《宙合》 《窖》 『楞伽阿跋多羅寶經』 

     Je vais dans la nuit  
     
      我某夜成道,  至某夜涅槃
        ――夜に道を成して(悟りを得て),ある夜涅槃にいたる



    『楞伽阿跋多羅寶經』



     我某夜成道     我,某夜に道を成した。
     至某夜涅槃     某,夜に涅槃に至る
     於此二中間     此の二の中の間については,
     我都無所説     我はすべてを説くことできぬ
     縁自得法住     縁よりて自得法,本住法
     故我作是説     ゆえ我はこのように説うた
     彼佛及與我     彼の佛(の知),および,佛と我と
     悉無有差別     差別の有ることなど,悉く無し




    『楞伽阿跋多羅寶經』  卷三《一切佛語心品》
       
    大慧復白佛言:
    「如世尊所説:『我從某夜得最正覺,乃至某夜入般涅槃,
    於其中間乃至不説一字,亦不已説,當説,不説是佛説。』」
       
    大慧白佛言:
    「世尊!如來.應供.等正覺,何因説言:『不説是佛説』?」
       
    佛告大慧:
    「我因二法故,作如是説。云何二法?

    謂:縁自得法,及本住法,是名二法。因此二法故,我如是説。
    云何縁自得法
    若彼如來所得,我亦得之,無增無減。
    縁自得法究竟境界,離言説妄想,離字二趣。
    云何本住法
    謂:古先聖道。
    如金銀等性,法界常住,若如來出世,若不出世,法界常住。
    如趣彼成道,譬如士夫行曠野中,見向古城平坦正道,
    即隨入城受如意樂。
    大慧!於意云何,彼士夫作是道及城中種種樂耶?」
       
    答言:「不也。」




    大慧(※),復た,佛に言ひていはく
    「世尊!あなたは夜に道なし、某夜に涅槃に至る,その間のことをなにもいわない,なぜでしょうか?」

    「世尊!如來.應供.等正覺という,なぜあなたはそういってそれ以上何もいわないのはなぜでしょうか?」


      我は二法によりてこのように説こう
      いわく,
      ひとつ,縁によりて,悟りを得る,
      ふたつ,もともと住まう(=本性として具わっている),がゆえ悟りを得る。

      ひとつ縁自得 
      如來が得ているところを,我もまた得たるとも無増無減のごとく。
      縁より得る(ことができる),それは言説の妄想から離れ,
      文字の “二”趣より離れ境界を究竟すること,である。

      ひとつ本住法。
      いわく古くに聖なる道が先んじてある。
      金銀の性等しきがごとく。ある。
      法界は常住す,如來の世に出づるも,もしくは出でざるも。
      法界,常に住まう。

      かの成せる道,
      たとえば士夫が
      曠野を行くてに見ゆる古城(城の内,都市のことだろう)
      そこに向かう,

      平坦な正しき道をすぐに見ゆ,すぐに城内に到る。

      それは喜びであるか?
      どうおもうか?

     ―― 宋(劉宋) 天竺三藏 求那跋陀羅 (Guṇabhadra) 譯 


     


    ※ 大慧菩薩摩訶薩=悟りを開こうとする衆生菩提薩埵

    意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください



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     合十   héshí

     左右是假名     zuǒyòu shì jiǎmíng,
     郤亦左亦右     xì yì zuǒ yì yòu,
     自覺左内心     zìjué nèixīn wài,
     覺他常對偶     jué tā cháng duì'ǒu,
     自佛與他佛     zì fú yǔ tā fú,
     左右別無有     zuǒyòu bié wú yǒu
     合十示宙空     héshí shì zhòu kōng,
     在我的兩手     zài wǒ de liǎngshǒu,


           上聲十九有  右偶有手

                   20170921



                 




    自己の光明の在るところ,自“由” 
    これいたしかたなく

    黯處といへども影に過ぎず,
    暗渠といへど間隙に過ぎぬ

    日の光にとき明かされぬ夜はなく
    月の光に曝されぬ夜もない

    光はそこに在る,といふ
    たとへ,
    眼を閉じたとて
    自ら,
    あるかぎり

    その中に

    光吞む中に
    照らし照らされる
    堪えがたいほどの涅白





    のまれてゆく 
    まっくら,

    眼眩み,黑む

    光の芯は黑い窖
    口もまた空
    入りては出ずる孔

    在宥す,いやおうなしに
    己れの在處。



    あかぬ

    往くも歸るも
    とどまるがごとく
    まとわりつくがごとく

    去るが如き來たるが如き

    其中間乃至不説一字


     『楞伽阿跋多羅寶經』巻三

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    9・18雜感 《讀佛口號》

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    わたしは今月ヨミウリシンブンを購讀しているんだがw
    毎朝,他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブンの一面と比べて,も,
    なかなかに,しょーもない。
    國内のモンダイにおいてはインパクト強く,兩者の構成も論調も。
    予想通りに違っていてい面白いのだが。

    なぜヨミウリを讀んでいるのかといえば。
    モチロン北朝鮮のモンダイもすこぶるキになるけれども,
    かんがえてみたいことがあった,からだ,

    それが日本の實體,すくなくと,ショータイである,とわたしが感じる
    りべらる,と,ねとうよの共通項はなにか,
    ということをかんがえたいと

    ちなみに
    そのショータイ,とは,りべらるとねとうよとの単純な総和であるにちがいないという
    とき,

    これは正體のことでは,もちろんんない,
    キサマ,ついにショータイをあらわしたな,

    とかいうトキの正体であるw

    わたしの,「えも言われぬ不信感」の追認をしたいとおもったから。
    當然,考えたいから,かんがえるためのいろいろな材料を得たい,と言うことで
    しょうことなしに
    ヨミウリ新聞っ,という短絡w


    あの,のだせーけんの,考えなしの無茶なのか?,意圖してあえて やったか?
    それはしらんがw
    ジツは民主党のショータイというもんをあらわにあらわしている
    國有化というぼーきょ。
    わたしにとって惡夢としか言いようのない・・・・・2012年に起きた最惡の出來事であったキもする。

    安倍政權は民主黨政權をあらん限りに罵倒しているが,この國有化を批判するヤツはいない。
    そう考えるとノダ民主も,安倍自民も同キ相求,近親憎惡?
    ということにしか見えないわけだが

    わたし的には,あの “國有化” 以外民主党政権にそれほど瑕疵があったとは
    ジツハマッタク思っていない。わけで,つまりは・・・・・
    なにがいいたいかというと,
    わたしのりべらる不信は,ジツはこの,民主党政権末期におこったありえないジタイにはじまったのかもしれない,
    畫然と,愕然と,はっきりおかしい,とおもった,端緒がこのときである。

    ・・・・・。

    それにしてもおどろいたことがある。

    ヨミウリが尖閣の地圖を載せる時には,東京の位置も中國大陸の位置も示さない,ということだ,
    つまり
    沖繩縣と尖閣島嶼,無人島だけw
    ぽつんと

    茫洋とした海の四角の枠の中に,島だけ書き込まれた圖をしめしている
     
    のみ

    だから
    はたして尖閣が,東京,大阪,福岡から,どんだけー離れた絶海の孤島にありw
    その所在はどんだけー中國という囗らしき大陸にちかいか。

    浙江,兩廣,福建,臺灣から,上海,南京,香港,台北から,いったいどれくらいの
    どの程度看過できないくらいの距離,近いと思われる近さ,にあるか。

    すなわち彼等にとって,
    彼らの國防上,
    もしもココを制壓されたら,

    「ヲワッタ」

    と言わざるを得ないジタイに直面するか,という,目近い地點に位置するか,

    という,だいじなことは,
    容易に知らされないようになっている。

    尖閣はいったいどっちのもの?
    と考える日本人は
    そもそも
    類推する,ということが苦手なようだ,そのうえ,

    物事を相對化して考える,という單純なメソッドは・・・
    反中嫌中感情がそのココロに忍び込んだトキには必ずや採用されない
    しない,

    そう,
    ただただ素ニシテ樸タリな,見地から,
    つまりは先入觀なしに、事の大小,距離の長短,彼我の位置,という
    すこぶるかんたんな類推もしない,

    たとえば,
    戰爭,
    という,他國を滅ぼすか,自滅するか,どうか,という大局に

    大地の大きさ,を考えない。
    人の多さ,少なさ,も,軍資金の多さも少なさも,はじめれば何とかなるの,大博打

    そのうえ世界の大きさ,それをも一切無視して類推もせず
    世界に刃向かってやろう,とパールハーバーはじめちゃった
    という。

    ニホンジンがいかに恐ろしいキョウボウ團體的民族か,というのは。
    ・・・・。
    トイレなきマンションといわれる原發が,
    この狭い國土,日本の大地にイッタイいくつあるか,と考えれば,
    われわれの,なんとかなろう,の志向性がいかに根深いものかわかろうというもの

    過去の歴史を考えると,とりわけ昭和。前四半期・・・・二十世紀前半期。
    歴史を振り返ればわかりやすいことなんだが
    なぜか我々の考える材料としては,霧中のかなただ

    「近代史」は,歴史は,日本に限って言えば,役立たずなものである

    かんがえる,それだけのことだが,
    そもそも,たった,それだけのことにすぎない

    一生懸命わすれないで,考える
    というようなことは,するにあたいしない,無駄な努力,
    あまつさえ
    具体的な類推の契機,となりそうな材料は,みごと,巧妙に隠されてしまっている
    人を考えさせない,ということにかんしては周到なのである。

    彼我の差異や彼我の立ち位置はちがうだろう,
    と言うことさえ,
    まちがっているのである,日本においてはw

    ・・・・・w

    勇ましく聲の大きいヤツ,に,ただ,追随していってしまうフシがある
    とはいえ
    穏やかで,謙虚にしゃべるヤツが,まともなことをいうともかぎらない。

    そもそも何も言わない人はナニをかんがえてるのかわからない,

    というこの世間のありかたは,
    ナニカ考えてる人が,だまっている,という状況,そのものを,
    根本から見くびっている政權,の,おもうツボではあるもののw

    ふつー寡黙な人は思慮深い人であることが多いという症状はあるだろうとは
    おもうものの
    ソノジツ
    ナニも言わんからといって,ナニか,かんがえている,とはかぎらない
    という,w
    このことこそ
    ニッポンジンのおそろしさかもしれない,
    と思う今日この頃。である。


    ちなみに
    他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン,は,
    それでいて
    まあ大陸東南海岸線,と日本列島の真ん中よりずっと左,
    つまり,なんだ?
    より西側?
    にひろげて尖閣の位置を,いちおうしめしているのだが

    本州と尖閣の距離感,大陸と尖閣の距離感。
    日本第二の都市,大阪から尖閣までの距離,
    中國有數の都市,上海から尖閣までの距離。

    ソボクに地圖をながめれば,ここを日本と認めるわけがないだろう。

    という,とんでもなくとおい絶海の涯のような距離にあるw

    「尖閣?」
    日本人が
    「あそこはひょっとして日本の領土じゃないか?」 

    と言いつづけることは,
    極端でゴーマンなわたしに言わせれば過去を反省していないこととイコールだが。
    スコブル少数派らしきわたしはともかく。

    「それは・・・・日本人は何かの考えがあって,目的があって,證據が無いのを幸いに
    あそこは日本かもしれない,と,そう言い募っているのだろうか
    そーいえば日本人には。前科がある。
    過去を悔いていないよーな言説が絶えずシマグニの本土の方からきこえてくるが?」

    と考える人は,世界にも少なくないかもしれないではないか?

    りべらるは 常に,國際法遵守といって,アメリカ保安官をアテに,
    ハーグだ,國連だ、航海の自由だなんだがあるからには
    南シナ海の正邪はわかりきって,中國がひどいにきまっている,と

    「尖閣は,歴史的に不明なんだから,ひょっとして日本の領土の可能性もある」

    と,
    何にも考えずにキメツケていやしないか。


    ほんとうに事情をよく知ろうとして,そのうえでよく考えていっているのだろうか?
    わたしは事情を知れば,そして少し考えれば,
    アメリカの言い分にさえもかなり無理があることを感じる

    誰からも相手にされないが

    わたしは不思議でしょうがなかったし,ジツサイ,
    りべらるとわたしが目下目する知人,には,必ずや聞いてきた,單刀直入に。
    尖閣の歸屬をどう思うかと。

    かえってくるこたえは。
    「尖閣は日本の領土かもしれないし,わからない,證據は今のところはないのだから・・・・,」
    である。
    こういう一見ふつーに良識あるとおもわれてる意見は

    彼らりべらるの平和主義,反戰思想と,どういう整合性があるのだろうか?
    と。
    いつも彼らの本性を見たキになる。

    考えたうえでいってるのだろうか,
    かれらは,なぜ。

    ・・・・。

      「尖閣が日本であるわけがない。」
    とはいわないまでも,
      「歴史上,はっきりした証據がない」
    ならば
      「距離感から言ってあそこを我々が制することは,中國,中華民國の
      自衞權を著しく阻害することになる。」

    だから
      「尖閣が,日本の領土だとは,すくなくともまずは,云うべきではない。」
      「それが中國の領土かどうか,ということはまたべつの問題で,
      日本が尖閣を領有することは,武力行使の可能性を高めるだろう」
    ならば
      「われわれの理念,哲學,平和主義の理想からいえば,
      尖閣は日本の領土である可能性がある,と言いはらない。
      これは理の当然であるあから。あえていわないのである」
    なぜなら
      「我われ日本の平和主義は,自國とおなじように他國の自衞權は
      あってしかるべきである,という,このことをも,納得できるからである。」


    と。
    いわない。

    つけくわえるなら
    「たとえ經濟的利害,に對立が生じ,日本が不利益を被るとしても」
    「國益の對立は,激化すれば,必ず平和を損なうからである」

    このように語ることができる平和主義の日本人は,
    すくなくとわたしのまわりにはいなかった。
    これが,こういうことをいうことが “正しい”,とか,
    わたしがまちがっているかどうか,
    ではない,

     あなたがた,日本人の平和主義とは,なにか?
     どんな理念,理想がそれをそのように考えさせ,ささえているのか?

    疑わしくなる瞬間である。

    わたしは,しかし,彼らの平和主義を問い詰めると
    虚しくなるばかりなのでそこで,對話は終わる。
    それ以上喋っても何も出てこないことはわかりきっているから。
    もっといえばそれが故に,彼らを,りべらる,とわたしは目下目しているのだから。

    ・・・・。

    日本のりべらるには整合性が無い,

    なぜなら整合性をもったなにかを見出す作業は,イデオロギーの蒸し返しであって
    キメツケること,であり,おしつけること,であり,
    りべらるにとってはやるべきことではないからである

    くりかえすが,尖閣の領有に正當性はあるか,,歴史的に正しいかどうか
    そういうことではない,

    そのリクツは整っており,合理性があるか?その事を整合性といい,
    わたしは,そこを質しているのだが。

    言うまでもなく
    この整ってあるか?ということにすぎない
    正しているのではなく
    糺し,糾しているのである が

    善惡や真偽と,正反とも正準とも虚實とさえもなんのカンケイもない
    ただしさ,であるがw
    正しさとはなにか
    正の逆はなにか?いろいろあるが。

    整正の對義は何か?紊亂である,
    というにすぎない

    感情の話ではなく,歴史のハナシでもない。
    國家をなりたたせる理念とか,平和主義の理念とかのハナシであり,

    ジツは,理想,
    なにを自分の “理” ,として, “意” とするか, “想” うのか,
    というハナシである

    同調キ質と思いやり。そのことが互いの便宜を圖る。

    (なんといっても
    アラヒト「神」の人権擁護までしかねないひとびとである。
    西洋リベラリズムを歐洲の近代思想を根底から讀み違えているとしか思えないのである,)

    これが,日本のいかにも,歴史淺い近代の “風土”, “風格 Fēnggé”,つまりは自由の,スタイルであるらしい

    ところで

    尖閣について,わたしのこういう考え方は,
    案外,冷靜な,中國人が考えてることでもある,

    いや,かんがえなくてもだ,冷靜でなくてもだ,

    彼等は考えなくても “體” 感,している。

    彼らの土地に流されてきた血の凝ごる,“碧玉” ,が,そうさせるのである
    われわれ中國人は,ソボクに,體感的に,ゼッタイに
    あそこを日本の領土とみとめるわけにはいかない,と 
    かんがえてしまう,

    過去を記憶している “體”が,そう “知覺” させる,
    と。

    これは,かれら中國人は,日本の平和主義を,それほどゆるぎないものとしてみとめていない,
    ということにもなるだろう,

    おそらく,今度北朝鮮の問題でも日本の対應に違和感を感じ,韓國の言論に信を置ける,とわたしが考えるのも・・・・・
    おなじ理由かもしれない

    中國の,わたしがいう “碧” は韓民族の “恨” であるかもしれない
    民族ということばを輕輕しく言うべきではないが。
    民族のもつ, “傷痕” であり,また,それをわすれさせることなくうたわせる,うた。
    大地が,澎湃として響かせる “聲” である,と,そうおもう

    山河はうたわないが。
    うたわせることができる,ということだ

    我我の,我が國に,わが國土に自衞權がある,ということを想定するならば,
    中國の山河
    にも自衞權はある

    北朝鮮にも自衞權はある。
    そう,
    本題は北朝鮮のハナシ。

    經濟制裁などするな,と。心の底からねがいおもう。
    キムジョンウンは何も困らない,酷く困らされるのは彼の地の民ではないか?

    武力行使はゼッタイいけない,脅威に煽られて核武装などもってのほかだ
    そう思う,キムジョンウンは何も困らない,日本の民はどうか?

    イージスアショアを爆買いすることで,
    どれだけこれからの,日本に,次の世代の生まれてくる子供に。
    どれだけの負債をいやおうなく押しつけることになる?

    何度でも繰り返して言いたいのは,
    核抑止力
    とはなにか?

    わが日本國土が潰れたときに,
    われわれの復讐をしてくれる國がいる,というにすぎない。

    抑止力があるからといって,w
    かの,太ったコドモ,が自暴自棄になったとき,狂氣に陥った時
    かれが冷靜さ,を,とり戻させるための力には,ならないのである。

    核抑止力というのは,
    弱い民の懐から金を吐き出させる,うさんくさいカルトのツボとなんら變わらない
    貪欲なアメリカの,タチのわるい靈感商法ではないか?

    われわれのヒロシマがあのようになったとき,
    われわれも核を持つべきだ,と,
    復讐しなければキが済まない,と思った原爆被害者は,いたか?いるか?

    焼けただれた皮膚を,ずるずると背中に背負うて,そうかんがえたひとは,
    あの日のヒロシマにはいなかった,

    なお,戰爭續行と,自身の保身を模索する,ヒロヒト,と,戰爭指導者は
    どうおもったかしらんがね。

    彼らの逡巡は,ナガサキという,もうひとつの悲劇を正當化する口實を,
    アメリカに与えてしまったのである。

    かりに,1945年8月6日に帝國日本とヒロヒトが,
    もうやめる,カンベンしてくれ, といったところで,
    ナガサキの悲劇を食い止められたかどうか,そんなことは知ったこっちゃないが。
    それはわからない,起きなかったことなのだから。

    あるのは,
    われわれが考えるべきなのは
    われわれに殘された歴史認識。
    それは

    あいつらはヒロシマの悲劇を知ってなお,戰爭終結を逡巡した,

    その重い,重い,ジジツ,のみである。

    そいつらが,また,核抑止力のおとぎ話を信奉し,布教させている。
    Nuclear deterrent force 教を狂信するのは,何處の國,何處の理念だ?

    アメリカがしてきたことをもっともとっとソボクニ考えてみるべきだ。
    おまけにいま,りべらるが言うことは,言うに事欠いてか,

    北朝鮮を追い詰めると,かつて石油を絶たれた帝國日本のようになって暴走する

    だと?
    ww

    暴走したから石油を絶たれたのである。

    少なくとつも,
    日本は毒ガスやペスト菌兵器の開發實驗をしたから叱られたわけではないw
    とはいえ
    トー突に追い詰められて石油を絶たれたわけではないゾw,

    追いつめられる前に,とっくに,暴走してたのである

    他國を侵略して現地で人を殺したから,
    動産不動産を破壊略奪した,他國の主權をものともせずに
    國益のために侵寇した,
    だから,そしてそれがあまりも目に余るから

    “絶たれた” のである。

    國交と石油を。

    ところで
    北朝鮮に何をされたか考えてみるに,
    拉致問題は,ヒドイ話だが
    われわれの危機意識はそんなに理に適ったものだろうか?

    “同盟” 國の基地が攻撃される?
    核の傘?

    日本國土に,核彈頭おとされたらアメリカに核でやりかえしてもらうための,
    そんな
    「報復してくれろ」同盟ぢゃないか

    しかし,地球を汚染させてまでつかわれた核に,對抗して
    もういちど核で對抗するコトに,どんな
    “理”
    があるというのだ?

    まじめにかんがえてるとはとてもおもえない。
    つまりは
    大いなる戰爭屋武器商人と,大國の
    “利”
    があるだけじゃないか?

    そして?
    我が日本人の復讐心だ,w
    復讐の喜びがあるだけだ,そんなことに,イージスアショアだ,核武装だ,とカネを湯水のようにつかってw

    そして一部の人間の “利” が,存在してある,
    ということだ,

    かつては,たとえば
    「滿洲國」内務省や關東軍によっての天文學的に軍資金を生み出すシステム
    「滿洲國」蒙疆のアヘン栽培と密賣と,アヘン禁制の美名のもとに白色麻薬の専売制
    という非人道的 コッカ經營と,そうしてわんさか出てくるカネがあったがね
    今般,安倍はいったいどこからイージスアショアだなんだ作るカネをひねりだすんだ?
    いくら日本がアメリカの与力だからといってw
    アメリカは鐚一文錢とて出さん,賣つけるだけだ。

    かってに敵基地先制攻撃能力を持とうとしているわが “國” 戰爭屋ぼっちゃん,
    フィクサー,武器商人の思うが儘にさせてきた
    ・・・。

    我々の平和主義とはなんだったのだろうか? 
    われわれはそれを考えるしかないのである。
    このことの意味は

    重い。

    考えなくても體感しているひとびとがいる。
    彼らの土地にしみついて,凝ごる, “碧” ,が,そうさせるのである
    祖先の地が,祖先の血が,そうさせる。
    これは “文” の帰着した “化” ,というものでもある,
    “風土” とってもいいのかもしれないが。しかし彼等に, “風化” はあり得ない,ということでもある

    日本人はすぐ忘れるのが習い性だが。

    われわれは。
    手繰り寄せて類推するしかないじゃないか。
    かんがえることしかできないではないか?
    理念とはそういうものだろう?
    他者の地のありようを想い測ることしかできない。

    そして人類が滅亡しなかったのは,考えることができるからじゃないですかね?

    考える葦,だからじゃないんですか?

    麥積山石窟  中國佛像

    いつかフランスの絶望した自由主義者がいみじくものたまったように。


      L'homme n'est qu'un roseau
      mais c'est un roseau pensant



    人間をすり潰すためには,この世が全體で武装するまでもないのである
    葦,というひと屮を,殺すためには一滴の水、一滴の雫だけで十分である。

      それほど,草は弱い, しかし。
      考えることができる


    そして,

     われわれをすり潰そうとしているナニカは,
     われわれからみれば “認める” ことができている。
     一方,彼らは,われわれを “識” っているか?
     “認” めているか?

     われわれは, “かれら” の存在の “意” あることを,
     考えることも,認めること,さえも,できる

    超意譯,だが,まちがっていない,少なくともフランス語を愚直に讀めば。
    このようなことが書いてある。

    “かれら” ,を,神,とも,國家とも,世界ともいいかえてもいいが

    そんなちまいはなしではなく

    これは・・・・・

    “univers”
    という語がつかわれている,
    宇宙,というふうにもいわれる,
    が。

      “Tout ce qui existe 存在するすべて

    である。つまり
    “一切衆生
    である

    そうして, “われわれ” とは,
    そのジツ, “ われ” ,であるにすぎない,
    孤單の,一,草,である,
    その,想い,その強靭さはどこからくるか?

                               つづく,(とおもう)



     讀佛口號

    起縁常在見不認    Qǐ yuán cháng zài iàn bù rèn
    佛偈頌歌哪始存?  Fú jì sòng gē Nǎ shǐ cún?  
    聲有而歌不必字    shēng yǒu ér gē bù bì zì,    
    有因有果惟爲文    yǒu yīn yǒu guǒ wéi wèi wén, 

     

    想うに
    だれからも認證されないよーなこと。承認されないよーなこと、同調されないよーなこと
    それでいて自分は,此れを書くべきである,と確信して書けること
    そんなこと
    かくのってけっこうたいへんなことなんだがw

    よくいえば,
    わたしは知識をフリかざして,何も真ジツはわかってないのに謙虚になれない,
    よけいなえらそーなことばかり。個人の考えを侮蔑,否定するファシスト
    わるければ
    どっかから孫引きでもして,さも自分で考えました,みたいなコト書くウソツキ
    と。

    いつでもおもわれている。
    がw

    ザンネンながらわたしはヒトのコピペーもしないし,
    過去の人の言説もそのままつたえたいともおもってない,

    書きたいことは過去に對して,言説に對峙して自分が考えたこと,だけだ,
    だから。
    そして
    現在進行のことも,文字にすればすべて過去のことだ,

    文字のそうした本質を,

    いざ,

    心の底から知ってしまうと,
    人と交流するための文字は,必要なくなってしまうものであるのも,シンジツ。

    これまたよくよくわかっている

    だから,のーテンキなこと書きつづけていられるんだがw

    空しさと,文字は,無,關係

    っめいこんしー。

    めいよー關係。
    いいことばじゃないか

    沒有關係正是空。 色即空是“沒法子”

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    ジャワ ―佛陀―  ①אלף-בית ? Non   ②闕

    クリス ボロブドゥール
      


    “十” は,二
    合十。十 𠄠

    ब्रह्मन्  
    對立する法馬。
    天秤棒の, 左崕から右涯まで等距離等分刺突する劔尖(keris)
    ――クリスは飛んでしまふ,支えない
    だから

    もはや解體できないまでに刖されてから抜き出した文字をこそ,を。






    冂 jiōng 



    森寒の,門のなかの空隙に氣づく


    窮を遮る “質” もつ,門,そこにも缺落がある。



    “字” ,とは
    闕の意を識り,
    竅を窺うための風孔だ


    白晝
    意識のましろに黯く眩むとき轉輾ともんどりうつてひれふした

    腹這ひて臥した脊の遨地倒天。


    背くばかりの脊
    門の音を聽く

    闇はふかい


    轉輾回しつづける陥弄文字の掬しきれぬほどの羣(むれ),無數わたしはその最後尾に從ふしかなかつたのである

    “闕”

    (そむ)く方(かた)に向う




    ボロブドゥール

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    感同身受,空空乎!詩囚野狐禪のマカハンニャハラミッタ


    そもそも,文字は
    人のためにあり,人がつくり,ヒトが,あらゆる世界のあらゆるさまを,あらわし,あきらかにするために,ある
    共有されて,共感するために存在する,
    しかも初めからあったものではなく,
    人為,の,
    人が仔を生むこと以外に生み出すことができるもの,
    それが,,

    一に。
    “象形” である,
    また,
    一に, “ことば”

    聲音は違う,聲音は人間以外も,また發する,發生される

    では,
    文字,字語、語言,言語,語文,文言,ちなみにこれらはすべて,すこしずつ意味が違うが。
    言葉, “ことのは” ,なんでもいいが,
    人が為し,人が為めに,有為なる,有為なす,
    しかも
    それは。
    “生きもの” である
    が。
    それは, “實物” だろうか?


    一切有為法,如夢幻泡影

    四句偈《大正藏經》

    豈但同。大不異小。水平而已。同!一起來。看!光華萬丈

    共生,とはなにか。
    共同タイ,
    共同體=Commonwealth だ,・・・とはなにかw 

    いやそもそも,共通する,とはなにか?


    つまり, “共” ともに,のいみであるが。

    『説文解字』による

    也。从廿廾。凡共之屬皆从 。古文共。渠用切


    “共”  gòng gōng “共”  gòng gōng “共”  gòng gōng




    まるで草が二十(廿)をささえている,ようだ
    あるいは
    草が四方を志向しているようにみえる

    ・・・・。
    は,ニンベンつければ
    「ともに」,という漢字は偕,倶に,というものがある

    これらの違いは示唆的である

    バカの一つ覚え
    段玉裁『説文解字注』 をもちだせば, 

    同也。从廿廾。廿、二十也。
    二十人皆竦手是爲也。
    『周禮』、『尚書』, “供給供奉” 字,皆借字爲之

    (共字を借りて之と為す)
    衞包盡改『尚書』之共爲恭。非也。
    (共を恭とするのはまちがいだ) 
    『釋詁』。供、歭、共、具也。
    云。皆謂,備具。此古以供之理也。



    “供” には,求める,もとめあう,という意味がある。
    “偕” には together in いっしょに,一起,
    “倶” には 加えて,all,completely,company である意が強い,そして
    “具” わる,具える,供える・・・

    “幷” は,まずは “竝” び立つ
    さらに,
    “併” 。これは兩立,竝,と “合” の意を持つ


    また,
    は, “氵” つければ
    洪水という言葉がある。
    水があふれるには,それを容れるいわば器が,小さい,狭いというコトがまずあるだろう,つまり
    ときに,あるべき以上の水が “共” にあつまり,あふれる。
    なぜ,あつまり,あふれることを志向する水にすぎない “洪”水 がおそろしいかといえば。
    あふれたあげく周邊に,「吞み」こむ勢いで襲いかかるからである,

    では “洪” とはなにか,である。
    “洚水” を洪水というようになったのはなぜか,考えこんでしまう。

    “洪” ,とは,そも, “大” であるというw

    大きい,というは,決まった大きい大きさがそもそもあるわけではなく,小さいものも大きいものであって,小さいものがあってはじめて大きいと言うことができる,そもそも小さい,がなければ,大きいもない,
    もちろん逆も然り。

    共の本義は “同” であり,洪は, “大” である,
    ということをおもえばおもうほど,
    大同とは小異が成り立たせるものだ,と考えてしまうのは,わたしの固執(痼疾)ゆえか?
    あなたはどう思うだろう,ということは・・・・
    よくわからない
    もはやわたしは,考え方に偏りがあり過ぎていて漢字について,
    日本語プロパーにとっての漢字の意味を取り損なってしまうことが多い,
    わたしがふつーに考える手順は,他にとってふつーでないかもしれないので,まったく自信ないんだが。

    大同は,小異を合わせることである,というのはふつー,單純に考えればその通りでないのか?
    とおもうが。ちがうだろうか?どうだろう

    それを,單に大きい同じいを 「同化同調を強いること」,や,「全體主義」によると,とらえる人はまずいまい。
    いや,どうだろう,
    わたしはときに,ゼンタイ主義者や差別主義者とおもわれている予感はするし,
    人がわたしと同じことを考えない,ということは予想以上によくあるキもするのだが

    わたしはヒトと違うこといえばそれだけでスゴイとはおもわないし,人が同じように考えてくれるならそれはそれですごくうれしいことのようなキもする,
    が,よくわからないが
    まず,いまい。
    と言いきってしまうとゆう蠻勇をふるっておこう,


    同 tóng tòng“同 tóng tòng” 同 tóng tòng“仝 tóng tòng”



    “仝” は “同” の異體字である。
    “全” も,かつては,同の異體字である

    『説文解字』
    完也。 从入从工。全, 篆文仝从玉,純玉曰全。古文仝。疾緣切


    段玉裁『説文解字注』によると

    完也。 宀部曰:完,全也。
    是爲轉注。从入从工。从工者,如巧者之製造必完好也


    つまり “仝” は,工な技巧による完,を意味し
    篆文の “仝”,また“全” には王(玉)字が入り,純玉曰く “全” であるらしい

    その意はより “完全”。 より,完整,の意味が強くなる “同じさ” となる,ということだ

    “同”の異體字のうち ほぼ,同字に定着し,仝はまだ,かろうじてつかわれるが “全” はもう, “同” としては使われていない。
    發音も,まったくちがう

    したがって同が,もと有していた,完,全的意味はすこしうすれたということか

    つまり,・・・・

    “同”という 字の意味は,
    それはもともと,こうした意味を有していて,しかしのちに分かれていく。

    そして後ろにくっついたり前に置いたりする字によって,意味はますます限定されうるわけだ

    つまり,同,それジタイの固有の意味がそもそもいろいろあり,というだけのことをいいたいだけなのだがw

    どの意味の “同” が, “同” 字でもって表象されていったか,という假定の話である

    “同” に内包される “異” ,を,共有,「ともに “大きな” なにかを有」にする,作用,そのことを
    正に,そのことを “同”というのであって,
    「異ならない」ことと “同” とはカンタンにイコールではむすばれない,のである

    なぜそんなことを想ったかというと,

    じつは。
    “色不異空,空不異色,とあえていうとき,なぜ, “色同空,空同色” ,と言わないかということである。
    これは,ご存知,『摩訶般若波羅蜜多心經』の玄奘三蔵によるサンスクリットの漢譯文だが。
    そしてもうひとつ

    色即是空,空即是空のまえに,不異,という。
    色不異空,といって「色と空はなにもちがわん」,といい,
    かさねて色即是空,空即是色という,ブッダの意志,意圖とは何かということだ

    姚秦のころの西域人(新疆ウイグルクチャ)の鳩摩羅什に至っては, “非色異空。非空異色” という,譯文である(『摩訶般若波羅蜜大明呪經』)。
    鳩摩羅什クマーラジーヴァは漢語に通じただけでなく,きっと詩人でもあるのだろう,
    よく六朝の四六駢儷文と對偶になじんだのだろう,とおもわれるがw

    鳩摩羅什も,とうぜんのことながら,唐びと玄奘三蔵も漢語をよく嚴密精緻につかいわけるひとたちであったこと,論を俟たない。
    美しい漢文經典の代表だ。。

    ほんとうはサンスクリット(梵文)原典では,「色,とは,空におなじい」,と謂う示しを,
    ブッダは,三種の別をもって提到している,
    それをきちんと三つ傳えている漢譯もジツはあって 色空空性是色,つまり

    “色性是空,空性是色,色不異空,空不異色,色即是空,空即是色”
    の三つ
    ということだが。
    假りに,これをわたしが譯してみると

    (この世界に),
    われわれが捉えられる事物(=)というのは,その性質として,そもそも「實體がない」(=)。 
    「實體はない」(=)というとき,そもそも,その性質として,捉えられる事物(=)というものがないからである
    (この場合,(これ)は,This is )

    物質界に,その現象(=)はそれも,實體がないこと(=),とことならない(不異)。
    實體がないこと(=)と現象(=)さえも,ない,このことは,ことなる(),とみるべきでもない(

    物質界に,その認識を,もつこと()は,實體がないこと()と,そうすることによって(=),(ぜ)),となせる・・・・・
    (この場合,は,正しい,の意味)
    實體がないこと()とその認識()をも,もたない,物質はなにも有さないこと,このことを,ひとしくなそうとしなさい(=即是),
    (わが弟子),シャーリープトラ(=舎利子),よ



    即是といういいまわしには就是。便是。のいみあり,
    また,等於,である,つまり,ひとしい,だが
    だから 「色これはすなわちクウに等しい」,という和譯,となるわけだが。
    なぜ即,是,なのか

    やはり,ちがう漢字が一字でもつかわれる文章ならば,ほかの字がたとえすべて“同じ” でも違う。
    マッタク違うコト,もしくは少し違うコトを傳えようとする意圖がある,はずである
    このことを,おろそかにしてはならない,とおもう

    そして,モンダイは
    即(卽)の意味である
    (卽) 卽食也。卽、當作節。周易所謂節飮食也。

    即には,節食,のつまりは,端的に言って “減らす” ,意と,
    “就く” の意がある
    ということである,人がある造作を為す,何かに就き,何かを為し成さんとする,ことをあらわす言葉でもある。
    ということ

    即には,また立即,直ちに,の意味があること,又當,の意もある

    色,は,空,と,たちまちにみなすことができるよう,み,なすことに,ただちに,あたりなさい,

    鳩摩羅什も玄奘三蔵の譯も,一字一字を吟味すると,ホントに見事な譯であることはまちがいない,
    われわれは今,サンスクリット原典の和譯もカンタンに讀むことができるが,それを讀んで,なおいっそう漢譯の素晴らしさに驚嘆するのであるが,
    (とりわけ『楞伽經』,『維摩詰經』,は孔孟老莊の深みあって初めて為さしめえた對譯だとおおもうのだが)

    漢語の嚴密にして融通,精緻にして包括の汎さ,漢文の論理性を思えば
    日本人が,佛典漢譯をほんとうに,理性的に讀んでいるだろうか,ということは,よくよく考えさせられたのである,
    (以來,わたしは野狐禪の無明の道を歩むことになるのだが)

    サンスクリットから日本語に直接翻譯されだすと,トツジョとして,漢譯はダメだ,の,漢文譯は,漢文特有の修辭があって冗漫だ,だのと,というバッシングが澎湃としておこり,
    オキョウがわかりづらいのはうっとおしい漢語のせいだ,とムチャクチャいうのが,今のニホンにはありがちなハナシ
    仏教系ネトスピの反中意識もまた相当なものなのだろうと想像する。

    いや,わからないからって,むずかしいのを,インチキみたくきめてかかる,ダメ呼ばわりするのはみっともない,と言わざるを得ない,それはそもそも反知性的ゴーマン病ではないんですかい。
    などと,いいたくもなるのであるが
    (ゴーマンはガデンインスイ而して知識を振りかざすオマエのほうだっという罵聲もマジ聞こえてきそうだが)

    「般若心経」において
    「一字二字を變えただけで繰り返す」ことが,漢譯が論理性を構築していく過程を,よく言い得る,
    スリリングなまでに,よくあらわす,だからである。

    それを
    これは,美文の單なる強調や,くどい性格からくる大仰,だから繰り返している,みたいなとらえ方は

    あまり謙虚な讀み方の態度とは言えない。

    修辭的發見とレトリックの不適切な關係にとらわれているのは,むしろ日本人であるように思える,もし,論理性を見ようとせず,繰り返し提示されることにナットクしてしまっているのであれば。

    「色,は空,空,は色」をくりかえすのはなんとなく,ではなく,レトリックの虚飾によるのでもないのである

    六朝時代に「非色異空」,といってたのが,なぜ
    唐代になってなぜ,「色不異空」なのか?
    また,あえて「同」と言わないか?
    そのうえ,もう一度でてくる,なぜ「即是」なのか?
    そこを論じつくして説明された般若心經の解説を,ふつうに見たことがない(少なくともわたしは見たことがない)のはなぜだろうか?

    よく考えれば,というか,文字を吟味すればわかることで,調べりゃわかる,程度の知識にすぎないことだとおもうが,
    みなそれをやって,それでなおかつ,今さら精緻に言い分けてつたえるほどのたいした意味のちがいはない,と斷じてしまっているのだろうか?,
    「色即是空」を,
    『色はかたち』,『カタチは實體ではない』,です,などというハナハダ不完全な,説明をして,それで満足しているのだろうか?
    満足できているだろうか?

    これはもはや,わたしにとっては永遠の謎だがw
    紙も墨も筆も高價だった時代,昼が短く燈火のもとでなぜに同じことをわざわざ二度も三度も書くか?という
    そんなことを,なぜか,たまたま思ったので書いているのだが。

    ハナシをもどせば
    大同

    共通の目標に向かう時,目標を共にする者の内部にある(かならずあるといっていい)差異を克服することは,
    理念の純粹化とはまた別のハナシ,である
    にもかかわらず,
    差異を認められないがために目標が見失われてしまうw。
    差異を認めてしまっては “同” することもできないで,まさに,どうすることもできない・・・・

    それはなぜなのか?

    それは・・・・
    この共生の理念が,理として,ニホン風土に合った理念として整理されてないからではないか・・・・
    そんなことをときとして想う

    分斷がある時,「分斷していく」,という民のベクトルを否定したがる,
    それがりべらるの限界だと,いうことを躊躇しないでみとめていこう,と
    書いた

    差別と,分斷は,ちがうのである,寛容と,同化がちがうことを意味するのとおなじように。
    と書いた。

    共生は,竝,生,幷生であって,同化ではぜったいにない。
    あたりまえだ,字が違うのだから。
    と書くと,おそらくだれもわたしの書く事を真面目にうけとらないだろう,
    というやるせないおもいはあるもの,
    と書いた。

    書いたはいいが,書いては見たものの,
    しかし,
    考えてみれば,
    段玉裁『説文解字注』もいうように, “共” と “同” はいにしえにはおなじいみをもったということもどっかで書いたキがする

    (誰も,オボエて(讀んで)もないだろうから,「オマエは支離滅裂だ」,というお叱りをうけることもないが)

    なんどでも書くが,漢字が違えば,意味する,意思,は違うのである
    いにしへに違わなくても,でも,今,字が異なり分かれるからにはちがいがすこしでもある,ということもいえる

    “共”,についておおむねの理解あり, “同” ,についておおむねの理解ある,
    しかし。
    ・・・・・。
    その小さなちがいは,なにか?
    はたまた,もともとはおなじだった,というその, “同じさ” ,とはなにがおなじだったのか?w

    (今、モンダイにして扱ってる漢字が “同” だの, “異” であるだけに,よけいヤヤコシくなるばかりなんだがw)

    つまり “根”元 は “同” じい,もの,だったということだが。


    異  yì“異 yì”  同 tóng tòng “同 tóng tòng”



    ジツは,“異” にも, “共” の字は入る,が,
    これは “共” ではなく, “艸”“廾(分,弁)” である

    しかし,  gōng” は ,

    いや,この こそ, の,

    ・・・・・・・・成り立ち,その意味,この、共,という字があるべき,因,また “動機” ,であるところの,
    “分” をあらわしている

    ジツは,
    ジツに,こうした字解,解剖行為は
    これ,思想の最小單位(青梗菜かつて曰く),
    をとりだす,
    そもそも思想思惟.いや,諸相字意の最小のエレメンツなのである

    “同” とは,そもそも,あるところに “會,合,” する,という意味が本義である
    communauté, つまりコミュニティ,
    もしくはCluster,クラスター

    「共生」と,今いうは,ともに倶に偕に,活きる道を,觀(み),自存“自在” する,

    分斷される切れ目を認め,而且つ,ともに,生を “為” す, 生に “就”

    “分” すなわち “廾” を,とりもなおさず “異” を認めることから始めなくては,はじまらない。

    身もフタもない言い方だが,

    みとめる努力,直視しようとしないひとびとは,かならずやポピュリズムを真っ向否定する,
    “people” の意志は,populism だ,ということを前提としない,
    だから,ではないか,と。
    書いた。

    これはピープルの意志,というものの得体の知れなさを他人事として,時には恐ろしいもの,とときには,まるで地力のないものと思ってしまう,いや,想いたがる,だから,ではないか,
    と,書いた。

    かつてロシア・サヴエート勞農政府は,貧乏黨,洪水怪獸といわれたが,
    洪水が恐ろしいのは,吞みこまれるひとびといるからである,怪しいやつ,や,獸が,おそろしいのはわからず,非力だからであるが

    アカに恐れを感じる人々は,おそれを抱くからにはその力を知っているからであるはずのに,その力を,まず認めようとしない,
    そういう歴史が,レボリューションの時代には必ず,構圖として,歴史的,痕跡としてあるのであるw

    本來個別の分別,や,差異がある中で,つまり個 “體”差,ということだが,罅や隙が生じること,これはあたりまえっで,

    差異を認めるところからはじめなければ,通じ合える部分は見つからない。

    通じ合い,會合し,會同をおこなう,
    同とは,この合同し,共同していくための,營み,つまり,作用のことではないか?

    マッタク初めから同じモノたち,そういう,何かの  “實” “體” をあらわす,コトバ,ではそもそもないのである

    “體” ではなく, “用” としての ,は, “用” として “共”“生” きる,ヒトという “體” に資する。

    それが “供” に, “偕” に行き,往き,生きる “人” と “倶” にあるべき,つまり人が “具有” すべき “體” である

    倶には,はじめべつべつであっても,最終的には一緒になる,
    いっしょにいきつくの意味,もある。
    それこそが,ニンベンに具がつく意味である,といっていえないことはない
    ともに,にも,いろいろあり,
    しかし, “一起” ,という意味はすべてに共通である

    共に生きる,という,「ともに」,とは,「同一」,とは違う,ましてや單一とはちがうということだ

    共同體とはなにか?
    集合體,クラスター,であり,コミュニティ,を構成する。
    その構成要素は,もちろん,,Peuple, citoyen,による。

    “同” 體 とは,單一をあらわすことばであるわけがない,同一でもない。

    ましてや日本語のゼンタイ,全体主義のゼンタイ,ではないことは言うまでもない,
    全は曾て,同と同根だったが。
    ここに漢字の變遷,變容をみてとり,その變わりようは,論理性の整合とパラレルであった,そしてしばしば混淆した,と考えるのは,それほどむぼうなことではあるまい。


    ここにモンダイを提示すれば,では,同化とはなにか?


    “同” する,でなく, “同” ではなくする作用,このことを “同化” というのである,

    こういう理解,これはまちがっていない。

    現に「同化政策」が「共,同,體つくり」に失敗する,という歴史的「事實」に,ばかばかしいほど,あからさまにあらわれているではないか?

    大同,とは「大きくてひとつ」の,同じい顔 “色” を持ったナニカ,ではなく,小異を含むからこそ大同,なのであるが。

      異  yì“異 yì”   “畀 bì” 畀  bì



    は “廾” にささえられ,
    は,“共” にささえられる。

    とは,“弁”, “分”, “异(異)”
    しかし。
    とは,そもそも“廾” にささえられるが, “畀” のあいだにあってささえている

      草  屮 cǎo“屮  草 cǎo  艸” 草  艸 cǎo 



    では
    “畀 bì ” とは何か,
    相付與之。  “與” えるである。
    そうして,しかし

    とは。なにか
    とは。なにか

    もちろん
    そも,そも,,芽,草萌,のことである

    このブログでもさんざんフれてきたが。

    草萌,これは, “民”

    “民” という文字は字解すれば,
    屮の種,なのである。


    四句偈 『涅槃經』二十五 《師子吼品》

    “一往一來。住在一起”
    その一つ一つに,如來は存る,在る,ゐる,のであり,
    その一つ一つが,具有するのが如來であり

    猶,無處不在,ゐないことなどなく,どこにもゐないがごとき。

    四句偈 『金光明經』《四天王品》


    佛眞法身    佛の眞は,法身(ほうじん)
    猶若虚空    猶し虚にして空の若(ごと)し
    應物現形    物に應じ形を現し
    如水中月    水中の月の如(ごと)し



    法身,これは,まさに,眞に對する假であるところの,實體のない身(體)

    應とはなにか?
    照見,といってもいいが,

    “相對(あい對す)” といってもいい,
    だから,
    “絶對”(對の絶える) とは, “應無方” ,である,

    これはジツは,漢族が,もとよりもっていた,思想にほかならない
    そこに,
    「空」ナルを見る,「觀自在」の概念が,忽然と現れ出た,

    艸,化して,花笑(咲)くがごとく
    あたかも,法身の華が,化生のごとく

    物化とは,死滅でありながら,化生,であるという,
    ・・・・・


      Ji-huá  艸  化   Ji-huá 華 金文

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    “有餘涅槃” 天水麥積山石窟

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    崩落しかけている佛像を戀ふ,
    骸。
    そこにゐない,
    まなざしはまなざさず,
    形。
    信仰已銷烕,猶如倶具現。 

    それを。
    殘といふか空といはぬのか
    宙宇につながらぬのか。

    かつて菩提薩埵
    ―बोधिसत्त्व bodhisattva―
    菩薩發心の現場があつた,
    という,痕蹟を 

    はるかな過去,のみ。それのみが阿僧祇につながつてゐる

    つながりつづける,その記憶のみが

    一切ならぬ「 “全,體” 軀」,に取り殘されて,なほ
    ゐることのいきどほろしさ,おそろしさ, 


    maiji0011mono.jpg




     そこにゐない,?
     佛がゐない世界はあるか?
     ない。
     ならば “無處不在” たる “如來” とはなにか
     在らない處など無く,
     “來たるが如し” ,いまだ來たらざる
     “如來如去”

     それが じつは“空” であるという逆説。
     麥積山石窟の毀ぼれた像がそれをよくおしえてくれた

     佛言のなかの
     “色” とは何か,?
     “識” の,對手,對像であり。

     どちらも韻目は “職” 。 聲調は “陰入” ,色小韻.。
     だが。

     いろ, とは顔气のこと
     だから
     “對” は,譍無方也であり, “空” となる


    識 shí
       “識” , 常也。常當爲意。字之誤也。
       草書,常と意は相似る。
       意とは、志也。 志とは、心所,之れ也。


       意と志、志と識,古くは皆,通用す。
       心,之れ存する所,之れ意という。
       所謂,知識とは此れ也。

       『大學』。いはく誠,其の意。

       卽ちジツは,其れ識也。

       按ずるに,凡そ,知識、記識、標識、
       今,人は入・去二聲に分ける。
       古,入・去分别無し。 三者,ジツに ,一義也。
               ――段玉裁『説文解字注』


     
     “空” とは何か?
     それを。
     “如來 Rú lái ”,來たるが如し,未だ來たらざるは去るが如し
     と,

     しかしそれを“自在” といってよい,というのが佛敎思想の醍醐味

     これを, “假 Jiǎ” といつてもよい,
     “假” というとき,それは “眞” であるからこそ, “如” ,なのである
     “Jiǎ lái ”  といっても, 
      “Rú lái ” といってもいい

     “無處不在” ,  “如來常在”
     どちらもブッダそのひとのことばであるが

     そも,觀,自在とはなにか?ということだ,
     まなざし,まなざさず,應無方

    四句偈 『金光明經』《四天王品》


     甘肅省 天水市麥積山石窟の佛像が大好きだ。
     保存状態はおそろしく惡い,手先が毀ぼたれ,肌膚は頽れ。

     悽悽として竚立する。

     寂滅の途半ば,淒慘な表情のまま凍りついたようなものもある。
     左魂右魄啼肌瘦・・・・
     永く永く くりかへしくりかへし 續けられる
     戰亂兵燹の歴史。
     中央亞細亞の嚴しさ厲しさが時空を超えて保存されてゐる。
     さらに人間の妄執。滌拂出來ない結習。 

     無餘に至らぬ有餘涅槃。

     涅槃に至る夜に・・・・・・
     去つて往つてしまったものたちの
     除き拭きとつたばかりの
     脱離の殘滓が浮かび觀えてしまうような。
     度(わた)つたばかりの
     解脱の殘響が底から聽こえてくるような。

     殘されし。
     慘慘たる不參の苦修者の菩薩の群れは,
     無劫 “沙” の時間からこぼれおちたかのように。
     しかし靜寂が確かに在るようにも思える,現場にたてばどうだろうか・・・・

     わたしは去つたことがない。
     いつか,去きたいと,纏病弱身・・・・には憧れに終わるかもしれぬが。

     あるいはただ存在を如實にあらわす菩薩像の羣れもある
     人間のおろかさを感じずにはいられない。
     無常を咒う姿。
     聖俗をこえた空虚。
     ここに洞悉された天機などない,崇拝もない。

     具體の信仰がない。なぜなら骸だから

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      “ナニナニ時代” と “ナニナニ時代” の罅隙に落ち込んだ

     ただただ分斷された六朝の,劉宋から齊,西魏北魏,北周のキワに。
     天地離阻,神人慘酷 江河の歴史。
     江南の書香はない,,灑爽典雅なく
     春に光る風・・・・もない・・・。

     しかし。

     わたしは,とにかく無念が痛切に感じられるものが好きなのだ,
     この性情はいかんともしがたい。

     大陸に殘る齊以降,いわゆる北魏佛。
     わが國の佛像の祖形ではある。

     わが國の佛像は・・・・細やかに,かつ力強い曲線,
     清冽にして柔和な表情と肢體, まごうかたなく美の造形。
     そうした日本の「佛敎美術」としての,壓倒的な存在感,には
     比すべくもない。だろうが,

     麥積山石窟にはそうした造形美,冴えた美しさとは異なる,存在感があるのだろう。

     そして敦煌莫高窟とも異なるはずである。
     稠密な信仰の空間ではない,敦煌には信仰の “かたち”,が殘る,
     信じ仰ぐ人の。
     そんな氣がする。

     天水麥積
     惨憺たる穢土塵埃を殘してもっと無殘,・・・・菩提薩埵のなれのはてならぬ
     骸,無骸だ
     わたしはすくむように,おののくように
     このむ。
     いたむ
     というわけだろう,
     恐懼は疼愛。

      第百五窟 左壁弟子阿難 (西魏)
      天水麥積山石窟 第百五窟 左壁 弟子阿難陀 (西魏)

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    物華遍照復如故,土思島名“邊,野,古”!

      
     おゝ
     蔑すまれ,不具にまで傷づけられた民族の誇りと
     聲なき無數の苦悩を載せる故國の土地!
     そのお前の土を
     飢えたお前の子らが
     若い屈辱と忿懣をこめて嚥み下くだすとき――
     お前の暖い胸から無理強ひにもぎ取られたお前の子らが
     うなだれ,押し默つて國境を越えて行くとき――
     お前の土のどん底から
     二千萬の民衆を揺り動かす激憤の熔岩を思へ!



      ☞ 槇村浩 《間島パルチザンの歌》  一九三二年三月一三日

       (この詩はほんの一部である,ブログ内に槇村浩の詩はいくつか載せている)

    麥積山石窟
     
    他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン,2017年8月26日朝刊,もうひとつ。

    ヒサビサ陰翳をもった讀みごたえある,
    『政治季評』というコラム記事だが面白く示唆に満ちた論考が載っている。

    ☞『 沖縄「怒り」の核心とは 豊永郁子氏,という政治學者の寄稿であった。

    ジョンロックの『市民政府論』を引いて,沖縄問題に對する非常にまっとうな視點を提到する。
    これを讀んだ日の朝から,ずっと考えていた。

    おもえば,これはノーム・チョムスキー,オリバー・ストーンらがしめした沖繩への「連帶」その底流をなす本來的意味での「自由思想」の,思想系その流れ,といえようもの。
    が,ニホンでは
    なぜか,これは「中國人や朝鮮總連や日本のアカが裏で糸引く的モンダイ」として,ウヨクにバカにされつづけてきた。

    こういうネトウヨや,ウヨウヨいる,
    「とにかくなんでもかんでも中国,朝鮮人が裏で糸引いてる説」信奉者で,思考停止している幼稚ウヨ知は論外として,も,
    では,と。
    そうではないニッポン本土 “土人” は・・・・。

    日本という本土の平和の現状維持を希求するばかりのアタマでも,沖繩の怒りは,ほんとうに理解できない。
    なぜって,かれらは。

    日本がもし國民國家で,市民社會を形成するのであるならば,彼ら沖縄の民はニホンジンではないからである。

    非常にきわどい書き方だが。

    これはいまなおつづく,普遍的,先住民族,被征服民,の,そしてマイノリティの,根深い困難の問題,である,
    ということだ

    本土,土人,というような日本語にも象徴されるような近代日本の國家理念と連關して,マッタク解決されない,問題でもある

    琉球處分,臺灣領有,日韓併合。
    あるいはカムチャッカ半島,千島,北海道の「先住民族」もそうである。

    そもそもが,大和,和人,倭人,皇國臣民,なんでもいいが,ニホンジンが,蕃夷戎狄的,蠻,土民として「征服」した――武力侵寇に由ったり因らなかったりするわけだが ――,「邊境」の “國” 域。

    われわれら,本土側が,
    彼等を隷属させる宗主國である,という “本土”ネイション と,
    彼ら側 “邊境” ネイション ,そのピープル,民族,
    という,
    彼・我の,位置關係。

    歴史の經緯,これをかんがみれば。

    帝國主義と征服者,は,いまもレイシスト,の本質を隠して生き殘っている,
    それがたまたま,いま,單に「帝國主義」とはいわれない,というだけで
    抑壓者、壓迫者。
    いっぽう,植民地,被征服民,被差別者,
    という,抵抗者。

    この關係は 注意深く覆い隠されているだけで,いまも,ニホンに「差別」,感情として,嚴然とありつづける,
    しかし
    これは克服すべきモンダイだ,というモンダイ提起も,あまりなされない。

    このモンダイ提起とならない無作為は,ある意味では,
    分斷のない社會というものがよい,理想だ,
    という考え方,
    そこから一歩も出ないでいる,『寛容』,
    「リベラルの “寛容” 原理主義」とでもいうべき許容力,
    そのせいだ,と,わたしは思っている。

    分斷がある時,「分斷していく」,という民のベクトルを否定したがる,
    それがりべらるの限界だと,いうことを躊躇しないでみとめていこう,と
    いつもおもう。
    差別と,分斷は,ちがうのである,寛容と,同化がちがうことを意味するのとおなじように。

    共生は,竝,生,幷生であって,同化ではぜったいにない。
    あたりまえだ,字が違うのだから。
    と書くと,おそらくだれもわたしの書く事を真面目にうけとらないだろう,
    というやるせないおもいはあるもの,

    なんどでも書くが,漢字が違えば,意味する,思,想,は違うのである

    共生をめざす,とは,分斷あることを認め,なおかつ,供に,偕に,活きる道をつくる,そういうことであるのだが,

    身もふたもない言い方だが,認めることから始めなくては,はじまらないのである。

    みとめる努力,直視しようとしないひとびと,かならずやポピュリズムを真っ向否定する,
    “ピープル” の意志は,ポピュリズムだ,ということを前提としない,

    だから,ではないか,と。

    これはピープルの意志,というものの得体の知れなさを他人事として,時には恐ろしいもの,とときには,まるで地力のないものと思ってしまう,いや,想いたがる,だから,ではないか,

    プロレットカルトは日本において “文” 學ではない,と久しく言われる

    わたしがいう,プロレット・カルトの定義をするなら
    まさにこの分斷を覆い隠すに寄与する “おとぎ話” ,精緻でなく,粗雑で,いい加減な思惟の土壌に立つ幻想
    そうしたものへのアンチ,である。 

    曾て,日中戰爭まえ。
    日中戰爭の前には,確かに,分斷をあからさまにさらけ出すレーベル,があり,コレールがあった,とりもなおさずプロレット・カルトがあった。
    戰前には。
    この場合,の「戰前」は,パールハーバー前ではもちろんない,
    1920年代後半から日中戰爭勃發前までである

    山東出兵、間島出兵,張作霖爆殺前後,そのころに, ☞ 黑島傳治らによって描出された “階層” ,
    ありとあらゆる,地域,に共通して存在する,「階層」の問題,
    差別,分斷の様子があられもなく,ある,そのことを,抉り出すようにして,表にさらした。
    あえて,抉り,切り分け並べて見せた,これらの分斷を見えば,皇國は大同社會ではない,と。
    誰でも言わざるを得ない。誰もが讀む書物ではないが。

    どうしようもないほどの,その,各階層においての,罅隙,ブンレツ,ブンレツして分裂をあるがままうけいれるしかない,ひとびと。

    抑壓者の無策と,被抑壓者の無力と自棄が細かく記され,そして「分斷」は告發されていた。
    片方にあるのは,他暴であり,片方にある暴力はどうしようもなく,自暴的だ,

    より弱者に向けられる,自暴自棄的暴力のことだ…・。
    一方で,
    必ず弱者と弱者が,連帶することをもかいまみせるような。

    黑島傳治は,プロレットカルトの最高峰だと,わたしは想う,もっとも端的に,ラディカルに
    端と端を描き,極と極のせめぎあいを連ねる,連帶だ,が,
    その連帯のありえなさを描き,しかし,――じつは,此れが,黑島傳治を最孤高たらしめるゆえんなのだが――,ありうること,を,も,わずかながら垣間見せる,

    たとえば,
    『武裝せる市街』
    ――ちょうど北伐,華北の軍閥の抗爭と,全国統一を目指す民國政府軍と,そこに帝國が入らざる介入をし、日本人の經濟的侵略のために帝國の武力を行使する――そういう1920年代――

    (いったい,1920年代,皇國の為政者の,だれが三十年後の中國殘留孤兒の出現を予見し得ただろうか?)
    (その予見を記す,『武裝せる市街』,のラスト,シーンこそ,プロレットカルトの最高處にあった,とわたしは信じるが,それは戰爭の宣,と,デルポイの神といってもいい,とおもう)

    そうして,帝國は,シベリア侵略,東北華北侵略に齒止めが利かなくなったあげく,日中戰爭は防ぐことはできず。

    黑島傳治の描いた世界は,内地には,あり得ない世界だった,
    日本人が眼をそむけ,また,信じようとしなかった,そして,
    プロレットカルトの “希み”は,アカ以外,當時もいまも,なかなか顧みられない。
    見られない。

    だれからも “ 託されず” ,だれもそれに “託そう “とは,しなかった。
    眼をそむけるために隠匿された,その所在を,明らかならしめよう,それをずから明らかにしようとした文人は投獄された

    分斷とは
    否定してはいけない
    のである,もちろん肯定もしてはいけないけれども。まず明らかにする必要はある,あるべきものである,
    それが,確かに存るのなら,在るのだから。
    が,

    いったい,今,だれがそれをやってるだろうか?

    沖縄と,政府の間に,もはやりべらる,平和主義者,が介在する餘地などなくなっているのである


    基地問題,オスプレイ,地位協定,個個のそのときどき,現出される,事象。
    つぎからつぎへ,と起こる,彼らに對する人權侵害のことをもっとかんがえていかなければならなかった,小さな個別をとりあげることも,大きな流れの中でかんがえることをも。見出しみとめさせる,そのことは必要だったのに。

    ムカンシン?違う,もはやムカンシンを通り越して,本土は,みようとしない,
    いや,もはや,眼を背けて,日本列島という,幻想ばかりみつづけている。


    わたしは以前から,フシギでしかたがなかったのは,

    日本のりべらるは,なぜ,
    敢て,獨島も,尖閣も,日本ではない,と,いわないのか,,

    ということだった。

    日本であるわけがない,と。

    なぜ,いわないか,ではない,
    なぜ,
    あえていわないのか,と

    言わない動機は,わたしには,よくわからない,理解不能なのである,いや,あえて理解したくもないのである・・・・。


    それらは。いったい
    誰が,聲をあげてつまびらかにするべきだったのだろうか・・・・?

    ウヨクが日本の固有の領土だ,といいつづけるなか・・・・・
    いったいこのくにの “りべらる” は。

    なんてオトナの見識なのだろう,と。
    極端なことを言うヒトを,それは問題解決にならない,と窘める,その事は必要であるが,
    そもそも固有の領土と主張するヤカラに,問題解決の意圖などハナからないのであるのに。

    わがくに固有の領土と,「今,言い募る」,これは全く間違っている,
    と。

    それが,どちらであるからわからない,から黙っているというのは,言い募りほえるやつらの下支えをしているに過ぎない,問題解決の意圖もないわめくだけの言説を,りべらるが支えているのである。

    わたしは韓國の満聲載道をみるたびにおもう。
    彼ら韓國の民は,そういにかなってやるべきことをやっている。 

    少なくとも,半島の中に分斷を抱え,國家とネイション,民族とピープル,そのの歸屬をアイデンティティして考えつづけているではないか

    彼等もやはり,光を覆われ遠ざけられ,取戻し,また失いかけてしかし取り戻した,という經緯がある。
    沖繩にも, “光復” あってしかるべきだ,
    このごろつよくそうおもう
    心の中にみえる “彼ら” は,光のなかに有るようにわたしにはまぶしい。

    東三省の民も,華北の民も,江南の民も,もちろん両廣,福建,臺灣,(ありとあらゆるところの民は,皇國の敗戰によって “光復” した)1945年。

    沖縄の民に,對峙するうえで,我われ “本土” は,どこまでを,どこから,いつから,いつまでを,沖縄は日本であるといえる時間,を,概念として持ち得ているか?

    そもそも日本とかんがえるべきなのか?
    わたしにはわからなくなっている。

    大きな大きな國家の犯罪を,――地上戰によって,全土を兵燹の中に陥れ,
    そして帝國日本軍は沖縄の民を守らなかった,四人に一人が兵燹の中で亡くなったという惨禍は,アメリカが,(だけが,)おこしたのではない。
    時に皇國のため,として――信じていたか信じていなかったかそれはわからないが――帝國日本軍はかれら沖縄の民を死地に追いたてていった,

    そうした戰時下におこった無數の不条理の證言を,

    「戰爭中のことだ,みなタイヘンだったのだ」,
    といって
    彼らの島に起こった特殊性をかんがえないですませてきた本土。


    彼らにとっては,帝國日本軍も,また明確に敵であった,

    敵性の所業を平然とおこないうる味方,という恐ろしさは,はたして想像がつくだろうか?

    今,彼らは・・・・。
    沖縄という地域的 “特殊意志” とされてしまって――それは「地域エゴ」や「自己責任」などという現代の感性で語られるようなものではない,一過性のものではなく,民族のアイデンティティに歸すべき――,まさに歸屬すべき
    ――かれらの『意志』のモンダイなのに

    かれらが
    我われから,つねに見下されがちな, 沖繩の“特殊意志” というみたて,から逃れるために,おこないうるのは,

     沖繩「國域的」「一般意志」,を集約させる,
     沖繩は沖繩の中で「社會契約」契約を。済ます,こと

    ここ數年ずっと,わたしは「これ」によってしかもはや解決できないのではないか,強くそう思っていた。

    そのことを理論づけるのはやはり。

    ふるめかしい,が。

    ロック,ルソー,ミルをひもとくといいw

    そう,ジョンロックの “市民” 概念を以て,近代 社會的“理” 性の始まりと,もしも考えるなら――わたしはそうかんがえているが――

    “社會契約” とは,民が「社會」と契約するものである。

    政府でもなく,世間でもない,ということだ

    その「契約」をかわす “權” だけは平等でなくてはいけない。
    そうでなければ, “民” 權 ではない

    たとえ「契約」によって結果得るもの,享受できるものに差が生じたとしても。

    それはもちろんおなじ水準にあるべきだが,それはいつの時代もむずかしい,
    そしてその差が許容できる範圍を大きく逸脱していたら,
    とうぜん「抵抗」するべきなのである

    Droit de résistance,沖繩の人々はこれを行使している
    しかし。

    沖繩の主張は日米安保を阻害する,
    とか,
    安全保障のためにある程度我慢するべきだ,

    という主張が案外まともな言説として通用していることに驚くのである,

    「邊野古」の基地建設は 肅肅―シュクシュクと――と進んでいっては,ゼッタイにいけない!,
    とつねひごろ考えている人でも,

    沖縄の意志や怒りは “特殊意志” 表現にすぎないと考えている人も多いだろう。

    しかし “特殊意志” ,この對義は何かといえばとうぜん“一般意志” であろうが,

    一般意志,は,この問題に関しては「本土」のひとの本土意志,にすぎない,

    沖繩という,大地のなかに,一般意志と特殊意志がせめぎ合ってる状態ではないのである。

    單純なことである,日本が,もし沖縄も本土も抱える一大民主主義國なら,

    本土の人間が「特殊意志」をもって沖縄の抵抗權を阻害しているのである。
    これは民主政態ではない,(とりもなおさず,正體ではない),ということだ!

    かつて,琉球という域が,單なる “囗―くに” となって,帝國日本に編入されたとおぼしき時期から。
    沖繩は困難をせおうために,編入させられた,と思わされるほど,日本の本土に比べて壓倒的困難を,本土のニンゲンによって,一方的に背負わされている

    そういう歴史に想い馳せれば,わたしは沖縄が獨立を志向することはあたり前にあってとうぜんとおもう,
    まったく理の當然なのである

    Droit de résistance は Droit de révolution なのであるから。


    ところで,この朝日の
    ジョンロックを引いて書かれた論考を讀んでいて,思ったのは,ニホンではなぜか,統治理念として現代まで繼承されてきている社會契約の理念が,王權を否定した際用いられた理念,古めかしい理念としてかんがえられがちだ,ということだった

    戰中,こういう啓蒙的自由思想が斷ち切られたせいか戰後『社會契約論』などというのは,ブルボン王朝,ルイ・カペーの時代のハナシ,絶對君主や王權神授説を否定するに用いられた便法として,古臭いメソッドのように思われがちである,,

    がそれはあきらかに,おかしなことなのである。
    恰も,畏きヤマトの神々が

    民に,ほんとうの「抵抗」は權利である,力である,ということを教えるな!

    ずっと戰中から今に至るまで,大地の陰から囁きつづけているようだ,

    そんな「だれか」の意向によって,
    遠ざけられた契約論のかわりに教え込まれてきた,日本人の社會的美德は,
    すなわち忖度,うのみ,おしつけられて納得,忘却・・・・
    そんなものであることをもっと社會的に自覺,そして政治的に覺醒する必要があるということかもしれない。

    抵抗はやむを得ずする,そういう一面もモチロン,ない,とは言わないけれども

    そうではない。社會の中にあって必要惡ではなく。
    それがない社會は好い,かもしれない,しかしそれがあるシャカイが惡いわけではない

    抵抗は權利なのである


    maijisimai.jpg



    とうてい民主主義國家では容認できないはずの,土地の収奪,人權蹂躪が,差別が當然のように横行する。
    被差別,とは,この場合
    土人として,本 “本土” , “土人”に,敵視される
    という日本の中の沖繩,である。

    まるで。かれらは事實上でも言説上においても,

    『被征服地』の欄柵に押し込められてしまってる,被征服民のようではないか?

    ネトウヨ言説は
    基地反對運動は本土のアカが入り込んでやっている,などという,ややこしいウソを言いつのる

    沖縄の民を情動でもって侮蔑し,差別しているのにもかかわらず,それを “本土”人 にはあからさまに言わずにすまそうというのは,なぜなのか
    とよく思う,
    よくわからないが,そうした意識を糊塗しようとするから,あのひとたちの理屈の整合性はどんどん,おそまつに,そして,ついには論理でなくなっていくのである。

      抵抗は外のものがやってきてやってる,
      ハンタイしてるのはアカと結託したアカだけだ,
      沖縄の人はそんなにハンタイしてない,
      いや,一部はしてるが金のためにハンタイしているのだ

    本土の人はかんちがいしてしまうではないかw

    そういう印象操作にかき消されて
    ・・・・・。


    これは,ねとうよの,

      『あの戰爭はアジアの解放だった』
    からはじまって
      『帝國日本の自衛だ,やむを得なかった』
    しまいには
      『いやみんなやってた,日本だけが責められた』

      『やってなかった』『起きてなかった』
    という,知的な論証風いいぐさからはじまって,
    論破されると,
      『いやそんなにひどくなかった,人數が間違ってる』
    とトーンダウン,
      『數え方を變えればこうなる』
    まで後退してしまいに
      『もうさんざんあやまったからいいだろう,
       いつまで謝らなきゃいかん,未來志向だ,』

    身勝手に終わるのとよく似ている。
    そもそも,いつでも日本側が持ち出し,ムシ返しているということにきづいているリビジョニストはいないかのようだ
    日本がムチャを言い出すから,澎湃と反發が興り,究竟日本がブザマに謝る羽目になる,

    謝ることがブザマなのではなく,ムチャを言い出す日本が全くブザマなのである

    「沖縄はハンタイしてない説」もよく似ているのである

    せめてそこをとりつくろわずに,ややこしい捏造や印象操作をせず,

       『本土の為に土人は我慢しろ』

    といってくれればいいのだ,『分斷』と差別,そのものをみせよう,といういさぎよさ,明快さ,なぜはあのひとたちにはないのか?。
    いつも私はそう思う。

    差別言説はイカン,視たくない,と人は言う,しかし現實に,日本に嚴然としてあるのだから。


    なぜにかれらは,自身が持つ人種差別の本性をことさらに隠すのだろうか?

    それが惡いことだとしっている,すくなくともはなはだテイサイが惡いということを知っている,からだろうか?

    わたしはベツにニホンジン敵視差別のはなはだしいレイシストと,もしいわれても別にかまわない,反論もしない,
    それでもって,おのれの論理の整合性を担保されるなら,そうとらえられても,これはいたしかたない,とおもっている。

    あのひとたちのこの,卑“屈” に見える矛盾と整合性のなさは。
    これはマッタクわけのわからんことなのである

    あのひとらは,いったい誰に對して,体裁を取り繕うか?
    沖縄をアカとみなすバカどもは,いったい誰に向かって卑屈に身を屈めるか?

    論理性,に對して,近代の理性そのものに,對して,
    ときによっては “白人種” ,にたいしてであることさえある。

    差別意識というのは,とてもフクザツな心情で,それだけに表現される時は粗雑になってしまうことがおおいw
    それに比べて沖縄の民の明快さ!
    沖縄という囗=域に在っては彼らの抵抗は一般意志であり,

    そしてなにより,彼らの意志はわたしにはまぶしくみえる
    彼等は屈していない。

    曾て,日本人に屈從を強いられた人々は,國家としては帝國日本に屈從しはしたものの,民は屈しなかった,だからこそ。
    光復をみたのであり,帝國日本は敗れたのである

    對手は卑屈に身をかがめた,そう見えた様なキがしたのは,我われ側が,出張っていって,居丈高をえらび,高きより見下したからに過ぎない,
    過,信したからであるに,過ぎ,ない,ということだ

    そして沖繩も,またけっして“屈” してはいないのである


    槇村浩がかつて,牢獄の中で,その冷たい床に刻みつけた「不辱身,不降志」

    おきなわの,おじい,おばあもまた,
    「聲なき無數の苦惱を載せる故國の土」,
    へばりつき,すり潰されようと
    本土には屈しないだろう,わたしは,そう思っている

    なぜか,といえば,それが
    それを貫けることが,そのもの,「抵抗」だからである。
    さらにいえば社會契約の當事者であるからこそ,抵抗權が生まれる,だからである

    この書き方で,通じる人にはおそらく通じる。
    至ってカンタンな,コトの道理である
    さはさりながら
    この書き方は全然言い足りてないので,また,別にもう少し書き繋いで行こうと思うが

    別の角度から。

        maiji20141123g-R.jpg

    わたしはそもそも,この大地に,ひとは,ディアスポラと落地生根しかいない,
    とおもっている
    そして, “國” は變易する。
    たまたま日本はヘンエキしない,だけで。

    窮境,究竟,
    ある形に――區切られた土域, “囗” ――國家と言っても,部族と言っていっても,社會といってもいいけれども

    そこに落地生根する民がいる時,

    それは先住者,か,征服者,か,どちらかである,ということ,
    これもまた歴史,歴史には,それしかないのである。

    未開の無人の地が無限にあれば,そうであれば,「新しい先住者」は生まれつづけもするだろうが,
    今,ディアスポラは,難民となるしかない,
    それを克服しようという,歐洲は
    いま,ジョンロック以來,
    人間という,――好むと好まざると移動する,という属性をもつ生態――生き物社會の
    グローバルにひろがり過ぎたムズカシイモンダイに挑んでいるわけだ,

    いや,かれらは國境を多く抱える大陸において,いつの時代も
    直面しつづけている,ということかもしれないが・・・・。

    そうして,今朝からわたしはとりとめなく,虐殺された朝鮮人,強制的に連行された徴用工たち,朝鮮人軍属,もちろん從軍慰安婦たち,のことを考えていた。

    日本にはジツはレイシズムと先住民族の被壓迫という,
    兩方のモンダイが固く根深く存在していることに,キづいていながら
    (少なくともアカは認知し,このことを認めらるるべく,あきらかならしめるべく,沖縄から拡散させようと努力しているのだが)
    まったく放置されてしまっているかのごとき,
    である,
    根源的な問題,としてでなく,沖縄問題はもっぱら基地負担という,或いは
    帝國の犠牲になった地上戰という惨劇のあったことを知りながら,アメリカ,アンポモンダイといった抹消に現れた症状だけを診ようとしている日本本土人
    彼らの怒りの本質はそもそも何か?

    硬直膠着して惡化するばかりのこのごろの情況に。いまさらながらに,
    あきれ,ほんとうに驚いたのである。

    彼等はゼッタイにくじけない。

    その事を確信を以て,本土のココロある人間は言い切りたい,言い切るべきである

    獨立運動をも辭さぬ、という彼等の強い意志と力は,を正面から,真直ぐうけとめて見ることに,まず躊躇するな,といいたい

    それは,わたしが彼らを, “ニホンジン” ではなく , “民” ,である,
    とみるからであり,

    理不盡ばかりを強いる “日本” に同化だけはしたくない,という強い意志,が,かれらには漲っているように,みえるからである

    そもそも
    沖繩は,沖縄の民は,「日本」という “本土” にある國家と,社會契約を結んだか?

    結んでいるとすれば,それはどのように具象化され具體化されたというのか?
    結んでいるとすれば。
    今の情況は近代の理性に照らしてみれば,まったく邪、不正,悖る状態ではないか?
    どうか?


    この 『沖縄「怒り」の核心とは』 という論考の最後に
    岩波の 『市民政府論』,翻譯者,メソジスト教會のキリスト者でもある鵜飼信成に言及して,い

    鵜飼は「京城」の帝大で學生と『市民政府論』の講讀演習をしていた,という,
    その事實に,何かわたしは強く心揺さぶられ,心が沸き立つ,というのは少し違うものの,激情を覺えた

    ここで言及されているるような話は,曾ての植民地朝鮮では,よくあった話で,――少なくとも朝鮮の事情にまったく疎いわたしにしてさえ仄聞する,という程度には――

    ――いま,韓國ではおそらく社會契約の手順も一つ一つすすめられているではないか,我われ日本は,韓國人の人権意識には遠く及ばない,そんなことを,卒然とまた,痛切に感じさせられた――


    ――ひるがえっておもうに,辛亥革命以降中國ではあまり例のない話である

    ジョン・ロック――今では古典的と冠せられてしまう自由主義――やジャン=ジャック・ルソーの啓蒙主義思想は,
    中國(清末)では帝國日本より一足おくれて繙き讀まれていったわけだが,
    辛亥後は近代思想の吸収は帝國日本よりあるいは速かった,歐米列強の瓜分――瓜を切り分けるがごとく領土を分割する――によって,そうならざるを得ない苦境困難がそれを早めていったともいえる

    民國では歐米とそれほど變わりない速度で,マルクス主義や社會主義インターナショナルの先進思想が三民主義のいろづけのもと進捗,浸透していった,それは明らかに,かれらの社會がそれを要請していたのである。

    帝國日本人が「滿洲國」でロックやミルやルソーを,ということはあり得ない。
    辛亥以前にそれは,あった。
    淸國留日學生は,「帝國」成りたてほやほやだった日本でそれらを學ぶものの,
    帝國日本で,その思想が活かされていないこと,を,も,見切って回國する。

    辛亥に至る數年前,革命 “前夜” いわば, “夜明け前” のはなしである・・・・。
    先に夜が明けたのはどっちか?
    そして先にまた黑黯のの闇に,黑甜の眠りに沈もうとしているのはどっちか?
    現代の,中華人民共和國を,視れば,沮喪ぜざるを得ないのも,また,わたしにとっての “シンジツ” ではあるが

    そして。しかしこの論考は,なぜか

    「この書(玄注;鵜飼信成譯『市民政府論』ジョンロック著)の出版は戰後まで一切なかったという。戦前の日本に,訳が存在していたら,あのような戰爭が起こっていただろうか」

    このようにむすばれる,この終わりの一文はまったくトンチンカンと言わざるを得ない

    日本人もロックを学んでいれば戰爭を起こっていただろうか?などという,言いは,わたしは,論考のはじめからほぼ納得し,領會しながら讀みすすめていたいただけに。
    ・・・・,失笑してしまったが

    あっさりといってしまえば

    章太炎(章炳麟),鄒威丹(鄒容)ら,は,日本留學中,ロック,ミル ,ルソーを學び,確かに彼らは辛亥革命へのみちすじをつけたのではなかったか?

    まったく,自由思想,というものはいつの時代も不變である,そして,普遍であり不偏である。
    そもそも。

    「抵抗者」はいつでも,,それをあやまたずとらえる,
    ということだ,


       maiji20141123g-C2.jpg

    近代史を追っていて,あるとき。

    中國という,老文明の重厚さ,壓倒的な質量もつ思想,その背景をもって,迫ってくる――ある種,黴臭さにも似た,臭氣――文明のブ厚さに,疲れるとき
    ふと,手に取った尹東柱(海煥)の詩や槇村浩が,妙にみずみずしく,若若しい,清馨が,ここちよい。
    そこに,ある香氣は,朝鮮半島と北方ふくむ日本列島の,共通した,
    コトバ惡いが,書生っ氣のように,擦れていない詩情のみずみずしさで,
    冰質と凛冽,をつねに感じる。

    別の言葉でしるせば,その清涼感は,わたしの,たまたまよくしる漢土の淒涼であり。
    わたしにとっての “國” , “竟” 概念と一直に結びつく。

    鴨緑江の,松花江の寒冽であったり,シベリアの,サガレンの,間島の,凍りついた風の中で途切れてついえてしまう,うた,である。

    ある時期の,若い,青い,朝鮮の「抵抗」,レジスタンスが,非常にピュアな,清冽なものに感じられる。

    それがなぜなのか
    朝からとりとめなく考えていて,今日。
    被征服者であり,今なお,日本において最も陰険で暴力性を帶びたレイシズムの對象となっている,

    そういうかれら朝鮮人の歴史を知ることは,ジツは,ニホンの社會がわかわかしい論理性を獲得しようとするとき,
    案外近道なのではないか,そんなことに思い至ったのだった

    こころのなかで結論づけていたいた。
    學ぶべきものおおいだろう,メタファーとして, “間島” は,そのよすがとなるだろう,・・・・

    おもえば今年は
    尹東柱,生誕百年である,


    さて,抗日詩。

    zhangbaishantitle.jpg金紫衡 《山居雜詠》 十二首之一 


      山居雜詠 十二首 之其一  一九四二年五月于延吉天寶山


     西望松遼接兩蒙  Xī wàng SōngLiáo jiē liǎng Méng
     延邊翠色絶關東  Yánbiān cuì sè jué guāndōng
     物華天寶鐘靈秀  wù huá tiān bǎo zhōng líng xiù
     長白山前泣落紅  Zhǎngbáishān qián qì luò hóng


      西望すれば松遼,兩(ふた)つ蒙古に接し 
      延邊の翠色,關東に絶す  
      物華,天寶,鐘靈の秀(すぐ)れるも  
      長白山前に,紅き(太陽),(血涙)の泣落せり 

    松遼 SōngLiáo=黑龍江の支流・松花江水系の流域
               遼河水系の流域そのあいだの平原地帶

    物華天寶 wù huá tiān bǎo=自然界にみちあふれる寶
           物華は萬物の精華,自然景物。
           天寶は天然の寶物。
           金紫衡が移居しこの絶句を詠んだ山,
           延吉天寶山の意とかけて
           南北朝・梁柳惲 “離念已鬱陶,物華復如此”を典故として
           物華には “國家風光”の意あり

    鐘靈 zhōng líng=靈秀の氣,匯りめぐり聚するさま
    延邊 Yánbiān=朝鮮族自治州。長白山陰(北)にある,
          


    意譯,我流につき間違いはご指摘ご教示ください


       
    物華復如故!遍照光依舊 

     延邊,延吉,朝鮮族自治州
      《松花江上》にもうたわれているように
     「我的家在東北松花江上,那裡有森林煤礦」
     地下資源のゆたかなところ,だ, 「那,無盡的寶藏」
     この延吉縣天寶山は銀銅鉛礦,である。
     そして山の向こう,もうすぐそこは,中國朝鮮の國境地帶。

     國が,壊れて,崩れて, 國家が毀滅する。  
     國が亡ぶ,とは,しかし・・・・
     靑史の文字上のことでしかない,その地に生まれ住まう民にとって。
      
     兵燹にまきこまれ死ぬものと。
     なにかをまもるため,兵となって鬪い死ぬものと。

     しかし,くに,が亡びてしまえば!

    “護國の鬼” にもならず,
     弔うものおらねば,埋葬もされず,ましてや,“國殤” もうたわれぬ

     蟻や鴉がその尸,を毀壊するにまかせ,
     靑塚壘壘,草むす大地。
     “滿洲”には,「萬人坑」おおく,「靑塚」の,さらにおおく。

     物華( 花 )とは,これはなにか?
     光のこと,であろう,
     では
     『莊子』の言う 物 “化” とは,なにか?
     ジツは死,のことである。
     窮まりて變ずることであり,死,であり・・・・・

     “花” とは,“艸” の,“化” 生であること,その字があらわしているとおりである

    齊物 “水平”思想の元祖ともいうべき
    『莊子』は言う
    「吾以天地爲棺槨,以日月爲連璧,星辰爲珠璣,萬物爲齎送。
    吾葬具豈不備邪?何以加此!
    「在上爲烏鳶食,在下爲螻蟻食,奪何其偏也!」


     
    まさに,自由,自存,在宥の極まりを突き抜けた竟地, 萬物流轉,“齊物” の,體現といえよう,莊子,自ら死の後始末の “かたち” を弟子に示した委託であるが。

    “死” とは,ただ水平に, みずからの“尸”“横たえる” ことだ,ということも言って言えないことはない,と,わたしは思う,

    それが,『莊子』の思想である,といいきりたくなるくらい

    maijiGuanXin.jpg

    日本は近代,ヨーロッパの惡しき側面をすべて吸収しながら
    それによってまた,好き面をとらえそこない・・・・・
    社會契約は,いまだなされておらず,つまり,

    市民社會に――國連の人権問題報告官にいわしめたような――あるたぐいの「文化」がない,

    被征服者と被差別者のモンダイは
    なにも解決してないどころか,手つかずに放置され・・・・。

    いわゆる琉球處分――もうすぐ130年となる帝國による琉球王國併合,とその結果――,
    沖繩の地上戰,帝國日本の犠牲とさせられ,
    今なお,アメリカの与力の一州と化したw日本のために負担を強いられつづけている,という

    ・・・・・・。

    邊野古でおととい,
    車道で座り込み抗議していた沖縄の,おじい,おばあ,が疾走する車に足をひき逃げされた。
    これは,かの,地の日常でもある
    あまりに理不盡のハナシである

    しかし。

    かの土地に, “理” は,そこに,民とともに根付いてあるのである

    目もあてられないほど,荒れ果てた茫茫の,くに,それは本 “土” の方である。

    “野” が,理性,理念を喪失して
    まったくてつかずに放置されてしまっている。

    ・・・・。

    さはさりながら
    地,は“土” 也,
    荒蕪の,“里” において,

    土,里もまた, 沮喪して,思うだろう,

    草,が,いかに荒れのびていようと。
    草は草の伸びるままのびていく。

    間違っても,何かを選び取ってはいけない。

    農薬をまいて過保護にしたり,化學肥料をまいてキチガイにしたり,
    そんなことをしてはいけないのであるw

    ましてや,ただ 殺人“到る處刈る”草の如し など,
    もってのほかだ

    自然の摂理にもとるモンサントみたいなやり方も,テロと土壌の荒廢するばかり
    “土” を痩せさせてしまう

    “土” にとって
    たとえ,不逞の草,共謀する草,ヒコクミンの草であっても・・・・・,

    野草である限り,それは,一本の非力の草でしかないし。

    草民蒼氓は,いまは茫茫であっても,いつか,その地にあった秩序を,自ずから形成して, “野” ,となし。
    なしてきた,

    そうしてそれは, “棺槨” ではなく,心地よい “褥” を作る,ことを必ず志向する

    それが,自由であり,自由とは,草志であり,草思である。
    というこれもまた,おそらく,条理,であるとおもうから

    窮境,國家など,土なくして,草なくして成り立つものではない
    あの,おじいおばあがいなければ,沖繩は沖繩ではない。日本が “吞”み込んだとして
    亡ぶのみである
    “國” は變易するが,早々たやすく併吞することなどでき得ない

    物華如此“邊野古”!
    いい地名である

    はたして邊野古の “光復”
    物華萬丈の照らす “水平” 線を,見とどけるまで
    わたしは生きていられるだろうか?
    望みは,薄い,

      maiji37bosatsu-1.jpg

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    過猶不及?見乎隠 顯乎微。りびじょにすと極右の終わりの始まり♬ 易窮即變,變即通,通則・・・

    八紘一宇言語好, 到處殺人如刈草  その③

    今朝の他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン。

    かつて國際派と誤解され,いまは極右にして
    リビジョニストなショータイダダ漏れ小池百合子とゆー我がトーキョートチジ,
    おもしろいことをしていた。

    孔孟老荘の囚徒であるわたし,のアタマに即うかんだ
    “すぎたるはなほおよばざるがごとし”

    『論語』先進第十一
    子貢問。 「小池百合子決定不追悼與慣行追悼也孰賢。」
    子曰。 「決定不追悼也過。不誠実地追悼也不及。曰。然則・・・・。

    つまり。
    子,曰はく
    「過猶不及。」ヤリすぎたるは,ふつーにヤッてヤリ足りないより,なおいかん


    いや,ちがうなw
    莫見乎隠 莫顯乎微

    (かくしたる)ヨリ,見(あらわるる)ハ (なし)
    (かすかなる)ヨリモ,顕(あきらかなる)ハ(なし)


    小池百合子は,ここにきてなにをおもったか,例のうしろだて,ハッコーイチウな背景に
    媚をうっておくという,無用のことをしたw

    関東大震災時の,ニホンジンによる,朝鮮人虐殺,毆殺,撲殺
    暴徒でもテロリストでも何でもない,身を低くせざるを得ないうつむいて道の端を歩くしかない弱者を
    ムリヤリ引きずり出して,公衆の面前で “イッパンジン” が路上でリンチを行い虐殺した。

    とゆう,世に知られているのか知られてないのかよくわからんが,事實。
    もちろんこの,「いっぱんじん」は,
    今般施行されたキョウボウ罪法案の「キョウボウ罪」にはフれる,キョウボウ團體,
    に属さない。

    あるいは共謀罪には問われないはずの,イッパンジン,
    ということになるやもしれぬ,ならないかもしらんが。
    天道に照らしては明らかに「罪」である,ふつーにキョーボー案件,
    ,いっぱんじんによって共謀され,兇暴の集團となった案件ではあるが。
    罪の概念定義ではなく,イッパンジンの定義のハナシだw

    つまり,
    だいたいが「集團的」なんて言葉がつくと,ろくでもないことをしでかす,とゆう,
    あるいは
    イッパンジンの一般とは,單に,多數集團を示す,とゆう,
    ニホン語漢語の印象操作,
    のハナシだが。

    が,それはさておきだ
    これは――今回追悼文をおくらなかった,というだけのことにすぎないが,――
    些細なことではない
    必ず,小池百合子都政の,
    ・・・。
    千丈の堤もアリの一穴的,坹,

    ならぬ

    ボケツを,
    みずから掘ったw

    その素性を,非常に排他性に特化した意味の名を持つ,ナニナニ「ファースト」,という,きわめてラディカルなw
    政治團體の根源的な意,とその本質を,はからずもあらわに表している

    これはもしやネトウヨ,もしくは,
    自慰史觀とはなぜか言はれない,
    し,
    被害妄想史觀ともなぜか言はれない,
    アンチ加害史觀,の連中の・・・・・

    終わりの始まりだっw

    と思ってしまうのは樂觀主義者の玄ちゃんである
    インテリゲンチャン的には,
    これは,
    東洋思想に通底するw有因有果

    易,窮則變, 變則通, 通則久

    モノゴトの道理であるのら

    さかしらなあじつけをすれば。これは,
    この世はヒトの世,モノゴトとゆうのは,

    邪必歸正,棄暗投明!
    という
    もっとわかりやすく言えば,

    寝た兒をわざわざ起こすなよ,
    であるw

    國連人權問題の専門家・報告官が注視する中,わざわざ,

      アタシ,追悼しません,だって,この日は天災の被害者を悼む日ですもの,
      なんで,人災,アトローシテイの犠牲者を悼む日なもんですか

    的なことを
    よせばいいのにわざわざ言明しちゃう都知事w
    とゆう。

    この案件は。
    白人至上主義者がかつて,
    いや今もだ,
    無辜の黒人を樹に吊るしつづけた振る舞い,となんらかわることがない。
    ラディカルなことを言えば

    出自ルーツ,が,淵源辿ればはるか遠くブラックアフリカの奴隷貿易なのか,
    はたまた近代の生々しい出來事,(狭義もしくは廣義の)強制連行なのか,

    のちがい,にすぎない

    1923年9月關東大地震による混亂の中で,民間人の「自警團」がよってたかって
    「不逞鮮人」という名目のもと
    を虐殺した事件,
    ネトウヨと不要意なネット閲覧のせいで,風化の一途をたどっているが。

    考えてみてほしい,

    いま,もし 関東大震災がおきたならら
    日本人は,我々を・・・・あるいは,
    とおびえるひとびとがいることを。
    ザイトクカイに,ゴキブリ呼ばわりされ,連日がなり立てられてPTSDになった朝鮮學校の子供たちのことを。

    この帝國日本人の一般市民が,ニホンジンの排他的特性を極限まで暴走させた
    まったく,いわけの余地なき蠻行,
    それは,ごく普通の生活者の住む家のすぐ前で,くりひろげられた理性の崩壊,
    である。

    官憲も傍観した,いやときには煽ったフシさえもある,という。
    リンチによって殺された犠牲者には中國人も,日本人も,いる。
    ドサクサマギレに憲兵に連行され扼殺された文人らもいる。
    ちなみにその下手人は「滿洲」地域に出奔すると岸信介とつるみw,文化界を牛耳り,最期は服毒自殺した。
    敗戰の六日後である。

    いくら,大震災という,未曽有の混亂の中で起きたこととはいえ,
    日本に固有の,世界に似た症状はおおくあるものの,
    ―――何處でもあったこと,だから普遍のこと,ではない――
    日本で起こり得た,日本人が起こし得た,
    レッキとしたレキシのジジツなのである
    ・・・・・。
    とはゆへ。

    あなたがねとうよでなく,ふつーに理性ある方なら

      なんでw
      そもそも奴隷貿易と日韓併合いっしょにするなよ,
      かなり極端だな,このヒト,

    とおもはるるであろーが

    コトはもっと「コンゲン的」にして,本質的な淵源のハナシを
    すこしは普遍的かつ不偏的なコトを,
    もうすこし書くつもり。

    臆面もなく。
    つづく

    と。ところで今,
    學習能力のことを想っていてふと,思い出したんだがw
    つい最近,中國で,artificial intelligence、AI の,開発のために,だか学習能力向上だかなんだか,わすれたけど
    人工知能が中國人民のネットユーザーのコメントに受け答えする,とゆうサイトをつくって,
    當意即妙の答えを連發してたそーだが,

    あるとき 『中国共产党万岁!』 と書きこまれたコメントに對し
    AI,が
    「こんな腐敗しきって無能なのに,なにがバンザイだ,おかしいんじゃないか?」
    と返したそうだw
    あわてた当局は例によって斷開連接,したそうだがw

    ・・・・。
    日本社会でもし,AI が,KY,とか忖度,とか言う,日本ドクトクの美ガク,というかw
    知能というか機能を習得できないまま,あれこれ論理的に齒に衣着せずにしゃべりだしたら・・・・

    面白いことになるんでわないだろうか,などとひとしきりニヤニヤしてしまった

    ほんとのほんとに誰も言えてないことを・・・・,
    言っちゃあいけない場所で,もちろん一番絶妙のタイミングで,レンパツしてしまうAI

    人工知能にそこはかとない恐れや不安しか感じないわたしも,なんだかワクワクしてくるのであった
    すくなくとも日本人の一般的な論理性よりは,論理性を獲得しているであろう AI w

    論理の不在と欠乏をあちこちで指摘してまわるAI
    生身のやつくがやってると,そーとー排斥されて憎まれるだろうがw,
    なんてったってAI。
    人間じゃないもの,たとえ村八分にあっても排斥されたところで,その「自覺」はなく
    挫折もなければ,自閉症にもならない。

    脅迫されて殺害予告されたって動じないし
    元より「齒車」でできてる機械だから表向きには 「人間疎外」ともならないし。
    ガッコウにも行かなくてもいいし,ビョウキもなんにもないっお化けのごとムテキ。
    ・・・・・。

    そう,ビョーキ,いやハイセキのはなしであるが。

    あまりに長くなってしまったので分割した

    つづく

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    抗戰詩ⅵ 黄假我《錦州廣濟寺前對大塔》,唐鼎元《哀瀋陽》

    八紘一宇言語好, 到處殺人如刈草 その②

    1928年六月四日,奉天軍閥 “大張”張作霖 が爆殺される(皇姑屯事件 )。

    直後に六月八日民國革命政權の北伐軍が北京に入城,
    これをもって,南京を正式に,中華民國の首都とし,北京を北平と改稱,
    北伐軍旅を完遂させる。
    所謂, “大革命” ,である。
      
    張作霖死後,奉天軍閥大帥のあとを繼いだ,息子の張學良 は,
    父親の爆死が,ジツは關東軍特務の陰謀による謀殺であった,その真相を知ると,激怒した。
    なぜか帝國日本を憎惡し,中國からの滿洲地域の獨立を學良にそそのかす
    帝國日本の干渉を斷固拒絶,學良なりに抗日意識をムキダシにしたのであった。

    張學良は,自身の誕生日を,父の命日(農歴四月十七日)に變改し,
    帝國日本の「理念」を奸智とし,彼の滿洲經營にあれこれくちをはさむ關東軍の干渉にことごとくさからい,帝國日本の影響を東北地方から排除一掃することに,心碎くようになる。

    これは,ヒトの情としてあたりまえのことではないか?

    こそこそ隠れて愛する父親を,爆殺した帝國の特務に,なぜに,さらに自分が支配する東北地域の權益を明け渡してやらねばならないか?
    日本人が考えたことは,もしも滿蒙が中國であるならば,かなり圖圖しい,・・・・というか
    “出” 過ぎたかんがえではないか?

    正に文字通り,帝國日本人居留民とその軍隊は,南滿洲鐡道の通るあたりに限って認められ委ねられた保安義務から大いに逸脱したところまで,際限もなく “出” ばっていった。

    彼らがやってきたのではなく,我われ日本國側が出張っていったのである

    なぜか?

    これを別の言葉で言い換えれば,後に肥大し過大な欲望をかなえてくれると,コクミンの信望を抱かせることになる,理念にもとづく東亞の新秩序,

    八紘一宇,貴様のものは俺のもの,
    おれさまのものはおれさまのもの,なぜならわれわれは大いなる大和民族だから。
    的,理念。
    帝國ニホンジンはそうであるべき,と考えた。 

    天皇ヒロヒトは,天照ラス太陽に勝るとも劣らない世界に冠たるアラヒト神であるから。
    われわれは,ペルリが黑船にのってやってきたときからこれまで,他國の侵略を受けることなく,大清を打ちコラし,ロマノフ王朝とたたかって負けなかった,
    し,
    日本人は血の犠牲をはらって勝ち得た,帝國の權益は,まもられねばならなかったから。
    われわれニホンジンは,すこしの血を流したからには,すこしはうばっていいのである。

    しかしなぜか,愛する父親を殺されて,齒噛みした學良は。
    そうは考えなかった。

    さらに,學良は,三民主義による經世濟民,保公天下を理想として,國府軍との内戰状態による擾亂を回復させたいと考えた。

    日本人にとってはおどろいたことに,學良は,中國人であり故郷を愛し,父親の死を悼みもした。
    キョーイクチョクゴの理念に悖るようなことでもない,とわたしなどは思ってしまうんだが,
    帝國日本人は,學良を
    ナマイキな奴とキメツケタ。

    が,ともかくだ,

    學良は委細かまわず停戰をきめると,對峙していた中華民國國民政府軍との戰闘停止の申し入れをし,不抵抗を國府に確約する。


     張氏帥府  
    張氏帥府 瀋陽

    そして1928年十二月二十九日,
    それまで奉天派が使用していた北洋政府の五色旗から變易したのである,
    “青天白日満地紅旗” はためく奉天城内で南京國民政府の領導に服從することを,高らかに宣言(東北易幟 )し,
    これをもって南京國民政府・蒋介石 は張學良を,東北軍政の領袖として,東北の統治を彼に任せること,
    そして 中華民國の全國統一 の完成を宣告し,全國に通電を發した。


    入兵三百出十萬, 公私轉瞬悲塗炭

    1931年九月一八日,柳条湖事件いわゆる滿洲事變の勃發當夜,張學良 はチフスに罹患していて,北平にて治療中(鴉片中毒の治療だともいわれる),
    幸か不幸か東北軍の主力學良麾下の兵二十萬は長城以南に退いていた。

    加えて滿洲事變の勃發後,奉天から追い出された,中國軍十萬餘。
    すなわち當時,“國民政府から任されて東北三省の軍政を支配していた張學良”,が掌握する,東北軍あわせて四十萬弱の軍隊が,南京政府中央の不抵抗の方針によって,
    帝國日本の武力侵寇に對する抵抗を,すべて「自重」するよう抑え込まれていた。

    抵抗の志やみがたくも,攘夷の忼慨もだしがたく,しかしながら,中央の方針によって一時撤退を余儀なくされ退避していた,その東北軍の大屯營は,遼寧省錦州城外に在った。

    この錦州は。
    1931年(昭和六年)十月八日關東軍の爆撃機十數機より空襲爆撃をうけたところ。

    甚大な被害はなかった (ものの,白人が被害をうけたこと特記しておく)

    帝國日本軍,最初の空爆,ということらしいが,

    この錦州空爆の作戰指揮をとった“天才”石原莞爾 によればなんとなくおこなった“偵察行動”だった,そうだ。

    ときに,陸相・南次郎は「中國軍の對空砲火を受けたため,止むを得ぬ自衛行為」,
    だ,といい,
    さらに張學良が錦州に集結させた軍隊を駆逐しなければ日本の
    「これまで營營と “築き上げてきた”ニッポンの權益が犯される恐れが強い」
    「つまりこれはまさしく,ソンリツキキジタイ!
    と,言い張った。

    そして,外相・幣原喜重郎が,錦州には戰火は及ばないだろう,
    と國際社會に表明していた,まさにそこらヘンに,
    關東軍は爆撃を加えたわけであることをもって,
    帝國日本政府は,曾ては陸軍の長,フィリピン総督もつとめたヘンリー,純白人はもとより「名誉白人」の「既得権益擁護」にも理解あるか,と,おぼしきアメリカ國務省長官ヘンリー・ステイムソンに,

    「これこそがジツに,“日本の自衛權發動”!
    と,いーわけした。

    が,この爆撃をもって 「自衛権?どんだけー?ありえないっ」,
    と,ビックリしたヘンリー・スティムソン長官は
    「パリ不戰条約違反以外のなにものでもないっ」
    と,キメツケて帝國日本を,強く,非難した。

    そもそも,帝國日本の天皇ヒロヒト氏は,
    かつては関東都督府守備隊,當時は關,東,軍と呼ばれていた陸軍と,
    朝鮮から馳せ參じて “越境”將軍 の異名をとった朝鮮派遣軍司令官林銑十郎らが滿洲で起こした軍事行動とは,

     “滿洲民の抗日運動カゲキ化” に對して専ら
     “治安維持”と,“居留民保護のため”,やむを得ざる “膺懲”である

    との認識をもっていた
    フシがある。

    “限定的”な武力の使用として極めて小規模な軍事行動,と聞かされた天皇のオツムの中では,そのような理解がなされていたようだ,
    さらにはなぜか

    張學良君いずれ奉天に歸還することあるべきが望ましくもあらマホシかな,的,前提が陸軍にはとうぜんあるものと。

    とらえられあそばした,らしい。

    奉天某重大事件つまり張作霖爆殺のときと同様,再び關東軍に,ダマサレた。
    らしい
    統帥權干犯,なんだか,天皇の軍事容喙だか,陸軍のトッパツジタイだがなんだか,よく知らんが。

    立憲君主制において,軍事行動の“限定的”,この意味,とは
    このようだった,
    して現在,“限定的”軍事行動の定義とは,結局どういうものなのか・・・,

    つまるところ主権者たるらしの,このわたくしメも,長いこと考えているが,
    未だよくわからない。
    勿論,今般の“自衛權”發動すべき,ソンリツジタイの事例とともに,
    予測もつかぬ。

    黄假我 《錦州廣濟寺前對大塔》

     錦州廣濟寺前對大塔    Jǐn zhōu Guǎng jì sì qián duì dà tǎ

     來對浮圖思渺茫   lái duì fútú sī miǎománg
     遼西終古總荒涼   liáoxī zhōnggǔ zǒng huāngliáng
     千年風雨鳴歸鳥   qiānnián fēngyǔ míng guī niǎo
     萬劫滄桑剩夕陽   wàn jié cāngsāng shèng xīyáng

     浮圖の寺(廣濟寺)に來たりて對するに渺茫と思う
     遼西は終古(きわまりなく),總べて荒涼たり。
     千年の風雨にも,つねに歸りきたる鳥が鳴く,
     萬劫滄桑に剩(あまし,のこされ)るは,ああ,夕陽のみ


     *廣濟寺=遼代1057年建立 遼寧省南部錦州市。大塔が有名 
     *浮圖=佛,あるいは佛教徒,梵語音譯( fú tú 宝塔 浮屠とも)
     *終古=久遠 永遠,無窮
     *萬劫=種種の毀壊滅難のくりかえし。佛敎のいう
      世界が生じ毀滅に至る過程を一劫となす,その萬回
     *滄桑=滄海桑田の略,
      大海變成農田,農田變成大海つまり王朝交代。世事多變。人生無常;
     *剩=余す,余剩



    國讐父仇何掛齒, 將軍新寵如花美

    ところで例によってネトウヨ大本山・ウィキペじぃアだが張學良クンについて
    いろいろくわしく書いてある。
    アヘン中毒であり,民の膏血搾り私腹を肥やす
    軍閥の攬把(領袖),貪婪で,ケタハズレの金持ちの成り上がりであったこと。
    わたしも,
    そこに異論はない。
    ついでにつけくわえれば,重情好色,花花公子,と。

      張學良

    とはいえ,それまでよりはましな,ある程度新しい割據のスタイルを模索して
    當時,東方のコックピット,極東の火薬庫,といわれた東北地方の治安を,
    維持することに腐心していた,
    ――なべて東北の領民にとって善政とはいえないまでも――

    實際,張學良政権になって近代的な法による支配をめざしその行政府は恤民的な政策を施行する努力に傾注,一定程度の成果 を出していた。

    というひともいた。

    當然,張學良と,もとより敵對し,あるいは張父子に北方邊陲に追いやられて
    いた他の軍閥や馬賊,にとっては,すこぶる目障りな存在であった。

    ・・・・もちろんある帝國の人びとにとっても,

    ということはいわれている。
    ようだ。

    なぜに目ザワリか。
    なによりも,滿洲にすむ三千萬からの一般大衆,學生らの求める,
     “排日,という方向性で東北住民の魂に觸れその意氣によく適い”
     人心を収攬 していた,ために,
    小張元帥の聲望籍籍,有名赫赫,日ごとに高まるばかりとなっていた,から。
    ・・・・・。
    少なくとも東の滄海からきた倭人の野蠻横暴ゴーマンよりはマシだろう。

    東北出身で,教養も學問もあり,北京官話も訛らず話せる,英語も堪能,
    英米との交渉もスマートにこなし,國際支援も,それなりに取りつけることができる
    という張學良に,
    ブルジョア階級も,これを支持しはじめていたところだった。

    というウワサ。
    があったからだ。
    このウワサあったからこそ,帝國日本は自國の権益縮小を大いに恐れた,
    というはずだったんだが。
    これはネトウヨの理論構築の前提だったと言う気もしないでもないし。

    しかし,インターネットで檢索すれば。
    整合性ないネトウヨ大本營,的検索結果一番にでてくるところにはそんなことは,
    書いていない。
    おそらくカン違いしているのは わたしのほうなんだろーが。

    而して,ほんとにそんなウワサがあったかどうかはさておき,
    日本は治安の著しく擾亂する滿洲,においては,權益の維持のため
    一層ヤッキになり,

    いずれは,

    自衛權を發動するという予測のもとにか,奉天城内に向けるべく大砲を,

    いつのまにか運び込んだ。運び込んでいた。


     ▼ 張氏 大帥府靑樓 (大張小張的“宮殿”)
    瀋陽市 張氏 大帥府靑樓 「小張“宮殿”」

    由來亦有興亡事, 奇恥大辱古無此

    さて,帝國日本の妄動
    “關東軍による治安維持” と言う名の “限定的” 武力行使,

    天才・秀才・・・・石原莞爾

    かねてより構想する對ソ戰にむけた満蒙領有支配,そのもくろみが潰れさると,方向は微修正されていき,
    日中戰爭がはじまるころには,不戰をとなえて,陸軍の主流からは外れていく
    世界最終戰爭アルマゲドン的デンパケイの示唆で心一杯,若干の「轉向」あり・・・・

    ソヴェト勞農政府軍との戰いは,非天と天の戰いか,アフラ・マズダとミスラかしらんが,阿修羅のごとく恐れて,
    今はまだ,今はまだ,まだだ,まだだ,
    と言いつづけながらホケキョウ唱えて阿修羅身の護法を腹の中で念じていたのかもしれない。
    とおもわれる,フシもある

    もとよりホケキョウ信者の彼は,
    パナウェーブ研究所がキョーサントーを恐れるがごときほどには,非理性的ではないにせよ。

    いずれにせよ,
    東京裁判っ,,帝國日本を裁くのなら。

    そもそもはっ。

    黑船よこしたのは,おまえら,ぢゃないかっ
    とばかりに,眼光鋭く

    「ペルリを呼んでこいっ」

    とのたまった,御仁
    (このヒトがなぜに,ジギャク史觀の元祖と言われないのか,これはわたしには不思議なこととおもわれる)

    究竟,ホケキョウ信徒か,イタコ信者か,ただの天才なのかはよくしらんが
    デンパケイであることにはほとんど異論はないだろうとおもわれる

    もしくはこうもいえる,
    カガク的にも,唯物論的にも,かれの最終決戰を予感したデンパ予知,より,
    毛澤東の實證的精神による『持久戰論』の方が,第二次世界大戰の勝利には,
    比較的近かった,と。


    彼が,彼らが,いくら天才であっても,手足となるのは天才ではないのであるw
    そして,補給なく,降伏するな,「玉碎けるが如く,うつくしく碎けちれ」,
    と命じられて,國柱,國殤されし軍人よりも,

    奴隷はいやだね,と「同歸於盡」を志願した,もとより,食うものもない,
    貧乏人たちで構成された紅軍のほうが・・・・・

    同じネイションに生きて,同じパトリオットリズムではあるが。

    輜重,兵站,…・補給を全く無視した,なんとかなる,の,セイシンロン,
    が,
    まずもとより補給もないのはいたしかたなく,武器彈藥をやってくる敵からどう奪うかを考えた,抗日ゲリラたちの,すなわちゲンジツと地の利を戰術にとりいれた,セイシンロン,


    負けた。

    いずれにしても,彼方此方双方の兵隊の腹を満たすのは,そもそもその地に生きるその地の土を耕す零民の腹を満たすべきもの,

    そしてその,彼らと戰爭被災民の,つまりそもそも中國人の腹を満たす,わずかばかりの食料は。

    かれらの抗戰開始以來。いや,柳条湖事件いわゆる滿洲事變の時代から
    現地の民は日本軍に略奪される前に,東北抗日義勇軍や,はるばる北上してきた紅軍,八路軍にこそ,喜んで據出したいと考えた。

    八紘一宇な大東亞の盟主らしきオオミカミの手先に捧げたいと思う民は,
    中國大陸には,ザンネンながら,いなかった

    ということだ,

    この嚴然たる因而「結果」,
    「事實」といってもいいかもしれない歴史認識が,
    われわれには殘されているのみである。

    少なくとも
    帝國日本が石原カンジ的最終戰爭に至る前に,敗戰したこと,
    そしてアルマゲドン的世界,最終,兵器,を二發も落としていったアメリカに
    隷属している,いまや核の傘にいれてくれろとすがる,丸腰ならぬ,ニッポン州
    右に言わせればへっぴり腰の,
    核廃絶に及び腰の…・我がニッポン,國,モドキ

    これは疑いようない今のゲンジツだ,かの,最終兵器は・・・・・。

    地球を少なくとも一回だけ滅亡させるに足る・・・・・。
    最終戰爭抑止,だそうだ,w
    そりゃそうだ,始めた途端に亡びるなら,兵燹,の,烽火をあげる暇もない,沙場と化して途端に宇宙の塵となってしまう。
    三光作戰はじめるまでもなく・・・・ジンカンに阿修羅上場の浩劫おこるまもなく。
    あえていうなら,戰爭起こる間もなく破滅するなら戰爭だけは抑止できる,
    但し,人類滅亡は抑止できるとは,限らない,という。

    優先順位の狂った核抑止論。

    アカではないマルクス主義者は過去については「時系列」信者であり,
    しかもトリアージ教徒である,優先順位がある,というこのことがすべて,なのである。

    單純にジケーレツを考えれば。
    いったん地球を破壊してしまえば,そのうえで,敵基地が應戰してくることも,ミサイルを防衛することもできない,という明快さの方にココロうばわわれてしまうのである

    抑止できるのは,地球を存續させること,のみ,という。

    世界を何回も破滅させるに足るプルトニウムをいくらためこんでたって,
    破滅させられるのは,ただの一回だけなんですねー,という,

    これがわたしのゲンジツ認識だが
    なにかまちがっているだろうか?

    そう,大体だ,この,ご時世に,キムジョンウンは
    てぽどん,だ,火星だなんだいわなくても,
    六ヶ所ムラの再生工場に,トマホーク級一發ブチ込む,と

    おどせば,それで,す,む,の,で,あ,る

    世界は一瞬にして,一回潰滅する。
    それを言わないところを見るとやっぱり,丁丁發止の裏にはナニかあるw
    と思わざるを得ない

    近代の戰爭は商賣。
    トランプは既に十二分に目的を果たしているぢゃないか

    河岸と田野で狂犬吠えつけり

    ふんっ ` ´

    さて
    ハナシが際限なくそれていったが,ハナシを戻すと山海關の東の軍天才秀才作戰參謀は,錦州爆撃のあと,
    つぎにはなにをかんがえたのか,と,かんがえてみれば,

    今度は,『滿洲國』建國,へと突進む。

    特務機關の暗躍で,復辟の夢に,ココロ蝕まれ喪心惱亂自大狂の
    宣統廢帝プーイー(愛親覺羅溥儀)を,
    極秘の内に,ナントカ温泉に誘い出す

    ――ちなみに途中で,万一政府(=帝国だw)バレたら,プーイーもろとも爆弾でフッ飛ばして “同歸於盡” の覺悟もあったという,どうにも亂暴者ばかりの天津特務機関の 謀略――であった。
     

    ついには内地の民も,満蒙領有國家建設という,大きな夢に擧國一致で熱狂し,

    滿蒙地域の帝國日本居留民のみならず,なぜか中國人モンゴル,朝鮮族,女真族からラマ教徒までから,熱く切望され,推戴されたんだ,
    として,ヒロヒト天皇の臣たる“兒皇帝” プーイー“御執政”が誕生する

    のちには,しょうことなしに格上げされた康徳帝“御親政”のもと,
    ・・・・・。
    詩に曰く

    萬劫滄桑剩夕陽, 民に殘されしもの,夕陽のみ

    と,いうコレが證據の,
    漢滿鮮蒙・南蠻東夷北狄西戎+日本,五族共和の王道樂土,理想の新國家
    を幻出せしめた,とつたえきく。
     

    唐鼎元《哀瀋陽》 二十年九月十八日起至二十六年三月止



    昨夜夢中猶漢月, 夢醒不是漢山河

    古風七言歌。宋韻,四解。換韻ごとに一句目押韻。  
      
      河倭(歌戈韻),
      萬炭泛(寒山韻), 
      事此毀貔姿支思韻), 
      塁鬼美已(齊微韻)


    張學良は,おもてでは檄を飛ばしながら國讐も父復仇も歯牙にもかけず,
    自身の兵を温存し,不抵抗をきめこみわずか三百の兵の日本軍に奉天
    入城をゆるしてしまった。 
    十萬餘の兵を退却させ,いっぽう遼東から急を告げる(羽書)を南京に發し
    救援を請うべきなのにまことにゆっくりしたものだ,何のための虎兵を養って 
    いたのか。
    敵を見たとたんに冬こもりのようだ,之鞭打ち之蹴るも動かず,
    この上は,蒋介石の御覺えめでたく,その寵愛をうけること花の美の如し。

    夢醒の間,公私も瞬く間に轉じ住民すべて塗炭の苦しみ悲しみ。
    哀瀋陽。


       1936年
             1936年張學良



    この詩の含意は。こんなカンジだろう,手嚴しい。
    そんな瀋陽を吊哀する。
    しかしながら,この,《哀瀋陽》
    のちにつけられた,とおぼしき題注がある,

    “民國二十年 (1931年) 九月十八日起至二十六年 (1937年) 三月止”
    と。

    唐鼎元 《哀瀋陽》の詩意。
    詠懷,詩情もまた複雑である。
    あるとないとで大違い。
    “三月止”
    ・・・・。

    題注,この語があるゆえに,載せようとおもった詩である。 

    七・七事變勃發前1937年三月,ようやく第二次国共合作,内戰即時
    停止一致して抗日にあたるむね宣言された。
    その最大の功労者は,やはり。
    だれがなんといおうと, 西安事件 を起こした張學良少帥 ,なのである。

    その間,權力闘爭に必死で,顧盼されることなく見棄てられてしまっていた
    東北の淪陥四省。 “光復” までの長い長い道のり。
    張學良は蒋介石に憎まれ連行。
    臺灣で,蒋介石の逝去まで幽閉軟禁される。

    このあたり,抗戰,いや歴史の複雜に綾なす絲,空に浮かぶ繊雲弄巧。光。

    張學良 については☞ 『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤⑤ 《過塘沽》
    黄假我詩はほかに☞ 黄假我 《瀋陽中秋對月》



    有所思

    昨夜夢中猶漢月, 夢醒不是漢山河

    戰後。
    日中國交回復後しばらくして,“慰靈の旅びとの日本人” が,滿洲を訪れる。
    そっと,たむけるものすべて,花であろうが石であろうが木切れであろうが,
    慰靈の旅人が立ち去るや間髪をいれず取り除かれる,
    中國という大地,天道のゆるしのもとに。
    默默と,除かれる。
    “了” とはならず。 “解” ならず。 時期は,尚早ということだった,
    心情において,しのびがたい,當然そうであろう。

    日本人の何百倍もの數の生命が日本人によって奪われつづけた大地である,

    おおきなおおきな,真っ赤な,滿洲の “日輪が困憊する” ほどの
    兵燹の,“丘八禍”,の丘。
    靑山江河黄大地
    他の “くに” を冐し,瀆し,他國の大地を力で奪う,ということはそれほどのこと。

    そうした斷ち難い,地の,血の,怨恨も,長いときをへてようやく薄れたかけた
    かに見えた・・・・,
    日本人の慰靈の旅を,愍ましく不憫の心のおもいやりで,ようよう,受け入れる
    そういうことも, あるいは,出來ようか,という,・・・・
    彼らが涙を呑み込む時期。

    世紀の變わりメの頃からだろうか, 狂騷とともに日本において信じがたい暴言の
    數かずが,わたしたち戰爭犯罪人の子孫たち,その惡狼の口から吐き出される。
    狂騷はいつしか・・・・21世紀に狂想となって定着し,土着し,惡意を持って
    粘着させられ,そして稚拙極まりない外交の中でも應酬されつづける。

    いまでは,たしなめるものもいない,か,に見える,このくに,の,ありふれた風景,いや“風土” である。

    風,と,土。

    他國のうけた被害を想像せずして自國の加害の事實はうけいれられない

    日本人のどれくらいが,彼らが,かつて受けた被害,を,想像するだろうか,

    想像力を驅使しなくとも,
    自國の被害は知るものである,しかし,それはなぜ起きたか,想像できなければ。ほんとうに自國の “被害”を, “思”,い “想” ったことになるだろうか ?

    なんどでも書くが,
    想像できなければ,日本人は石ころや木偶とかわりない。
    アジアでは,中國では,その,石ころも,樹木も,ことごとく受害したのである。
    彼らの山河は “國” 破れて猶あり,民の受害をことごとく目睹しきって,
    ただただ復すを待った。

    “同胞受苦,河山待復”
    “光復” という言葉は,天地人間(ジンカン)その浩劫、それら一切の受害が,復すを待つ,永い永い時間を象徴する言葉である

    かれらのいう “光” とは何だろうか?
    それは,
    空閒が,土が,生きるものいっさいが,たとえ受害しても,つまり たとえ天が受害しても,光は蔽われ,隠れているだけだ,という,
    文 “明” への,
    “國家” をこえた,大地と,日月の運行,そのもとに生きる “想” 念が,

    彼ら,中華思想,文明に對する,矜持,自豪が,

    光復

    という言葉を生んだ。

    古來より,漢土につたえられてきたことばである。

    單に,異民族の侵略から,のがれて,漢民族のもとに “國” 土が復したとき,それを光復という。
    「革命」とおなじくふるいことばだが,易姓革命のときには,王朝が易ってもこの、光復という語は使われない

    そのことばのいみする
    あられもないさま, あられもなさ

    それは,まさに曙光を奪われたことがある民にしかわからない,ということかもしれない

    萬劫滄桑剩夕陽, 民に殘されしもの,夕陽のみ

    あとには夜が待つのみである,という日々。
    この句の深さ,闇のくらさ,ながさ。
    これを映して剩(あまり)あり,と。

    もう一度
    “黄假我《錦州廣濟寺前對大塔》 
    に目を通していただければ,と思う

    瀋陽市 張氏(張作霖・張學良)大帥府

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    抗戰詩ⅹⅳ 王冷齋《盧溝橋抗戰紀事 四十首》二首,田翠竹《甲辰雜詩》其六

    “皇軍”笑落秋風裡, 亂血凝紅濺馬蹄
                                ――田翠竹


    QiuJuesue.jpg《盧溝橋抗戰紀事 其三十八》王冷齋

     盧溝橋抗戰紀事 其三十八  Lúgōuqiáo kàngzhàn jìshì

     血灑長空大地間    xuè sǎ chángkōng dàdì jiān
     寒流衰草盡朱殷    hánliú shuāi cǎo jǐn zhū yīn
     忠魂合傍佳人冢    zhōnghún hé bàng jiārén zhǒng
     匹馬西風淚欲潸    pǐ mǎ xī fēng lèi yù shān

    注:
      我軍轉移後,予在長辛店附近公主墳收集隊警,
      乃遭敵飛機來襲,左右頗有傷亡。血濺予身,不騰悲痛。


    注:我が軍,轉線移駐後,予,長辛店公主墳附近にあり
    收集されて警戒中,
    乃,敵飛機の來襲に遭遇,左右で頗る受傷するもの,死すものあり。
    血濺(ちしぶき)予の身にあたり悲痛にたえず。

     血,灑(そそがれ)て長空,大地の間     
     寒き流れ草,衰え,盡(ことごとく),朱く殷 (あかぐろ) く   
     忠魂を佳人の冢の 傍に 合すべし   
     匹馬も西風に涙,潸潸,おとしながさんとす


    意譯,我流につき間違いはご指摘ください



    滄波極目江鄉恨,衰草連天塞路愁――陸游

    從軍中,詠まれた絶句群なのだろう
    佳人の冢,この近辺は清朝の公主王女の墳墓の地,靈廟多い
    が,むしろ

    按ずるに,長空,衰草,西風,は
    匈奴單于に贈られた王昭君の墓,靑塚を連想させる

    陣亡すなわち草生す丘。
    杜甫いう
    “古來白骨無人収”


    この絶句の力強さは, “呼" し, “殳” を執り,無 “虞" という,押韻字にあり,
    また,字句のことごとくすべて,靈活の表現だ,と感じられた

    七七事變いわゆる盧溝橋事件事變中,宛平城を死守した,王冷齋という英傑の文人の,まさに劍膽簫心。
    言志の剛,勁,聲音の温柔。

    それは,閩候人(!),王冷齋,という英傑の俠骨の事跡を知らずに讀んだとしても,
    詩を解すものなら壓倒され息をのむ力強さ。

    いずれ四十首すべてを載せたい。

    この人は東京裁判の際,東京に來て,いわゆる日中戰爭最初の「北支」の情況を
    つまびらかに作證したことでも有名である(かどうかは知らんが)

    中國の知力膽心ある政治家はみな,すごい詩を書く,と改めて知らされた
    四十首である

    《盧溝橋抗戰紀事 其四十》王冷齋

      盧溝橋抗戰紀事 其四十  Lúgōuqiáo kàngzhàn jìshì

     延安振臂起高呼    Yán'ān zhènbì qǐ gāo hū, .
     合力前趨願執殳    hélì qián qū yuàn zhí shū 
     萬眾一心同御敵    Wànzhòngyīxīn tóng yù dí,
     山河保障定無虞    shānhé bǎozhàng dìng wú yú 

     延安は臂振り高く呼ばわり,起こす
     力,合わせて,殳を執り前趨せん願う。
     萬人,民衆一心同じくして敵を制御せん,
     山河を保障するは,定めし虞(おそ)れ無し,虞,の地!

     



    この絶句。
    この四十首連作の最後をしめる,にふさわしい

    とりわけ結句は神韻! 定無虞。 dìng wú yú 


    山河保障定無虞!

    三十七年七七事變いわゆる盧溝橋事件直後の連作である。

    この信頼,信望。

    冒頭語の「延安」は當然,北上抗日先遣軍八萬餘軍がたどりついた延安。
    春秋戦國時代晉國故地,そのあたり,は,古稱,雅稱,
    「虞」,
    である

    定無虞。
    恐れなし虞地が山河を保障する

    1937年夏からはじまった抗戰の端初から絶大な信頼をうけ,
    以て人民が合力していた
    さま。

    哈哈
    「詩日」、「有詩為證」だw

    日本のネトウヨはよーちなウソばかりいう

    わたしはすくなくともアンチ東京裁判史觀より,
    あのグッドルッキンキンキーな前防衛大臣のポーレンチより,

    赴東京,作證皇軍蠻行したこの人の言うことを信じたいなぁ

    田翠竹 《甲辰雜詩》其六

    “序:一九四四年夏,日寇陷湘潭,兵馬倉皇,生靈涂炭,
     余避難于古塘橋畔,日夕數驚,以詩記之。


    序:一九四四年夏,日寇陷湘潭,

    兵馬倉皇(あわてふためき),生靈(萬民百姓)涂炭の苦,
    余,古塘村の橋畔*に避難して,日夕驚くこと數おおく,以て詩之を記す


     其六

      古道旗翻夕陽西    Gǔdào qí fān xīyáng xī
      村前村後有人啼    cūn qián cūn hòu yǒurén tí
      “皇軍”笑落秋風裡  “Huángjūn” xiào luò qiūfēng lǐ
      亂血凝紅濺馬蹄    luàn xuě níng hóng jiàn mǎtí

       古道に旗翻り夕陽は西に,
       村前村後,いたるところ人の啼(なきごえ)有り。
       “皇軍”,笑いながら落ちゆく,秋風の裡に
       亂血を馬蹄,濺(はねあげ)紅く凝りぬ     濺  jiàn
     
     濺

      濺 汚灑也。
      ——『説文解字』。
      段玉裁注:“謂用汚水揮灑也。


      濺汚はおもに血しぶき



    抗日戰時,江南,江左,福建閩侯,廣東蕃禺に至る中國大陸の東南岸の,
    詩骨,斯文の傳統でもある,

    一簫一劍平生意

    諸夏中國は縦横に廣く深い。

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    馬一浮 《千人針》《短歌行》

    八紘一宇言語好, 到處殺人如刈草
                              ―― 馬一浮《千人針》

    八紘一宇 ,その言や好し,到る處,殺人,あたかも草を刈るが如し



    帝國日本人の多くが悲惨なおもいをした,多くの 日本人 犠牲者をだした,
    大東亜戦争,太平洋戰爭。
    その悲惨を語ることで,すませてしまうなにか。

    太平洋戰爭のみを見つめてしまえば。
    たしかにミスターヒロヒトがいうよう,

      我が國人が あまりに皇國を信じすぎて 英米をあなどつたことである
      我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである

    であり,英米をあなどつたから負けた,神がかりセイシンロンが非科学的だった,という反省がなりたつ土壌

    しかし,じっさいには,

    中國大陸への,非道の行いあって,その因あっての結果對英米戰爭である。

    パールハーバー以前に
    11年間にわたっておこなわれた帝國日本による侵寇,侵略行為
    中國大陸における動産不動産の一方的強奪と破壊,
    非戰鬪員,現地住民の非力の老人,女コドモまで殺戮した日中戰爭の,記憶を
    わすれさせ,加害のジジツを闇に葬ることになる,粗雑な平和の希求,平和の誓いは,
    所詮日本人の自己満足史觀のうえにたった「反省」である

    今日は,盧溝橋後,華南に侵入した「支那」派遣軍と,江南の抗日勢力が苛烈にぶつかりあって,現地住民のおびただしい血が流された
    淞滬會戰,八・一三淞滬戰役の始まった日からちょうど八〇周年をむかえる

    そこから南京屠殺,まで一キ呵成にすすんだ,現地住民をまきこむ戰鬪,
    日中戰爭の泥沼に足を踏み入れた,帝國,皇軍,ヒロヒト大元帥と皇族が將として,司令官を務める作戰は

    地上戰
    だった。

    日本人の戰後の「反省」は内地の焦土からはじまり,
    帝國日本軍の壯絶なな行軍,餓死,病死,玉碎,太平洋の海と空に散った若者,特攻隊の不条理,學徒の徴兵,内地の飢え,引き揚げの悲慘・・・・・,無數の無意味な死,・・・・,

    沖繩の地上戰で,おびただしい同胞が,帝國日本軍作戰遂行のために
    殺された事實が聖戰なのだから,敵國民の殺戮は聖殺戮。

    である。

    その悲劇は語られ戒められるが,
    もう戰爭はやめよう,とはいわれるが,

    もうわれわれは,二度と殺戮者になるのはやめよう,
    とは語られない最近のニホンジンの反戰である。

    今はもう語られる必要もない,ということか

    人間魚雷,特攻
    丸木舟の自爆テロをしいられた,ミスターヒロヒトの赤子たち。

    それらの悲劇があった背景には,英米への侮りがあった?

    こんなソウカツをされてしまう,ニホンジンの戰爭觀,平和主義は,
    世界のどこでも通用しない,とりわけ帝國ニホンジンによって多大な「迷惑をこうむった國國のひとびと」には

    侮り,侮辱し,中國は主權なき我が領土,とキメつけて,カッテに収奪と侵攻をつづけ,
    はてに殺戮と寇略をほしいままにし,
    そのはてに,ようやく
    日中戰爭の開戦がありw

    しこうして日中戰爭泥沼化,英米の反発,しこうして日米開戦である。

    したがってつまり。

    われわれ帝國日本人と曾て呼ばれた国民が,いくら心のなかで鬼畜米英とののしったことがあったとして
    ゲンロンで,スローガンで學校で街頭で,英米人をあなどった,とて,だ。

    そのために日中戦争がはじまったわけぢゃない。

    英米人は,侵略されたわけでもない。彼らの植民地において,彼らは既得権益を奪われたが

    いったいに。
    せんだって引用したヒロヒトの文言には,日本人以外の被害者の姿は,ない。

    千人針變萬人坑,尺布何能召五丁

    千人針に,萬人,坑(あなうめ)さるる,「五人組」召し,尺布のごときがなせるさま

    『ビルマの竪琴』という小説がある。
    非常に日本的な戰爭小説である,
    この「反戰ものがたり」は,究竟,侵略された緬甸の現地の民の聲は一切ない。
    主役は「 “歸”れなかった同胞」 であり,
    還らぬ,意によりて,囘國せぬ “水島上等兵”の “こころざし” のものがたり,
    だが。

    戰爭の一面,それも,視たい部分しか見ていない日本的作為的,身勝手な反戰小説である。

    わたしは「ビルマの竪琴平和主義」とでも,戰爭ゼッタイハンタイ主義とでも名づけたいキ分。

    そしてまた,日本人は,佛道の本質を理解しているのか?
    という根本的な疑問は,世界で多く發せられたであろう書物だろう。

    《千人針》馬一浮1

       麥積山石窟. 佛弟子

    《千人針》馬一浮2

      《千人針》    馬一浮

     遊子征衣慈母線    Yóuzǐ zhēng yī címǔ xiàn
     此是太平桑下戀    cǐ shì tàipíng sāng xià liàn
                 一解   去 霰

     島夷卉服亦人情    Dǎo yí huì fú yì rén qíng
     何故云鬟偏教戰    hégù yún huán piān jiào zhàn
     街頭日日聞點兵    Jiētóu rì rì wén diǎn bīng
     子弟家家盡遠征    zǐdì jiā jiā jǐn yuǎnzhēng
     傾城歡送皇軍出    Qīngchéng huānsòng Huángjūn chū,
     夾道狂呼萬歳聲    jiádào kuáng hū "wànsuì" shēng
                 二解  平 庚

     衆裡抽針奉巾帨    Zhòng lǐ chōu zhēn fèng jīn shuì
     不敢人前輕掩袂    bù gǎn rénqián qīng yǎn mèi.
     一帨千人下一針    Yī shuì qiān rén xià yī zhēn
     施與征夫作蘭佩    shī yǔ zhēngfū zuò lán pèi.
                 三解   去 隊

     大神並賜護身符    Dàshén bìng cì hùshēnfú,
     應有勳名答彼姝    yīng yǒu xūn míng dá bǐ shū
     比戶紅顏能愛國    Bǐ hù hóngyán néng àiguó
     軍前壯士喜捐軀    jūn qián zhuàngshì xǐ juānqū
                 四解   平 魚

     拔刀自詡男兒勇    bá dāozì xǔ nán'ér yǒng
     海陸空軍皆貴寵    hǎilù kōngjūn jiē guì chǒng
     白足長憐鹿女痴    bái zú zhǎng lián lù nǚ chī
     文身只是蝦夷種    wénshēn zhī shì Xiā yí zhǒng
                 五解   平 東

     徐福乘舟去不回    Xú fú chéng zhōu qù bù huí
     至今人愛説蓬萊    zhìjīn rén ài shuō Péng lái.
     豈知富士山頭雪    qǐ zhī Fùshìshān tóu xuě
     終化昆明池底灰    zhōng huà Kūnmíng chí dǐ huī
                 六解   平 灰

     八紘一宇言語好    "Bā hóng yī yǔ" yányǔ hǎo
     到處殺人如刈草    dào chù shā rén rú yì cǎo
     蛇吞象骨恐難消    Shé tūn xiàng gǔ kǒng nán xiāo
     火入鬆心還自燎    huǒ rù sōng xīn hái zì liáo
                 七解   上 巧

     蓽路戎車勢無兩    Bì lù róng chē shì wú liǎng
     水碧金膏看在掌    shuǐ bì jīn gāo kàn zài zhǎng
     明年 《薤露》 泣荒原   míngnián “Xièlù” qì huāng yuán
     一例桃根隨畫槳    yīlì táo gēn suí huà jiǎng
                 八解   上 養

     千人針變萬人坑    Qiānrénzhēn biàn wàn rén kēng
     尺布何能召五丁    chǐ bù hé néng zhào wǔ dīng
     羅什當筵食蒺刺    Luó shén dāng yán shí jí cì
     佛圖隔陣訝風鈴    fú tú gé zhèn yà fēng líng
                 九解   平 庚

     四海爭傳新秩序    sìhǎi zhēng chuán xīn zhì xù,
     河間織女停機杼    hé jiān zhīnǚ tíng jī zhù
     秦都閭左已空閨    Qín dū lǘ zuǒ yǐ kōng guī
     夏后中興無半旅    Xià hòu zhōng xìng wú bàn lǚ
                 十解   上 語

     君不見櫻花上野少人看 Jūn bùjiàn,yīnghuā Shàngyě shǎorén kàn
     銀座歌聲夜向闌    Yínzuò gē shēng yè xiàng lán
     板屋沉沉嫠婦嘆    bǎn wū chén chén lí fù tàn
     朱旗猶夢定三韓    zhū qí yóu mèng dìng sān Hán
                十一解   平 刪


    旅遊の子のよそゆき衣服を縫う,慈母の糸,
    此れは太平,桑下におもう心。
    島くにの卉服の夷人とてまた人情あらん,
    何故に雲鬟結いしオンナら,偏りて戰わしむか。

    街頭では日日,兵士らの出征点呼を聞き,
    家家,こぞって子弟を遠征せしむ。
    傾城の皇軍出征を歡び送るか,
    道を挟んでバンザイ狂呼しあう聲。
    衆,裡に針を抽し巾帨を奉じ,
    敢えて人前では輕がるしく涙みせず袂を掩いて。
    一帨に千人が一針をいれ,施し與え,征く夫に秋蘭を佩と為す
    オオミカミ賜いし護身符,榮えある功名にかのオンナたち答えるべく。
    家家戸戸に紅顏みな能く國を愛し,
    軍前に壯丁男兒喜んで捐軀(身をすつる)。
    拔刀し自ずから詡(誇示)する男兒の勇,
    海陸空軍皆貴き寵をえん。
    白足和尚は長憐みて鹿女仙女は痴,刺青の只,是れ蝦夷の種。

    徐福は舟に乘りて去ったまま回らず,今に至って人道蓬萊を説く。
    豈に知るや富士山頭の雪,終に昆明池の底に灰と化す。
    八紘一宇,言や好し,到る處,殺人草刈るが如し。
    蛇,巨象,吞む,骨の恐れは消し難し,
    鬆心を恐れ火を入れては燎を還る

    蓽路に兵車,戎の勢いは兩(ならぶもの)無し,
    水碧金膏,掌中にあるがごとく看る。
    明年,《薤露》を唱うて荒原に泣く,

    千人針は萬人坑,
    尺布何ぞよく五丁を召さん。
    羅什筵に蒺刺を食らう佛寺では陣ごとに卒塔婆のかねをまわす

    四海に爭い傳える新秩序,
    河間の織女の機(はたおり)杼(ひ),停まる。
    秦都の閭左(平民區),已に閨房,空となり
    諸夏の后,中興は半旅もなさず。

    君,見ずや見ざらん。
    上野の櫻花,看る人もなく,銀座歌聲,夜,まさに盡きんとす
    板塀家屋は沈沈として嫠婦(寡婦)嘆き,
    いま猶,朱き日の丸旗,夢にはまだ,三韓をしたがえて・・・



      maiji121gou.jpg


    卉服=.邊境遠方地区少数民族或いは島人,日本人のこと《魏書匈奴傳》
    雲鬟=女子の結った黒髪
    鬆心=堅貞高潔的節操
    羅什=鳩摩羅什
    蒺刺=木の根野草の意か,漢方薬草
    三韓=朝鮮半島。“古直《哀朝鮮》三韓日暗淡,倭兒意氣雄”



    亂離朋友異膠漆,干戈兄弟皆參商

    亂離の,とき,に 朋友は膠漆と異なれり,干戈の,ま,には 兄弟は皆,參商にあり



    亂離も干戈も,戰爭のことである。
    “參商”
    遠きにあること,隔絶した距離にあることを, “參商” という

    参星と商星。
    参星在西,商星在東,此出彼没,永不相見。
    である
    たとえるに,彼れ此れ對立,不和睦,のこと
    でもある

    戰爭はあらゆる意味で絶對的に反對,これはフツーのヒトなら,主義主張ではなく,
    あったりまえ,のこと,だ
    武器商人でもないかぎり。天皇でもないかぎり

    戰爭がおのれに,利,をもたらさないなら,戰爭は誰でもハンタイなのである。

    なぜ戰爭が起こったか,その原因,
    その “利” ,を受けて, “理” をつくりあげ,それを, “義” と,やみくもに信じる, “大” 勢がいて

    戰爭は興り。拡大する

    《短歌行》 馬一浮


    悲劇,とは “相” である。
    相を反省して,どうするか?

    戰爭をハンセイ,戰爭にハンタイするなら,
    戰爭の “相”を引き起こした “因” とはなになのか?

    物事, “歴史” は,ひとり,ひとりの視野に見られ得る,“相”であり,多種多様。
    とらまえかた,はひとそれぞれ。

    “相”は無限 “大” ,變易していく,果てしなく。
    無涯。

    “社会現象,仍仍相因,層層銜接”

    あるマルクス主義者のことばだが。

    そこに,
    そのつぎからつぎへと,縺れあって,有因而して有果,變易,しつづける相のなかに
    その無涯の茫漠のなかに,
    ひとそれぞれではあるがしかし,共通の因子をみつけることができるなれば。

    いや,
    それを,みつけなくてはいけない,という。

    歴史に學ぶ,というのは本來そういうことではないか?

    結果起きた,悲惨な “相” を, ハンセイ することなど,誰にもできない。
    でき得ないのであり,ましてや。

    謝罪 ,も,また,でき得ない。

    ということだ。

    その因となった 「なにか」に「ハンタイ」するひとりびとり,
    である必要がある。
    その因子, “根” と “積習” を見つめる必要がある,ということだ。

    そう考えればわたしがどうしてもナットクいかないのは。

    日本では,
    なぜ加害者としての立場から戰爭を記憶しようという動きが見えないのか?

    ということ,これにつきる


    離言説相,離名字相,離心縁相,畢竟平等
    無有變異,不可破壞,唯是一心,故名真如


      一切の法は,從本(もとより)已來(このかた),
      言説の相を離れ,名字の相を離れ,心縁の相を離れ,畢竟平等にして,
      變異あること無く,破壊すべからず,唯是れ一心なるのみなれば,
      故に真如と名づく


    『大乘起信論』一切 

    水島上等兵は,佛道を理解していたか?
    否。

    菩薩道とはそういうものだ,渡り, “度”するための,
    發意 そういういいかたはできるかもしれない。
    ww
    それを,ボサツ,發心,という。

    しかし。
    菩提薩埵(ボーディ・サットヴァ) बोधिसत्त्व, bodhisattva

    そこにあって,ともに,生きる,
    その地に生きる,
    すべて,を,

    “大” を,“乘” せて,“度”(わた)る ,を “得” ん,

    とするのが
    佛教,少なくとも,大乘佛敎のおしえである。

    すべて,ともに “度” (わた)る,?
    それは,そんなコト無理だ,


    というか?
    さはさりながら。

    一,は, “全” を構成するひとつ,であり
    小,が, “大” を背負うのである,

    という,そこを見つめることができなければ,發度,ではない。
    ボサツのココロ發す,とはならないのである

    佛言にいう一切衆生。

    “一切法,從本已來。唯是一心”

    水島上等兵の,緬甸における,菩薩薩埵は。
    どうか?

    水島上等兵の襤褸は,袈裟は, “法” 衣は,

    “薫習” ,されていたか?

    否。
    阿僧祇に否,
    だw

      maiji815.jpg

    テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

    奈,とはなにか?《鷓鴣天 “聞沫若歸國,不相見已十餘年” 》 盧前


    どーでもいいんだが

    わたしはこれまでトロがうまいとおもったことはなく,それは單に上物を食ったことがないだけかもしらんが
    どろっと脂じみた色を見ると敬遠してっしまう。
    カツオも初鰹が好きな江戸っ子でしてね

    おもうんだが。

    ふっとおもうに。
    はたして籠池夫妻はこのさきどういう轉機を迎えてどこに向かうか,いわば「転向」ということだが・・・・w

    わたしにとってw
    「転向」ということばの定義はw
    トロになるかアカ身になるかしかない,

    やはりトロもといアベツキストの總攬把に向き合う籠池夫妻於在アキハバラをかんがえれば・・・・
    安倍に刃向う,とかんがえるのがふつうだが

    キョーイクチョクゴ。
    ふむ。
    毛沢東語録
    あべちゃんよーちえんのこどもたちっは,無邪氣な紅衛兵となんら變わることはないのに

    なぜか大日本ではミニアベン坊育てるべくしてカゴイケ機關にイタイケな子供を送り込む母親父親は北朝鮮も中國もダイキライという。
    この論理矛盾,整合性の亂葛は

    つまりはわたしがいつも思う日本の “理のないなさ” というわけで

    お,すらすらできたぞw

      劫波電池

     去魚於在籠池泥   Qù yú yú zài lóng chí ní
     奇拳妙招何處理   qí quán miàozhāo hé chǔlǐ
     通過傳遞誰敢計   tōngguò chuándì shuí gǎn jì
     負加逆轉電波地   fù jiā nìzhuǎn diànbō de

    負加= + と-



    池泥,波地なんてなかなかキが利いてるぢゃん
    デンパ地?
    加えてカケに懸けたんぢゃ
    こんなくだらんことを詠む時にかぎって,平仄もバッチリだ(たぶん)
    つくづく自分に嫌ケがさす

    おい,安倍は,單なる,デンパケイ。
    「聲なき聲」がきこえてまう,うえ,大トロ一味であることは自明のことだが。

    おい,
    くだらんぞ。

    と書いたまま捨て置かれた投稿。



    パソコンの放熱に頭クラクラする中で。
    キヲ取り直して

    さて,民族詩壇,盧前,と。
    トンズラ十年好男兒。

    傲氣傲笑萬重浪,熱血熱勝紅日光。

    郭沫若が妻子を捨て千葉県市川市の自宅を出奔,帝國日本の官憲特高の監視の目をくぐり
    まんまと日本を脱出

    「男兒作健向沙場」

    したw
    のち,ようやく香港にたどり着いたか,武漢に向かうかしたことを傳え聞いて詠んだ,
    詞牌,盧冀野(盧前)《鷓鴣天》

    《鷓鴣天 “聞沫若歸國,不相見已十餘年” 》 盧前

     鷓鴣天    Zhègū tiān
    “聞沫若歸國,不相見已十餘年”
      wén Mò ruò guī guó, bù xiāng jiàn yǐ shí yúnián lú qián

     張祿辭家變姓名    Zhāng Lù cí jiā biàn xìngmíng
     島樓擁鼻涙縱橫    Dǎo lóu yōng bí lèi zònghéng
     安排歸骨埋諸夏    Ānpái guī gǔ mái zhū Xià
     慷慨題詩付友生    kāngkǎi tí shī fù yǒu shēng.

     蘇李別, 喩心情    Sū lǐ bié, yù xīnqíng
     十年亡命鬢星星    Shí nián wángmìng bìn xīngxīng
     回頭萬里河樑上    Huítóu wànlǐ hé liáng shàng,
     投筆知君定請纓    tóu bǐ zhī jūn dìng qǐngyīng



    張祿?
    范雎のことだw

    この “歌詞” には彼らの,20年代,上海文藝の,武漢での,紐帶の強さがかくも
    色濃くあらわれているではないか

    これは,この詞は “左聯” と民族詩壇を構成する面面が車の兩輪をなして,
    民族を鼓吹する役割を已然,依然,自覺し疾走しつづけててきた證左なのである

    この詞牌の,調子。
    "左聯"と民族詞歌人の潑剌たる,撥奮發火して湧きかえる抗敵文藝戰線の
    高揚,昂情がよくつたえられるがw

    とここまで書いて
    この後,郭沫若を范雎にたとえたおかしみを,この詞のキモを書こうとしてたんだが

    また
    そのままになっていた。



    蒼生何可奈, 江表更無人

    今年,抗戰開始から八十年,もうすぐ
    八月一三日である。

    あっというまに,日本の記憶から消え去りぬ,
    新しい世界の理念の構築を目指そうというこの潮流に乗り遅れ,
    あらたな,世界のシーニュとして,奪い去られた,ヒバクシャ
    というメタファー。

    日中戰爭の加害を想わずに,ヒロシマナガサキの被害を言い立ててきた日本のりべらるの平和主義への
    ・・・・・・
    痛烈な,
    わるいが笑ってしまうほどの

    価値の喪失,パラドクシカルなアレゴリーである。

    日本の平和理念のすべてを洗いざらい棚卸して在庫一掃か?

    ヒバクシャまで世界のカノンにうばわれちゃったニッポン平和主義。
    これからどうしようというのか。

    そんなことをコメントの返事に書きバシリおえ

    今朝の他にないからしょーがなくて讀んでるアサヒシンブン二面に臆面もなく
    掲載されたヒロヒトの文言に眼をむいた

    いはく
      敗因について一言 いはしてくれ
      我が國人が あまりに皇國を信じすぎて 英米をあなどつたことである
      我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである


    我が國人のせいかよw
    じゃなくて。
    國家興亡, 匹夫有責。だ
    どんな卑怯者にも責任,あるね,
    況於臣民哉?

    はは。いわんやヒロヒトにおいてをや。

    これがヒロヒトの,「終」戰後,疎開先の息子に与えた手紙につづられた個人的思い
    その文言がこのようであったことに
    我我臣民は,いや臣民でなく新民においても,口をはさむ余地はまあ,ないね
    ぎょっとして,そういうこといってたのか,とおもいはすれど
    口に出すわけにはイカンという今の空氣,ニッポンの世の中の
    天皇家へのシンパシーはいったい誰がかもしだしてきたのか,というわけで。
    いや 
    そんなわけいかぬだろう,

    それは親子の関係である,

    他人がとやかく言うべきでないのは,
    こと,この二人のやり取り,その話柄が,
    帝國日本の亡國とアジア幾千萬の戰爭被害者にかかわることであったとして,

    それは,父子の間柄。だw

    しかし,問題は

    つづいてヒロヒト氏は息子アキヒト氏への手紙に言う

      ・・・・・戰爭をつづければ,三種神器を守ることもできず,
      國民を守ることもできず 國民も殺さなければならなくなったので
      涙をのんで 國民の種をのこすべくつとめたのである

    國民より,先に,でてくる三種の神器

    かよ,などと

    やぼなこともおもわない,

    ヒロヒトが自分の保身を考えなおかつアラヒトガミでなくなることにいたく不快を感じていたことは
    あきらかならしめられた今となっては。

    『昭和天皇實録』によって我が國人すべてのしるところとなってしまったこの期に及んで
    そんなことはなんともおもわないが,

    モンダイはこれを受けて書いた朝日の記者の文意がヒドい。

    軍の統帥者として,重い責任を背負いながら,戰爭に向き合った苦しい心境がつづられている


    のだそーだ

    この記者,緒方雄大,多田晃子の名前はよくよく頭にきざんでおいたw

    こいつらがアキヒトヨイショのお先棒か,と。
    までおもうかおもわないかは・・・・わながら俄かに判じがたいがw

    想ったのはさすが

    戰爭翼賛前科者アサヒシンブンであるなあ,という。

    そうなのである


    ・・・・・。

     (なにがいいたいのかさっぱりわからん,キチガイかこいつ,
      とおもってしまったあなた,
      には,このさきはよまんでいい。
      と書いておく)

     (何が言いたいのか少しは知ってもいい,
      とおもってしまったあなた,には

      こちらの投稿を讀んでいただくと
    はひんとんぽすと。非常正確的説,這是説的對!我,同意。

      すこしはスッキリするかもしれない
      ますますイミ不明,となってしまったかたには
      ご足勞いただいたこと伏してお詫び申し上げる)


    今日,八月九日は・・・・・ソヴェト對日参戦の日ぢゃあるがね
    長崎への原爆投下より 5,6時間早い,そのころ,届いたばかりの朝刊を讀んで抱え込んだ

    わたしの虚しさである 


    アキヒト氏の昨年12月の私的旅行をおもいだしたw

     「滿洲」へ行けっ 「麻山」へいけっ

    やたらムボーなことばかりがあたまにうかっぶ

    「滿洲國」で散った日本の開拓團,關東軍の捨て石となって農民たちは,「わが “國” 民」ではないのかね

    そんな無茶なことばかり,

    無奈可奈,無可奈何,

    考えてしまう,考える,

    虚しさとは
    考えることから
    はじまり
    虚しさとは
    考えることによってのみ
    埋められる。

    “無奈” ,とはなにか?

    奈,とはなにか?

    昔去真無奈,今還豈自知 ――李商隠

    盧前《桂殿秋 “過虹口” 》《上海陥 工人楊劍李萍之死》,李履庵《旅居九龍聞盧溝橋之變憤筆書此》

    時天下草創,邊徼未安

    前頁からのつづきです

    そもそもである。
    沙場がなぜ花鳥風月なのか。
    倭寇がなぜ近代の戰爭ににつかわしくないのか?

    倭人,胡兒,鬼子,そして。
    驕れる虜ともうたっているが,
    ほかの呼び方があるだろう,という日本人の謂いはwたしかにその通りだが,

    帝國日本の侵略を,倭人の寇略,と歌い著わしたら
    なぜ花鳥風月におしこめるなのだ?

    なぜに彼らが彼らの母國語で,民族の魂を喚び覺まそうとする詩を書くにおいて
    民族の先祖傳來の漢字を使っては,いかんのだ?
    というそもそもの疑問は
    抱くことさえバカバカしい,たぐいだが。

    そんなのカラス,ダ)のカッテでしょ,といいたくもなる

    ShanghaiLozen.jpg

    では似つかわしいのはなんだというのか?

    近代の戰爭でも,古代の戰爭でも
    抗日を志願してすえ,帝國日本軍の武力によって,あえなく
    戰死した息子に先立たれた親の心情は變わりようがことはないのではないか,
    とわたしはおもうが
    如何?

    以前,わたしは
    二千年以上前に詠まれた漢代の歌《戰場南》
    を載せたが。今も十分,通用する淒愴がある

    屍肉をついばみにやってくる鴉の大群に

      少し待て,
      もはや死んだ,兵士,たちだ,
      屍骸はだれも,もう動けない,
      もはやこの場、戰場から逃げられない,
      だから,
      カラスよ,
      せめてそのくちばしでつつく前に
      號べ,
      鴉ー,鴉ー,と哀哭せよ,
      烏はせめて啼いてくれ


    と歌う詩人,その抒發,抒懐であり,また,挽歌だが

    戦場南》前漢鐃歌十八曲之一

    日本人はすぐ外來の新しいものに飛びつき,意も理も缺いたまま,すぐさまそのキになる
    日中戰爭にうたうにさいして在るべきは「近代戰爭を詠えてない詩人」ではなく,
    新し物好きの,軽薄に,老文明をかなぐり捨てる詩人が必要だった,というなら。
    まさにそのとおりだろう,
    彼等中國人は,帝國ニホンジンには,本質的な不可解さというものを,つねに感じていたし,

    なぜ帝國日本人はこんなに野蠻なのか,

    いつも,いつでも,測りあぐねていたようなところがあった。
    だから譲歩していた,,譲ることで,民の犠牲や國家の疲弊がより小さくて済むならば,と
    しかし,

    “夜郎妄敢再稱兵 

    なんだなんだなぜなんだ?
    わけがわからん中國人

    だから日本人の軽薄さを余すところなく歌う詩人がいるべきだと?

    アハハ,そういうイミ?

    それなら“左聯”だろう。

    “左聯”は確かにそれをやってたかもしらんw
    “沈雁冰(茅盾)の小説にはいくらでも近代の戰爭が描寫されるし,“瞿秋白の歌をよめば,
    まさにそれかもしらんw

    《東洋人出兵》
    田舎語と北京官話の2ヴァージョンつくっていた

    カルい筆致で描かれた瞿秋白の歌はプロレットカルトの手本ともいうべきな,
    舊弊をあざ嗤うところがあったが
    さはさりながらモスクワ帰りのニューエイジ,ニホンジンやかよっぽど近代的知性の頭腦勞働者だった瞿秋白さえ,獄中言志は唐詩の集句であらわした。


    “左聯”と民族詩壇の母體といってもいいだろう,南社の,長沙の詩人のそもそもの
    深いつながりを考えれば。
    近代性と「民族魂」は車の兩輪である。
    やるべきことを分擔していただけだ,ともいえる,

    しかし。

    では,いったい反動も革新も一致団結しておん “國” のために歇くした報國會は。
    では何を詠っていたのだろうか?
    歌われていた歌は近代の戰爭を詠ったものだったろうか?

    何をほざいて, “千女縫” をやらせ,兵士に無言の凱旋を果たさせていたか?

    その事を詠い,不倶戴天的,怒髪衝冠的にっくき帝國日本の内地の民の
    兵士の屍の歸還を迎える遺族の悲嘆を思い愴む歌さえ,
    抗日詩のなかに有るがw

    當時,日本國内に厭戰はゆるされなかった。

    そんなことはもちろんわたしはしっている

    お上によって出征兵士の戰死に哀哭を表すことはタブーであり
    出征を狂喜し,無言の歸還をほまれとせねばならない
    そうでなければいけなかった狂氣のなかに在った


    その内地で歌われていた歌は近代の戰爭を詠ったものだったろうか?

    イッタイ 
    「近代性」とはなになのか?

    あくまで輕く、仄けく,儚く,理もなく意味もなく,

    天皇はスゴいからスゴいんだ
    東亞の天のまた上の天上におわすのがわれらがアラヒトガミだっ

    とうたっていたのが,日中戰爭に心血注いだ,
    わがニッポンの,
    いさましくも,いさおしあげしブンジンたちではなかったか?

    盧前《桂殿秋 過虹口》


    これも,だ,
    已に魂が斷たれた?だと。
    近代の兵隊に魂などあるものか,

    というか?

    東風が草を吹くのは花鳥風月

    と,わらうか?

    杜甫は詠ってるではないか,
    “古來白骨無人収

    たしかに帝國日本軍は中華民国の首都南京城市を徹底的に屠った後,
    現地の,生き殘った,逃げられず,生きて殘ってしまった恐怖におびえる “生民” を使役し,
    帝國日本軍が屠殺したての, “草民” の屍骸を運ばせてクリークの流れをせき止めるほど積み上げさせた。

    いずれは,血に染まる流れ,丹水の中で,
    白骨は,ついに骨,沫となり,丹水に沙,となり,海に流れゆくだろう

    漆灰骨沫丹水沙

    大行山脈でも帝國日本軍は無數の草民,生民を殺傷,殺害,焼殺したが

    ほら,近代の戰爭は,白骨さらし,青草むすまでほっとくことなどないじゃないか,
    花鳥風月だ,とおまえら,そうやってふるくさいことうたってろ,と。

    なんの役にもたたなかった?
    じっさいには大いに役に立っていた,というのも一面ジジツとしてあるのだが,

    捜そうとしてもこのひとにはみえないのかもしれない。

    この人は,この熊本大學の研究者は
    今後もし。

    いやたぶん。

    日本が沙場を現出するジタイをひきおこすことがあるときには,

    きっと報國近代戰爭學會でも結成して,雄々しく勇ましく,近代の “戰場”を描く ,
    好,戰爭な
    描寫もまあたらしい體制翼賛をやってのけるはず


    なぜなら

    そもそも日中戰爭は

    日本が近代文明を “會得” してしまったから
    起きてしまった悲劇,という一面のシンジツが,あるからだ。

    わたしは近代文明,以て,明治維新をやり遂げ,富國強兵できたからとて
    すぐに中國征服,而して東亞を欧米列強から解放するという,突拍子もないミッションに
    夢中になったかを,
    その,理,も,スジ,も見えないトー突感が,なぜ長く共有されついに正當化されてしまったのか,
    アジア全土に數千萬の屍をつみあげることになったか,

    引いては今,そのことが,まさに,キレイサッパリ忘れられて,
    忘れよう,とせられて
    うっかり口にすれば隠れウヨクの紳士,や,堂堂たるネトウヨのバカ者に
    攻撃されて脅されなければならない,
    あるいは,間違った世界観は「おカミに密告していい」制度という法治のもとに
    日本人は生きていなければならないか,ということを,

    ずっと考えている。

    日本に世界にあるような天道がないこと,それはいい,
    なぜなら
    日本はヒロヒトの天下だったのだから。

    しかしながらなぜ,ヒロヒトが世界の天のまた上を行く天子である,とナゼに妄想するにいたったか,
    ということだ。
    とはいうものの
    發端は何か,發祥がどこだったかそんなことには興味はなく,

    ある種のデンパケイの病氣を發症した,のは帝國日本全土に及んだのだし。
    まあいい加減に
    モトオリノリナガあたり,とわたしは見当つけてるわけだが,

    いったいなぜなのか?

    わたしはこの熊本大學の研究者がその答えを教えてくれたキがするのである。

    熊本といえば荒尾精かもしらんが,かつて宮崎滔天。
    笑っちゃいかんが江湖に生きたと覺しきそして浪曲師になった御仁,わたしはかれの發意はプロレットカルトにあった,そう考えているが,その滔天のふるさとだがw

    そんなもっこすの大學人が,なぜに。民族詩壇を侮蔑するか?w

    その答えはわたしの中には,ぬきがたくあって
    それは,この人々は中國の “文明” そのものを,憎み,引き摺り下ろして強姦してやりたいくらいにおもっている,ひとむれのひとびとだからだ。

    ネトウヨの憎惡と同じレベルの侮蔑感が,公費を使ってナンキンに行く。

    まさに,今,安倍政権がカネを據出するとしたらおおいにフンダンに據出するであろうw
    教育勅語のよーちえん並みに,ゴミ代割り引いてくれるかもしらん

    そこまでじゃなくてもアッキー使ってひゃくまんえんくらい。

    じっさい
    ネット上の實働部隊,またの名をナントカサポーター,姓アベ的と同根の性根が
    研究をしている研究ならw
    そんな,根とネト研究者が學問の世界にはウヨウヨいて,
    あるいは學生に何かを教えている,
    あるいは公に何かを發信する!!。

    願ったりかなったり。
    こんな好都合なことはないのである。

    そんなキがしてならないわたし

    rokoukyousisi.jpg李履庵《旅居九龍聞盧溝橋之變憤筆書此》


      旅居九龍聞盧溝橋之變憤筆書此 
       Lǚjū Jiǔlóng wén Lúgōuqiáo zhī biàn fèn bǐ shū cǐ

     樓依初日對愁生    lóu yī chūrì duì chóu shēng
     邊徼鳳眼照眼明    biān jiǎo fèng yǎn zhào yǎn míng
     薇蕨西山人可採    wēi jué xīshān rén kě cǎi
     魚鹽東海利同傾    yú yán dōnghǎi lì tóng qīng
     蠻歌入戸曾惆悵    mán gē rù hù céng chóuchàng
     朝報沿街有戰爭    cháo bào yánjiē yǒu zhànzhēng
     置我此間宜中酒    zhì wǒ cǐjiān yí zhōng jiǔ
     江潮滿地獨閒行    jiāng cháo mǎn dì dú xián xíng

     樓に依りて,愁れい生まれるままにのぼる朝日に對する,
     邊地徼の鳳眼を照らすごとく,わが眼に明るく
     西山に,いま,人,薇蕨を採るべし
     東海に,利,魚鹽を同じくして傾けん
     蠻歌,戸に入りて,惆悵をつみかさね
     朝に報ずるは,沿街,すべてに,戰爭有りと
     この,我と我が身を置くは,此のとき,此の間にも 中酒,宜しき
     江潮の,地に滿つるを獨(ひとり)行中に閒す


    邊徼=邊境
    鳳眼=鳳凰の目のように眦(まなじり)の不かい愁いを帯びた目。貴相とされる
    宜中酒=憂愁を表す常套的表現縁語のようなもの。
    江潮滿地=恰も錢塘の怒れる潮の満ちるがごとき



    盧溝橋欄干

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    張鳦生《“七七”掲開抗戰序幕》《對月》 盧前《減字木蘭花 “今從軍樂”》

    rokoukyou2.jpg

    齊首高唱歌,響聲徹雲霄

    さて,またことしも

    抗日戰詩を寫していこうと思う

    まずは,七七,張鳦生だが。

    《“七七”掲開抗戰序幕》 張鳦生 忍讓何能無止境,夜郎妄敢再稱兵。蘆溝橋上高歌起,響徹雲霄第一聲

     “七七”掲開抗戰序幕

     忍讓何能無止境   rěnràng hé néng wú zhǐjìng,. ,
     夜郎妄敢再稱兵   yè láng wàng gǎn zài chēng bīng
     蘆溝橋上高歌起   Lú gōuqiáo shàng gāogē qǐ
     響徹雲霄第一聲   xiǎngchèyúnxiāo dì yī shēng

     忍び讓るは何ぞ境に止どめ能うこと無し,
     夜郎の妄,敢えて再び兵と稱す。
     蘆溝橋の上に高く歌起こさん,
     その響き雲霄に徹さんとす第一聲!


    雲霄 yún xiāo= 無際,無窮。高い空。 雲の塊が飄飄と浮かぶ天高き空



    長歌正激烈,中心愴以摧

    詩の大意は,こういうことだろう,

     忍び,譲っていても何にもならず,とどまることをしらぬ,
     あの夜郎自大のやつらには見境などない,
     その妄,どうだ,このありさま。
     またぞろ,兵と稱して,強盗略奪,暴力の日本帝國!

     いざ,抗日戰爭の開幕だ,
     盧溝橋上に高歌響かせよう,

     第一聲から,“榮志溢氣”は雲霄に達す勢いとなるだろう


    雲霄はもちろん,杜甫の,樂府の,傑作中の傑作《兵車行》
    中國人なら誰でも思い浮かぶ
    戰亂と,兵士の悲惨,無辜の生民の苦しみ,を詠う,鬼哭啾啾,上乾雲霄


    杜甫の 《兵車行》は超有名な詩,ネット上にも和譯もたくさんあるので割愛する
    もちろん “鬼哭啾啾” という言葉が初めて日本につたえられたのも,
    この詩からだろう,750年前後に書かれた詩,というか,まあ樂府であるが

      《兵車行》

    車轔轔, 馬蕭蕭     Chē lín lín, mǎ xiāoxiāo,
    行人弓箭各在腰     xíng rén gōng jiàn gè zài yāo
    耶孃妻子走相送     Yé niáng qī zi zǒu xiāng sòng,
    塵埃不見咸陽橋     chén'āi bù jiàn xián yáng qiáo.
    牽衣頓足攔道哭     Qiān yī dùn zú lán dào kū,
    哭聲直上干雲霄     kū shēng zhí shàng gān yún xiāo.
                                     (一解 蕭韻

    道旁過者問行人     Dào páng guò zhě wèn xíng rén,
    行人但云點行頻     xíng rén dàn yún diǎn háng pín.
    或從十五北防河     Huò cóng shí wǔ běi fáng hé,
    便至四十西營田     biàn zhì sì shí xī yíng tián.
    去時里正與裹頭     Qù shí lǐ zhèng yǔ guǒ tóu,
    歸來頭白還戍邊     guī lái tóu bái hái shù biān.
                                     (二解 真韻,先韻

    邊庭流血成海水     Biān tíng liú xiě chéng hǎi shuǐ,
    武皇開邊意未已     wǔ huáng kāi biān yì wèi .
    君不聞漢家山東二百州 Jūn bùwén, Hànjiā shāndōng èrbǎi zhōu,
    千村萬落生荊杞     qiān cūn wàn luò shēng jīng
    縱有健婦把鋤犁     Zòng yǒu jiàn fù bǎ chú lí,
    禾生隴畝無東西     hés hēng lǒng mǔ wú dōng .
    況復秦兵耐苦戰     Kuàng fù qín bīng nài kǔ zhàn,
    被驅不異犬與雞     bèi qū bù yì quǎn yǔ jī.
                                   (三解  旨韻,止韻,齊韻

    長者雖有問         Zhǎng zhě suī yǒu wèn,
    役夫敢申恨?       yì fū gǎn shēn hèn?
                                   (四解 問韻,恨韻

    且如今年冬         Qiě rú jīn nián dōng,
    未休關西卒         wèi xiū guānxī zú.
    縣官急索租         Xiàn guān jí suǒ ,
    租税從何出?       zū shuì cóng hé chū?
                                   (五解 術韻

    信知生男惡         Xìn zhī shēng nán è
    反是生女好         fǎn shì shēng nǚ hǎo;
    生女猶得嫁比鄰     shēng nǚ yóu dé jià bìlín,
    生男埋沒隨百草     shēng nán mái mò suí bǎi cǎo.
                                   (六解 晧韻

    君不見, 青海頭     Jūn bù jiàn qīn ghǎi tóu,
    古來白骨無人收     gǔlái bái gǔ wú rén shōu?
    新鬼煩冤舊鬼哭     Xīn guǐ fán yuān jiù guǐ,
    天陰雨濕聲啾啾      tiān yīnyǔ shī shēng jiū jiū.
                                   (七解  尤韻

     惡=去聲




    《兵車行》 の美しさは,いうまでもなく韻律と抒情,
    惡,好,鄰,草,
    頭,収,哭,啾
    《戦場南》 と同じ悽愴と,悼む詩人,ホメーロスと同じである

    哭し號す民の情景

    草生す丘,新鬼煩冤舊鬼哭,

    命と愚行の連環,繰り返される兵燹。

    しかし,と。
    おもう


    響徹雲霄第一聲

    中國の民は,どれほどこの,抗日戰の大義を信じ,
    どれほど,この日をまっていたか,
    後退し,譲るばかりの “娼婦” の如き,蔣介石國民黨を情けなく,悔しい思いで見ていたか,

     帝國日本軍を祖國から追い出すために命を懸けよう,

    と。
    この氣持ち,これは華北の住民,の總意, 想い,ねがい,

    僞滿,傀儡「滿洲國」壓政下,
    家を奪われ,奴隷のようにこき使われるか。
    祖國を裏切り強盗につき從うか。

    滿蒙の凍てつく大地に抛り出されて,帝國日本の「開拓民」と稱する強盗たち,に,
    はした金でやとわれ農奴となるか,そうしてみじめに死ぬのをただ待つか

    抗日をするか。

    その選擇を迫られて
    生まれ育った故郷を捨てて一家離散,流亡する若者,學生たち。

    中國大陸にいきるものすべての本心であった, “意志” であった。

    その,

    うた。

    である。
    つまり “言志” ,抗いの理,がなせる言志である。
    鼓舞する歌,
    檄をとばす,それが

    盧溝橋上高歌起

    “長歌” ,つまり四言(短歌)ではない五言七言の詩,とは,
    荊軻,易水や,漢初,李陵,蘇武の故事を持ち出すまでもなくw
    忼慨を詠う。
    長歌とは,そういういみであり, “高歌” とは,塞上にてうたう,うた。

    漢民族の,うた。忼慨し,命を捨てる,その時に歌う “言志” である

    rokoukyoua.jpg張鳦生《對月》

     
    わたしは最近知ったのだが,
    なんと21世紀になっても,2009年だ,ある日本の中國文學研究者は。

    こうした彼らの抗日戰詩を,嘲笑し,盧前らの民族詩壇や,南社詩人を侮り,

     新しい戰爭を詠えていない,と。

    近代戰は沙場,倭寇のような語でうたえるものか,・・・

    みたいな。
    論文書いてたが。
    わたしには,これこそが,日本人の,いつ,いかなる時代にも變わらない
    夜郎自大,
    その,根底にある,根底に蟠って永遠にのくことのないニホンジンの個性だと,

    惡いけれども考えている。
    わたしも日本人だが

    “文” を冒瀆し,言説の力を侮辱し, “うた” が,人間の,人體の,
    どこに作用するかを知らぬ。

    つまりは,ことばの力, La force de l'imagination を信じない。
    「漢詩」はわからないだろう,

    いつの時代も「漢詩」を花鳥風月を吟ず,ととらえるバカなニホンジン。

    その典型だ。

    「詩詞のような旧い文学形式を成立させている伝統的な美意識」

    などという,そのくせ,その “伝統”がなんであるかをしらぬ,
    知ろうともせず,「漢詩」をまちがった固定観念にまるめこんでしまっている

    おそらく,このひとは中國文學者でも

     屈大均も,夏完淳も,知らぬ,ゆえに,盧前,柳亞子はわからない,

    そういうことだろう,とは,わたしは,思いたいがw

    そうではなく,そうした忼慨詩,言志知ったうえでのこの侮蔑的見解なら・・・・・

    あいもかわらぬ。

    強姦略奪殺戮をほしいままにしたしたかつての帝國日本とその手足の軍,軍事を全く反省できない,中國侮蔑にこりかたまったそニホンジンの資質,ではあるまいか

    そして,つまりは大學の研究者もネトウヨ程度の思考力,ということになるのだろう。

    いわく。

     
    戦争はなぜこのように描かれたのか。
    『民族詩壇』に集まった文人たちがもともと現実を旧詩的な感性でしかとらえやられない人々であったからであろうか。
    そうではあるまい。彼らの多くはこの戦争を指導してきた政治家であり、抗日戦争の政治的本質や近代戦としての性格に無知であったとは考えられない。事はそもそも旧詩という形式を選び取ったとき、詩意識がそれに制約されて先祖帰りしてしまうことに由来するのではないか。
    旧詩の美意識からすれば、戦争は「蜂火」、日本軍を「倭兵」「倭冦」、戦場は「沙場」と書くのが望ましい。だが、そのように書いたとき、戦争の現実は花鳥風月的な詠嘆の世界に封じこめられてしまうのである。

    「旧形式に新しい内容を盛ることができるのか」という問題が、詩詞のような旧い文学形式を成立させている伝統的な美意識と、そのような美意識では表現できない内容との矛盾として、盧冀野の前に現れているのが分かる。

     旧詩詞という文学形式を選んだ時、創作者たちを繰り返し花鳥風月の世界に呼び戻してやまない、漢語という文学言語が形成してきた伝統的な美意識は、「民族」とか「偉大な時代」というような観念には無批判に同化できても、苛烈な近代戦争の現実を情緒的にしか描ききれない。
    旧詩やその発表舞台としての『民族詩壇』が抗戦文学史においてさしたる影響力をもちえなかったのも、そこに最大の理由があったといえるだろう。これが『民族詩壇』の文学的側面への一つの結論である。




    まったくはなしにならん
    というのは
    「さしたる影響力をもちえなかった」
    は,まだしもよいとして
    「旧詩やその発表舞台」
    という認識は。

    田壽昌,すなわち田漢だが,をも,南社をも,
    侮辱する言い,
    盧冀野,このブログでもとりあげてきた盧前そのひとだがw
    かれの詞牌,さえ眼中にない?ということか?

    マッタク「詩」をしらないひとがなぜ抗戰中の民族詩壇を,研究をする,しなきゃならんのか,

    という
    理フジンに
    あきれるが
    ちなみに公立大學の,公費を使ってナンキンにはるばる出かけて
    民族詩壇の詩を初めて讀んだ,という,彼が寫し取ってきた名前の多くは
    南社の著名詩人も多く,

    日本軍に殺された詩人もいる。

    この國に,いまもむかしも,中國の民族自決の裏にあった詩歌の存在を語る中國文學者がいない
    これは絶望的である。

    沙場という語,この意味を,ただ,復古趣味とおもうなら,
    ならば,この詩の含意,解らないのもとうぜんだが


    悄立營門人未識!

    江南の悲壮がこめられる

    《減字木蘭花 今從軍樂》盧前

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    竹内好(終) 『中國のレジスタンス』 ―中國人の抗戰意識と日本人の道德意識   鶴唳將導致 ,戰爭何苦行。

    ウィキペディアを改めてみてみると,この二年の間にかなりネトウヨ支配は薄まっているように感じた。
    これは一つ大きな希望である。

    WIKIPEDELIA,はおおくの目にさらされ,非官憲的,非営利的な民による民主的,在野的,『檢閲』によって,読みてのリテラシーによって鍛えられていく,という段階が確保されない限り,害,あるもの,でしかない

    多くは,そのアクセスの簡単さによって,萬人に開かれた,そして便利な,
    有益のものであると信じたいが,

    こと日本の,近代史の項目に關しては
    まったくリビジョニスト,夜郎自大ニッポン人の自慰史觀,の發信據点になっている
    彼らの編修のたくみ,リビジョン能力には驚くばかりであったが。

    つまりは,そういう恣意的編集を可能にさせているのが,そもそもゼッタイ的多數のムカンシンであるとすれば,
    ・・・・・

    みなさん,どうかそのムカンシンを貫いてください・・・・などといいたくもなる
    はは

    そういうアンビバレンツな感情を
    いかんともしがたい。

    わたしのブログは,

    特定の歴史観をそもそも持ってないヒトはどうか讀まないでほしい
    もしくは日本の近代史に深く根深く知り調べていくキ構えがないなら讀むだけ無駄である

    というのは,わたしのごくまじめな本心。心の底からおもうのである。

    ほんとうに底知れぬ日本の闇を見つめる
    そのキがないなら,中途半端では必ずや,ネトウヨか,りべらる,にからめとられて “自分” を見失うだけである

    それほど,ジツは,日本の,今,流布する日本近代史というのは,いいかげんなものであり
    巷間,いわれる,

      歴史認識に正解なんてない,
      勝者の歴史と敗者の歴史は正反対だ,
      それはあなたの見方にすぎない,あなたの考えを押し付けないでくれ


    というような一見至極まっとうな言説を,おとなのスマートとして
    ――それは確かにその通りなのだが,――
    それがムカンシンのいいわけや忘却のアリバイになっては・・・・・。
    はっきりいおう,

      からめとられてバカになっていくだけである。

    わたしが書くことは
    りべらる VS ネトウヨ,の対立ではもちろんなく
       左 VS 右,でもなく
      白黑 VS アカ,でもない

    そうではなく

    ムカンシン VS コダワリ
        忘却 VS 自省過去,

    の對立である

    しかし,それが,自己の自由の根源をわけいり,自得するよすがになるとおもうから

    わたしの肆言無憚は,無所顧忌,である。

    目をそむける,そういう日本人がおおい,
    日本の近代史を知らないニホンジンがいかに世界では奇異の目で見られているか,

    世界基準からおおきく外れた
    ブザマなものであると,わたしは思っているが,この,日本の近代,
    というものをしっかりとらえて自覺する責任が日本人にはある。
    そうでなければ。

    世界の大地にあって, “民” ではなく,
    ただの,ニホンジンでしかない,ということだ

    ・・・・・
    このことに,ニホンジンがキづくには,次の人間浩劫をまたねばならないのか?
    それとも日本人という特殊性だけを,記憶を喪失したまま,ただ愛しつづけるか?


    わたしは,
    やはり,わたしは愛國者ではないのだろう

    しかし
    ネトウヨと日本大好きニンゲンにはわからない, “國” の愛し方もある。

    それは,わたしの言う “國” は,國家でなく,ただの “社會”,ということかもしれない
    あるいは,單に土にすぎない,ということかもしれないが
    ヒトと,空,と土, “自然” ,これは「しぜん」というニホンゴ漢語ではなく,
    “自ずから然れる” 萬物,である

    天下地上,人間(ジンカン)萬物を愛することであって・・・・・

    “國” を愛していない,

    わたしはとりもなおさず國家を憎惡しているにすぎない,
    といういいかたは
    これはこれでわたしは非常に納得できる。

    大いにそれを受け止め,肯定したいと思うがw
    わたしは浩汎の意味で,

    “社會” 主義者

    なのである。以下は二年前の投稿の再掲だが
                 20170712



     ファシズムは現實のパンである。
     ファシズム反對は,描かれたパンである。


    今から,66年前,敗戰四年後に書かれた古めかしい,評論を,突如はるばる
    引っ張り出してきたのはWEB上に加害の事實を,或いは見解を書いているもの
    が,量として壓倒的に少ないため,すこしでも増やそうという,はかなくも
    無奈の奈落のそこからの・・・
    動機からくる枉費だ。
    寫していておもう古色蒼然。
    戰後長い時間を經て“進化した”,“社會と經濟”の繊細な議論からすると
    こんなの古臭い,見劣りする,と,一般的には感じられるだろう,單純素朴な謂い。
    “社會思想”。コクミンブンガクの竹内好であるが。

    しかし,ミゴトに,安倍政權と時代にフィットしてしまう,という。
    オロカしくもオソロしくオカしな日本の現況にあきれもする。

    いまは時代がちがう,日本を取り巻く環境が困難,ともいいつのる回歸シュギ。
    素人が作ったものを押し付けられた,だからもっといいものを作る,と,イキマく
    憲法アルチザンたち。
    先祖ガエルや,岸ガッパが,戰後レジメ,もといレジームを否定するなら
    こちらも敗戰直後の古色古香につきあってやるよりほかないぢゃないか

    戰後すぐの論調に汎くあった(近頃の朝日夕刊の連載『新聞と九条』によると,だ)
     “たとえ日本が侵略されて滅びるとしても,もう二度と侵略する國にはもどらない”

    だから武力の放棄なんだ,とにかく戰爭はゴメンだ,まして・・・
    という斷固たる基調,深く悔いた民の間に遍在した,平和への發意發念
    であったとおもう,それを否定して,踏みにじろうとしているわけだ,ちかごろ。


    人道に對する罪をその固有の意味において追求し,鏡にうつされた
    自分の野蠻さを,目を背けずに見つめ,その底から自力で起死回生
    の契機をつかむものでなければ,その苦痛に堪えるのでなければ
    わたしたちの子孫が,世界市民に加わることを望むことは出來ない



    竹内好のこの論考,は今日で引用が終るが・・・・その最後の一文。
    が,いっそうの忉怛の響きをともなって,
    ははは
    “わたしたちの子孫” たるは畏懼し,
    そして竹内好を,沮喪灰心させざるを得ない,

    そういう辜(つみ)負う子孫である。


    日本人中國文學者からの告發 

    林語堂の小説Moment In Peking 』瞬息北京, もしくは『京華煙雲 』(中國版)
    という小説,日本では一般的に 『北京好日』として知られる,1939年から1940年
    にかけてアメリカで大ベストセラーになつた小説。この小説について書かれた,
    竹内好の六章からなる小論を, 『内なる中国』 (筑摩叢書三百八 
    1987年初版筑摩書房)より,第二章から引用してきている

       *煙雲 yānyún とは 變化消失的事物,事象の比喩。つまり現題は
       “永久に續くものではない,中華の京城(北京)の時間”,
       という意味だ

    『京華煙雲 』


        『中國のレジスタンス』  竹内好 1949年

     


    毛澤東と林語堂とは,イデオロギイ的には,對極に立つ人である。
    それは國民の最左翼と最右翼を代表する。
    中國の抗日民族統一戰線はこの両翼を結ぶ線である。
    その統一の物質的根據は,言うまでもなく,民族の獨立と言う共通の利害であった。
    その二重性格のゆえに,毛澤東と林語堂は,それぞれ異なった反應を示しながら,しかも根本において結ばれていた。
    その結びつきの點が自力抗戰である。もしかれらが,他物に頼ったら,自力交戰と言う自覺には達せず,したがって結びつきもでてこなかったろう。
    かれらは他物にたよらず,また相互にもたよらなかった。
    かれらは,追いつめられた自分をテコとして自分の生きる道を發見した。
    林語堂はモラルの優位において,毛澤東は生産力の逆轉による優位において,抗戰勝利の確信への契機をつかんだ。
    そのことは,かれらが倫理主體として獨立し,獨立していることで互いに排除しながら,互いに含みあう關係にあった,ということである。
    毛澤東は林語堂を含み,林語堂は毛澤東を含んでいた。
     「德あるものは水を銀(お金)に變える」と言う林語堂の価値観は,そのまま毛澤東の,無から有を生む戰術*に當てはまる。
    一方,共産主義者としての毛澤東は,反共産主義者である民族ブルジョワジーが,抗日戰争において最後まで自分に協力することを確實に計算に入れている。統一は算術の和ではない。

    價値體系の一致でなければ統一とはいえない。

    そうでないものは妥協であるに過ぎない。中共は,利をもって民族ブルジョワジーをさそったのではなく,倫理の高さで相手をひきずりこんだのである。

     *これはつまり,とうじ,帝國日本がその支配下において
     阿片を專賣,巨萬の戰費を稼げば稼ぐほど,戰鬪に勝つことで
     中国側反日戰線が分捕ることのできる武器彈藥は増える,
     と言う皮相の事實と,
     抗日根據地では阿片の禁制を徹底した,と言う
     世界的には,”認識”されている倫理的事象の事實,その雙方を言う
     のだろう。
     
     したがって,前頁で最後にわたしがふれた ような「モノ」に書かれている 
     ことを,マッコウ疑いを持たず信じている人たちにとってはw,
     前提となる事實 の “認識” が,マッコウ違いすぎるので,この一文は
     (モチロン以下に續く文章も)
     當然意味を成さないもの,となる―ネトウヨは讀むな,と言うわけでは
     ないが・・・w(玄)



    中國の抗日民族戰線の土臺となった國民倫理の高さに比べると,日本にはほとんどそれが欠けていた。
    戰爭を倫理的側面からばかりみるのはまちがいだが,倫理的側面を見ないのも間違いである。

    日本の軍部は,ナチ流の技術をもっていたが,中國軍閥程度にしかその技術を使えなかった。
    だから中國の軍閥をたおした中國の革命勢力(それは世界の民主主義勢力につながる
    )によって倒されたのである。

    このことは教訓的である。

    人は利益でうごかされるが,利益だけで動かされるのではない。
    徳のないものは銀を水に変える。
    人を利益だけで動かしうるとかんがえるものは,自分が利益だけでうごかされている人間である。

    ファシズムは獨占資本の暴力による収奪の形態と言われている。
    しかしそれは,國民的規模において現れるので,したがって一方から言えば,國民の素質がファシズムへの向背を決するともいえる。經濟的条件から見れば,国民の一般的貧困がファシズムの温床であることは疑い得ない。

    しかしファシズムは,逆に國民を貧困から救う形をとって現われるのである。
    餓えたものは食を選らばない。
    それが,獨占資本の超過利潤のおこぼれに過ぎないと教えられたところで,喜んでおこぼれにとびつくだろう。
    げんに飛びついた。
    ファシズムは現實のパンであり,ファシズム反對は,畫かれたパンである。
    ファシズムとの鬪いの困難は,それが現實の繁榮の犠牲を伴うことにある。
    相手が鬼の顏をしてくれば,誰でも逃げること知っているが,福の神の假面には容易にだまされる。
    げんにだまされた。

    福の神を期待する心理がファシズムを招く。
    ファシズムの根である社會惡を除くことによって,ファシズムは除かれるだろう。
    しかしその社會惡を除くものは,社會惡の中にいる自分以外にはないので,もしそれが自分以外の他物によって除かれるのを期待するならば,つまり,苦痛をともなわない繁榮だけを期待するならば,その期待は逆にファシズムを呼び込むことになる。
    戰爭は各人の心に發する。
    と言うのはそのことであろう。
    ファシズムは収奪の形でなく,惠與のかたちであらわれるのが特徴だから,自主性のない,目前の利益のみを追う國民は,ファシズムとは徹底的に鬪うことが出來ない。
    ファシズムに反對するつもりでいて,ファシズムに巻き込まれてしまう。
    救いを求めるから救われないのだが,逆に救われないから救いを求めることになる。
    この惡循環を斷ち切る契機を發見しなければ,民族は自滅するばかりである。
    侵略戰爭が國民の價値意識を混亂させ,林語堂に告發されたような,道徳的不感症を生み出したことは事實だが,同時に國民的道德意識の低さが侵略を可能にしたともいえるのである。
    そして,それが今日でも,まだ自覺されていない。
    (たとえば張群の『日本視察後の印象記』を参照。)
    人道に對する罪を,平和に對する罪に解消させれば,肩は輕くなるが,問題は片付かない。
    人道に對する罪をその固有の意味において追求し,鏡にうつされた自分の野蠻さを,目を背けずに見つめ,そのそこから自力で起死回生の契機をつかむものでなければ,その苦痛に堪えるのでなければ,わたしたちの子孫が世界市民に加わることを望むことは出來ない。


    追記;
    日本の軍人と密輸商人とが麻藥を持ち込んでいたとき,また,日本の學者と文學者の多くが,科學と藝術の名で侵略戰爭のための作戰協力していたとき,中國では,數十萬人の勞働者と市民と學生とが,「東亞共栄圏」治下の安穏な生活*を捨てて,奥地に放浪を続けた。
    彼らは,パンよりも自由を求めてこの民族的大移動を行ったのである。
    林語堂の小説『モメント・イン・ペキン』の續編 『嵐のなかの木の葉』 “A Leaf in the Storm”(中國名は『風聲鶴唳』)はその一端を描いている。この小説は日本にまだ譯されていない。 

           一九四九年五月 

     『知性』五月號( 国土社刊行)に発表。『竹内好全集』第四巻にも収録。



    * 『東亞共栄圏』治下の安穏な生活
    とは,東亞共栄圏が安穏な生活をあたえた,と言う意味ではない。

    “安穏な生活” をすることが出来たはずの者たちでさえ,放浪した,
    “パンよりも自由を求めて”

    と,言う意味である。
    と,こうした言葉を,今日のネトウヨのごときが細切れの言葉を拾い出して
    杜撰な“レキシ” を,再構築しよう,Révisionしょうと,
    コピペーを繰り返すなど,
    よもや思わなんだろう。
    自分の著作を, “細切れ”と歪解によってネット上にさらされたあげく,
    けっして讀まないであろう多くの目にさらされ,
    自らのおもいもよらぬ論調にくみこまれる,などという時代が
    やってくるとは・・・。

    その語,不用意とも誤解を招くような語とは,わたしにはけっしておもわれない一語すら
    (本や,章の全文を讀みさえすれば自明のことなのだ)恣意的な引用のされかた
    によってねじまげられる不幸を,ほんとうによく目にするのである。

         2015-05-22 

    テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤④ 盧溝橋上高歌起

     侵略最小線 不治不感症

    漢口から飛び立った中國空軍機が投下したビラのはなしを前回書いた。

    一九三八年五月十九日,この頃に
    郭沫若 は,南京事件の,帝國日本軍による殘虐行為,非道のアトローシティを
    國際社會へ訴えるべくして,
    テインパーリー『外人目睹中之日軍暴行』 の序文を書いていたわけだが。

    nanjing13.jpg

    昭和十三年,この五月。どういう時期か,というと,大陸ではかの有名な
    「徐州會戰」が展開されていた。

    盧溝橋の発端となった駐留軍ではなく,その後日本が矢つぎ早に送り出した,
    北支那派遣軍と中支那派遣軍によって大胆な包圍線を仕掛けたのが四月のこと,
    ビラにあるが,郭沫若言うところの板垣師團が中國軍の激烈な反抗に會つて失敗
    した包圍線である。
    日本としては,最強を誇る板垣師團によって,

    「南京攻略の“一撃”で屈するはずがいまだ反抗的な,中國軍」を

    殲滅させようとした。

    徐州というのは,いわば,衢地である。
    鐵道路線の東西を横斷する隴海線,南北を縦斷する津浦線が交差する最重要の地であるが,

    帝國日本軍は 予定した
    “包圍して殲滅”こそできなかったが,
    そのあたりの,要衝に巣くう中國軍を蹴散らすことが出來た。
    帝國日本軍の犠牲は大きかったが,日本は兩鐵道を確保し,五月十九日徐州を占領する。
     
    つまり郭沫若は板垣師團を殲滅したというがw
    實際には對線した湯恩伯・孫連仲軍
    は退却し華南に再集結したのである

    この文脈をどうとらえるか,は

    あなたがネトウヨか,そうでないかによって微妙に違うだろうが。

    わたしがいいたいのは,考えたいのは。
    つねに知りたいのは,これだけはいいたい,というそれは

    中國大陸に生まれ,中國大陸に活き,大陸に住まう,“民” ,かれらはどういう考えだったか。

    である。

    その土に。
    落地生根して,逃げることもできぬ,農民,老人,女コドモ
    彼ら,民の根本, “國本”を自ずから成す彼ら生民の多くはどう考えていたか

    である。

    それは外交記録と日本側の言い分を讀んでるだけのネトウヨには,ゼッタイわからない
    ネトウヨとはネット上の言説だけを頼りにする人種wのことではあるが。

    國共合作後も蔣介石軍の將校すべてが,勇猛果敢にたたかった,というわけではかならずしもない。
    兵卒の士氣は高かったが。

    蔣介石とその周遍の幹部たち,國民黨軍の將校クラスも高かった,
    と言うためには,
    すこしレトリックを要さなくてはならないのでw,そこははしょるが。
    が,
    それゆえ,北九州への戰闘機飛來を知り,ビラを拾った日本側が
     「敗戰支那の兒戯的な行為だと一笑に附した」,と
    いうわけである。

    このとき内閣は近衞文麿
    ,この直後に内閣を改造する。
    朝鮮総督をつとめ二・二六事件のあと内閣を組織するはずが,
    陸軍によって阻止されちゃったw宇垣一成を外相に,
    また六月には最前線の戰場から板垣征四郎を呼びもどし陸軍大臣に任命している。

    この宇垣外相とは。たとえば。

    例の,南京を屠った帝國日本軍について,有名なことば,
    これが皇軍か*
    と悲憤した,石射猪太郎が,
    期待をもって,宇垣外相に『今後の事變對策に付いての考案』という有名な意見書を,提出した,このことからもわかるように,

    宇垣一成は中國の民族自決の動きを深く認識し,(ていたといわれるし),尊重し(ていたといわれるし),
    帝國日本は,中國の民のそうした抗戰への民族自決的自覺,愛國心,この動きをむしろ支援するべきである,といった考えを持っ(ていたといわれる),
    そういう,
    日中戰爭下にあっては,かなりめずらしい政治家,である。

    “支那はあくまで支那人に”,という,
    これが帝國日本の根本思想である,と
    信じていたwひとり,(といわれている)。
    もしくは,
    あるべきであるwという考えを持っていた(といわれている),
    數少ない一人である。

    當時は日本においては,
    軍も政治も民も
    「中國の分割統治,さしあたりは “北支” を植民地化する,」

    ということの,是非,また成否を,吟味するどころか,
    當然視して,恰も既定のこと,あわよくば,と。

    中國全土を手中におさめるだろう,そのことに,何の疑いをも持たずそれを欲しているのが大勢,という。
    帝國日本という國家,と,その日本の臣民である。

     *石射猪太郎が南京虐殺をのあり様を聞いて,翌三十八年一月六日の日記に
       「上海から來信,南京におけるわが軍の暴状を詳報し來たる。
       掠奪・強姦,目もあてられぬ慘状とある。嗚呼,これが皇軍か」

      としるしたこと

    じつはこのとき,
    中國の情況を目の当たりにして分割統治など,とうてい無理だ,
    とわかっていた人たちは,ひょっとしたら宇
    垣外相の就任で事態は収拾に向かう,と考えた期待したのではないか。

    廣田弘毅がおこなっていた軍と一心同體まさに同歸於塵wのシリメツレツ外交に,轉機が訪れる,のではないか,・・・・・と。
    かの惡名高き
    『爾後國民政府を對手とせず』
    は,ここで修正されるのではないか,・・・・・と。
    期待した人もおり,そして,

    このときが,或いは軌道修正の最後のチャンスだっただろう,

    たとえば國民黨政府の
    行政院長である孔祥煕 と,宇垣外相の水面下の交渉が始まっている。

    例のビラを撒布した飛行士の凱旋,漢口であったその歓迎會での談話で

      「我々が日本に飛行しても爆彈を投下しなかったのは,人道的見地からである。中國は文字の國 であるからビラで戰爭の無意味さを訴えたのである。日本軍は中國の文化施設や病院などに爆彈を投下しているが,これは國際法はもちろん人道にも反する行為である。このような日本軍閥の軍隊に對して中國は自由と民主獨立を擁護するために勇敢に戰うであろう」

    と,述べていた孔祥煕である。

    あくまで
    郭沫若周恩來などがよってたつ基盤,そして,中國と言う “國” の大多數を占める,農民,勞働者,學生・・・・・大民衆の意思であって,ビラの言文はそれを代表しているわけだが,
    そのじつ,
     蒋介石ら國民政府は必ずしもそれを望んでいたわけではない。

    ということをかきそえるが,それは,

    その,國民黨政府の孔祥煕,ですら。

    このようなことを對外に表明した。

    この表明を宣戰布告にちかいもの,と考え,また,あのビラを,以て宣戰,とわたしは書いたが,
    それは,ここを強調したいからである。

     そうした抗日戰爭を戰い抜くこころざし,―“同歸於盡―死なばもろとも”
     その決意で團結,布防した,民の存在こそが,
     あのビラを作った,郭沫若や夏衍らのバックボーンだった

    からだ。

    こういう書き方によって,少し思考力あるネトウヨなら,わたしが,反論の餘地ない狡猾な書き方をしていることがわかるだろうが
    (したがって思考力のないネトウヨは,無用のコメントはどうか,御遠慮ねがいたい)

    とはいえだ。
    話を戻すと,
    しかしながら,中國の民衆レベルではなければ,政治外交上は
    たしかにわずかな,交渉のひっかかり,糸口というものが,帝國日本にも,國民黨政權がわにもあったはずである,

    さらに宇垣外相の意をうけ,香港では,香港の帝國日本の領事らが,
    漢口から派遣された『大公報』 (新聞)の主幹である
    張希鸞,を通じて水面下にさまざま折衝をおこなっていた。

    このとき日本側が接しえた,
    中國の抗戰意識を冷静に客観的な立場で説くことができる,
    しかも蒋介石側に信頼を得ている人物,として

    張希鸞は,最適最良であったろう,が,
    このとき,このときでさえ,も,
    帝國日本側は,まず中國側に譲歩できるところのない主張をし,そのうえ,蒋介石の下野を求めた

    あろうことか,
    ―― つまりカミクダいて書くならw

    まず,まっさきに 
     他國の最高指導者の下野を求め,そうでなければ,何が起こるか責任もたん,

    と恫喝したのである。
     
    張希鸞が日本側にのべた主張は,

    『日中戰爭―和平か戰線擴大か』臼井勝美著(中公新書1967年)
    から引用する

     それ(張希鸞の發言)は大公報の責任者たるにふさわしく,もっとも正鵠を得た分析であったといえよう。

     中國は,日本の壓迫がやむまで,あくまで抵抗する,抗戰の意識の高揚と
     旺盛な團結心は 中國人自身が驚いているほどであって,日本は中國に
     政治的中心があることを知らなければならず,また國民政府の實力を
     再認識しなければならない,
     この認識にたったうえで,まず内政不干渉の原則が兩國間に確立されるべきで,
     (日本が)中國に對して共産黨排斥問題を持ち出すのは,
     中國が日本にファッショ化を警告するのと同じように内政干渉である,
     さらに蒋介石の下野の如きは,中國にとって全然考慮の余地がない,
     
    と,張は述べた

            

    そういう張希鸞の主張だ。
    じつは
    こうしたことを,終始一貫して,中國側は,おりにふれ,なにかあるごとに訴えていた。
     
    この大公報は中國の大新聞だが,この新聞が,
    盧溝橋事變の少し前にこのような
    ことを主張している。社説,というか論説のていさいだが,

    ついでに上記の中公新書『日中戰爭』から轉引する。

    日本側のいう“北支”なるものは,日本の歴史よりも古い時代から中國の土地でありわが民族が居住生活してきてから,すくなくとも百數十代經過している。
     そして中央政府とは,一國の國家組織にあつて當然具有すべき最高機關であり,それが領土内において政令を施行することも又當然のことである,然るにいま“北支中央化”をさして直ちに抗日であるとし,更に排日,慢日行為であるかのごとく日本側で言っているのはあまりにも中國を蔑視した誤論であり,中國國民として憤激にたえないものである。



    この北支中央化とは,つまり

      國賊の殷汝耕ら,帝國日本の傀儡である,翼東防共自治政府を,
      我々はだんじて認めない,
     
    ということで,

      あたりまえだろう?そもそも北支は中國なんだから,

    と,この論説は言っているわけである。

    中國の全土,全國民に向けた,また,日本へのメッセージであろう。
    北支の日本化を畫策し,軍官民一心となってさまざまな策謀を仕掛けていた頃,
    である。
    言ってみれば,例の關東軍子飼い傀儡の北支の“政権”に,権威付けしようと北支の「滿洲國」化,を謀略によって認めさせようとこころみていたころ,
    三七年,七七事變の前月六月の末のこと。


    まるで子どもを諭すような口調だ,が,今日,
    わたしはまったく納得できる言である。
    中國の文化界,言論界から,發せられたこのテの言説を知り,讀むたびに,
    わたしはくりかえしおもう,のだ,
    かれらはいったい誰に向けて言ってたのだろうか,と。
    誰がこれをうけとめたろうか,と。
    ニホンジンの誰が,こうしたことばを,

    當時も今も

    だれがうけとめうるだろうか,と。


    ほんとうに,昔も今もニホンジンは,こうした言葉から目をそむける。
    のである。そむけつづけるのである。
    それはなぜなのか?無知によるのか?其れだけだろうか?


    わたしにはわからない,中國に思い入れなどないひとにとっても
    これは「日本の歴史」であるのだが。


    こうした中國側から發せられていたメッセージを讀むことができた立場の人は
    當時限られるのかもしれないが,

    こうしたことば,がとるにたらないものにしか感じられ
    なかったのだろう,日本人。

    その心の中は,・・・・「侮蔑心」でいっぱいだったのだろうか?

    帝國日本の外交に,もしも理がある,というなら,

    ことを擴大させずおさめていこう,修復していこう,という熱意も,当然あってしかるべき だろう?

    中國側に譲歩できるところを,さがす。

    これはいまの時代だから,だからいえる國際的外交のメソッドなのだろうか?
    そんなことはない。

    とうじ,世界では,こうした國際間の,,武力行使や紛糾紛爭を,
    できるかぎり避けようと,模索を始めていた。

    それはとりもなおさず,第一次世界大戰の尋常ならざる悲劇を經て

    まがりなりにも,
    人類が,到達する理念として共有し始めようとしていた・・・・・
    そういう世界の潮流があった。

    ということである。
    いわば,文明の,武力行使のあとの ,あるべき “文” 化の, “橋頭堡” であったはずである,國際社会の “理” 性

    このことを理解するかしないか,は
    『信じられるか,信じようとしないか』,の不毛の神学論争というところにまで,
    ねとうよたちによって貶められてしまったわけだが
    これが,いわゆるジギャク史觀と,
    自慰史觀とはなぜか言われない帝國美化史觀

    その分かれ目,結界であるともいえるのだが。

    それは日本の “理” がいまだ世界基準にとどいてない,という
    ことを表す絶望的病態の証左
    としかわたしにはおもえない。

     中國側に譲歩できるところを,さがす。

    それが,他國を蹂躪し,他國の首都を屠った,多くの無辜の民を虐殺した日本側のあるべき立場ではないか?
    わたしは單純にそうおもったし,當時,同時代にあって,國際社會も,そう考えた

    帝國日本の立場を理解する者はいなかった
    今もいない。

    そう考えた,中華民國側と,國際社会。
    そう考えない帝國日本。

    理解すべき, は,日本の主張のどこにもみあたらない,と,国際社會は斷じたのである

    ところで,この文化と言う漢語。
    日本では正しく理解されていないが。

    “文” 化もひろい意味での統治メソッドを意味することば,である。
    治世,と言う言い方がより,正しい,いや,より嚴密かもしれないが
    武力による統治の,つまり戰いのあとには文もて治める,それを “文化” というのである

    それは,中國文人の三千年來の “理” 性,であり信念でもある,ということでもある

    この日中戰爭,國家存亡の秋,にあって
    古來,お上,國家の苛斂誅求に馴らされていた民は,
    權威に從うのではなく
    ――革命によって淸朝をたおした民たちである,――
    より自發的に,なにが今,もっともだいじなことなのか,考え,
    感じ取り,文人たちの言葉を受け入れていった。


    人々はよくそれにこたえて,抗日をためらう蒋介石を説得し,
    抗日に舵をきらせたのである。
    そこには,はっきりと,中國の民主的思想が育っていたといえるだろう。
     
    抗日は割に合わないうと考える,“利”で動く,いわゆる “漢奸” といわれるひともいたろう,

    しかし多くは,
    林語堂の『京華煙雲 』(北京好日》 を論じた文章で 竹内好が書いたような
    “現實の,食えるパン” ,よりも,“畫かれたパン” を選んだ。
    この,
    “畫かれたパン” とはなにか?

    “理想”である。
    “理” を想う,
    理のありどころを思慮する,ということだ

    しかも,
    ニホンは神の國,無敵な,という皇國神話的 “理想 “ではなく

    利,で動くのではなく,,“理” にしたがう民

    そして,彼らの “理” “想” 理を想う心はは 日本に屈することを選ばなかった。
    斷じてそれは望まなかったのである

     ☞ 竹内好⑤ 『中國のレジスタンス』 ―中國人の抗戰意識と日本人の道德意識

    反面,日本の洋装を身につけた知識人は西洋の何を學んでいたのだろう,そう思わざるを得ない。

    大公報のように民衆にアピールし,ともに抗日を呼びかけ,たちあがれ,と
    鼓舞していた新聞,言論。
    郭沫若ら文人がペンの力で以て,民族を起ち上がらせようとした,奮い立たせた,のだが。
    そういう精神。理念,理性。

    まさに當時帝國日本と同じ,だ。精神
    が,異なる “精神論”,ゲンロンでもって。
    だ。

     祖國をまもろう,國家の存亡を共にしよう,親,兄弟,兒女,友人,戀びと。
     大地を共に生きる同胞のために命を捨てた義勇兵の “精神論” と,

     昭和,銃後の精神論。カミカゼ,特攻,人間魚雷に発展していった
     民を自爆テロに驅り立てる言説。
     インパールで,死屍壘壘の白骨街道,靖國街道へと突き進んだ,セイシンロン。


    八紘一宇?
    笑わせるな,と言いたい。
    大東亞?, “小日本” のトンヤンクィ。小國の夜郎自大な亡國論だ

    特高や治安維持法によって,いかにがんじがらめに默らせられたとしても

    このセイシンロン。
    彼我の違いは大きい。

    このふたつの, “國” において信じられてしまったセイシンロンのどこがちがうか?

    似て非なるものである,そのちがい,とは,なにか?

    “理” である。

    かの地に “理” があり,この地に “理” が無かったのである

    いたって單純なことである

    甘んじて屈することをよしとしなかった理由には,
    中國人は病人じゃないという自負,それへの覺醒,自強,督励

    勿論,
    中華民族の四千年の歴史,中華思想,という,
    いま,日本人からすると鼻持ちならない傲慢にみえる,矜持かもしれない

    しかし當時,

    中國の民は前世紀からの帝國列強と帝國日本の侵略により痛めつけられ,

    「東亞病夫」と侮蔑され,つづけた民である。
    その人間(ジンカン)にあって
    中国の民主的文人,抗戰を組織した文人は,革命前から中國の病態に,憤り,悔しさに,歯噛みしつつ,いくども,いくども,絶望もしかけた文人たちである

    そして何より,民にとっての,理屈ではない肌感覺。
    明日を生きるためには帝國日本人に使役されねば,ならない,という
    不条理。
    奴隷とされ死ぬことの恐怖

    四千年の居住は根拠のないものではない。
    北京が中国の土地であることは言うまでもない,
    かれらの条理は,

    中國は,中國の民の “くに” ,である

    ということにつきる。
    それが中華民國であったし,孫文というまあいわばアイドルのような存在だが,
    彼の三民主義には“理” があった

    そして日本から中國に出かけていった人たちの根據は,それほど大義あり,
    世界の誰もが納得できる論據,理性にうらづけられたものだったのか?
    その根據とは何か?


    その「“理” のないなさ」 を象徴してあまりある夜郎自大の言説を紹介しておこう

     
    一九三六年,この大公報論説が書かれた一年前,滿洲事變五周年紀念に
    関東軍司令官が起草した 『滿洲國の根本理念と協和會の本質』
    題された極秘文書があるそうだ
    これも上記の本から引用すると

    皇道によるわが帝國の世界政策」は,一人燦然と輝いている,と
    規定した,そして日本民族の選ばれた民族であるゆえんを

     「じつに大和民族は内に優秀なる資質と卓越せる實力を包蔵しつつ,
     外に寛仁もて他民族を指導誘掖し,其足らざるを補い,勤めざるを鞭打ち,
     まつろわざるをまつろわせ,もって道義世界の完成に偕行せしむべき天与 
     の使命を有す。」


    と強調し滿洲建國は,八紘一宇の思想を権限する使命をもつ大和民族の
    世界史的發展過程における第一段階であり,逐次中國に,インドに,濠州に
    シベリアに第二第三の満州國を建設することを日本の使命としたのである。


    (・・・まるで大川周明ぢゃなくて隆法だ,その靈言まっつぁおの獨善的虚妄に
    みちたおそるべき言説だが・・・・)
    さらにつづいて


    この文書の重大な意義は,満州國皇帝(執政溥儀は一九三四年
    皇帝となった)の地位を明確に規定していることである。

     すなわち,満州國は皇道連邦内の一獨立國で,『滿洲國』皇帝は天皇の
     御心に基づいて帝位についたのであって,皇道連邦の中心である天皇に
     仕え,天皇の大御心をもって心とすることが,在位の条件である,万一皇帝
     が大御心に反したような場合は,天意により即時其地位から追放される,
     と皇帝の地位を明確に指示した。

    『日中戰爭―和平か戰線擴大か』臼井勝美著(中公新書1967年)

    こういう “使命感”にみちみちた ,妄想の陸軍,盲動一色の關東軍,そやつらがおこした侵略戰爭,
    というのが今日の日本の認識であって,それは確かにそうだと思う,
    しかし・・・・。 
    日本の最小抵抗線ならぬ,最小侵略線はなにか,といえば・・・・やはり關東軍
    だけではない。
    天皇から,はじまって,帝國日本人の総意だった。
    それは林語堂に言うところの日本人の道徳的不感症。

    そして

    それは今も同じである

    もしもあなたがネトウヨでないなら

    南京事件 Nanking Massacre をウィキペデイアでしらべてみるといい。
    日本語版をしらべ,他国の言語,そこにはアラビア語から數十か國語のヴェルジョンがある
    言葉がわからなくてもならべられた畫像を見ればよい
    いかに日本のウィキペディアだけが,画像が少ないか。
    ヘイトスピーチや週刊誌の見出しに代表される反中,嫌韓が蔓延している現状やはり中國蔑視,亞細亞蔑視
    以外のなにものでもない
    そして考えもせず,知ろうともせず,

    昔のことをいつまであやまらなきゃならんの?

    とかんがえ,それを,へーきでことばにするニホンジン。

    當時はしかたなかった?
    いたしかたない,一般のひとはなにも知らなかったのだし。
    日本の言論界は暗黑に閉ざされていたし,

    とおもって,そして思考停止に陥って,
    戰後日中戰爭の実態を知ろうとせず,美化史觀を盲信するネトウヨと,そのネトウヨにごまかされる,大量の民を生み出した。
    この期に及んで,この無知と忘却,この罪孽が,
    はびこり,はびこりつづけた結果安倍政權を生み出したのだが。




    rokoukyouh.jpg

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    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤―「囘想は“鶴”,要塞をかがやき翔 び」(續)郭沫若・夏衍のビラ投下

    1938年,南京城市を屠られて,蔣介石國民黨政權は長江を遡り,武漢に移動する

    こんなエピソードがある。
    中國空軍には當時,まったく,笑えるほど餘裕がなかった餘力がなかったが,
    一度だけ北九州に飛來したw
    中國空軍のマーチン重爆撃機は爆彈は落とさず,大量のビラをばらまいて
    いっただけである。

    ちょっと話がそれるが,このときのことを書いておく

    なぜなら,ネット上では紙爆彈を落としていった,と書かれているからw

    よーちなネトウヨに

      それを中國では爆撃したとかいってやがる
      ワロタ

    みたいな文脈でかかれてるんだろーw

    みなさんよくごぞんじないだろうから一応書いておくと

    あれは紙爆彈ではない。

    “檄” ,である。
    もしくは,傳單,ビラである
    いや,もしかしたらあそびごころだったのかもしれない。
    いかにも,郭沫若,鹿地亘といった人たちが思いついてやりそうなことでは,あるw。

    まあどう感じるかは價値觀もしくは好みのモンダイだ。

    しかし。
    「事實」はこうである。

    一九三八年五月十九日に出撃した中國機は,長崎その他の都市に,照明彈
    を投じ數万枚のビラを撒き,二十日凱旋した。

    この,ビラ投下撒布は,当時の日本の新聞にはまったく報道されなかったが,
    唯一『特高月報』だけが報じたと言うハナシ。

    そのビラには 郭沫若,鹿地亘 の署名がはいっていた

    マナジリ決して國民精神総動員な日本の文學者の報國文學よりも,わたしには
    こうした文人によるビラ投下のほうがずっとステキなのことのように想われる。
    とそれはさておき
      
    以下 川勝一義氏の
    【『淘(よな)げられた歴史』―東北「滿洲」抗日軍の鬪い】
    から引用する

     一九三八年<昭和十三年)五月十九日未明,中國大陸の漢口飛行場から飛び立った中國空軍のマーチン重爆撃機二機が,二十日午前四時十四分ごろ九州の熊本県佐敷監視所上空を通過して,長崎市や延岡市など三十箇所の市町村に反戰ビラ數万枚を捲き,九州を横斷して引き上げる,と言う事件があった。

     この中國機によるビラ投下事件を,當時日本の各新聞は,一行も報道しなかったが,中國はもちろん海外で大きな反響を呼んだ
     彼ら飛行士たちの歓迎大會が漢口飛行場で開かれ,孔祥煕,何應欽をはじめ空軍司令など多數參加した。歓迎會席上の記者會見で孔祥煕はつぎのような談話を発表した,

     「我々が日本に飛行しても爆彈を投下しなかったのは,人道的見地からである。中國は文字の國 であるからビラで戰爭の無意味さを訴えたのである。
     日本軍は中國の文化施設や病院などに爆彈を投下しているが,これは國際法はもちろん人道にも反する行為である。
     このような日本軍閥の軍隊に對して中國は自由と民主獨立を擁護するために勇敢に戰うであろう」
     と。
     投下したビラは,『日本の商工業者に告ぐ』,『日本の労働者諸君に告ぐ』,『日本の農民大衆に告ぐ』,『日本政黨人士に告ぐ』『日本人民に告ぐ』,の五種類だつた。これらのビラには蒋介石総統の國民政府側で反戰活動をしていた鹿地亘夫妻書名入りのものが多數あつた。(特高資料)


                (新東京出版1996年)





    この投下されたビラ,日本語の文章は 夏衍,郭沫若
    二人の日本通の文人の手によるものである。 
    ほんの一部だが,引用しておく。
    注意してほしいのは,このビラが書かれたのは,郭沫若がテインパーリー

    『外人目睹中之日軍暴行』の序文 を,漢口で書いていた
     その同じ時期であること。

    過去において我われはあらゆる戰爭の惨虐をさけました。
    滿洲事變以降もわが政府はあくまで忍容*と屈辱との中に日を送りました,ことに塘沽協定*成立後わが政府は最大の忍耐をもつて貴國軍閥の壓迫を忍受しました。
    このやうな忍容はいずれの國家においても出來るものではありません,だがわが政府はそれをしました,目的は貴國軍閥の反省を促しそれを待つたのです。

    だが貴國のファシスト軍閥は依然として,悔悟の意を示さず,占領した地域の少數の腐敗分子を利用して傀儡組織を製造しわが行政の官整を破壊しやうと企て各種陰謀詭計を弄して,わが國家の統一を切り崩そうとしてゐます。
    だが,これらのすべては,無駄でたゞ日本軍閥の窮余の策の拙さを示すに過ぎません。
    一切の陰謀詭計は我われに對してたゞ,擧國一致の抗戰の決心を堅固にさせ,挙國一致の團結を促すのみです。

    南京に傀儡組織が成立するとすぐ,我われは軍事上,津浦線において日本の少壯派軍人と称する板垣の師團と磯谷師團を殲滅し抗戰以來の空前の勝利を博しました,一方わが政府は最近開會した中国國民黨臨時全國代表大會の決議によって抗戰建國の具體的綱領を發表しました,これらは十分に以上の事實を説明して居るではありませんか。
    わが全中華民國の國民はこの國難嚴重なる今日,かつてなき眞心の統一を完成しました,


     *塘沽協定=問題のカイライ政府擁立の根據
     *忍容=忍びつつ受け入れ,許容するの意。



    一拍紅衣燃憤火,横流熱血起哀師

    これは事實上の宣戰である。擧國一致しての徹底抗戰の覺悟を示している。
    非常に穏やかな言い回しで,侵略には斷固屈しないと言うことを宣言した。

    ほんとうの意味で

    ここにきて,ついにかれらは,中國の民は全中國と全世界に向け抗戰を布告した,
    といってもいい。

    郭沫若らの言葉は,又その後の帝國日本側の対應も,コトの本質をよくあらわしている。 
    露わにさらけだしているのである。

    これらのビラを拾って初めて,まさかの戰闘機飛来の事實を知った日本側だが
      
       連戰敗戰,惰弱の「支那」,暴戻の「支那」,その兒戯的な行為

    だ,と一笑に附し,

    近隣住民に反戰氣運や動揺がおきないか,左翼の活動が活發にならないかと
    監視の目を光らせただけだったそうである。

    彼らは中國の文人は,南京虐殺をうけて,彼らの國際的な人脈すべてを使って
    國際世論に訴えたが,それがこの飛行につながつたということ,
    このエピソードを追っていくと
    いかに國際的に“國” がひらかれていたか,その一端も見え,また精神的に
    彼らのよりどころがどこにあったのが見ることができ,彼らが勝利を確信していたその証左もかいまみることができるのである。

    一般的にあまり知られていないが,ほんとうに彼らの抗戰の希望,こと,その “希望” の本質をよく表しているエピソードとして,
    日中戰爭を識っていく過程でわたしの心には強く殘った,「佳話」であった

    その,くにの, “開かれ方” がたとえ前世紀からつづく歐米列強の侵略の結果であったとしても。

    歴史は。

    どちら側にも,どこにでも負がある,その負の歴史が,ひとびとに
    苦しみと困難をあたえもし,それとともに民族を鍛え,發展させること,も,ある。

    つまり,國際社會の世論に訴えると同時に,
    「日本の人民に告ぐ」
    とは,この
    中國の成長と發展を高らかに表明し,かつ帝國日本の民に向けられた最後通牒であった。

    この,最後通牒こそ事実上の中國,華南の宣戰布告,つまり全中國の發氣・發意,その總意である。

    それを,まっすぐうけとめなかった帝國日本。
    引用する。
    これをアカのたわごととあざけることができるだろうか?

    どうですかね?(呵)


                                   つづく


    我われはあえて斷言します!
    貴國軍閥の中國になせる冒險行爲は,かならず貴國の光輝ある前途を葬るばかりであると。

    彼等は中國において傀儡組織を製造し,文化機關を破壊し,民衆を慘殺して婦人小兒に陵辱を加へ,夙に世界の公正なる人々に唾棄されてゐます。
    しかも彼等は貴國の勤勞大衆の膏血を搾取して,いはれなく浪費し,貴國の優秀なる青年諸君を驅つては,いはれなき犠牲に供し,その罪やまことに重大です。
    いま彼等は侵華軍事上においてすでに行き詰まり迅速なる進展はむずかしく種種な事情を總合しても,もはや袋小路にはいってしまひました。
    我われの戰士は目下一層勇敢に一層堅固な意志を持って平和の擁護のため祖國の保衞のために,神聖なる戰爭に參加してゐます。

    我われは最後まで戰ふでせう!

    日本の民衆及び兵士諸君は決して我われの仇敵ではありません,
    かえって諸君は我々の佳き友人でこそあります,東亞兩大民族の共同の利益のために我われは熱烈なる握手を諸君に求めます。
    親愛なる日本人民諸君!
    貴國のファシスト軍閥は不斷に貴國内の民衆を搾取し,勤勞大衆を馳つて中國の兄弟とともに互いに殺し合ふやうなことをさせました,いまはもうかゝる暴擧に反抗するときが來ました,我々中日兩國の人民は固く手を握って共同の敵,暴戻なる日本ファシスト軍閥を打倒しませう!
      
    我われはまさに力を盡くしてゐます,諸君の努力を希望します!

    日本民衆解放萬歳!
    中華民族解放萬歳!
    中日兩大民族萬歳!
                           
           中日人民反侵略大同盟

     


    河清頌

     惟日月之逾邁兮,俟河清其未極 ――王粲 《登樓賦》emeng-L.jpg

    惡夢のように 美しい橋。
    色,淒淒たり,寒髓的黑,赤璺的朱。

    人間(じんかん),仍仍,相因,
    依依。
    止止。
    微微。
    塵寰。
    過沙。
    丹水沙,
    恒河(Ganges)の恒河沙(Ganga)の刼簸

    文明とは河である
    河とは流れ
    流れる。もの,
    河淸,頌すものあり,
    蕪城,賦すものあり。

    濁河の淸滌される,しかし
    そのことを,文明とは謂わぬ
    なぜなら絶對に,言わぬ,河水は,
    遡ることはないのだから 

    惡意のように橋が,架かる。

    河,という,水の流れ。
    文明とは
    濁る河の淸らかに透みてゆく永い時間をぬきとつて掌握することだ

    文明は遡行する。
    きりとられた文明を,さらに又偸みとるものがいる。
    埓として區切られた場所に“煞” のあとがのこる僇僇の
    河,という,ただ,端なくある水の流れ。
    文明とは
    透みてゆく時間を掌握しようとすることだ,
    囂張の,下卑てない,ものものしい顔つきで
      
    河淸, 
    洗滌する水の流れ,を想像してみる,
    黄河の濁濁。

    ゾッとしておもわず號ぶ,
    Bù kěnéng!
    向沙場
    區切られた形埓に殘る悲咽切切


    emengR.jpg

      沙という字は。
      非常に細かい碎かれた石粒のことである,と。
      しかし砂は俗字である,と,謂う

      あくまでも水,である,水中の礫である 
     

     saji.jpg    kawa.jpg   sui.jpg


    emengL-a.jpg

    テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

    『東亞新秩序』の前景氣,超過利潤―「囘想は“鶴”,要塞をかがやき翔 び」


    最近わたしは,ウィキペディアを見ていない,
    きょう,ふとおもいたって,「翼東特殊貿易」「通州事件」など檢索してみたら
    ずいぶんの様変わりであるw
    ウィキぺディア自慰史觀大本營とかネトウヨ御用達等の語はいったん撤回しておっく♫


    この二年でずいぶん刷新されたことを知ったw

    この投稿をしたのは2015年夏であるが,例のふざけた安倍談話が出る前である,
    當時ウィキペディアはみるもおぞましい,自慰史觀のオンパレード。
    特に華北分離工作,熱河作戰の記述は見るに堪えない幼稚なネトウヨのおとぎ話で埋め尽くされていたがw


    ちゃーんと書かれていたw

    これもアベやらニホンカイギやらの,やりすぎ,のさばりすぎ,
    よーちさのダダ漏れw
    その粗雜さのおかげ,かもしれない。

    安倍が政權とって以來2015年までは自慰史觀にせよ
    ネトウヨ妄言にせよ,日中戰爭が話題になることはおおくなり,左翼だけの話柄ではなくなっていた,これは確かで,その意味では,わたし自身はないよかましだ,とおもっていた。

    なにごともすぎたるはなおおよばざるがごとし

    哈哈
    いやw

    何不反邪歸正,棄暗投明!




    20150630

     掌が 白い武漢の 地圖となる
              ― 富澤赤黄男 《武漢ついに陥つ》


    たしかにわたしの書くことは,日本でふつういわれるより,中國側の史觀に
    かたよりすぎているかもしれない。
    だからこそ日中戰爭の個個の戰鬪に於いての帝國日本軍の殘虐性について詳細に
    書きたいとはおもわない。
    が。

    帝國日本軍の,思想的背景のないように感じられる殘虐のふるまい,に,いつも畸形的な “不可解さ” を感じさせられている。
    日ごろ口にしていた“亞細亞の解放”,や,大東亞の理想,と,あまりにかけ離れた殘虐性は,何故見てみぬふりをされたのか。
    戰中も,戰後も,である。

    どうしてあのようなことができたのか。

    わたしも初めは日本人が書いたものを讀んでいた
    しかし日本人が書いたものを讀んでても,いっこうによくわからなかったが,
    中國人,特に抗戰に
    參加した左派の文人が書く言葉は比較的すんなり腑に落ちた。

    もちろん,
    ただ,兇暴で,残虐なだけだ,理解できないし,したくもない,という
    中國人が書いたものも多くあるが。

    知日派の文人は,どんなに憎しみを 抱いていようとても
    そのようなことは言わない。

    ――心に憎しみを抱いてないわけがない,戰後の日中友交に力をつくした文人で
    あっても八年に及ぶ抗戰の,日日絶望的な憤怒を文字に託し著しているのだ
    そして彼らの親兄弟,友人,同志,戀人までも。かれらのなかには日本人に,命を取られていない,というひとなどいない。
    まずいないのである。少なくともわたしが讀んだなかでは。――

    しかしまた,冷靜に,わたしたち日本人の戰爭を,こんな風に總括している文人も多い。

    言葉遣いはそれぞれちがうが。

    『文明』の,中途半端な吸収が,日本にもたらしたもの,に引きずられた結果だ,と。

    野蠻が惡いわけではない。
    文明が萬能なわけでもない。
    西洋文明の利器を手にいれる,それは大きな力を手に入れることではある,
    しかし他の文明を征服しようとする野心を持ってしまったら,害となるだけである。

    それを手にした時に,自らに害となり,罪孽を犯し破局に向かうのは,なぜか。
    それは確固とした自前で作り上げた 『文明』 をもたないからだ。

    中國人は,おしなべてこのようなことを言ってるように,わたしには思える。

    この言い方は,日本人には不快だろう。
    たしかに日本には 『文化』 がある。
    日本文化,が中國文明におとるか,というような,そういうことではなく,

    “文明の利器”とは,
    いや“利器としての文明”とは,

    時に人類に復讐もするものであるらしい。
    そのことを天道によって自覺できていないからだ,
    というのである。

    日中戰爭の総括として・・・・果たして日本人がこのようなことをことばにした
    だろうか?
    わからない,わたしが知らないだけかもしれない。

    そしてもちろん,今の中國共産黨はどうなんですか?
    このような罪孽に手を染めてはいませんか,と尋ねられるものなら尋ねてみたい。
    彼らは
    冒瀆することと,ただ攻勢することは違う,そういっているようにも思える。

    我々は我々の文明を冒瀆されたが。

    そのように言っているようにも・・・・・
    このことをもう少し考えて書いてみたいのだ。

                               
      

    1920年代 武漢,黄鶴樓
    HuangHe_Tower.jpg《武漢空戰三捷歌》唐鼎元

    一九三八年武漢防衛戰を詠んだ七言古詩, 《武漢空戰三捷歌》
    唐鼎元 による自注がある。

    敵機駕駛員跳傘降落在空中頻頻乞降,
    我即停槍勿擊。我張分隊長效賢,以殺敵過猛殉職。


    敵機の兵がパラシュートで降りてきたとき,我われは
    落ちてくるものを打たず銃撃を停めた。
    我が分隊長,張效賢は敵に殺されることになってしまった。
    壯烈の殉死だった。


    張烈士效賢,原名は效良,
    安徽省合肥縣人,生於中華民國二年(1912年)一月十日
    二十五歳 武漢にて民國二年(1938年)五月三十一日戰死

    wuhanHe00.jpg

      冬,武漢。黄鶴樓内, 雪中の鶴の像


    我が・・・・富澤赤黄男,我酷愛的俳人。

    日中戰爭從軍句。である。
    武漢を詠んだ句。
    漢籍,漢語を絶對的にゆるぎない,采配,處置でもってつかいこなす
    その字句に中國文明の精と血が凝る,赤黄男の詠む戰場・・・・・,

    極端に長江が白い。そして濕める空,戰聾。苦しみ

    囘想は“鶴”,要塞をかがやき翔 び

    この句の本質的な美しさは,いったい今,ニホンに幾ばくか,でも,つたえられているか?

    江岸要塞圖

    魚光り老文明は沖積せり
      ・
      ・
      ・
      ・
    江光り艦現實を溯る


    赤黄男の意圖した “順” 。
    わたしには,いたましいまでに,よくわかる。
    文明そのものの,・・・・おおいさと,
    戰爭,このちいささへの絶望が。




    追記
    戰地となった地域の住民の苦しみ。
    加害は復讐をよぶ。
    悲劇の應酬となるだけで戰爭そのものは,正反,善惡の分別,決着など
    できようはずもない。
    できない。

    勝者のいう歴史認識は一方的だ,間違っている,それはその通りだろう,
    と,わたしも思う。

    しかし,非戰闘員つまり現地住民だが,彼らにとっては,どこに逃げても日本軍は
    やってくる。
    中國では。

    それは日本の侵攻であって,日本の自衛ではない。
    ゼッタイに。

    銃後にあって,銃口にさらされなかった十一年間の日本内地,わたしたち日本人。
    銃前に,砲口に十五年間(嚴密にはもっと長くだが),さらされつづけた彼ら中國人。

    彼我の現實のちがいは,あまりにもおおきい。
     
    相手の現實を,想像することができないなら・・・・日本人は木偶か石ころだ。
    中國では樹木も,石ころも受害したが。 

    中國では・・・・逃げることが出來ない人,山河,畑,空氣,大地のすべてが
    受害した。帝國ニホンジンによって害されたのである。

    そこから,始めて,類推できない,考えられないのはなぜか?

    こんなカンタンなことが理解できない思慮のなさがネトウヨはじめとする,
    ――自慰のリヴィジョニストたち――の無思慮だが・・・・無知というより無恥だろう
    あれは,侵略じゃなかった,といい,
    ヤツらが抗日的だったから,やつらが惡かったからだ。

    蒋介石軍は酷い軍隊だ。
    蒋介石のやったことを知らないのか?と。

    確かに蒋介石は酷い,共産軍はもっと凄まじいこともしていた。

    しかし日中戰爭当時,最終的に彼ら國共兩黨の指導部が,選んだのは,
    民とともに,帝國日本にあらがうこと,たたかうことだった。
    その後のことについては

    彼ら自身が,彼ら自身の手で,國共の内戰によって決着をつけた。
    彼らがそれをやるべきであり,彼らのやるべきことを阻害し続けたのが,
    皇國日本帝國だった。


    常にかの地の民の邪魔をし,かの地に生きる民の權利を貪る昭和の日本だったのだ。

    わたしの書くことは,
    ネトウヨには,アカの言うことだ,時代錯誤のコミュニストきどりだ,なんだ,と。
    日頃バカにされるが
    あるいは,常識の圏内wにおいても抗日を美化しすぎていると侮蔑されるかもしれない。

    日本を美化したくない,それはそのとおりだが。

    國内のことは國内で決める。
    民族は民族の自決権を持つ。

    あたりまえのことだ,

    日本人だからこそ,日本人が,するべきことをする
    日本人の,こしかたを反思し,内省する,それだけだ。

    それはどちらが,正義か,決着をつける,
    正邪を斷じること,とは違う。
    河水の流れは常に一定,
    遡及はない。

    しかし
    河水淸らかにして且つ漣猗

    濁ったものが淸らかに澄めるには時間がかかる
    歴史の時間を何時から何時と區切って決濟するなど,
    ひと一人が生きる一代でできるわけもない。
    しかし糺正のため以外にも,思慮の質量はあり,あるべきで
    その質量が歴史をつくっていく,歴史を動かしていくということもまた,一,眞實ではないか
    そうした質と量その “總和” には,わたしは希望を持っている

    なぜなら有史以來,ひとは塵寰に群れを成してなお生き延びてきているのだから


    過去のしざまをただ,糾彈することでもない。
    ましてやジギャク,などと言うものではゼッタイにない

    善惡や正反が,彼我のどちらだったかを,決着をつけること,とは
    根本的に違う

    同じ人物から,またバカげたおしかりをいただいたが。
    この夏は, “自虐” 史觀がまったく活字になってない。
    毎年今頃は先の戰爭についてのさまざまな表出というものがあったが。
    しかし,今夏・・・・

    隠したるより顯わるる無し,

    という言葉を,リヴィジョニストたちに向かって無力感いっぱいで。ハハ,
    毒づくしかない。

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    玄


        管理人: 少玄 (女子)


      
     楞伽案前, 楚辭肘後
     

      ― 本人不是佛教徒,
       當然是一個的詩囚 ―



    ヒコクミン雜感
    自由國際 L'Internationale
    偈頌 Ghaatha(La religion)


      
     
    屈翁山 屈大均カテゴリー
     納蘭性德(容若)『飮水詞』

      

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    * East Asia War &  Prolet’Kult contents
     日中戰爭とその記憶

    南京虐殺日中間の戰爭,その記憶 ①~⑥にすすむ

      ▼ クリックで直接進めます

     1931 錦州爆撃・張學良
     1933 熱河作戰・張學良
     1931 九・一八柳条湖
     1937 毒ガス使用作戰
     1937 淞滬會戰八・一三
     1940 棗陽戰(棗宜會戰)
     1940 宜昌作戰
     1931 抗日義勇軍・楊靖宇
     1943 常徳よ號作戰
     1935-東亞新秩序の前景氣
     1936 塘沽協定と熱河作戦
     1937 天津の支那駐屯軍
     1937 7・7盧溝橋事變勃發
     1938 漢口の國民政府
     1938 中國の抗日論調
     1938 國民政府 武漢防衛
     -1938 南京屠殺アトローシティ
       1 2 3 4  5 5 6

     1906 アナキスト的國粹主義者
     1907 東京 亞洲和親會
     1925 上海游記 芥川龍之介
     1949 『中國のレジスタンス』

     
    黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 1931
      『國境』 1931
      『』 1927
      『』 1928
      『武装せる市街』 1930
      『パルチザン・ウォルコフ』 1928
     竹内好  1910-1977
     ・
    日中國文學者からの告發
     ・帝國民間人のアヘン賣買
     ・中國の抗戰意識
     ・la résistance 同歸于盡
     ・ファシズムとパン
     ・經濟収奪の前段階

     芥川龍之介 1892-1927
     中野重治 1902-1970
     槇村浩 1912-1938
     小熊秀雄 1901-1940
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       日本人反戰同盟
       (1938-1945 中國)

       
       鹿地亘 1903-1982
       『自傳的文學史』(1959)
     第8章(前)・檢擧 拷問
     第8章(後)多喜二獄中志・死
     第10章・検察 釈放 脱出

       『中國の十年』(1946)
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      1 出獄から
      2 昭和十一年舊正月
      3 夏衍 蕭軍 左翼作家聯盟
      4 民族魂 魯迅との邂逅
      5 阿Q 魯迅の死
      6 七・七事變の勃發
      7 反侵略友誼的激勵
      8 上海 ルイ・アレー氏
      9  ホンコンへ脱出
     10 入境の日本人解放鬪爭
     11 武漢時代 國共合作
     12 武漢時代 朝鮮義勇隊
     13 武漢時代 日本人捕虜
     14 大移動 南嶽會議前後
     15 呉石將軍と廖濟寰氏
     16 桂林時代 蔣介石
     17 桂林時代 崑崙關
     18 重慶 反戦同盟總部
     19 湖北 陳誠將軍 恩施にて
     20 湖北 宜昌の前線
     21 ―新四軍事件
     22 郭沫若のこと
     23 重慶 ― 南進か北進か
     24 反戰同盟發展 
     25 重慶 破壊者 潜入
     26  天皇制の問題
     27 祖國 最終章


    * list of poetry    Anti-Japanese wars
      抗日戰舊體詩

      本ブログの骨幹です。
     一九三〇年代,抗日戰爭期,
     中國文人が詠んだ帝國日本の
     侵寇,掠略加害のありさま
     祖國の救亡のため抵抗し命を
     落としていった無數の草民,
     中華の大地,山河を忉怛し
     惜慯した哭詩,吊詞,哀歌
     口號,頌歌。
      抵抗者の忼慨をうけ連綿と
     傳えられてきた歌以言志。
     新・舊體詩,填詞,白話詩。
      歴史書の記述とは又,異なる
     日中の戰爭の實相が,曝され
     吐露されています
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      は特に御薦めする

      

      詩人詩篇題 INDEX

     田翠竹 1913-1994 湖南 湘潭
     《洞庭碧血》其四其二
     《血観音歌1943年作
     《重九》《甲辰雜詩
     《抗戰百詠・十首
     《還湘又將別家去桂書懷
     《避難吟荒江雪意
     《中秋后還家再去耒陽
     胡繩 1918-2000 江蘇蘇州
     《南京夜聞流亡東北學生
     《松花江上
     寇夢碧 1917-1990 天津
     《淪陷紀事詩
     黄假我 1916-1985 湖南寧郷
     《青年謠壬午五四青年節
     《柬呈柳亞子先生
     《暮春雜詠
     《過塘沽
     《瀋陽中秋對月
     《宿錦州
     《錦州廣濟寺前
     金紫衡 1914-? 河間瀛州
     《四周年瀋陽驚變九一八
     《沈監秋夜
     《瀋陽除夕寄徐
     《延邊辭歳1943年除夕
     《蘇武牧羊圖
     《山居雜詠
     《北平易幟
     《南京陥落
     《吊江南
      
     錢鍾書 1910-1998 江蘇無錫
     《故國》  《哀望
     《得龍忍寒金陵書
     張滌華 1909-1992 安徽鳳臺
     《南京大屠殺感賦
     盧前 1905-1951 江蘇南京
     《招西北之魂
     《百靈廟,更招東北之魂
     王季思 1906—1996 浙江永嘉
     《懐人五絶
     羅元貞 1906—1993 廣東興寧
     《路過上海有感
     《黄浦灘倚欄夜作
     《清明哭母二首》 《病裏
     《初到并州懷劉越石
     《中秋漫筆二首》
     《故都秋夕
     《送行
     《夜過景山
     張采庵 1904-1991 廣東番禺
     《勝利在望書此志喜
     《鬼意
     《亂離
     《秋夜》  《感憤
     《寇陷長春李君如玉僅
     身免南下相逢握手一慟

     聶紺弩 1903-1986 湖北京山
     《題 “藥” 兼吊秋瑾
     胡士瑩 1901-1979 浙江嘉興
     《過秋瑾墓感賦二首
     王禮錫 1901-1939 江西安福
     《再會,英國的朋友們
     何永沂 ?-? 廣東
     《報載日本首相參拜靖國
     神社憶南京大屠殺事感

      

     舒慶春 老舎 1899-1966 北京
     《七七紀念
     《沫若先生邀飲賴家橋
     《述懷
     《賀冰心先生移寓歌樂山》
     《哭王禮錫先生二首
     常燕生 1898-1946 山東
     《遊春八首選二》其一
     馮振 1897-1983 廣西北流
     《暮春
     《傷楠兒
     《野望
     《登蒼梧北山
     《草食人
     《病後
     《登銅石嶺最高頂
     林庚白 1896-1941 福建閩侯
     《次和炎南兄七七見寄韻
     《續丁丑雜詩六之一
     《水調歌頭,聞近事有感
     《丁丑雜詩三首
     《渡江至武昌
     《江岸散歩
     《月夜小步
     《七月十二夜坐月
     《浣溪沙
     《首都飯店聞警同北麗
     《病起聞警
     《江防
     《聞道二之一
     《難民來
     《夜聞鑿防空壕聲
     郁達夫 1896-1945 浙江富陽
     《贈光華報同人"/>
     郭沫若1892-1978 四川樂山
     《挽王禮錫
     唐鼎元 1894-1988 江蘇常州
     《哀瀋陽
     《武漢空戰三捷歌
     柳亞子 1887-1958 江蘇呉江
     《八聲甘州-次任潮將軍
     韻為亡友庚白先烈賦

     李濟森 1885-1959 廣西蒼梧
     《八聲甘州-林庚白
     先生香江殉難以表哀

     張鳦生 (不詳福建)
     《感事次達夫先生韻
     《南京失陥
     《七七掲開抗戰序幕
     《吊鑒湖女俠墓
     《贊東北義勇軍》二首
     《九一八感作
     《頌寶山姚子青全營殉城
     李大防 1878-?  四川開縣人
     《金陵作
      
    * list of poetry    Late Qing,Republican

        ☞瞿秋白 瞿秋白の生涯と詩作「形單影隻,孤苦畸零」雄魄 顛簸的一生

     史鐵兒 1899-1935 常州武進
      『餓郷紀程
    』1919-1923
     〔新體詩〕
      《心的聲音“遠”》1920年
      《去國答"人道"》1920年
      《無涯》(1920年)
      『餓郷紀程・跋』1921年
      《國際歌》 1923年
      《赤潮曲》 1923年
      《夢中鞋》 1923年
      《鐵花》 1923年
      《天語》 1923年
      《小小的蓓蕾》1929年
     〔舊體詩〕
      《詠菊》 1914年
      《哭母》 1916年
      《雪意》 1917年
      《紅梅閣  1926年>
     〔獄中誌〕
      《
    絶筆》1935年6月18日
      《浣溪沙》1935年5月
      《卜算子詠梅》1935年5月
      『瞿秋白筆名印譜

        


        ☞ 林庚白子舊體詩に すすむ

      林學衡 1896-1941 福建閩侯
     〔七言詩〕
      《次和炎南兄七七見寄韻
      《續丁丑雜詩六之一
      《丁丑雜詩三首
      《渡江至武昌
      《江岸散歩
      《首都飯店聞警同北麗
      《病起聞警
      《江防》 
      《難民來
      《夜聞鑿防空壕聲
     〔五言詩〕
      《聞道二之一
      《月夜小步
      《七月十二夜坐月
     〔詞牌〕
      《水調歌頭-聞近事有感
      《浣溪沙
      《菩薩蠻-送別
      《減字采桑子-雨夕書懷
      《曲牌行香子-
       -舊曆重陽樓望寄璧妹
      《琴調相思引-午夜聞歌
      《賣花聲-雨中樓望
      《鳳凰台上憶吹簫-
       -雨夜無寐》《-海行夜起》
      《滿江紅-秣陵感懷
      《摸魚兒 紅豆




      淸末民初“革命春秋”
     
     鄒容 威丹1885-1905四川巴縣
     《獄中答西狩
     『革命軍
     劉師培1884-1919江蘇儀徴
     《一萼紅-徐州懷古
     《賣花聲-登開封城

     黄節 玉昆1873-1935廣東順德
     《送劉申叔元日東渡
     秋瑾 璿卿1875-1907浙江紹興
     《滿天紅
     《杜鵑花
     《去常德舟中感賦
     《杞憂人
     《梅十首選其二
     《詠琴志感
     《讀書口號
     《殘菊
     《秋海棠
     梁啓超 1873-1929 廣東新會
     《讀陸放翁集

     章太炎 1868-1936 浙江余杭
     《獄中贈鄒容
     《辰州
     《亞洲和親會規約
     陳國常 1864-? 四川榮昌
     《徐烈士墓
     《秋瑾墓

     康有為 1858-1927 廣東南海
     《
    大同書成題詞
     黄遵憲 1848-1905 廣東嘉應
     《庚午中秋夜始識羅少珊
     魏源 默深1794-1857湖南邵陽

     《江南吟・其八
    * list of poetry     The Qing Dynasty 

        龔 定盦 龔璱人
         浙江杭州 1792-1841

       
      『平均篇
      『乙丙之際箸議
      『己亥雜詩全三百十五首
     〔七言絶句詩〕
      《己亥雜詩 百二十五
      《己亥雜詩 六十二
      《己亥雜詩 八十五
      《己亥雜詩 九十六
      《漫感
     〔七言詩〕
      《己卯雜詩自春徂夏全首
      《又懺心一種
      《常州高材篇
      《驛鼓
      《夜坐》其一
      《夜坐》其二
      《秋心》三首之壹
        
     〔五言詩〕
      《夜讀番禺集書其尾
      《又一首
      《戒詩》五章其一、二
      《自春徂秋偶有所觸拉雜
      書之漫不詮次得十五首

      《紀夢》七首之五
      《賦憂患
      《賦得香
      《觀心
      〔曲牌〕
      《端正好
      《醜奴兒令
      《念奴嬌 湘月
       龔自珍 編年校注 古典文學叢書
      ☞ 人痾芙蓉 阿片戰爭
    * list of poetry     The Ming Dynasty 

      屈翁山 屈大均 號 莱圃
       1630-1696 廣東番禺

       
      〔七言詩〕
     【屈大均詩集】七言絶句目録
     【屈大均詩集】七絶集 貮・參
     【屈大均詩集】七絶集 肆・伍
     【屈大均詩集】七絶集 陸
     【屈大均】《哭華姜百首》

      〔五言詩〕
     《哭内子王華姜》一三首
     《詠懷》一七首
     《詠古》二七首

      〔曲牌〕
     【屈大均詩集 詞牌
     《念奴嬌 湘月
      
      








    * list of poetry     The Song Dynasty

       文天祥 宋瑞 諡 忠烈
        江右人 1236-1283

       
       《劉琨
       《夜坐

       劉克莊 潛夫
        莆田城廂1187-1269

       《雜記十首》其二,其八






       元遺山 元好問 裕之
        山西秀容 金1190-1257

       
       《論詩絶句
       《孤劔詠
      《種松》 ,《出都
      《俳體雪香亭雜詠坐
      《壬辰十二月車駕東狩後





       陸放翁 陸游 字 務觀
        浙江紹興 1125-1210

       
      《夜歸偶懷故人獨孤景略
      《東籬雜題
      《雜書幽居事
      《水亭》,《八十一吟
      《卜算子詠梅







       邵堯夫 諡 康節
        范陽人 1011-1077

       
        《觀物吟
      《義利吟
      《自餘吟
      《乾坤吟二首
      《天聽吟
      《辛酸吟
      《論詩吟
      《夢中吟
      《不寢
      《洗心吟
      《晨起
      《寄楊軒
      《百年吟
      《感事吟
      《繩水吟
      《淸夜吟
      《歩月吟
      《月新吟
      《月到梧桐上吟




    * list of poetry     The Tang Dynasty

       李長吉 李賀
        791-817 河南昌谷

       ☞李長吉詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔五言詩〕
       《申胡子觱篥歌
       《詠懐其一
       《詠懐其二
       《七月一日曉入太行山
       《潞州張大宅病酒遇江使
       《走馬引
       《古悠悠行
       〔七言詩〕
       《長平箭頭歌
       《酒罷張大徹索贈時…
       《綠章封事爲呉道士…
       《酒貝宮夫人
       

       杜少陵 杜甫
       712-770 長安

       《戯為論詩絶句》其一,五
       《詠懷古跡》五首其一,二


       孟東野 孟郊
       751-814 湖州武康

       ☞孟東野詩カテゴリーへ直截すすむ
       〔全詩集〕
        壹・一~四卷(宋本)
        貮・六~十卷(宋本)
       〔樂府〕    《古怨別
       《古別曲
       《飢雪吟
       《寒江吟
       《苦寒吟》
       《遊俠行
       《羽林行
       《春日有感
       《游俠行
       《偶作
       《遣興》
       《
    聽琴》
       〔七言絶句〕
       《
    登科后
       《傷舊游
       〔五言絶句〕
       《旅行
       《邀花伴
       《古恩
       《閑恩
       《喜雨
       《春後雨
       〔五言古詩〕
       《答盧虔故園見寄
       《哭秘書包大監
       《送孟寂赴舉
       《寒溪》其三,五,六
       《夜憂
       《夜感自遣
      

        賈浪先 賈島
        779-843 范陽涿州 

        ☞
       《壯士吟
       《劍客
    * list of poetry     The Six Dynasties

       庾子山 庾信 庾開府
        梁 513—北周 581 

       庾信カテゴリーへ直接進む
       『庾子山・全詩集』上
       『庾子山・全詩集』下
       《哀江南賦・序
       《哀江南賦①
       《哀江南賦②
       《哀江南賦③
       《哀江南賦④
       《擬詠懷詩
       《詠畫屏風詩
       《望月詩
       《舟中望月詩

       庾子慎 庾肩吾
        梁 487-551

       
       《經陳思王墓詩
       《同蕭左丞詠摘梅花詩
       『庾肩吾・全詩集

       江總 江總持
        梁 陳 519-594

       《橫吹曲
       


       鮑明遠 鮑參軍 鮑照
        劉宋 414?-466

       鮑明遠 鮑照カテゴリーへ直接進む
       《代出自薊北門行
       《代結客少年場行
       《代升天行
       《扶風歌
       《學劉公幹體》其一~五
       《擬阮公夜中不能寐
       《冬至》,
       《代夜坐吟》

       
       江淹江文通
        劉宋 齊 梁 444-505

       《劉太尉琨傷亂


       劉越石 劉琨
        晉 224-262

       ☞劉琨カテゴリーへ直接進む
       《答盧諶詩・序
       《答盧諶詩
       《重贈盧諶詩
       《扶風歌


       嵆叔夜 嵆康
        晉 270-318

       ☞嵆康カテゴリーへ直接進む
       
    * list of poetry     The Han,Wei,Jin


       曹操 曹孟德
       沛国譙 155-220魏武

       
       《歩出夏門行

       曹子建 曹植
       192-232陳思

       
       《求自試表》上
       《求自試表》下
       《升天行
       《朔風

      漢魏晉 建安文學 三曹


      繁欽 繁休伯 建安?-218
       《遠戍勸戒詩
       《征天山賦
      繆襲 繆煕伯 建安186-245
       《屠柳城

      漢代樂府歌辭
       《戰場南



    * list of poetry    Pre-Qin and Others

      詩賦・樂府歌辭・偈頌
       
      南北朝・北歌
      《望月》蕭綱・梁簡文
      《隴頭歌辭
      《青溪小姑歌》南北朝末隋初


    * list of poetry    Japanese modern

      小熊秀雄 1901-1940
      『小熊秀雄詩集1935年
      『流民詩集1947年
        ☞ 詩篇 TitleMenu
       

      中野重治 1902-1970
      《新聞にのった寫眞
      《兵隊について
      《噴水のやうに》《歌
      《私は月を眺め》《波》4

      金子光晴 1895-1975
      《落下傘》《湖畔吟
      《燈臺》
      槇村浩 1912-1938
      『間島パルチザンの歌』
       ☞ 詩篇 TitleMenu

      金鍾漢 1916-1944
      《合唱について
      《一枝について
      《古井戸のある風景
      《待機
      《行状
      《空山名月
      《

      黑島傳治1898-1943
      『防備隊』 『國境』 『
      『』 『武装せる市街
      『パルチザン・ウォルコフ』

      田邊利宏 1915-1941
      
    ☞ 詩篇 TitleMenu

     反戦詩人☞ 詩篇TitleMenu


      富澤赤黄男 1902-1962

       

      《蒼い弾痕》『旗艦』1939
      句集『天の狼』1941
      句集『天の狼』抄1951
      《風景畫》 『蛇の笛』1952


       短詩運動 大連『亞』  
       
       
       安西冬衞 1898-1965
      《黑き城》『渇ける神』1933
      『大學の留守』1943
      《砂漠》『軍艦茉莉』1929
      《夜の思料》『軍艦茉莉
      《八面城の念力》1933
      《砂漠の行者が臥てゐると
       鴉が食物を運ぶ

       『亞細亞の鹹湖』1933

       
       北川冬彦 1900-1990
      《
      《戰爭》『戰爭』1929
      《絶望の歌》
      《壊滅の鐡道

      《風景》《埋葬》『氷』1933
      《爛れた月》《斑らな水》
      『檢温器と花
    』1926
      《泡》『馬と風景』1952






     
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    * comment
  1. 玄:Re:尖閣は中国に、竹島は韓国に。 (09/20)
  2. motomasaong:尖閣は中国に、竹島は韓国に。 (09/20)
  3. 玄:Re: No title (09/19)
  4. 玄:Re: No title (09/19)
  5. くわがたお:No title (09/18)
  6. 青梗菜:No title (09/18)
  7. 玄:Re: No title (09/17)
  8. 玄:怨讎秋深候蟲嘶~~ (09/17)
  9. 青梗菜:No title (09/16)
  10. 玄:Re: No title (09/14)
  11. くわがたお:No title (09/14)
  12. 玄:Re: No title (09/13)
  13. 青梗菜:No title (09/12)
  14. 玄:Re: No title (09/12)
  15. * list of poets & link

     中國詩について
     中國詩はもともと,象形であるところの文字を使って詠まれている。つまり西洋詩にいわゆるサンボリズム,象徴詩,と言う「様式」は既に自得している。自得してしまっている。
     それが中國詩。
     古體,近體,舊體,新體,いつの時代のどの形式であっても漢字を使う限りそこから自由にはなれない。
     こうした作法の約束ごと,いわばクリシェ表現であるが,メタファーのいくつかでも知っているだけでも,漢魏の古詩は,類推しやすくそうとうにわかりやすくなる。
     まず,膨大なアナロジーの蓄積に眩むわけだが,漢魏六朝の古詩によってメタファーを知ると,唐詩は「表徴」と言うより「表現」そのものがおおきくひろがっていることがわかる,跳躍的に,である。
     さらに宋詩には,古來の中國思想に禪定(禪那 Dhyāna ディアナ)が加わり探究されて淒みを増した思想的表現の飛躍がある。
     Impressionism,Expressionism,
    そのどちらにおいても深化がある。
     これを,真に,深く實感すると中國詩の虜囚となる


     

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