思いっきり恥ずべき談話を出せばいいと,わたしは思っていたので。

    その時の心境はわたしはブログにこう記していた

     わたしは安倍が,私的と公的かかわらず徹底的にチャーミングな自己チュー
     自慰史觀談話を出すことを,ジツはひそかに期待していた。
     そのあまりの自己愛ぶりが歴史學者やリベラル陣營に完膚なきまで論破され
     その機會に,日本全體が歴史認識のなんとなく “修正されすぎた” 現状に
     氣づくことを期待していたのだ,
     あるいは,明確に國家として間違った談話を公認してしまい,日本が國際的に
     孤立することを望んでいた。
     日本人がいかにわけのわからん世界史を内に抱え込んでいるか,暴露される。
     中途半端なネット世論ではなく,リアルな,紅塵世間一般にどんな世論が
     形成され肯定されているのか,それがかなりあきらかになるだろうと期待した

    のであったがw


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    The Huffington Post | 執筆者:ハフィントンポスト編集部
     投稿日: 2016年12月26日 10時48分

    安倍晋三首相がハワイの真珠湾訪問するのを前に、日米の歴史学者ら約50人が12月25日、首相宛てに歴史認識を問いただす公開質問状を発表した。真珠湾だけでなく、中国や朝鮮半島、アジア諸国の戦争犠牲者の慰霊に行く予定があるかなどと質問している。共同通信などが報じた。

    質問状を出したのは、映画監督オリバー・ストーン氏や、米プリンストン大学のリチャード・フォーク名誉教授(国際法)、アメリカン大学の歴史学の教授で核問題研究所長のピーター・カズニック氏、哲学者で東大教授の高橋哲哉氏、 放射線防護学者で立命館大学名誉教授の安斎育郎氏(平和学)ら53名。

    質問状は、1941年12月8日に日本が攻撃した場所について、「真珠湾だけではありません」と指摘。安倍首相は真珠湾攻撃で死亡した約2400人のアメリカ人の慰霊のために訪問することを挙げ、「それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の『慰霊』にも行く予定はありますか」などと尋ねている。

    また、安倍首相が2013年に国会で、「侵略の定義は定まっていない」と答弁したことにも言及。「連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争と、すでに続行していた対中戦争を侵略戦争とは認めないということでしょうか」と問いただした。

    以下に、公開質問状の全文を紹介する。

    真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状
    2016年12月25日
    親愛なる安倍首相、
    安倍首相は先日、1941年12月8日(日本時間)に日本海軍が米国の海軍基地を攻撃した際の「犠牲者を慰霊する」目的で、12月末にハワイの真珠湾を訪問する計画を発表しました。

    実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。

    米日の開戦の場所をあなたが公式に訪問するのが初めてであることからも、私たちは以下の質問をしたく思います。

    1)
    あなたは、1994年末に、日本の侵略戦争を反省する国会決議に対抗する目的で結成された「終戦五十周年議員連盟」の事務局長代理を務めていました。その結成趣意書には、日本の200万余の戦没者が「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたとあります。この連盟の1995年4月13日の運動方針では、終戦50周年を記念する国会決議に謝罪や不戦の誓いを入れることを拒否しています。1995年6月8日の声明では、与党の決議案が「侵略的行為」や「植民地支配」を認めていることから賛成できないと表明しています。安倍首相、あなたは今でもこの戦争についてこのような認識をお持ちですか。

    2)
    2013年4月23日の国会答弁では、首相として「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁しています。ということは、あなたは、連合国およびアジア太平洋諸国に対する戦争と、すでに続行していた対中戦争を侵略戦争とは認めないということでしょうか。

    3)
    あなたは、真珠湾攻撃で亡くなった約2400人の米国人の「慰霊」のために訪問するということです。それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。
    首相としてあなたは、憲法9条を再解釈あるいは改定して自衛隊に海外のどこでも戦争ができるようにすることを推進してきました。これがアジア太平洋戦争において日本に被害を受けた国々にどのような合図として映るのか、考えてみてください。


       * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

    1.Ikuro Anzai, Professor Emeritus, Ritsumeikan University
      安斎育郎、立命館大学名誉教授
    2..Herbert P. Bix, emeritus professor of history and sociology,
      Binghamton University, SUNY ハーバート・P・ビックス、
     ニューヨーク州立大学ビンガムトン校歴史学・社会学名誉教授
    3.. Peter van den Dungen, Formerly, Lecturer in Peace Studies, University
      of Bradford, UK, and general coordinator of the International Network of
     Museums for Peace ピーター・バン・デン・デュンゲン、元ブラッドフォード大学
     平和学教員、世界平和博物館ネットワーク総括コーディネーター
    4.Alexis Dudden, Professor of History, University of Connecticut
       アレクシス・ダディン、コネチカット大学歴史学教授
    5.Richard Falk, Albert G. Professor of International Law and Practice,
      Emeritus, Princeton University 
      リチャード・フォーク、プリンストン大学国際法名誉教授
    6.John Feffer, Director, Foreign Policy In Focus, ジョン・フェッファー
      「フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス」ディレクター
    7.Norma Field, Professor emerita, University of Chicago
       ノーマ・フィールド、シカゴ大学名誉教授
    8..Kay Fischer, Instructor, Ethnic Studies, Chabot College
      ケイ・フィッシャー、シャボット・カレッジ(カリフォルニア州)講師
    9..Atsushi Fujioka, Emeritus Professor, Ritsumeikan University
      藤岡惇、立命館大学名誉教授
    10.Joseph Gerson (PhD), Vice-President, International
       Peace Bureau ジョセフ・ガーソン、国際平和ビューロー副会長
    11.Geoffrey C. Gunn, Emeritus, Nagasaki University 
      ジェフリー・C・ガン、長崎大学名誉教授
    12. Kyung Hee Ha, Assistant Professor, Meiji University
       河庚希、明治大学特任講師
    13.Laura Hein, Professor, Northwestern University
       ローラ・ハイン、ノースウェスタン大学教授(米国シカゴ)
    14. Hirofumi Hayashi, Professor, Kanto Gakuin University
       林博史、関東学院大学教授
    15.Katsuya Hirano, Associate Professor of History, UCLA
       平野克弥、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校准教授
    16 IKEDA Eriko, Chair of the Board, Women's Active Museum
       on War and Peace(wam) 池田恵理子アクティブ・ミュージアム
      「女たちの戦争と平和資料館」(wam)館長
    17.Masaie Ishihara, Professor Emeritus Okinawa
      International University 石原昌家、沖縄国際大学名誉教授
    18.Paul Jobin, Associate Research Fellow, Academia Sinica, Institute of
      Sociologポール・ジョバン 台湾国立中央研究院社会学研究所フェロー
    19.John Junkerman, Documentary Filmmaker
      ジャン・ユンカーマン、ドキュメンタリー映画監督
    20.Nan Kim, Associate Professor, University of Wisconsin-Milwaukee 
      ナン・キム(金永蘭)、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校准教授
    21.KIM Puja, Professor of Gender History, Tokyo University of
      Foreign Studies金 富子、ジェンダー史、東京外国語大学教授
    22.Akira Kimura, Professor, Kagoshima University
       木村朗、鹿児島大学教授
    23.Tomomi Kinukawa, Instructor, San Francisco State University
       絹川知美、サンフランシスコ州立大学講師
    24.Peter Kuznick, Professor of History, American University
       ピーター・カズニック、アメリカン大学歴史学教授
    25.Kwon, Heok-Tae, Professor, Sungkonghoe University, Korea
       権赫泰(クォン・ヒョクテ)、韓国・聖公会大学教授
    26.Lee Kyeong-Ju, Professor, Inha University (Korea)
       李京柱、仁荷大学教授
    27.Miho Kim Lee, Co-founder of Eclipse Rising ミホ・キム・リー
       「エクリプス・ライジング」共同創立者
    28.Lim Jie-Hyun, Professor of transnational history, director of Critical
     Global Studies Institute, SogangUniversity 林志弦(イム・ジヒョン)、
      西江大学教授(韓国)
    29.Akira Maeda, Professor, Tokyo Zokei University 前田 朗、
       東京造形大学教授
    30.Janice Matsumura, Associate Professor of History, Simon Fraser
       University, Canada 
      ジャニス・マツムラ、サイモンフレイザー大学(カナダ)歴史学准教授
    31.Tanya Maus, PhD, Director, Wilmington College Peace ResourceCenter,
      Wilmington, Ohio タニア・マウス、ウィルミントン大学平和資料センター
    32.David McNeill, Adjunct Professor, Sophia University 
       デイビッド・マクニール、上智大学非常勤講師
    33.Gavan McCormack, Emeritus Professor, Australian National
       Universityガバン・マコーマック、オーストラリア国立大学名誉教授
    34.Katherine Muzik, Ph.D., marine biologist, Kauai Island
       キャサリン・ミュージック、海洋生物学者(ハワイ・カウアイ島)
    35.Koichi Nakano, Professor, Sophia University
       中野晃一上智大学教授
    36.NAKANO Toshio, Professor Emeritus, Tokyo University of Foreign Studies
       中野敏男、社会理論・社会思想、東京外国語大学名誉教授
    37.Narusawa Muneo, Editor, Weekly Kinyobi, 成澤宗男、
       『週刊金曜日』編集部
    38.Satoko Oka Norimatsu, Editor, Asia-Pacific Journal: Japan Focus
      乗松聡子『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』エディター
    39.John Price, Professor of History, University of Victoria, Canada
       ジョン・プライス、ビクトリア大学(カナダ)歴史学教授
    40.Steve Rabson, Professor Emeritus, Brown University (U.S.A.) Veteran, 
      United States Armyスティーブ・ラブソン、ブラウン大学教授 陸軍退役軍人
    41. Sonia Ryang, Director, Chao Center for Asian Studies,
       Rice University ソニア・リャン、ライス大学(テキサス州)
       チャオ・アジア研究センターディレクター
    42.Daiyo Sawada, Emeritus Professor, University of Alberta
        ダイヨウ・サワダ、アルバータ大学名誉教授
    43..Mark Selden, Senior Research Associate, East Asia Program, Cornell
      Universityマーク・セルダンコーネル大学東アジア研究プログラム上級研究員
    44.Oliver Stone, Academy Award-Winning Filmmaker
       オリバー・ストーン、アカデミー賞受賞映画監督
    45・Tetsuya Takahashi, Professor, University of Tokyo
       高橋哲哉、東京大学教授
    46・Nobuyoshi Takashima, Professor Emeritus, the University of
       Ryukyus 高嶋伸欣、琉球大学名誉教授
    47・Akiko Takenaka, Associate Professor of Japanese History,
       University of Kentucky竹中晶子、ケンタッキー大学准教授 
    48・Wesley Ueunten, Associate Professor, Asian American Studies Dpt
      San Francisco State University ウェスリー・ウエウンテン
       サンフランシスコ州立大学アジア・アメリカ研究学部准教授
    49・Aiko Utsumi, Professor Emeritus, Keisen University
       内海愛子、恵泉女学園大学名誉教授
    50・Shue Tuck Wong, Professor Emeritus, Simon Fraser University
       シュエ・タク・ウォング、サイモンフレーザー大学(カナダ)名誉教授
    51・Yi Wu, Assistant Professor, Department of Sociology and Anthropology,
       Clemson University イー・ウー、クレムゾン大学社会学・人類学部助教授
    52・Tomomi Yamaguchi, Associate Professor of Anthropology, Montana
       State University 山口智美モンタナ州立大学人類学准教授
    53・Lisa Yoneyama, Professor, University of Toronto
        リサ・ヨネヤマ トロント大学教授

         * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

    Those whose signatures arrived after we released the letter.
    発表後に署名が届いた人たちをここに記します(到着順)
    Jenny Chan 陳慧玲, Assistant Professor of Sociology and China Studies,
    Department of Applied Social Sciences, The Hong Kong Polytechnic University 
    Matthew Penny, Associate Professor, Concordia University (Canada)
     
    (Peace Philosophy Centre: オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識を問う Oliver Stone and internatonal scholars and activists send an Open Letter to Prime Minister Abe on the eve of his Pearl Harbor visitより 2016/12/25)




    今上天皇にも,こうした公開質問状をつきつけてみたいよ,マッタク。
    すべてはあなたの父君がおこしたこと,帝國日本の國體そのものであったあなたの
    血族,
    その血,
    その血由來の悲劇ではないですか?

    その血による債,それに對して血償はなされていない
    だから中國に碧血がこごる,凝りつづける
    と。

    《報載日本首相參拜靖國神社憶南京大屠殺事感而賦此 其一》何永沂
     
    形已變,根仍在,魂未散,人不解
     
    一殺。その恨み。仇にとって五十年は決して永くはないのだがね,
    キミたち武士には天や道はあるのかね。崖っぷちの好きな國よ


    くらいの詩意である

    一九九六年,我が國の「あんぱんハシリュー」こと「武士道」總理が,ヤスクニ参拝したとき,詠まれた詩だ,
    その無力な竹刀をアメリカにつきつけたアレだけはキが利いてたな,と思いはするがw

    國境を,いや “國體” そのものを否定されたことのある,域の民の心と。
    出かけていっては奪うばかりだった” 囗” の民とは。

    いかんともしがたい隔絶がある,ありつづける,

    そんなことを絶望的に,時には自暴自棄に,思わずにはいられない,のだ

    《報載日本首相參拜靖國神社憶南京大屠殺事感而賦此 其二》何永沂

    報載日本首相參拜靖國神社憶南京大屠殺事感而賦此
     日本の首相靖國神社參拜の報に南京大屠殺を憶い感ず事あり此れを賦す
                            題注:一九九六年作

     其一
     鐵騎縱橫恨未煙     tiěqí zònghéng hèn wèi yān
     屠城武士道無天     túchéng wǔshìdào wú tiān.
     勸君且勒懸崖馬     quàn jūn qiě lēi xuányá mǎ
     一殺仇深五十年     yī shā chóu shēn wǔshí nián

      鐵騎は縱橫し恨みは未だ煙ときえず
      屠城の武士に天道無し
      ただ君に勸めて懸崖に勒馬せり
      一殺仇,深し。五十年
     

      *勒馬をつなぎとめる
      *「懸崖勒馬」の成語もあるが。
        在高高的山崖邊上勒住馬。比喩到了危險的邊緣及時清醒回頭
        ここでは痛烈な皮肉として。


     其二
     武士能稱道  武士,なんぞ能く道を稱わん wǔshì néng chēngdào
     屠城在理中  屠城,“理”の中に在り    túchéng zài lǐ zhōng
     天皇魂未散  天皇の魂は未だ散らん    tiānhuáng hún wèisàn
     神社尚陰風  神社は尚(なお)陰の風   shénshè shàng yīnfēng




    ところで。

    朝香宮鳩彦王陸軍中将、上海派遣軍総司令官,

    松井石根と同じく「南京攻略戰」的戰爭責任があったひとであるが。

    このひとが,姓を取得することで,いわばw

     變 “易” 姓
    することで,

    血債に對し,血償をした。
    つまり,その無姓であった血族の一部は,少なくとも立場上,
    血債血償した,というのがわたしの理解だが。

    愛新覚羅溥儀,このひとのばあい,収容所生活を經て,ジンカンに差別なきこと知った,が。

    そうだ!
    明仁氏は象徴行動として撫順の政治犯収容所にもいくべきだ



    我信ジンカン無差別

    ・・・・・。
    さっそくおしかりを受けて少し手直しした

    安倍クンの真珠ワンっ,ならべてみれば,あいまって,いやがおうにも不快がつのった
    私的旅行で両陛下満蒙開拓平和記念館を訪問

    という彼等の私的行為,

    ワタシ的に言えば,やるヒツヨーもない象徴行動ヤリたいけどできないとマズイからヤメたい玉音聲明,
    正しくは,作為的憲法逸脱行為

    ワタシ的に言えば,天皇ヒロヒトの嫡男の,一部のアジアの國への謝罪も慰霊もしないとゆう血償血債的ショウチョウコウドウ,
    正しくは,「戰爭責任者の地位を受け繼いだ者として当然の責務」不作為,のこと

    さらには12月23日,だ。

    わたしは12月にはいってずっと南京虐殺と香港陥落のことばかり考えていたから,身ガッテにもよけいに反應した

    死ぬ前に,天皇は南京に行け,今までにないほど強く激しくそうおもったのだ,

    平頂山に行け,ハルビン731部隊,いくべきところはいくらでもあるが。

    もう少し穏便にヘイトスピークすれば
    哈哈哈。
    「哈達河開拓團」。
    麻山に行け,と,草むす丘にひざまづけ,と。わたしはいいたい。
    通化に行け,と。
    せめて,そこで無惨に死んでいったわが同胞日本人犠牲者の慰霊だけでもしたら,と。

    手近に行けるところの長野県で済ませてみました,というよーなハナシで済むハナシ
    ぢゃない。。

    わたしは,かれの他國の犠牲者に謝罪はしない,という作為的「選別」と不作為に,違和感は持っていた。しかしそれでも・・・・。
    一定程度,というか,ふつーに,わたしもかつては。我が國の象徴であるらしい頑張るオジイチャンに敬愛の念は持っていた。
    のだった,あの,

    もう,わが臣民の統合としての「象徴行動」をカンペキにできないからやめたい,

    なんつーとっぴょーしもない玉音聲明をするまでは。
    象徴行動をやらなきゃいかん,という思いで限界までやってたつもりだが,という,明仁氏の「おことば」を讀んでいらい
    わたしは明仁氏という “人間” としての根本的条理のなさを感じてしまったのだ。

    明仁氏に對する,・・・・・・というより今上と東宮に對し,わたしの虫けら三分の魂のそのまた三分程度ばかりはもっていた・・・・・
    敬愛の情は。
    吹き飛んであとかたもなくなったw,

    なーにが,私的旅行で,だ。w

    やらなきゃいかん「象徴行動」として不完全ながら長野に行ったと,というべきである。

    何乎哉?この選別は。

    そして,中國に行けよ,と。

    いや,いきたくともいけないのはわかるがw
    せめて
    東北三省に死ぬまでにはいきたいものだ, “ああ偽りの「滿洲國」” ,ぐらい言えよ,と
    まあ
    玉音のせいでバクハツしたわたしの惡感情は,齒止めがきかなくなったワケ,だが。
    (これは,「また,天皇玉音をもちだしてる」,と弟に叱られたのでイイワケしてるんだが 

    弟の論旨は,

     そもそも,世間は,なんと考えてるか,ということだった。

    つまり

     いやいや,そうはいうけどさ
     ヒトとして父親の罪に對し,子としてかんじるべき遺憾のイがあるだろう?
     というあなたの主張,それはわかる,しかし。
     そもそも,生まれた子に責任はあるのか,という,人情,一面の真實もあるだろう
     
     そのことは現代生きている我我のニホンが永遠に謝罪しつづけること,に對する
     今のニホン社会にただよう嫌惡感,倦怠感と少なくともパラレルにある,
     もちろん中國への惡感情にも直結する,

    ということだった。日本の謝罪外交に對する一般論だ,すこぶるまっとうな,
    弟の聡明な現状認識だ,
    とは,わたしも思う。

    そもそも子は,親を選んでカッテにうまれることはできない
    というこの世の摂理,單純きわまりない出生の順序,という,ミもフタもない眞實を
    かんがみればwだ

     (ってゆーかだ,
     異常な犯罪者の親は,追い込まれて自殺する傾向がある,という現象や,
     そのように執拗に追い込む日本社會の圧力,これにはキョーレツなイワカンを
     感じるものの。また,親に責任はないのか?という世間の糾弾にも一定の理り
     とスジはあるのだろうともおもわなくもないが・・・・
     むしろわたしは,子は親に逆らうもの,といういいかただってできるじゃんっ,
     と考えるタイプだしw)

    たしかに,明仁氏はなにもすきこのんで皇族に・・・・いや
    わざわざ,ヒロヒト氏の兒として,志願してうまれたわけではないw
    だから。
    そのデンでいけば,たしかに,特攻隊志願の学徒兵や,開拓団少年義勇軍兵とは,同列一日に語れない。
    ・・・・。

    が。
    だからこそ,明仁氏の志願しての象徴行動と,私的にする旅行における示威的作為的「サベツ」を,あえてとりあげていいたいのだ。
    (われながらすごい詭弁を弄しているキもしないでもないがw)

    もうひとつ。

    安倍晉三の真珠灣訪問について,中身あることをいった代議士はひとりもいなかった
    引退した河野洋平だけである,
    というこの事實。

    今のニホン “社會” モドキが嫌惡する,『河野談話』のかの御仁,だが。
    言うべきことを言いつづけるひとはいる。ということだ。

    まさに。
    弟がいうがごとく。
    パラレル,なのである。

    言いつづける,ことの「何苦」もまた,パラレルの地平にあるw

    しかし。
    パラレルといってしまうこと,それは,つまり

      永遠にまじわることはない,

    という絶望,でもある。わたしも,自暴自棄にもそう思う。

    しかし,そうおもうこと,いわば,感情と,
    「何苦」をいいつづけることの,いわば,意志,とは違うのである。

    もっといえば。
    ひとからバカにされつづけることは,わたしはおそろしいとおもわない。

    コトバを發することができる自由,という,このありがたさは,
    無視されることのない嬉しさ,だの,白い眼でみられない安らかさだの,とは,
    くらべものにならない。

    どちらを尊いと考えるか,ただそれだけのちがいにすぎない,ともおもうが。
    それこそ,意志に由る,ということ,だ,
    自由とは “自” に由るものだ,とはそういうことではないのかと。

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    文,人⑤守正弗撓,烈烈以死 郁曼陀《新曆除夜林庚白招飲酬原韻》 郭沫若七絶,鄭孝胥《題林學衡詩本》 其一,二

    郁曼陀郁達夫故居

    柳亞子による郁曼陀の詩集『靜遠堂詩畫集』序文にいう

    郁曼陀是一位在敵人漢奸的威脅下,“守正弗撓,烈烈以死”的法官

    郁達夫は説明の要もないほど日本では知られた作家だが,郁曼陀
    1884年 清末 浙江省富陽縣生
    名は郁華。
    郁達夫の兄。郁風の父である。

    このひとも・・・・・1939年11月23日上午上海の寓所付近に埋伏していた
    帝國日本ニセ政府の特務に,慘殺されている。

    正を守り撓むことなし,その死以て,烈烈たり,

    wwww
    ハナシにならん・・・・

    ぢゃなくて,w
    こんなことばっか書いてて自分でもウンザリもするが 
    よーするに中華民國首都南京陥落後,南京や上海に殘った官場の文人はいた,
    武漢,重慶へと中國の “國體” が遷移していくなか,帝國日本軍に占領された地に殘る,そのうえで節を全うす,もしくはスジを通す,これは死を覺悟することにひとしい。
    そして
    だれもが,帝國日本軍がでっち上げた傀儡政府汪兆銘政權に唯唯諾諾としたがったわけではない。
    漢奸ばかりではなかった,ということ。
    だから。

    わたしはキメツケてゆうのだw
    いい詩作した文人は,大陸に殘ったか,解放前に慘死したかどちらかだ
    と。

    とりわけ中華諸夏,祖國存亡の秋にあって,詩,とは。

    偸生の,まさに對極 に詩詞あり,抗志あり,また烈烈の死あり,

    詩を書く,ということは,遠く南北朝,元嘉のむかし,いや屈原の古へより
    忼慨言志,である,という

    わたしの牽強付會であるはずがない,當然の歸結,である。

    そうしたヒトビトは,帝國日本人とその走狗漢奸に,あたりまえに殺された,
    というだけのハナシだが。

    日本のネトウヨ大本營ウィキペデイアをみてみれば。

    郁曼陀。革命烈士なんだそーな。

    ふざけんなウヨク,
    って
    わざわざウィキ觀に行かなきゃいーのにw
    ついついおかしなことがかかれてるだろうと確認にいく。
    だからあんたは,ジギャク的なんだ,と言われるのかも知らんが

    わたしが,かりにマゾヒストではあったとても,わたしの持論,これは,

    事實である,というだけで。

    今般なぜかジギャク史觀といわれてしまうよーな近代史觀ではない,し。
    今般なぜか自慰史觀とはいわれないウィキペディアに,いちいち,メクジラ立ててたらキリもない,

    と,キを取り直してなおして。

    退筆成山未足珍,讀書萬卷始通神

    退筆。
    おもいうかぶ,は
    蘇東坡の句だが いかにも。

    《新曆除夜林庚白招飲酬原韻》郁曼陀

     新曆除夜林庚白招飲酬原韻 
      Xīn lì chúyè Lín Gēng bái zhāo yǐn chou yuán yùn

     爆竹燈花落盞邊   bàozhú dēnghuā luò zhǎn biān
     客中嘉會許忘年   kè zhōng jiā huì xǔ wàngnián
     低鬟賭酒狂能縱   Dī huán dǔ jiǔ kuáng néng zòng
     退筆書春老更妍   tuì bǐ shū chūn lǎo gèng yán
     刻燭千家傾楚舞   Kè zhú qiānjiā qīng chu wǔ
     傳烽一夜遍胡天   chuán fēng yīyè biàn hú tiān.
     幾人憂樂知先後   Jǐ rén yōu lè zhī xiānhòu
     醉後論才覺汝賢   zuì hòu lùn cái jué rǔ xián


     爆竹,燈花,邊り一面の,盞(さかずき)
     客中に,忘年の嘉會を許さる。
     低鬟,賭酒を賭けくらべ狂,能く縱(ほしいまま)す,
     退筆,新春の書は老いて更に妍たり。
     燭を刻みて千家,傾く楚の舞い,
     烽(火)傳わり,一夜にして遍く胡天。
     幾人だれかれとなく,憂樂を,知るは先か後か,
     醉後に論ずる才に覺める,汝,賢。



    嘉會=歡樂のための聚會。美好的宴,集會
    低鬟=酒宴の積でうつむく美女をいう,よくわからないがムシロに座って酒飲みかわしていたんだろう 
    賭酒=罰杯つきで酒量を爭う,酒飲み較べ
    退筆=舊筆
    傳烽=點燃烽火,逐站相傳,以報敵情。
        ようするに日中戰爭の戰況を知らせる
        これがどこで詠まれた詩かよくわからないが
    胡天=帝國日本軍の占領


        YuHua01.jpg

        郁曼陀 郁華 Yu Hua 1884-1939

      1904年に日本に官費留學,早稲田大學清國留學生部師範科、
      1909年法政大學専門部法律科宣統元年七月卒業
      1910年歸國
      留學生を對象とした北京官吏雇用考試に合格,七品小京官
      革命後
      民國元年五月,京師高等審判廳的秘事(法官),
      民國二年六月から帝國日本に派遣され司法制度を考察。
            此のときに季(すえ)の弟郁達夫を相伴している,
      民國三年九月,大理院推事,最高法院法官

      1929年司法部科長,最高法院東北分院刑庭庭長。
      1932年江蘇省高等法院第二分院刑庭庭長。

    法官の職務と,同時に朝陽大學、中國大學、また法政大學、司法講習所、司法儲才館、
    東呉大學にて刑法教授を兼任す,



    1931年,九一八(いわゆる滿洲事變)前夕,帝國日本軍に職務の續行を強要されたが變裝して北平に逃走,
    1932年に上海に移居している。

    おそらく北平(北京は,帝國日本占領下の北京は “京”ではないから中國人は北平と呼稱した,中華民國首都は南京である)でも,南京でも,上海でも,林庚白とは同じ法律,立法府の人間として辛亥革命以降行き來はあったと思われるが
    久しぶりに大晦日夜,痛飲したことがあったのだろう

    孰云蘧然而物化邪? 凝血與山川共碧

    もちろん,實弟の郁達夫も帝國日本軍に殺されていることは,このブログでもいくたびか書きバシってる

    毎度おなじみのヒコクミンの雑感だが

    ちなみに,郁曼陀の母,陸氏も
    不降其志,不辱其身 ,あたかも,伯夷、叔齊,を地でゆく
    郁曼陀郁達夫兄弟,その令堂,らしい,烈婦の死ざま,という

    日中戰爭初年,1937年冬いまから79年前の12月
    かれらの故郷の杭州富陽が淪陥したさい,山中に避難してそのまま
    山から下りず餓死している
    淪陥區,つまり帝國日本軍の占領後の城市に敢て亡國の徒となり生ながらえるを潔しとしなかった



    GuoMoruoYuMantuo.jpg


    七絶 為郁曼陀遺畫題詩.

     雙松挺秀意何如   shuāngsōng tǐngxiù yì hérú
     彷彿眉山有二蘇   fǎngfú méishān yǒu èr sū
     況復塤篪同殉國   kuàngfùxūn chí tóng xùnguó
     天涯海角聽相呼   tiānyáhǎijiǎo tīng xiāng hū

    一九六一年春題曼陀遺作 郭沫若


    塤篪
    ,どちらも樂器。

    塤 xūn=吹奏樂器,圓形或橢(楕)圓形,有六孔。亦称“陶塤”。
    篪 chí =竹でできた管,笛,有八孔。



    スゴイ詩だなあ,というほかない。
    郭沫若・・・・らしい

    “雙松”は,當然抗日戰爭中,祖國捐軀的(身命をすてた)郁門,
    雙烈士,郁曼陀と郁達夫. ということだが

    挺秀は,すくと直立す,
    松の如き,樹木,軀體,伸びて美しいさまをいう日本でも使われていた
    また
    眉山といえば,蘇兄弟蘇軾子瞻,蘇轍子由

    成語としてこういう言葉がある
    如壎如箎 rú xūn rú chí

    塤(壎)、箎,樂器の二者聲音相合。

    『詩經』《小雅.何人斯》「伯氏吹壎,仲氏吹箎。」
    兄弟の相處和睦の比喩。

    そして結句の素晴らしさ!!

     天涯と海角隔たりて土に還りし二人相呼ぶを聽く

    沫若神韻。 rú,sū,hū

    郁達夫はインドネシアで殺されている。
    中國大陸の東南とは海を隔てたジャワ,インドネシアもまた帝國日本軍の蹂躙した
    そして今も,韓國と同じ從軍慰安婦の問題は殘っている。
    美しい國,わが日本國は,戰後,白人(オランダ人)の慰安婦には謝罪している,が。

    郁曼陀衣冠塚
                  郁曼陀烈士血衣塚

    郁曼陀の墓誌銘は郭沫若による
     
      石可磷而不可奪堅,  丹可磨不可奪赤
      孰云蘧然而物化邪? 凝血與山川共碧


    ぞくっときて,疼くような。
    これは最初 “礫” ?とおもったが
    磷で正しいことは,あとに磨がくるから
    不磷不緇,の意でいいのだろう

    不曰堅乎,磨而不磷。不曰白乎,涅而不緇

    石は磷(リン)となれど堅さは奪われず,丹は磨かれども赤は奪われず
    孰か云はん,蘧然として,ことさり而してこの物化を邪,と?
    血は山に凝り川についに共に碧となりぬ


    白磷 báilín ,紅磷 hónglín,そして碧。燐は陰火。
    慘殺された時の血に染まった衣,その塚,エピタフにきざまれた
    恨血,碧凝ごる。中華大地。
    神血氣魄,こもる。
    これが,郭沫若。という。

    孰云蘧然而物化邪?

    これまた『莊子』である。

      蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與
      周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化 ―― 。《齊物》

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    文,人④ 戰地鴛鴦(二)

    林庚白『孑樓隨筆』

    ジツは本日12月19日は林庚白の命日,なのであるがw
    林庚白の生平については柳亞子による『林庚白家傳』があり,いずれそれを載せようともくろんでいるが,『孑樓隨筆』前書きから
    引用して簡略にあらましをしるしおく

     林庚白(一八九七年至一九四一年)
     原名學衡,字凌南,又字眾難,自號摩登和尚,
     閩侯縣螺洲鎮(今福州郊區螺洲鎮州尾村)人。


    庚白は幼くして孤,由えに其の姐が撫育扶養して長成する。
    四歳にして作文能くし,七歳にして詩を書き,「神童」とみなされる。
    ゆえ,姉と學びのため笈を背負うて故郷から遠く離れ北方に赴いた
    當時の先端をゆくのは天津,である


     一九○七年,かれは,作文で孔子、周公を論じ罵しり,學び始めた天津の
     譯學館を除籍され,次年に改めて天津北洋客籍學堂に入學するが
     一九○九年秋より,反日運動を領導して又,除籍となる。
     のちに天津から北京へ赴くと,京師大學堂預科に考試をへて第一の成績で
     合格,入學をゆるされ,同學の姚鵷雛、汪國垣、胡先驌、王易等と詩を相い
     酬唱す。

    鄭孝胥が林庚白の詩を絶賛したハナシを前頁でかきばしったが,それはこのころの詩作である。
    南社健將とて名をはせる前の少年時代,ということだが。
    二人がよく比べられていたのも事實である

     一九一○年,汪精衛の紹介により同盟會に加入。
     一九一二年,柳亞子と訂交,並びに南社加入。


    孫中山が,臨時大總統職務を辭去した後,林庚白は上海で,秘密組織
    「鐵血剷除團」,を結社。
    北洋官僚と變節した黨人を目標として暗殺を企てていた。

     同年,上海《民國新聞》(日報)主筆。
     一九一三年春上海を離れ入京し,國民黨の北方の機關報《民國報》を主持;
     同年,「憲法起草委員會」秘書長。
     一九一七年七月(張勳の復辟),孫中山に随い護法して南下(廣州),
     八月廣州に成立した非常國會秘書長,
     九月孫中山大元帥府秘書を兼任。
     一九二一年孫中山の密命により北洋第二艦隊の造反工作を畫策,不成功

     
    一九二七年「四•一二」政變以後,林庚白はマルクス主義的唯物觀に懷疑心が生じ一度,消極的になり,閉門して讀書にはげみ,詩詞研究に没頭する。

     一九二八年國民政府定都南京後,外交部顧問及南京市政府參事。
     一九三三年,他在上海創辦《長風》半月刊。
     また南社の一員健將の,詩名を得る
     《庚白詩存》、《庚白詩詞集》を編校,
     一九三四年《孑樓隨筆》、《孑樓詩詞話》


    林庚白『孑樓隨筆』   

    この,
    一九三四年に出版されて以降長い間絶版となっていた林庚白『孑樓隨筆』は,
    臺灣人研究者らしい蔡登山という人が長い間さがし求めてついに發見,次いで,
    2011年秀威資訊科技股份有限公司から再出版,日の目を見た奇書であるが・・・・・w

    變なことがいっぱい書いてある,むちゃくちゃおもしろい随筆,なんだが
    中身はまた紹介するとして,蔡登山による前書きに
    林北麗から直接聞いたらしい,ふたりの出逢い初めなどが記されている

    1936年秋南京の亨利(ヘンリー?名?)姐の家で紹介されたときのこと
    林北麗は早くから父の友人同志であった林庚白の名は,よく知っていて,
    それでなくとも當時南京中で林庚白の追女仔ぶり花花公子ぶりは話題になってたらしいがw,
    その詩は発表されるたびに讀んでいた。
    そもそも,算命の達人で,作る詩は舊體詩の “老頭兒” が,
    なんだって「摩登(モード)小姐」を追っかけまわしてる,
    しかも社會主義を服膺して進歩的思想のもちぬし,
    なんで?
    とおもっていたそうである

    後來成為他的妻子的林北麗説
    「我和庚白的正式認識,是到南京的那年(一九三六年),
    但是他的作品,我早已讀得很多,他的歷史也知道得很清楚,
    尤其他和某小姐的戀愛曾轟動過全南京。
    他是我父親(林寒碧)的好朋友,所以每當我讀他的詩文的時候,
    我總想,難得這個『老頭兒』的思想這樣前進,
    難怪他也要和摩登小姐談起戀愛來。

    我的第一次見他是在亨利姐家裡,恰當秋天的某一夜,
    一個穿黄色上裝,銀灰褲的西服男子來趨訪,
    經女主人介紹以後,
    方才知道乃是聞名已久的林庚白先生。
    我十分驚訝他的年輕和瀟灑,一口流利的普通話,
    沒有會設想到他是閩侯人的。
    經過一度的閒談以後,彼此都很好感。


    黄色のジャケットにシルバーグレーのズボンといういでたちであらわれた林庚白は意外にも,若若しく
    官話を流暢に話し父の同郷,閩侯の鄙生(いなかもん)とはとてもおもえない,瀟洒でかっこよく見えたようだ,
    少し會話をしてその風采すべてに好感をもったらしい
    さらに
    林北麗は,初め気がつかなかったが,よくよく見れば

    除了有一個中國舊讀書人的駱駝背外,不細看,不覺得,小小的嘴,高高的鼻子,簡直有西方的美呢。


    猫背なところ以外は西洋的美男,要するに一目ぼれだったのかもしれない。
    それ以降林庚白は林北麗をちょくちょく逢いに訪ねていて,
    ある休日,展覧会に誘いだし,初めて二人きりでデートをし,夕餐を共にした。

    と,その席上,なぜだかw,林庚白が戀人にフラれてという情痴のハナシにすすみ
    “忽然嚎啕大哭” ,トツジョとして,大聲で泣き出してしまい,なすすべもなくはずかしく,こまらせられた

    こいつは癡情郎,(よーするに,ただの色キちがい),ぢゃないかと,アキれた,

    などということも回想している。

    うら若き清純の女子大生に・・・・。
    そもそも最初のデートで昔のオンナの話をするオトコというの,ホントどーよと思うがw
    (林庚白の,愛人に寄せた情詩は(このブログでも紹介したが)スバラシイ)

    昔の女に連綿藕絲の未練を殘して人前で大泣きする林庚白を,困ったヒトだとおもいはしたものの,もとより,亡き父の古い友人同志,長一輩人,年長者としてふるまいも禮儀ただしく,
    林北麗も 『白叔』と尊稱でよび文人,名士として敬愛していたらしい,
    そのため周圍は,叔父姪の關係と勘違いして,結婚が知れた時も
    また,林庚白は,しょーもない,とさわがれたりもしたそうである。

    (宗族が違うので同姓でも二人の結婚は道義上何の問題もない
    ただ,追女仔グセのある子持ち(6人だw)のバツイチ中年男が,自分の娘ほど年の離れた妙齢の女性と再婚した,というたまにあるハナシなだけであるがw)

    そもそも林庚白は,漢族官吏の父,滿洲族の母の両親をおさなくしてなくし長姉に育てられ十八歳でその姉の縁者と結婚,まったくそりが合わない,感情不合,精神痛苦,的結婚生活,だったようで離婚,後,幾人かの女性との戀愛遍歴をへて林北麗と結ばれた,
    その遍歴だが,林庚白は自ら命理を算出して自分の伴偶,愛侶は “才貌俱全的女人”でなければならないと知り(とキメツケ),すくなからぬ民國の名流才媛女子をおっかけまわしていたw。

    まず,民國名花と誉れ高い林長民のむすめ林徽音にほれこみ北京(北平)まで追っかけてってふられた,とか
    柳亞子の次女,さらには電影明星,つまり映畫スターの女優兼,作家の王瑩
    とデキたが,あっというまにいさかいがおこって別れている,
    王瑩によると・・・・

    王瑩認為林庚白有些神經病,天天盯得太牢,話又説得太囉唆


    庚白は神経病のケがあり,毎日毎日干渉されて息詰まる,ハナシは長ったらしーし,と
    囉唆は,囉嗦,人を煩わせてうっとおしーヤツ,と
    サンザンな言われようである
    また國民政府の鐵道部の美人職員張璧女史との職場戀愛,同棲を經て,ついに
    出遭った林北麗が,必ず巡り會い合い結ばれるべきと信じ追求してきた林庚白の女神,真の才色兼備的伴侶だったわけである。

    林北麗も彼は “有些急躁” ,神經過敏なところは,あった,が,という,
    また,詩を論じておこらせてしまった柳亞子から,杖ふりまわされ殴りかかられ家じゅう逃げ回ったたなどと狂躁のエピソードもおもしろい,が。
    林庚白の友人の女流作家が回想して言うごとく,「庚白是一個耿直忠誠的朋友,他一生坦白,對人赤裸裸毫無半點虛偽,」というのがよくあらわしていて,氣燄囂張のキミはあったが交遊はひろく,人望はなくともw人氣はあったようである

    だんだん,と交際が進み林庚白は毎日來るようになった,が當時大學生だった自分には
    十分殷勤,無微不至,シツレイなふるまいもなく勉學を妨害することこそなかったが,週に三度も四度も詩を寄こしてはあれやこれやとその實際的文才を發揮していた,と。

    そうして林北麗は,林庚白のその詩才,社會や時節に對する慧眼ぶりに,深く心服,傾倒していった


    他確是很聰敏,亦可講曾經周覽群書,談起問題來也很透徹。
    在他談社會病態和治療藥方的時候,每次都抓住了我的全心靈。
    在這個炎涼的社會和令人頭痛的世界,
    逼成我在他的身上又重新建築起我們的象牙之塔來。


    ついには全身全霊魅了され,また自分の “愛”を必要としているらしい,林庚白,
    社會變革に對する熱情と才能をもちながら矛盾を抱えている彼の “問題” を,愛の力で克服できるなら,と
    林庚白との結婚をきめた,と。
    われわれは,重新建築起我們的象牙之塔,われわれのための,象牙の塔を
    つくっていかなければならないのだ,と,逼成せられたから。
    つまり,林庚白にヒタヒタと,ひしひしとせまられ,いわば押し切られた。

    とはいえしかし,と。
    林北麗いわく
    ナルホドたしかに,暑苦しくも寒寒しい社會,このクソ頭イタい世界にあって,と


    我常常想,如果我的『愛』的『力』能夠幫助他克服他的矛盾,
    能夠使這個被時代壓倒的人,使他在這個創造新世界的機輪上,
    發生些微的力量,那麼,我又何必吝嗇呢?
    由於這個觀點和希望,就在一九三七年春天,
    我接受了庚白全部的『愛』。三月七號那天我們就在上海訂了婚。」


    これだけの人物がじぶんをもとめている,どうしてケチる必要があろう,?
    「新世界的機輪」,世界が新しい軌道に載ろうとしている,まさにこのときにあって
    うけいれてしかるべき,と ,そうして,
    ついに“我接受了庚白全部的『愛』” となった

    そのとき彼女は,
    こんな詩を書いている

    林北麗《賦詩其一》

     其一

     曾倶持論廢婚姻   Céng jù chílùn fèi hūnyīn
     積重終難返此身   jī zhòng zhōng nán fǎn cǐ shēn
     為有神洲攜手音   wèi yǒu shén zhōu xiéshǒu yīn
     一觴同酹自由神   yī shāng tóng lèi zìyóu shén


     曾てみずから倶持した,婚姻は廢すべきとの論, 
     とはいえ,積重は終には,難となり此の身に返る  
     神洲の(祖國中國)のため手を攜えて  
     詩韵の自由神に 一觴同酹*す

     (*この觴(さかずき)もて社稷をことほぎ地に酒をそそぎ,天地に誓う)

    林北麗《賦詩其一》

     其二

     兩世相交更結褵   liǎng shì xiàng jiāo gèng jié lí
     史妻歐母略堪思   Shǐ qī Ōu mǔ è kān sī
     春申他日蒐遺事   chūn shēn tā rì sōu yíshì
     此亦南都掌故詩   cǐ yì nándū zhǎnggù shī


     兩世代に相交して更に結褵   
     史妻歐母の略すところ堪えず思せる 
     春に申さんいつの日にか遺事を蒐めて   
     此れ亦,南都に詩人の掌故たらん



    史妻=スターリンの妻,らしい 柳亞子がきくところによる
    歐母=歐陽修の母,賢母の代名詞
       詩人歐陽修も早くに父を喪い,母鄭氏が督教,甚だ嚴しく,
       家は貧しく紙筆もなかったが地面に書いて字を教え學ばせていった。

    掌故=日本語にもある
    南都=楚,黄歇(春申君)にかけたんだろう
            
    意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください

       1937年3月上海,與林北麗訂婚儀式留影



    つづく

    と。
    詩人の命日にあえて書くことぢゃなかったなw

    そして本12月19日,七五年前の一九四一年,
    帝國日本軍のパールハーバー奇襲ののち,失陥した香港九龍で,
    その侵寇部隊が戒厳令を敷いた中,
    林北麗に言わせれば, “倭” の “獸兵” にかこまれ “低能白痴的特務” によって
    射殺された

    この死の前後のいきさつも書かなくては,書くつもりである,が。

    林庚白『孑樓隨筆』
     

    テーマ:清末民初詩 - ジャンル:学問・文化・芸術

     

    玄


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    * list of poetry    Anti-Japanese wars
      抗日戰舊體詩

      本ブログの骨幹です。
     一九三〇年代,抗日戰爭期,
     中國文人が詠んだ帝國日本の
     侵寇,掠略加害のありさま
     祖國の救亡のため抵抗し命を
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      抵抗者の忼慨をうけ連綿と
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     新・舊體詩,填詞,白話詩。
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      詩人詩篇題 INDEX

     田翠竹 1913-1994 湖南 湘潭
     《洞庭碧血》其四其二
     《血観音歌1943年作
     《重九》《甲辰雜詩
     《抗戰百詠・十首
     《還湘又將別家去桂書懷
     《避難吟荒江雪意
     《中秋后還家再去耒陽
     胡繩 1918-2000 江蘇蘇州
     《南京夜聞流亡東北學生
     《松花江上
     寇夢碧 1917-1990 天津
     《淪陷紀事詩
     黄假我 1916-1985 湖南寧郷
     《青年謠壬午五四青年節
     《柬呈柳亞子先生
     《暮春雜詠
     《過塘沽
     《瀋陽中秋對月
     《宿錦州
     《錦州廣濟寺前
     金紫衡 1914-? 河間瀛州
     《四周年瀋陽驚變九一八
     《沈監秋夜
     《瀋陽除夕寄徐
     《延邊辭歳1943年除夕
     《蘇武牧羊圖
     《山居雜詠
     《北平易幟
     《南京陥落
     《吊江南
      
     錢鍾書 1910-1998 江蘇無錫
     《故國》  《哀望
     《得龍忍寒金陵書
     張滌華 1909-1992 安徽鳳臺
     《南京大屠殺感賦
     盧前 1905-1951 江蘇南京
     《招西北之魂
     《百靈廟,更招東北之魂
     王季思 1906—1996 浙江永嘉
     《懐人五絶
     羅元貞 1906—1993 廣東興寧
     《路過上海有感
     《黄浦灘倚欄夜作
     《清明哭母二首》 《病裏
     《初到并州懷劉越石
     《中秋漫筆二首》
     《故都秋夕
     《送行
     《夜過景山
     張采庵 1904-1991 廣東番禺
     《勝利在望書此志喜
     《鬼意
     《亂離
     《秋夜》  《感憤
     《寇陷長春李君如玉僅
     身免南下相逢握手一慟

     聶紺弩 1903-1986 湖北京山
     《題 “藥” 兼吊秋瑾
     胡士瑩 1901-1979 浙江嘉興
     《過秋瑾墓感賦二首
     王禮錫 1901-1939 江西安福
     《再會,英國的朋友們
     何永沂 ?-? 廣東
     《報載日本首相參拜靖國
     神社憶南京大屠殺事感

      

     舒慶春 老舎 1899-1966 北京
     《七七紀念
     《沫若先生邀飲賴家橋
     《述懷
     《賀冰心先生移寓歌樂山》
     《哭王禮錫先生二首
     常燕生 1898-1946 山東
     《遊春八首選二》其一
     馮振 1897-1983 廣西北流
     《暮春
     《傷楠兒
     《野望
     《登蒼梧北山
     《草食人
     《病後
     《登銅石嶺最高頂
     林庚白 1896-1941 福建閩侯
     《次和炎南兄七七見寄韻
     《續丁丑雜詩六之一
     《水調歌頭,聞近事有感
     《丁丑雜詩三首
     《渡江至武昌
     《江岸散歩
     《月夜小步
     《七月十二夜坐月
     《浣溪沙
     《首都飯店聞警同北麗
     《病起聞警
     《江防
     《聞道二之一
     《難民來
     《夜聞鑿防空壕聲
     郁達夫 1896-1945 浙江富陽
     《贈光華報同人"/>
     郭沫若1892-1978 四川樂山
     《挽王禮錫
     唐鼎元 1894-1988 江蘇常州
     《哀瀋陽
     《武漢空戰三捷歌
     柳亞子 1887-1958 江蘇呉江
     《八聲甘州-次任潮將軍
     韻為亡友庚白先烈賦

     李濟森 1885-1959 廣西蒼梧
     《八聲甘州-林庚白
     先生香江殉難以表哀

     張鳦生 (不詳福建)
     《感事次達夫先生韻
     《南京失陥
     《七七掲開抗戰序幕
     《吊鑒湖女俠墓
     《贊東北義勇軍》二首
     《九一八感作
     《頌寶山姚子青全營殉城
     李大防 1878-?  四川開縣人
     《金陵作
      
    * East Asia War &  Prolet’Kult contents
     日中戰爭とその記憶

    南京虐殺日中間の戰爭,その記憶 ①~⑥にすすむ

      ▼ クリックで直接進めます

     1931 錦州爆撃・張學良
     1933 熱河作戰・張學良
     1931 九・一八柳条湖
     1937 毒ガス使用作戰
     1937 淞滬會戰八・一三
     1940 棗陽戰(棗宜會戰)
     1940 宜昌作戰
     1931 抗日義勇軍・楊靖宇
     1943 常徳よ號作戰
     1935-東亞新秩序の前景氣
     1936 塘沽協定と熱河作戦
     1937 天津の支那駐屯軍
     1937 7・7盧溝橋事變勃發
     1938 漢口の國民政府
     1938 中國の抗日論調
     1938 國民政府 武漢防衛
     -1938 南京屠殺アトローシティ
       1 2 3 4  5 5 6

     1906 アナキスト的國粹主義者
     1907 東京 亞洲和親會
     1925 上海游記 芥川龍之介
     1949 『中國のレジスタンス』

     
    黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 1931
      『國境』 1931
      『』 1927
      『』 1928
      『武装せる市街』 1930
      『パルチザン・ウォルコフ』 1928
     竹内好  1910-1977
     ・
    日中國文學者からの告發
     ・帝國民間人のアヘン賣買
     ・中國の抗戰意識
     ・la résistance 同歸于盡
     ・ファシズムとパン
     ・經濟収奪の前段階

     芥川龍之介 1892-1927
     中野重治 1902-1970
     槇村浩 1912-1938
     小熊秀雄 1901-1940
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       日本人反戰同盟
       (1938-1945 中國)

       
       鹿地亘 1903-1982
       『自傳的文學史』(1959)
     第8章(前)・檢擧 拷問
     第8章(後)多喜二獄中志・死
     第10章・検察 釈放 脱出

       『中國の十年』(1946)
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      1 出獄から
      2 昭和十一年舊正月
      3 夏衍 蕭軍 左翼作家聯盟
      4 民族魂 魯迅との邂逅
      5 阿Q 魯迅の死
      6 七・七事變の勃發
      7 反侵略友誼的激勵
      8 上海 ルイ・アレー氏
      9  ホンコンへ脱出
     10 入境の日本人解放鬪爭
     11 武漢時代 國共合作
     12 武漢時代 朝鮮義勇隊
     13 武漢時代 日本人捕虜
     14 大移動 南嶽會議前後
     15 呉石將軍と廖濟寰氏
     16 桂林時代 蔣介石
     17 桂林時代 崑崙關
     18 重慶 反戦同盟總部
     19 湖北 陳誠將軍 恩施にて
     20 湖北 宜昌の前線
     21 ―新四軍事件
     22 郭沫若のこと
     23 重慶 ― 南進か北進か
     24 反戰同盟發展 
     25 重慶 破壊者 潜入
     26  天皇制の問題
     27 祖國 最終章


    * list of poetry    Late Qing,Republican

        ☞瞿秋白 瞿秋白の生涯と詩作「形單影隻,孤苦畸零」雄魄 顛簸的一生

     史鐵兒 1899-1935 常州武進
      『餓郷紀程
    』1919-1923
     〔新體詩〕
      《心的聲音“遠”》1920年
      《去國答"人道"》1920年
      《無涯》(1920年)
      『餓郷紀程・跋』1921年
      《國際歌》 1923年
      《赤潮曲》 1923年
      《夢中鞋》 1923年
      《鐵花》 1923年
      《天語》 1923年
      《小小的蓓蕾》1929年
     〔舊體詩〕
      《詠菊》 1914年
      《哭母》 1916年
      《雪意》 1917年
      《紅梅閣  1926年>
     〔獄中誌〕
      《
    絶筆》1935年6月18日
      《浣溪沙》1935年5月
      《卜算子詠梅》1935年5月
      『瞿秋白筆名印譜

        


        ☞ 林庚白子舊體詩に すすむ

      林學衡 1896-1941 福建閩侯
     〔七言詩〕
      《次和炎南兄七七見寄韻
      《續丁丑雜詩六之一
      《丁丑雜詩三首
      《渡江至武昌
      《江岸散歩
      《首都飯店聞警同北麗
      《病起聞警
      《江防》 
      《難民來
      《夜聞鑿防空壕聲
     〔五言詩〕
      《聞道二之一
      《月夜小步
      《七月十二夜坐月
     〔詞牌〕
      《水調歌頭-聞近事有感
      《浣溪沙
      《菩薩蠻-送別
      《減字采桑子-雨夕書懷
      《曲牌行香子-
       -舊曆重陽樓望寄璧妹
      《琴調相思引-午夜聞歌
      《賣花聲-雨中樓望
      《鳳凰台上憶吹簫-
       -雨夜無寐》《-海行夜起》
      《滿江紅-秣陵感懷
      《摸魚兒 紅豆




      淸末民初“革命春秋”
     
     鄒容 威丹1885-1905四川巴縣
     《獄中答西狩
     『革命軍
     劉師培1884-1919江蘇儀徴
     《一萼紅-徐州懷古
     《賣花聲-登開封城

     黄節 玉昆1873-1935廣東順德
     《送劉申叔元日東渡
     秋瑾 璿卿1875-1907浙江紹興
     《滿天紅
     《杜鵑花
     《去常德舟中感賦
     《杞憂人
     《梅十首選其二
     《詠琴志感
     《讀書口號
     《殘菊
     《秋海棠
     梁啓超 1873-1929 廣東新會
     《讀陸放翁集

     章太炎 1868-1936 浙江余杭
     《獄中贈鄒容
     《辰州
     《亞洲和親會規約
     陳國常 1864-? 四川榮昌
     《徐烈士墓
     《秋瑾墓

     康有為 1858-1927 廣東南海
     《
    大同書成題詞
     黄遵憲 1848-1905 廣東嘉應
     《庚午中秋夜始識羅少珊
     魏源 默深1794-1857湖南邵陽

     《江南吟・其八
    * list of poetry     The Qing Dynasty 

        龔 定盦 龔璱人
         浙江杭州 1792-1841

       
      『平均篇
      『乙丙之際箸議
      『己亥雜詩全三百十五首
     〔七言絶句詩〕
      《己亥雜詩 百二十五
      《己亥雜詩 六十二
      《己亥雜詩 八十五
      《己亥雜詩 九十六
      《漫感
     〔七言詩〕
      《己卯雜詩自春徂夏全首
      《又懺心一種
      《常州高材篇
      《驛鼓
      《夜坐》其一
      《夜坐》其二
      《秋心》三首之壹
        
     〔五言詩〕
      《夜讀番禺集書其尾
      《又一首
      《戒詩》五章其一、二
      《自春徂秋偶有所觸拉雜
      書之漫不詮次得十五首

      《紀夢》七首之五
      《賦憂患
      《賦得香
      《觀心
      〔曲牌〕
      《端正好
      《醜奴兒令
      《念奴嬌 湘月
       龔自珍 編年校注 古典文學叢書
      ☞ 人痾芙蓉 阿片戰爭
    * list of poetry     The Ming Dynasty 

      屈翁山 屈大均 號 莱圃
       1630-1696 廣東番禺

       
      〔七言詩〕
     【屈大均詩集】七言絶句目録
     【屈大均詩集】七絶集 貮・參
     【屈大均詩集】七絶集 肆・伍
     【屈大均詩集】七絶集 陸
     【屈大均】《哭華姜百首》

      〔五言詩〕
     《哭内子王華姜》一三首
     《詠懷》一七首
     《詠古》二七首

      〔曲牌〕
     【屈大均詩集 詞牌
     《念奴嬌 湘月
      
      








    * list of poetry     The Song Dynasty

       文天祥 宋瑞 諡 忠烈
        江右人 1236-1283

       
       《劉琨
       《夜坐

       劉克莊 潛夫
        莆田城廂1187-1269

       《雜記十首》其二,其八






       元遺山 元好問 裕之
        山西秀容 金1190-1257

       
       《論詩絶句
       《孤劔詠
      《種松》 ,《出都
      《俳體雪香亭雜詠坐
      《壬辰十二月車駕東狩後





       陸放翁 陸游 字 務觀
        浙江紹興 1125-1210

       
      《夜歸偶懷故人獨孤景略
      《東籬雜題
      《雜書幽居事
      《水亭》,《八十一吟
      《卜算子詠梅







       邵堯夫 諡 康節
        范陽人 1011-1077

       
        《觀物吟
      《義利吟
      《自餘吟
      《乾坤吟二首
      《天聽吟
      《辛酸吟
      《論詩吟
      《夢中吟
      《不寢
      《洗心吟
      《晨起
      《寄楊軒
      《百年吟
      《感事吟
      《繩水吟
      《淸夜吟
      《歩月吟
      《月新吟
      《月到梧桐上吟




    * list of poetry     The Tang Dynasty

       李長吉 李賀
        791-817 河南昌谷

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       〔五言詩〕
       《申胡子觱篥歌
       《詠懐其一
       《詠懐其二
       《七月一日曉入太行山
       《潞州張大宅病酒遇江使
       《走馬引
       《古悠悠行
       〔七言詩〕
       《長平箭頭歌
       《酒罷張大徹索贈時…
       《綠章封事爲呉道士…
       《酒貝宮夫人
       

       杜少陵 杜甫
       712-770 長安

       《戯為論詩絶句》其一,五
       《詠懷古跡》五首其一,二


       孟東野 孟郊
       751-814 湖州武康

       ☞孟東野詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔全詩集〕
        壹・一~四卷(宋本)
        貮・六~十卷(宋本)
       〔樂府〕    《古怨別
       《古別曲
       《飢雪吟
       《寒江吟
       《苦寒吟》
       《遊俠行
       《羽林行
       《春日有感
       《游俠行
       《偶作
       《遣興》
       《
    聽琴》
       〔七言絶句〕
       《
    登科后
       《傷舊游
       〔五言絶句〕
       《旅行
       《邀花伴
       《古恩
       《閑恩
       《喜雨
       《春後雨
       〔五言古詩〕
       《答盧虔故園見寄
       《哭秘書包大監
       《送孟寂赴舉
       《寒溪》其三,五,六
       《夜憂
       《夜感自遣
      

        賈浪先 賈島
        779-843 范陽涿州 

        ☞
       《壯士吟
       《劍客
    * list of poetry     The Six Dynasties

       庾子山 庾信 庾開府
        梁 513—北周 581 

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       『庾子山・全詩集』上
       『庾子山・全詩集』下
       《哀江南賦・序
       《哀江南賦①
       《哀江南賦②
       《哀江南賦③
       《哀江南賦④
       《擬詠懷詩
       《詠畫屏風詩
       《望月詩
       《舟中望月詩

       庾子慎 庾肩吾
        梁 487-551

       
       《經陳思王墓詩
       《同蕭左丞詠摘梅花詩
       『庾肩吾・全詩集

       江總 江總持
        梁 陳 519-594

       《橫吹曲
       


       鮑明遠 鮑參軍 鮑照
        劉宋 414?-466

       鮑明遠 鮑照カテゴリーへ直接進む
       《代出自薊北門行
       《代結客少年場行
       《代升天行
       《扶風歌
       《學劉公幹體》其一~五
       《擬阮公夜中不能寐
       《冬至》,
       《代夜坐吟》

       
       江淹江文通
        劉宋 齊 梁 444-505

       《劉太尉琨傷亂


       劉越石 劉琨
        晉 224-262

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       《答盧諶詩・序
       《答盧諶詩
       《重贈盧諶詩
       《扶風歌


       嵆叔夜 嵆康
        晉 270-318

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    * list of poetry     The Han,Wei,Jin


       曹操 曹孟德
       沛国譙 155-220魏武

       
       《歩出夏門行

       曹子建 曹植
       192-232陳思

       
       《求自試表》上
       《求自試表》下
       《升天行
       《朔風

      漢魏晉 建安文學 三曹


      繁欽 繁休伯 建安?-218
       《遠戍勸戒詩
       《征天山賦
      繆襲 繆煕伯 建安186-245
       《屠柳城

      漢代樂府歌辭
       《戰場南



    * list of poetry    Pre-Qin and Others

      詩賦・樂府歌辭・偈頌
       
      南北朝・北歌
      《望月》蕭綱・梁簡文
      《隴頭歌辭
      《青溪小姑歌》南北朝末隋初


    * list of poetry    Japanese modern

      小熊秀雄 1901-1940
      『小熊秀雄詩集1935年
      『流民詩集1947年
        ☞ 詩篇 TitleMenu
       

      中野重治 1902-1970
      《新聞にのった寫眞
      《兵隊について
      《噴水のやうに》《歌
      《私は月を眺め》《波》4

      金子光晴 1895-1975
      《落下傘》《湖畔吟
      《燈臺》
      槇村浩 1912-1938
      『間島パルチザンの歌』
       ☞ 詩篇 TitleMenu

      金鍾漢 1916-1944
      《合唱について
      《一枝について
      《古井戸のある風景
      《待機
      《行状
      《空山名月
      《

      黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 『國境』 『
      『』 『武装せる市街
      『パルチザン・ウォルコフ』

      田邊利宏 1915-1941
      
    ☞ 詩篇 TitleMenu

     反戦詩人☞ 詩篇TitleMenu


      富澤赤黄男 1902-1962

       

      《蒼い弾痕》『旗艦』1939
      句集『天の狼』1941
      句集『天の狼』抄1951
      《風景畫》 『蛇の笛』1952


       短詩運動 大連『亞』  
       
       
       安西冬衞 1898-1965
      《黑き城》『渇ける神』1933
      『大學の留守』1943
      《砂漠》『軍艦茉莉』1929
      《夜の思料》『軍艦茉莉
      《八面城の念力》1933
      《砂漠の行者が臥てゐると
       鴉が食物を運ぶ

       『亞細亞の鹹湖』1933

       
       北川冬彦 1900-1990
      《
      《戰爭》『戰爭』1929
      《絶望の歌》
      《壊滅の鐡道

      《風景》《埋葬》『氷』1933
      《爛れた月》《斑らな水》
      『檢温器と花
    』1926
      《泡》『馬と風景』1952






     
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